「改めて、二人ともありがとう! ぼくはラッド。帝都出身なんだ」
きっかり一分かけて、男性ラッドとアリスは自分の荷物を確認した。今度こそ完全に自分たちの荷物だと分かった後は、二人揃って息を吐き切っていた。
「当たり前のことをしただけですよ。二人の荷物が戻ってよかったです!」
カイト自身は、あまり劇的な手伝いをさせてもらったという認識はなかった。けれど遊撃士として人の笑顔を見ることができたのだから、こちらも嬉しいというものだ。また帝都を周る道中でそれなりに本筋の調査もできたことだし、またいくつか帝都の名所を回ることができたのも、守るべき場所を周る遊撃士としては有意義な時間だっただろう。
そんな経緯を経た三人なのだから、多少は口数が多くなるものだ。
「エリオットさんたちに話を聞けたのも、運が良かったですね」
「そっか、エリオットたちに俺のことを聞いたのか。あいつら、ちゃんと思い通りに弾けてんのかなあ……」
「オレとアリスが聞いた時は躓いていても最終的に吹っ切れていたみたいですよ。素人目にはすごく良い音色だったし」
「そっか、ありがとう。……それにしても、お嬢さんも自治州へ行っていたとは、奇遇だね」
「はい。私は家族に会いに行っていたんですけど……ラッドさんはどうされたのですか?」
アリスが言う。カイトが新しく聞いた事実に耳を傾ける中、ラッドはふむふむと相槌を打っている。
「へぇ、珍しいものだね。俺は出張で無効に何日か滞在していたんだ。それで帰りに百貨店でちょっとした物を……正にこれを、買ったんだよ」
と、先程までカイトが預かっていた袋を恥ずかしげに挙げて見せる。
中身が何であるかを当てたのはアリスだった。彼女は興味深げに観察してから、ラッドに尋ねてみる。
「それはもしかして、大切な方への贈り物とか……ですか?」
「へぇ?」
「ギクゥッ!」
アリスの言葉は、即座に青年の表情を石化させる。その後は火傷でも起こしたのかと錯覚させるほど顔を赤くさせてくる。
「……そうなんだ。実はクロスベルから帰ったら恋人と会う約束をしていてね。い、今から大聖堂の中で待ち合わせているんだ。少し早く着いたから落ち着こうとしていたんだけど」
ということは、アリスの言った通り装飾品はいい人へ贈るものということだ。照れるのも無理はないだろう。
「クロスベル製の珍しいデザインだったから、少しは喜んでもらえるかなと思って。だから、本当に君たちには感謝の気持ちでいっぱいだよ」
「それは、こちらとしても嬉しい限りです。でもラッドさん、それなら早く行かないとだめですよ?」
「え?」
「恋人さんに、少しでも早く想いを届けてあげないと」
特にラッドが時間に遅れているという訳ではないだろうが、待ち合わせの時間がもうすぐである以上ラッドの恋人が一足先に礼拝堂内にいる可能性は高い。
ラッドは覚悟を決めたらしい。一度落とした目線を再び持ち上げると、今度は頼もしげな青年の顔が少年少女の目に写る。
「そうだね。君たちには申し訳ないけど、俺はそろそろ行くよ」
「頑張ってください、ラッドさん」
「ご健闘を祈っていますね」
ラッドは大聖堂内へ入る。日の入りには、もう少しだけ時間がありそうだった。
今日は帝都を大規模に走り回った一日だった。
「さぁーて、これで依頼も終わったかぁ。名残惜しいけどそろそろオレたちもお別れ……あり?」
振り返ってみて、そこにアリスはいなかった。というか、いるにはいた。カイトから離れ、より大聖堂の大扉に近い場所にだが。
「アリス? もしかして……」
そして一度閉じた大扉を再び開けた。人気が少なくなて来たことをいいことに、ご丁寧にあからさまに怪しく、扉を小さく開けて瞳だけを覗かせるようにだ。
「んなっ!」
急いで近寄り、彼女に忠告。もちろん、周囲には聞こえないようできる限り小声でだ。
「な、何やってんだ!?」
「え?」
「え? じゃなくて、何やってんだって」
「えっと……これも縁だからラッドさんを見届けようかなって」
案の定の返答だった。エステルやアネラス、クローゼに限らず、この年頃の少女は事第三者の恋愛において、同じような行動をとるらしい。
「……はぁ。ラッドさんと恋人さんに気づかれないこと。それと、周りにも迷惑をかけないようにな」
