ファスト、そしてシャロンと別れた後。ファストの研究話が多くてあまりこちらの欲しい情報を聞けなかったものだから、三人は再び大衆食堂に足を運んでいた。
「三人とも、すまねえな。大した礼もできなくてよ」
「いいですよ、ドヴァンスさん。オレたちにとって、この特殊クオーツは何にも勝る報酬ですから」
ファストによって仕立てられ、今はカイトの戦術オーブメントに填められた二つの特殊クオーツ。改良に改良を重ねて作り上げた、一つは新魔法を放てる、また一つは常時発動する、この世に二つとない珠玉の品がその手にあるのだ。カイトはわずかに気分を高揚させ、先輩二人もクオーツの効力が発揮されるときを心待ちにしている。むしろ、お礼を言いたいのは自分たちの方だった。
「あいつは……ファストは天性の研究者というか、性格が興味のある方向にしか向かなくてな。最近は飯もまともに食ってなかったみたいだから、アンタらが相手をしてくれたお陰で助かったぜ。今日の夜くらいは、しっかりとしたものを食ってくれるだろうよ」
初めて会ったときは落ち込んでいたようで酒に溺れていた。先ほども終始研究の話ばかりで、なるほど確かに無自覚に身を壊す性格なのかもしれない。
「あいつ、依頼の後も研究の話しかしてなかっただろ? よく昼過ぎにちゃんと帰ってこれたな」
苦笑混じりのドヴァンスに、ジンは豪快に笑って答えた。
「確かに。知り合いのメイドさんに呼ばれて、怖がりながら職場に戻ったみたいだったが。シャロンさんがいなければ旦那の言う通りになっていたかもしれないな」
城や館では違和感もないメイドだが、あの場で現れたのは三人にとって強い印象を残した。
シャロンと呼ばれたメイド姿の美女。使用人なのにファストに対して女王様のような雰囲気を醸し出していたような気もするが、それは置いておくとして。笑顔の彼女が仕掛けた圧力に負けたファストは、彼女にとってどうにも扱いやすい性格をしていたようだった。
「シャロンさんか。ずいぶんとべっぴんさんでな。RF社というよりラインフォルト家の使用人なんだ」
美人なうえ気配りもできる。理由は定かではないが頻繁に第四開発部――ファストの職場に会長の代理として現れるらしく、第四開発部の人々からは絶大な人気を誇るのだとか。実際先ほど現れたのも、業務時間になっても現れないファストを探すよう第四開発部の社員から頼まれたためらしい。
ただまあ、そのお陰で何かと引っ掻き回されるファストは、同僚から何かと愛と憎悪が渦巻く鞭を食らっているらしい。
「っと……無駄話が過ぎちまったな。それで、どうした? 大方ファストに聞きそびれたことがあったんだろう」
図星である。三人は、顔を見合わせ、頷いてから言いきる。
「昨日ファストさんが言っていた遊撃士、トナムさんについて、聞かせて欲しいんです」
ファストの会話、その一部分について思い出してみる。
『だってー、最近は研究が進まないし、何よりト、ト……トナムさん? 遊撃士の人は見つからないし……』
その会話は、先日までいた遊撃士の存在を仄めかしているものだった。そして三人がトリスタのミヒュトより聞いていた、ルーレでの遊撃士が襲われたという事件。その遊撃士が同一人物である可能性が高い以上、調べないわけにはいかなかった。
そしてドヴァンスは、得心がいったような顔をして答える。
「あー、その兄ちゃん、『トナム』って名前じゃねえんだよ」
「え?」
「昨日、ファストは見事に酔っぱらってただろう? だから名前を言い間違えたたんだよ」
そして、三人にとって思いがけない一言を発した。
「『トヴァル』って名乗ってたよ。あの兄ちゃんは」
「あれ、その人って……」
帝国初日、バリアハート支部のレイラとマルクスより教えられた遊撃士の名前だった。
「ん、カイト、なんか言ったか?」
「あいや、何でもないです」
「そのトヴァルは、何か言っていたか? 同じ遊撃士として、少し情報共有をしておきたくてな」
