オニール免税店。
若かかりし頃、血気盛んな船乗りで身一つに船一隻で航海を繰り返し諸国を巡った男、オニールが店主を勤める店だ。
種類豊富な薬や食材、さらには書物や戦闘に使用できる防具などを揃えた、ルーアンの流通の一角を担うとも言える場所。
「し、失礼、しまふ!」
「お、おう?」
店の扉を、茶髪を後ろ髪に纏めた中性的な顔立ちの少年が開けた。普段なら店主であるオニールは豪快な声をその少年にかけるはずだった。
だがどう見ても顔がひきつっている少年には、さすがのオニールも不思議そうな声をかけることしかできなかった。
「おう、お前さんはたまに店に来てくれる奴だな。どうしたんだ、そんな面して」
「いや、すんません。緊張しちゃって……」
少年ーーカイト・レグメントはゆるゆると息を吐くと、店主に一通の封筒を差し出した。
「オニールさん、まずはこれを見てください」
その封筒には、遊撃士協会の印が押されていた。
中身を睨むように十秒ほど見続けたオニールは、やがて豪快な笑い声をあげた。
「そうか、おめえさん遊撃士見習いだったんだな? 通りでガキの癖に妙に手慣れた扱いで導力銃を携えてると思ったぜ」
「まだ遊撃士見習い、の見習いですけど 」
封筒の中の文書には、店の印象調査の依頼をカイトにやらせようということ、彼は遊撃士ではないが、それに対する協会からの許可は得ていること。そして依頼主であるオニールにも許可を得たいという旨の文章が書かれていた。
「オレは別にかまわないぜ。本職の人たちは忙しいだろうし、こんなのその気になりゃ素人でもできることだからなあ」
「そ、そうですか」
依頼主は意外にもあっさりと承諾した。それは恐らく今口にしたこと以外にも、カイト、そして遊撃士への信頼があるのだろう。実際、依頼の規模を街中だけでなくマノリア村へと延ばすなら武術の心得は必要だ。
「頑張れよ、応援してるぜ。じゃ依頼内容の確認でいいか?」
「あ、はい」
カルナたちが仕事に励む姿を見てはいるが、実際にやるとなれば大違いだ。知らず知らずのうちに緊張してしまう。
「ま、さっき言った通り内容は単純だな。ようは、この店がどう思われているのか、利用客に聞いて来てほしいってこった」
オニール免税店で売られている物の品質や種類。それがルーアン市を中心としたこの地方に住む常連客にとって、何が嬉しく、また何をすれば助かるのか。出来るだけ多くの人に聞きそれを報告する。細かく表しても確かに単純な依頼だ。
「本当は俺が直接やってもよかったんだがな。思い付いたのが最近で、しかも時期が時期だけに忙しいからよ」
王立学園の学園祭の影響がでるのは、なにも遊撃士だけではない。観光客の寝床となる宿泊施設にしても、カジノバーにしても、そしてここにしてもその忙しさは同じらしい。
「そうだったんですか」
「さっそく、やってくれるかよ?」
「はい……喜んで!」
言い放って、店を後にする。カイト・レグメントの人生で最初の依頼は、こうして幕をあげたのだ。
「さてと、どうするか」
学園祭数日前だけあって、街は賑わいを増してきている。ルーアンの住民以外にも多くの観光客が、散歩や世間話に花を咲かせていた。
時刻は午前中。まずはルーアン市をしらみ潰しにしようと決めたのだった。
ーーーー
一件目の民家、妻。
「そうねぇ。食材が多くてとても助かってるわ。けど……」
「けど?」
「ちょっと物足りないわね。我が儘だけど本の種類が多くなると嬉しいわ」
二件目の民家、船乗り。
「オニールさん、そんなことを始めたのか」
「ま、まあ遊撃士協会への依頼ですけど。それで、感想はどうですか?」
「俺は海の男だし、オニールさんにもよくしてもらってるからな。その繋がりで家内にも値段を安くして売ってくれてるらしいし、俺は品数がどうこうより、その存在があって感謝してる感じだよ」
三件目、民家の子供。
「ぼく、やだよ!」
「どうしてだい?」
「いつもママと一緒にあのお店でお買い物してるけどすごくすごく怖いんだもんっ!」
「そ、そうか……強面だもんなぁ」
四件目、七曜教会シスター。
「オニール免税店ですね。私たちもとても助かっていますわ」
「へぇー、教会の人も使うんですね」
「教会の者は薬を扱いますから。時々薬が足らなくなってしまう時は、頼りにしているのですよ」
