夕暮れ。太陽は少しずつ地平線へと向かい始め、刻々と大地を赤く染めていく。
胸に秘めた決意は違えど、子供たちを元気づけようという想いは変わらない。そんな四人は現在学園が授業中のため、まずは学長室へ向かった。
コリンズ学長は多くの若者が集う学園の長にふさわしく、とても寛大な性格と優しい瞳を持っていた。そしてその印象に違わず、学園祭までの間ブライト姉弟が学園に泊り込む許可を出した。
その後、四人は原因となった人物のもとへと向かう。場所は生徒会室。
「んで、あの件どうすんだよ!」
「それは……あんたがなんとかしなさいよ!」
「いや、どう考えてもそれはおかしい! 想像してみろよ!」
「それは……おぞましい、わね」
部屋に入るなり聞こえてきたのは、男女の会話。入ってきたものを寄せ付けない雰囲気が漂っていた。
「ジル、ハンス君」
クローゼの声を聞いた瞬間、眼鏡に長髪を後ろにまとめた少女はぱっと振り向く。
「おかえりクローゼ! それとカイト君じゃない! 久しぶりー!」
「ただいま、二人とも」
「どもっす、ジルさん、ハンスさん」
「よ! しばらくぶりだな」
短い髪を程よく整えた、気さくそうな少年は、手を上げて彼らに応える。
ジェニス王立学園の生徒会会長である女子生徒、ジル。そして副会長である男子生徒、ハンスだ。
学園には殆ど足を踏み入れたことのないカイトだが、この二人は何度か孤児院に遊びに来ていたため、面識があった。
「聞いたぜ。ちびっ子たちは大丈夫だったのか?」
「うん。みんな無事だったわ」
「そっか、良かった。クローゼ、あんたはしっかりしなさいよ? カイト君も辛いだろうけど、面倒を見てやってね」
「もちろんですっ」
学園の生徒でも、外出の際にマノリア村を訪れる者もいる。その通りに孤児院は建てられているため、その存在を知らない者はごく少数だ。事情を知った者は誰もがこの事件を憂いている。それが、クローゼとカイトは嬉しかった。
「ところで……この人たちは?」
やがて、ジルは置いてきぼりになっていたブライト姉弟を見て口を開いた。
ーーーー
夕暮れの街道を、速足で歩く少年が一人。
ジルとハンス、エステルとヨシュアの四人は、カイトの予想通りあっという間に打ち解けた。学園祭まで学生寮に泊まることになったブライト姉弟は、相部屋となる者同士親睦を深めようとする。
しかし、ヨシュアとジルが黙ってはいなかった。ジルは自らの目的を遂行するため、そしてヨシュアは自らの不安を解くために学園祭の演劇について話し合ったのだが……。
「ヨシュア、可哀想だなあ」
蓋を開けてみれば、それは黒髪の美少年にとって拷問でしかないものだった。
劇自体は、リベールに貴族制度が残っていた頃の王都を舞台にした真っ当な演目だ。平民の騎士オスカーと貴族の騎士ユリウス、そして王家の姫君セシリア。貴族と平民の勢力争いと、三人を主役とした恋模様を描く物語、『白き花のマドリガル』。
問題は、その配役であった。いったい誰が、男女逆転劇なんてものを思い付いたのだろうか。
誰の目から見ても美少年であるヨシュアは、その花のように美しいセシリア姫を演じることになったのだ。
「まさかあそこまで美少女に変身するとは……」
カイトは今回ばかりは、一瞬でも彼らと一緒に遊撃士の仕事をしたいと思ったことを訂正するのであった。
少年は自分が中性的な容姿であることを少し気にしている。一言でも先程の気持ちを口にすれば、眼鏡の奥に狸の心を宿した生徒会長が、これ幸いと姫君の役目をやらせようと策を練っていたことは、今はまだ誰も知らないことである。
カイトは、知らぬ間にヨシュアに助けられていたのだった。
ともあれ三人を見送った少年は、日が降りかけの暗い地面を歩いて帰路についていた。学園祭での彼らの奮闘を応援しつつ、それまではカイトも自分の日常に戻る頃合いだった。
とはいえ彼は事件の被害者であり、中心人物だ。そうすぐに元通りになれるわけではなかった。
少年は今の家であるマノリア村には帰らず、マーシア孤児院跡地に向かう。
