更新ペースについては、活動報告をご参照ください。
商業都市ボースとクローネ峠を結ぶ、西ボース街道。
夕暮れに陽の光が人々の視界を気紛れに奪う街道で、太刀を納刀している少女然とした女性――正遊撃士アネラス・エルフィードは、僅かな集中を保ちながら佇んでいた。
周辺の魔獣は、既に一掃している。特に街道を歩く旅行者もいない。彼女が待つのは、この場におけるたった一人の後輩だ。
一瞬、一瞬。戦いの術を持つ者が自らの得物で敵に仕掛ける時、そこには必ず呼吸がある。それが例え今日はじめて刃物を手にした者であっても、剣聖と呼ばれる程格上の相手であろうと、――格上の相手は呼吸を相手に悟らせないだけで――流れというものは存在する。
けれど、その流れが存在しないに等しいものもある。物理的要素を排除した術が該当し、アーツはその最たるものだろう。
アネラスは慎重に、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……そろそろかな」
流れがない攻撃。だからこそそれは、例え格下の相手であっても油断はできないのだ。
落ち葉が地に触れた瞬間とか、
形容できないその一瞬は、兎に角唐突に訪れた。
「――セイッ!」
殆ど第六感で背後を捉えて、太刀を横殴りに振り切る。街道と獣道を区切る林の中から現れたアクアブリードの水球は、放物線を描いてアネラスに向かうも彼女の一閃で上下に
次いで、水球とはやや別角度から向かってきた二発の直線的な弾丸を避ける。本来の実力差であれば体重移動だけで回避できるが、今回はやや大きな挙動が求められた。
「――ハァッ!」
ついに耳に届いた、彼の掛け声。それ自体は銃弾を再度放つためのものだったらしいが、同時に女剣士が身構える街道の中心へと駆けてきた。
(速い――)
と、アネラスはわずかに驚く。ここ数日見てきた少年――カイト・レグメントの速度より加速した体術が、アクアブリードで濡れた地面により体捌きを鈍らせたアネラスに襲い掛かる。
すぐに気づいた、少年の体からは時属性の波――瞬発力と速度を高めるクロックアップの幽かな波が残っている。
だが仮にも、彼女は正遊撃士。少年は準遊撃士。形勢は、これでやっと少年に四割弱といったところか。
「セイッ」
「甘いよっ!」
カイトの横水平蹴りをアネラスは大振りの太刀で弾く。突きだした拳銃を銃身ごと手で反らす。足払いには一度飛び退いて後退する。
アネラスが飛んだ瞬間、カイトの体を黒色の波が包み込む。アネラスはみすみす駆動させまいと、着地した瞬間即座に距離を詰める。
だが、アネラスは驚いた。前に進んだ彼女に合わせて後退した少年が、即座に黒色の波を収束させたからだ。
「くっ」
これまた早いアーツ駆動。アガットはまず不可能だろうし、自分や一緒に修行したエステルでも難しい。
少年の前から出現した、十数個の不透明な黒の波動。円盤のようなその波動は幾重にも乱れながら少年にさえ予測不能な動線を描いてアネラスへと襲い掛かった。
「せいやぁっ!」
時属性攻撃アーツ、ソウルブラーを上空に跳んで避ける。それでも全ては避けきれなくて、導力エネルギーを太刀で受け止めなければならなくなった。
ただ純粋に、導力の波動を叩き切る。触れた瞬間体が『ぶれる』ような妙な感触が襲い掛かって、それでも『気』合で振りぬいて相殺した。
「マジかっ」
ふふん、剣士を甘く見ないでよね。これくらい朝飯前だよ。そんな風に考える。
それでも、驚かされたのはアネラスも同様だった。エステルたちと共に幾つかの修羅場を潜っているとはいえ、準遊撃士に成りたての少年が自分と打ち合うとは思わなかった。
「さあ、行くよっ!」
だからこそ、この剣技を使う。自分の流派からあやかった、八葉滅殺。
「望むところ!」
少年もまた、身を引き絞る。ベイルガンバーストを放つため。
「まだまだまだ!」
敵をあらん限りの速度で切り刻む、八葉滅殺。それとカイトの銃連撃が重なって――
「そこまでだ!」
