「カイト・レグメント! リベール王国遊撃士協会所属……『準』遊撃士です!!」
獅子ではない。
それは気高き白隼の叫びとなって、夕暮れの平原に響き渡った。
「……準遊撃士、カイト・レグメント、か」
オリヴァルトは神妙な面持ちでつぶやく。しかし、予想外に低かった少年の階級に、むしろ帝国軍の兵士たちは完全に拍子抜けしていた。
A級という国際的な場にふさわしい武人でなければ、B級、C級といった一人前でもない。ましてやE級という下の者ですらない。
クローディア姫というリベールの人間で最も権威ある者とともに前へ出た人間。とはいえ、帝国軍兵士たちの瞳に移る人物はどう目を凝らしても子供にしか見えない少年。まさか特殊な位や役職を持つものなのかと勘ぐってみれば、まさかの『準』の称号を掲げる遊撃士だった。
オリヴァルトは静かに言った。
「つまりはただの見習いか。話にならないな」
帝国軍兵士たちの思いは、この場における主の一言にすべて集約されていた。
この場は、あくまで国と国が対峙する国際的な場。一般人に毛が生えたような程度の少年の介入など、そもそも無理がある。オリヴァルトは、無表情を貫いてクローゼに提言する。
「クローディア姫。どのような意図でその見習いを自称する少年を連れたかは知らない。しかしこの場において先ほどの、ヨシュア君以上に無意味な存在であることに変わりはない」
つい数週間ほど前まで、共に旅をした人間とは思えない。それほどまでに容赦のない言葉だった。
「申し訳ないが、そこの少年をしかるべきところへ連れてやってはくれないかね? こうしている間にも、我が国の民はいらぬ不安に苛まれているのだよ」
悔しいことに、客観的に考えてその言葉は的確な対処ではある。しかし、少年はそれを一蹴した。
「残念ながら、それはできません」
「……仮にも遊撃士である以上、場の空気というものには敏感でいてほしいものだ。それとも、君は共に立つ遊撃士諸君や姫殿下の顔に泥を塗るつもりなのかね」
「泥を塗る? そんなつもりは毛頭なく、むしろ場の空気には敏感であるという自負があります」
「なるほど、自ずから無能さを証明してくれるということかな」
「オレが証明するものはただ一つ。それは先ほど申しあげた通りです」
「ふむ」
先ほど、カイトが叫んだこと。それは自らの存在証明以外に、もう一つあった。
「『わが戦車部隊を、リベール領内に入れるわけにはいかない』。その理由を説くために、この場にいると?」
「はい」
「その心意気は買おう。若者の無茶は嫌いではない。だが、物事には二面性というものがある。つまり我々の都合があるということだ。その理由を飛び越えてまで、君という子供に何ができる?」
「オレという存在が、リベール側に復讐の意図はないという何よりの証拠となるからです。オレという存在をオリヴァルト殿下が受け入れることが、帝国側に侵略の意図はないという何よりの判断となるからです」
「なに?」
それは、だれにとっても少し予想外の言葉だった。帝国側にとっても、そしてリベール側にとっても。
少年をよく知っている者は、戦闘において彼の思考回路が凡人とはかけ離れていることを理解している。そして作戦立案という面においてもまた、普通では考えられないような一手を生み出せることも。
物事において正攻法のみでなく、一つの事象を複数の視点から見つめ、自分の得意とする領域に引きずり込む力。それはこんな場面においても、仲間を驚かせた。
「リベールにとっての帝国の無為を証明できる……それは、どういうことかね」
今までの交渉では、一貫してリベール・帝国双方の行動の是非を説き合っていた。互いが自分の行動の正当性を主張するものであり、相手は常に自分の喉元を掻こうとして油断なき言葉を浴びせていた。
しかし、いま少年から放たれた言葉は、一つ手を間違えれば簡単に帝国の正当性を是とするものだ。蒸気戦車の師団が国境線までやってくるという暴挙を認めることになりかねない言葉を、あろうことか最も権威のない少年が伝えている。帝国側にとって、一見これ以上格好のエサはなかった。
「オリヴァルト殿下。オレのような人間がこの場に、最前線にいたとして、『戦争』という行為の勃発を防ぐことができるとお思いですか?」
「ない、と先ほどから言っているつもりだがね。だからこそ、ただの見習いには退場を勧めている」
「そうです。オレがいたところで、戦争を調停することはできません。そのような緊迫した場ではなく、あくまで人と人の懸け橋となるためにここにいる。重い責任を担う皇子殿下や王太女殿下、そして先輩たちが持つこの『誤解』を諸外国へ向け払って、純粋な人と人して繋ぐために」
