心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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24話 混迷の大地②

 

「エステル君たち、おはよう! 昨日はよく眠れたかい?」

「ジャンさんおはよー! いつもありがとう、支部に泊めてくれて助かっちゃうわ」

 雪も積もるかというくらい寒い朝だった。市街の宿泊施設は観光客や一部の市民に開放されており、遊撃士は率先して協会支部に泊まっていた。冷気に体を震わせての起床は心に来るものがあり、一同はエステルを第一声に、続々と階段を下りて受付のジャンに声を駆ける。

 ティータを含めた遊撃士たち七人は、受付でせわしなく動くジャンを見る。せわしなくというより、どちらかといえば防寒具を着込んでペンを持つ腕を震わせていた。実際に現場で体を動かす遊撃士と違い、後衛で支持する受付たちにとって、寒さはさらに厳しいものがあるのだ。

 種類は違うとはいえ忙しく動く様子を見たカイトは、半年ほど前の学園祭前の時を思い出し、懐かしさを感じる。

「おはようジャンさん。カルナさんたちは?」

「あの四人は、もう市街に出てるよ。メーヴェ海道の手配魔獣にマノリア村との流通確保、それが終われば市内での巡回警備……今日も随分と忙しくなると思うよ」

 変わらず発生する導力停止現象下の静寂の世界。通信・流通・灯に暖房が苦労するのはどこの都市でも同じだが、ルーアンで特に心を折るのはラングランド大橋が上がったままということだろう。おかげで市内の東区と西区の行き来に時間と手間がかかる。

 遊撃士が働かなければいけないのも変わらない。エステルはジャンに進言した。

「ならジャンさん。いつものように、手伝えることはない?」

「そうだねぇ……君たちの役割は文字通りの遊撃だし。予定された仕事はクルツさんたちに任せて、市内哨戒に当たってもらうのが良いかもね。そろそろ、市民の不安も積もり積もって来るだろうし」

 一瞬の導力停止、継続的な期間でも局地のみの停止、これならば対処もできるし、必要以上のストレスは感じないだろう。しかし、全ての土地に長い期間ストレスが感じられれば、膨張するストレスは排出されずにいつか爆発してしまう。それを収縮させる意味で遊撃士の哨戒は必要だ。

 ジェニス王立学園は占拠事件が解決されてから四日ほど、今は一応の平穏を取り戻している。学園やマノリア村にもすでに王国軍兵士が駐屯しているし、一先ず市外での緊急な案件はない。

 話し合いをしている頃、通信機がけたたましく音を奏でた。

「珍しいな、こんな朝早くから通信が来るなんて」

 ジャンはぼやきつつ、赤い光を灯す通信機に手をかける。その様子を眺めつつ、仲間たちは会話を続けた。

「通信機か……久々に鳴るのを聞いたわね、シェラ姉」

「ええ。本当、毎日うるさかったのが嘘みたい。共和国でも同じですか?」

「ああ。あっちも支部の数は多いからな。毎日どこかから応援要請が引っ張りだこさ」

「……にしても、こんな朝から鳴りやがるのも気になるな。どこからだ?」

「えとえと、今は国外からルーアンに繋げるのも少ないと思いますし、他の都市の遊撃士協会か、近くの関所だと思いますけど……」

「それか、レイストン要塞か。父さんなら、ピンポイントで僕たちのことを探し出して依頼しかねない」

「うへぇ、カシウスさんならやりかねない……帝国に行った時もそうだったし」

 ジャンが戻ってきた。

「お待たせ、皆。突然だけど、今日の仕事が決まったよ」

 言った通りの突然の宣言に、一同は会話を止めてジャンを見た。

 突然だったから緊急性の高い話かと思ったが、しかしそれ程の重い表情はジャンからは見えなかった。

「王都に行ってくれないか? 少し急ぎ足だと、助かるんだ」

 通信元は王都支部のエルナンだという。この七人に対して、グランセル城に来てほしいと女王陛下直々の使命があったのだという。情報の機密性から通信で明かすのは伏せられたらしいが、なんとなく、クローゼ絡みであろうことが理解できた。

 零力場発生器の運送という当初の目的も達成したことだし、次の行動指針も自然と決定した。

「まったく、せっかくルーアンで僕の手伝いを続けてもらおうと思ってたのに」

「あはは、ジャンさんのその言葉も懐かしいですよ。ま、それじゃあ行ってきます」

 ルーアン代表として、カイトが号令をかけた。七人は王都へ向かうべくルーアン支部を後にする。

「そうそう、皆。行ってらっしゃいって言葉と一緒に、この激励を送るよ」

 もしかしたら不謹慎かもかもしれないけどね、と前置きしつつ、それでもジャンは笑顔を押し出して続ける。

「ハッピーニューイヤー! 苦難に負けずに、いい千二百三年にしよう!」

 

