「クラムがいなくなった?」
先ほどまで考えていないことだけに、三人は呆けてしまった。唯一、遊撃士であり暴走しがちなエステルをサポートするヨシュアが平静を保っている。
「詳しく話してくれるかな?」
「あ、はい……」
マリィは落ち着いた様子で説明してくれる。
ダルモア市長と秘書ギルバートが二階に上ってからしばらくした後、クラムもそこにいた大人たちが気が付かないうちに二階へ上っていた。数分後、思ったよりも早く二階に戻ってきたクラムは顔を赤くし、誰の目にもはっきりと分かるほど怒りに震えていたという。
加えて白の木連亭のから少し離れていたところで遊んでいたマリィに目もくれず、「絶対に許さない!」という台詞を放った。
「それってまさか……」
「うん、レイヴンの連中だと思う。秘書の人が喋っていたのを聞いてしまったんだろう」
エステルの言葉をヨシュアが引き継ぐ。
「さっき話が出た時も思ったけど、二人ともあいつらを知ってるんだ」
「うん、昨日カイトがいない時に私が間違えて連れて行ってしまって……」
律儀に問いに答えてから、クローゼは動揺した様子を見せた。
「早く行かないと、クラム君が……!」
「大変じゃない! 早く連れ戻さないと!」
「そうだね。クローゼさん、僕たちも付き合うよ。急げば事なきを得るかもしれない」
そうと決まれば、善は急げだ。
そしてカイトは考える。あいつらの前に出るとしたら、得物がない今の自分ではだめだと。
瞬間、三人の意見が合致する前に走り出す。
「先に行ってるよ! 姉さんたちも速く!」
返事を聞かずにルーアンへの道を行く。ただ三人と違って、カイトの目指す場所はそこではない。
行先は、マーシア孤児院跡地。
カイトがレイヴンと相対したのは一度だけ。一年と半年ほど前のこと。遊撃士の受付の仕事を手伝いながら、ルーアンの街並みを隅々まで歩いていた時だ。
『遊撃士は、自らの足で自分が働く地方の地理を覚えていき、物資の運搬や何某かの事件の捜査に役立てるべし』というものをカルナたち遊撃士の世間話から聞き、ならば自分はそれを街の中で行おう、と考えたのだ。
結果、カイトは倉庫区画に足を運び、レイヴンの溜まり場に入った。弱いものに対して強気に、暴力的になる彼らの興味を運悪く引いてしまった。
当時はまだ武術の心得が無かったため、見事に虐められてしまったのだ。まるで煮え湯を飲まされた気分だった。
カイトがカルナをはじめとした遊撃士に武術の手解きを受けるようになったのは、それからしばらくしてのことである。
「確かここにあるはず……」
孤児院跡地にたどり着くと、感傷的になりそうになるのを必死にこらえながら目的のものを探す。記憶を頼りに自分の部屋の場所を探っていくと、手に馴染む冷たい感触が表れる。
「あった」
灰色の小振りな拳銃が二丁。大した特徴もない、小さなカイトの相棒だ。
「行くぞっ」
火事のせいで、近くに転がっている弾丸の殆どは使い物にならなくなっている。こればかりは街の武具店で買い込むしかなさそうだ。
カイトはすぐさま踵を返し、恐らく先を行っているだろうクローゼたちを追いかけた。
ーーーー
三人に追い付き装備も整える。途中ラングランド大橋が運悪く上がり通行止めになってしまう事態となったが、ヨシュアの機転によりボートを使って川を渡ることで時間を最小限に抑えることができた。
だがそれでも、クラムがレイヴンの溜まり場にたどり着くのを防ぐことはできなかった。
「やめろ!」
倉庫の扉を開いてすぐさま叫ぶ。中の状況は嫌な方向で適中しまっていた。
十数人の、同じ赤の鉢巻きを巻いた取り巻きらしき男たちがたむろしている。内数名がカイトの叫び声に反応して場所を開けると、取り巻きたちの中心には赤、緑、濃い紫の特徴的な髪をもった男が三人。赤がレイス、緑がディン、紫がロッコだ。
そしてディンが、クラムの服の襟を掴んで宙に浮かせていた。
レイヴンのメンバーは四人が乱入してきたのを見ると、驚きつつも全員が警棒のようなものを構えた。
「お、お前たちは……」
ロッコが小さく呟いた。
ようやく地に足をつくことができたクラムは、咳を繰り返しながら四人を呆然と見つめた。
「み、みんな……」
その様子をみて、静かに怒りに震えるクローゼが呟く。
「子供相手に、遊び半分で暴力をふるうなんて……」
ーー最低です。その言葉が彼らの耳に届いた瞬間、全員が怒りに任せて暴言を吐いてくる。
