心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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26話 浮遊都市リベル=アーク①

 

 

 帝国軍による侵攻から一夜明け、空はどこまでも晴天だった。

 ヴァレリア湖上にその威光を発揮する、天空の浮遊都市。中心にそびえる天を穿つ巨大な柱と、その周囲にひしめく高度な文明を示す構造物たち。

 気が遠くなるほどの質量の大理石、それが型付くる天面の縁の石像は、どこまでも神々しい。それを見届ける人間たちを畏怖させた。

 そして、側翼から爆炎を生んで、煙の軌跡を残しながら落ちていくアルセイユ。

「って、なんでまた墜落してんだよぉー!?」

 アルセイユのブリッジ。仲間たちとともにその天空の景色を見ていたカイトは、数週間前にも経験した浮遊間と恐怖に悪態を叫んだ。そして女神に祈り、やがて来る衝撃に身を任す。

 多数の雲と水蒸気を貫きながら、白き翼は浮遊都市の端へと墜落した。

 操縦席や艦長席に座る者たちは、もとよりある程度の衝撃に耐え得る装備をしている。そうでない者は即座に対墜落姿勢をとるか防護服を身に着けることを迫られる。

 そして前回の墜落時に続き、今回もまた防護服の装着が遅れ、所定の位置に捕まることのできなかった少年がいた。

「うっぷ……くそ、二度も吐いてたまるか……」

 胃と脳が台風でかき混ぜられたような酩酊状態で嘔気を感じながらも、同じ失態をすまいと嗚咽をこらえる茶髪の少年は、なんとか目を見開いて仰向けの状態から上体を起こした。

 墜落で静まり返ったブリッジは阿鼻叫喚──とまではいかないものの酷いありさまだった。操縦席にもたれかかる者や、巨体の下敷きになっている赤髪の青年、表現できないほどに絡まっている義姉弟、柵に干されている金髪の詩人など。湖上着水でないとはいえ、墜落地点との高度差が少ないためか、前回よりも控えめな衝撃だった。それが幸いしたらしく、夢の世界から覚めるのも早かった。

「な、なんなのよー……」

「うーん、すごいアトラクションだねぇ……」

 という剣聖の娘や金髪の詩人。

「わ、悪いなアガット。生きているか?」

「……死んだ」

 という巨漢の武闘家や不良青年がいれば。

「……はぁ、九死に一生だわ。大丈夫?ティータちゃん」

「は、はい。アガットさんが」

 比較的無事だった銀閃や技術少女もいた。

 艦長席付近のクローゼは、ティータたちと同じく無事な部類。それでも膝を震わせて立ち上がると、なんとかユリア大尉に手を貸す。

「……大丈夫ですか、ユリアさん」

「ええ、何とか。そちらのほうはどうだ?」

 アルセイユ艦長はクルーに向けて問う。各々、問題ないとか、何とか大丈夫とか、死ぬかと思ったとかの返答が返ってくる。

 ユリアは嘆息した。

「まさに奇跡だな。それとも、手を抜かれただけなのか……」

 追突の影響で導力も緊急停止したらしく、艦内は薄闇だった。物理的な衝撃に、研ぎ澄ませた意気込みもぽっかりと折れてしまった。微妙なけだるさと静寂の中、のろのろとユリア大尉が告げる。

「……まずは外に出て状況を確認しよう。それと、これからの方針の検討。探索を開始するのは、それからだ」

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 帝国軍の師団が撤退した後。黄昏の薄闇の中でアルセイユに乗り込んだ一同は、一先ず夜を明かして浮遊都市へ向かうことととなった。

 エステルを中心とした仲間たちは、当然アルセイユに同行する。そこには、改めてメンバーとなったオリヴァルト皇子──オリビエとその相棒ミュラー・ヴァンダールの姿もあった。

