心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

77 / 101
22話 Fateful confrontation③

「エステルやヨシュアたちを使ったお人形遊び。少しは楽しませて頂戴ね?」

 転瞬、カイトの視界いっぱいに大鎌を振るうレンが迫った。

 少年よりなお華奢な体躯に似合わぬ、自分の二丁拳銃より圧倒的に巨大な鎌。銃身などでは防ぎようもなく、呆気もなく体全身で避けるしかない。

 乱戦が始まると、即座にヨシュアが主体となってレンの攻撃を防いだ。さすが執行者同士というべきか、彼だけが殲滅天使の猛攻を一人で防ぎきれている。

 純粋な剣の閃きでなく、視界の外から内へ引き絞る鎌の殺気を双剣で器用にいなし、ヨシュアはさらなる追撃をアガットに託す。エステルもまた、迷いが晴れなくとも遊撃士の信念にかけて戦線に加わる。

 豹変した友人の雰囲気に圧倒されながらも、ティータは毅然とした様子で戦術オーブメントを握りしめていた。その健気な少女の元へ駆け、カイトもまた左手の銃をホルスターにしまう。

 カシウスや彼の武術を受け継ぐエステル、螺旋の心得を持つ彼らほどとはいかなくとも、レンも身の丈に余りある鎌を振るうため不規則極まりない体幹の使い方をしている。身のこなしに自信があっても刃を受け止めるものがない以上、剣戟の嵐の中に飛び込む勇気はない。

「ティータ、大丈夫か!?」

「は、はい! カイトさんこそ!」

「何とかな。取り敢えず、皆を援護するよ!」

 ここには頼れる前衛が三人もいる。今自分が無理をする必要はない。そう考えつつ黒色の波を纏う。

 三対一にもかかわらず、状況は五分のまま変わらない。今戦っているのは、まさにあの怪盗紳士と肩を並べる執行者なのだ。いや、屈託のない笑顔で鎌を振り回してくるので下手をすれば怪盗紳士以上に怖い存在かもしれない。

 ティータがラ・クレスト(集団防護魔法)を三人へ。カイトがクロックアップ(加速魔法)を立て続けに放ち、続けざま薄青の波を纏わせる。視界が僅かに水色に染まるのをそのままに、カイトは乱戦を見極める。

 トヴァル仕込みのクイックキャリバーも相まって、ティータが次の魔法を放つよりも圧倒的に早く波は収束した。

 四人入り乱れる戦場では、ダークマター(斥力魔法)などの範囲のある魔法では味方にも攻撃を与えかねない。攻撃手段というよりは、あくまで三人を補助するためのもの。

「みんな、行くぞ!」

 アクアブリード発動。楕円、斜めの曲線を描いて乱戦の中へ向かう。アガットの重剣が少女の残影を薙いだ先、少女の着地点に半瞬前に器用に飛沫が舞う。

「あら、お兄さん。やっぱり見かけ以上に強いのね」

 この場合のお兄さん、はアガットではなくカイトだ。並の使い手より早く、そして戦略への落とし込みを評していたのだが、必死な少年には胸中でしか返事をできない。

 三人の前衛の攻撃に、年下二人の援護魔法。さすがに腕利きの執行者とも言えども、そう簡単には崩せない布陣だ。

「でも……残念ね。無鉄砲にレンの前に立たなければ、強くてカッコいいお兄さんでいられたのに」

 不気味な笑みと同時、琥珀の塔の頂上が揺れる。レンから離れている二人が見えない空を見上げると、闇の級の外側から紫の巨体が迫ってきた。

「出やがったな!」

「ゴルディアス級戦闘人形『パテル=マテル』……!」

 アガット、ヨシュアが唸る。唐突過ぎる登場となった紫の巨人は、王都で見た時と変わらず滑らかな駆動で圧倒的な恐怖を呼び覚ます。

「踏みつぶしなさい」

 その少女の一声で、巨人――パテル=マテルの背後から青白い排熱が吹き荒れた。ほぼ同時にその巨体が前衛三人に突っ込んでくる。

 パテル=マテルの突進で、レンは悠々と三人から離れることに成功した。少女とカイトを阻むものは、何もなかった。

「っ!」

 死神の鎌の回転切り。カイトは辛うじて体を()け反り、悪あがきに双銃に火を吹かせる。

「ごきげんよう、お兄さん。斧のおじさんをやっつけた戦い方、見せてもらえないかしら?」

「だったら! もうちょっと! 平和な所で話そうぜっ!」

「うふふ、それはダーメ。だって、レンはお人形遊びがしたいんだもの」

 アガットたちがパテル=マテルにてこずったその僅か数秒で、レンはカイトの脇腹を浅く切り裂いて見せた。痛みに喘ぎ、少年は大きく後退。それでも変わらずレンは追いかけてくる。