カイトの呟きを一度止めて、ジンが新たに質問を投げかける。
「そうか。連絡手段が断たれると、遊撃士も苦労するな……」
遊撃士に対する認識が良いドヴァンスはしっかりと労ってくれた後、カイトたちに情報を提供してくれた。
「トヴァルは、確か『レグラムに行く』とか何とか言ってたよ。大事な用事があるらしくて、その分しばらくルーレには戻ってこれないと、申し訳なさそうにしながらな」
そして続ける。
「それと、『ザクセン鉄鉱山には近づくな』……そう、注意もしてくれたっけか」
――――
ザクセン鉄鉱山。ルーレ市の北部に位置する、帝国有数にして皇帝家の所有資産となっている鉄鋼山だ。帝国で使用される鋼鉄のほとんどを産み出している、帝国の産業や軍隊を支える屋台骨でもあるのだと、ドヴァンスは教えてくれた。
「トヴァルはザクセン鉄鉱山には近づくなと言った。それは、一般人には対処不可能な、危険な『何か』があったと考えた方がいいだろう。それが単なる魔獣なのか、それとも『出来事』なのかは分からないが」
ジンたち三人は、ルーレ市から北に出たザクセン山道を歩いていた。言うまでもなく、同名の鉄鉱山へと続く道だ。周囲は導力車が一台通ることができる程度の幅で、両脇は岩壁が反立っている。うねり、そして進むほどに高度が上がっていくのは、まさに自分たちが山へ向かおうとしていることを意識させられた。
手早く魔獣を掃討しつつ、順調に進んでいく。途中開けた空間も見られ、逆に自分たちが崖の上に立つときもあった。少しばかり通行者に不親切な設計だ。
「そしてミヒュトさんから聞いた遊撃士の襲撃。恐らく……と言うより十中八九関係があると考えていいですよね」
アネラスが続けた。
こうなると、足を使って調べないわけにはいかなかった。幸いにも自分たちは遊撃士だ。何らかの危機に遭遇すると分かっていても、それを撃退できないわけではないから。
そしてレグラム。これは、クロイツェン州の南方にある、地方貴族が治める一つの街の名前なのだという。そこは一先ず置いておくことにして、今はザクセン鉄鉱山での調査に意識を向ける。
数回の魔獣との戦闘と休憩を繰り返して、山道を抜けた。オーロックス砦の時のような開けた空間。今回は見上げるのではなく見下ろす側にいるが、上に空があるのは同様だった。眼下には鉄鉱山の壁と、そこに掘られた大きな鉱山洞入口があった。
「帝国を支える屋台骨か。なるほど、世界に通ずる鉄鉱山という訳だ」
「流石に今回は、軍人には邪魔されなさそうですね」
アネラスが、ほぅっと息を吐く。出入り口付近にいるのは堅苦しい軍人たちではなく、鉄鉱山の作業員らしい。
二分ほどかけて洞窟の入り口まで近づく。そこにいた作業員には、手短に目的を明かした。
「ああ、遊撃士か。昨日も確か、一人男が出入りしてたな。別にいいぜ? ただアンタらを嫌う輩もいるだろうから、あまり目立つような真似はしないでくれよな」
印象はよくないものの割合あっさり許可をもらい、鉱山内部へ侵入しようと試みる。
「けど昨日の遊撃士は怪我をして参った様子で戻って来たな。魔獣に襲われたとか言ってて、俺たちはまともに魔獣を見ないのに不思議に思ったよ。まあ、ヘマを外さないように気を付けてな」
そんな、少しばかり小馬鹿にするような助言をされたのが、やけに印象に残った。
作業員が完全に見えなくなるまで、三人は無言で進む。そうすると必然、整備され人が多く作業する場所から、魔獣が住み着きやすくあまり人の手が行き渡っていない場所まで辿り着くことになった。
「……それなりに奥まで進んだなあ。ここは本当に洞窟みたいだ」
作業員がいる場所は、壁も鉄製、柱も鉄製、休憩できるような空間もある。しかし奥に進んだ扉一枚を隔てた場所は、砂煙が立ち込め地面も荒く、広大な空間に道や大岩が入り乱れる正真正銘の洞窟だった。
