帝都での落とし物の捜索。次に着いた目的地は、マーテル公園だった。
「えーと、アリス。それでここでは何をしたの?」
「……うん。ここでは『クリスタルガーデン』、植物園を、見て、回ったの」
「……なんか声が固いぞ?」
カイトの(やや強引な説得による)提案は、まだ少しばかり慣れないらしい。少女は時折空回りしながらも、当初の目的だけは揺れることなく会話を続ける。
自分への慣れない態度に対する照れがあるのか、ほんのわずかに耳が赤くなっているような気はするが。
「屋台はあるけど、私はあまり寄らなくて……植物園の中を散策するだけだったかな」
少女は辺りを見回す。マーテル公園は、赤の色調が目立つ帝都の中にあって、緑の自然があふれる帝都市民憩いの場所だ。涼やかな川が流れ池は魚が泳ぎ、いくつかある小橋はちょっとした情緒を感じさせてくれる。
アリスが言うには、ここでは真っ直ぐクリスタルガーデンに向かいたっぷりと散策をした後、また真っ直ぐ公園を後にしたらしい。
「時間もないし早く済ませるか」
公園の中には疎らに人がいた。クリスタルガーデン前の広場に若者が数名、気ままに散歩をしている老人が数名。警備中らしい近衛兵が数名と言ったところか。
「もう少しだけ、見ていきたいけどなぁ……」
「いやアリス、時間がないのは君でしょうに……」
クリスタルガーデンの中へと入る。
植物園内部には、意外にも人はいない。一年を通して草花に彩られる空間は、アリス曰く伝統的に舞踏会が開かれる場所でもあるのだとか。夏に開かれる夏至祭――リベールの女王生誕祭のようなものらしい――では、皇族の方々が訪れて帝国時報社の一面を飾るのだとか。
少年は少しばかり気を利かせて、ゆっくりと散策、もとい捜索を行う。
結論から言えば、花に詳しくない少年でもこの場を楽しむことはでたが、結局袋は見つからなかった。
(まあ男性が持っている可能性の方が高いし、こういう場所にはなくても当たり前か)
少年少女は植物園を出る。
「夕暮れか。行った場所は順々だけど、少し急いだほうがいいかなあ……」
茜色に染まる土の地面、ぼやけて光る池の中の太陽。感傷に浸ることができる風景の中で聞こえてきたのは、美しく穏やかな音楽だった。
「きれいな音色……」
アリスがほぅっと息を吐く。
演奏者は、先程から数名いた若者だった。漂泊の詩人が弾いていたリュートではなくバイオリンやフルートの、艶やかな音色。複数のそれは合奏となり、共鳴して公園に響き渡る。若者たちクリスタルガーデンの目の前の広場にいるから、必然カイトたちはその様子をじっくりと眺めることができる。
それぞれ髪の色が違う、四人の少年少女だった。カイトにはわからないが何某かの曲を演奏しているらしい。
「これは……『いつも思うこと』だったかな。確かリベールの作曲者が手掛けた名曲だったと思うけど」
「うそ!? 自国生まれの曲を知らないオレって……」
人知れず呻く。どうやら曲の終盤だったらしく、カイトとアリスが待つ間もなく音色は止んだ。
「うーん、どうだったかなあカリンカ」
そんな中、橙色の幼さを残す中性的な少年が薄桃色の紙の少女に向けて問う。
「そうだねー。終盤の一人で弾く箇所が、もうちょっと強いといいんじゃないかなあ」
「そっか……」
「エリオット君、最近曲調が弱いよね……何か気になることでもあるのかな?」
若き音楽家たちは、各々曲の調べに対して話し合っているようである。どうやらあまり納得のいくものではなく、誰もかれもが顔をしかめているようだったが。
落し物捜索を続ける二人は、見るものもないと早々に立ち去ろうとする。若干、アリスがもったいなさそうな顔をしてはいたが。
「何アリス、まだ見ていたいの?」
「あ、いや……」
「んん?」
「……うん、思ってる」
まあ、その顔を見ればそうだよな。
「そりゃ出来ることなら回ってやりたいけど、用がないからなあ」
「それはそうだけど……」
それでも心残りはあるようで、未だに嫌そうな顔をしているが。
「でも例の男性も、さすがにこんな所に来る用事はないだろうし」
といったところで。
「さっき先輩も言っていただろう? 」
「ううん、どうだろうね? 珍しいスーツ姿でここに立ち寄ったのはたまたまだったろうし。すごく焦っていたみたいだよ?」
若者たちがそう言った。どうやら空の女神は少年少女に微笑み、さらに少女の手を取ってくれたようだった。
「スーツの男性、公園に来たね?」
