「わたくしがこの場へ来たのは、貴方がたと同じく、友好のためです。それ以上でも以下でもなく。このゼムリア大陸西部に恒久の平和を造る、無為な戦火を生み出させないために」
少女の涼やかな声が、平原に響き渡る。帝国軍側、後方よりゼクス中将と少女の交渉を聞く金髪の青年は、予想外の言葉に笑みを湛えて椅子から立ちあがった。
「ふふ……この欺瞞に満ちた戦場で平和を語るか。どこまでも、彼女たちらしい」
遠く、ゼクス中将の向こうに見える薄紫の髪の少女。そして、その後ろに控える歴戦の遊撃士たち。
ここは、冷たい戦場。騎士が魔王を打ち砕く夢物語では決してない。語られるのは勧善懲悪ではなく、国という相対的な正義の元に変化する相対悪。
そんな場所で、変化しうる脆弱な平和を見出そうとする。実にまっすぐで、青年はそれを楽し気に感じた。
「何を言っている、阿呆が」
後ろから、声が聞こえた。いつでもどこでも真面目で堅物な親友は、黒髪を掻きつつため息をついている。
青年は後ろも振り返らず、どこか遊び人めいた口調で語る。
「おやぁ、納得してくれたんじゃないのかい? 盛大な逆転劇、そのシナリオを支えた柱である君なのに」
「俺がお前の案に納得したことがあったか? 全く、こんな輩をそばに置いていた彼らには同情するぞ」
「それはそれ。これはこれ。彼らに送るべきは同情じゃない、挑戦状さ」
青年は歩き始める。少女はなおも、国の威信をかけて言葉を重ねている。
「不戦条約によって培われた友情に無用な亀裂を入れないためにも……どうか、わたくしたちに少しの時間をいただけないでしょうか?」
青年は考える。これで、舞台は整ったと。
自分は、目的があってリベールという国を訪れていた。
目的は剣聖カシウス・ブライトとの邂逅。それは見え透いた仮面をかぶる自分でなく、故郷での皇族たる自分としての目的。詩人としての目的は、ただの物見遊山だった。
しかし、途中から目的は増えた。詩人として、ただの帝国人として仲間を作り、そうやって彼が見た世界は自らの価値観に衝撃と希望を与え続けた。
新たな目的は、リベール王国を知ること。そこに生きる人々を知ること。剣聖の娘を、漆黒の牙を、スラム育ちの女性を、王族の娘を、技術少女を、不良青年を、敵国たる共和国の武人を。
そして孤児院で育った、自分の故郷を憎む少年を。
そうして、自分は希望の翼を見た。自分の目的、これから立ち向かおうとする圧倒的な壁。その前に立つ時、心に宿せる希望の翼があることを。
そうした決意を得た時。戦いの狼煙を上げる時。自分は、もう一つしなければならないことがある。
「行くよ、相棒。僕らは僕らの挑戦状を掲げに行く時だ」
「……まったく」
堅物の親友は、仏頂面になり、それでも拒否をすることをしなかった。
そう、仲間たちへの挑戦状だ。自分の生き方はこうなのだと、今まで沢山の生き様を見せられてきた青年が、今度は仲間たちへ自分の生き様を見せつける番だ。
だからこそ、思うのだ。精一杯、言葉と生き方と、思想の限りを尽くして、自らの生き方を誇示するという喧嘩をしようじゃないかと。
「残念だが、それはそちらの都合でしかない!」
これが、その第一声。優勢だった王太女の演説を切り裂く、獅子の咆哮が如き圧。
青年は一歩一歩進む。その度に、自分の声の意味に驚く遊撃士たちの、驚愕に満ち満ちた顔が見て取れるようになる。
「皇子……」
ゼクス・ヴァンダール中将の元へ近づくと、軍人は命令を待った。
「ここは私が引き受ける。下がっていたまえ、中将」
青年はただ二言、それだけを言った。「……御意」
軍人は何かを伝えるような瞳を向け、それでも青年の命に従う言葉だけを交わし、律儀に後方へ下がっていく。
「お初にお目にかかる、クローディア姫殿下!」
さらに続けた。そして青年は、エレボニア帝国で最も南、軍人たちよりも最も南に立って、リベール王国で最も北に立つ王太女とその護衛たちに立ちはだかる。
世界は、もう夕暮れだった。南の小国の自然、その高々とした山々が茜色に染まる。
茜色に染まるのは、人間たちも同様だ。青年にとって見知った者たちの表情は、未だ驚きに駆られているように見える。