 一方で、ラッセル博士、ケビン、ユリア大尉とともに平原に現れたカシウスは浮遊都市へついていくことなく、レイストン要塞の作戦本部へと戻ることとなった。結社と執行者が先に向かっている浮遊都市であればカシウスがいてほしいところだったが、それでもまだ、地上におけるカシウスと王国軍の存在は必要不可欠だった。帝国軍による再度の侵攻や、奇をてらった海からの侵攻。また結社の残存戦力による王都襲撃も考慮しなければならない。この状況で、カシウスが作戦本部を留守にするわけにはいかなかった。

 カシウスはエステルに労いと発破をかけ、そしてヨシュアには一つの手紙を渡していた。それはヨシュアだけに宛てたものであり、カシウス本人も他言無用を望んでいて、仲間の誰にも明かすことはなかった。しかしカシウスのこと、きっと事態を好転させる何かには違いない。

 早朝、アルセイユは浮遊都市へと向かい空を舞う。人員はユリア大尉を艦長と王室親衛隊のブリッジクルー、ZCFより派遣された整備員、エステルを中心とした仲間たちにケビン、王国の頭脳たるラッセル博士。そして従軍記者扱いとして、カイトも何度か顔の合わせたことのあるナイアルとドロシーも登場していた。

 導力停止現象が生じているにもかかわらず、大型版零力場発生器によってアルセイユは浮遊都市へ確実に近づいていく。

 だがことは順調にはいかなかった。途中、エステルが攫われヨシュアが救出した結社の超弩級戦艦──紅の方舟『グロリアス』が姿を現し、全長二百五十アージュの巨影がアルセイユを包み込んだ。

 そのグロリアスの猛攻を突破し、アルセイユはついに浮遊都市の上空へ辿り着いた──ところで、悲劇は起きた。

 アルセイユの数百アージュ前方漆黒の影──かつて対峙したトロイメライを細身にしたような機体が突進し、アルセイユの側翼を襲ったのだ。アルセイユブリッジの幾人かは、漆黒の機体に銀髪の剣士がいたことに気づいていた。

 そうしてアルセイユは墜落、不時着し、今に至る。

 変わらない薄闇の中、アルセイユ内部の会議室。いくつかの議題に分け、順調に話し合いは進んでいく。

 まず外の景色を見て分かったことだが、アルセイユが不時着したのは浮遊都市の最西端らしい。前方甲板はほとんど浮遊都市の縁からはみ出しており、身を乗り出したカイトはあまりの恐怖に身を震わせたものだ。ちなみに、結社の『方舟』はアルセイユと真逆、最東端に停泊しているらしい。

 次に、墜落したアルセイユの被害状況。大本となる駆動源の導力器や反重力装置などは無事だったが、機体を制御するスタビライザーをはじめとした細かい部分に異常が生じていた。これは意外に馬鹿にできず、さらに外装が損傷しているために現状は飛ぶこともままならないのだという。

 さらに、一つの朗報。出発前にケビンが伝えていた仮説はどうやら正しかった。『輝く環』は外界にある異物を無力化する、逆に言えば浮遊都市内部にあるオーブメントは異物として認識されず、戦術オーブメントなども零力場発生器なしで使用できるらしい。これには一同が安堵したが、それが判明した理由を聞いて青ざめたものもいた。なぜならそれが判ったのは不時着の衝撃で大型零力場発生器が壊れたのにもかかわらずアルセイユ内部の導力器が作動したからで、逆に言えば外界の導力停止現象を解決しない限りアルセイユは浮遊都市を脱出できなくなってしまった。

 最後に、それらの情報を踏まえての行動指針。仲間たちは大まかに、浮遊都市に来たそもそもの目的である『輝く環』を調査するための探索班と、アルセイユに待機し脱出するために機体整備や修理を手伝う待機・修理班に判れることとなった。