 

――――

 

 

 屋外へと出ると、寒いながらも少しずつ陽光が地上を照らし始めていた。同時に人々も起き出し、一般市民や警備員たちが疎らに外へ出てきている。

「そうか……すっかり日付のこと忘れてたけど、もう新年なんだな」

 カイトは日付の概念がなくなりつつあることに嘆息していた。先進的な企業の人間でもないので過敏になる必要はないが、それでも導力停止現象の中で人間らしい日々が遠のいていることに焦りも感じる。

 エステルも同意した。遊撃士として頼もしくなった彼女だが、エステル・ブライトとしての楽観さもあり、久しぶりに彼女らしい会話を出してくる。

「そうね。……シェラ姉、去年って何年だったっけ?」

「七耀歴千二百二年。つまり今日はもう、千二百三年ね」

 歩きながら協会支部の裏手、七耀協会ではシスターや有志の協力者がスープの炊き出しをしていた。カイトとエステル、そしてシェラザードの三人は朝食としてその列に並ぶ。

 ちなみにアガットとティータはオーブメント工房に向かっており、ジンとヨシュアは武器商店へ足を運んでいる。三人は彼らのスープを手に入れる役目を持っている。

「王都での女王様直々の使命……クローゼの事で相談かな。カイトはどう思う?」

「ん、オレもそう思う。この状況だし姉さんも思うところがあるんだよ。思うところしかないんじゃないかな」

 炊き出しのにがトマトを使ったミネストローネスープを受け取って、三人は集合場所のラングランド大橋前に集まった。

「まあこの状況でしょうし、姫様絡みだけじゃなくて、国民や周辺諸国への生命もあるかもしれないわね。女王陛下のお言葉なら、暴動を沈静化することも十分にできるし」

 シェラザードがそう言ったところで、アガットたち、ヨシュアたちがやってきた。

「お、今日はにがトマトのスープか。俺は好みだが、嬢ちゃんは大丈夫か?」

「はい。私、お爺ちゃんと一緒ににがトマト、良く食べてますし」

「アガットさんも大丈夫そうですね、にがトマトのスープ。同じ赤色ですし」

「ああ、スープなら味付けも変わるしな……っておいヨシュア」

 やいのやいのと言いながら、一同は朝の軽食を楽しんだ。この時期だ、温かいスープはこの上なく体に染み渡る。

「さて、状況を整理しましょう。と言っても、やることは単純だけど」

 朝食を片付けて、エステルが仲間たちの顔を見た。すっかり代表として板についてきている。

「これからツァイスを経由して王都へ行きましょう。ツァイスと王都で必要があれば依頼を受けるけど、緊急性が高くなければ他の人に頼んでグランセル城へ行くってことで」

 七人は動き出した。面倒な時間をかけて川を渡り、再三のカルデア隧道に苦戦し、そしてツァイス地方で休憩しつつ、アーネンベルクの城壁を見つける。関所で一夜を明かし兵士たちと情報を交換し、互いを激励しつつ早朝に出発。

 日の出と同時に出発したため、エルベ周遊道からグランセル城下が見えてくる頃には、完全に朝となっていた。時折現れる魔獣を蹴散らしながら、世間話もしつつ順調に歩く。

 そこで一同は、『音』を聞いた。

「あれ?」

「なんだ? この音」

 カイトとアガットが、呑気に辺りを見回す。どこからか届く規則的な駆動音。エステルとシェラザードが続けた。

「ね、ねえ、これって?」

「あら、飛行艇の駆動音じゃない」

 ああ、とカイトは納得した。しばらく聞いていなかったが、重苦しいモーターの音は確かに飛行艇のそれに近い。アルセイユは高性能な艦だけあって静かなものだったが、これはクーデター事件の時に乗った軍用飛行艇に近いものかもしれない。

 高性能な機体に慣れるのも考え物だよなー、とカイトは納得した。使用する分にも快適だけど、一部の知り合いは導力革命以前の轟音を伴う機械類が好きという人もいた。それなら、こんな結社の研究施設で聞いた飛空艇の駆動音みたいなこの音も悪くない――

