大学生になった希美の話。

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飛べない少女は何を思うか?

もしも、

 

 

もしも私が鳥だったら、彼女と一緒に飛ぶことができていたのだろうか?

 

もしも彼女の翼がもげていたら、彼女は私と同じ所まで落ちて来てくれていたのだろうか?

 

 

 

 

ああ、神様、

 

 

どうして私に籠の開け方を教えたのですか

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

『先にはいってるわよ』

 

『おっけー』

 

『あんた、本当にあと10分で着くんでしょうね?』

 

『大丈夫大丈夫、まっかせなさーい!』

 

『あんたねぇ…』

 

 

画面の向こうでしかめっ面をしている優子が想像できて、思わず笑ってしまう。

 

こういう所変わってないよなぁと思いながら鼻歌交じりに歩道を歩く。多分だけれど今日の私はかなり機嫌がいい。

 

北宇治高校を卒業した私と優子と夏希は、3人で地元の大学に進学した。しかも優子と夏希は学部までおんなじ。高校の時に比べたら頻度はかなり減ったけど今でも連絡は取り合ってるし、偶にだけどみんなで集まってご飯を食べたりする。

 

そして、今日がその日。大学の学園祭が終わったあとに皆で会おうといった話になったのだ。

 

なんだかんだ中学、高校、大学と同じなのはやっぱり腐れ縁というものなのだろうか。とにかく、そんな長い時間を一緒に過ごした親友たちとの会合に、私は少し浮き足立っていた。

 

「ふんふふーん」

 

鼻歌のボリュームを少し上げながら、雲ひとつない夏の空の下を往く。右、左、真っ直ぐ行って、突き当たりを左。3人でご飯を食べる店はいつも同じ店だから迷うことなくすいすいと進む。なんだか空の色も相まって、大きな水槽の中に居る魚になった気分だった。

 

 

 

 

いつものお店の中に入ると、陽気な笑い声と共に楽しそうな雰囲気が流れてきた。今日はなかなか繁盛しているらしい。

 

定員さんに先に来ている人がいる旨を伝えて、辺りをぐるっと見渡す。居酒屋通いの女子大学生っていうのもなんだか変かもしれないけれど、私たちにはキラキラしたお店よりこっちの方が性にあっているのだ。

 

にしても、優子が見つからない。彼女の恐らくお怒りの顔はおろか、トレードマークの大きなリボンですら。まだ来てないなんてことはないと思うけれど。

 

「のぞみ!ここよここ!」

 

しばらく立ち往生していると、自分のすぐ横から声が聞こえる。灯台もと暗しとはこの事だろう。振り返るといかにも不機嫌そうな優子の顔が目に映った。心做しか頭のリボンもいつもよりつんっとなっている気がする。

 

向かいに座った私をじとっとした目で見てきてる優子。案の定、なかなかお怒りのようだ。遅れて来るのは夏希の専売特許だったから、私にはこの地雷原の処理の仕方が分からない。

 

「よっすー?」

 

「よっすーじゃないわよあんた!何分遅刻だと思ってるのよ!」

 

はぁ、とため息を着く優子。何となく夏希の真似をしてみたけれど、どうやらこのやり方は悪手だったらしくなかなかに手厳しいお叱りを頂いた。時間に厳しいのは北宇治の部長をやっていた頃から変わっていない。

 

「あははー、ごめんごめん。片付けが思ったより手間取っちゃってさぁ。ほら、みんな文化祭気合いはいってたじゃん?」

 

「まあ…夏希も気合い入りまくってたし」

 

「あー、ライブの演奏かっこよかったよねぇ。あれ、そういえば夏希は?」

 

夏希は大学生になって、大学の知り合いとバンドを組んだ。バンドではギターをやっているらしく、素人目に見てもかなり上手い。夏希のバンド自体も実力派らしく、コアなファンが多いと聞く。

 

私の言葉にはっとしたような顔をした優子はまた、むっと怒ったような顔をつくった。まあそんなに怖くはないのだけれど。

 

「夏希なら、直前になってやっぱいけませーんって連絡してきたわよ。バンドメンバーとお疲れ様会行くことになったって」

 

ほら、と優子が見せてきたスマホの画面には『ほんとごめん、バンドの打ち上げ行くことになっちゃったから今日は行けない!希美にも伝えといてー!』のメッセージと、謎のくまのスタンプ。

 

なるほど、そういうことなら仕方がない。夏希とは同じ大学だし会おうと思ったらいつでも会える。まあ、少しだけ寂しいのは否定しないけど。

 