元々この騒動は、クラムの勘違いが原因だ。ギルバート秘書はレイヴンが怪しいとの意見を示したが、現状彼らが放火を行ったという証拠はどこにもない。小さな小競り合いなどではなく重大な犯罪なため、ただ印象が悪いだけとの理由で怪しんではきりがない。
そもそも、彼らの人間性をよく知るカイトはそんな犯罪を冒す度胸などないだろうと考えていた。
「おい嬢ちゃん。ちょいと舐めた口利きすぎじゃねの?」
けれど、今はそれを考えている状況ではなかった。クローゼの言う通り、いくらクラムに落ち度があるとはいえ、小さな子供に暴力を奮っていい理由にはならない。
いや、本来暴力などあっていいはずがない。
「いくら遊撃士が二人いたところで、この数相手に勝てると思うか?」
ディンとロッコが、それぞれ口を動かす。すぐさま、二人の遊撃士が動く。
「二人とも、下がってて!」
「僕たちが時間を稼ぐよ。その隙にあの子を助けて……」
「いや、オレも戦う」
ヨシュアの提案を、カイトはレイヴンメンバーを睨みながら遮る。そして、両大腿部に取り付けた二丁の拳銃のうち、右側の一丁を取り出し構えた。さらに、先の言葉をもう一度口にする。
「オレも戦う。オレは、こんな最悪なことをさせないために、遊撃士を目指しているんだから」
「け、拳銃……」
「さっきはそれを取りに行ってたんだねじゃあクローゼさん、隙をみて……」
まだ遊撃士ではないとはいえ、ある程度修練を積んでいることが分かったのだろう。素人が相手とはいえ、二人で十人以上を相手にするのは無理がある。そう考えたらしいヨシュアはカイトの参戦を了解し、クローゼにクラム救出を任せようとする。
「いや。姉さんも戦うよね?」
だが再び、カイトによって遮られた。
「私も、戦わせてください」
これは流石に意外だったのだろう。ブライト姉弟があっけにとられた表情で、二人の後ろに立つクローゼに顔を向ける。
瞬間、数人の取り巻きが動いた。
「余所見してていいのかよぉ!」
前に出た取り巻きが棒を振るい、そして遊撃士二人が前を向くより早く、カイトが行動を起こす。
拳銃から放たれた弾丸が取り巻きの一人の足元を小さく抉る。それで
すぐさまカイトは倉庫の壁際にある、漁業に使われるらしき指と同程度の細さの鉄製の棒を一本取り出す。
「姉さん!」
それを姉に向かって放る。要領よく掴んだクローゼは、巧みに棒の先を翻しヨシュアと対峙していた三人の内一人の持つ棒を弾く。
その所作はとても鮮やかかつ流麗で、カイトを除くその場の全員を驚かせる。かつ、双剣を得物とするヨシュアに一つの答えを導かせた。
「
「剣は人を守るために振るうものだと、お師匠様から教わりました。……今が、その時だと思います」
遊撃士二人だけの相手をするはずが、気づけば四人に増えてしまっている。その事実に戸惑い、わずかに後退した男どもに向かってクローゼは凛とした声を張り上げた。
「その子を離してください。さもなくば……実力行使させて頂きます!」
声に見とれてしまうものもいる中、四人とレイヴンリーダーの三人が動き始める。
最初に戦況を変えたのは、ヨシュアとカイトだ。ヨシュアはこの場にいる誰よりも素早い動きでレイヴンたちを翻弄し、わざと刃のある側面を振りながら取り巻きたち後退させる。次いで唯一の遠距離攻撃を持つカイトが、先ほどとは違い非殺傷まで威力を抑えた一撃をリーダー格の三人に放つ。そうして、取り巻きと三人を離団させる。
エステルとクローゼが取り巻きに迫る。十人近くと数は多いが、そこは遊撃士のエステルと華麗な剣の技術を持つクローゼだ。一撃で終わることこそないものの、逆に彼女らに一撃が食らうことはまずない。
「へ、相変わらずムカつく面してるぜっ」
「三人を一気に相手取るなんて、格好つけてんじゃねえよガキ!」
一方ヨシュアはリーダー格の三人と対峙している。彼の身のこなしは遊撃士の中でも群を抜いているが、相手は魔獣ではなくあくまで一般人だ。負傷させずに峰内を狙っているが、不良には不良の意地がるのか中々の連携を見せ、決定打を浴びせることはできないでいた。
「別に格好つけてはいませんよっ」
身をかがめ瞬時にロッコの背面に向かうが、そこをディンの脚が襲い掛かる。双剣の峰で受け流し体勢を崩すが、レイスとロッコがそれぞれ棒を振るう。辛うじてその場から後退し、三人との距離をとる。
