心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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3話 十五歳の幼子①

「うわぁ……!」

「すげえぇ!」

「ほら、そんなはしゃぐと危ないぞ、クラム!」

「だってだってっ!」

 数日ぶりのジェニス王立学園の門を、子供たち、そしてテレサ院長とともにくぐる。既に学園祭は始まっていた。中庭では制服の上に衣装を着た十代の売り子たちが、地元民や観光客たちを相手に商魂をたぎらせている。

「先生、僕アイス食べたい!」

「ポーリィもー」

「わ、私も……」

「皆で食べよ!」

 クラムを最後に揃って意見を投合させた子供たちに、テレサ院長は困ったように笑う。

「残念だけど、今日はあまり出せないですよ」

「あ、先生それなら大丈夫」

 思い出したように息を吐いてからカイトは子供たちに助け船を出した。

「これで、四人一個ずつぐらいなら払えるよ」

 カイトが出したのは、先日の依頼で受け取った報酬の内の数百ミラだ。流石に全額を考えもなく捨てる気はないが、ここで子供たちに楽しみを与えるくらいは良いだろうと思えた。

「いいの? カイト」

「いいのいいの。さ、皆。なに食べたい?」

 はしゃぐ子供たちを見て、優しげに笑う。そんな少しだけ大人びた少年を育ててきたテレサ院長は、その後ろ姿を眺めながら微笑みを浮かべたのだった。

 しばらく中庭を散策した後、校舎に入る。そこにいたのはクローゼと、学園の制服に身を包んだブライト姉弟だった。

「みんな! 来てくれたのね!」

 真っ先にクローゼが駆けてきた。子供たちと話している間、カイトはブライト姉弟に目を向ける。

「よ、エステルにヨシュア! どうしたのその格好?」

「学園の一員として劇に挑むからね。僕たちも着させてもらってるのさ」

「楽しみにしてなさいよ、すごい劇になるんだから!」

 感情表現がどこまでも真っ直ぐなエステルのことだ。期待し過ぎるぐらい期待してもいいのだろう。むしろ、少年はヨシュアの方が気になっていたのだが。

「で、やっぱりヨシュアはやっぱりセシリア姫?」

「……思い出させないでくれ。ところでカイト、皆や街の方はなにもなかったかい?」

 急に空気を重くしたヨシュアに、ケタケタという笑いを隠さないエステル。

「あー、ごまかしたっ」

「問題はなかったよ。あ、オレが仕事をしたってことはあったよ!」

 そこから、ほんの少しの談笑が始まった。カイトが数日前の濃密な一日の出来事を語り、ブライト姉弟はクローネ峠の魔銃についてカイトに教えていく。その三人の間を時折子供たちがはしゃいで回る。

 けれど残る二人の年長者、クローゼとテレサ院長がとある言葉を交わしたところで、その場の和やかな空気は少しだけ変わった。

「先生……」

 不安な顔をしたクローゼ。

「ねえみんな、劇の衣装を見たくない?」

 数秒の沈黙を破ったのはヨシュアだった。ヨシュアはそのまま子供たちの興味を引くと、テレサ院長に耳打ちをして子供たちと一緒にその場を後にした。その耳打ちは、「後で迎えに来てください」。

 その時点でカイトは理解した。子供たちに聞かせられないような、別れの話であることを。

「市長のお誘いを受ける決心がつきました。学園祭が終わったら、王都への引っ越しの準備をしようと思っています」

 テレサ院長は寂しそうに笑う。既に粗方の事情を知っていたカイトはともかく、学園にこもりっぱなしだったクローゼは驚きを隠せない様子だ。

「ごめんなさいね、大事な劇の前にこんな話を……」

 テレサ院長は一歩だけ歩み寄ってクローゼの手を持つ。

「今は目の前のお芝居に集中すること。いいですね?」

「はい! 私……ますます頑張らないといけませんね!」

 クローゼも、微笑む。けれどいつもと違って、どこかに悲しみを漂わせていた。

 テレサ院長は、そのまま子供たちを迎えにいった。カイトは動かないまま立ち尽くすクローゼに声をかける。

「大丈夫だよ姉さん。また……すぐにでも会えるからさ!」

 カイトは、気持ちの整理がついた分だけいくらか落ち着いてはいた。何も言えずにいたエステルに向けてやや造った感のある笑顔を向けて助けを求める。

 そして彼女は、太陽のような笑みを浮かべた。

「ほらクローゼ! クラムたちに見せてやろうじゃない! 私たちのお芝居で気持ちを伝えようよ!」

「は、い……。そうです、ねっ」

 目に涙を浮かべたクローゼ。けれど彼女はそれ以上の涙を流さなかった。

 カイトはそこに普段の少女とは違う、凛々しさを感じた。

 ともあれエステルの言う通り、気持ちを切り替える頃合いだ。その後三人は、テレサ院長の後を追った。クローゼ曰く劇の開演の時間も迫ってきているらしく、他の出演者と合流しなければならない。