「……詭弁だな。平和的な交渉であろうと、国際的な場では位の高い遊撃士でなければその正当性を証明できない。たかだか見習いの戯言など、何の意味もない」
「たかだか見習い? それは違います」
カイトは笑みを浮かべた。
「オレはこの場の六人の遊撃士の中で、『最も王太女殿下のお傍での護衛』という大役を任されました。また遊撃士として護衛を担ったのはこの導力停止現象の後ですが、その『以前よりオレは王太女殿下のお傍で支え続けていました』」
その言葉に、帝国軍兵士たちに緊張が走るのが伝わった。
目の前の少年は、確かに一見して頼りなさげ外見をしている。覇気というものを感じさせず、年も信頼に足る成人には到底見えない。
だが、と兵士たちは、オリヴァルトの後ろに控える二人を見た。
ミュラー・ヴァンダール。そしてゼクス・ヴァンダール。
ヴァンダール家とは、エレボニア皇族たるアルノール家を守護する貴族の一門だ。位は子爵と、そう高いものではないが、しかし確かに貴族としての格と、そして守護職としての覚悟を持つ者たちでもある。
現に今、ミュラーは第三機甲師団の人間ではないのに特例としてこの場にいるのだから。
そしてその少年は、他の遊撃士たちの陰に隠れていたが、確かにほぼすべての時間、王太女の近くにいたのだ。王太女が登場したときはその後ろに、位の高い遊撃士よりも前に。王太女が後退したときも、あくまで前には出ず後ろに。そして今まさに、この場における権威である王太女と並んでいる。
皇族を守護するの貴族。それは貴族制度を有する帝国にとって何らおかしいことではない。しかし、リベール王国はその長い歴史の中で貴族制度というものを廃止している。
王室親衛隊というものがあるのも知っている。だがそのエリートたちが、どのような基準で先行されているのかは判らない。
少年が言った、この事件の前から王太女を護衛していたという事実。虚言の可能性もあるが、そうだとすればそれは少年自身にとっても痛手となる。
それが虚言かどうか、というのはこの場において問題ではない。そう宣言された、そして王太女自身がそれを容認してしまえば、少年への非難はすなはちリベール王家への非難につながる、という可能性が出てしまった。
先ほどまで頑なに『準遊撃士』の称号を前面に押し出していたのも、本当に準遊撃士のみの称号なのか、あえて罵倒を誘うための言葉選びだったのか、一概には判らなくなる。
「それは知らなかったが……そうなのかね? 姫殿下」
エレボニア皇族が訪ねた。そしてリベールの王族は、カイトを見て、うなずいた。
「──はい。彼には幼少の頃より、支えられてきました。かけがえのない存在です」
帝国の兵士たちがざわついた。この瞬間より、目の前の少年はただ準遊撃士として突っ立っているわけではなくなった。下手をすれば、オリヴァルトに対するミュラーと同等の扱いを受けるべきものになりえる。
仲間たちは、先輩遊撃士たちは、表情を変えぬよう努めながらも心の中で快哉を叫ぶ。
現状はともかく、少年はもちろん昔から護衛をしていたわけでも、専属の護衛として教育されたわけでもない。だが、発言に嘘はなかった。彼自身がそのこだわりから今回最も近くで彼女を守っていたのは事実だし、以前より『弟分としてクローゼを支えていた』のも嘘ではなかった。それを、帝国兵士たちにさも直属の護衛であると誤解させるかのように言葉を選んだ。この緊迫した場において、準遊撃士という場違いな少年が堂々と前に立つという状況もその誤解を助けた。
虚実入り混じった読み合い。高度な交渉術を、カイトは成し遂げていた。
しかし交渉相手であるオリヴァルトは、カイトたちの素性を把握している。今の言葉の嘘を見抜くことはできなくもない。
だが。
「いいだろう。聴こうじゃないか、君の意見とやらを。カイト・レグメント君」
オリヴァルトは、笑っていた。カイトがこの場に立つという状況を、彼自身が認めていた。
「ならば、何を言えるというのかね?」
未だ彼が帝国皇子としてこの場にいる理由は判らない。容赦のないやり方で仲間たちの言葉を切り裂いている事実も変わりない。それでも、カイトはこの攻勢を続けるべきだと判断する。自らの生き様を誇示するという、喧嘩という交渉を。
「先ほども言ったように現在謎の組織が王国を跋扈している状況です。先日、導力器が停止している状況にもかかわらず多数の人形兵器を用いて王立学園を占拠していました」
それは、ジェニス王立学園での出来事。王都襲撃と同じく、結社の紅蓮の兵士や人形兵器の恐ろしさを目の当たりにした攻防劇。首謀者があのギルバートだったからよかったものの、一歩間違えれば甚大な被害となっていた事件だ。