「……はい」
得意顔で言って来た少女に対して、少年はそっぽを向いて答える。
二人は揃って若者たちに近づくも、カイトはアリスが会話を始めるまで複雑な心境だった。
「なんだろう。会ったばかりの女の子に負けた、みたいなこの気持ちは……」
「すいません、少しよろしいですか?」
そして、少年少女の集団は計六人となる。
アリスの声掛けには、金髪の体格のいい青年が答える。
「うん、なんだい?」
「諸事情があって人を探していまして。スーツ姿の男性を見かけませんでしたか?」
今回はアリスが主導となって、その諸事情を説明する。カイトやアリス自身のことは省いて、簡潔に落とし物の存在と手がかりであるスーツの男性のことを伝える。
「ああ、さっき話していたスーツの人だね。それは僕たちの先輩のことなんだ」
橙色の髪の、カイトと同じく中性的な少年が教えてくれる。
「音楽の先輩でね。この地区は先輩の地元だからよく来ていたらしいけど、さっき慌てて池の
「その先輩だけど、袋を持っていなかった? 外国製の袋なんだけど」
謎の敗北感から復活したカイトが訪ねる。橙色の少年は少しばかり黙考して、納得がいったように答える。
「確かに、そんな感じの袋を持ってはいたかなあ。何だか一度ヴァンクール大通りで荷物を落としたって言っていたけど」
カイトとアリスは目を合わせて頷いた。どうやら依頼の終わりが少しずつ近づいている様だった。
「その人で間違いないと思うんだ、オレたちが探している人は。どこへ行ったか知らないかな? えっと、君は……」
「僕の名前はエリオットだよ。先輩はサンクト地区の大聖堂に行くって言っていたなあ」
「そっか……ありがと、オレはカイトだ」
各々が自己紹介をする傍ら、カイトは得た情報を反芻する。
サンクト地区、というのはカイトにも覚えがあった。アリスが自分と出会うまでに訪れていた、女学院がある場所だったはずだ。
彼らの先輩だという男性が大聖堂に向かったなら、次なる目的地は決まったようなものだった。
「でも先輩、どうしてあんなに慌てていたんだろうねー?」
そう薄桃髪の少女カリンカが言えば、今度は金髪の少年モーリスが返す。
「あの袋のデザインは女性が好みそうなものだったぞ。大方、女性にでも渡すものが入っていたんじゃないか?」
中々読みがいい。事実男性の物であろう袋の中には、まさに女性が身につける装飾品があるのだ。
彼らは教えてくれる。スーツの男性はエリオットたちと会った後彼らの演奏を律儀に助言した後、先ほど言ったように大聖堂に用があると告げ、導力ドラムへ向かったらしい。
エリオットが付け加える。
「先輩、今日。クロスベル自治州から帰ってきたって言っていたよね。それも少し、関係あるのかな?」
クロスベル自治州。そこから帰ってきたということは、アリスと男性が所持していた袋はそこで手に入れたということか。アリス自身も一度クロスベル自治州の名前を出していたし、恐らく少女が鞄二つ分の大荷物で滞在していた場所も同じ場所に違いない。
人知れず、少年の興味が自治州に向かう。
対して幾分親交を深めたアリスたちは、会話を続けている。
「どうかな、少しはお役に立てたかな?」
「はい、ありがとうございます。それにしても先ほど演奏を聞かせてもらいましたけど、素敵な音色ですね。音楽院の方なんですか?」
そんな質問に対して、エリオットは苦笑して答える。
「先輩は確かに音楽院出身だけどね。でも、僕たちは違うよ」
今までのおおらかな受け答えからは想像しづらい、僅かに目線を落とした物言いに、カイトはおやっ、と感じる。
素人目に見ても、四人の演奏は素晴らしいものだと感じた。芸術の世界はというのは誰も彼もが生業とできないのが世の常だ。とはいえ実力が高ければその全員が音楽の学舎にいる、というわけではないらしい。
「でも私たち、音楽院を志望しているんですよ」
「そうだな。音楽が好きだから、もっと専門的なことを学びたいというのはあるし」
カリンカ、モーリスが言う。
この四人は、音楽が好きであることは本当らしい。実際エリオットのみが演奏後に納得のいかない顔をしていたが、人である以上好不調はあるだろう。それでも、エリオットの様子にはまだ腑に落ちないものがあったが。
さて、始まったものにはいつか終わりがくる。そんな風に妙に哲学的な思考で引き上げ処を探していたカイトなのだが、始まった華やかな談笑は別の形で終わりを告げることになった。