「ふふ、ありがとう」
ため息もつきつつ、カイトもまた全く気になっていないというわけでもない。結局二人は、揃って仲良く礼拝堂の中を覗くことになった。シスターに見つかったらつまみ出されそうな、女神に失礼な蛮行だった。
『リリア! 久しぶりだね』
『ラッド! どうだったの、外国は?』
礼拝堂内の広さも相まって、人気は少なく感じられた。しかし、それでも少年少女に声が聞こえるような位置に、年若い青年淑女が腰かけている。
『うん。帝国とはまた違った文化があって、面白かったよ。そうそうリリア、君に渡すものが――』
女神の膝下にて、しばしの平和な時間が続く。
――――
すっかり日も暮れた夜。サンクト地区、幅の広い道路の脇を歩きながら、少年と少女は語り合う。
「ラッドさん、ちゃんと贈り物を渡せてよかった……」
「そりゃ、渡せるだろうさ。別にオレたちが見守らなくても、大人の人なんだからちゃんと話せるって……」
ホクホク顔のアリス。対してカイトの顔は、いくらか呆れ気味だ。依頼者の行く末を見れたことは安心だが、少々踏み込み過ぎた感も否めない気がする。
「まあ、結果オーライってことでいいか」
「ふふ……その通り、かな」
「結局、アリスの持ち物だったそれは何だったの?」
「『みっしぃ壁掛け時計』、クロスベルで有名なマスコットキャラクターをモチーフにしたものなの。……弟に、貰ったのよ」
導力トラムに向けて歩く。時間は六時に迫り、アリスの終電の時間も近い。またカイト自身も、そろそろ先輩たちと合流するべき頃あいだ。
歩く中で、カイトは考える。
人の恋模様を見て少しばかり元気はもらった。その後に考えるのは、『自分はどうするのか』と言うことだった。
ラッドとリリア。自分とクローゼは、もちろん年齢も関係も状況も違う。けれど、触発されたせいか考えは巡るのだ。ラッドが恋人に無事贈り物を届けたというのに、自分はクローゼに対して未だ何もできていないのだ。
自分の懐が浅いから禍根を生んでしまったのか。それともクローゼの思慮の少なさが軋轢を生んでしまったのか。人との触れ合いでは時にどちらかが間違いを犯してしまうこともある。しかし時に、それが事恋愛に置いては、どちらも悪くないのにわだかまりを生んでしまうことがある。
今の二人の関係が、まさにそれだった。どちらに『罪』があるなどということはない。しかし善悪もなく『原因』と言う視点から見れば、どちらもその状況を作り出してしまった張本人に他ならない。
しかし、そんな中でもカイトの想いは一つ決まっている。どちらが悪いということはなくても、姉に対して誤りたいということだ。
クローゼは悪くない。またヨシュアなど(天然と言う意味ではある種の罪なのかもしれないが)誠実を地で行く人間だ。そもそもクローゼの恋心は本人とヨシュアの出来事だから、自分がどうこう出来ることではない。
(あとは……あんな中途半端な告白をしちゃったのも、後悔しているのかな)
じっくりと己の心に問いかけると浮かんでくる。結果はどうあれ、自分がしたい伝え方をできなかったことが。自分の本心を伝えるのではなく、逆に怒っているような態度をとってしまったことが、考えるほどに悔やまれる。
思い至るのはいつでも姉のことだ。結局自分は、姉の悲しい顔を見たくないのだ。ひょっとしたら、自分のことについて嘆く以上に。
(いつの間にか……ちょっとは大人らしい考え方ができるようになったんだな)
そんな自分にほっと息を吐く。元はアリスに行ったように意地悪な元先輩……カシウスの差し金によりクローゼから離れて思考を巡らせることがわけだが、非常に悔しいことに彼の思惑通りになったのかもしれなかった。もし彼が自分のクローゼに対する気持ちまで把握していたらの話だが。
その思考を巡らせる場所が帝国と言うのも、これまた癪に障る話ではあるが。
「……あ」
「ん?」
カイトに合わせてしばらく黙っていたアリスが、唐突に息を吐いた。それに気づいて顔を上げた少年は、ようやく導力トラム付近まで来たことを知る。
しかし、アリスの顔は導力トラムに向けられているわけではない。少女の顔は、今二人が立っている場所から見える、緩い坂道の上の大きな建物に向けられていた。