「って、あああ!?」

 叫ぶカイト、はっと思い至るジン。

「どうしてこの状況で飛行艇の駆動音が聞こえる!?」

 仲間たちが慌てる中、ヨシュアが誰よりも早くそれを唯指さした。

「あれだ!」

 全員が顔を上に向けると同時、中規模の影が陽光を遮る。暗い景色の中でも辛うじて見えた飛行艇の色はどす黒い紅。そしてわずかに見えた、自らの尾を喰らう蛇の刻印。それが放射状に何機も。

「結社のマークだと!? まずい、あの方向は……王都!」

 導力停止現象の最中。冬、乾燥している静かな城下町。そこに接近する結社の飛行艇など、どんな状況よりも悪寒を感じる。

 アガットが言った。

「全員、武器を持て! 一刻も早く王都へ向かうぞ!」

 言うが早いか、重剣を手にして駆けだす。

「ジン! 悪いがティータのことを頼むぞ!」

「了解だ。嬢ちゃん、ちょいと荒いがすまないな」

「は、はい! よろしくお願いします!」

 ジンがティータに手を貸した。一思いに少女をお姫様抱っこ様に抱え込むと、過度に揺れないよう固定しながらアガットを追う。シェラザードや他の少年少女も、それに続いた。

「くそ! どうしたってこんな朝早くから結社が現れるんだっての!?」

「判らない。けれど飛行艇が何機も動かされている……学園占拠よりも、本気かもしれないよ」

「ヨシュア、あの飛行艇に執行者はいるの!? レンとかは!?」

「判らない……可能性がないとも言えない」

「そうなったら姉さんも」

「それにあの変態紳士もか……」

 経験豊富なジンがアガットに続き先頭で焦っているのも、ヴァルターの可能性を嗅ぎつけているからなのかもしれない。

 どちらにせよ、緊迫しているのは変わらない。

「私たちもアガットたちに続くわよ! ヨシュア、エステル、カイト! 慎重についてきなさい!」

 アーネンベルクに取り囲まれたグランセル地方は、他の都市と比べて面積は小さい。グランセル城と市内、エルベ離宮を除けばあとのめぼしい地理名称はエルベ周遊道程度のもの。

 故に全力で走れば時間もそれほどかからず到着したが、焦りを消す時間も与えてくれなかった。

 城下町前では、既に警備をしていた兵士たちが全員倒れていた。隊長は辛うじて意識を繋げ、七人に執行者と紅蓮の兵士が現れたことを教えてくれたが、それを契機に気絶した。他の兵士たちの安否を気にする時間はなかった。

 カイトたちが市内へ着く頃には、街は夕暮れのような茜色に包まれていた。それがこの早朝に出現居ている意味には身震いを感じたが、カイトたちと合流したエルナンはグランセル城に向かうよう促した。

 市内については、できる限りの民間人を襲われている紅蓮の兵士たちから避難させているらしい。いくつかの紅蓮の兵士ではない人影が王城へ向かうのを見た、仲間たちは誰もが執行者の存在を幻視した。

 民間人の街が燃えていく様子、静だった空間に燻る臭いと灰が弾ける音をかき分けて、王城前の前までたどり着いた。

「見て! 城門が……!」

寸勁(すんけい)……間違いない、ヴァルターの仕業だ」

 慌てるエステルに説明するジンもまた、普段の冷静さとはまるでかけ離れていた。

 グランセル城を守り、かつて王城解放作戦でもカイトたちを苦しめたあの巨きな二枚重ねの城門が跡形もなく瓦礫の山と化している。その奥、暗い城内に見えるのは、気絶した王室親衛隊の隊士たち。

 急いで乗り込むと、そこは既に静寂に包まれていた。隊士たちと共に倒れるのは、クローゼと同種の細剣を持った執事フィリップと、その主デュナン公爵だ。

「エ、エステル様……」

 隊士たちの様子を確かめつつ、フィリップとデュナン公爵の元へと駆ける。

「フィリップさん、デュナン公爵も!」

「もしかして、彼らを食い止めようとして……」

 ブライト姉弟が唸った。フィリップが戦える、というのは初耳の者もいたが、彼が年代物の細剣を手にしていることからも予想はできた。傷だらけで立ち上がれないにも関わらず得物を握り続ける、それは並の使い手以上の覇気を併せ持つことを物語る。

