「ねえ、物は相談なんだけど……オリビエの代わりにカイトを晩餐会に参加させることはできないかな」
グランアリーナを出発して、ブライト姉弟が泊まるホテル前に着いた頃だろうか。言葉数の少なくなっていた遊撃士とその見習い一行、その中のエステルが唐突に口を開いた。
「さすがにそれは難しいと思うよ、エステル」
当然の反応を示すヨシュア。
「ふむ……どうしてそうさせたいんだ?」
ジンは乏しい表情で目を瞑りながら聞いてきた。
「さっきのジンさんの話を聞いたからかな。遊撃士として、私は人であり後輩でもあるカイトが浮かない顔をしてるのはほうっておけない。
……美味しいご飯を食べれば元気が出るし、自分がこれから守っていく国のトップが集まるグランセル城。一般人だからっていう理由は抜きにして、遊撃士としての社会勉強っていう意味ではいい機会じゃない?」
ジンは――情報部のクーデターに関する情報を除いて――カイトがどういう立場の人間であるのかを、既にブライト姉弟より聞いている。その意味でのエステルの言い分は、否定するようなものではない。
「まあ、発想自体は構わないと思うぜ。問題は、一国の中枢がそんなことを認めるかどうかだが」
至極真っ当な問いかけに対し、エステルはしたり顔で言ってのける。
「ふっふーん。ジンさん、私だっで色々考えてるのよ。伝統あるグランセル城の中で、一人だけいるじゃない。自分の我儘で色々ルールを変えちゃう人が」
あっ、とカイトは発した。そしてヨシュアはよくできましたと、兄が妹に向ける顔を作った。
そして二人の少年は、声をそろえてその人物の名を発する。
「デュナン公爵!」
――――
「エステル、本当にありがとう……なのかな? この場合は」
「ふっふっふ、私もヨシュアの姉貴分でカイトの先輩なのよ。さあっ、存分に褒め称えなさい!」
「ヨシュア、エステルが頭を撫でてほしいってー」
「ぐっ」
「ははは、これは棚から牡丹餅ってやつだな。いつもの行いが良いんだろうさ、良かったなカイト」
感謝はもちろんしているが、まさか本当に狙いが的中してしまうとは。カイト本人としてはオレが褒めるよりもヨシュアに撫でてもらった方がいいのではないか。そう思っての恩返しだったが、当の本人はものの見事に赤面しているところである。
「はい、二人とも遊ばないで。もうふざけたりするのは許されないよ」
ジンの笑いの後に、ヨシュアは呆れ顔で言った。
エステル自身、内心はどこかで驚いているかもしれない。城の前で四人で話し合った結果、一先ずは駄目で元々という気持ちで交渉してみようということになった。城門の番をする二人の兵士にジンが招待状を出し、カイトが大会参加者でないことを正直に明かし、渋る二人の兵士に対して『今回の優勝者の招待を決めたデュナン公爵閣下の意見を聞きたい』と言い、果ては食材が可哀想だ、カイトがルーアンにてデュナン公爵を救ったことがあるという、嘘ではないが本当とも言えないような話を持ち掛けた。
そんな悪あがきが功を奏し、城内へと入り、カノーネ大尉と対面して驚き驚かれ、そして侍女のシアに連れられて客室へと案内された。
そして、現在に至る。
「さてと、ジンさん。私たち色々と見学したいから、これからちょっと出てくるわ。晩餐会の時間には戻ってくる」
「ジンさんはどうしますか?」
それはジン以外の三人の、一瞬の意思疎通だった。
「おう、いいぜ。俺はゆっくり休ませてもらうとするさ」
年の差を感じるなあとぼやくジンに見送られながら、三人は客室を後にした。
まずはヨシュアの方針でブライト姉弟が旅先で出会ったという人々に挨拶をすることにした。二人の実家があるロレント地方の市長クラウス。ボース地方の若き腕利き市長であり、エステルら遊撃士に飛行船失踪事件の捜査依頼を行ったメイベル。カイト自身も面識のある、現在市長の存在しないルーアン地方の代表としてやってきたジェニス王立学園のコリンズ学園長。リベールの導力技術の本場であるツァイス中央工房の責任者であり、そのZCFを擁する工房都市ツァイスの市長でもあるマードック。