「アリス……?」
「聖アストライア女学院……」
ぽつりと呟かれた名前を、カイトは反芻する。
同時に、アリスの何気ない行動を思い出した。頭の中で再生するそれは、つい先ほど導力トラムでサンクト地区に到着した時だった。その時、少女は確かこの場で帝都大聖堂でない別の場所へ視線を巡らせていたのだ。
「もしかして……さっきもあれをみてたの?」
「……うん」
少女は静かに頷いて、静かにカイトを見つめた。
「もう少しだけ、女学院に近づいていい? すぐに戻るから」
いつになく切実な彼女の問いに、少年はまっすぐ首を縦に振った。
建物に近づくにつれて、その全容が分かって来る。夜のせいか所々ある室内から明かりが漏れていて、周囲の空間を暗すぎない程度にとどめている。正面の門は鉄格子の厳重な整備。周囲は簡単には侵入出来ないような高い塀。ちょっとした何々、で終わるような施設ではないらしい。
「女学院、っていったか。女生徒だけで男子はいないっていうけど……オレはここにいていいのかな」
「ふふ。私がいるから、大丈夫よ」
名前から察するに、帝国における高貴な家柄の人間が入るらしい。それが貴族だけを指すのか、平民や留学生も受け入れているのかはカイトにはわからない。実際のところは後者なのだが、どちらにしてもカイトは位の高い人間が近くにいるというこの状況にいまいち安穏としていられなかった。
アリスは未だ、食い入るようにその場所を見つめている。これだけ注視しているということは。この場所は帝国に住む人間にはそれなりに有名な場所らしい。それとも知り合いが通っているのか、あるいは……
「高等教育に、興味があるんだ?」
カイトの質問に、少女は頷いた。返ってきた言葉は、質問全てを肯定するようなものではないが。
「ここに憧れているの。と言っても、入学したくても入れない可能性が殆どだけど」
「そっか。女の子なら、お嬢様学校も憧れるものなのか」
「一番の理由は、近々アルフィン殿下……ユーゲント皇帝陛下の愛娘がご入学されるから、かな」
へぇ、と、カイトが唸る。
「天使のように愛らしいって有名なの。私なんかが近くにいれるなんて思わないけど、少し憧れているの」
「だったら、入れるといいな」
「え?」
「由緒ある家柄の方が入りやすいのはわかるけど、それ以外の人も入れないわけじゃないんだろ? だったら、頑張ってみようぜ」
自嘲気味に吐かれた言葉には、まずは前向きな言葉をかけてみる。話の内容からして、エリオットに近い悩みだ。少なからず彼を励ましてきた少女なのだから、その本人が前向きに考えなくてどうするというのだろうか。
「……そうね。ありがとう、カイトさん」
アリスは静かに、礼を言った。
その後満足したらしいアリスと共に、今日何度目になるか分からない導力トラムに乗り込んだ。アリスは鉄道を使ってラマール州の実家へ。カイトも先輩二人と合流するために駅前広場に向かわなくてはならない。そこが、思いの他長くなった二人の旅の別れの場所というわけだ。
他愛もない話をしていると、午前や昼間より疲れていたためか思ったより早く目的の場所につく。
夜、鉄道の発射も残り数本と言う時間帯なのに、まだまだ人の波が絶えない。しかしジンとアネラスはまだ姿を見せていないようだった。
「うーん、まだ調査してるのかな。まあ、いいや」
「そろそろ、お別れですね」
カイトが持っていたアリスの荷物は、もう少女の肩に背負われている。帝都駅を背に向けてカイトに向かい合い、佇まいを整える彼女は、感謝と同時に多少の謝罪も述べてくる。
「すいません……突然のことだったのに、何から何まで手伝っていただいて」
「あはは、何度も言うけど、いいんだよ。仕事柄、そんなことは日常茶飯事だからな」
格好を付ければ遊撃士は正義の味方だ。確かに仕事である以上報酬を受け取るのは当然ではあるが、困り顔を浮べる少女からミラを巻き上げるようなことはしない。
それに、元々帝国には本筋の調査のために来たので、突発的な依頼に対して報酬を期待してはいなかった。
「それなら……せめて、これを受け取っていただける?」
「これは?」
いつの間に用意していたのか、少女は手に持つそれを見せてきた。