いや、一人だけ違う。王太女の後ろ、栗髪の少女と横一線に立つ、茶髪に金の瞳を宿す少年は。
微かに、口角が上がっていたように、青年には見えた。
見間違いかもしれない、少なくとも目は見開いている。それでもその瞳が宿す表情は、自分に向けられた視線は、怒りでも憎しみでもなかった。
その事実に、青年は笑みをたたえた。
「エレボニア皇帝ユーゲントが一子、オリヴァルト・ライゼ・アルノールという!!」
オリヴァルト――かつて仲間たちとともに帝国を旅した詩人、オリビエ・レンハイムは、朗笑を携えて数週間前まで共に語り合った仲間たちを見る。
彼らへ、
――――
帝国の皇族と王国の王族。それぞれ象徴的な覇気を持つ二人が対峙する。王国側、王太女クローゼは、皇子オリヴァルトの存在に驚く。そして、仲間たちも。
「皇子って……皇子様ってことーー!?」
エステルは、言葉を呑み込むことすら怪しくなってきている。思わず、漂泊の詩人の正体をずっと気にかけていた姉貴分を見る。
「シェラ姉、知ってたの!?」
「し、知るわけないじゃない! てっきり帝国の諜報員かと思ってたわよ!」
銀閃が警戒していたのは遊撃士としてはむしろ模範的で、二国の情勢をよく知る人間にとっては当然の発想でもある。今の時代、諜報員を他国へ送り込むのは大国ならどこもやっていたっておかしくはない。
一同は、先頭に立つクローゼを見た。後姿故に動揺したことだけしか判らなかったが、それでも発せられた声は場に呑まれてはいなかった。
「オリヴァルト皇子……名前だけは存じていましたが」
仮にも隣接する国のトップ、存在まで知らないわけではない。そうは言っても、この場に現れるなど誰も想像してないが。
「皇子とはいってもしがなき庶子でしかない。公式の場に出ることも少ないから顔を知らなくても不思議はないがね……しかし、そうはいっても少しばかりショックではあるな」
「え……」
「縁がなかったとはいえ、かつての縁談相手の顔ぐらいご存知かと思ったのだがね」
カイトが思わず喉を詰まらせた。エステルは変わらず、小さな絶叫を上げていた。
「あ、あんですって~!?」
ヨシュアが、信じられないという少年少女に代わり納得している。
「そうか、大佐が進めていた話か……」
かつてリベール王国軍の情報部が健在していた時、グランセル城を掌握しかけていたリシャールが進めていた話だ。王位継承権を持つクローゼを遠ざけ、代わりに当時傀儡となっていたデュナン公爵を次期国王として推すための。
結果的にそれは現実となっていないが、その相手である皇子が縁談を認知しているまで話が進んでいたとは、恐ろしさをカイトは感じる。
クローゼが、一応の体裁を繕うべく切り出す。
「そうでしたか……存じていなかったとはいえ、申し訳ありません」
「まあ、女王陛下や姫殿下のあずかり知らぬと事で進められていた話だとは聞いている。そのことは別に気にしてはいない」
それよりも、依然オリビエ・レンハイムは帝国皇子として振舞っていた。仲間たちにとってはそれが異常事態に他ならず、アガットは普段の精悍さを忘れ訪ねる。
「おい、おい……本当にあの皇子がスカチャラ野郎だってのかよ……!?」
「……風貌からも、そうに違いないだろう。全く、あの帝国の皇子だとは信じたくないが」
帝国を旅してきたジンはなおさら、普段の道化めいた行動をとる彼が、質実剛健を気風とする帝国の皇子であることが信じられない。
「……」
ティータに至っては少しばかり混乱しているらしく、先程から一言も発していない。シェラザードに肩をゆすられて、ようやく現実に戻りつつあるようだ。
そんな中、カイトは言った。
「ヨシュア」
「なに?」
「知ってた? オリビエさんがオリ……ヴァルト? 皇子だったってこと」
「いや」
ヨシュアは頭を振った。
「でも、ミュラーさんのことは、彼と戦った時になんとなく」
「ミュラーさん……空賊の飛空艇を奪った時に?」
ヨシュアとオリヴァルトの後ろに控えるミュラーが戦ったというのは、四輪の塔攻略の時に聞いていた。
「ヴァンダール家。クローゼが言ったように、エレボニア帝国における皇族を守護する名門だ。その彼と行動を共にするオリビエさん。想像は働いてたけど、確証はなかった」