「なんとそれは嘆かわしい……して、大丈夫だったのかね?」
「ええ。幸いにも、自力で解決することは出来ました。それでも痛手を喰らったのは事実です。自力で解決しているとはいえ被害は甚大だった……それが何を意味するか、皇子殿下にはお判りになりますか?」
やや、目上の人間であるオリヴァルト皇子を小馬鹿にするような言葉。ただの準遊撃士なら、一蹴するか容赦ない非難をしていた。
「そんな、過度に言えば阿鼻叫喚の王国領に、運用できるとはいえ性能の劣る蒸気戦車を投入する。その影響はどうなるでしょうか? 先ほど王太女殿下が仰られた我が国の民の不安のみならず、戦車部隊に受ける影響です」
先ほどクローゼは、リベール国民が不安がってしまうという理由で戦車部隊の投入を否定していた。だがカイトはそれだけでない、帝国側への影響を述べている。
「……つまり、我が軍が被害を受けると?」
カイトは首を縦に振った。
「帝国正規軍の練度の高さ。それは理解しているつもりです。十年前、すでにそれは判っていた」
「……」
「それでも、機動性の劣る旧式の戦車ではとてもではないけど立ち向かえない」
今国内に入れば、帝国軍は甚大な被害を受けるぞ。動力停止現象などという未曽有の事態が生じている状況では、他国が介入する余地はない。そう言っている。
「……」
暗にそう言われては、帝国側もすぐに流暢にに否定を、とはいかなかった。帝国軍は確かにゼムリア大陸最大規模の軍隊だが、実際に未知の領域での作戦遂行にはリスクが伴う。
カイトはさらに重ねた。
「何より、ただでさえ帝国南部の街に被害をかぶせて居る状況で、これ以上帝国に迷惑をかけるわけにはいきません」
帝国に迷惑をかけるわけにはいかない。ゼクス中将に対するクローゼのように、カイトもまたオリヴァルトに対して、帝国を非難するのではなく帝国の存在を気にするが故の言葉を送っている。帝国の民という財産、それを傷つけ帝国の善意を無下にはしたくない。真にゼムリア大陸の平和を願う者として。
その言葉は、確かに一度、帝国の悪意を振り払った。
だから帝国は一度、別の角度からの潜入を試みてくる。
「迷惑をかけるわけにはいかない……それは友好国としては寂しい言葉だな。この様に互いを相対たらしめている根源を討つ用意をしているというのに」
彼方に見える浮遊都市を見てオリヴァルトが言った。そこを、カイトは見逃さなかった。
「では、是非とも不戦条約を結んだ
帝国軍がざわついた。さすがにこちらと同じような蒸気戦車のような手札はないだろうが、それでも共和国に介入されると厄介なことこの上ない。
「そうですね、ジンさん?」
カイトは後ろを振り向いた。後輩の強気の笑顔に、武人もまた清々しい笑みを浮かべて同調した。。
「ふむ。もちろん私は共和国政府の代行者でないので判りかねますが…友には手助けと、そして見守る勇気を。それが友好国・同盟国の矜持でしょうな」
そしてジンもまた、ちゃっかりと先ほどの発言と微妙に食い違ったことを言っている。しかし今のカイトの勢いが強く、だれもそのことに気づかない。
平原の夕暮れに、いくつもの大雲が混じる。都合がよすぎるほどに、今の英国軍兵士たちの心境を表しているかのようだった。
「とのことです、オリヴァルト殿下」
「それは、我ら誇りある帝国を脅しているのかね?」
カイトは自嘲気味に笑った。
「いえ、すみません。ただの妄想でした。こんなことが起こるのではないかという、権威も聴く価値もない
「……」
帝国軍の兵士のみならず、仲間たちでさえも息をのむ。
未熟者だった少年が今、嫌っていた帝国を相手にこれ以上ないほどの攻防を繰り広げている。誰も少年の実力を疑っていたわけではないが、それでもここまでの荒業をやってのけるとは思ってもいなかったのだ。
「これが、王国が領内に戦車部隊を歓迎できない理由となります」
「……ふふふ」
オリヴァルトは、ここに来て明確に勢いを減じていた。あれほどわざとらしい言葉で仲間たちを退けていたオリヴァルトが、カイトの言葉に揺らいでいた。
「認めよう。確かに、そのような状況ではおいそれと我が軍を入れるわけにはいかないな」
そして決定的な言葉を吐いた。背後に控えていたゼクス中将が、大きく狼狽した。
「お、皇子!?」
そのどよめきは、帝国軍兵士全体に伝播していく。得体のしれない子供のような少年に、追い詰められる帝国の皇子。兵士たちにとって、あってはならない状況。
ここへきて、オリヴァルト皇子は最後の手札を切るのみとなった。最後にして、最大の手札を。