 数秒の攻防の末、レンはわずかに息を漏らす。

「でも、さすがにアーツが得意と言っても、レーヴェほどじゃないのね」

「っ!」

 予想外の嘲笑に、驚きを隠せない。今更何で剣帝と比べられる必要があるのか。

「レーヴェの魔法は小手先なんかに頼らない。もっと強くて頼もしくて、堂々としてるわ」

「……ま、それは認めざるを得ないかな。でも別に、無理に勝とうとは思わないよ」

「なら、お兄さんはどうしてここに来たの?」

 遊撃士として、リベールに降りかかる災厄を止めるためにここに来た。それはティータ以外の全員が持つべき模範解答だ。だが、求められている答えはそれではない。

 ヨシュアはかつての妹分を諭すため、エステルは誓いを胸に少女を止めるため、ティータは友人と言葉を交わすために来た。アガットはそんな少年少女を守るためにここに来た。

 なら、自分は。何のために四輪の塔にやって来たのか。その理由は沢山ある。かつて戦った彼を引き合いに出すなら、その答えはきっとこうなる。

「別に、勝ちたいわけじゃない。ただ越えたい、それだけさ」

 戦いでは負けっぱなし、初めての邂逅の時でも火事の中を助けられたまま。そんな二つの借りを預かったままにできるわけがない。実力で到底勝てないと思わされても、それでもあの高みに追いつき越えたい。それが、この一連の事件に関わる自分の本心だ。

「レン! いい加減にっ、しなさいよ!」

 

 パテル=マテル攻撃から脱したエステルがこちらに来た。調子を取り戻しつつ、怒気を顕わに向かってくる。レンは瞬きもせずカイトに背を向けると、反撃の隙すら与えずエステルに肉薄した。死神の鎌と螺旋の棍が鈍色の火を散らす。元々大きな腕力を持たない少女同士の、技術を駆使した力の奔流。町娘では到底出せない砂塵が火花と共に周囲を荒らした。

その余波を視界の端に、レンが笑う。

「あらエステル。自分から殺されに来たの?」

「そんなわけ、ないでしょっ! 私の話を聞きなさいよ!」

「ダメ、聞かない」

 レンの攻撃に呆気なくエステルが押される。戦況が乱れるのを感じたらしいヨシュアが殺気を向ける。

「私の話を聞かないエステルなんて、死んじゃえばいい」

 パテル=マテルの排熱が吹き荒れ、巨体を相手取っていたアガットの重剣が怯む。アガットなど目もくれず、再びの突進が新たな標的へと向かった。すなわちエステルと、その延長線上にいるティータに。