「貴方は、音楽院は志望していないのですか?」
アリスがエリオットに問うたのだ。変鉄もないが、場合によっては核心をつく質問を。
それには、エリオットのみならず他の三人の表情もはっとさせる。
「……アリス」
カイトが少々強く声をかける。
アリスは多少気になった程度のものかもしれないが、カイトは何故か迷いなくエリオットが悩んでいるものだと察した。何故その結論に至ったかは少年自身にもわからず、人知れず疑問符を浮かべていたのだが。
しかしどうにせよ、出会ったばかりの他人が聞いていいようなことにも思えなかった。そんな意図があるカイトの声に、少女は急に申し訳なさそうな声を出す。
「あっ……ごめんなさい、変なことを聞いてしまって」
「いや、いいんだ。ちょっと悩みがあるのは確かだから」
友人たちは、既にエリオットの事情を知っているらしい。余り触れていいものでないのはカリンカたちも同様なようだ
「音楽は続けていきたいよ。けれど、音楽院に入れるかどうかはわからないんだ」
他人であっても嘘を言うことは、彼自身が許さないらしい。可愛らしく見えて、芯の通った性格をしている。
音楽好きであるのはエリオットも変わらない。というか、ある意味エリオットが一番音楽に対して凄まじい熱を持っているらしいが。
「家庭の事情みたいなものなんだ、どこにでもあるような。ちょっと、みっともない事情だけどね」
「そっか……」
カイトが息を吐く。
進路の悩みなど、誰にでもあるものだ。どちらかと言えば自分は親代わりのテレサも夢を応援してくれて遊撃士になれた、幸運な部類に属するのだろう。
エリオットとは立場が全く違うが、クローゼもまた自らの進む道に悩んでいる。自分の可能性に前向きになりつつも、まだ次期女王に即位する決意を固められていない彼女は、進む道に悩む若者そのものだ。
エステルも、共に未来を歩むと思っていた相棒を探している。ヨシュアも、未来を進ために忌むべき過去と決別を図ろうとしているのかもしれない。若者とは言いにくいジンだって、ツァイスに現れた兄弟子のことで気を張っているようだった。
突然出てきた複雑な心境の身の上話に、一同の間には少しだけ沈黙が流れる。
不思議だな、とカイトは思った。遊撃士襲撃に関する調査をするために、自分は帝国へ来た。しかしまさか、年が違い者の将来について語らうことになるとは。
カイトがエリオットにしてやれることなどたかが知れている。けれど人々を支える籠手として、何か力になれることはないか、と考える。
「……オレは見ず知らずの他人だし、音楽の世界もよくわからないし。でも一つ、すごいなって思ったよ」
「え?」
「家庭の事情ってことは、経済的な理由とか、親が反対しているからとか、そんな理由があると思うけど……。
現状音楽院に進学できないのかもしれないけど、それでも悩んでいるってことはそれだけ音楽が好きだってことだと思うんだよ。打ち込めることがあるのって、純粋に格好いいと思う」
打ち込めるもの、その道を極めようとするのはいつの世だって困難を極める。更に人に認められるなら、それが芸術の世界であるなら尚更だ。
そんな茨と言ってもいい程の道を選択した者は、後先のことをおいても勇気ある者なのではないか。
「オレなんて、好きなものがあるのに未だに素直になれなくて悩んでるんだ。それに比べたらさ」
好きな人がいる、というのはさすがに恥ずかしくて言わなかった。それでも、クローゼは少年にとって心を傾注する、大事な人物だ。そんな存在に対して未だ正直になりきれない。人と趣味では比べるものではないだろうか、励ましにはこういう捉え方があってもいいだろう。
実際、堂々と構えなければいけないのは変わらないし、とカイトは思う。
「……ありがとう。少し、元気がでてきたよ」
中途半端な励ましではあったが、その意図は汲んでくれたらしい。音楽好きの少年は少し意識した笑顔を見せて、こちらに礼を言ってくる。
「せっかく演奏を聞いてくれた人が応援してくれたんだし、もう少し練習していこうかな」
その言葉には、彼の友人たちも笑顔で頷く。
未だ悩みは晴れないだろうが、この場限りにおいては吹っ切れてくれたのだ。カイトは顔を崩して安堵して、彼らの演奏に耳を傾けつつ別れを告げる。
刻々と夕暮れは近づく。少し速くなる脚の回転。導力トラムまで急がなければならない。
「素敵な音楽と人だったな」