両者の間に巨大な質量が割り込んできた。柄でカイトの攻撃を、体でアネラスの斬撃を受け止めたそれは、巨大な鉄でできた重剣。
「アガットさん」
「今日は私とカイト君、どちらに軍配です?」
巨大な重剣の持ち主は、両方向からの衝撃にも体勢を崩さない。二人が態勢を整え、残心を解いて気が休むのを見計らって、喋りかけた。
「……ま、今日もアネラスの勝ちってところだな。このままだと、お前の体はボロボロになっちまってただろうな」
「……ちぇっ」
少しの舌打ち。やはり素の打ち合いになったら、目の前の先輩に軍配が上がるらしい。
「でも、凄いねカイト君。最初は割とあっさり勝ててたのに、今じゃ時々本気になっちゃうよ」
「まあ、不意打ちが前提の戦いでしたからね。そりゃ、少しでも有利に立たなきゃみっともないですし」
互いに銃と太刀を納める。
今の戦いは、それより前に行った対アガットとの模擬戦や魔獣討伐の総仕上げだった。だから疲労も見え隠れしている。そして夕方という時間帯もあり、そろそろ街へ戻ってもいい頃合いだ。
「アネラスは、避けの体捌きが少し甘くて応用力に欠けるな。水溜り……足場がどんな環境であっても苦にせず、むしろそれを利用して距離を整えることもできたはずだ」
「むむ、俄然頑張ります!」
「カイトは、動き自体は今の実力を考えれば及第点。だが、少し先読みが欠けていたな。最後のアネラスの攻撃……お前の攻撃力・防御力なら全力で避け切るのが良いだろう」
「はい……」
そのままの反省会。カイトはちょっと、落ちこんでしまう。
「まあ、疲れもあるし仕方ないか。今日のところは、いったん戻るぞ」
アガットが重剣を納め、帰路を促した。
カイトがアガット班に合流して、今日で五日目。戦闘訓練の結果は、着実に身について来ている。
――――
エステル、シェラザード、クローゼ、オリビエがルーアンを発ち、飛行船でツァイス地方へと向かった後。カイトは逆方向の飛行船に乗り込んで、アガットとアネラスが待つボース地方へと向かった。
アガット班で行うべきは、結社の影の調査に加えて、逃走した特務兵の調査や――カイトはつい最近知ったのだが――同じくクーデターに紛れて逃げ出した空賊団カプア一家の行方を掴むことも含まれる。
だがまさか、合流初日からアガットと一騎打ちをさせられるとは思ってもみなかった。その勝負を笑顔で見届けていたアネラスには、心の中で「勘弁してくれよ」と呟いたものだ。
以降は日単位でグランセル地方、ロレント地方、ツァイス地方を忙しく回りつつ再び今日、ボース地方へと戻って来たのだ。
もちろん、合間にアガット主導の調査と訓練は欠かさなかった。
「で、どうだカイト。手甲と脛当ての使い心地は?」
「いい調子です。少し重いけれど、これがあった方が迷いなく前に出れますし……」
ボース市街の酒場。誰でも簡単に入れて、親父どもは酒で語らい元気な女が料理を運ぶ場所で遊撃士三人は各々夕食を口にしながら語らっている。
「そいつは何よりだぜ。ジンのような完全な武闘家のそれとは違うから、動き回るお前の素早さを阻害しない程度の軽さだしな」
スパゲティを忙しく口に入れるカイト。彼の旅用鞄に入っているのが、アガットより渡された件の装備品である。実戦で使えるものとしてはかなり小柄なもので、見るものによっては子供の玩具に見えるものだった。
けれど、それがカイトにとっては最善――とまではいかなくとも戦闘力向上を狙えるようになったのだ。
夕暮れの時のアネラスとの模擬戦でも、それが活かされていた。ある程度の斬撃にも耐えられる様になったからこその戦い様だった。
「自分の戦闘スタイルを確立するまでは、それでやってくといいだろう」
「ありがとうございます」
そこで口を開く、酒場で甘いアイスを頬張るアネラス。
「それで、アガットさん。明日はどこ地方へ」
「いや、明日はこのままボースに留まるぞ……て、お前朝も昼もアイス食ってたよな。よくもまあ日に三回も食えるな」
「だってー、可愛いは正義、甘いものは力! ですから」