「最後に、これだけ聞いておこうか」
確かに、侵略という事実は互いに薄まった。それでも。
「この異常現象を解決する手段。それが、君たちにはあるのかね?」
この交渉で帝国が持つ多くの手札を切ってきた。そして、最後に立ちはだかるのが、自分たちのみでこの異常事態を解決できるか、という問いかけだった。
どうあがこうとも、この導力停止現象を解かなければ、リベールも帝国南部も共に平和が訪れることはないのだ。彼方に見える浮遊都市から導力停止現象は生じた。ならば、浮遊都市に向かわなければ解決はできない。
この問いだった。これを跳ね除けなければ、王国に未来はない。
「…………」
カイトは初めて沈黙した。オリヴァルトのどんな言葉にも淀みを感じさせなかった少年が、今初めて止まっていた。
「ない、というのかね?」
こればかりは、はったりすらできそうにない。現状、導力を回復させる手立ても、浮遊都市に向かう方法もない。
何も言えぬまま、五秒が過ぎた。どんな繰言でもいいから、言葉を出さないと。そう思って前を向いた、その時。
隣に立っていたクローゼが、言った。
「この状況を何とかする。そうしなければ帝国は納得しない、と?」
カイトは驚いた。二人が前に出る前、自分は言った。クローゼが自分の生き様を放つまでの時間を、自分が稼ぐと。オリヴァルトが質問した時を除いて、少女は常にカイトに交渉の場を任せていた。
そして今、クローゼは自分から言葉を放った。それが意味するのは。
「ああ。帝国南部もまた導力が停止している以上、帝国としてもこの現状のまま帰るわけにはいかない。当然の権利ではないのかな?」
決して攻勢を取り戻したわけではない。だが、帝国は、わずかな隙を執拗に狙ってくる。
今ここで、決めなければならない。
カイトは、クローゼを見た。
「姉さん」
「うん」
クローゼは言った。
「もう大丈夫。任せて」
その顔は、自信と決意にあふれていた。
「ならば、証明すればよろしいのですね?」
「ほう?」
「この状況にあって、あの浮遊都市を何とかする可能性を提示できれば……私たちにしばしの猶予をいただけるのですね?」
帝国側は今、自国の異常事態とその原因たる浮遊都市に難癖をつけ、交渉を進めている。ならば、その原因を解決できるならば。
「そうだな。一時的ではあるが、そうせざるを得なかっただろう」
オリヴァルトが言い切った。次いで、すぐに後ろのゼクス中将が狼狽しているのが見える。
おそらく、万に一つでも王国側に優位な条件を渡すのを躊躇っているのだろう。だが、今の状況に至るまでの、多くの遊撃士たちによる交渉の数々が帝国側に厚顔無恥な選択を取らせることを防いでいた。
ゼクス中将を納得させたらしいオリヴァルトが、再びクローゼに声をかける。
「それで……その方法というのは?」
深呼吸をして、クローゼは告げた。
「私たちには、一つだけあります。あの浮遊都市を原因としたこの事態。それを解決させる可能性を」
「……それは?」
「それは、希望の翼。ここにいる皆さんとともに、リベールを象徴する白き翼」
白隼を国鳥とし、紋章として掲げるリベール。その国の王女が、可能性として提言する『白き翼』。答えは、一つしかなかった。
「希望の翼……アルセイユ。それを用いて、私が王太女として指揮を執り、浮遊都市へ向かいます」
それが、今この場でクローゼが唱えることができる、王族としての、リベールの人間としての、仲間たちと共に旅をしてきたクローゼとしての生き様。
王族として、玉座に構えるだけでない。自ら陣頭指揮をとり、信頼できる仲間たちとともに、白き翼で希望を切り開くという。今までの旅路すべての思いが詰まった万感の宣言。
だが、その言葉には帝国軍側だけでなく、仲間たちもまた驚かずにはいられなかった。
「クローディア姫。それは、本気で言っているのかね? この王国中の導力が停止しているという状況にあって、高速巡洋艦を用いて浮遊都市に向かうと……そう言っているのかね?」
「──はい」
クローゼは言った。オリヴァルトはもはや、雑言すら発しなかった。
「──よかろう」
カイトは、隣に立つ姉が震えているのを感じた。後ろに控える仲間たちが、緊張しているのを感じた。平原に立つすべての人間が、息をのむのを感じた。
跳ね除けなければならない帝国最大の条件に、王太女はこれ以上ない手札を見せた。
次のオリヴァルトの言葉と、そしてクローゼの言葉の正当性によって、すべてが決まる。
「それでは……君たちがアルセイユという希望の翼を提示できたら、一時的に撤退することを約束しよう」
平原の風がやんだ。太陽が、最も強く輝いた。