 一応の目的として、探索班は浮遊都市上空に到着したときに見えた、都市中心の巨大な柱に向かうことを大まかな指針としている。だが探索するのは見える場所だけで途方もない広さだとわかる浮遊都市だ。探索班は待機班と何度か交代することを決め、休憩も挟みながら根気強く探索していくこととなった。

 そして初回の探索班は、エステル、ヨシュア、カイト、そしてジンに決定した。

 会議室を後にした待機班の仲間たちは、さっそく各々の能力に見合った場所でアルセイユの修理とその手伝いに取り掛かる。そして仲間たちを見送った後、探索班は会議室の出口で集合した。

「それじゃ、さっそく艦の外に出て、探索活動を始めちゃおうか?」

 エステルが言った。すでに行動を始めている結社がいる以上、こちらは悠長にしてはいられない。そう思っての足早な提案だが、ここにきて待ったをかけたのは彼女の大切な義弟だった。

「ごめん、エステル。いろいろと装備を切らしてて、補充しなくちゃいけないんだ。少し待っててくれるかな?」

「あ、そうなんだ。何だったら、あたしも付き合おうか?」

「いや、それには及ばないよ。三十分くらいで戻るから、休憩室で待っててくれるかい?」

「そっか……判ったわ。終わったら声をかけてね」

 そうして、ヨシュアはジンにも声をかけ、用事を済ませるために階段を下りて行った。

 それを見届けてから、エステルがポツリと漏らした。

「そっか……装備切れしてたんだ」

「ま、小道具も使うヨシュアだし」

 ヨシュアは双剣使いだが、それ以外に小刀や爆弾、糸の類の多彩な小道具を用いる。それが元執行者としての彼の実力であり、これから先待ち受ける敵を考えれば万全の準備をしておくことは当然の考えだ。

 そして、ヨシュアとは別の意味で多くの道具を必要とするカイトも彼に同調した。

「それにルーアンから王都、ボース、アルセイユって立て続けに回ったんだし、みんな多かれ少なかれ装備を切らしてると思うよ。オレも弾薬切らしかけてるし」

「そうだったの?」

「うん。それに導力銃が使えるようになったから、それ用の弾薬も揃えなきゃならない」

 動力停止現象以降、カイトはカルナより借り受けた火薬式の軍用拳銃を得物としていた。しかし浮遊都市内部では導力器が使える、それならば本来の得物である二丁拳銃を使わない手はない。両者はそれぞれ弾丸の口径が違うため、改めて弾薬をそろえる必要があった。

 それに軍用拳銃はその威力もすさまじく、取り扱いの難しさを除けばメリットが大きい。その意味でも、カイトは念のため懐に軍用拳銃とその弾薬を控えさせている。

「というわけで、オレも行ってくる。エステル、ジンさん。また後で」

 ヨシュアと同じく、自身も補充に向かう。エステルとジンは了解といいつつ、休憩室へ向かった。

 最下層の機関室手前には、アルセイユの工房室がある。そこでカイトは整備員の許可を得て弾薬をそろえる。その部屋に先に向かっているはずのヨシュアがいないことを不思議に思いつつも、彼のことだからきっと自分には理解できない場所から道具をそろえているのだろうと考えた。