「まあ、あんなのが皇子だとはね。でも、やっぱりヨシュアはすごいよ」
「カイトはそれほど驚いていないんだね?」
「自分でも、不思議なくらいね」
少年二人は交渉の場に視線を移した。
「縁談のことなど気にしてはいないが……今回の事態は見過ごせないな」
オリヴァルトが冷笑を、いや冷徹な瞳をクローゼに向けた。
「クローディア姫。今、帝国本土でどのような噂が囁かれているかご存知か?」
あくまで王太女殿下ではなく、姫。オリヴァルトは、未だ掴んだ主導権を離さないでいる。
クローゼは考える。皇子という男の素性には驚かされたが、結局今は皇帝と女王の名代が交渉をしているという判りやすい図式だ。
今までオリヴァルトがなぜ素性を隠して自分たちと行動していたのか、それは判らない。当時の自分はあくまで王女という身分だったし、仲間たちと行動を共にして得られるのは、結社の脅威くらい。それはそれで有益な情報だが、わざわざ諜報員まがいの行動をとる必要性は見えないし、そもそも一国の皇子が諜報行動をする意味がない。オリヴァルトが皇子でないというのは、今までの覇気からしてむしろ信じられない。
交渉相手が軍人から皇族へ。ハードルが跳ね上がった、その事だけに注目し、言葉遣いと態度を改める。
「……いえ、寡聞にして」
「……そうだろうな。ならば教えよう」
そうして、オリヴァルトは笑った。導力停止現象が生じている今、帝国からの情報は届くはずがないのに。そして言った、今度は青年が現れたのとは別種の衝撃的な発言を。
「彼方に見えるあの巨大構造物……あれが王国軍の新兵器だという噂だ」
クローゼが、仲間たちが、モルガン将軍が、兵士たちが目を見開く。帝国の正義、その正体が判った。
「『リベール軍が導力を停めてしまう画期的な新兵器を実用化したそうだ。彼らはそれを使って帝国に十年話前、百日戦役の復讐を企てているらしい』――そんな噂が、まことしやかに流れているのだよ」
衝撃的な、しかしおろかしいほどに筋の通る言いがかり。その話を是とするならリベールは自国の兵器によって導力が停止されている間抜けな存在なわけだが。
「そ、そんな……誤解です! わたくしたちはそんな――」
「誤解であることを証明できるかね?」
「っ……」
クローゼは言葉を詰まらせた。
帝国側の誤解です。こちらの現状を見ればわかります。それならば、自国の領土に導力停止が起こる愚行など犯さない。
数々の弁明が頭によぎるが、帝国を説得するには足らなかった。帝国側の思惑を叩くには、弱すぎた。
オリヴァルトは続けた。
「出来ないのであれば、こちらもそれなりの対応をさせてもらうしかないわけだ」
それが、帝国が蒸気戦車の師団を引き連れた意味。帝国が侵略したなどとは言いがかり、むしろこちらが防衛のために来ているのだと、先程ゼクス中将が述べていた建前を崩してまで圧倒的な札を見せてくる。
これが、過去リベール王国に向けられた帝国の闇の部分。千年の血塗られた歴史を持つゼムリア大陸、その一角、人間同士の平和とは程遠い交渉の場。
民意を盾とし、相対的な正義を掲げ、圧倒的武力を剣として力なき人々を蹂躙しようとしている。
「それどころか、噂の通りであれば不戦条約を隠れ蓑にした重大な背信とすら言えるだろう」
クローゼは十分に健闘している。力ない立場で、絶妙な言葉遣いと平和への意志を胸に、戦っている。
だが、それでも王国と帝国では土台が違う。この上オリヴァルトのように、正面切って侵攻に対する防衛を掲げられては、こちらができるのはその誤解を解くことのみ。しかし現状、何も証拠はないのだ。
クローゼの手札が消えていく。侵略という名の戦争が、始まろうとしている。
「……行くか」
カイトが小さく、誰にも聞こえない声量で呟いた。隣では、エステルがオリヴァルト――オリビエのある種の暴論に憤っているのが見える。誰から見ても判るほど憤慨しているのは彼女らしい。だが、それでもオリヴァルトの巧妙な舌は止まらない、そうカイトは考えた。
自分に何ができるのか、それは判らない。けど、ただ傍観するためにこの場に立っている訳ではない。