その後も様々な場所を訪れた。民家でも施設であっても、訪ねた理由を説明すると多くの人が快く了承してくれた。
オニール免税店に対して明確な苦情はなく、あるのは感謝や現状に満足しているとの声が多い。
恐らくオニール免税店以外にもルーアン市には多くの店が軒を連ねるためだ。その意味ではこれ以上オニールが商売魂を燃やすのは、他の店舗にも彼の体力にも危険があると思えた。
「そう考えると、何で調査をやろうと思ったんだろうな?」
店主は特に経営難だとは一言も発していない。つまり、本当にただの思い付きなのかもしれなかった。
ただそのおかげで遊撃士の仕事をこなせているのだ。少年としては、感謝しか浮かばない。
ならその恩返しの意味を追加してこの依頼に挑むべきだろう。とあれば、カイトの目的地は既に決まっていた。
「よし。行こう、マノリア村へ」
所々で自分の存在に目を向ける魔獣には、彼らとの距離を積める前に銃撃による痛手を加える。そして怒りにまかせ直線的に襲ってくる魔獣の爪牙を紙一重で回避し、背を向けがら空きになった急所に弾丸を当てることで絶命させる。
その所作は簡単にはいかず、一連の行程を終えるまでに必ず一度は失敗してしまう。けれど時間をかけずにマノリア村へやってくることができた。
「あっ! カイト兄ちゃん!」
順調に活気を取り戻しつつある子供たちは、村の子供と楽しげに遊んでいた。
「おう皆、怪我とかしてないか?」
「大丈夫だよ兄ちゃん!」
元気
「ダニエルも!」
「ポーリィもー」
「みんな大丈夫だよ!」
「そうか……」
ルーアン市に出発した今朝もだが、とても安心した。苦しいことばかりだけど、人はそうした壁を乗り越えて成長していくのかもしれない。
負けてられないなと思う。泣いてなんかいられない。
「よし、じゃあオレは仕事をしてくるからな。良い子にしてるんだぞ?」
「はーい!」
それを契機に、カイトはまた調査を開始しようとする。
けれどマノリア村に存在する数少ない民家の一つを訪ねようとしたとき、一瞬だけ依頼のことが頭から吹き飛んだ。
「あの、どうしたんですか」
カイトが声をかけたのは、民家の前を右往左往している若い女性だ。かなり焦っているのか、近づいて声をかけるまで女性は少年の事に気がつかなかった。
「あっ。いえ、その……」
「落ち着いて。困り事ですか?」
自分はまだ遊撃士ではないが、遊撃士の使命は困っている人々を守ることになる。彼女を放っておくことはできなかった。
「私の叔父が、クローネ峠に行ってしまって……」
「行ってしまってって、一人で……?」
「……はい」
少し話を聞く程度だと予想していた少年の意気が、にわかに緊迫感で満たされた。
彼女ーーアメリアの叔父は、世の中の少々変わった食材ーー所謂ゲテモノを集める仕事をしていると言う。そして彼が求めんとするその食材の一つが、クローネ峠で採ることかできるらしい。
しかし彼は魔獣に対する対抗手段を持たない。そのため今カイトの目の前にいる彼女が遊撃士協会へ護衛の依頼を頼もうとした。
だが目の前の好物への熱意が保てなかった叔父は、たった一人で食材の調達に出掛けてしまったという。
「まずいな。武器も持たない人がクローネ峠に一人で行くなんて、無謀すぎる」
カイトの言葉に、アメリアは一層顔を伏せてしまった。
「叔父さんが出ていったのはどれくらい前ですか?」
「だいたい、二十分前ぐらいかと……」
「分かりました。じゃあオレが遊撃士協会に連絡をーー」
と言いかけたところで、少年は思いとどまった。
連絡なんてしている時間はない。クローネ峠とマノリア村の間の街道にさえ魔獣はいるのだ。遊撃士がルーアンからやって来るのを待っては遅すぎる。地理的にボース地方とルーアン地方の境にある関所の王国軍に連絡を入れたとしても、結果は同じだろう。
誰か、武術の心得があるものが今すぐ向かうのが最善の方法だ。
そして該当する人物は、ここには一人しかいない。
「…………」
自分で良いのかと考える。まだ遊撃士でもない自分が、一人で人の命を守れるのかと考える。
けれど今は緊急事態だ。今朝にジャンが言っていた。何よりも守るべき人々が危機に晒されたとき、遊撃士は何を置いても彼らを守るのだと。