受け取ったのは、鞄などにつけるキーホルダーだった。肝心のデザインは、今日学んだばかりのクロスベルのみっしぃである。
「いいのか?」
「本当なら、こんな物じゃ足りないくらいだから。近いうちでもしばらく後でも、帝国に来た時、是非私の街……『イステット』に寄って。歓迎させてもらうから」
「そっか。それじゃ、忘れないようにもらっておこうかな」
快く受け取って、カイトは感謝する。
アリスは一歩下がる。もう時間らしい。
「本当にありがとう! カイトさんに女神の加護があらんことを」
「アリスもな!」
菫髪の少女は、そうやって帝都駅の中へ消えて行った。
「……みっしぃキーホルダー、か」
右手にあるそれを、目線の高さまで上げてみる。
取り敢えず、盛大に疲れた、と言うのが第一の感想だった。
「一先ず、戦術オーブメントにでもつけようかな」
と、何気なく呟いた矢先。依頼達成の余韻に浸っていた少年は、急激に現実に引き戻されることになる。
「やっっほぉー! カイトくーん!」
「へぶしぃ!?」
呑気な言葉を述べた所で、後ろから盛大にどつかれる。思わず周囲の人々が振り向くほどの嗚咽を漏らしてしまうが、そんな事よりカイトは自分を叩いたその人物に驚きを隠せなかった。
「あ、アネラスさんッ!! 今まで隠れていたんですか!?」
「ようカイト。お疲れ様だな」
「ジンさんまでっ!」
カイトはアリスといた時、本気で二人の姿を見つけられていなかった。その二人が急にカイトの目の前に現れていたというのだから、カイトは瞬時に確信したのだ。つまり、十中八九気配を絶っていたことを。
ジンが頭をかきながら、困り顔で言ってくる。
「まあ、なんだ。本当はお前さんより少し前についてたんだよ。だがお嬢さんと何やら話していたからな。少し、様子を見てたというわけだ」
「だからって、気配を絶たなくてもいいでしょうに……」
「すまんな。あまりにもアネラスが勧めてくるものだからな」
「やっぱりか……」
じろりと、半眼でアネラスを睨む。しかしながらアネラスは、満面の笑みで返してくるだけだ。
「だってカイト君、マーテル公園でもあの子と歩いていたもんね? 名前、なんていうの?」
「ああ、アリスっていうんですけど……って見ていたんですか!? 何で声かけてくれなかったの!?」
いまいち話が進まないが、一応どういう状態なのかは理解できた。アネラスは確実に自分をからかってきている。
「いやー、何かの依頼なんだろうけど、随分楽しそうに歩いていたからさ。私安心しちゃったよー」
「まったく、姉さんのこと知っているのに何を遊んでいるんですか」
アネラスとカイト、二人の若者が俗っぽい話を続けている一方で、ジンはこれに限っては中々話に混じれなかった。言葉の端々から少しずつ可能性を察して「ほぉ……」と顎をさする程度だ。
「でも、可愛い女の子だったね?」
可愛いもの好きの先輩は、どうあがいてもアリスの話を聞きたいようだった。といってもティータを愛でる時とは違い、その興味の対象が少年少女の関係性に向かっているらしいが。
当のカイトは、焦りも照れもなく、至極無表情で言ってのける。
「別に、そんなんじゃないですよ」
世間一般から見て可愛らしいのは認めるが。そもそも姉や帝国の事で頭がいっぱいなのに、新しい人間関係に注視できるというものでもない。少なくとも自分は、迷いがある時他の事に心から気を向けることができるわけではなかった。実際、今日の依頼の中でも別のことに気を取られてばかりだった。
誰がというわけでも自然と歩き始めた一行。宿を探すべく動く中、ぶっきらぼうに前を向く少年がぽつりと呟く。
「ただ……ちょっと思ったこともありますけどね」
その声は二人の耳に届くことはなかった。
わかったことがあったのだ。感じたことが、思ったことがあったのだ。
そう、今更ながらわかったことがあるのだ、エリオットの音楽の話を聞いて。
何故エリオットが悩んでいるかを理解することができたのか。それは少年自身己の中に晴らしたくても簡単に晴らせない雲が存在しているからだった。
先程、喫茶店でも反芻した一つの想い。それはカイトが今も驚き、考えていることでもある。