 ティータはそれに気づかず、黄土色の波を収束させたばかり。

 一秒が引き伸ばされ、ヨシュアがエステルへ肉薄。アガットは顔を歪めながらも未だパテル=マテルの向こう側。少女を助けられるのは、カイトしかいない。

 エステルはヨシュアに連れられ、死線の外へ。レンは悠々とその光景を眺めるのみ。

「ティータ!!」

「え?」

 琥珀の輝きがカイトに纏わりついたのと、華奢なティータを突き飛ばしたのは同時だった。パテル=マテルの大きな右腕が視界を埋め尽くしたのに、声を上げる暇すらなかった。

「――っ!」

 衝撃――はアースガードに阻まれて来ない。吹き飛ばされた体だけがパテル=マテルから遠のき、そして背中に響いた爆発。

「ぅごぁ……!」

 声と思えない何かが口から漏れ出て、視界に土埃が舞う。辛うじて柱に衝突したのだと理解したが、痛みと体の痺れが強すぎて、成すがまま野垂れるしかない。

「ぅ、ぁ、う」

「カイト!」

 ヨシュアの叫びがかすかに聞こえた。仲間たちはパテル=マテルの攻撃への回避に手一杯でいる。

 その中を悠々を歩くのはやはりレンだ。

「やっぱり、意外と丈夫なのね」

 朦朧としかける意識の中で、そんな言葉が聴こえてくる。辛うじて不敵な笑みを浮かべてから、カイトは返した。

「へへ…いいのか? その間に、みんなが人形を倒すよ?」

「心配しなくてもいいわ。貴方を殺して、すぐに加勢すればいいから」

 状況が状況とはいえ、余裕な言葉で言われるのは癪にも感じる。

「それに、レンはアーツを使う人の効率的な殺し方をしているわ」

「へぇ、それって?」

ティア(治癒)でもセラス(身体活性)でも効かないレベルの損傷を作ればいいの。例えば……脳とかね」

 頭に鎌が掲げられる。確かにそれであれば余計な手間をかけずに命を刈り取れるだろう。殲滅天使の二つ名に恥じない容赦のなさだ。

 掲げた鎌が頭上に閃く。

「それじゃあお兄さん。バイバイ――」

 瞬間、黒い影がレンの懐に潜り込む。今までよりもさらに圧倒的な速度で絶望的な一撃を防いだ。

「あら、レンに気づかれない類いの殺気なんて。不思議を使うようになのね、ヨシュア」

「違うよレン。気配を消しただけじゃない。殺気を込めていないから、きみにも気づかれなかったんだ」

 戦闘開始の時と同じく、ヨシュアとレンの数段上の攻防が始まる。

「ヨシュアまで結社を抜けろって言うの?」

「僕は……そう強く言えるほどの決意があるわけでもない。でも君がこのままでいるのは哀しいよ」

「どうして? どうしてレンを結社に入れてくれたヨシュアがそんなことを言うの?」

「……レン。結社がこの世の全てじゃない。僕が前を向くことができたように、君も」

「もういいわっ」

 わずかに揺らいだような声色。カイトがようやく足に力を込めて立ち上がった。続けて青の波を纏ったところで、双剣を弾いたレンが大声を張り上げた。

「パテルマテル! ブースト全開!」

「レン!」

 紫の拳がエステルに迫る。ヨシュアに近づこうとしていたエステルの目的も虚しく、回避に専念するしかない。

 隠形の天才と破壊の天才。二人の達人が、他の追随を許さない。

 膠着する戦況の中、それでも余裕のレンが、その場の全員によく響く声を届ける。

「ねえエステル。レンには小さなころ、ニセ物のパパとママがいたわ」

 語られたのは、聞く人間たちが。カイトが、アガットが、エステルが、自分の過去などちっぽけに思えるほどの凄惨なもの。少女が偽者と称する父と母の、彼らの重ねた職務での負債を。そして、『悪い大人』に引き渡された少女の末路。

「そこでレンは色々なことをやらされた。大抵のことはすぐに慣れたけど、痛くされるのだけは慣れなかった。そんな生活が半年くらい続いたわ」

 想像にし難い、凡そ人間としては最低な部類の出来事。得物を振るうのは止めずとも、レンの攻撃が少しだけ収まっても、仲間たちの苦悶の表情は消えなかった。

 鎌の刃は容赦なくヨシュアに向いていても、心の棘はあっけなくエステルに突き刺さる。

「結局ね、パパとママは偽物だったのよ。本物なら、レンが痛がっていたらすぐ迎えに来てくれるはずだもの。そうでしょう、エステル?」

「……」

 エステルは何も言えなかった。他の仲間たちも動揺だった。それはパテル=マテルの攻撃を防ぐの意手一杯だからではない。

 母親を亡くしたとしても、エステルには父がいた。両親を亡くしたとしても、カイトには手を差し伸べてくれた孤児院の家族がいた。アガットは妹を亡くしても、自暴自棄という逃げ道があった。

 当時、レンは五歳になるかどうかというところだろう。そんな少女が、おおよそ世界の全てである両親から裏切られる。それはこの場の誰にも理解できない歴史の闇だ。

「でもいいの。代わりにヨシュアとレーヴェがレンを迎えに来てくれたから。悪い大人たちを皆殺しにしてね」

 仲間たちの目がヨシュアに集まる。少年は沈黙したままで、否定をしていないことは明らかだった。

 ヨシュアと剣帝レーヴェが、レンのその状況を救ったらしい。間違っても慈善行為ではなく己の秩序に組み込むためだが、結社はレンがいた下劣な犯罪組織を潰し、そしてレンは結社に迎え入れられた。