「へ、さすがに三人じゃ無理みてぇだなあ」
ロッコの勝ち誇ったような言葉。一人じゃ駄目な自覚あるんだなと思いながら、それでも内心連携の高さにヨシュアは舌を巻いていた。
けれど負けることもないとヨシュアは確信する。彼ら三人の相手をしているのは、ヨシュアだけではないのだから。
「さあ行くぜぇ!」
中心をレイスとして三人が適度な距離間を保ち、三方向から互いの死角を補いながら突っ込んでくる。しかしヨシュアは焦らない。次の行動は、彼の一手が放たれてからだ。
瞬間、四人の鼓膜に響いた二つの銃声。ほぼ同時にロッコとディンの足に先ほどと同じ激痛が走る。
ヨシュアはためていた力を解放した。もう一度圧倒的な速さでレイスの背後に回り、動きが止まった二人をよそにレイスに渾身の一撃を放つ。
レイスの後上方から回転しつつ繰り出されたそれは、峰でなく刃であれば骨ごと断つのではないか。そう思えるほどに圧倒的な一撃だった。
「確かに、三人を僕一人では無理でしたね」
ロッコとディンは既に気絶したレイスを呆気にとられた表情で見る。ヨシュアは突破口を作った少年ーー両手に拳銃を構えたカイトに、握り拳に親指を立てた合図を送りながら、少々迫力のある敬語を放った
「なら、三人でなく二人なら……どうでしょうか?」
その表情にはわずかに笑みが含まれている。ロッコとディンは、背中に冷たい何かが流れたのを感じた。
ーーーー
「一人撃破。あの二人ならもうヨシュア一人で大丈夫」
合図をそのままヨシュアに送り返し、今度はクローゼたちの方向を見始める。カイトは今、この場の誰とも離れた空間から援護射撃を行っていた。ヨシュアとカイトの二人なら瞬時に三人を撃破できるだろうが、それでは四倍以上の数を相手に奮闘している二人の少女の苦戦は避けられないからだ。
しかしもうヨシュアは手を貸す必要はないだろう。ただ数度の攻防しか戦闘を見ていないカイトだが、それは瞬時に理解できた。
「いちいち痛えんだよ!」
非殺傷とはいえ、激痛が走るのは変わらない。何度か撃ち込まれた二人がこちらに向かってくるのを見て、カイトは左手の拳銃を腰に収めた。と同時に一撃を放ち一人に痛手を負わせる。
既に取り巻きたちは三人伸びている。そして二人がこちらに来たことで、エステルとクローゼに向かうのは五人。
何も考えずに突っ込む男の顔面に向かって拳銃を突きつけるだけの威嚇を仕掛ける。痛みに対する恐怖が勝った男は踏鞴を踏み、逆にカイトが迫る。
「ぐわっ!」
「一人撃破っ」
足で体勢を崩し、両腕で首に一打を浴びせる。取り巻きの一人はあっけなく意識を手放した。
カイトは二丁の拳銃を所持してはいるが、その実両手に携える機会はどちらかといえば少ない。二丁では瞬時に弾丸を補充することができないためだ。本来仲間がいる状況ならそれが可能になるのだが、彼は集団戦闘の経験が圧倒的に少ない。加えて彼に銃器の指南をしたのは一丁の銃を得物とするカルナだ。教わるのは必然的に一丁での戦い方となっていた。
無手の時の体術も基礎的しか教わっていない。しかし牙や特殊な皮膚などを持つ魔獣や手練れの武人と違い、レイヴンの取り巻き一人相手には苦労せず立ち回れる程度の実力ではあった。
クローゼと相対する取り巻きに銃を放ち、エステルが棍を二人相手に振り回すのを目の端に捉えながら、カイトはもう一人の取り巻きの振るう棒を回避しその背中に蹴りを入れる。
「エステル!」
カイトが吹き飛ばした取り巻きは、都合よくエステルのもとに向かう。少年の声を耳にした少女は、取り巻きにとって無慈悲な一撃を叩き込んだ。
「いっちょうあがり!」
これで、残るは数名。そこで一度三人は取り巻きたちと距離をとる。これは彼らを倒すための戦いではないのだ。
そこへ、ちょうどロッコを気絶させたヨシュアが戻ってくる。
「カイト、援護助かったよ」
「オレは何もしてないよ」
「それよりもクローゼさん、めちゃくちゃ格好よかったわ!」
「いえ、そんな」
「姉さん相変わらず謙遜してるよ」
「僕もそう思う。その剣、名のある人に習ったものみたいだね」
「いえ、まだまだ未熟です」
ひとしきりの会話を終えた後、四人は周囲を見回す。ほぼ全員が意識を取り戻しているが、戦意を大きくそがれている状態だった。
レイヴンとクラム救出組の、倉庫区画での集団戦闘。軍配は、若い少年少女たちに上がったのだった。