「まあ、否定はしねえがよ」
堅物の先輩とのんびり女性遊撃士、そして未熟者少年。なんとも微妙な構図である。
「この間は霧降り峡谷とアイゼンロード、ハーケン門を当たっただけだからな。今度はアンゼル新道方面で、川蝉亭やら琥珀の塔やらを捜索する」
「琥珀の塔、ですか」
「数ヶ月前にはリベール通信で変な光が出たっていうし、元々魔獣も多い塔内部の探索だ。最後には川蝉亭で休憩もできるから……明日は気張っていくぞ」
「……はいっ」
「合点了解です!」
午前中は一つの地方の広範囲を探索。午後は探索の後、魔獣を討伐しつつ戦闘訓練。日の入りまでには町や村に戻り、酒場で夕飯を取りつつ反省会や世間話に興じる。これが、ここ最近の変わらぬ日常だった。
そして次の日。きっかり七時に起床し、それぞれオーブメント工房や商店で装備を整えた後、三人はアンゼル新道へと向かった。
カイトはここまでの戦闘でそれなりの数のセピスを集めており、新たに二つのスロットを開封していた。未だどのスロットも強化できてはいないが、これで計五つのスロットが使用できるようになった。
そこにはめたクオーツは、身のこなしを高める『回避』と魔法駆動に使用する導力――EPを効率化する『省EP』。いずれも効力は初歩的なものであるが、それでも力強い味方となる。
これで水、火、風、時の属性の初歩的アーツを使えるようになったのだ。
「さて、と。ついたか」
戦術オーブメントの恩恵を受けたカイトやアガット、アネラスは特に苦も無く魔獣を撃退していった。加えて街道が広いこともあり、魔獣に遭遇する頻度も少なかった。
「四隣の塔の一つ、琥珀の塔……」
カイトが四隣の塔に入るのはこれが初めてだった。時折先輩遊撃士たちから塔内部の魔獣は強さも質も異なると聞いていて、少し緊張してしまう。
「中は複雑な造りな上、道幅も狭いところが多い。加えて下手に動けば下の階層に落ちることもある」
「カイト君は初めてだから、無理しないでいざとなったら援護に回ることも大事だからね」
「はいっ」
アガットが三人の前で仁王立ち、指の関節を容赦なく鳴らしていく。
「さぁーて……行きますか」
――――
「……はあぁぁ、疲れた……」
琥珀の塔での調査……と言うより単調な魔獣退治。取り敢えず、疲れたの一言だった。アガット曰く特務兵らの潜入場所の調査も兼ねていたらしいが、少年にとっては疲れにしかならなかった。人間とは違うが明らかに殺気を持った魔獣たち。緊張と安息の連続は、戦闘技術以外にも精神的な境地に近づけてくれた。
そして塔を攻略。アンゼル新道を南に進んで川蝉亭にたどり着いて、やや遅めの昼食をとる。そこで次は川蝉亭での調査なのだが……疲労の色を見せた少年を見かねてか、それとも最初から決めていたことなのかはわからないが、一時間の休憩を与えてくれたのだった。
元々川蝉亭事態に情報を聞くべき人の数は少ない。一応この判断は、過去飛行艇失踪事件の際特務兵と空賊団がこの場所を密会に使ったからなのだが、それでも調査範囲は小さいと言える。
そして少年はヴァレリア湖の畔、釣りをするのにも最適な小さい桟橋の上で寝転んでいた。
「アガットさんスパルタ過ぎだろ。いや、オレが未熟者だからなのかな……」
空は晴天。夏の暑い日差しではなく、自分の白基調の服でも暖かみを感じる程度の陽気。
「未熟者……か」
でも快晴なのに、気持ちは晴れない。ここ最近の忙しさは自分の鍛錬にのみ思考を巡らせていたが、逆に休むことで考えたくなかったことを考えるようになる。
「カイト・レグメント……」
自分の名前を呟く。
「百日戦役で、両親を亡くした。以来、孤児院で過ごしていた。母親のような先生と、家族同然の弟妹がいる」
そして、自分が何者なのかを考えていく。
このどうでもいいような作業をしなければ、気持ちが抑えられそうになかった。
「クローゼ・リンツの……『弟』、か……」
「悩みごとかな? カイト少年っ」
「え……」
急に視界が暗くなった。自分と太陽の間に人が割って、逆光ができたからだ。