 老体に鞭打ち、フィリップは顔を上げた。その視界に捉えられるは年少組の四人のみ。

「ええ……ですが歳ですかな、さほど時間は稼げませなんだ。こ、公爵閣下の御様子は?」

 その忠義は本物だ。探している主は、先輩遊撃士三人が様子を見ている。シェラザードが言った。

「大丈夫、当身を受けただけみたい。命に別状はないから、どうか安心して」

 デュナン公爵は仰向けに倒れていた。それがどういう状況なのか、戦いの世界に身を置くものなら幾つかの予想がたつ。この場で考えられたのは、放蕩者と呆れられていたデュナン公爵が、フィリップが倒れてもなお執行者たちの前に立ちはだかったのだという事実。

 使える者に大事がないこと。そしてこの場にいない女王陛下の盾になることを引き受けたデュナン公爵の勇気に、老執事は、ほんのわずかに声を湿らせた。

「そうですか。陛下たちは女王宮……ど、どうかお急ぎくだされ……」

 安堵したように、フィリップは次の言葉を吐かなくなる。

「フィリッップさん!?」

 カイトが唸ったが、ヨシュアが制した。

「大丈夫、気絶しただけだ。急ごう……クローゼたちが危ない」

 最早考える必要はない。執行者たちが、仮にも王位継承の序列に並ぶデュナン公爵に目もくれず、王城の奥へ突き進む理由。

 カイトは目に力を込めて、それでも一度だけ、深呼吸をしてから改めて軍用拳銃を構えた。敢えて、ヨシュアの言葉をほんのわずかに否定して。

「行こう、皆。慎重に、迅速に、確実に」

 仲間たちがカイトを見る。その目は、頼もしい戦友を見るものだった。

 場所は移る。一階から二階へ二階から屋上へ。誰もが早鐘のように轟く鼓動を抑えて、そして状況について行けなくて忘我へと迷いこみそうな肺腑を精一杯広げて。

 空中庭園から見える、紅い市内を焼き付けても、そこへ走ることは許されない。

 だがそうして多くの犠牲を振り切っても、まだ女神はこちらに微笑んではいなかった。

「姉さん! 女王様!」

 女王宮へと続く階段の踊り場。そこには久しぶりに見たウィッグにドレスのクローゼと、貴賓な佇まいのアリシア女王がいる。怪盗紳士、痩せ狼、幻惑の鈴、殲滅天使。四人の執行者という並の檻よりはるかに絶望的な牢獄の中に。

「カイト……皆さん……」

 エステルと並び、先頭で拳銃を構えたカイトに、クローゼはほんの少し瞳を揺らした。

 そしてリベール王国で最も重い命を持つアリシア女王は、こんな状況でも落ち着き払って表情を崩さない。

「エステルさんたち……よく来てくださいましたね」

 その慈愛の声を遮って、怪盗紳士ブルブランが、一同の神経を容易に逆撫でしてくる。

「やあ、君たちか。四輪の塔以来の邂逅だ。歓迎させてもらうよ」

「っ、お尋ね者のアンタたちが宿主ぶってんじゃないわよ! 一体どういうつもりなのよ!?」

 大規模な王都の襲撃に王族の拉致。リベール王国の民として、そして人としてこの暴挙を見過ごせるわけがない。カイトを筆頭として、全員が殺気だって来ている。

 一方の執行者たちは、気味が悪いほどに安穏とした雰囲気だ。ティータ以上に年齢の低いレンは、その異常な存在の代表格。

「うふふ、教授に個人的に頼まれたのよ。『福音計画』には関係ないみたいだけど、思っていた以上にみんなの元気が良いから、色々試してみたくなったんですって」

「クク、てめえら各地の通信を回復させたそうじゃねえか?」

 少女の言葉を引き継いで、黒の場違いなスーツにサングラスをかけた男が言った。

「ヴァルター……お前」

「教授はそのちんけな足掻きがお気に召さなかったみたいでな。てめえらがもがく姿をもっと見たいんだとよ」

 その男を、カイトは初めて見た。『痩せ狼』ヴァルター。ジン、キリカの同門たる泰斗流。女子供にも容赦なく血沸く戦いによる快楽を求める戦闘狂。拳銃を構えるその腕が、ほんのわずか、震える。

「っ、ふざけんじゃないわよ! そんなことのために王都を襲わせたっていうの!?」

「確かに、悪趣味以外の何物でもない。けれど浮遊都市の制圧はレーヴェ一人に任されてね」

 暗い瑠璃の髪、銀閃以上に男を惑わすような、肌も顕わな妖艶な女。彼女が天を示し、そこにない浮遊都市を指し示す。

「やることもなくて暇ではあるし、四人で余興に参加しに来たってわけ」

「姉、さん……」

 シェラザードが、己の身内の愚行に息をつめた。彼女もまた、カイトとは初めての邂逅となる執行者。『幻惑の鈴』ルシオラ。シェラザードと同じ旅芸人一座で人気を博した鈴の姫。

