心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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6話 星空に迷う雛②

「ヨシュア」

「なに? カイト」

「……今までの御無礼をお許しください」

「分かればよろしい」

 無事特務兵の目を掻い潜り小宮殿へついたが、カイトのヨシュアへの畏敬の念は一生消えることはないだろう。当のヨシュアは無表情すぎて、もしかすると少しばかりほくそえんでいるのかもしれない。

「女装することがこんなにも屈辱だったなんて」

 メイド姿でもそのはつらつさは隠せない、エステル改めレナ。清楚な黒髪としおらしげな態度が世の男の心を鷲掴みにする、ヨシュア改めカリン。日曜学校の発表演劇のようなあどけない格好が保護欲を誘う、カイト改めライラ。三人の新人侍女はさも当然のように、特務兵に正体を察知されずに潜入した。特務兵に色目を投げかけられたカリンとライラに、生涯最大級の傷跡を残しながら。

「姉さんにばれたらもう生きていけない……」

「その屈辱を大勢の、しかも知り合い多数の前で演じきった人がここにいるけど?」

「返す言葉もございません」

「ほら二人とも、さっさとヨシュアとカイトに戻りなさいよ! あとでじっくり感想を言ってあげるから!」

 閑話休題とも言いたげな、レナ改めエステルなのであった。

 ともあれ三人は女王陛下と謁見すべく身なりを整え、ヒルダ夫人に待機してもらいつつ小宮殿の中の階段を上がる。

 この先に自分たちが生きるリベール王国の象徴ともいえる人物がいる。三人とも、緊張を隠すことはできなかった。

「……失礼します」

 扉を開けると、右側には寝台が見えた。左側には四人ほどで茶会を開けそうな机があった。上には煌びやかなシャンデリアが大人しめに輝いていて、下を見れは白の大理石が部屋の空気を型作っている。正面には扉と窓。もし昼間なら、そこから外のテラスを超えて微かに見えるヴァレリア湖はとても美しかっただろう。

 そして正面には、一人の老齢の女性が佇んでいた。

「ふふっ。ようこそいらっしゃいました。私の名はアリシア・フォン・アウスレーゼ。リベール王国、第二十六第国王です」

 王族の衣装に身を包み、ともすれば誰かの祖母だと言っても違和感のない優しげな風貌。しかしその経験を表したかのような白髪と纏う雰囲気が、やはり彼女の存在が王国の元首であることを知らせてくれる。

 そして三人の中で、ただ一人。カイトは、クローゼの面影を感じたのだった。

 三人の自己紹介の後、机に促され、ささやかな茶会が始まる。

「そう。ラッセル博士はそんなことを……」

 カイトがいないところで生じていた、漆黒のオーブメントに関するツァイスでの事件。市長邸の戦いでカイトたちの命を救ったそれは、自らに干渉するありとあらゆる導力現象を停止させる未知の代物だった。しかも場合によっては都市一つを丸ごと停電させることも可能らしい。それはブライト姉弟の父カシウスに宛てられたものだったが、現在はその性能や存在を最初から知っていたらしいリシャール大佐が所持している。

 言い方を変えれば、リシャール大佐は掌に収まる程度の半球状の物体のために、ツァイスでの中央工房襲撃事件を起こしラッセル博士を誘拐したのだ。現在博士は孫娘のティータという少女と赤毛の遊撃士アガットと共に、情報部の目を掻い潜り潜伏しているらしい。

 なぜそのような犯罪行為に走ったのか。なぜ漆黒のオーブメント――ゴスペルというらしい――を手に入れたのか。

「一つだけ心当たりがあります。大佐がそれを知っているとは思えませんが……」

 女王陛下曰く、その心当たりとは王都の地下深くにて検出された巨大な導力反応だという。調査していたラッセル博士が言うには、未だ力が失われていない古代の遺産が眠っているのではないかということだ。

「古代の遺産って……」

 エステルの呟きをヨシュアが継ぐ。

「アーティファクトと呼ばれる古代導力器のことだね」

 三人がルーアンで目撃したダルモアの家宝、封じの宝杖もそれにあたる。もっとも、大半はその不気味で不可思議な能力は失われているのだが。

 その古代遺物の導力を停止させるためにゴスペルを用いる。考えとしてはそれが妥当なものだった。導力を停止させて何が起こるのかは、ここにいる誰もが分からないことだ。

「女王様。じゃあリシャール大佐は、どこでそのことを知ったのでしょうか?」

「それは、私にも分かりません、カイト殿」

 目的が見えない悪行ほど不気味なものはない。カイトと同様リシャール大佐を見直しかけていたらしいエステルはすぐに前言撤回をすると、彼女らしい快活さで現状の解決に意気込む。

