ルーアン市長、モーリス・ダルモアは逮捕された。窮地を狙ったかのように現れた王室親衛隊によって。アルセイユ。あの巨艦の前には三アージュ程度しかないボートは小さすぎて、容易く進路を阻まれた。そこを、親衛隊と三人の協力によって拘束したのだ。
ダルモアを拘束した後、アルセイユは二隻のボートと水上に落とされたカイトを回収し、エステル、ヨシュア、クローゼの三人をも乗せてルーアン市の発着場へと向かったのだった。
そしてアルセイユを下りて発着場の地面を踏んだところで、それは起きた。
「カイト」
クローゼが静かな声で呼び止める。ダルモアにむき出しにした感情をクローゼたちに見せられず先頭を歩いていたカイトは、一歩下がるブライト姉弟の奥の、凛とした瞳を持つ少女を見た。
「……姉さ」
「何であんなことしたのっ!!」
注意を受けたことがないわけではない。年の差が一つにも満たないといっても、少女は大人びていて、少年は泣き虫だった。二人は本物の姉弟に近い関係だった。だから幼少の頃は怒られたこともあった。
「何であんな無茶をしてっ!!」
でも今日は怒鳴られた。
「一つ間違えたら死んでたのにっ!!」
目に涙を浮かべられた。
「もう絶対にあんなことはやらないでっ!!」
沈黙がその場を支配した。カイトは今になって初めて、自分がどれだけ愚かだったのかを
「カイト」
黙っていたヨシュアが口を開く。
「君の気持ちは痛いほど分かる。それでも、君が孤児院やクローゼのことを大事に思っているように……テレサ先生や子供たち、クローゼも、君のことを大事に思っている。それを忘れてはいけないよ」
エステルも続く。
「あたしだって、ダルモアの奴は許せない。だからといってあたしたちが間違ったことをしちゃいけない。それは、あたしがあたしであるために、遊撃士が遊撃士であるために必要だと思うわ」
自分が、自分であるために。
「でも難しいわよね。あたしだって一流じゃないし……ヨシュアだってさっきは危なかったもんねー!」
急にのびのびと話しだすエステルは、珍しくヨシュアに対して得意顔をする。ヨシュアは、少し気まずげだった。
「私も……」
落ち着いた様子のクローゼが語る。
「私もまだ半人前で色々なことで迷っているけど……これだけは言えるよ。誰かのために自分を犠牲にするのは、勇敢かもしれない。でも同じように考えなしの行動でもあるんだって」
「みんな……」
今度こそ、少年は自分の過ちを認めた。
「ごめんなさい……」
少年は静かに頭を下げた。三人はそれを見て、優しい顔つきになる。
「あ、でも一言足りないわっ」
「え……?」
「カイト」
エステルは不意に言った。疑問符を浮かべるカイトに対し、ヨシュアはそっと耳打ちをする。
「……そっか。ありがとう、みんな」
「ふふっ……」
「よくできました!」
「どういたしまして」
こうして、孤児院放火事件による少年の心の軌跡も、一つの節目を迎えたのだった。
やがて事後処理を終えた王室親衛隊隊長、ユリア・シュバルツがアルセイユから降りてきた。
彼女が言うには、犯人であるダルモアは犯行を覚えていない等どこか記憶が曖昧になっていて、少年たちに向けたような残忍さは成りを潜めているという。
その様子をブライト姉弟は、まるで飛行船失踪事件の時のようだと言っていた。確かにリベール通信でも、犯人の首領はまるで現状を理解していなかったと載っていたことを記憶している。しかも驚くべきは、ボースとルーアン、どちらも黒装束が事件に関与していたことだ。
そんなことを話していると、来客が二人来た。今王都で絶大な人気を誇る軍人、リシャール大佐。そしてその部下のカノーネ大尉だ。どうやら、ジャンが連絡をしたのは彼らの方だったようだ。
ユリア隊長を含めた三人の軍人は事務的な会話を行いつつ、やがて全員が去っていく。四人もまた、遊撃士協会へと歩を進めた。
ルーアン支部でも、様々なことが論点に上がった。まずカイトはジャンにこっぴどく叱られ、カイトが素直に謝るという奇妙な光景。
次に赤毛の遊撃士アガットが、黒装束を捕まえ損ねたことと、元々レイヴンにいたアガットを更正させたのはブライト姉弟の父親だという衝撃の事実。
「エステルさんのお父様といえば……あのオーブメントは何だったのでしょう……?」
そして最後に、ダルモアの封じの宝杖の拘束を破った不気味な力だった。エステルははっとして、ポーチから掌に収まる程度の、半球状の漆黒のオーブメントを取り出す。そして彼女は、このオーブメントの力であるらしいこと、父親宛に届けられた品であること、一緒に入っていた手紙の存在を語った。