 そうして、レンはその才能を駆使して自らの実力を高めていった。他の執行者から様々な技術を吸収し、結社の工技術房では様々な知識を吸収し。

「――そこでレンは本当のパパとママ(パテル=マテル)に出会った」

 戦いの中、一瞬だけ鎌を杖のように掲げると、瞬時に地鳴りが響いた。パテル=マテルがさらに強く地を蹴って、琥珀の塔を激震させる。

「レンは結社にいるから、沢山の人から強さを学べた」

「レンは結社にいたから、大切なパパとママに出会えた」

 大鎌がヨシュアの双剣の一振りを弾く。追撃するレンを辛うじて止めたカイトのエアリアルも掻き消され、レンはさらにヨシュアを追い詰める。

「結社にいたら掴めない強さがある?」

「レンが結社にいることが間違ってる?」

パテル=マテルが塔の柱を殴りつける。爆砕する破片がアガットを、エステルを痛めつける。

「――そんなの、嘘!!」

 叫びと共に、渾身の一振りがヨシュアを貫いた。一拍も置かずに、投擲され回転する鎌がカイトのアーツ駆動を妨げる。

「そんな戯言をまだ続けるのなら、証明しなさい……結社で手に入れることがっできない力……レンにない力が、貴方たちなんかにあるのかどうか!!」

 今この場において、戦況を支配しているのは間違いなく殲滅天使だった。

 レンが飛び退き、鎌を受け止めつつパテル=マテルの腕に器用に着地する。

 今まさに悪魔の命令を放とうとした時。人の体ではなく、結界が砕け散った。

 レンにとっても突然だったのか、幸運にも命令が止まる。気を削がれたかのように、パテル=マテルの駆動音が静まっていく。

「戻った、の?」

 エステルが呟く。塔が解放されたのだ。結界の外は完全に夜になっていて、唐突に仲間たちの顔が見えなくなった。古代導力器も同様で、パテル=マテルの紫の体躯だけが不気味な光沢を放っている。

「……つまらないわ。本当につまらない」

「……」

「もう少し保ってくれたら、まとめて皆殺しにできたのに」

 狂ったお茶会いの時のように、唐突にパテル=マテルから青白い排熱が吹き荒れる。巨体が少しずつ、浮かび上がっていく。

 今まで感じていた少女からの陽気な殺気は、まさに闇夜に掻き消えた。他の仲間たちがどんな様に警戒しているのかも見えず、エステルは狂ったお茶会の最終幕を思い出し、レンへと声を震わせた。

「ちょ、ちょっとレン!?」

「はぁ……レンはグロリアスに戻るわ。βが役目を果たしたら戻ってくるよう教授に言われたの」

「教授――例の蛇の使徒って奴か?」

 カイトは銃を構えたまま、淡く光る紫の巨人を見据えた。

「ええ、そうよ」

「それよりも、βが役目を果たしたって。塔が元通りになるのも計画の一部だったというのか!?」

 ヨシュアの叫びには、教授への畏怖が込められている。だがそれよりも気になるのは、四輪の塔で生じた現象が必然かもしれないということ。

「さあ? レンも詳しくは知らないわ。ただ、ここを包んでいた結界は『環』の『手』だって聞いたけど」

 パテル=マテルがさらに上昇し、ついにはレンの巨体の掌に隠れ、遊撃士たちには声だけが響く。

「殺せなくて残念だったわ……今度会った時は、その時は本当に殺してあげるから」

 またも、何も言うことができずに、殲滅天使はただ一方的に去っていった。

「結局、変わらずじまいか……」

 カイトは嘆息した。残るのは沈黙だけで、今度こそ光源が星々だけになる。明るすぎた巨人がいなくなったので、かえって微かに仲間たちの姿が見えるようになってきた。アガットも微妙な面持ちで重剣を手持ち豚差にしており、ヨシュアは双剣をしまうと近くの地に手を差し出した。そこにいたティータは転んでいたらしく、ヨシュアに手を引かれ可愛らしげに立ちあがる。

 パテル=マテルの排熱と結界により気温も変化していたようだ。開かれた屋上には冬の寒気が混ざり合い、スカート姿のエステルを震わせ、レンを説得できなかった彼女を追い詰める。