「『黄金の軍馬』の紋章と、皇族たる私の名に賭けてね」
エレボニア皇族の言質と、リベール王族の言質が、今ここに交錯する。
そして。
『その言葉、しかと聞きましたぞ』
黄昏の平原に、一人の男の声が響き渡った。
誰もが、突然の来訪者に驚きを隠せなかった。事態が好転したと感じた、リベールの兵士や仲間たちも。
いや、この平原でただ二人だけ。帝国の皇子とその相棒だけは、どこまでも素知らぬ顔で、その希望の登場を目に焼き付けていた。
黄昏時、平原の明暗を分けていた大雲の中から、それは突如として降りてくる。
逆光であっても判る白い船体。前面に伸びた、
工房都市ツァイスで建造され、そして遊撃士たちとともにこの危機を戦ってきた、全長四十二アージュの高速巡洋艦。王国軍王室親衛隊が所有する、リベール王国の希望の翼。
「アルセイユ……!」
カイトが、これ以上ないほど快哉を叫んだ。
白き翼は、ゆっくりと降下し、そして帝国側と王国側の間、双方の視線を塞がないような場所へ降り立った。
蒸気戦車のけたたましい排出音ではない。戦車以上に巨大ながら、しかし可能な限り静かに着陸する、導力性のアルセイユ。その甲板には茜色の光を浴びる、リベールの守護神カシウス・ブライト。
ゼクス中将が、盛大に驚いている。
「カ、カシウス・ブライト!? どうしてここにいる!?」
「お久しぶりですな、ゼクス少将。……おっと、今では中将、でしたかな?」
「そ、そんなことはどうでもいい! それよりも……!」
帝国にとってカシウスとは、勝利も同然だった戦線を覆したもっとも警戒すべき人物。しかし、今の帝国軍にとって重要なのは、そんな存在ではない。
「どうしてこの状況で、巡洋艦を動かすことができるのだ!?」
核心を突く、直球過ぎる質問を、カシウスは軽くあしらった。
「それは、国家機密と言っておきましょう。貴国がどうして、蒸気戦車を保有しているのかと同じようにね」
ゼクス中将は、苦虫を嚙み潰したような表情でアルセイユを睨んだ。あっさりと自分たちが使った厚顔無恥さを真似され、何も言えなくなった。
そして。
「ほう……これが
オリヴァルトは、さも知らぬといった表情でカシウスに問いかける。カシウスもまた、判りやすいくらいすっきょんとうな、いっそあほ面といってもいいくらいの顔を作る。
「お初にお目にかかります、オリヴァルト殿下。
「
「それはそれは」
「まったく」
一秒の沈黙。
『ハッハッハッハッハッ』
嫌な大人たちの、気の抜けるような笑い声が重なった。
カイトががっくりと肩を落とした。それはエステルもまた同じで、突然の父親の登場に思考が追い付いてないようにも見えた。
「……なにあれ」
「オレに言われても……」
「カイトなら判るでしょうが」
「……たぶん、カシウスさんとオリビエさんの猿芝居」
「……死にたくなるわ」
少年少女は、二人そろってこの茶番劇に悪態をついた。ひとしきり笑いを収めたオリヴァルトが、改めてこちらを向いてくる。
「クローディア姫、エステル君。……それに、カイト君」
名前を、三人の名前を呼んだ。
「私も誇り高きエレボニア皇族だ。先ほどの約束は守らせてもらおう。すぐにでも、この付近から帝国軍の全部隊を撤退させる」
「……感謝いたします」
ここまでくれば、もう仲間たちも判らないはずがなかった。どのような理由で行われたかは知らないが、自分たちはこの盛大な劇に参加させられたということに。
「しかし、そうだな。可能性を示されただけでは、我が帝国市民も納得住まい。ここはひとつ、私自身がアルセイユに乗せてもらって視察するというのはどうかな?」
そして、それはまだ続く。ゼクス中将のさらなる動揺も押さえつけ、オリヴァルト、いやオリビエは再び自分たちと行く道を交えようとしている。
クローゼは緊張に震えた足にもう一度力を込めた。精一杯の笑顔を浮かべて、王太女は自らの理想を口にした。
「もちろん、願ってもないことです。リベールとエレボニアの友情もさらに固く結ばれることでしょう。歓迎いたします、オリヴァルト皇子殿下」
帝国と王国は今、確かに手を取り合おうとしていた。
────
だんだんと茜色を夜に変えていく平原。アルセイユは完全に平原に腰を下ろし、中からも人が出てきている。
「皇子、いったいどういうおつもりか!」
そんな中、自国の皇子の計画をここへきてようやく理解したゼクス中将は、握り拳をわなわなと震わせ、血管が破れそうなほどの形相でオリヴァルトを睨んでいる。
「久々に顔をお見せになったかと思えば、このような猿芝居を……!」
「はははは、やっぱりばれちゃった?」