「おまたせしましたぁー!」

 

「あ、ありがとうございます」

 

歩いて乾いた喉を潤していると、威勢のいい声と共に男性の定員さんが特盛の唐揚げを運んでくる。優子が事前に頼んでいたのだろう。山盛り唐揚げを囲んでいても何故か映えてしまうのが女子大生というもの。冷める前にさっさと頂いてしまおう。もちろんレモンをかけて。

 

 

 

 

「希美はさ、最近フルート吹いてる?」

 

 

大学の話とか、バイトの話とか、他愛もない話が一区切りついた時優子がそんなことを言った気がした。

 

北宇治を卒業しても、趣味で楽器を続けている人は少なくないらしい。優子と夏希の2人も例外ではなく、2人はアマチュアの交響楽団に所属していて、今なお吹奏楽と関係を持っている。

 

まあ私みたいに大学に入ってからぷっつりと音楽を辞めちゃった人ももちろん居るんだろうけど、そういう人はひっそりと辞めるものだから話題にあがらないことが多い。

 

「どうしたのさ、突然?」

 

「ほら、希美ってフルート吹くのすごい好きだったでしょ?高校の時はよくフルートの話とかしてたし。でも高3の大会前位からあまり音楽の話しなくなったじゃない?…なんだか、音楽にけじめをつけたみたいに」

 

私のおそらく怪訝そうになっているであろう顔を読みとったのか、優子が少し慌てたように付け足す。

 

「あー、」

 

夏だからだろうか、まだ少しオレンジが残る空を窓の内から見つめる。太陽の姿は見えないのにその色だけ空に写っている様は何故か神秘的だ。

 

 

…確かに私は音楽が好きだった。中学に入って、初めてフルートを吹いた時ーーあの時から誰よりも音楽に正面から向き合ってきたと自負している。辛い練習も毎日して、コンクールという一瞬の輝きのために学生生活の大半を費やした。先輩と揉めて、1度は退部して、でもまた部に戻ってきた事だってあった。音楽が好きだったから。合奏がしたかったから。

 

でも。

 

「飽きたんだよ、音楽に」

 

そう、私は音楽に飽きてしまったのだ。

 

まあなんてことは無い。部活という強制力が無くなった以上、このままだらだらと音楽を続けていく理由がないと判断しただけなのだ。私にはもう音楽に対する情熱はあまり残っていなかった。

 

「あ、飽きたって…」

 

優子の悲しそうな顔を見て、罪悪感が込み上げてくる。そんな罪悪感を消すように、私は弁明する。優子にわかってもらために。そして、自分自身にも言い聞かせるために。

 

「ほら、私って飽きっぽいとこあるでしょ?中学の時凄いハマったゲームも結局一月もしないうちに辞めちゃったし。好きな俳優さんとかもコロコロ変わったりするし。なんか元々目移りしやすい性格っていうか」

 

「…」

 

「確かに吹奏楽は長続きしたけど、結局は中高の部活の一環に過ぎないっていうか、そもそも始めたきっかけも何となくだったし。」

 

「別に大学に入ってまでーー」

 

ばん。と大きな音が響く。コップの中の氷がからん、と音を立てる。居酒屋の中の空気が少し冷えた気がした。いや、実際そうなのだろう。店員さんやお客さんも不安そうにこちらを伺っている。そんな中、この状況を作り出したーー机を叩いた優子は酷く、ひどく悲しそうな顔をしていた。

 

言い過ぎた、と直感的に思った。当たり前だ。音楽が大好きで、北宇治で部長もやった優子の前で吹奏楽を軽んじるようにも聞こえる発言はあまりにも愚かだった。慌ててなにか喋ろうとした私は、そこで初めて気づいた。

 

 

優子は泣いていたのだ。

 

彼女の宝石のように綺麗な瞳から溢れ出した涙が、ぽた、ぽたと机を濡らしていく。ああ、私はなんて酷いことを言ってしまったのだろうか。自責の念にかられながら彼女にハンカチを差し出す。本当に、私はばかだ。

 

私のハンカチで目をごしごしと拭った優子は、それでもしばらく嗚咽を漏らしていたが、やがて少し赤くなった目をこちらに向けた。その顔は、悲しんでいるというより怒っているように見えた。

 

「…どうして、そんな悲しい嘘をつくの?」

 

「い、いや、別に嘘のつもりじゃないんだけど…」

 

「じゃあなんでっ、」

 