テレサ院長が育てたハーブ畑があるため、孤児院の周りは木々が生えずに開いた地形になっている。しかしその畑も今は無惨に踏み荒らされていて、涼やかな風景に慣れた少年にとっては、何年も雨が降らない荒野にしか感じられなかった。
なにより今は何もない。孤児院だったその木や鉄の柱や破片は、物憂げにその場所にあるだけだ。
「何で……だよ」
「カイト」
口を動かしたその瞬間、優しい声がかけられる。完全に夜と言える暗さのため、すぐ近くに来るまでテレサ院長がいることに気がつかなかった。
カイトは思わず言いかけた言葉を引っ込める。
「先生、いたんだ。……クラムたちは?」
「先に食事をいただいて、寝てる子もいるわ。みんな疲れているからね」
まだ、火事が起きてから一日も経ってない。小さな子供たちは心身ともに疲れが溜まっているだろう。
「あなたも早く休んでね。今日は色々あったでしょう」
「それは、先生もだよ」
テレサは孤児院の母として、今も強く自分を保っている。それは彼女の務めではあるけれど、彼女もまた思い出の場所を傷つけられた被害者だ。
「……先生」
「なに、カイト?」
「市長の話、どうするの?」
無言のまましばらく辺りを眺めた後、カイトはテレサ院長に問いかける。
現状帰る場所のない彼らにとって、市長の別荘に住むことができるのはとても嬉しい話だ。金銭の問題も見事に解決していて、待遇も良いものだった。
「あなたはみんなのお兄さんとして頑張っている。けど今は、正直に言ってごらんなさい?」
「本当は、嫌だ」
一度王都に行ってしまえば、長い間ルーアンに戻ってはこれないだろう。まして、この場所に孤児院を立て直すことは難しい。
そうすれば、テレサ院長とその夫ジョセフと過ごした日々も、暖かいベッドの温もりも、クローゼや子供たちと遊び尽くした思い出も。全てが消えてしまいそうで、少年は怖かった。
「そうね、ここには沢山の思い出が詰まってる。けど、みんなのために今を生きることが大事だわ」
マノリア村の人たちにも、迷惑をかけるわけにはいかなかった。
「近いうちに、正式に決めます。あなたは変わらずに過ごして。子供たちとも、遊撃士協会の人たちとも」
「うん……」
二人は、マノリア村に向かって歩き出す。
「先生」
「いいのよ、今は泣いても」
「……ごめんっ、先生……」
流れる涙を抑えきれなかった。テレサ院長に体を預けると、少年は我慢していた嗚咽をもらす。ずっと一緒にいた第二の母に、弱さを見せる。
けど、それは今だけだ。明日からは、泣かない。少年はそう思う。
自分ーーカイト・レグメントは、孤児院の明るい兄貴分だから。
ーーーー
「おはようございます!」
「お、来たんだね」
受け付けの仕事の忙しさも最終局面を迎える学園祭数日前。ジャンは朝早くから遊撃士協会にやって来たカイトに明るい声をかける。
「その後、孤児院のみんなはどうだい」
「みんなちょっとずつ元気になってきてます。学園祭もあるし、大丈夫ですよ!」
放火事件が起こりクラムが暴走し、ブライト姉弟がクローゼの依頼を受けてから三日がたった。
この二日間はずっと子供たちと一緒にいた。兄貴分として、少なくない傷を心に負った彼らと一緒に元気になるために。
しかし、案外少年の役目はなさそうだった。クラムもあの暴走を経て、どこか成長している感がある。少し大人びた小さな帽子の少年は、他の子供たちを元気づけていたのだ。
ともあれ数日の休養を経て、カイトの気持ちは前進している。自分も、少しは自分の事を考えるべきだと思ったのだ。
「ジャンさん。多分オレは、近いうちに王都に行くと思います」
カイトの言葉をを聞いたジャンは、そこで笑顔を潜める。
「……そう、か。テレサさんはもう決めたんだね。市長の提案を受け入れるのか」
「実質それがベストですから」
淡々と言葉を並べるカイトだが、それも終えて呟くような声で言った。
「……遊撃士の試験は王都で受けます。しばらくは、ルーアンにも戻れないかな」
「そうか。寂しくなるね」
ジャンは、カイトに出会ってから初めての感情を表した。
