霊夢の双子の妹が、なぜか首を絞められる話。
ちょっと蒸し暑いだけの、なんてことないいつも通りの夜。静まり返った自室で、ぐっすりと眠っている最中のこと。
私は、霊夢に首を絞められた。
自分でも何を言っているのか全く解らないが、ありのままの真実だ。
私の上に跨り、呼吸を合わせるように力を徐々に込めながら、気が付くと霊夢は私の首を絞めていたのだ。
あの時ほど、『!?』ってなった時はない。
だって意味がわからないし、霊夢の黒く無機質な瞳と目が合った瞬間、途轍もない悪寒が走ったのだ。
──あ、本気で私のこと殺す気だ。
疑う余地もなく、そう思ったから。遊びや冗談なんかじゃ決してない。殺意を感じたとかではないが、もっと仄暗いなにかが、あの時の霊夢の表情には顕れている気がした。抱いてはイケない、悍ましいナニカが。
そこからはもう、必死も必死だ。私は首を絞める霊夢の手を剥がそうと、みっともなく手足をバタつかせた。理由も分からず状況整理も全然出来ていないまま、声にならない声を溢し続けた。
手で叩いて抓って引っ掻いて、足で何とか蹴飛ばして。出来る限りの抵抗を、藻掻きを私は行った。
しかし、形勢は変えがたし。霊夢の力は私の力を遥かに上回っており、私の全力の抵抗など霊夢からすれば、幾らとも響かない、無抵抗にも等しかった。まあ、霊夢は歴代最強との呼び声も高い博麗の巫女。解りきっていたことではある。
でも、それでも懸命に死の手から逃れるべく、私は身体を動かし抵抗を続けた。
そして、そんな地を這いずる害虫みたいに、涙目で動く必死で惨めな私を、感情の読み取れない瞳で長い時間ジッと見つめた後、霊夢はこう言ったのだ。
『また明日ね』──と。
まるで、すぐに忘れる何気なくしょうもない会話のように。今の異様な状況も一切関係ない、普段通りを貫くかのように。
あっけらかんとそう呟いて……霊夢は私の首を絞める手を解いた。
その後、霊夢は楽になった呼吸を精一杯行う私を一瞥し、何事もなかったかのごとく部屋を出ていったのだった。
今日の行動も、呟いた言葉の意味も。考える暇も、問い質す余裕もありはしない。恐ろしい方面で発揮される自由気ままな普段と同じ姉らしさに、呼吸を整えつつ私は戦慄さえ覚えた。
霊夢が去っていった古びた襖を、私は呆然と見据える。首元に触れると、先程の霊夢の暗さを帯びた表情と熱さが脳裏を過り、夢なんかじゃないんだと身体が震えた。
この意味の解らない一連の出来事が、昨日の夜中のコトである。
考えるまでもなく、私にとってコレは完全にトラウマになった。
◆◆◆
その日の朝は、一睡も出来ぬまま迎えることとなった。
あんな恐ろしい出来事があったんだ、当然だろう。双子の姉に唐突に首を絞められ、呑気に眠れるほど私は図太くない。
色々なことを悶々と考えてしまい、目を瞑るとまた霊夢に首を絞められるのではないかと、怖くて仕方がなかった。
布団を頭の先まで目一杯被り、外の世界と己を隔離して何とか震える身体を収めようと努力する。けれど、恐怖と震えが収まってくれることはなかった。
私は、霊夢の考えていることが解らない。
元々微塵も解ってなどいないが、更に解らなくなった。
私が、何か気に障ることをしてしまったのだろうか? それとも、只の気紛れ? どちらとも取れるし、どちらにも当てはまらない気もする。生まれたときから一緒にはいるものの、私は霊夢のことを何も解っていないのだ。
霊夢という少女は、常に空を漂っているみたいに在り方が掴めない。いつも枯れた老人みたいに、何もせずにいることが殆どだ。
人妖関係なく誰に対しても平等に接するし、喜怒哀楽が欠落しているようにも感じる。
博麗の巫女という立場に相応しい強大な力を保有し、賽銭箱を眺めるのが趣味の守銭奴。
それこそ霊夢と関わりのある者ならば、誰でも知っているこんなつまらない情報しか、私は知らないんだ。
霊夢の本質を見抜き、知っている人物など一人足りともいやしないだろう。というか、本質があるのかどうかすらあやふやだ。そのくらい、霊夢は幻想的な人物だった。
そんな人に、私は殺す気で首を絞められた。恐怖を感じるなという方が無理がある。
今までの私たちは、ちょっと距離のある当たり障りのない普通の姉妹だった筈だ。なのに、なぜ急にあんな真似を霊夢はやったのだろう?