 その様子を見ていた女王陛下は、柔らかな笑みを浮かべる。

「さすがは、カシウス殿のお子さんたちね」

 そんなことを言った後、驚くブライト姉弟を見つめる女王陛下。二人の父カシウスは、一国を統べる者にさえ知られるほどの人物だった。

 カイトはもちろんだが、その娘と息子も沢山のことは知らないらしい。高位の遊撃士であること。昔は軍に勤めていたこと。様々な人から信頼を寄せられていること。その程度だ。

「どうやらこれも、私の役目なのかもしれませんね。よろしければ聞いてください。ささやかな昔語りを……」

 誰にとっても一言で語ることはできない、十年前の百日戦役。とある場所で起きた出来事を境に帝国とリベールとの戦争は始まった。帝国軍は当時の最新鋭ともいえる戦略で王国軍を出し抜き、両国をつなぐボース地方のハーケン門を突破。瞬く間にツァイス地方のレイストン要塞とグランセル地方を除いた全ての領土を占領した。

 そんな中、後に多くの人に知られることとなる反攻作戦が立案される。帝国軍の戦力を大きく凌駕する警備艇による各関所の制圧。それを立案、指揮したのが、カシウス・ブライト大佐だった。

 やがて戦況は王国軍優位になるが、帝国軍の抵抗もあった。数あるその抵抗活動の中で今日この場で明かされたのは、ブライト姉弟の故郷であるロレント地方の時計台が破壊されたこと。そして、それによって戦争の犠牲者がまた一人、増えたことだった。

「それはレナ・ブライトさん……エステルさんのお母様でした」

 当時の幼いエステルも共にいて、彼女を守るため瓦礫の下敷きになったのだという。

 戦争終結後、カシウスは軍を辞め遊撃士となった。残された家族を、今度は自分の手で守るために。

「バカよ、父さん……父さんのせいでお母さんが死んじゃったなんて……そんなことあるはずがないのに」

 初めてカイトは、彼女が悲しそうな眼をしているのを見た。

 女王陛下はそれを自分の責任だというが、エステルはそれを否定する。父に、母に、女王陛下。誰もが自分を、国を守っていてくれたから、それで充分なんだと。

 自責の念を抱いていた女王陛下はそれで心が軽くなっていたようだった。

「ありがとう、エステルさん。とても、優しい子ね……」

 話の行く末を静かに見守る少年二人。ヨシュアは恐らく、心からの気持ちを口にするエステルを頼もしく思っているだろう。一方のカイトの心情も同様だが、それとは別にアリシア女王陛下にも思いを巡らせている。

 この佇まい。溢れ出る気品。言葉の端々から伝わる芯の強さと優しさ。そんな根本が彼女とよく似ていて、やはり彼女の祖母なのだろうと思う。

 アリシア女王陛下は、優しい子であるエステルを危険な目にあわせたくないという。それでも三人は、女王陛下を敬う国民として、素直にはいとは言えなかった。

「女王陛下が幽閉され、大佐に実権を握られているこの状況。大佐の狙い通り公爵が王になった時、この国はどうなるのか。そのことを、考えて頂きたいのです」

「ヨシュア殿……」

「今私がここにいるのは、私一人の気持ちではないと思うんです。ヨシュアやカイト、今まで出会ってきた大好きな人たち。何より父さんが、ここまで背中を押してくれたように感じるんです。だから、守りたいんです! 女王様やお母さん、お父さんみたいに、この国を!」

「……エステル、さん」

 二人の言葉を、女王陛下は噛み締める。しばらく黙考すると、遂に女王陛下がこの言葉を紡いだ。

「私も覚悟が決まりました。エステルさんたちを通じて、遊撃士協会に依頼をお願いしたいと思います。私の孫……クローディアを含めた、情報部に囚われた方々の救出を」

 

 

――――

 

 

「ごめん、エステル。エステルも戦争でお母さんを亡くしているのに、オレはなんて……自分勝手で、情けないんだろう」

 謁見の後、三人は再び侍女に扮するために、小宮殿の中の別室へ移動した。着替えようと男女が別れる直前。少年は弱々しくつぶやいた。

「全員悲しくて辛くて、それでも前を向いている。なのにオレはいつまでも昔のことを引きずってる。……かっこ悪いよな」

 エステルは、悲しみを乗り越えて、ここまでやってきた。ヨシュアは冷静沈着にエステルをサポートしてきた。自分は、衝動に駆られるだけでここにきている。姉の安否に焦って、王都へ来た。素性の良し悪しも分からない人相手に怒りを覚え、その励ましにとここに来ている。恥ずかしかった。