仲間たちの先頭に立つカイト、そしてクローゼ。二人の間には、五アージュ程の距離があった。
その距離を埋めようとして、一歩を踏み出した、その矢先。
「おい、待てよカイト」
アガットの声が、すぐ後ろから聞こえた。次いで肩に手をかけられた。
「その役目は、俺たちに任せておけ」
少年の肩を掴んだ赤髪の偉丈夫は、しかし優しげにカイトに視線を移す。今までとは違う彼の姿勢に、カイトは驚くばかりだ。
「遊撃士としての中立性を掲げて、交渉するつもりだったんでしょ? そういうのは私たちに任せておきなさいよ」
今度はシェラザードが、暴走寸前のエステルの頭を叩きながら前へ出た。その後、銀閃はエステルに落ち着くよう釘を刺す。太陽の娘は、渋々後退してヨシュアの隣に立った。
「ま、そういうことだ。交渉の最初は、何よりも立場が重要になる。まずは、俺たち先輩に初陣を切らせてくれや」
さらにジンが、前へ出た。共和国の武人は緊張を全く感じさせず、堂々とその場に立っている。
先輩三人は横一列に並び、カイトの前へ。不動を中心に、重剣と銀閃が左右を守る。歴戦の遊撃士たちの威風堂々とした姿は、少年にとっても頼もしかった。
未だクローゼは交渉に必死で、後ろの仲間たちの変化に気づいていないようだった。
ジンが再び語る。あくまですべてを担うのではなく先陣を切り、後を託す先輩としての言葉で。
「最初、中立性を説くのは俺たちに任せろ」
アガットが続けた。あくまで自分たちを引っ張ってきたのは誰か、それを誰よりも判っているかのように
「そんで次は冷静になったエステルを、俺たちのリーダーを頼れ。そいつを支える相棒もな」
そしてシェラザードが締めた。誰よりも未熟な少年を信頼して。
「そして最後は……あのオリビエと誰よりも話したアンタが、お姫様と一緒に決着をつけなさい」
遊撃士の立場を利用はする。しかしそれでも、目の前の交渉相手は難題だった。だから、どこかに逆転の可能性を探るために自分が出ようとした。先輩たちは、それを理解してくれていたのだ。そしてそれを切り札とすることを信じてくれたのだ。
先輩たちは歩き続ける。オリヴァルトは、変わらずクローゼを追い詰めていた。
「条約を離反した、裏切り者への粛清……正当防衛もやむを得ないのではないかね?」
やはり、このままではいけない。先輩たちが交渉に割り込む前に、カイトもまた下がってエステルに話しかける。
「エステル、大丈夫?」
「大丈夫よ! 少し、頭を冷やせって言われたけど……」
ぶつぶつと、エステルは小言を漏らしている。先輩たちが止めなければ、あのままオリヴァルトに向かって正面切って抗議するつもりだったらしい。
まあ、怒り口調か冷静な口調かだけで、抗議するのは変わらない。カイトは頼もしさを感じて、言った。
「エステル、ヨシュア。オレたちも後で出るよ」
「判ってるわ」
「僕も同じだ」
「お姉ちゃんたち……頑張って!」
ティータばかりは、立場としても身の危険としても前に出すのは避けたかった。しかし、彼女も同じく精一杯の覚悟を持ってこの場所に立っている。
「ありがとう、ティータ。オレたちみんなで、この危機を乗り越えるんだ」
そう言って、決意を胸に、ティータを残して三人で先輩たちの後ろへ続く。
同時、クローゼの隣に立ったシェラザードが、高らかに声を張り上げた。
「その交渉、私たちにも混ぜて頂くことは可能かしら?」
――――
軍人、王太女、そして皇子。三様の勢いが入り乱れた平原で、初めて放たれたシェラザードの声は、特有の勢いがなくとも確かに交渉を止めさせた。
「おや、何だね君たちは? 先程からクローディア姫の後ろに控えていたようだが……随分とこの場に似つかわしくない風体だ」
オリヴァルトは、いかにも迷惑そうというように息を吐いた。それが、ほんのわずかに笑みを浮かべたため息であることは、リベール側には遠すぎて、帝国側には背を向けているせいで気づかれなかった。
「私たちは遊撃士です。今回、クローディア王太女がこちらへ来るに当たり、護衛として派遣されました」
「ほう、遊撃士か。なるほど、随分と個性的な姿をしている訳だ」