「やあ、カイト君」

 弾薬をカートリッジに詰め、さらにそれを腰のベルトに装着していると、声をかけられる。

 振り返らなくてもすぐに誰か判った。すぐに機体修理を手伝うような人でなく、仲間でありながら昨日は散々肝を冷やされた相手。

 カイトは作業を辞めず、目線を手元の弾薬に向けたまま答えた。

「どうしたんですか? オリヴァルト皇子」

 問われた声は、戸惑いを受けたようにも、少し状況を楽しんでいるようにも聞こえる。

「やだなあカイト君。みんなの前でも言っただろう? 『視察』なんてただの建前だって」

「さあ。オレを『ただの見習い』だとか『子供』だとか散々馬鹿にしてくれた人の言うことなんて、信じられませんよ」

「ふぅ……随分と手ごわくなったね」

 それはこっちの台詞だと、カイトは嘆息した。

 作業を終えて、二丁拳銃も久しぶりに装着した大腿部のホルスターにしまった。整備員に一言礼を言ってから、ようやくカイトは自分に声をかけた人物を視界に収めた。

「で、どうしたんですか、オリビエさん?」

 目の前にいたのは帝国皇子としての黒い軍服でなく、旅の演奏家としての白コートを纏ったオリビエ・レンハイムだ。

「探索班のエステル君が休憩していたからね。なら君は工房室にいるんじゃないかと思って。来てみれば、案の定だったよ」

「……オレを探してたんですか?」

「ああ。時間を少し、貸してくれるかな?」

「千ミラ」

「本当に手ごわくなったねぇ……」

 やれやれと、オリビエは金髪をかき分けた。溜息をついてから、表情を改めて笑顔を浮かべると、工房室の出口を親指で指す。

「とりあえず、甲板にでも出ようか」

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 前方甲板は、風が吹き荒れている。それもそのはず、アルセイユは船首が浮遊都市から突き出ており、これ以上の度胸試しはないだろうというくらいの光景が広がっている。

 カイトとオリビエと入れ違いにナイアルとドロシーが艦内へ戻ったので、今、この場には二人の人間しかいなかった。

「リベール王国、ヴァレリア湖上に封印されていた、大崩壊以前の遺産っていう浮遊都市。……途方もない話ですよね」

 カイトは髪を躍らせる風を鬱陶しく思って、男としては長めの髪を掻いた。そうして甲板の縁に肘を預けると、はるか先まで続く空を見る。

 今カイトが見ているのは、方角的に北にあたる。地上にはボース地方や大国エレボニアがあるはずなのだが、千アージュ以上も下界にある景色は霞と雲に覆われて緑色にしか見えない。

「そもそも『輝く環』……『女神の七至宝』自体が、世間では子供に聞かせる御伽噺の対象だ。国籍問わずこの時代の多くの人々にとって、信じられない光景だろうね」

 オリビエもまた、長い金髪を鬱陶しくかき分ける。

 女神の七至宝とは、すなわち空の女神が人間に授けたと言われる存在だ。現在の導力器にも存在する七つの属性、それぞれに対応する至宝がある。

 そして、輝く環はその至宝の一つ。たかだか一つだけというのが、この浮遊都市の根源となっている。考えるだけで頭の痛くなる話だ。

「『輝く環』はリベール王家の言い伝えですけど、帝国にもそういったものはあるんですか」

「ふむ。そういったものは聞かないね。戦乱を平定した『巨いなる騎士』、『魔女』や『吸血鬼』なんていった伝承はあるが」

「ふーん」

 結局『輝く環』も、ただの御伽噺かと思えば王家に伝わる実在する秘宝だった。大陸各地で出土される古代遺物(アーティファクト)も、五十年前の導力革命によってその用途が判るようになってきた。これから先、謎に包まれたその機構も解明されるかもしれない。

 そうだとすれば、オリビエが言った帝国の伝承も馬鹿にできない。巨大な騎士なんてそもそもトロイメライやパテル=マテルを見ているのだから『巨大』という文字には驚かない。さすがに魔女や吸血鬼なる存在がほいほいと現れたら驚くが。