動機も、意味も、在り方も何もかもが解らない。実の姉が、強い者が、解らない者が、怖い。霊夢の場合、この解らなさが多くの人妖に好かれる要因にもなってはいるが、私は心底恐ろしかった。
……だから私は、布団を被り現実から逃げることを選んだんだ。反抗も口論も今の状態では無意味、絶対に出来る気がしない。時間が欲しいし、頭も整理したかった。
そもそも、逃げる度胸も、立ち向かう勇気も本来私は持ち合わせてなどいないのだ。
だって私は弱く臆病者で、霊夢とは存在そのものの格が違いすぎるから。それを、私はちゃんと弁えているから。
だからこそ、今この瞬間の私は貝になりたかった。そう人にあらず。そんな風に思えば、姉に首を絞められたときのことが和らいで、酷く心が落ち着いた。我ながら単純でバカバカしい。けれど、救われる感覚が確かにあった。やはり貝のごとく殻に閉じ籠もり、震えるだけが、きっと私にはお似合いなんだ───
「いい加減に起きなさい」
「ぴぎゃ!?」
そして、唯一の安全地帯である布団を元凶に引っ剥がされ、私は畳にゴロゴロと転がったのであった。
「あんた、いつまで寝ているつもりよ。今日も人里でバイトがあるんでしょ? ならさっさと準備しなさい」
「え? ……あ、え?」
「……どうしたのよ? もし体調が悪いのなら言いなさい。バイト先に伝えるくらいはしておいてあげるから」
「ぁ……い、いや大……丈夫」
「そ」
いつも通りの無関心気味な調子で、霊夢が言う。昨日も思ったが、あんなことがあったのに、何も変わらぬ霊夢の態度に私は困惑しか浮かばなかった。一体どういう神経をしているんだろう。なんなんだよコイツ。
本当に、霊夢が何を考えているのか解らない。いっそ、全部夢であってほしかった。
けれど、じんわりと熱をもつ首が、その淡い希望を否定する。
現実であるならば、問い質すべきことがあるはずなのに、霊夢の無機質な瞳に見下されていると、言葉が詰まって上手く出てこなくなる。霊夢との普段通りのやりとりが、今は怒られることの何倍も怖かった。
何のつもりなんだよ、この腋巫女! 何を考えているんだ、言え! と、怒鳴ることが出来れば、一体どれだけ良かっただろうか。生まれてから一度も、そんな大それた言葉を言えたことはないのだけれども。
もし、友達の魔法使いさんみたいに強く気ままになれれば、私も言い返す程度は出来たのかな。
いや、無理か。霊夢を怒らせたら私は欠片も残らずに死んでしまう。最早、刷り込みにも近い。
本当に、私はヘタレだ。
◆◆◆
「あ……魔理沙……」
「お、その声は───て、うお!? どうしたんだよその顔!」
夕闇が照らす、人里から博麗神社へと帰るための通り道。バイトを終え、重い足取りで帰路へと付いていた私は、偶然白黒がトレードマークの可愛らしい魔法使いさんである魔理沙と鉢合わせた。
魔理沙は、私の顔を見るやいなやその面没を驚愕で塗りつぶしている。え、なんか付いてるかな?