少しばかりの嘲笑めいた言葉。それにも、三人の遊撃士は笑顔を一リジュたりとも崩さない。
「だが王国中の導力が停止しているという現状にあって、王族の護衛を任される遊撃士か。随分と実力のある者たちらしい。なるほど、一先ずは歓迎させてもらおうか」
「あら、ありがとうございます」
「それで……なんと言ったのかね?」
変わらず、余裕の表情のオリヴァルト。シェラザードは、ともすれば失礼にあたるような態度で続ける。
「私たちにも、その交渉に参加する権利を頂けないか。そう、申し上げましたわ」
「ほう」
今まで国の関係者が交渉をしていた。そこに民間団体である遊撃士が割り込む。それを、シェラザードは提案している。
「遊撃士はゼムリア大陸において支える籠手を掲げる正義の使者。それは単なる街の落とし物から、果ては国同士の戦争の調停にも、仲介として立ち会う時がある……」
「……」
「なるほど、つまりこれは我が国の侵略行為だと。そう言いたいということかね?」
オリヴァルトが突いた。シェラザードは、なおも面持ちを崩さない。
「皇子殿下は、もう一つお忘れになっていますわ。国際的な場での平和的な交渉……その場にも、中立的な立場からオブザーバーとして遊撃士が参加するものです」
「フフッ」
オリヴァルトは笑った。
「そのように言うのであれば、それはこの場にそれだけの実力を――武だけに囚われない実力者がいるということだ」
シェラザードの遊撃士階級は、カシウスのような最高位ではない。それどころか、実力者ではあるがA級ではない。銀閃は口をつぐんだ。
「っ……」
「それどころか、残念ながら
確かに、シェラザードもアガットも、カイトもエステルもリベール出身、あるいはリベールを故郷としている者たちだ。ヨシュアは帝国の生まれではあるが、歴史の闇たるハーメル村の出身であるがために帝国出身だといえば余計な波紋を起こしてしまうだろう。
だが、この程度では遊撃士たちは折れない。
ジンが、頼もしく前に出た。
「カルバードの遊撃士もいますよ。A級、ジン・ヴァセック。不戦条約を結んだ一国の遊撃士として、あれは共和国にも帝国にも向けられたものではないと公言できます」
「ふむ……不戦条約を結んだ三国の関係者が、偶然にもこの場にいると。証拠は?」
「カルバード共和国、レマン自治州本部へ訪ねれば私の身元は証明できる。これでも、不満ですかな?」
「いや……認めよう。帝国南部の危機を前にして、これ以上時間を割く余裕はないのでね」
オリヴァルトの攻勢をまず、ジンが止めた。その勢いを止めまいと、シェラザードが反撃に出る。
「リベール王国のB級遊撃士、シェラザード・ハーヴェイです。私は高貴な身分でも実力者でもないですが、ぜひともお酌を注がせていただきたいものですわ」
「ゾクッ」
どこか艶やかな、この場に場違いな声。彼がオリビエだった、だからこそシェラザードができたある意味最も強い攻撃だ。
「あら、皇子殿下。どうかされまして?」
「ハハ、そのような戯言は後にしてオキタマエ」
どこか、メッキがはがれたような声色だった。だがしかし、皇子たる度胸ゆえか、かいた汗をとどめる。
「ハハッ……それで、君は?」
次に、目線は赤髪の偉丈夫に向けられた。なんども間の抜けた冗談と突っ込みを繰り返してきた両者は、ここへ至って等しい温度で言葉を交わす。
「同じく、B級のアガット・クロスナーだ。にしても、リベール側の侵略行為か……」
「そちらに立っているということは、まあこちらを否定していることに変わりはないだろう。で、侵略が誤解だと証明できるのかね?」
「中立たる遊撃士協会が、民間人の保護のためだと謳い、王国軍と協力して事の解決に尽力している。そこのジンと同じく、これ以上の証拠があるとは思えないがな」
「残念ながら、帝国では遊撃士は嫌われていてね。それが証明になるとは思えないが」
「なんだ、それは残念だな。遊撃士が充実していれば、帝国南部の街の治安も解決するってのに」
「ほぅ……」
未だ納得はさせられずとも、遊撃士による弁明は、一度流れをせき止めた。
一度は押されていたクローゼも、仲間たちの背中を見て、心を再び奮い立たせる。