『例の組織が運んでいた物を入手したので報告する。折を見て、R博士に解析をお願いするーーK』
止まった少年たちの推論に光を与えたのは、ジャンの言葉だった。
「このオーブメントの謎を明らかにするなら、君たちはツァイスに行った方がいいかもしれない」
ーーーー
一週間後。海港都市ルーアンと、その隣の工房都市ツァイスの中継地点、エア・レッテンの関所。そこに流れる滝は観光地としても有名だ。
ツァイスへは、例えばルーアン市と関所を結ぶような空の下の街道ではなく、トンネルを行くことになる。今トンネルの入り口には数人の一般人と、そしてカイト、クローゼ、エステル、ヨシュア……そしてジークがいた。
「クローゼもカイトも、見送りに来てくれてありがとね!」
「ピューイ!」
「ふふ、ジークもありがと」
一週間前のジャンの言葉に従い、ブライト姉弟はツァイスへ向かうことになった。ツァイスは工房都市と銘打つように、リベールが誇る導力技術の本場だ。そこにはツァイス中央工房――通称ZCFもあり、多くの博士号を持つ人々がいる。そこでなら、不気味な力を持つ黒のオーブメントの謎も解けるかもしれない。
そこからのジャンの行動は早かった。大事件を解決したこともあり、ブライト姉弟がルーアンに留まる理由である正遊撃士の推薦状を渡したのだ。本音は、早くルーアンで精力的に働いてほしいからなのかもしれないが。
今日旅支度を終えた二人は、修行のため、黒のオーブメントの謎を掴むため、そして当初からの目的であった父親の行方を探るために、ルーアンに少しの別れを告げるのだ。
「二人とも、本当にありがとう。事件を解決できたこともそうだし、色んな事を教えてくれてさ」
「あたしのほうこそ、後輩ができていい刺激になったわよ~」
「ぐっ」
「僕たちも同じようなものさ。一緒に頑張っていこう」
カイトは頼もしげに二人を見て、手を差し出した。
「あの、エステルさんたちはこのまま王国を一周するんですよね? ひょっとしたら、私は王都でお会いできるかもしれません」
クローゼが初めて言った嬉しい事実に、エステルは大声を出して驚いた。
「私、女王生誕祭のころには王都に戻るつもりなんです。親戚の集まりのようなものに参加しなくてはいけないので」
クローゼは珍しく悪戯が成功したような子供の顔になる。
「女王生誕祭というと、たしか一ヶ月くらい先だね。確かに、その頃には王都に行ってるかもしれない」
「あ、じゃあさ……用事が終わったら王都のギルドに連絡してよ。」
そこでエステルはカイトを見る。
「カイトは来るの?」
「いや……分からないなあ。今の孤児院は状況が状況だし、クラムたちを置いていけないし」
「そっかー……」
「次はオレから会いに行くよ。ただのガキじゃなくて、同僚として!」
しばらくは会えないだろう。だからこそ今度はもっと立派な姿でと、カイトは思う。
「そうね! 今度は同じ遊撃士として会いましょ!」
「エステルさん、ヨシュアさん。本当に、ありがとうございました。お二人がしてくださったこと、私絶対に忘れませんから……」
クローゼは孤児院に住んではいないが、そこに捧ぐ愛情はカイトやテレサ院長と変わらない。同じように、二人への感謝もカイト以上だ。何より数日とはいえ学園生活を共にした仲間なのだから。
「やだな~、水くさいってばー!」
「僕たちも君にはお世話になったしね。おあいこって事にしようよ」
「とんでもありません……」
クローゼは、一度視線を落とした。
「あの時、市長と対峙した時……私は偉そうなことを言いました。『立場に囚われている』。『自分の身が可愛いだけ』って。……でもそれは、私も一緒なんです」
「姉さん……」
エステルは、突然のことに驚いていた。ヨシュアも何も言わず、ただ見守っている。
「私は逆に、自分の立場から逃げていた。孤児院も学園も、どこか逃げ道にしていたんです」
それは、この場ではクローゼ自身しか分からないことだ。彼女をよく知るカイトでさえも、直接に聞いたことのないこと。
「でも、お二人は私に、どんな時でも前向きに進んでいく決意を与えてくれました。それだけじゃない、大切なものを守る強さも……」
それはカイトも、薄々感じていた。カイトにとってはクローゼも含めるが、エステルとヨシュアが自分に強い心を与えてくれた。
こんなにも人を変えられる同世代の人を、カイトは一人も知らない。
「ありがとう、おかげで私も少しだけ勇気が出せそうです」