「じゃあなんでそんなに辛そうな顔をしてるのよ!!」

 

 

 

「…え?」

 

「希美。あんた自分では気づいてないかもだけど、大学入ってから偶に今みたいな寂しそうな顔してた。なんて言うか、何かを諦めたみたいな感じの顔」

 

「…」

 

「あれ、みぞれの事考えてたんでしょ。分かるわよそのくらい。何年友達やってると思ってるのよ」

 

「精一杯みぞれのことを忘れようとして、自分の気持ちにまで嘘をついて今まで過ごしてきたんでしょう?それって、それってあんまりじゃない!あんたの気持ちはどうなるのよ!」

 

違う。と言いたくて開いた口からは上手く音が出なかった。鍵をかけて私の心の奥底に仕舞っていたものが、外にさらけ出されていくのを感じる。でも不思議と悪い気分ではなかった。むしろ、心のどこかでこうなることを望んでいたような気さえした。

 

 

どれだけの時がたったのだろうか。10秒位かもしれないし、2、3分くらいは立っていたのかもしれない。優子は私が何か言うのを待っているようにも見えた。やがて、私は言葉を編む。ゆっくりと、噛み締めるように。

 

「…みぞれには、才能があった。でも私には、才能がなかった。新山先生が声をかけたのはみぞれだけ。」

 

久々に口にする彼女の名は、すごく胸に染みる気がして。やはり私にとって彼女は今でも特別なのだと認識させられる。

 

「私はばかだから、自分には羽があるんだって、そしてその羽でどこまでも飛んで行けるんだって本気でそう思ってた。だから新山先生がのぞみだけ気にかけるのも正直納得いかなかったし、もやもやした。リズと青い鳥の演奏の時だって、無意識のうちに自分を青い鳥に、みぞれをリズに当てはめていた。」

 

みぞれには私しかいない。そう思うことで私は何かしらの優越感に浸っていたのかもしれない。他の友達と一緒に空へ羽ばたく青い鳥と、青い鳥しか友達がいないリズ。友達が多かった私と、私しか友達がいないみぞれ。そんな構図を頭の中で描いていたのだろう。つくづく、こんな自分が嫌になる。

 

「でもあの日。私は気づいた。みぞれは世界に羽ばたいていかなければいけない人だって。そして、私はみぞれと違って翼がないんだって。みぞれは私を気遣って本気を出せていなかった。みぞれを鳥籠の中に閉じ込めていたのは他の誰でもない、私だったんだ。」

 

「でも、私は弱い人間だから。あの子を解放することが怖かった。だからーー」

 

「唯一の繋がりだった音楽をやめたのね」

 

優子の問いかけに軽く頷く。そう、それが私が見つけたーー見つけてしまった籠の開け方だった。

 

…ああ、懐かしい。のぞみと初めて喋った時が南中の吹奏楽部に勧誘した時だっけ。あの時から沢山の時間を一緒に過ごして、常に一緒に居たような気がする。退部しちゃったりとか迷惑をかけたこともあったけど。

 

「…楽しかったなぁ」

 

でも、もう会えない。私が居ることであの子の決心が揺らいじゃうかもしれないから。私が居ることが彼女の翼を腐らせてしまうかもしれないから。不意に目尻が熱くなる。ああ、だめだ。あまり考えないようにしてたのに。

 

私のそんな様子を見たからだろうか、優子ははぁと溜息をつく。

 

「なんだか、さっきまでのやり取りが馬鹿らしくおもえちゃうわよ。あんたは、みぞれを舐めすぎ。みぞれは希美が傍に居るからって気持ちが揺らぐほどやわじゃない。少なくとも今は」

 

何を根拠に、と目線で訴える私を他所に優子はDVDを机の上に置いた。ディスクに書かれている文字を見る限り、みぞれの学校のコンサートの様子を撮ったDVDらしい。

 

「それを見ればあんたも分かるはず。今のみぞれはあんたの思ってるよりずっと強いってこと。」

 

そして続けて

 

「あの子は前へ進んだ。次は希美の番でしょ?」

 

と意地悪そうな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「…ああ」

 

ゆっくりとヘッドホンを置く。やがて暗くなったパソコンの画面の向こうには、悔しそうで、辛そうで、でも少し嬉しそうな顔をした私がうつっていた。

 

…圧倒された。

 

優子がくれたのは私が予想した通り、みぞれの学校の定期演奏会のビデオだった。みぞれは1年生ながらオーボエのソロを担当していた。

 