 そんな嘆きを呟いてしまったことにも後悔して、少年は負の感情の渦に巻き込まれる。しかししばらく続くだろうと思っていたそれは、呆気なく崩れ去った。

「なぁに言ってんのよ!!」

「いたぁっ!?」

 エステルが、急に少年の背中に張り手を見舞ったのだ。驚いて悲鳴を上げつつ後ろを見てみれば、ふてくされたように唇を尖らせるエステルと僅かに笑いをこらえているように見えるヨシュアがいる。

「エステルッ、何を……?」

「お仕置きよ。でもカイトが反省していることじゃなくて、気づいてない悪いところに対してね」

 そんな言葉に、痛みで僅かに涙目になったカイトは疑問符を浮かべる。

「ジンさんも言ってたけど、迷うことや怒ることは恥ずかしいことじゃないの。大事なのは、そんな出来事を踏まえて行動することよ!」

「僕も同感。戦争なんて言う、すごく辛いことがあったんだ。全く悲しみなく割り切れたら、それこそ考えるべきことなんじゃないかと思う」

 ジンが言ったのは、そこまでだった。だからなのか、エステルは一歩踏み込む。いつもの自信ありげな瞳に、今日発していた沢山の優しさを添えて。

「だからねカイト。まずは、私たちと約束しよう? 今回の事件が解決したら、自分と向き合って、好きでも嫌いでもちゃんと帝国の事と向き合うこと。これだけ人のこと……クローゼやみんなの事を考えて必死になれるカイトなら、きっとそれができるはずだから」

「君は自分が王都に来たことを、『考えなしだ』なんて言ったよね。確かにそうも言えるかもしれないけれど……それも別の角度から見れば、それほどクローゼを大切に思っているということ。それは何よりも大切で、僕らからしてみれば褒めていいものだ。だからこそ僕とエステルは、君と一緒に行動しているんだよ」

「二人とも……ありがとう」

 クローゼはいないが、三人に諭された時と同じ状況だった。だからこそカイトは、あの時と同じように頭を下げた。

「だから、今はシャキッとするわよ! さてカイト、私たちがやるべきことは?」

「女王様の依頼を達成すること。情報部に囚われた人たち……クローディア殿下を助けること」

「その通り! だからまず?」

 そこでカイトははっと気づく。今度は楽しげな雰囲気の中で、盛大に嘆いてみせた。

「メイド服の袖を通すことぉぉ……」

 エステルは朗らかに笑い、ヨシュアは現実を思い出して短くため息をつく。もうここに、少なくとも今だけは、思いつめた後ろ向きの少年はいなかった。

 必ず、助け出す。自分と向き合うために。けれど、それだけではなくなっていた。

 思い出す。謁見の最後に、アリシア女王陛下に小さく呼び止められたことを。

『ありがとう、クローディアのために、ここまで来てくれたのでしょう?』

 どうやらカイトの事を、クローゼから度々聞いていたらしい。まさか自分のことを一国の元首が知っているとは思わなかったが。

『エステルさんと同じです。貴方の決意にも、もう止めはしません。どうか、クローディアの事を、お願いします』

 女王にそう言われ、少しばかり戸惑う。でも気持ちは、エステルと一緒だった。

『女王様。オレはまだまだ半人前ですけど、色々な人に助けられてここまで来ました。エステルとヨシュアもそうだけど、姉さん……クローディア殿下にもいろいろなことを教わりました。

 ……オレの大切な人です。だから、必ず助けます。今の女王様の思いを、きっと伝えてきますから』

 話の最後に、女王陛下は事件の全貌を明かしてくれた。クローゼを次期国王に推そうとした時からリシャール大佐のクーデターは始まった。女王陛下の、軍事力に囚われない多面的な外交を女々しい理想論だと切り捨てた彼は、今は真の愛国のためにリベールを強大な軍事国家にしようとしているのだと。

 だがそれこそ女々しいのではないかと、カイトは感じた。たった一人の孫娘と全ての国民を天秤に掛けられた一人の女性。その人は今自分の目の前で、天秤と、そして愛と立場の狭間で揺れていて、それでもなお女王として在ろうとしている。そんな人が、悲しみしか生み出さない架空の力に屈するわけがない。この人の下で、この人を愛する人たちと一緒なら、どんな難題でも跳ね除けることができるだろう。

『だから、大丈夫です。リシャール大佐に、引導を渡してきますから』

 約束したのだ。初めて、自分の肩に自分以外の誰かの想いを乗せた気がした。

 エステルたちは、アリシア女王陛下は、クローゼは。いつも、こんな気持ちだったのだろうか。こんな重圧を感じながら、今までのことを成し遂げてきたのだろうか。

 いや、恐らく違う。重圧ではなく、力なのだろう。沢山の想いを力に変えるからこそ、様々な壁を乗り越えることができるのだろう。

 自分も、いつかなれるだろうか。今重圧に感じる人々の想いを、力にして。いつか遊撃士として、人々を笑顔にすることができるのだろうか。

 

 


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