時間が押していることもあってカイトが交わした言葉はわずかだったが、誰もが優しさや優秀さを兼ね備えていた人物だった。
一通りの挨拶を終えた後は、本題であるアリシア女王陛下との接触を考える。二人はカイトが不在の間に、逃亡中であるユリアと会い、女王陛下接触の手助けを行ってくれる人物の情報を得ていた。それは女官長であるヒルダ夫人であるという。
件の人物を探すために城内を探索続けていると、三人は空中庭園へと迷い込む。ここからの景色は最高だろう、こんな時であればもっとゆっくりできたと愚痴を漏らしながら進んでいくと、階段を進んだ先に小宮殿が見えてきた。そしてその入り口に立ちはだかる二人の特務兵の姿も。
遊撃士のガキどもなど鬱陶しい。特務兵なんかがこの場にいるのか。互いが互いを疎ましく感じる中、小宮殿の中から中年の女性が一人現れた。
「ようこそ、お客様。私の名はヒルダと言います。グランセル城の女官長として侍女の監督に当たっております」
エステルとカイトが、揃って心の中で握り拳を上げた。
一通りの事情を説明すると、きつくも穏やかな笑顔を浮かべるヒルダは快く了解してくれた。直接会って話したいというエステルに対し、ヒルダは一つの提案をする。晩餐会が終わったら、もう一度来てほしいと。
一度ヒルダと別れ、ジンの待つ客室へ戻る。多少の談笑をしていると、案内役であるシアが晩餐会が始まることを告げてくる。
「おうし、タダ飯にありつくとするかねえ」
「さー、食べまくるわよ~っ。カイトもちゃんと食べるのよ!」
「うん。言われなくても食べるさ、食材のために」
「あの、三人とも……一応、テーブルマナーも忘れない方がいいと思うけど……」
どうやら食のことに対しては、ジンも形無しになってしまうらしかった。
晩餐会の会場につき、それぞれの招待者に設けられた椅子に座り、エステルとともにテーブルマナーに対する慣れのなさを愚痴る。テレサ院長はカイトや他の子供たちに対しきちんとした食事の取り方を教えてはいるが、さすがに王室のテーブルマナーまでは行わせていない。そういえば姉さんは孤児院で何かを食べる時も行儀が良かったなあなどと、一人物思いに耽るカイト。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました。公爵閣下の御入室でございます」
突然の声は、ルーアンの市長邸でデュナン公爵の供をしていた執事フィリップのものだ。そしてその後ろから現れたのは言わずもがな。
「いやいや諸君、待たせてしまって申し訳ない。少々、打ち合わせが長引いてしまったものでな」
件のデュナン公爵はそこで言葉を区切り、横を見る。そこにいるのもまた、エステルとヨシュア、カイトにとっての件の人物。
「彼はリシャール大佐、王国軍情報部の責任者でな。テロ事件解決のために日夜、尽力してくれているので礼の意味も込めて招待した」
「お初にお目にかかります。王国軍情報部のリシャールです。公爵閣下の格別のご厚意で晩餐会に招待していただきました。無粋な軍服で失礼ですが、どうか同席を許していただきたい」
――――
「いやはや、愉快愉快。どうだね、メイベル市長。王城のグランシェフの腕前は?」
リシャールの実情を知る少年少女三人の緊張は残されているが、晩餐会は穏やかな空気に包まれていた。元々出席者のほぼ全員が、招待主がデュナン公爵である時点であまり緊張や必要以上の格式を出していないのかもしれない。エステルとヨシュアはこの場にいる全員と面識を持っていて、その意味でも緊張はほぐれつつある。また巨漢のジンも共和国人ということで注目されるが、場数を踏んできたからか平素と変わらない表情だ。