 しかし衣装室に入った瞬間、今度はクローゼを励ましていたエステルが不安顔になる。

「ヨシュアが銀髪男を探しにいった……?」

 その場にいない義弟のことを尋ねたエステルに、ポーリィとダニエルが答える。たどたどしい言葉遣いから聞こえたのは、今しがたエステルが呟いたことと、ヨシュアが何やら尋常でない顔つきをしていたということだった。

 子供たちをその場にいたテレサ院長にまかせ、三人は至急ヨシュアを探しにいく。劇を行う講堂、各クラスの出し物が展示されている校舎、中庭を経て、消去法で旧校舎へと向かう。

「もうヨシュアっ! どこいったのよ……」

 自分に何も言わずに行ってしまったと、不平不満を洩らすエステル。

「落ち着いてエステル。ヨシュアのことだから無理はしてないよ」

 カイトは宥めるように話しかけながら、考えに()け始める。エステルとヨシュアの関係についてだ。

 少し大げさだが、今のエステルの挙動は自分の半身をなくしたような顔と言っても違和感がない。二人で一緒にいることが当たり前だったような感覚でエステルは動いている。

 そういえば、二人は義理の姉弟だった。そしてカイトとクローゼも、一緒に暮らしていなくても姉弟のようなものである。

 今のブライト姉弟と同じ状況になった時。なんの前触れもなくクローゼが消えてしまったら、自分はこんな顔をするのだろうか。

 思い付きの考えが近い将来に現実になることも知らず、少年はヨシュアを見つけ出すまでその思考を止めなかった。

「ヨシュア!」

「ヨシュアさん!」

 旧校舎の屋上で、黒髪の美少年は立ち尽くしていた。真っ先に叫んだ太陽のような少女を見たことで安堵の表情に変わったことは、カイトとクローゼにしかわからないだろう。

(あ、そっか)

 その時カイトは理解した。ヨシュアがエステルのことをどう思っているのかが。

「ヨシュア、なに勝手に行動してるのよ!?」

「いや、ポーリィちゃんたちにはちゃんと言付けしておいたんだけど……」

 そこから始まる、まるで痴話喧嘩のような言い争いには、クローゼとカイトの二人は思わず笑うしかなかった。あれだけ心配していたエステルも、恐らく不安げな顔をしていたヨシュアも、水を得た魚のようだ。

 ヨシュアに普段の彼らしからぬ行動をさせた銀髪の青年だが、結局直接会話を交わすことはできなかったらしい。

 本当に何者なのだろうと思いかけたが、それはすぐに頭の端に追いやられる。

『連絡します。学園演劇の関係者は講堂で準備を始めてください』

 旧校舎まで届く女性のナレーション。白き花のマドリガルが、ついに幕を上げる。

 

 

ーーーー

 

 

 四人のいた場所が場所だったからか、遠い講堂はカイトが来た頃には多くの人が集まっていた。多少苦労して中に入ると、コリンズ学長にダルモア市長、軍服を着た桃色の髪の女性など、多くの名士が集まっていた。

「あれって、たしかボースの美人市長? リベール通信に載ってたような……」

 探していくと、前列の辺りで子供たちとテレサ院長を見つける。

「遅いぞ兄ちゃん!」

「ごめんな、遅くなった」

「ヨシュアさんは見つかった?」

「うん。今頃は着替えて準備してるはずだよ」

 子供たちに彼らがどんな役を演じるのかは、お楽しみと言うことでまだ明かしていない。同じように劇の正体を知らない観客たちも、最初の一幕で度肝を抜かれることだろう。

 一般的な男性が女装をした時のイメージと、ヨシュアが化粧をしてウィッグを着けたときのセシリア姫の姿。両者の天地の差の開きようには、口を開かずにはいられない。

 やがて独特の機械音が響き渡り、観客のざわめきも極小になる。

 暗闇の中で突如光が灯され、そこには普段と変わらない制服を着たジルの姿。

「時は七耀暦千百年。百年前のリベールでは未だ貴族制が残っていました。一方商人を中心とした平民勢力の台頭も著しく、貴族勢力と平民勢力の対立は日増しに激化していったのです。王家と教会による仲裁も功を奏しませんでした……。