カイトにとって帝国というのは、大事な両親を奪った憎き仇。理屈では戦争で仕方のないことだと、過ぎてしまったことだとわかっていても、この間まで憎悪の感情は変わらなかった。
しかし帝国へ来て、カイトの中の帝国の印象は百八十度……とはいかなくともそれに迫るほど変化した。
変わらないと思った。リベールと何も。
もちろん地理や文化に国の規模はまるで違うし、未だ理解のできない貴族制度というものがあるのも事実。
しかしそれを一先ず於いて、リベール国民というより遊撃士の視点で守るべき市民を見たとき、彼らは一体何を遊撃士に求めたのか。
遊撃士が嫌われている時期ではある。それでも確かに、軍ではない民間組織を頼ってくれる人々がいた。
質実剛健という国風はある。それでも確かに、誰かを守る大人がいて、大切な人を慕う人がいて、求める道を目指して青春を過ごす若者がいた。
『国』は確かに違うだろう。先導者の意向によっては、それこそ戦争だって起こってしまうだろう。それはカイトも許すつもりはない。
それでもそこに住む『人』は、何も変わらない。立場や力に苦悩し、日々を過ごす人間はどこにいても同じだった。
今帝国と王国の過去の戦に苦悩して、大事な姉とのすれ違いに悩んで、それでも沢山の人に支えられて、日々を過ごしている自分と同じだった。
エリオットは、自分の進路について悩んでいる。
自分と何が変わるというのだろうか。人との触れ合いをどのようにしていこうかと、行く道の在り方に悩む自分と、何が違うのだというのか。
いや、変わらない。本質的な部分で、何も変わらない。
「……今日は、疲れたな」
再び、ぽつりと呟く。
緋色の帝都は、夜になってもその威光を放ち続けている。
「ま、一先ず宿を探すとしよう。各々報告は、その後でいいだろう」
ジンの言葉に頷いて、賑やかな空気を少し穏やかなものに変えた三人。少年はもう一度だけ、帝都の大広場を振り返る。
夜の雰囲気。人が少しずつ、疎らとなっている時間帯。
夜の帝都。夜のグランセル。色調は違う。国風も違う。そして人さえも違う。でも……
「違うと決めつけていたのは、オレの方だったのかな」
――――
帝都での一日目の活動を終え、三人は宿につく。各々食事をとってから、それぞれの活動について報告する。カイトはアリスとの依頼も報告しつつ、少なくない地区を周ったことで得た情報や印象も伝える。アネラスは東区を中心に、ジンは東西の協会支部と西区を中心に回っていたのだという。
やはり協力的な人間は少なく、聞き込みをした数に比べ情報の種類は限りなく少なかったらしい。しかしそれでもA級遊撃士であるジンがいたこともあり、いくつかの情報を推測できるには至った。
「やっぱり、帝都襲撃の全容を調べるうえで鍵になるのは、『帝都地下道』の存在だろうな」
報告後。宿の一階にある簡易食堂で、ジンは紅茶をすすりながらそう言った。
雷のように突然の破壊をもたらしては陽炎のように消えて行った、神出鬼没のジェスター猟兵団。一般人に紛れていたという者もいるだろうが、爆薬を中心とした殺傷物を使用しているから、人の目につく場所で作業をしない方が当然いいはずだ。
帝都地下道は魔獣も徘徊しているため通常人はいない。それに道と言う閉鎖空間から拠点防衛も行いやすく、戦闘に長けた人員さえあれば、長期の潜伏も不可能ではないだろう。
また地下道がないルーレでは、いち早く領邦軍との戦闘が始まっているのだ。
「王都グランセルにも地下道はある。しかもあそこはグランセル城にも繋がる要所……猟兵団でも犯罪組織でもいい。攻撃・防衛拠点にも潜伏場所にもなる地下道は、うってつけの場所というわけだ」
「……やっぱり、地下道の探索は必要ですね」
アネラスが加える。
「そうだね。それにツァイス・ルーアン間のカルデア隧道や鍾乳洞も似たような条件だね。案外、結社の手先がいたりするかも……」
笑えない冗談だった。しかし、アネラスの言葉を聞いてカイトは一つ、思い出す。
「そういえば、気になることを聞いたんですけど」
中古屋エムロッドの老婦人が教えてくれたこと。それは遊撃士の活動が縮小されたにも関わらず、その前後での地下水道の魔獣被害数が殆ど変わっていないことであった。