「あ、あたりまえです!よもや皇子がリベールでこのようなことを企んでいたとは……ミュラー! お前がついていながら何事だ!」
怒りは、皇子の相棒へと飛び火する。だが普段はまじめな青年も、今回ばかりは強気を崩さない。
「お言葉ですが叔父上……この男が俺の言うことなど素直に聞くとお思いですか?」
「ぐっ……」
「それに、俺も少々納得ができないこともある」
青年は堅物であり、真面目であった。それは質実剛健を気風とする帝国の軍人として模範的な姿勢であり、それ以上に青年が自らの正義を体現するための手段でもあった。
その正義は今、ゼクス中将の向こう側へ向け、怒りを携えている。
「『ハーメルの悲劇』……今度の一件で初めて知りましたよ」
「っ……」
隻眼の将は、何も言えなくなる。
「やはりご存知でしたか、叔父上」
「ハハ、先生があの事件を知らないはずがないだろう。当時からすでに軍の重鎮だったのだからね」
ハーメルの悲劇。帝国正規軍における一部の主戦派が、リベールとの戦端を開くために画策した、忌むべき歴史の闇。リベールを帝国にとっての悪とするために、王国に偽装した猟兵を雇い、
リベール側と同様、事実を知る帝国の将にとっても、おいそれと何かを言えるものではなかった。
オリヴァルトは言う。
「先生、貴方を責めるつもりはないよ。一部の主戦派が企てただけで、先生たちは一切関与していなかったという話だからね」
そう情けのような擁護を受けても、それでもゼクス中将の表情は変わらない。変わってはならないのだ、たとえ関与していなくても、同じ帝国軍人である以上は。同じ帝国人である以上は。なにより、同じ人間である以上は。
オリヴァルトは続けた。どこか、もの悲しさを感じさせて。
「あまりにひどいスキャンダルゆえ、徹底的に行われた情報規制……賛成はしかねるが、納得はできる。臭いものには蓋を、女神には祈りを、国民には国家の正義をというわけだ」
ハーメルの悲劇。それが帝国内部で公表されれば、その影響は計り知れない。自分が住んでいた帝国は何なのか、自分たちが頼りにしていた軍人の存在意義は何なのか、何より隣で笑っている家族の笑顔が本物なのか。それすら判らなくなる、疑心暗鬼は止まらなくなる。
だから蓋をして、両手を掲げて祈り、国家の正義を振りかざす。そうすれば、何もかもがうまくいくから。
だから、賛成はしかねるが納得はできる。
けれど。
「同じような欺瞞を繰り返すことは許さない」
オリヴァルトは、許さなかった。許せなかった。
「先生、貴方も本当は気づいているはずだ」
唐突すぎる蒸気戦車の導入。
不自然極まるタイミングでの出動命令。
主導的にリベールの治安を回復せよという、真意とはかけ離れた軍事命令。
その先にある、リベールという周辺諸国の占領と併合。
「全ては『鉄血宰相』ギリアス・オズボーンの描いた絵であることを」
オリヴァルトは、いつからか不信感を持っていた。それは日を追うごとに強くなっていった。だから、国外に助力を求めた。南の小国の剣聖と接触した。そのあとも、多くの仲間たちの生き様を知るために王国を旅した。
そして、この導力停止現象に乗じた帝国軍の侵攻を持って、不信感は確信へと変わった。
「彼は間違いなく見食らう蛇と通じている。そのことが、帝国にとってどのような影響をもたらすかは何とも言えないが……いずれにせよ、一国の宰相には相応しい振る舞いではあるまい?」
オリヴァルトが誰かをこうも非難するのは、初めてだった。ミュラーにとっても、ゼクス中将にとっても。
「皇子、まさか貴方は……」
「フフ、そのまさかだ」
放蕩癖がありながら、それでも物事を見極める眼を持つ教え子だった。その皇子が言うこと。ゼクス中将は、身を震わせた。
「帝国に救うあの怪物を、僕は対峙することに決めた。今度の一軒は、その宣戦布告というわけだ」
宣戦布告。挑戦状。オリヴァルト・ライゼ・アルノール、帝国の放蕩皇子が自国を動かす宰相に、挑戦状を掲げている。お前の好きにはさせない、お前の野望は自分が打ち砕く、と。
ゼクス中将は項垂れた。オリヴァルトの聡明さも理解しているが、それ以上に帝国政府の宰相という存在の恐ろしさを、何より知っている。
「皇子、それがどれほど困難を伴うことか、判っておいでなのか!?」
「そりゃあもちろん」
今度は、オリヴァルトが項垂れる番だった、彼とて、自分の言っていることの難しさを知らないわけがない。
「政府はもちろん、軍の七割が彼の傘下にあるといっていい。先生みたいな中立派を除けば、反対勢力は衰え始めた諸侯のみ」