「貴方たちは、本当になんてことを……」

 五人目の執行者、『漆黒の牙』ヨシュアは言った。かつて同じ場所から人々を見つめていた少年が、今度は彼らと対峙して。

 都市部の占拠、内部の人間と特定の人物の拉致。それは学園占拠事件の時と似た様相だが、その実態は大違いだ。リベール王国で展開される結社の計画、それを主導するトップが命令したものなのだから。奇襲作戦で奪還したあの時と違い、投入されている戦力も桁違い。

 女王宮のテラスか、そこからここまで、大した事は伝えられてなかったのだろう。アリシア女王は、ここへきて執行者との会話を試みる。どこまでも真摯に、静かに。

「話は判りました、けれど王族の幽閉が目的ならば、それは私のみを捉えれば済む話でしょう。どうか、クローディアのことは見逃していただけませんか?」

「いけません、お婆様! 捉えるならば、どうか私を……!」

 女王と王女、どちらの訴えにも大した感情を見せず。また遊撃士たちの殺気にさえ未だ反応せず、執行者たちは自由に会話を楽しむのみ。

「ふむ、確かに教授の注文はどちらか一人だったはず。さて、これはどうしたものか」

「あら? ブルブラン、貴方確か王女殿下にご執心ではなかった?」

「籠の中の鳥には、いまいち魅力を感じなくてね。……まあ、囚われてなお輝く気品というものを見てみたい気もするが」

 カイトが一歩、前に踏み出した。仲間たちの誰よりも前に出て拳銃を怪盗紳士の脳天に向け、怒りを相貌に込めて睨みつける。

「てめぇぇ……ふざけるなよ」

「クハハ、久しぶりだ少年。この間の続きでもするかね? 今こそどちらが姫君にふさわしいか、決着をつけることができると思うが」

「なんだブルブラン。お前、こんな弱っちいガキに粘着されてんのか?」

「フフ、気概は褒めるに値するよ? まあ、所詮はその程度だが。今は彼の詩人もいないようだしね」

「上等だ……前へ出ろ、変態紳士」

 カイトの挑発に、ブルブランは口角を歪なまでに引き上げた。……が、反応したのは痩せ狼。

「おいガキ、その辺にしとけや。お前、小娘よりも弱いだろう。そんなハエを生かして馴らせるほど温厚じゃねえんでな」

 殺気が、カイト一人に向かわれた。足が震える、耳が遠くなる。けれどそれでも、カイトは銃を握りしめて離さない。

「止めろ、ヴァルター。あんたの相手は俺だろう? 後輩に手を出すというのなら、俺はどんな手を使ってでもお前をその場から引きずりおろすぞ」

 ジンが、後方からエステルの前に躍り出た。かつて、帝国のザクセン鉄鉱山で見せたような、苛烈な殺気をにじませて。

「ほぉー、言うようになったじゃねえかよジン。だったら今すぐに――」

「止めておきなさいヴァルター。貴方、何見え見えの挑発に乗ってるのよ。貴方が馬鹿にする子供に負けることになるわよ?」

「フン、暇つぶし程度にはちょうどいいだろうが」

「うふふ、レンもお兄さんの挑発になら乗ってもいいけど?」

「止めたまえ、敬愛する姫を救うための小さな騎士の戦いだ。正々堂々と立ち向かわなければ、可哀想なものだろう」

 総じて、カイトのことは眼中に入られてすらいない。今すぐ特攻してやりたい激情を抑えた、精一杯の陽動でさえも気づかれた。

 エステルが、変わらない状況に怒鳴り声を上げる。

「アンタたちねぇ……本当、いい加減にしなさいよっ!」

「クク、てめえらもてめえらで笑わせんじゃねえよ。仮に人質がいなかったとして、七人がかりで向かって来たとして、俺たち四人に勝てると思うのか?」

「うふふ、今度会った時にはまとめて殺してあげるって約束したわよね?」

 ヴァルターの言う通り、状況が絶望的なことに変わりはなかった。先の四輪の塔の戦いでも、結局四人以上で向かって一人の執行者に抗うのが関の山だったのだ。加えて導力停止現象で得物や戦術オーブメントの恩恵を受けられない状況では、その結果は火を見るより明らかだ。