「寒いな……さすがに冬だ」

 カイトはぼやいて、装備の中に忍ばせていた導力ライトを照らした。その光を捉えた仲間たちが集まって来る。

「カイト、お前よくライトなんて持ってきたな」

「出発する時ももう暗かったし、昔道具をたくさん持ってた時の癖ですよ」

「まあいい。……いろいろ思うところはあるだろうが、これ以上俺たちがここでできることはない。ゴスペルだけ回収して、アルセイユに戻る。いいな?」

 最後の言葉は、雰囲気だけでも落ち込んでいるのが判る少女二人に向けられている。

「行こう、エステル」

「うん……」

 レンを結社から抜けさせる。そう意気込んでの出撃だったが、結果は変わらないどころか少女の凄惨な過去まで持ち出されてしまった。さすがのエステルでさえも、消沈せずにはいられなかったのだろう。

「エステル……」

「私、ムシが良すぎたのかな……人生経験も全然ないのに。皆に守られてばっかりなのに」

 闇の中、自信なさげな声が伝わる。

「そんなあたしが、あの子の音救ってあげようだなんて……」

「それは違うよ」

 しかし、ヨシュアが即座に否定する。この場で誰よりも、エステルとレンを知っている少年が。

「レンはね、本当の意味での天才なんだ。あらゆる情報を瞬時に吸収して、自分の力として取り込む。どんな環境にも即座に適応して、自分と周囲を制御していくんだ」

 ただ単に一つの才能があるわけではない。アガットの腕力や、カイトの可能性や、ティータの導力技術などのようでない。物事の絡繰りを見抜き、分野と領域に関わらず、適応し、適応させ望む結果を生み出す本質的な意味での天才。それがレンだと、ヨシュアは語る。

「結社に引き取られる前のあの子のいた環境はとてもひどいものだったけど、あの子は僕と違って心までは壊されなかった」

 かつてヨシュアは、自身に降りかかる悪意に心を壊され、教授――白面に心を弄ばれることとなった。結果としてエステルや仲間たちとの縁が結ばれたのだが、原始の出来事は不幸以外の何物でもない。

 だがレンは、それに匹敵、いや凌駕すらする逆境すら、対処すべき環境変数として把握した。だから心を壊さずに、自分を保つことができた。

「でも心が壊れなくたって、心が痛いはずがないんだ。僕が知っている限り、レンがあんな風に昂ったのは見たことがない。それは多分、君の言葉がレン自身も気づかないような本当の部分に届いたからだと思う」

 ヨシュアに対してそうだったように。クローゼの親友になれたように。カイトに対して励ませたように。エステルの言葉は、確かにレンの心に届いている。悲鳴を上げる少女の言葉を溶かす、冬の日の太陽となっている。

「それは、君だからできたことなんだよ……」

 優しげなヨシュアの言葉。エステルの暖かさが何処か乗り移ったような月の少年の言葉だった。

「うん……ありがとヨシュア」

 再び聞いた少女の声は、静かでも確かな希望を備えていた。

「今度会った時は、本当のあの子と……直接向き合ってやるんだから」

 

 

――――

 

 

 その後、一同はアルセイユへと戻る。白き翼は王国軍の各所との連絡網が繋がっているため、各地に現れた機械人形や紅蓮の兵士が撤退したとの情報が届いた。四輪の塔と同時に展開された大規模な襲撃は、一先ず終わったことで関係者を少しだけ安堵させた。

 しかし、襲撃の理由であろう時間稼ぎ――四輪の塔での異変の正体は未だにつかめていない。アルセイユのブリッジに集合した琥珀・紺碧の塔の両チームは、依然として釈然としていなかった。

 紺碧の塔頂上にいたルシオラとは、やはりシェラザードが数多くの言葉を交わすこととなった。何故結社に入ったのか。彼女たちが暮らしていた旅芸人一座の話。多くのことを問い質すもはぐらかされ、結局は戦闘になったのだという。やはり、カイトたち琥珀の塔のメンバーと同じく有益な情報を得たわけではなかった。