軍の七割が鉄血宰相の傘下にある、それはほとんど軍は鉄血宰相の戦力だ、といっても過言ではない。そしてそれに敵対するは、彼の躍進を歓迎しない貴族たちのみ。その二大派閥がにらみ合う帝国では、オリヴァルトができることなどたかが知れている。二大派閥に臆さないゼクス中将も、おいそれと何かを言えるわけではなかった。
「さらにたちが悪いことに、父上の信頼も篤いと来ている。まさに怪物というべき人物さ」
「ならばなぜ……!」
「決まっている」
オリヴァルトは強く言い切った。自分が怪物に立ち向かう理由、皇子としての自分の生き様を。
「彼のやり方が、美しくないからさ」
その宣言を聞いて、ゼクス中将は息をのんだ。
「リベールを旅していて、僕はその確信を強くしたんだ。人は、国は、その気になればいくらでも誇り高くあれる」
「……」
「誇り高く、あれるんだ」
オリヴァルトは、仲間たちと旅して、その生きざまを、信念を、一人一人の強さを目に焼き付けてきた。その誰もが、眩しいほどに、苦悩の中から誇り高い選択を続けていた。
オリヴァルトは、ゼクス中将から目線を外した。そして遊撃士たちを、その中のシェラザードを見た。
「出自も知らないスラムの遺児が、世への感謝のために人を笑顔にしている」
エステルを見た。
「希望を掲げる太陽の少女が、多くの仲間や、反逆者にすらその手を差し伸べてきた」
ヨシュアを見た。
「国家の闇に裏切られた少年が、太陽の光を浴びて世界へと戻って来た」
そして……カイトを見た。
「仇敵に両親を殺されたただの子どもが、その象徴である僕を許すと言ってくれた」
仲間たち全員を、俯瞰した。
「彼らは今もなお、絶望に負けずに誇りを持って立ち向かっているんだよ」
オリヴァルトは、仲間たちのその生き様に、リベールで出会ったすべての人の生き様に、確信した。それが、やがて彼の誇りと決意を生み出した。
「そして僕の祖国と同胞にも、同じように誇り高くあってほしい。できれば先生にも、その理想に協力してほしいんだ」
激動の時代において、大陸最大の軍事力を誇るその帝国の宰相を打倒する。その茨の道は、だれも歩き続けることができないほどに険しい。
それでも、仲間たちが、動力停止現象という混迷の中で戦い続けたように。この窮地にあって、帝国軍の侵攻を、全員の力で退かせたように。
オリヴァルトは、生まれ育った立場に妥協するだけでない。その手で、持てる力のすべてを持って、自らの誇りを貫き通す選択をして見せたのだ。
その瞳には、震えとともに晴れ晴れした希望があった。
ゼクス中将は、驚き、息を吐き、そして優しい笑みを浮かべ、一つの想いを口に出す。
「……皇子、大きくなられましたな」
教え子への純粋な賞賛。飾る言葉の数々は、どれも無意味なように感じた。
オリヴァルトは笑った。
「男子三日合わざれば刮目してみよというからね。ましてや先生に武術と兵法を教わっていたころから、七年も過ぎた。少しは成長したということさ」
「ふふ、そうですな」
ゼクスは大きく息を吐いた。そして、師としてではなく軍人として言う。
「撤退については了解しました。ですが、我が第三機甲師団はあくまで先駆けでしかありませぬ」
「ああ、判っているさ。『鉄血』の名にふさわしく、宰相の手はまだまだだろうからね」
「その通りです。すでに帝都には、宰相閣下によって十個師団が集結しつつあります。明日から数えて三日…それ以上の猶予はありますまい」
「ああ、心得た」
ゼクス中将は甥を見た。
「ミュラー、お前も皇子について行け。危なくなったら、首根っこを掴んででも連れて帰るのだぞ」
「ええ、元よりそのつもりです」
隻眼はうなずいた。振り返って自らの師団を視界に収めると、モルガン将軍に匹敵する。
「全軍撤退! 第三師団はこれより、パルム市郊外まで移動する!」
司令の命に従う斉唱が響き渡る。軍人たちは乱れぬ動きで、統制を取りながら撤退していった。
戦車部隊が平原の霞になるのを見届けて、帝国人はオリヴァルトとミュラーの二人だけになる。
「オリビエッ!」
その二人に、リベールでの旅を共にした仲間たちが近づく。今度こそ、エステルはかつての仲間に憤慨をぶつけた。
「やぁエステル君、ご苦労様だったねぇ」
「ご苦労様、じゃないわよ! これは一体どういうことなの!?」
「どうしたもこうしたも、見たまんまさ。帝国でちょっとした陰謀が進んでいたからね、ちょいと出ばなを挫いてやっただけのことだよ」
「やっただけのことって……」
エステルが嘆息する。その次、カイトが訪ねた。
「こうして、お互いに喧嘩をすることで、ですか?」
「……ああ、そうさ」
オリヴァルトは静かに頷いた。そうしてカイトの前に立ち、右手を差し出す。