「カオ……が、どうしたの?」
「いや、どうしたっていうか。生気のない死人みたいな顔になってるぞお前」
「……し、しにん?」
「ああ、酷いもんだぜ。私が霊夢にズタボロにされたときでも、そこまで思い詰めた顔をしてなかったと思うぞ」
魔理沙がペタペタと私の顔を触りながら言う。
家を出て、バイトをしている最中も、私の頭の中は霊夢の奇行のことでいっぱいだった。バイト先の人に心配されたくないから、表情には出さぬよう心懸けていたつもりではあったが、どうやら思っている以上に私は分かり易く弱っていたらしい。もしくは、魔理沙が想像を遥かに超えて鋭いかのどちらか……だ。
何故か魔理沙は、私のことを私以上に気に掛けてくれる部分があるため、私としては後者を推したい。気の所為だったら、恥ずか死ぬ。
「何かあったのか? 困りごとだったら、なんでも言ってくれ。絶対に助けてやるから」
「魔理沙……ほんとに、ありがとう。あなたは……優しいね」
優しく言ってくれる魔理沙の、カッコ良さと温かさに、私は表情を綻ばせた。
この子、本当に優しいよね。今の淀んだ私にとって、心のオアシス間違いなしだ。真面目に結婚してほしい。私なんかには勿体ないか。
「───」
「? 魔理沙?」
「ッ! あ、あー……ゴホンッ。今、帰ってる途中だろ? 私も霊夢に用があったからな。ついでに送っていってやるよ」
『ほら、乗ってくれ』と、箒の後ろをポンポンと叩く魔理沙。流石は魔法使い、とても様になっている。
一つ一つの仕草や言動、全てが格好良いし、心遣いも物凄く嬉しい。魔理沙が想ってくれているだけで、私は飛び跳ねたくなるほどに嬉しいんだ……けれども、今は、まだ。
「………魔理沙、私……家に帰りたくない」
「は? なんでだよ?」
「……そ、それ……は」
純粋かつ当然の疑問に、私は言葉を詰まらせる。『なんで』と聞かれても、私はなんと答えて良いのかが上手く解らないのだ。
ありのままを、私がどれだけ今の霊夢にビビッているかを正直に伝えたとしても、状況が好転する予感が全然しない。寧ろ、色々と破綻してしまいそうな気がするのだ。
今までの関係性や、幻想郷の暮らしでさえも。色々と暗く沈んでいく……そんな、ドン底のような後ろ向きの思考が。
只の勘だ。けれど、今は従ったほうがいい。私の勘は、結構当たるから。少しでも可能性があるのなら、それを避けたかった。
「……なんだ、私には言えないことなのか? それとも、私の箒に乗るのが嫌ってことか?」
「ち、違うよ……そんなんじゃ、なくて。ただ、私はッ」
「ただ、なんだよ?」
なんでか箒から降りて、促すみたいに、不機嫌な顔で詰め寄ってくる魔理沙。え、ほんとになんで近づいてくるの? 顔が良すぎて辛いんだが!?
思わぬ攻撃。魔理沙の良すぎる顔にダメージをくらいつつ、私は沸騰する頭に思い浮かんだ言い訳を、何も考えずに口にした。
「ま、魔理沙と……二人だけで……もっといたかったから」
「────は、はあ!?」
「あ、だから……その……ごめん。……な、なんでもない、忘れてほしいっ」
「い、いや忘れられるワケないだろッ」
「……っ」
やらかした。熱くなった頭で、ついつい叶えたい欲望を私は口走ってしまった。
魔理沙は帽子を目尻まで深く被り、表情が見えなくなったが、絶対私のことをキモいと思っている筈だ。
あまりの気持ち悪い醜態に、私は赤くなった顔を両の手で覆い隠す。穴があったら入りたかった。
妙な熱さのある空気が、周囲を満たす。
魔理沙も私も、声を出すことなく、そんな熱い感じのする静寂を保ち続けるのであった。
───そのとき、ずっと私は。
魔理沙に申し訳なく思う一方で、一つの光景。
昨晩の、私の首を絞めている霊夢の顔がずっとフラッシュバックしていたんだ。
熱い空気の中、首元だけが気になって……霊夢の顔が、首元の別種の熱さが、ずっと、ずっと。延々と。
───『また明日ね』
私のことを、支配していた。
多分、一生忘れることはない。そんな、仄暗い呪いがずっと私を───