「こちらの方々は、ともに導力停止現象が生じる前から、件の犯罪組織の捕縛・事件解決に王国軍と共に尽力して頂いた方々です。共和国の実力者、そして王国の精鋭と共にいます。これが、証拠にならないと?」
「……まあ、遊撃士が廃れているとはいっても帝国は武を尊ぶ国でもある。特に『不動』については、その名も聞き及んでいる。一応話の分かる者がいる、ということは理解したよ」
未だ余裕綽々のオリヴァルト。そんな中、カイトはどうしてオリヴァルトがこの場にいるのかということを考える。
「だが、A級が一人にB級が二人……ベテランの遊撃士がこんなにもいるということはどうやら、確かに姫殿下の通り『戦争を仕掛けている』と誤解されているようなものだな。いや、誤解というより決めつけられているというべきか」
「なにっ」
「それは……」
アガットが、ジンが呻く。
「いらぬ誤解があるようで、残念だよ。見たところ、君たち以外の若者たちも遊撃士だというのかね?」
最早興味がないとでもいうように、オリヴァルトは遊撃士三人の後ろを見た。
そこには、クローゼの背を押すような挙動で前へ出たエステルとヨシュアがいた。
「エステル・ブライト! リベ―ル遊撃士協会所属のC級遊撃士よ! 中立的な立場から、私たちは双方の意思を尊重してこの場に来ているわ!!」
エステルは、先程の怒りを隠さず、それでも正遊撃士の一人として、既に先輩たちと同じ空気を醸し出していた。
「……ヨシュア・ブライト。リベ―ル遊撃士協会所属、E級遊撃士です。残念ながらランクは下ですが、それでも言葉を伝えることはできます」
正遊撃士になった直後に行方をくらませたヨシュアは、当然のごとくランクは低い。だが、その実力は帝国・王国を含めたこの平原でトップレベル。彼の発言は、事情を知るオリヴァルトのみならず多くの帝国軍兵士を震わせる。
オリヴァルトは思案顔を造ったが、それでも先ほどとは違い大したことは言ってこない。
「C級にE級……まあ先人がいる以上、多くは語るまい」
「それって、私たちの言葉を信用してくれているってことかしら? オリビエ!?」
「ん? 何だね君は? オリビエというのは、私のことかね?」
「へっ、だからオリビエが……」
「仮にも皇子たる立場のこの私と、どこかの誰かを間違えるか……どこかのパーティーで、私に似た詩人にでも会ったのかな?」
無言になるエステル。完全に彼女の性格を知って煽るような言葉。
「いや、貴族にしてはいささか品位に欠けるな……ふむ、どこからどう見ても庶民でしかなさそうだ。で、どんな抗議をするつもりなのかね?」
痴態を晒してしまった年頃の少女のように、両の拳を握りしめて俯く。
だが、それが少女が降参したわけではないということは、彼女を知る者からすれば明らかだ。
「……上等じゃない。あくまでシラを切るわけね。そっちがそのつもりならこっちにも考えがあるわよ」
「……ほぅ?」
不意に顔を上げたエステルは、仲間という存在に対する怒りを引っ提げて、そうして声高らかに張り上げた。
「あくまで中立的な立場からこの問題に介入させてもらうわ!」
「僕たちは何よりも、この状況が犯罪組織の思う壺であるということを認識しています。そのうえで、彼女と同じく介入させていただくつもりです」
「……中立的な立場からと言ったが、この状況で何を言うつもりかね?」
遊撃士は国家の政策に関わらず、民間人の保護という使命に則って動かなければならない。帝国への牽制でもなく、王国への擁護でもなく、そして戦争への介入でもなく、戦前の緊張を解きほぐす立場でなければならない。
「あの浮遊都市がリベールの兵器じゃないことをここではっきりと宣言するわ! 『支える籠手』の紋章に賭けて!」
「ほう……大きく出たものだ。例え我が国の遊撃士が腐敗していようと、国際的組織の発言には無視できぬ影響力がある。……だが、果たしてその宣言にどれだけの根拠があるのかね?」
「根拠も何も、私たちが実際にこの目で見てきたものだもの」
エステルは、一拍おいてヨシュアを見た。エステルが切り開き、ヨシュアが支える。リベール王国で最も二人以上の力を発揮できる遊撃士コンビが、今帝国の皇子を前に舌戦を切り開く。