「魔獣もちらほら見えますね。ジンさん、こんなだったら魔獣を見てない、なんていうのはおかしくないですか?」
問うカイトに、ジンが答えた。
「いや、そうとも言い切れんぞ。確かに俺たち遊撃士を小馬鹿にしているような感じだったが、だからと言って不誠実な対応じゃなかった。ここの魔獣なら、遊撃士は問題ないだろうという認識があったのかもしれん」
「え、ということは……」
「ああ。普段無事なはずの遊撃士が傷ついた。普通じゃない何かがあったのかもしれんな」
探索は続く。その間にも、数は少ないが触手を持つ軟体の魔獣や亀の魔獣などが襲い掛かってきた。それは難なく追い払い、それでもおかしな出来事や何かはないために、順調に奥へ奥へと進んでいく。
途中で、アネラスが口を開いた。
「そもそも、なんでトヴァルさんはこの場に来たんでしょう? 単なる魔獣退治にしてはその痕跡もないし、何かの調査とかの特別な理由でもなさそうですし」
「いや……何かはあったみたいだぜ」
不意にジンが立ち止まって、注意深く地面を見つめる。
「ここに来るまでに足跡を見てみたが、その人数は一人じゃない。複数人だ。それに最近は作業員は立ち寄ってないような言い方だったし、これは何かがあると見たほうがいい」
その言葉は、カイトとアネラスの不安を多少なりとも上げることとなった。
三十分ほどかけて洞窟の最奥までやって来る。人の手が渡っている場所の最奥ではない、もう一つの終着点。
広い空間だった。行動を掘った人々も別段意識してはないだろうが、辿り着いた場所は何かが待っていそうな……幼い子供たちが夢見る物語であれば魔物の王が待ち構えていそうな、歪な円状の空間。所々に壁の上に登れるような坂道や窪みがあり、過去にはここからも鉄鋼を採掘していたであろうことが伺える。
「こんな所からも鉄鋼を採るとなると、やっぱりここで採れる鉄の数は甚大……軍事大国と言われるだけはありますね」
「うん。素人目でも、だいぶ戦車を作れるんだろうって思えてくるよ」
多少の疲れはあるが、それでも余力を残してここまでやって来た。しかし世間話などする余裕もない。必然、本題に移ることになる。
「……とはいえ、辿り着いたけれど何もなさそうですね……」
「そうだね。魔獣の数も少なかったから思ったよりも早く最奥についたし、手早く帰ることになりそうかな?」
しゃがんでいたアネラスとカイトの二人。地面に転がっている石ころを弄ぶ。
「ルーレ市を出たのが午前三時頃。今が大体……四時半になるかってくらいかなあ」
「そうですね……帰りだから早足になることを考えると、ルーレ市に戻れるのは六時を過ぎるかどうかってところですかね?」
昨日ほどではないにせよ、なかなかに忙しいスケジュールになりそうだった。これは早々に
そう思って、年長のジンにも声をかける。
「ジンさん、そろそろ……って、ジンさん?」
カイトが最初に気づき、その声に意識を向けたアネラスも同様に不思議がる。ジンは、坂の上の壁――窪みや岩の柱で視界が悪い場所をひたすらに見続けている。
遅れて気づいた。ジンの気が、王都地下で見せたような険しいものに変化している。
「二人とも、どうやら帰るのはもう少し後になりそうだ」
そして、告げた。そこにいるらしき誰かに向かって。
「隠れてないで、そろそろ出てきたらどうだ?」
姿は見えない。けれどそうジンが言ったことで、カイトも理解した。確かに、そこに誰かがいる。
「ここの作業員でも、ましてや遊撃士でもないだろう。どんな理由があってここにいるんだ? それとも……俺たちを狙っていたのか?」
その言葉で、武術家のみならず残る二人の緊迫度も跳ね上がる。
ジンがこれほど警戒を強める存在。偶然でなく、自分たちが追っている昨日の出来事に関係しているのだろう。
「…………」
双方沈黙、返事はない。カイトとアネラスはそれぞれの得物を構えた。ジンは未だ仁王立ちのままだが、意識はやはり強く誰かに向けている。