 自然、話し合われるのは次の行動指針となる。五つ目の塔があるわけでもなし、表面上敵の脅威があるわけでもないし、今すぐ何処かへ行かなければならないわけではないのだ。

 ちなみにアルセイユは現在、ヴァレリア湖上空ボースよりの地点にいる。

「取り敢えず、これからどうする? 次の結社の行動も読めないし……」

 このエステルの言葉には、ユリア・シュバルツアルセイユ艦長が答える。

「それなんだが、一度レイストン要塞によるのはどうかな? カシウス准将とも今後についての話ができるだろう」

 だれも異論をはさまない、的確な意見だった。エステルやヨシュアが声を出して賛同し、アルセイユの借主たるクローゼがユリアに指示を出す。

「た、大変じゃー!!」

 真っ青な顔をしたラッセル博士がブリッジへ飛び込んできたのは、ちょうどアルセイユが推進を始めようとした時だった。

「お、おじいちゃん?」

「ど、どうしたの? そんなに慌てて……」

 船内を走ってきたらしいが、それでも並の老人とはかけ離れた馬力を持つラッセル博士だ。彼が大慌てで一同の元へやってくるなど、孫のティータでさえ予想していなかった。

「お前さんたちが塔で見つけたデータクリスタルなんじゃが、その一つを、たった今『カペル』が解析したんじゃ!!」

 カペルとは、ZCFが開発した超高性能演算器のことだ。ラッセル博士はカイトたちが持ち帰ったデータクリスタルを解析し続けていたのだが、リベールの導力技術の結晶は早くも過去の遺産を解析してくれたらしい。

 だが、喜ぶべきはずの報告は、数分後にその内容を理解したことでラッセル博士と同様の焦りを伴うことになる。

「『デバイスタワー』の機能じゃ! 四つの塔は――」

 ――『輝く環』を異次元に繋ぎ留めておくために建造されたものらしい。

 一同は驚きに駆られる。輝く環が異次元に存在していること。探索していた裏の塔も、その異次元に属し焚いたということ。

 息を整える、ラッセル博士はさらに言葉を続ける。

「そして、ゴスペルの正体は――」

 その時。

『――ええ、輝く環の端末、というわけです』

 生ぬるく不快な声色が、耳元を通過した。その声は、意外にもこの場にいる多くの者が知っていたことを思い出していた。

 アガットは、ケビンは、そしてブライト姉弟とカイトは。特に覚えがあった。ここつい数時間前に紅の箱舟で、あるいは数日前の結社の研究施設で聞いたやや粘着質な、落ち着いた不快な男性の声。

 ついで聞こえたのは機械音。ブリッジのモニターが独りでに、何の操作もなしに展開される。

「なんだ、どうして勝手に動くんだ!?」

「原因不明……! 通信が入ったと思ったら、制御が奪われた……?」

 機械制御権を他者に奪われる。それはハッキングと呼ばれる技術だが、一般人にはまず認知されていない言葉だった。

『初めまして、アルバート・ラッセル博士。それだけのシステムを自力で実現されたとは驚きです』

 子供の成果を褒めるような、まるでまだ先の技術を知っているような語り方。実際ゴスペルやパテル=マテルを見てはいるが、平気で言ってのける言葉には恐ろしさを覚える。

「この声、教授!?」

「……」

 エステルが声を上げ、落ち着いていたはずのヨシュアの表情が強張っている。

『そしてヨシュア、エステル君。グロリアスを後にしたようだね』

 そしてその言葉とともに、モニターに男性の顔が浮かび上がる。ややぼやけた画面に見えたのは、彫りが浅くしかし鋭利な釣り目と眼鏡を携えた人間。濃紺の髪をかき上げ、白色の肌に薄ら寒い笑みを張り付けた顔。

『もう少し話したいこともあったのだが、とても残念だ。二人が共に結社に戻る未来とか、次会えた時には建設的な話ができることを約束しよう』

 蛇の使徒が一柱。第三柱、『白面』のワイスマン。ヨシュアの人生を弄び、リシャールの愛国心を唆し、エステルの心を折りかけた多くの人間を陥れた元凶が、画面の向こうで自分たちを見下していた。

 突然の来訪者に、遊撃士も協力者も、ブリッジクルーも言葉を失った。カイトも例にもれず、作り笑いの白面が生み出す不気味さに冷や汗を抑えられない。

 唯一ラッセル博士が、普段の温厚さからは想像できない厳しさを顕わにしている。

「……貴様が『教授』か。アポイントもなしに通信とは、結社は随分と無礼者が多いと見える」

『これは申し訳ない。しかし割合急ぎの用でしてね。それにエプスタイン氏の三高弟だ。是非、一度挨拶をしたいと思っていたのですよ』

「イヤミか? 言っておくがこの艦の飛行システムは通信機構と独立しておる。乗っ取ろうとしても無駄じゃぞ」

『いいえ、そのようなことはしませんよ。エステル君にヨシュア。クローディア姫。それに執行者たちの旧知の者がいるアルセイユ号を墜とすなど、そんな愚かな真似はしません』