「アネラスさん?」
黒くなっても、自分を覗き込んでいる人が誰なのか声で分かる。少し可愛げな彼女も同じく休憩中で、先程は食事処で様々な甘味に涎を垂らしていたと思うのだが。
「隣座ってもいいかな?」
「あ、はい」
一度起き上がって、一人で占領していた場所を譲る。それほど広くない桟橋だが、女性と小さい少年なので二人して座れた。
「うーん、夕暮れじゃないけど桟橋にたたずむ少年はいい絵だったよー。エステルちゃんから聞いたんだけど……メイド服を来てくれたらさらに良くなると思うな」
「いや、真面目にそれを言わないでください……」
生涯最大級の傷が抉れてしまう。
「そんなこと言わないでー。想像するだけじゃ私、我慢できなくなっちゃいそうだよー!」
「……」
むしろ、実際にした方が襲われそうな気がするのだが。というかここの会話だけ切り取ったらただの幼子趣味に聞こえてしまう。
ついでに言えば、少年が仰向けに寝ていたところに急に来たもんだから、思わず見てはいけないものが視界に入ってしまった。危機感がなさ過ぎて困ってしまう。
赤面してしまったことを視線を湖に向けることで紛らわせる。
「で、どうなのかな?」
「はい?」
「悩み事があるんじゃないのかな?」
「……やっぱりわかりますか」
「そりゃ、少しぐらい分かるよー」
そんな先輩遊撃士の言葉から、自分は王都の時から変わらず隠し事が下手なままだと思わされる。
「それでも調査や訓練の時は影響せずにこなしてたから、アガット先輩も混乱してたみたい」
あの偉丈夫が慌てふためく姿。少しばかり吹き出しそうになるが、それだけ心配してくれるのだと感謝する。
「悩み事は、吐き出してみるのも一つの手だと思うよ」
「……はい」
アネラスは元々カルナたちと共に行動することが多く、エステルと共にいる彼女と旅をすることは中々ないと言ってもいいだろう。だったら、白状してしまうのもいいかもしれない。どの道、自分だけじゃどうしていいのかが分からない。
「それじゃ、聞いてくれますか」
「もちろん! お姉さんに話してみなさいっ」
にこやかに話すアネラス。今『姉』と言うのは勘弁願いたいなと苦笑しつつ、それでも少年はあの時のことを想う。
――――
「今日ね、エステルさんに白状したの。ヨシュアさんのことが好きだったって」
六日前、深夜の学園。この言葉を紡いだ少女は、本人に言ったわけでもないのに心臓の鼓動をとてつもなく加速させた。この言葉を聞いた少年は、頭が真っ白になりかけた。
「……うそ……」
「一回白状してみて、分かった。やっぱり私は、エステルさんのこともヨシュアさんのことも好きだったから。クローディアである以上にクローゼとしてついて行きたいって思ったんだ」
少女は変わらずに明かし続ける。旅を共にする決意の周囲に並べる装飾の想いが、少年にとってどれだけの意味があるのかを分からずに。
「それとヨシュアさんに言いたいことが、エステルさんとは同じだった。『何も言わずにいなくなっちゃうなんて、許せない。女の子の気持ちを何だと思っているのか』……って」
少年が知る由もなかった、エステルとの語らい。
「…だから、私も一緒に行く。クローディアとしても、クローゼとしても、放っておけない」
「……」
「だからね、カイト分かってくれないかな?」
そこまで言われて、少年は即座に返した。
「なんだよ……だったらオレの気持ちだって、考えてくれよ……!」
「心配してくれる気持ちは嬉しいよ。でも、だからこそ姉弟で――」
「違う!」
クローゼが驚きのあまり体を震わせた。初めてだった、弟に大声で叫ばれるのは。
「そんな『心配』じゃない! 不安なんだよ……オレは……」
彼女がリベールから消えるという不安なのか。それとも、彼女が自分の前から消えるという不安なのか。
どっちもどっち。でも言葉に出てきてしまったのは、後者だった。
「そりゃ、嫌だよ……だってオレはずっと……」
だから言ってしまった。
「……きだった」
想いが爆発してしまった。