デュナン公爵の話し相手はメイベルから始まり、ジン、そして準遊撃士の二人とカイトに移る。
「執事から言われてようやく思い出したのだが……そなたら三人とは、ルーアンの事件で顔を合わせていたのだな。なんとも奇妙な縁があったものだ」
「は、はあ、そうですね」
エステルが相槌を打つ。次にデュナン公爵はエステルとヨシュアを含めつつ、カイトを見た。
「そなたは武術大会に参加していないとはいえ、命の恩人と聞いた。しかもそこの三人と同じく、遊撃士を目指しているとか。今夜の席は私からの前祝いだ。存分に楽しむがよい!」
「……ありがとうございます。公爵の話を含め、今夜は見聞を広めさせて頂きます」
どうやら、カイトは少なくともデュナン公爵からは歓迎されているらしかった。
続けて色々な人同士が語らい、御馳走を食していく。
やがて聞こえたのは、どちらかといえば話を聞いている時間が長かったリシャールの声だ。
「公爵閣下。頃合いも良いですし、例の話を済ませてしまっては如何でしょうか?」
「おお、そうだ! その話があったか!」
すっかり忘れていたらしい公爵は一度話を切り替える。どうやらただ事でない発表があるらしく。その様子に各地方の代表はそれぞれの反応を示した後、改めて耳を澄ませる。
公爵の命を受け、代弁者となったリシャールは口を開く。やがて告げられたのは、市長たちにとっては突然のことに驚愕、少年少女三人にとってはこれも計画のうちなのか……と顔を引きつらせるものだった。
「アリシア女王陛下のご決意。すなわちご自身の退位と、こちらに居られるデュナン公爵閣下の王位継承になります」
その場の招待者の誰もが口を開いたまま動かせない。唯一、デュナン公爵の声がはっきりと響く。
「今回のご体調の不良もあり女王陛下は随分と弱気になられてな。無理もない、四十年もの間激動の時代の中で舵を握っておられたのだ。王位継承権を持つ身としては、この生誕祭を最後に俗事から解放して差し上げたいと思うのだよ」
誰もがその事実を受け入れられず、中には思わず声に出てしまうものもいる。陛下から直接話を聞きたいという者もいて、それにデュナン公爵はしどろもどろになる。それに口を挟んだのは、リシャール大佐だった。
この時世。アリシア女王陛下に多大な信頼を持っているリベール国民に、やや唐突とも言える王位継承の発表をすれば混乱は免れない。まずはこの場において非公式に発表を行い、各地の代表者たる彼らに混乱に対する準備をしてもらいたい、とのこと。
「そして事態は王国だけに免れない。大陸諸国の反応……とりわけ北の脅威たるエレボニア帝国の反応があるでしょう」
さらに一歩。
「まさに我々が新たな国王を支え盛り立て、新たなる時代に向けて舵を取っていかなくてはならない。そうではないのでしょうか?」
その言葉はリシャールの裏の顔を知っているカイトであっても、やや眩しく思えてしまうほどの演説だった。
各地の代表者が、今の言葉を受け止めている。そんな中、ジンが口を開いた。一言意見を申し出る無礼を請いながら、彼は彼の立場としての口を開いた。
「失礼だが、今耳にした話は自分たち部外者が聞いていい話とは思えません。ましてや自分は王国人でもない。なのになぜ、この場で発表をなされたのでしょう?」
もう一度言葉を返すリシャール。
「それは偶然にも君たちが遊撃士、またそれに連なる者だったからだ。陛下の退位という重大な情報はギルドにも事前に伝えたかったからね」
「なるほど……リベールでの軍とギルドが良い関係を結んでいるというのは本当だったようですなあ」
ジンの言葉に対し帝国、共和国ほど軍事力が充実していないのからだ、とやや自嘲気味に答えてから、さらに言葉を重ねていく。