「僕の生き様を君たちに、君に示すことができたかな? 言葉と生き方と、思想の限りを尽くすことで」
差し出された手を、カイトは同じ右手で握り返した。カイトは笑った。
「一語一句、聞き届けましたよ。……さすがに皇子だったってのは、予想外すぎでしたけどね」
「サプライズをするなら、盛大にね。それに、敵を欺くならまず見方から、というじゃないか」
むかつくぐらい晴れやかな笑顔で、オリビエは言う。
「君たちとの本気の交渉を経て、あのタイミングでアルセイユが登場する。それが今回、僕とカシウスさんが考えたシナリオだったのさ」
「ま、そういうことだ」
仲間たちの誰でもなく、新たな声が割って入る。しかしその声の主は誰もが知っている。
最も近しいエステルが、魔獣も逃げ出す凄みを持ってその人物を睨んだ。
「父さぁん!?」
その睨まれた。
「そう怖い顔をするな。導力通信で聴いていたが、みんな素晴らしい交渉だったぞ。おかげでアルセイユの登場を、これ以上ないくらい効果的に演出できたからな」
剣聖の後ろには、アルセイユからこちらへやってくる人たちがいる。ユリア・シュバルツ、アルバート・ラッセル、そしてケビン・グラハム。
クローゼが、ティータが、エステルが、それぞれ再会を喜んでいる。中には、カシウスとオリヴァルトの通信を可能にした導力器に関して、あきれ声を投げかけるケビンの一言もあったが。
そんな中、カシウスが言ってきた。
「クローディア姫殿下。よく、アルセイユ来ることをお判りになりましたね」
「ふふ、実をいうと、直観でした」
クローゼは笑う。
「でも、言うことに迷いはありませんでした。アルセイユが希望の翼。それは嘘偽りのない事実だから」
それは、クローゼが仲間を信じて、カシウスやユリアたちを無意識のうちに信じて、そして弟の無茶を信じた故の言葉。もう彼女は、王族としての力片鱗を見せていた。
そして、カシウスに続いた協力者たちは、自分たちがここにいる理由を説明してくれた。
ラッセル博士は、今カイトたちが所持している零力場発生器の大型版を遂に完成させ、それによりアルセイユを導力停止現象の中で動かせることができるようになったこと。
ケビンは騎士団本部から伝えられた、『輝く環』についての考察。浮遊都市そのものではなく、都市全体に導力を供給させ制御していた古代遺物であり、その端末がゴスペルであること。『輝く環』は外界に存在する異物──現代における導力器であるオーブメント──を排除する働きを秘めていること。
ユリアは、その『輝く環』の仮説をもとにこの事態を解決する方法を。すなわち浮遊都市にある輪の本体を見つけ出し、国内の導力停止現象を止めるという方法を。
事の次第を聞き終えて、満足げにオリヴァルトが言った。
「うんうん、いい感じに最終目標が定まってきたじゃないか。それでは、さっそくアルセイユを使って浮遊都市に乗り込むわけだね」
それが、迷うことのない次の方針だろう。カシウスはクローゼに促した。
「それを決めるのは、アルセイユを所有するリベール王家になりますな。……姫殿下、どうかご決断を」
「はい」
クローゼは宣言した。時期王女という身分の下に。
「これよりアルセイユは、ヴァレリア湖上に現れた古代の浮遊都市へと向かいます。ユリア大尉、発進の準備を」
仕えるものとして了解したユリアが、足早に艦内へと戻っていく。
「そして遊撃士の皆さん……」
王太女のその言葉に、仲間たちが彼女を見た。
一人一人を見て告げた。全員ではなく、一人一人に、その特別な思いや願いを込めて言った。
「どうか窮地にあるリベールに皆さんの力をお貸しください。恐らく、この件に関してはこれが最後の依頼になると思います」
遊撃士たちは、リベールの全土を旅してきた。時には、外国を俯瞰する者もいた。
結社の脅威に、抗ってきた。王家に伝わる秘宝の謎を、一つ一つ、解きほぐしていった。
そして今、彼方に見える浮遊都市が。因縁に決着をつけ、誇りを示し、過去の秘宝に終止符を打つ、その最後の舞台だった。
「クローゼの依頼、謹んで受けさせてもらうわ!」
エステルが言った。誰も、彼女がリーダーであることを疑わなかった。
「必ずや、あの浮遊都市にある『輝く環』を見つけ出して、この事態を解決して見せるから!」
数奇な運命や、なんでもない日常を経て集まったかけがえのない仲間たち。彼らはアルセイユへ乗り込んで、誰もかけることなく向かう。
浮遊都市へ。空に描く軌跡の果てに待つ、輝く環へ。
次回、26話「浮遊都市リベル=アーク」です。
ついに、すべての根源たる輝く環、それを擁する浮遊都市へ。