曲目はイゴーリ公のダッタン人の踊り。私たちが高校2年生の時の明静工科の自由曲で、そしてーー忘れるはずもない、私たちが中3の時の南中の自由曲だ。

 

中学3年生の時、関西大会常連だった南中のコンクールは府大会銀賞で幕を閉じた。あまりに呆気なかったのを今でも覚えている。なんだかんだ関西大会には行けるだろうという甘い考えはいとも簡単に打ち砕かれたのだ。

 

そんな、私たちの中でトラウマにもなっていたその曲を、みぞれ達は完全に自分のものにしていた。私は12分ほどある動画の、はじめからおわりまで目を離すことが出来なかった。

 

全ての楽器のレベルが高すぎる。このレベルの合奏に割って入ることができるのは私の知るかぎり北宇治トランペットパートのエース、高坂麗奈とコントラバスの川島緑くらいだろうなと思う。

 

奏者一人ひとりの演奏に圧倒的な才能とそれを最大限生かす努力が見える。そして、その中にみぞれもいる。

 

…なるほど確かに、みぞれは変わった。演奏の様子にも昔のような単調さは見られなかった。もう私が何を言ってもみぞれが私のところに戻ってくることはないのだろう。彼女の、かつてのトラウマ曲を完璧に演奏する姿を見て分かった。

 

「…はぁ」

 

小さなため息をつく。そのため息に込められた感情の色は自分にも分からない。いや、分かってるのに分からない振りをしているだけなのかもしれない。

 

 

「あ、」

 

どれほどの時間が経ったのだろうか。ぼんやりしながらふと部屋の隅を見ると、最近ご無沙汰になっているフルートケースと目が合った。机の上に置いて開いてみる。吹かなくなってしばらくが経ったが、その間も定期的にメンテナンスはしていたからか状態は良好だ。

 

「やっぱり音楽好きなんじゃん、私。」

 

音楽をやめたのに定期的に楽器を整備し続けているとか、普通はありえない。もう吹かないつもりなら全くもって無意味な行動。

 

高校の時からの習慣だからやってるだけとか自分に嘘をついて、本当はいつかこれを吹く日を待っていたのかもしれない。最近気づいたけれど、私はわりと女々しい人なのだと思う。みぞれに関しても、音楽に関しても、なんだかんだ未練がありまくりな所とかが特にそうだ。

 

でも、そんな自分が私は意外と嫌いじゃない。むしろちょっと好きかもしれない。

 

カーディガンを羽織って、フルートケースを持ったまま外に飛び出す。夏の夜の風が思ったより冷たいけれど、今はそれすら心地よい。

 

なんだか胸のしこりが無くなったような、すっきりした気分だった。そうだ、そうだ。私は音楽が好きなんだ。フルートが好きなんだ。

 

そう気づいた次の瞬間、私は走り出していた。

 

 

「はぁ…はぁ…」

 

高校生の時と比べてあまり運動をしなくなった今の私の体力はたかが知れていて、目的地に着く頃には私はだいぶバテてしまっていた。

 

「やっと着いた…」

 

結局道のりの半分を普通に歩いた私は、目的地のーー大吉山の展望台の前に腰掛ける。眼下には綺麗な夜景がうつっていた。

 

ここには昔はよく来てたけど、高校生になってからは来ていなかった。その、昔と全く変わっていない景色に私は少し安堵する。

 

展望台の前に腰掛けたまま、横にフルートケースを置き、中からフルートを出して組み立てる。この工程ですら懐かしい。まさかまたフルートを吹くとは思っていなかった。

 

久しぶりに触ったフルートは、私が思っていたよりもずっと冷たくて、なんだか無機質な感じがした。その様子は私がどれだけ長い間フルートに向き合っていなかったのかを思い出させる。

 

出来上がったフルートを口元に添える。少し乾燥してきた唇を舐める。周りに誰もいないのに、私は酷く緊張していた。

 

すう。と小さく息を吸う。

 

そうして私はこの、空に1番近いところで演奏を始める。

 

曲目はリズと青い鳥から第三楽章。フルートの掛け合いに応じてくれるオーボエの音はもう聞こえない。もう、私の横に彼女はいない。

 

でも、それでいい。

 

私には音楽の才能は無いけど、やはり音楽は続けようと思う。音楽が好きだから。そしていつか、空高く飛んでいるあの子に私のフルートの音を聞かせてやる。

 

そう思いながら、私はフルートの音色をさっきまでよりも少し強く、夜の空に響かせた。

 

 

《了》

 

 

 


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