「それでも現在王国軍は遊撃士協会と折り合いはいいものではない。しかし前に君たちにも話したように、両者の関係は良好なものであればいいと考えている」
晩餐会の場は、今やアラン・リシャール情報部責任者の独壇場だ。
「さらにカイト君という未だ遊撃士でない存在がいる状況でこの話は、私たち軍から差し出した掌だ。どうかその手を握ってほしいとも考えている」
表面上の理由で言うならば、確執を取り除き共に国を守るという意味での譲渡なのだろう。
「ふむ、了解いたしました。今日この場で聞いた情報は、王都支部にも伝えておきましょう」
事情を知らないジンは差し出された言葉の手を握り返す。そうして、晩餐会は幕を閉じたのだった。
――――
カイトは侍女たちの休憩室にいた。晩餐会の余韻に浸りつつジンとの数分の世間話も終え、エステル、ヨシュア、カイトの三人はヒルダとの約束を果たすべく彼女の下へと向かい、そして現在に至るのだ。
といっても、現在ここにいる三人は少年少女三人ではない。
「カイト殿。ではお二人は、今談話室にいらっしゃるということですね」
「はい、リシャール大佐と一緒に。……あの二人の事だから、すぐにこっちに来ると思うけど」
少年少女の三人は休憩室に向かう最中、リシャール大佐に声をかけられた。そして驚いたことに、三人と話がしたいと言ってきたのだ。その突然の行動には共にいたらしいカノーネ大尉も唖然としたが、彼は早々に談話室へと向かってしまった。
彼の誘いを断るわけには行かないため、ついて行くことになった。
「しかしあなたは、それを断ったのですね」
「ヒルダさんに連絡を、と思って。……それに今あの人の話を聞くと、誰が悪人なのか分からなくなりそうで」
心の中でどう考えてもリシャール大佐なのにな、と呆れた。
その理由は分かっていた。言うまでもなく、彼の言葉から『帝国』という二文字が出たことだった。どこまでガキなんだと、恐ろしく腹が立ってきた。
「それでヒルダさん。その方法だと、女王陛下と直接話をできるのはエステルだけということになりますね」
「ええ。カイト殿とヨシュア殿には申し訳ありませんが、その方法が一番確実でしょう」
世間話のあと、一足先に小宮殿へと入る方法を聞いてみた。その方法とは、新入りの侍女に扮してヒルダと共に特務兵の目を掻い潜るというものであった。
作戦は中々良いものと言える。だが当の二人が来る前に、カイトはとっておきの事実を漏らす。
「それならヨシュアもメイドになますよ。あれでも学園祭の男女逆転劇で、本物かって思うぐらいのお姫様を演じましたからね」
そういったところでエステルとヨシュアが戻ってきた。話を聞いたばかりでどうするか黙考していたヒルダは渦中の美少年をじっと見つめて品定めをし始めたため、流石のヨシュアも不安げな顔をするしかない。
「えっと……とりあえず嫌な予感しかしないんだけど」
幸か不幸か、その予感は的中してしまった。
潜入方法を聞かされたエステルは喜び、ヨシュアはこの世の終わりのように嘆く。そんな様子を夕方の葛藤はどこへやらというふうに眺めていたカイト。
だがそれで待っているだけでは、晩餐会へ言った目的も半数しか達し得ない。やはり幸か不幸か、空の女神は傍観を許さなかった。
「何言ってるの? 早くカイトも着替えなさいよ」
「……はい?」
何言ってるのエステル? と聞き返す暇もなく。
「ここまできて女王陛下と話さないなんて私が許さないわよ。ジルから聞いたんだからね。もしヨシュアが学園祭に参加してなかったら、クローゼの弟分のカイトがお姫様候補筆頭だったってこと」
「……はいい!?」
シアに別室へ連れられたヨシュアの嫌そうな声を聞きながら、錆びついた機械になったようにぎこちなく後ろへ振り替える。そこには、ヨシュアへ向けたものとまったく同じ目線を作ったヒルダが、容赦ない眼差しをカイトに向けていた。