 できません、ではなくしません。ラッセル博士の言葉を信じないわけではないが、ますますモニター越しの男が恐ろしく見えてくる。

『私が通信をしたのは、共有したいからですよ』

「なに?」

『一生に一度も見られることはないであろう、決定的で幻想的で、至高の瞬間をね』

「まさか……!」

 ヨシュアが唸った。一連の事件の黒幕が言う決定的な瞬間。

 嫌な予感しかしなかった。

『その位置であれば、前方甲板に出ると良いだろう』

『偉大なる末裔たちへの、偉大なる環への祝砲です。それでは、良い夜を』

 モニターのスイッチが、またも独りでにオフになる。

 意志疎通は必要なかった。現状を確かめるために、仲間たちは我先にと前方甲板へと向かった。それにユリア大尉とラッセル博士が続く。

 アルセイユはレイストン要塞に向かおうと方向舵を切っていた。場所はボース地方よりヴァレリア湖、ちょうど川蝉亭の付近。つまり、前方甲板から見えるのはヴァレリア湖中央上空だ。

 何事かと訝しむ、あるいは不穏な空気を感じ取る船員たちを押しのけて前方甲板へ。夜に輝く満天の星々と、地上に煌めく人間たちの営みが、都市を中心に溢れかえって来る。

 高度故に吹き付ける風に身を震わせ、しかしそれに慣れるよりも早く。

「みんな、あれやっ!」

 ケビンが、驚異的な早さでその異変を指さす。

 地と天の光点。月とその光を反射させる湖面と雲。その中心に。ヴァレリア湖の中心に、まさに稲妻のように顕現した、神々しい夜空の太陽。

「な、なんだあれは!?」

 ユリアが叫ぶ。

「眩しいっ……稲妻!?」

 カイトが目を瞬かせた。太陽は徐々にその形を歪に広げ、巻貝のような形をとっていく。溢れ出る鉄塊の軋轢のごとき轟音は、それで形容できるのか自信がないほどこの世のとは思えない。まさに次元を切り開き異次元から空気と入れ替えに這い出る共鳴音。

 渦巻く光とその粒子はその奔流を複雑怪奇な模様へと変容させ、巻貝の翼と共に世界をセピア色に染め上げた。世界のある地点で稀に起こると言われる明るい夜――白夜のごとき明暗がリベール王国を包み込む。

 優しい畏怖がこみ上がる世界で、カイトと仲間たちはその中心を見上げている。ゼムリア大陸西部でも屈指の巨大さを誇るヴァレリア湖に現れた、なお巨大な巻貝。遠くからも視認できるその構造物の天面は空を飛ぶアルセイユよりもなお高く、それでも天面の縁は辛うじて見て取れる。いくつかの謎の人工物、建造物、巨大樹らしき自然。そしてぽつりとそびえる塔。塔の体部が巻貝の縁に隠れてもなお頂きが目に捉えられる。それはその塔の高さが、四輪の塔などぼろ小屋に感じるほど崇高な高さであることを一同に知らしめた。