「浮遊都市を出現させたのは今もリベールで暗躍している身喰らう蛇という結社よ。あたしたちは、王国軍と協力して彼らの陰謀を止めるため戦ってきた」
「この交渉の原因たる浮遊都市、その影響力が計り知れないことは否定できません。しかし、それを前にして王国と帝国がすべきことは、睨み合うことではない。それは断言できます」
「……その『身喰らう蛇』とやらの脅威とは?」
「あいつらは、リベール王国全土を相手に危険な実験を行って来たわ。大量の猟兵も、人形兵器もある」
まず、オリヴァルトが言っていた『王国側の侵略』という虚偽を叩く。そのためにヨシュアは、敢えて危険な一手に踏み出した。
「逆に言えば、僕にはリベールに浮遊都市を開発できるほどの軍事力が存在することを証明できません。それができるのなら、十年前の状況もとうに変っていた」
「……リベール王国にはエプスタイン博士の三高弟の一人、ラッセル博士がその名を轟かせている。ましてや加速的な発展を続ける導力文明だ。そのうえで、今の言葉を信じろとでも?」
「それは帝国とて同じことです。三高弟の一人、シュミット博士。同じ導力に関して最高峰の頭脳を持つ国同士、彼方に見える浮遊都市の異常性を理解して頂けると感じますが」
「ならば我々がすべきは、喧嘩ではない、と」
「そうよ! 王国側に侵略の意志はない! その証拠に、今回の事件に対する詳細な報告書を提出してもいいわ!」
ヨシュアは兎も角として、C級、B級、そしてA級の遊撃士たちの立場を利用した精一杯の説得が行われた。公の立場から、帝国政府に対しての投げかけ。それは、確かに力強い一手だ。
その返答は、少なくともオリヴァルトの後ろに控えるゼクス中将をうならせるには十分だった。
だが。
「それは確かに一考に値するが……どうやら肝心なことが抜け落ちているようだな」
「えっ」
「仮にその結社が犯人であったとして……この異常現象を停める方法が果たして君たちにあるのかね?」
それだけは、エステルたちをもってしても説得できない領域だった。未だ導力停止現象を完全に解決する手立ては見つかっていない。
エステルとヨシュアは、初めて言葉を詰まらせる。
「そ、それは……」
「ないのであれば、我々としても手をこまねいているつもりはない」
帝国側にとって、一番の理想は王国を軍事的に占領することに他ならない。そのためなら、どんな言葉も通じない。
「姉さん」
「え?」
エステルの後ろ、恐らく帝国側からは先輩たちの影に隠れて見えない部分。そこからカイトが、クローゼに声をかける。
「オレと一緒に、前に出て」
「な、なんで?」
その問いは、もはや少年を心配するようなものではなくなっていた。孤児院放火事件時やエルベ離宮奪還作戦後に見せたような、姉が弟を心配するような声ではない。
この状況で、手立てがあるのか。そんな意味合いを含んだ問いだった。
「今のあの皇子を止めるには、エステルたちでもジンさんたちでも、たぶん姉さん一人でも難しいんだ」
「……」
「でも、一つだけ考えがある。殆ど勘みたいなものだけど……信じてくれる?」
カイトは、自分の意味の分からない自信に余計な理由は加えなかった。正面から、姉に尋ねる。
「……うん、信じる」
様々な壁を、共に乗り越えてきた。時には、道が分かれた。時には、お互いの心が判らなくなったこともある。
けど今、その道は交わり、共に同じ場所を歩いている。
少女は弟分を信じた。他の仲間たちと同じように。
準遊撃士だとか、弟だとか、子供だとか。そんなものに囚われない力を、この弟は持っているのだと知ったから。
信じる。その言葉を聞いて、カイトはこの交渉の場に似合わない満面の笑みを浮かべた。
「オレたちは『オリヴァルト皇子』と戦っちゃいけない。説得するのは、『オリビエさん』だ」
この仲間たちの中で、誰よりオリビエと縁を持ったのはカイトだった。それが判るからこそ、クローゼもまた少年の提案を無為にはしない。
「オリビエさんは素性を隠してオレたちに近づく目的があった。そうして今、こうして敵対する目的がある」