「好きだったんだよ! ずっと、姉さんのことが!!」
昔から抱いて来て、ある時から確信したもの。未熟者の少年には未だ整理できないから、こうして最善の言葉を言えなくなる。
一方、こと恋愛に関しては少年の正面に立つ少女も似たようなものだった。
「え……」
黒髪の彼に対する気持ちは、恋慕とともに信頼も尊敬も、そして彼と茶髪の少女への応援の感情もある。だから年相応に顔を真っ赤にさせたって、王女の立場として一歩見据えることができたのだ。
いつか自分の想い人へ心を伝える、その時までは。
「嘘……カイト……」
でもクローゼの目の前に立つ茶髪の少年は、彼女にとってそんな人ではなかった。王女としての礼節を脱ぎ捨て、ただの家族のように過ごせる相手。年端の行かない孤児院の子供たちと同じように世話を焼いて、それでいて自然体で心情を明かすことのできる相手。
まだまだどこか危なっかしい。だから自分の事のように考えられる、かけがえのない『弟』だったのだ。
「だって、私たちは……」
それでも、姉弟だと。そう口にして何になるのかと今更になって気づかされた。姉弟のような、としか言うことができない。
つい先程までの自分たちがいくら固い絆で結ばれていたとしても、非情な言い方をしてしまえば所詮は他人なのだ。人が人に恋心を抱く。そのどこにも、おかしなことなどない。
だとすれば。弟の、今までの言動は。
孤児院での会話は。ダルモア市長邸でのヨシュアと同等の憎悪は。クーデターの時、一目散に王都に来たのは。
生誕祭の日の夕暮れ、カイトが醸し出した雰囲気は。
全て、自分への想いに起因していたのか。
「オレは……」
「…………」
お互い何も言えなかった。この上ない失敗をしてしまった少年も、気づかなかった少年の心に困惑する少女も。
それでも、気づいたこともあった。今この瞬間から、自分たちの関係が決定的に変わってしまったことを。
少年が、急に踵を返して駆け出した。
「あっ……待ってカイト!」
少年が遠ざかっても、少女の足は動かない。
どちらが悪いわけでもない。善し悪しの
カイトの幼心も嫉妬心も、クローゼの恋情も家族愛も。それがあった時点で、もう今の結末に変わりはなかったのかもしれない。
だから、カイトは逃げてしまった。クローゼはカイトの逃げに妥協してしまった。
星空の下。彼と彼女は、初めて笑顔なく別れた。
――――
「……それで、結局空気をまずくしちゃって。次の日の出発の時も、姉さんとは口を利くことができませんでした」
「そう、だったんだ」
アネラスに愚痴になってしまわないように、けれどできる限り自分の本心を打ち明ける。
「分かってるんです。姉さんに非なんてどこにもない。立場の割りに昔から無鉄砲なんてことよくあったし、オレじゃなくてヨシュアを選ぶのも分かるし」
どうやら少年にとっては意外なことに、大嵐から曇天の大雨に代わった程度にすっきりしたらしい。クーデター事件の時に帝国への想い打ち明けたように。こんな悩みであったとしても心が動く。
それで少年は、やはり人間は人と人の間で生かされているのだと感じたようだ。自分は今まで沢山の人の間で生きてきた。そして今、その生き方故の壁に当たっている。
「うーん、確かにヨシュア君は格好いいけど……」
アネラスは以前、ブライト姉弟の仲を羨ましいと本人たちに言ったことがある。別段真面目でもなく、女王生誕祭の時の会話の一つであるから、素直に思っても深い意味はなかった。
だが、まさかここまで重い話になるとは。
「んー、私のお爺ちゃんが『一国に必ず一人は、世の女を残らず射る節操ない男がいる』とは言ってたけど、まさかヨシュア君だったとは……」
エステル曰く、自分たちの捜査対象のカプア一家の紅一点にまで惚れられているらしいし、あの容姿ならロレントの女子だけでなく旅先の乙女たちをことごとく昇天させてもおかしくない。
とんでもない悪魔が身近にいたと、アネラスは柄にもなく身震いした。
「ってまあ、そうじゃなくて」
閑話休題。