 数々の視覚情報は、まさに空の女神の威光のごとく、全員に同じ『言葉』を想起させる。

「まさか……あの巨大な『都市』が……」

 クローゼが呟いた、とてもか細く。

 そしてその都市の『正体』も、難しく考える必要などなかった。

「『輝く環(オーリオール)』の、正体……!」

 カイトが紡いだ。誰も否定などできなかった。

 少年少女も、彼らを導く大人たちでさえも、二の句を告げることができない。

 結社『身喰らう蛇』。各地で行われた彼らの実験。その影にちらつき、目的とされ、そして今まさに顕現した異形にして至高の存在。

 今まさに、リベール王国はクーデター以上の異変に包まれたのだ。

「こんなの、どうしろってんだ!?」

「わ、判るわけないじゃない……単なる事件の規模を超えてるわよ!」

「共和国にだって、常識の埒外だ。リベールだけじゃない、下手をすれば周辺諸国も混乱するぞっ……」

 先輩たちでさえ、口々に息を漏らすのみ。数秒の沈黙の後、ハッとしたようなラッセル博士がユリア大尉に詰め寄る。

「いかん! ユリア大尉、急いで艦を降ろすんじゃ!」

「え……」

「カシウスが伝えた緊急指令があったじゃろ! 急がないと大変なことになるぞ!」

 一秒口をぽかんと開け、女仕官はこの世の終わりのごとき驚愕に駆られる。

「総員艦内へっ!!! 急げ、すぐに墜落に備えろぉ!!!」

 クローゼさえ聞いたことのない怒号を響かせて、ユリア大尉は艦内へ飛び込んで同様の声を上げている。続くラッセル博士をぽかんと見届け、慌てて気づいた仲間たちも成すがまま、大慌てで駆ける。異常事態が臨界点を十回ほど突破したせいで、仲間たちは普段の思慮深さを忘れた。年齢も遊撃士も関係なく、ユリア大尉の怒号に押されるまま我先にと艦内に走り込む。

 その影響で、クローゼとカイトが最後尾となった。仲間たちが動くと同時、艦内が揺れる。これは急降下・急横転の舵を切ったことによるものだ。

「姉さん早く!」

「カイトも!」

 クローゼが転びながらも艦内へ。カイトも続き、艦内の各所へ備えてある防護服を手に賭ける義姉を目の端に捉えて甲板の扉を閉めようとする。

 その時、扉の向こうの景色がカイトの視界に飛び込んできた。操縦員によりみるみる湖上へ降下していくアルセイユ。その頭上にそびえる浮遊都市から、黒く、蒼く煌めく光が波動となって広がるのを。

 カイトは直感した。

「導力停止現象……!」

 まずい。規模が聞いていたものと比べ物にならない程大きい。このままではアルセイユも急降下が間に合わない。

 黒い波動がアルセイユと衝突する数秒前……。

「!」

 瞬間、アルセイユは急降下から急上昇した。耳鳴りを覚えカイトは辛うじて扉を閉めた。しかし衝撃に耐えられず、艦内の壁に激突する。

「カイト!?」

「おい、大丈夫か!? 早く服を被れっ!」

 クローゼが、アガットが近づいてくる。カイトが助けられ、防護服に身を包んだ瞬間、アルセイユが無重力に支配された。

 黒い波がアルセイユを包み込む。その光景をブリッジに戻ったユリア大尉が見たのは、無重力に支配されたのと同時だった。

『総員! 対墜落姿勢!! 絶対に耐えろぉっ!!!』

 スピーカーからのユリア大尉の叫び声。徐々に重力が戻ってくる。

 アルセイユはできる限り高度を下げ、その勢いを零へと戻し、それでも大きな衝撃を戻してヴァレリア湖へと不時着した。

 黒く、蒼く煌めく波は、巻貝を中心に同心円状に拡がった。それは王国中から光を消し去り、ついには帝国南部までも影響を及ぼした。

 この日、ゼムリア大陸南西部は暗闇へと支配された。その中心にたたずむ、解き放たれた至宝が威光を放ち、人々は畏怖を込めて夜空の太陽を見上げるしかない。

 消える導力、消える光、消える灯、消える希望。

 『リベールの異変』。それが七耀歴千二百二年、千二百三年、二つの暦に跨いだ冬に始まった、混迷の大地の行軍だった。

 

 

 











前半は『Fateful confrontation』
後半は『解き放たれた至宝』
是非この二曲を聞きながらお読みください。

お久しぶりです、羽田空港です。随分と更新が遅れてしまいました。申し訳ない。ええ、もう年の瀬ですよ…
ここ最近は文章のアウトプットよりインプットにはまっていました。だから後悔はしていない!!『とある飛空士への○○』シリーズ、お勧めです! 最初の『とある飛空士への追憶』だけでも是非お読みになって!(笑)

段々とSC編も盛り上がってまいりました(個人的に)。次からは原作では混迷の大地の章。9か月後には閃の軌跡Ⅳもでるみたいですし、その盛り上がりに乗じれるようにのんびり頑張ります。

次回は第23話。まさしく混迷する世界での遊撃士たちの活動が始まります。
来年度からも、また『心の軌跡』をよろしくお願いいただければと思いますm(__)m



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。