 沢山の王国軍兵士が来たとしても、目の前の敵は一騎当千。加えて人質は、何としても命を守らねばならないリベールの王族。全員が判っている、分が悪すぎると。

 ヨシュアが双剣を構えて、それでも努めて冷静に告げる

「みんな、気持ちを抑えて。彼らの言う通り、この戦力差はどうしようもない。何とかして、少ない勝機を窺うしかない」

 敢えて、敵の前で『勝機』の言葉と共に作戦を告げる。それもまた一種の陽動なのか、それでも執行者は余裕の表情を崩さない。

「フフ、無駄だヨシュア。あるいは君の隠形ならば我らの隙を付けただろうが」

「そうして姿を見せた状態では、そこの少年の陽動と大した違いはない。私たちの隙をつくのは不可能よ」

「……そうだね。でも、一つだけ訂正をしたいかな」

 ヨシュアが続ける。怒りに震えるカイトやジン、動けないアガットにティータにシェラザード、隣に立つエステルを鼓舞するかのように。

「カイトは弱くはないし、今のは決してちっぽけな陽動でもなかった。僕らも、貴方たち四人に勝てなくともここに来たことは無意味じゃない」

 それはむしろ、五人目の執行者の余裕極まりない言葉。何事かと、敵味方を問わずその言葉に注目する。

 意味のない陽動ではないし、自分たちが四人に勝てなくともいい。それは、何故なら。

「隙をつくのは、僕の役目じゃないからね」

 その時、空気が変化した。

 カイトたちも動けぬまま、踊り場側面から流れるように人影が出て、執行者に近づいた。咄嗟にレンが大鎌で、その剣の攻撃を防ぐ。しかしそれなりの威力だったらしく、少女は大きく後退した。続けざま放たれたブルブランの短剣の投擲も、不発に終わる。

「やあ、皆ご苦労だったね」

 優し気な風貌に落ち着いた声だが、その身に纏われるは緑の軍服。王国軍に属する高位の仕官を表すもの。

「陛下、殿下。遅くなって申し訳ありませんでした」

 赤茶の毛。それはこの場の誰もが知っている。マクシミリアン・シード中佐。レイストン要塞の守備隊長も務める王国軍の生命線。

 クローゼが、アリシア女王が、遊撃士たちが驚く中、執行者たちは緩んでいた気を引き締め始めている。

「ほう……『剣聖』に連なる者か」

「ウフフ、惜しかったわねぇ。あともうちょっとでレンたちのスキが作れたのに」

 攻撃を受けた二人は、突然の強者の出現に声を弾ませていた。まだ、現状は変わらない。

「ああ、正直ショックだよ。今の打ち込みが返されてしまうとはね」

「クク、いいねぇ。せっかくだから、俺たちとこのまま遊んでいくかよ?」

 口角を歪めたのは、戦闘狂もまた同じ。しかし殺気を放ちながらも笑みを絶やさないシード中佐は、こんなことを言った。

「いや、遠慮しておこう。自分もエステル君たちを同じく、単なる囮に過ぎないのでね」

 突如、陽光を切り裂く小さき影。クローゼを守るもう()()の騎士が、ルシオラに特攻した。

「っ!」

 たとえ一羽の隼と言えども、死角からの攻撃には不意を突かれる。ルシオラは後退し、初めて執行者による王族の牢獄に歪みが生じる。

「ちぃ!」

 舌打つヴァルター。それを迎え撃った人影は、()の軍服を身に纏っていた。

 神速の斬撃は、さすがの痩せ狼でも避けなければただでは済まない。それほどに圧倒的な一撃。隙を見せぬまま、さらにルシオラへの光速の連続突き。ここで初めて、カイトたちにその人物の得物が『太刀』であることを理解させた。

 驚く仲間たちを束の間、崩れた陣形にさらにシード中佐が風穴を開ける。先の人物には劣るが、それでも基本と応用に忠実な軍属の剣が、レンとブルブランを大きく王族の二人から離れさせた。

 結果、執行者四人は徐王宮入口に固まる。その正面に割り込んだ二人が守護神として立ちはだかり、王族二人はその背中に守られた。

 役立たずのような気がしないでもなかったが、それでも快哉を顕わにして遊撃士たちが後方から近づく。

 緑と黒の、しかし同じデザインの二つの軍服。一人は先ほど分かったようにシード中佐。そして、もう一人の金髪は――

「リ、リ、リ……」

 カイトが口をあんぐりと開けて、そしてエステルが叫んだ。ここ数週間で、最も大きな声を響かせて。

「リシャール大佐ぁ!?」

「はは……久しぶりだ、エステル君」

 アラン・リシャール元大佐。情報部を立ち上げ、クーデターを目論み、かつて王都の地下でエステルたちと対峙した愛国者が、今、カイトたちに背を向けて立っている。その言葉から、どこか苦笑めいたものを感じさせて。