ルーアン支部の人々にとって、少年に世話を焼かなかった人はいない。注意をし、時に声を張り、そして遊撃士の生きざまを見せてきたのだ。いつか彼が立派な若者となって、このルーアンから旅立つことを期待して。
決して今生の別れというわけではない。だからこそ生まれた、ジャンの寂しいという気持ちだった。
「ま、すぐに正遊撃士になってリベールを飛び回ってやりますよ!」
また会える。だから少年はにこやかな顔をした。
「さ、ジャンさん。オレにも仕事をください! 掃除、受け付け、そして依頼も何でもごされだ!」
「はははっ」
もちろんカイトは依頼をこなせる立場ではない。いつも通りにしようという心意気の結果だった。
「じゃあ、今日はこれをやってもらおうかな」
けれど、ジャンは何故かいつもと違う行動に出た。立ち上がると受け付けのカウンターから出て、遊撃士が確認するはずの依頼掲示板に手をかざした。
「これを見てごらん、カイト」
少し雰囲気の違うジャンに戸惑いつつも、依頼の整理かなと予想しながらカイトも示された貼り紙に目を向ける。
「店の利用客に対する印象調査……?」
『店が、利用客に対してどのような感想を持たれているのかの調査をしたいと思います。詳しくは、オニール免税店のオニールまで』
貼り紙にはそう書かれていた。それが何を指しているのかを、普段から遊撃士協会に出入りしていたカイトは分からないはずがない。真っ先に驚くと、ぎこちない声でジャンの意図を探った。
「ジャンさん……これって依頼じゃ?」
「そうだね。依頼だね」
ジャンは平然とした様子で答える。
カイトは遊撃士ではない。依頼を受けようとしてもそれを止められる毎日を送ってきた少年だ。嬉しいを通り越して小さな激情が生まれてしまい、ついに直接問いただす。
「どうしたんですか。オレは依頼を受けたくても受けれない。そういう規則のはずじゃ?」
「確かに、僕らは規則を重んじる。それが組織というものであって、そういった真摯さが支える籠手たる所以だからだ」
返ってきたのは、普段のジャンからは想像し難い真っ直ぐな口調。
「けれど遊撃士も、時にその規則を破ることがある。規約第二項、『遊撃士は民間人の生命・権利が不当に脅かされようとしていた場合、これを保護する義務と責任を持つ』。民間人が危機に瀕した時、僕らは何に変えても彼らを守り抜く。ようは、遊撃士の信念のようなものなのさ」
信念。絶対にそれを成そうとする鋼の意志。それが遊撃士の常識を変えることもあるということ。
「君はまだ遊撃士じゃない。けれどカルナたちから手解きを受けて、彼女たちの働きを見て君はしっかり成長している。まだまだ未熟とはいえ、君のなかに光る物を見たのも確かさ」
「ジャンさん……」
カルナたち遊撃士とは武術の指南を受けることが多い以上、叱られつつも褒められることは多々ある。けれど普段から小さな言い争いを続けるジャンにここまで言われたのは初めてだった。その事に、少年は思わず息を洩らした。
「その依頼は、人の命を守るほど覚悟をもつものじゃない。だから、例えば遊撃士に成り立てだったり、まだそうでない人も規則がなければできる程度の簡単なものだ。
……ルーアンで頑張ってきた君へのご褒美であり、そして先行投資だ。今の君に一つの仕事をやり遂げる覚悟があるのなら、僕は喜んでその依頼をこなせるようにサポートするよ」
それもまた、一つの覚悟なのだ。その規則を破ってでも、ルーアンを出るカイトに向けて気持ちを返すという、ジャンの意志だ。
「早くした方がいいよ。僕の気が変わってしまう前にね」
その点には厳しいアガットもまだルーアンにいるしね、と半笑いを浮かべるジャン。
「……わかり、ました」
なら、自分はその気持ちに応えるべきだとカイトは思う。そしてそれがジャンをはじめとしたルーアン支部の人たちへの恩返しだとも、少年は思った。
「カイト・レグメント。まだ遊撃士でもない、けれどその依頼を受けさせていただきます!」
「よしきた!」
遊撃士になるには、まだまだ足りないものがある。武術も、精神も、話術も、年齢も足りない。けれど心だけは、少しは先を行く彼らの場所に近づけている。
カイトは、それを感じて笑顔を浮かべるのだった。