その時。甲高い、それでいて一定でない音色が響き渡った。
「これは……」
「笛の音……?」
音楽に詳しい者なら、音色もよくわかるのだろう。三人に分かったのは、精々がフルートだということと……とてつもなく邪悪な何か、という印象だけだった。
同時、荒い地響きが体を震わせる。ようやくジンも、手甲を構えて周囲を見渡す。
地響きの正体は魔獣の行進だった。何故今まで襲い掛かって来なかったんだと、そう言えるほどに数が多い。触手の魔獣に亀の魔獣のみならず、猫に羽が生えた飛び猫、七耀の力で巨大化した土竜など、様々だ。
「ちょ、ちょ……嘘だろ?」
カイトが気圧されそうになって冷や汗をかくも、強引に頭を振って目つきを鋭くして見せる。
一際目を引くのは、ダルモア市長邸で相手取ったファンゴとブロンコのような巨大な犬が、どこから用意したか分からない鉄製の鎧を身につけた魔獣。ジンより大きなその体躯は、武器を持たない一般人が相対したら卒倒しそうな迫力だった。
乱雑に部屋に向かってくる魔獣が二十体を超えたあたりから、カイトはその数を数えることを放棄した。大抵の魔獣はカイトでも難なく対処できる種類だが、いくらなんでも数か大きすぎる。加えて凶悪そうな鎧犬――ガザックドーベンも一体ではなく複数いるのだ。
「……随分な歓迎の仕方だな。最も、そうしてくれた本人はもう行っちまったようだが」
ジンが落ち着き払った声色でそう告げる。彼だけは、魔獣の行進の中でもそれを引き起こした笛吹きの人間がどこかへ去ったことを、冷静に理解していた。
既に魔獣の軍隊は三人を取り囲んでいる。その様子はオーロックス砦で領邦軍に囲まれたものと同様の形だったが、その緊急性はこちらの方が遥かに高い。
「……完全に黒でしたね、ミヒュトさんの情報は」
と、アネラス。魔獣は、じりじりと三人との距離を詰めてくる。
「ああ。俺たちはいつのまにか、かなりの大事に巻き込まれていたらしい」
返答するジンは、自らの気を一気に練り上げた。龍神功、攻撃の破壊力と身体の堅牢さを高める戦技を放った後、少年に問いかける。
「しかし、何をするにもまずはこの場を切り抜けてからだ。カイト……できるか?」
ジンに言われたとおりだ。聞きたいこと、怒りたいこと、それらは色々あるが、この魔獣の群れを全て掃討してからでないと落ち着けない。
比較的安全かと思われた帝国の旅。そんな印象を簡単に崩された窮地に立って、カイトはジンの問いに答える。
「はいっ……切り抜けて見せますっ」
そして、こうも思う。王都地下での戦いで、生死の境をさ迷ったのはある意味幸運だった。おかげで今、多少であっても落ち着いて行動できているのだから。
気を放出させるジン。穏やかな顔に似合わぬ鋭利な殺気を、得物の刀身にも映すアネラス。二丁の拳銃を構え、やや固い挙動で敵を迎え撃たんとするカイト。
形容できない一瞬に、魔獣が襲い掛かってくる。
三人対五十匹強。殺し合いが始まった。
――――
「――そら! そらそらそら!」
アネラスの八葉滅殺。素人が闇雲に振り回すように見えて、その実繊細で無駄のない体捌きが要求される彼女自身の流派の剣が、惜しみなく発揮される。普段単体に対して繰り出されるそれは、重心を固めない木の葉のような動きで対象を次々と変えて切り刻んでいく。飛び猫二匹、軟体魔獣――ドローメ一匹の身体を裂き、そして目に入ったガザックドーベンの鎧に弾かれた所で勢いが殺される。
アネラスは体勢を立て直して、手早く周囲を見渡した。
魔獣の数は今までになく膨大だ。自らや先輩後輩を取り囲む敵を取り除いても、その背後には自らが獲物を喰らう番を今か今かと待ち構えているような魔獣の群れ。
乱戦、という意味合いだけで数えるなら、アネラスはそれを経験したことがあった。情報部クーデターの時の、エルベ離宮とグランセル城それぞれの奪還作戦。陽動班としての役を担った彼女は、当然陣地を守護する特務兵たちとの白兵戦を経てここに来ている。