「しかし今の私は階級を剥奪された、服役中の国事犯に過ぎない。大佐と呼ぶのは止めてくれたまえ」

「や、やめてくれたまえって……」

 エステルは、もう苦笑していいのか笑えばいいのか懐かしめばいいのか判らないという感じだ。それは仲間たちも同様で、誰も二の句が継げないでいる。

 リシャールは、太刀の切っ先を油断なく執行者たちに構える。敵であったころ、あれほど胃の奥が締め付けられる緊張を感じさせたのが、今はこの上なく頼もしい。

「陛下と姫殿下。壮健そうで何よりです。既に准将から話を聞いておられるとは思いますが、どうか一時の間、この逆賊に御身らを護らせて頂きますよう」

 その言葉は、少しばかりの後悔と苦みがある。どうやら状況を理解していないのは遊撃士たちのようだが、それでもアリシア女王やクローゼがどんな返答をするのかだけは判る。

「ふふ、もちろんです」

「どうか……よろしくお願いしますね」

 その言葉を背に受け、金の髪の剣士はわずかに肩を震わせた。

「……ありがたき幸せ」

 現状は好転した。シード中佐が強く尋ねる。

「……それで、どうする? まさかこの上まだ陛下と殿下を捉えようとの考えか」

 執行者たちの前に立つ怪盗紳士が返した。

「ふむ……剣聖を継ぐ二人。それに漆黒の牙と腕利きの遊撃士たちか。少々、分が悪い」

 リシャールが言った。

「ちなみに市街の方も、既に手は打たせてもらったよ。王城と合わせ、趨勢はこちらに傾くだろう」

「え?」

 予想外の言葉だった。さすがに驚きに駆られたらしい執行者たちは、睨み合いもそっちのけで市街を目に捉えた。カイト、エステル、ヨシュアもまた、場違いにも後ろを振り返る。

 赤々と燃える市街地、紅蓮の兵士――強化猟兵たちが王国軍兵士を圧倒していく中、そこに少しずつ黒の精鋭たちが混じっていくのが判った。

 

 

――――

 

 

「これより人形兵器と猟兵団の掃討を始める。市民の保護、および正規軍の支援は最優先で行いなさい!」

 グランセル市街、西街区では、かつて女狐とエステルたちに罵られた女将校が、清廉な響きを特務兵たちに届かせている。

『イエス・マム!!』

 斉唱する部下たちもまた、一切の迷いがない。避難の遅れた市民を誘導し、傷ついた王国軍兵士たちを守り、そして劣勢に助け舟を出して紅蓮の兵士を薙ぎ倒していく。カノーネ元大尉の指示のもと、着実に制圧を成し遂げていった。

 そして、東街区では。

 数人の紅蓮の兵士が、少しずつ特務兵たちの緻密な戦術に後退を強いられている。だが、何もないまま撤退する結社ではない。元々の混乱に乗じて、敵も特務兵たちを撹乱していく。

 そんな中、特務兵たちから離れた場所で大剣を携えた紅蓮の兵士たちがいた。東街区での戦闘の中心、エーデル百貨店傍の公園。そこでの戦闘を避け、可能であれば中央区を経由して西街区の仲間たちと合流しようとする者たちだった。住宅の多い場所に行き、更なる混乱を引き落とそうとする者たちだ。

 だが、彼らが東街区南の通路を通過しようとした時。

 先頭を歩く三人の猟兵に、突如として斬撃が襲い掛かる。

 側方から届いた意識外の攻撃は、ただ不意を突いただけでない。重さ、速さ、そして流麗さを兼ね備えている。

 その一撃により、猟兵たちの陣形は崩れた。しかし、その場に現れたのは斧を持つ金髪の特務兵ただ一人。

 特務兵は、叩きつけた得物――斧槍を即座に回転させて頭上へ、反撃に来た大上段からの大剣を持ち手で防いだ。衝撃に痺れを感じる前に受け流し、再び地についた持ち手末端を支点にして槍部分を跳ね上げ大剣を巻き込んだ。

 苛烈な斧捌き、しかし特務兵は一人。背後と両脇から大剣が迫る。後方は突き、両脇は横なぎに。

 特務兵は身をかがめ、先んじた突きに右の掌を出し、大剣の平を手甲で叩いた。左脇の横なぎは巻き込んだ大剣の主を誘導して壁に。しかし、右方からの横なぎには防御のしようがない。