アリスが言った。彼女はまだ、時々振り返ってエリオットたちの様子を見ている。まだまだ聞き足りないようで、変に敬語を強めたりはするもその辺りは年頃らしいのかな、と感じた。
一方、カイトは彼女の言葉に相槌を打たなかった。
「……エレボニア帝国か」
赤みを増しつつある草の絨毯を目の端に捉えながら、少年は一言呟いた。
「カイトさん……?」
「……いや、なんでもないよ」
それでも物思いにふけているにしては、比較的しっかりとした声色を返してくる。意識的に思考に没頭していたのだ。それはそれで、少し失礼と捉えられるかもしれないが。
しかしアリスも、遊撃士とはいえ自分の私物探しを手伝ってくれている人を無下に扱うことはしなかった。大切な物を失くしたばかりで焦っていた自分を、的確に状況を整理することで落ち着かせてくれたのだ。捜索方針を掲げて、結果的に今私物発見に近づいているのも事実。
だが、ドライケルス広場に着いたときほどではないにせよ、あからさまに様子が変われば気にもする。そのことについては、少々不完全燃焼気味の少女だった。
結果、ほんの少しの間沈黙が続くことになる。結局口を開いたのは、サンクト地区へ向かう導力トラムが発進した後となった。
「……クロスベル自治州」
「えっ?」
「クロスベルって、どんな場所なの?」
少女は突然のことで無表情で目を瞬かせ、少年は言ってから少し唐突過ぎたかな、という感想を抱く。
クロスベル自治州の名を、少年は今日二回耳にしている。オスト地区を歩いていた時にアリスから一度。そして先ほどエリオットから一度。
気になってはいた。その名を聞いたときから、不思議な違和感があった。聞いてみた一番の理由は、今自分が巡らせている思考を断ち切るためだからなのだが。
「……クロスベル自治州というのは、東をカルバード共和国、西をエレボニア帝国に囲まれた、近代的な文化が栄える都市のことね」
突然の会話の切り替えに納得の行かないものがあったが、少女は律儀に答えていく。
その立地故に莫大な帝国・共和国資本が流れ、経済的な発展が成された金融都市。近代社会の転換と呼ばれる導力革命、それを軍事レベルから民間レベルに至るまで多くの分野で発展させてきた近代都市。それがクロスベル自治州なのだという。
「帝都を見ると圧倒される人は多いと思う。それと少し違うけど、沢山のビルがあったり導力車があったり、クロスベル市へ行くとビックリする人が多いのよ」
「へぇ……」
「他にも市の郊外には大きな病院があったり……優秀な遊撃士が多い、って有名なの」
近代的な都市と聞いて、少年はツァイスとルーレを思い浮かべる。この二ヶ所は導力技術、という括りでの発展系だが、今の少年が想像する近代のイメージはこれが限界だった。
そして意外な事を聞いた。考えてみれば、王国、帝国以外にも遊撃士協会が存在しているのは当たり前のことだ。優秀とは言うが、自分の知る先輩たちと比べてどれほどの実力を持っているのだろうか。
「じゃあ、アリスは最近までそのクロスベルに行っていたのか」
「うん」
珍しいものだ、自分やアリス程の年の人間が一人で外国へ赴くというのは。自分は外見はともかくとして、準遊撃士という職と身分があるから理由は分かる。だがアリスは日曜学校を卒業してから日が浅いだろう。まだ子どもの域を抜けることができない、そんな少女が外国へ向かうというのは考えにくい。
不思議な少女だと少年は考える。出身地からして帝都について詳しくないのは分かるが、それでも他国人であるカイトに対して立て板に水のように文化を説明してくれる。子どもであるのに、大人でも一苦労をする程の荷物を抱えて外国へ向かっている。そして言動の端々からは快活な人物像があるのに、それは遠慮したような言葉遣いの影に隠れてしまっている。
「なぁ、アリ」
「あ、着いたね」
声は遮られた。彼女は導力トラムがサンクト地区にたどり着いたことを告げた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
出しかけた声は、すぐさま引っ込めた。
自分がどうこう言うものではないだろう。エリオットの時と同じように。帝国のことならともかく、彼女自身のことを聞いて悪戯に人の領域に踏み込んでいいわけでもない。
それに声に出したとしても、今は言葉にならなかった。
「まあ兎にも角にも……ここで見つかるといいな」
「うん」
サンクト地区。トラムを降りたころには、日は完全に紅く染まっていた。