ヨシュアは微笑み、エステルははにかむ。
「また、必ず会いましょ!」
「はい……必ず」
「またな!」
「ピュイ、ピュイ」
「あは、ジークも一緒に王都で会えるといいわね?」
「君たちも、元気で!」
エステルとヨシュアはは名残惜しげにトンネルへ入っていく。その様子を、二人と一羽は最後まで見続けた。後に残るのは寂しげな二人とそれを励ます一羽。
「ピュイ」
「うん、そうね……また、会えるよね」
「はは、ありがとうジーク」
また少し、沈黙が走る。この数週間クローゼに光を与えてきた二人はもういない。
「……姉さんは、頑張ってると思う」
今は、自分が励ましたいと思った。何度も何度も、ついこの間さえかけてしまった心配と迷惑を償うために。感謝と、少し気づいてしまった自分の想いを伝えるために。
「ダルモアみたいな奴と一緒なわけがない。それは……オレが保障するよ」
「……カイトも、いつもありがとう」
自分には、エステルの太陽のような眩しさも……ヨシュアの星のような優しさもない。でもクローゼは、そんなカイトの感謝を感じ取ったようだった。
笑顔を向けられた少年は、恥ずかしげに辺りを見渡す。そして、少しだけ邪な勇気を出した。
「姉さん。もう少し、ここの眺めを見ていかない?」
「……うん。もう少し」
「クローゼ。お待たせしました」
カイトのみが、勘弁してくれよと盛大にずっこけた。
「ユリアさん。レイストン要塞から戻ったのですね」
「ええ。予想以上に時間をとられてしまいました。……ところで」
王室親衛隊隊長ユリア・シュバルツは、ユリアを迎えるクローゼと違い、この世の終わりのように壁にもたれ掛るカイトを見て尋ねた。
「カイト君。なぜそんな恰好を?」
「カイト、まだ傷が完治していないからそんな恰好しちゃ……」
「もういい。ほっといて……」
せっかくの勇気が無駄になり、先ほどとは真逆の気分にさらされたカイトだった。
「……何か失礼をしてしまったかな」
急にはしゃぎだすジークをあやしながらも、ユリアは微妙な面持ちで聞いた。
「ユリアさん、大丈夫ですよ。……たぶん」
こほんと息を吐き、ユリアは続ける。
「街道の外れにアルセイユを停めてあります。報告の方はそちらで……」
「わかりました。……学園生活もしばらくお休みですね」
クローゼはトンネルを、そこを通って行った二人を見つめる。彼らに心の中で何かを呟き、そして再びユリアの方へ振り向いた。
「行きましょうユリアさん。カイトも行こう?」
いつの間にか本調子に戻っていた少年は、ぎこちない声を出す。
「……はい」
「こら。別に改めなくてもいいから」
「う、ん。でも、ユリアさんがいるとやっぱり緊張しちゃって」
そうは言いながらも、少年の声はいくらか親しみが感じられるものだった。
「ふふ。カイト君、クローゼがいつもお世話になっているよ」
「お世話になってるのはオレの方ですけど」
「それでも旧知の中の君がいると、クローゼも落ち着くとは思うからね」
「ははは……」
関所を後にし、三人と一匹で歩く。すぐに分かれ道はやってきた。
「それじゃあカイト、また後でね」
「カイト君、また会おう」
自分の行く先はルーアン市、二人の行く先はアルセイユ。
カイトはまずユリアに声をかける。
「ユリアさん、また会いましょう」
そして姉と言える人物に声をかける。
いつもの姉さん呼びではない。言うと必ず顔をしかめられるこの呼び名を、悪戯半分、励まし半分で発した。
「それじゃ。……クローディア・フォン・アウスレーゼ王女殿下」
FC篇、2章の終了となります。
まずはここまで読んでくださったことに感謝です。
あまり後書きを書かないし、ここらでなんか書こうかと思った今日この頃。
設定資料の奥に眠っていた、公式風の人物紹介をあげていこうかと思います。
ここまで読んでくださった方であれば、特にネタバレはありません。作者の妄想です(笑)
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「でも……オレの大切な人なんだ!!」
カイト・レグメント
ルーアン地方の孤児院で暮らす快活な少年。子供たちの年長として多くの人に慕われている。遊撃士に憧れていて現在は修行の日々を送っているが、本人は早く依頼をこなしたくてたまらないらしい。とある人を姉として慕っている。
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FC篇人物紹介でした。
では次回は、第5話「欠片を追って」です
ではでは!