 剣と特務兵の体がみるみる間に縮まる。もう、手甲でも斧槍でも間に合わない。

 その時。新たな影が戦場に割って入る。

「全く、ルーク。詰めが甘いぞ」

 新たな特務兵もまた、身の丈もある斧槍を持っていた。金髪に向かった横なぎを柄で弾き、同時にいかなる挙動か身を一瞬で翻して、突きの大剣の主を弾き飛ばした。大剣を弾いたのではない、零距離から()()()()を四アージュも()()()()()()のである。

 特務兵二人、至近距離に三人の猟兵。離れた猟兵たちは驚き、慌てて援護に向かう。しかし新たな、白が混じる茶発を擁する特務兵の流麗な動きに全ての攻撃を外され、崩れた陣形にさらに金髪の特務兵の苛烈な一撃に痛手を食らう。

 やがて背中合わせに斧槍を構える二人の特務兵。その姿は敵を逃さず仲間を護る守護神のようで。

「すみません、オルテガさん。こいつらが中央区に生きそうだったもんで、いてもたってもいられなくて」

「まったく……まあいい。我々の役目は東街区の猟兵どもの掃討だ。油断せずに行くぞ」

 猟兵たちは二人を囲い、じりじりと距離をつめてくる。完全に包囲しても当初の目的だった中央区へ向かわないのは、敵もまた二人の実力を感じ取っていたからだ。

「西街区では、カノーネさんの指揮がある。中央区では遊撃士協会支部の受付が上手くやっている。それで、王城では……」

「アランが敵の将を討つ。……あの遊撃士たちと共にな」

 茶発――老齢の特務兵はまったく衰えの感じない意志の強さを持ちながら、視界の端に見える王城テラスへ意識を向ける。

 金髪の若々しい特務兵が訪ねた。

「やっぱり気になります? あいつらのこと」

「まあ、な。我々を直接下した者たちだ。若者については、お前のような才ある者もいた」

 かつて、二人は特務兵としてクーデターに加担した。アラン・リシャールの愛国心を信じ、自らも王国を愛し、そしてエルベ離宮にて遊撃士たちと矛を交えた。

「はは。確か、港でオルテガさんを締めたのって、あの時の一番弱そうなガキんちょだったんですよね?」

「ああ。確かに実力はないと言ってよかった。どうして負けたのか不思議なほどに。だが……」

 そして、二人は遊撃士たちに敗れた。混乱に乗じて再決起を狙った老兵も、今度はまた一人の少年に敗れた。

「……だが?」

「……だが、その心は我々と同じだった。国を愛し、隣人を愛し、家族を愛する。そしてそのために己が命を輝かせる。ただ、その方法が違っていただけだ」

「……そうですね」

 敵国への憎しみと恐れからでた、ある種の暴力的な政治行為。自暴自棄になり取ったその行動を少年は否定し、そして同意した。自分とあんたは、同じなのだと。

 その言葉に、老兵は突き動かされた。安易な道に逃げないで、考えなければならない。虚ろな正義を抱える少年から発せられた。虚ろを強固に変えるための真っ直ぐな心を見た。

 だから、老兵は少年に負けた。だから、老兵は少年に心を許した。

 だからこそ。

「だからこそ、我々は成さなければならない。共に、一度は訣別した道を歩いて、彼らの心の行き着く先を知るために」

「……ええ」

 だからこそ、ここにいる。愛国のために磨いたこの武を、意志を訣別した遊撃士でなく、真に国を脅かす災厄に向けるために、遊撃士と共に手を取り、同じ未来へ進むために。

「なんにせよ、この場を乗り切らなければきりがない。正念場だ」

「はい――切り替えますよ」

 共に、斧槍を両腕で構えた。言い知れない殺気が、その空間を包み込む。

「元情報部特務兵、ルーク・ライゼン」

「同じく元情報部、オルテガ・シーク」

 守護神たちは言い放つ。金の髪をなびかせた若い声を持つルーク・ライゼンは冷静な意志を決死の表情に込めて。白が混じる茶髪で渋い声を持つオルテガ・シークはほんの少し優しそうな瞳に厳しさを込めて。

「リベールの未来のため――お前たちは通さない!!」

「例えどのような――(つわもの)であってもな……!」

 二人の背中が離れる。二つの斧槍が、戦場を駆け巡る。

 


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