 そんな時代。時の国王が病で崩御されて一年が過ぎた頃。早春の晩、ここグランセル城の空中庭園から、物語は始まります……」

 ジルは朗々とした語りを終えると、落ち着いた様子で退場する。朗読の途中から幽かに明るくなった舞台には、ドレスに身を包んだ黒髪の女性の後ろ姿が見える。

「街の光は人々の輝き。あの一つ一つに、それぞれの幸せがあるのですね……」

 その声を聞いた人々は小さな息を洩らす。カイトだけが驚きと笑いを隠せない。

 図ったように、侍女服に身を包んだ()()が二人、訪れた。

「姫様、こんなところにいらっしゃいましたか!」

「あまり夜更かしをされてはお身体に障りますわ」

 少々野太いと言えなくもない。観客たちは急にざわめきを強める。

「ちょ、兄ちゃんこれどういうこと!?」

「静かにクラム! 男女逆転劇だよ」

「え……じゃああのお姫様は?」

「ふっふーん、誰でしょーか?」

 子供たちをなだめながら、劇に集中させるよう促す。他の人々の笑い声も聞きつつ舞台に意識を向けると、ちょうど麗しの姫君が振り向いたところだった。

「オスカー、ユリウス、私は……。

 私は、どちらを選べばよいのでしょう……」

 姫君が最初に声を発した時の、その何倍ものどよめきが会場を包み込んだ。集中して聞けば、ヨシュア演じるセシリア姫の声色が多少作られたものであることが分かる。勘のいいものは既に男女逆転劇であることに気づいているだろう。幕の向こうで出演者たちが喜んでいる姿が、幻視できた気がした。

「エステル、ヨシュア。……姉さん、頑張れ……」

 セシリア姫と侍女たちの退場の後、舞台は変わり新たな人々が現れる。

「覚えているかオスカー? 幼き日、この路地を駆け回った時のことを」

 エステル演じる公爵家の嫡男にして近衛騎士団長、ユリウス。赤い軍服を着こなし、女性の特徴である長髪をむしろ雄々しくなびかせている。

「ユリウス……忘れることなどできようか。君とセシリア姫と過ごした日々は、かけがえのない宝だ」

 クローゼ演じる、平民出身でありながら紛争で功績を上げた猛将オスカー。青い軍服と薄い青紫の短髪が、落ち着いた一人の青年を形作っていた。

 二人は身分の差こそあれ、昔馴染みの親友。貴族勢力と平民勢力がーーユリウスとオスカーが争うのは、当の二人も、そしてセシリア姫も望んではいない。

「わかっておろうユリウス! これ以上平民どもの増長を許すわけにはいかんのだ!」

「しかし父上……」

 しかし大衆の意向をたった三人が変えることは不可能に近い。貴族勢力と平民勢力の争いに巻き込まれたオスカーとユリウスは、もはや流れに抗うことさえかなわない。

「君が拒否すると言うのであれば、流血の革命が起こるだけだ」

「議長……!」

 やがてオスカーは夜の道で賊に利き腕に刃を刺される。ユリウスはセシリア姫と会合し、オスカーとの決闘を願い出る。

 二人は王都のグランアリーナで、ついに互いの命を賭けた戦いに身を投じることになってしまう。

 劇の観客に、劇中の観客。多くの人々の目を惹き付ける殺陣をオスカーとユリウスは繰り広げる。今や誰も、男女が逆転していることを笑う者はいない。

(エステル、姉さん……)

 カイトは、必死に目の前の剣劇を見届けようとする。子供たちも、テレサ院長も同じだろう。彼らの劇に乗せた気持ちをしっかりと受けとっているのだ。

 数刻経った。両者は、ついに互いを殺すつもりで剣を交えようとした。

 と、そこへ。

「だめーっ!!」

 幼馴染みの決闘を止めようとしたセシリア姫は、二人の剣に貫かれ命を落としてしまう。

 ようやく自らの過ちに気づいた人々の前に、空の女神が舞い降りた。

 人々の心からの後悔を聞き届けた空の女神は、奇跡を引き起こす。

「セシリア!」

「姫!!」

「オスカー、ユリウス……私死んだはずでは……」

 一度違えた赤と青の騎士、そして白の姫君。トリコロールは、再び笑顔へと向かい出す。

 対決は終わり、全ては良い方向に流れるだろうと言うオスカーに、ユリウスは決着はついていないと告げる。しかし、それは殺し合いではない。次は木剣を使った、幼き日の再現だった。

「しかし、そこの大馬鹿者は利き腕を怪我しております。そんなハンデを乗り越え互角の勝負をした者にこそ、今回の勝利は与えられるべきでしょう」

 皆が期待しているというちょっとした強制を添えて、ユリウスは剣を掲げて高らかに言い放つ。

「さあ姫! 今日の所は、勝者へのキスを……!!」

 物語は大団円で終わる。白の姫と青の騎士の抱擁と口付けだ。

「今日という良き日がいつまでも続きますようにっ!!」

「リベールに永遠の平和を!!」

「リベールに永遠の栄光を!!」

 幕はゆっくりと降りていく。観客の拍手喝采を音色にして。

 ただ二人。一人は、心が何故か曇り始めたカイト。

 そして、獅子のような笑みを浮かべて講堂を後にした銀髪の青年。

 ただ二人を除いて、全員が明るい笑顔と満足感を感じていた。

 

 


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