その時の敵は人間だった。特務兵はともかく遊撃士や王室親衛隊は不殺の心を持って戦っていたから、戦局は遊戯盤のように変化して少しばかりでもその状況は読みやすかったのだ。
しかし、今相対しているのは魔獣。自分を取り囲む汚ならしい獣たちは、これ程までに統制がとれないものなのか。ただひたすらに獲物である自分を睨み、他の魔獣のことを考えずに自分に向かってくるだけだ。
唯一の幸いは、主に突撃してくるのが、何故か最前線の魔獣だけであることか。
「――やぁぁあああ!!」
相対したガザックドーベンを、ひたすら動いて切りつける。獣の動きは俊敏だが、それに臆する剣士ではない。
前面を覆う鎧を剥いだ。アネラスはこの戦場で場違いに止まって目を瞑り、闘気を剣に込めていく。
「――これで」
新たな飛び猫が蹴りを背中に叩き込んだ。痛い、でも逃げない。
「終わりだよっ!」
かっと目を見開き、横凪ぎの一閃。それは琥珀色に光り、飛ぶ斬撃となってガザックドーベンとその後ろの獣たちに襲いかかる。
光破斬、アネラスが扱う奥義だった。斬撃に込められた力はやがて小規模な爆発を作り周囲の敵に痛手を与える。
と、その時。後ろからの強大な衝撃がアネラスを打ちのめした。
「あぅっ!」
横向きに一アージュ飛ばされ、衝撃を殺すために回転して体を起こす。礫が露出した地面はこの上なく痛かったが、それでも太刀は何とか手放さなかった。その事実にほっとしたのも束の間、顔を上げて戦慄する。
自分を吹き飛ばしたのは、新手のガザックドーベンだったのだ。
「っ、多すぎだってば!」
思わず叫んでしまう。前足二脚の鋭利な爪がアネラスに襲いかかろうとして。
横合いから飛んできた翡翠の清流が、ガザックドーベンの身体を吹き飛ばした。
「アネラスさん! 体勢を整えて!」
「カイト君!」
魔獣の喧騒の中辛うじてはっきり聞こえる距離にいた少年のエアストライクが、アネラスの危機を救う。瞬時に立ち上がり、漁夫の利を得ようとしていた小型魔獣を斬っていく。
ありがとうカイト君と、心の中で感謝する。そして同時、頑張らなきゃとも思う。
だって、後輩が頑張っているのに私も……。
「負けてられないからね!」
アネラスは、満面の笑みで敵に向かった。
一方アネラスを助けたカイトは、再び吹き荒れるような緑の波を纏い始める。
「ジンさん、もう一回エアリアルいきますっ!」
「おうよ、ぶっぱなせ!」
カイトとジンは背中合わせになっていた。
ジンはその実力で無防備なカイトを守りながら、確実に小型魔獣を屠っていく。そしてカイトは適度にエアリアルやソウルブラー、エアストライクなどを放って大きなガザックドーベンを打ち据えている。
アネラスは兎も角として、現時点で魔獣に対する一撃必殺の術が豊富でないカイトを孤立させるのは不安という、ジンの判断だった。変わりにカイトは戦術オーブメントの導力が続く限り、得意であるアーツを連発していく算段だ。とはいえ先頭開始から十分が経とうとしている今、もうEPチャージ(導力補給カプセル)は既に三つほど使用しており、予想外の事態に導力の枯渇ももうすぐだ。
実際、カイトの身体能力は――『累加』などのクオーツのおかげでジンとアネラス以上の伸び幅があるとはいえ――まだ魔獣大戦を一人でこなせるほどではない。小型魔獣は兎も角として、ガザックドーベンを相手取るのは荷が重かった。
「カイト、しゃがめ!」
思考の端でそれを聞き、駆動状態を保ったまま膝を折る。すぐに頭の上を武術家の脚が切り裂き、目の前の飛び猫が十アージュ以上離れた壁に突き刺さった。
「……ハァァァアアッ」
立ち上がった少年の背中が熱くなる。漏れ出るジンの呼吸が、奥義を放つことを教えてくれた。
「雷、神、掌ォォッ!!」
ジンの組み合わされた両の掌から、それが吐き出される。青白い破壊の力が魔獣の群れに襲いかかって、少なくない数の魔獣の身体を四散させた。