仮に他支部からの遊撃士がわざわざやってきて、少なくないであろう手配魔獣を頻繁に倒している、と言うのであれば問題ない。問題は、遊撃士の活動の痕跡がなく、なおかつ帝都を守護する憲兵隊の活動すらないと仮定した場合だった。
「確かにそれはあったなあ。今更依頼もないし魔獣もいないのに、どうして遊撃士が動いているの、なんて聞かれたこともあったし」
「右に同じだ。特に俺の風貌は武術家そのものだから、その疑問を持たれることも多くてなますます地下水道に行く理由が増えたってことだ」
気持ちを新たに、一同は夜を明かした。朝早くから三人は起床し、まずは帝都庁に足を運ばせる。
導力トラムから見える早朝の帝都は、幾分人の数も少なかった。と言ってもそれは白昼の帝都駅前やドライケルス広場と比べた場合であって、故郷の都市と比較してしまえばそれが霞むほどに賑わっていることに変わりはない。
街並み、その雰囲気は今まで少年が見てきた都市とはまた違っていた。ルーアンなどでは朝焼けの景色と言うものは僅かな壮麗さが垣間見えたものだが、帝都は壮麗と言うより荘厳という表現が適切に思えてくる。
ジンは説明する。その理由は恐らく、導力車や導力トラムの多さによる人の息遣いの明確さなのだと。
「リベールには街の中を導力車が走るってことはめったにないだろうからな。逆に共和国の首都は宮殿がないとはいえ、導力車が普及しているからか似たような騒がしさだぜ」
導力トラムが止まる。いくつかトラムを乗り継いで、マーテル公園やサンクト地区、アルト通りなどを経てオスト地区に降りる。
探すのは地下道へ続く扉だ。どうやら地下道はある程度帝都庁が管理しているらしく、その各地区各所にある扉の多くは当たり前のように鍵がかかっていた。
「事前に目星を付いておいてよかったぜ。おかげで早朝から探索することができるからな」
「はい、やっぱりジンさん様々ですね。オレは各地区を周ったけど、それほど細かくは調べなかったし」
しかしオスト地区の一角、中古屋エムロッドを取り過ぎた人気のない場所。ここは偶然にも鍵がかかっていなかったのだ。
「武術の心得があるとはいえ、今の帝国の人から見れば私たちはただの人だもんね。簡単に地下道の鍵がもらえるとも限らないし、多少の小言は覚悟で言った方が確実に調べられる」
わざわざ帝都庁で正規の手続きを踏まなかったのは、本音は面倒くさかったからに他ならない。が、目的は果たしてしまった者勝ちである。
「多少はいいと思いますけどね。オレたちはお邪魔虫なんですから。でも遊撃士なんだし、それで出来ることは好き勝手やっていきましょう」
そこについては三人の意見が一致していた。
地下道に入る。導力灯による明かりのおかげで周囲三十アージュ程は見渡せるが、重々しい空気が息を詰まらせる。物理的な空気の流れは、堀を流れる水流によって冷えているのか少しばかり寒気もあった。
加えて帝都全土に網状に拡がる地下道だ。想像以上に広い。
「しかしまあ、時間だけはそれなりにある。レグラムには今日の夜までにつければいいから、出来ることを確実にこなしていくとしよう」
「はい」
「了解です!」
カイト、アネラスがそれぞれ声を上げる。帝都地下道探索が始まった。
ジンが先頭を歩きつつ、後輩二人が後ろを続く。多少の世間話を広げつつ、三人は周囲を警戒し始めた。
「それにしても、どんな成果が上げられるかなー」
「そうですね……三か月前の事件もそうですし、昨日の襲撃の件も心配ですけど」
「それもそうだし、カイト君にとって重要なのはアリスちゃんの――」
「まだその話ですかっ!? アネラスさんも大概ですねっ!」
わーわーと始まる会話劇には、ジンも苦笑するしかない。
(にしても、カイトの雰囲気が少しばかり変わったな)
そんなことを思う。本人は否定しているようだが、昨日の一人行動で何かしらの出来事があったらしい。そのせいか、少しばかり少年の顔から憑き物が取れたように感じられるのだ。
アネラス曰く義姉の姫殿下とも一騒動あったらしいが、少年がここに来ることで思いつめていたことは帝国人との確執に他ならない。帝国人らしい少女と共に過ごすことで、帝国に対する心の鎖が少しばかりとれたようだ。
「良かったな、カイト」
小さく呟く。少年が成長しつつある今。ここからが、新しい意味での帝国調査の開始だった。