それが何なのか、今は誰にもわからない。でも少年がそうだと感じているように、仲間たちもまた無意識で、オリヴァルトをどこかオリビエのように見ている。だから、緊迫しているし切迫しているが、仲間たちは自信に満ちた言葉をオリヴァルトにかけている。
「オリビエさんは、オレたちと喧嘩をしに来てる。自分の生き様を見せつけるっていう喧嘩を」
「……」
「だから、オレたちも見せつけよう。色んな国がある大陸で、どこまでもオレたちらしい、馬鹿みたいで、でも憧れずにはいられない、生き様を」
自分たちの生き様。それは先ほどクローゼがゼクス中将に行った宣言に他ならない。それが未だ年若い少女が、様々な現実にぶち当たることを覚悟してもなお、王太女の冠を受け取る覚悟を持てた、希望への憧れ。
「……判った」
「オレが、姉さんのその言葉を見つけるための時間を稼ぐよ。あの人にオレの生き様を示すことで」
帝国を嫌って、帝国を旅して、そして仲間と共にリベールを旅したことで見つけた、カイト・レグメントの生き様を。
こんな国同士の交渉の最前線において、どこまでも子供らしい、抽象的な言葉の数々だ。
だが、それでも。
「その役目、引き受けた。行こう、カイト」
「うん。行こう、姉さん」
二人はともに、前へ出た。視界一杯に、茜色に染まる平原が広がる。
「異常事態を防ぐ、そのためにこの蒸気戦車を連れてきたのだよ。これに搭載しているのは火薬式の大砲でね。あの浮遊都市を落とすにはもってこいだとは思わないかね?」
「じょ、冗談でしょ!? 大砲なんかであの浮遊都市を打ち落とせるはずがないじゃない!」
エステルが、ヨシュアが押されている。その二人を遮って、もう一組の義姉弟は、再びリベールの最北に立った。
「おや、クローディア姫と……なんだね、君は?」
前に出た、年端もゆかぬ見た目の少年の出現。オリヴァルトは、どこ吹く風と言った様子だ。
カイトは、精一杯声を張り上げた。目の前の皇子に、その中の青年に、この世界の全ての人間に、自分の声が届くようにと願いながら。
「仮にそうだとしても……その蒸気戦車を、リベール国内に入れるわけにはいきません!!」
声変わりを経験した、年頃の少年。しかしそうと判断するには少しばかり高く、獅子の咆哮というには圧倒的に足らぬ若者の声。
「ク、クローゼ」
「……カイト」
姉が姉を、弟が弟を呼ぶ。
「大丈夫です……エステルさん、ヨシュアさん。ここは私たちに、任せてください」
最早後ろを振り向かぬ少年の代わりに、クローゼが二人に返答する。驚くブライト姉弟は、しかし僅かに口角を吊り上げて、先輩遊撃士と同じく義姉弟の後ろに、最初にクローゼが現れた時のように放射状に待機した。
「我が師団を王国内に入れるわけにはいかない、か」
一方のオリヴァルトは、感情の読めない声色で呟いた。
最初のモルガン将軍とゼクス中将。この二人の位置から、新たな人間が前に出るたびに、両陣営の距離は近づいて行った。
今、先頭に立つカイトには、オリヴァルトのその表情が、かすかに見て取れることができた。
「その問答は一先ず置いて、前に出てきたということは君もかね? とても遊撃士のような歳には見えないが」
来た、とカイトは考えた。
クローゼでも、先輩たちでも、エステルとヨシュアでも止められなかった帝国の皇子。別段自分が全ての責任を背負うわけではないのだが、それでも多くの重圧がのしかかる。
だが、それでもカイトは不敵な笑みを浮かべて見せた。
いつか自分は自問していた。あの夜の日、グランセル城の空中庭園で。のしかかる重圧を力に変えることができるのか。その力で、遊撃士として人々を笑顔にすることができるのか、と。
できる、と自信を持って言えるわけではない。だが人々が自分で笑顔になる、その手助けをすることはできる。仲間たちと一緒なら、それができると、今の自分ならはっきりと言える。
そのために、オレはオレのできる全力を尽くす。
全力で、目の前の青年に自分の生き様を示して見せる。
少年は再び声を張り上げた。高らかに。
「カイト・レグメント! リベール王国遊撃士協会所属……『準』遊撃士です!!」
黄昏時、日は少しずつ沈んでいく。高らかな宣告と共に映える純白の
白隼の金の翼となって、平原の中で悠然と羽ばたいていた。