「そうは言っても、誰も悪いことをしたわけじゃない。だから気持ちがもやもやしてる、と」
「……はい」
「カイト君自身は、どうしたいのかな?」
「オレは……」
カイトは、心のどこかで現状を認めている。劣等感や嫉妬心が表に出ていても、クーデター事件の修羅場をくぐった人間だ。子供っぽくても、完全な子供ではない。
だとしたら、そこから外部の人間がしてやれることは少ない。精々が今のアネラスのように、溜まった風船の空気を抜いてやることぐらいだった。
「……分からないです。今は何も分からない」
「うん」
「でも、どうにかしないといけない」
「そうだね。……でもそんな風に悩めるのなら私が心配することもない、かな」
アネラスは唐突に話題を変えた。
「刀で戦ってると、何となく分かってくるんだ。その人の人柄が」
武の道に携わる者がよく言う言葉だった。アネラスが太刀、少年は銃。だからなのか少年には未だ理解しきれない感覚ではあった。
だが、納得はできる。
「アガット先輩は、どこまでも厳しくてそれが優しい。エステルちゃんは元気溌剌で皆を明るくする眩しい子で、月日を考えればまだ新人だけど、さすがカシウスさんの娘ってくらいに大きい何かがある」
それは普段の言動から分かること、そしてそれだけでは形容し難い曖昧な感覚も見てとれた。
「カイト君は……不器用でいつも悩んでるけど、大切な人のことを絶対に忘れない」
かつてグランセル城の空中庭園でエステルに言われたことと、どこか似ていた。それを、今まで殆ど話したこともなくまだ共に過ごすようになって一週間も経ってないアネラスから聞いた。
だとすれば、第三者から見た自分はそういう人間なのだろうか。
少年は、自分に自信がなかった。それでもこんな風に励まされるのなら、少しくらいは胸を張ってもいいのだろうか。
「色々悩む。答えのない問題なら、今は精一杯悩むことが一番の近道じゃないかな?」
「そう……ですね」
得たものは、戦火の中で産まれた怒りと同じだった。
帝国が嫌い。クローゼが好き。どちらもどこまでも正直な本心だから、偽らずに向き合わなければいけないもの。
「幸いにも、今はお姫様もいない。集中して仕事をこなしていけば、すっきりするかもしれないね」
その言葉を最後まで聞いて、小さな決意を込めて頷く。
「……はいっ」
「その通り。捜査も、ここからが気張りどころだぜ」
そんな二人の会話に間髪入れずに割り込んだのは、先輩遊撃士だった。
「ア、アガットさん!?」
「おう、そんなに驚くこたあねえだろ」
「先輩、いつから聞いてました?」
「安心しろ。『今は精一杯悩むことがーー』の辺りだ。余計な詮索はしねえよ」
気性が荒くても信頼できるアガットだ。特に聞かれても、少年の気がやや落ち込むだけだが。
「何があったかはしらんが……嫌なことがあるなら疲れるまで暴れてみろ。気も晴れるぞ」
「はぁ……」
「まあ、どの道お前には暴れてもらうがな。この六日間の総まとめってとこか」
そんな台詞で、ようやく彼がこの場に来た理由が分かった。励ましの言葉は唐突であっただろうが。
アネラスの恋愛相談室は一事お開きとなり、二人の意識が遊撃士としてのそれに変化していく。
「これから仮眠と飯を取って、九時に出発する」
「九時に出発って……何かあったんですか、先輩?」
総まとめと言うものだからまた稽古でもするのかと思いきや、今までになかった夜の行動。そして仮眠をとるから緊急の依頼というわけでもない。
アガットは、少しだけ溜めてからようやくその言葉を吐き出した。後輩二人は、出された言葉に身を引き締めた。
「叩きにいくんだよ。特務兵の残党をな」
データ:カイトの戦術オーブメント
※設定はPSP版に準拠させています。
使用器種:第四世代(空SC)
中心回路:攻撃1
ライン1:体力1、行動1、省EP1、回避1
ライン2:なし
攻撃魔法:アクアブリード、ファイアボルト、エアストライク、ソウルブラー
回復魔法:ティア、キュリア、ラ・ティア
補助魔法:シルフェンウィング、クロックアップ