それに例え遊撃士ではなくとも、戦いの術を知っている者として、彼らを放っておくことはできなかった。
「……オレが、叔父さんを助けに行きます。すぐに遊撃士協会に連絡して状況を説明してください」
「わ、分かりました。でも、大丈夫ですか……?」
「魔獣とは戦い馴れてます。あと、カイトって奴がクローネ峠に向かったとも言ってください。そしたら、応援が来てくれるはずです!」
端的に言い放って、カイトは足早に北に向かう。すぐに速度を上げていくと、彼女の返事を待たずにクローネ峠へと走り始めた。
ーーーー
速度を変えずに走っていっても、思いの外山道が見えてくるまでに時間がかかった。けれどそこまでの街道でアメリアの叔父を見かけることはなかった。街道がほぼ一本道であることを考えると、もうクローネ峠に入ってしまったと考えて間違いないだろう。思ったよりも足が早いらしい。
「早くしないとっ」
とはいえ、カイトの体力は現役の遊撃士と比べてそう多くない。険しい道となる峠で今のような速度のままだと、早々に限界が訪れてしまうだろう。
それに食材を採るためには道なき道を行くこともあるかもしれない。どこにアメリアの叔父がいて、いつ魔獣が襲ってくるか分からない。無理に急ぐわけにも、声を張り上げるわけにもいかなかった。
「さてーーと!」
不意にカイトは体を翻した。左側ーー三アージュ程上の段差、そこにある木々の後ろに銃弾を二発撃ち込む。
けれど、そこにいた宙に浮き両に鋏を携え尾に鋭利な大針を持った魔獣には、対した痛手を加えられなかったようだ。
この魔獣がキングスコスルプという名前だというのは、後にこの道を歩いてルーアンまでやって来たブライト姉弟から聞かされることになる。
「固いな……」
陽の光を受けて鈍く輝く甲殻は、銃の威力を最大にしていなかったとはいえ軽く弾いた程度だ。魔獣を倒すには、どうにかして甲殻を繋ぐ関節を断つしかなさそうだ。
不意に魔獣が降りてきた。一直線にカイトに向かう速い動きは、今までの魔獣のそれと同じだ。しかしカイトはいつもと違い、回避した後振り向き様に銃弾を撃ち込むのではなく力の限りの蹴りを見舞った。
「っし!」
結果、魔獣は勢いを殺しきれずに壁と反対の小規模な崖に落ちていく。
「今はお前と戦ってる暇はないんだっ」
宙に浮かべる魔獣だが、この場に戻ってくるには時間を要するだろう。
カイトは構わず山道を行く。息を途切らせないようにして数分。この場では珍しい、男のか細い叫び声が聞こえた。
「ーーけて、助けてくれ!」
その緊迫さを感じ取ったカイトは、瞬時に足を地に踏みしめる。
「大丈夫ですかっ!」
曲がり角を飛び出すと、そこには痩せぎみで眼鏡をかけた男性と、そして先程と同じ種類ーーキングスコスプが二匹。
距離は五アージュ程と離れてはいるが、それでも魔獣の気は決して穏やかなものではない。カイトは全力で両者の間に割り込むと、緊迫した面持ちで今度は二丁の銃を構える。
「き、君は!?」
「助けに来ましたっ。早く安全な所へ!」
とは言うものの、この狭い山道に人間にとっての安全な場所はないに等しい。男性は戸惑いながらも、辛うじて坂の上の獣道への避難を試み始めた。
魔獣と少年の睨み合いは続く。一撃でも銃弾を放てば、魔獣はすぐさまカイトにその猛威を振るうだろう。
「…………」
カイトはまだ動かない。それは形勢が不利な状況だからだ。
動き回る、銃の効きにくい甲殻魔獣。加えて彼はこういった状況で真価を発揮する戦術オーブメントを持っていない。
狙うは先程と同じような不意討ちだが、それも二匹もいるこの状況で上手くいくかどうか。
汗が一滴、少年の顎から滴り落ちる。
「……よし」
それでも、やるしかない。切り抜けなければ、そこには死があるだけだ。自分がいつも、魔獣にそうしてきたように。
(忘れてたな。この感覚)
少しずつ武術の腕前が上達してきた辺りで、少年は相手の実力を選ぶようになってきた。だからこそ、最初の頃の命のやり取りという感覚を忘れていたのだ。
遊撃士は人の命を守る存在であったのに。
けれど今は、正に生か死かの場面。この一瞬を忘れないようにしようと、場違いにも少年は思う。
やがて一塵の風が吹き、それは崖の上から礫(つぶて)を落とす。
礫が地に当り乾いた音を立てた瞬間。
同時に、魔獣が襲いかかってきた。