その三秒後、カイトのエアリアルが発動する。雷神掌の残心を解けないジンを狙おうとしていた魔獣たちをことごとく引き裂いた。
「クソ、まだ全滅しないのか……!」
カイトが舌打ちをした。視界の端に捉えたアネラスも息が荒く、ジンは呼吸こそ乱れていないがその目はトロイメライ戦の時と同じように険しい。
それなのに、敵の数はまだ三十に近い。どうやら最初に突入してきた以外にも、乱戦の気配を嗅ぎ付けてやって来た魔獣もいるようだった。そのせいで、数体に一体の割合で数が戻っている。
心理的には、埒があかないのと同然だ。
「クソッ」
再度舌を打つ。それでも何とか、出来る限りの魔法を放たなければ。
不意に、自分の後ろで咆哮が轟く。
「な……ジンさん!!」
ジンが敵を引き付けている。それも、二体のガザックドーベンを。
敢えて近づき、体部の鎧を握りしめて動きを制しているのだ。けれどそれは、魔獣の口腔に自分の身体を差し出すに等しい自殺行為。
迂闊だった。集中が一瞬とはいえ途切れたせいで、先輩が傷付いている。
「離れろ、犬野郎!」
怒りが運よく雷速の駆動を助けて、ソウルブラーが発動する。時を司る黒色の波動が片方の獣に辺り、その四肢の踏ん張りを緩ませた。すぐさまカイトが突っ込んで体当たりをかました。小柄な少年故に吹き飛ばしはできないが、それでも四肢をもつれさせて転ばせることには成功する。
片手が空いたジンは、すぐさまその手を魔獣の懐に添える。
「悪いが兄弟子に一撃入れるまで、倒れる訳にはいかないからなっ!」
そう叫んだ頃にはガザックドーベンの身体が吹き飛んでいた。彼にしては珍しく怒気のこもった一撃――無を有の衝撃に変えるゼロ・インパクトだ。
二体のガザックドーベンが遠退いたことで、少しだけ二人に余裕が出来る。カイトは急いでジンに声をかけた。
「ジンさん、大丈夫ですか!?」
ジンは今度こそ肩を落として、両手を肘につけた。
「即興にしては、上手くいったよ。ただまあ、修業不足の罰だな……腕が少々イカれちまった」
片手――ゼロ・インパクトを放った左腕。その前腕は内出血を起こしている様な赤い腫れができている。
「待ってください、今ティアラを……あ」
意識を集中。だが、水色の波は吹き荒れなかった。とうとう導力切れだ。もうEPチャージも持っていない。
「ちくしょう、次は銃で」
「カイト」
焦って銃を取りだそうとしたカイトを、意外にも落ち着いた声のジンが制した。
そして彼が懐から取り出したのは、たった一つのEPチャージ。
「これを使え。ただし、回復や小規模な攻撃には利用するな」
「でも、それじゃあ何も……」
「あるだろう。今日の昼頃に使えるようになった、最上位の水属性アーツが」
その意図を理解できないほどカイトは無能ではない。カイトが難色を示す理由は、別にある。
「でも……全力のジンさんだって、この状況で何十秒も耐えるのは絶望的だ!」
グランシュトローム。その駆動時間は、並のアーツの比ではない。第四世代の最上位アーツと比較をしても遜色ない待機時間だ。劇的な効果はあるだろうが、カイトが放った一言が全てだった。だからカイトは、戦闘が始まってから一度も使用していない。
それでもジンは、呆れるほど豪快に笑う。
「いや、使え。後輩の道を開くのが先輩の役目だからな。その気合があれば、何だってできるさ」
「……はい!」
カイトは焦りで狭くなった視野を、一度息を吐いて切り替えた。
どの道やれることは限られているのだ。やれることをやるしかない。
ジンからEPチャージを受け取り、一思いに戦術オーブメントにつないだ。
「アーツ、駆動……!」
先輩を信じて、魔獣の檻の中心で場違いに仁王立つ。
今までになく滑らかで海のように光を乱反射する蒼の波動が、カイトの身体を取り巻いた。
パワーバランスなど知らんと言わんばかりの魔獣軍団。
唐突に起こった緊迫の戦闘は、次回に続きます。