空気は少しばかり静かだった。他の地区と比べて人の波が少ないというのもあるが、地区の構造が一番の特徴だろう。オスト地区と比べて広い道幅、しかしヴァンクール大通りより通る数の少ない導力車。地区の所々にある、マーテル公園とは違った趣の芝生と草花。帝都駅前からの様子とは違う、建物の間が広いために感じられる流れる空気。
アルト通りのように落ち着く、しかし心を彩る安らぎを与えてくれるような空間だった。
「大聖堂があるね。……いやー、おっきーな」
建物の高さが比較的低いせいか遠くを見渡すことができ、すぐに大聖堂を捉えることができた。バルフレイム宮を眺めた時と全く同じ言葉を漏らす少年。少々みっともない姿である。
しかし巨大さを誇るのは事実だ。少なくとも、カイトが知る中で最も大きい、グランセル大聖堂を上回る大きさであることが伺える。さすがに教会総本山であると聞くアルテリア法国の大聖堂よりは小規模だろうが、それでも畏怖することを抑えきれない。
「はい。それと……」
アリスはカイトと違う場所へ顔を向けた。しかし少女も時間が迫っているのは理解しており、少年が具体的な疑問を向ける前に目線を前へと戻す。
「行きましょう、カイトさん」
「ああ」
さすがに大陸全土で信仰されている七耀教会だけあって、導力トラムからも向かいやすい立地にある。おかげで迷うことはなかったが、進めば進むほど荘厳さを感じられる。
大聖堂の正面に立って見えるのは幅の広い階段。家よりも王城・屋敷の大きさに匹敵する大扉。ここからでも、内部の礼拝堂の印象が分かる。
人は疎らながらも、導力トラムの近くよりは多くいた。黒色の同じ服と帽子――制服と言うべきだろうか――を身に纏った年若い少女たちや、年配の夫婦から年若い男女まで。訪れる目的は様々だろうが、その行動は誰も大聖堂から出るか、逆に入るかだ。
だからこそその人は、とても目立っていた。スーツ姿で、大扉前の踊り場をうろつく男性は。
「……見つけた、でいいよな?」
「はい、やっと……!」
ブティックで教えてもらった服装も、同じスーツ。今までたてた仮説からすると焦っている様子も関係がありそうだ。そして何より、その手に持たれた銀色のアタッシュケースと袋が決定的だった。
少年少女は近づいてみる。階段を一歩一歩上る度、彼の容姿が把握できる。
「すみません」
「……ん? お、俺に何か用かいっ?」
カイトの声掛けに、男性は反応した。アガットと同じくらいであろう年頃の彼は、声からして既に焦っているようだった。
「申し訳ないけど、少しばかり忙しくてね、他を当たってくれると助かるというか……」
「いえ。実は、貴方にお話ししたいことがあったんです」
アリスの言葉に、腕の動きは収まらないものの足だけは止まる。
「その袋……クロスベル市、中央広場の百貨店で購入されたもので間違いありませんか?」
「なっ……君、どうしてそれがわかったんだい!?」
「やっぱり。実は、その袋が私の袋と取り違えてあるかもしれないんです」
事情を説明する。ブティックでの調査結果を中心に、アリス自身の状況も同時に伝えた。
アリスは、今自分が持っている袋から箱を取り出す。包装紙は控えめだが気品が感じられる銀色のデザイン。
「こちらの袋の中にはこの箱が入っていました。中はまだ明けていませんが……恐らく装飾品の類です。貴方が購入されたものではないでしょうか?」
「あ! そ、それは……!」
彼は片方の手に持っていたアタッシュケースを地面に置いて、代わりにもう片方の手に持っていた、アリスの物と同様のデザインの袋を注視する。そして、やはり焦りの見える手つきでそれを確認した。
中身はやはり箱であったが、装飾品が入っているらしいそれとは大きさが少しばかり違っている。そして一番違うのは箱に直接塗られているデザイン、つまりはキャラクターだった。灰色の体に大きなしっぽ、肉球のある手足、愛嬌があるが何処かやる気の無さそうな顔つき。それらは全てデフォルメされており、マスコットのようだ。
「これは『みっしぃ』じゃないか! と言うことは、君が持っているのは俺の……?」
「やっぱり……私たちの荷物は入れ替わっていたようですね」
三度飛び出た言葉『みっしぃ』。その正体はマスコットキャラクターだったらしいが、今注目すべきはそこではなかった。
色々咲く話題もあるだろう。それでも今はほっとできる。ようやく、互いの荷物が本来の持ち主の手へと還ったのだから。