「帝国か……」

 もう何度めかも判らない一言を呟いて、オリビエを見た。目の前にいるのは、ただの漂泊の詩人ではなかった。エレボニア帝国の皇子、その人だったのだ。

「改めてですけど、本当に皇子だったんですね」

「ああ、驚いただろう? 平原での君たちの反応は、本当にご馳走様だったよ」

「……の野郎」

 お調子者の一言に頭の血管が破裂しかけたが、それを収める。

 そんな風に茶々を入れるためだけに、甲板に出たわけではないはずだ。

 この一言では表せない関係の相手に、積もる話をするために来た。

「オリビエさん、聞いてもいいですか」

「できる限りのことを、答えよう」

 先ほどまでのような変態めいた声色ではなかった。皇子としての振る舞いではないが、それでも落ち着いた口調だった。

「弟がいて、親の引き継ぎ手を譲っているってのは?」

「僕は庶民の出、正室皇妃の実子ではない。色々思うところもあって、皇位継承権を放棄しているのさ。僕には妹と弟がいるんだが、弟が現在皇太子という身分になる」

「あんた、そういう見られる対象がいるのに変態やってたんですか……」

「これでも兄弟仲はいいと思っているよ? そうだ、可愛い妹にも君のことを紹介してあげようか」

「はぁ」

 仮にも嫌っていた国の皇女を紹介されても困る。皇女といえばクローゼのようなイメージを持つが、いったいどんな顔をして話せばいいのだ。

 間の抜けた相槌の後、カイトは話題を変えた。

「昔、兵法を学んだことがあるってのは……」

「そのまんまさ。皇子として帝都近郊の仕官学院でね。帝国でも指折りの名門校だから、軍事、経済、政治、文化……人並み以上に知っている自信はある」

 トロイメライとの闘いで、ストームブリンガー戦で、最近のブルブランとの攻防で見せた知力。それは彼の皇子としての歴史を基盤としたものだった。

「……リベールに来た目的は、カシウスさんと協力して、あの帝国軍の侵攻をコントロールすることだった?」

「ふふ。あのシナリオは、宣戦布告のために付随したものさ。この国に来たのは、君にあの時話した理由がすべてだよ」

 カイトは思い出す。クーデターの終焉。女王生誕祭の日の夜。グランセル城で、オリビエは話していた。あの時はまだ、今まで嫌っていた帝国人が意味ありげに真面目なことを語りだしただけでしかなかった。

 だが、今は全く違う。帝国の皇子が、自国ではなせない何かをするために、カシウスとの接触を図った。そしてその後もオリビエはリベールを旅して、何かの決意を秘めた。そして、あの帝国軍の進行を食い止めた。

「僕はある時、ある人に疑念を持った。そして、その疑念が確信なのかを見極めるために様々なことを調べたよ」

 その人物の経歴や、関係していると思われたハーメルの悲劇の真相。帝国史に存在するいくつもの闇。

 オリビエはゼクス中将に言ったことを反復した。改めて、自分の生きる道を確かめるかのように。

「そして、過去の事件や今回の騒動を経て、確信した。帝国における政治の指導者、『鉄血宰相』ギリアス・オズボーンは、身喰らう蛇に通じていると」

「それは……」

 カイトには今、オリビエの見ている景色は見えない。だが、それでも納得はできた。導力停止現象が起きることを知っていたかのように用意した蒸気戦車には、戦慄以外の反応はできない。

 オリビエは続けた。

「一応補足しておくけど、鉄血宰相は帝都で絶大な人気を誇る大胆不敵な改革者だ。彼の政策はある意味魅力的なのは変わらないし、君を反鉄血一派に仕立て上げる気は毛頭ない」

「あくまで、自分で考えてくれと?」

「そういうこと」

「……でも、オレとジンさんは少なからず納得すると思いますよ」

 カイトとジンは、アネラスも加え帝国を旅してきた。その時、帝国の遊撃士は鉄血宰相によって締め付けをくらっているということを聞いていた。

 もちろんそれだけで一国の宰相の是非を問うことはできない。だが、遊撃士というのは一般的には正義の味方だ。クーデターの際の情報部のように正義の味方を排他するのは、自国の黒い部分を隠すような行為に見えてならない。

「だから、別にオレは気にしませんよ。それよりも、オリビエさんはその人の何か、怪しい『企み』を防ぐために動いてきた。そういうことなんですね」

「ああ。概ね、そう思ってくれて構わない」

 帝国に巣くう鉄血宰相という名の怪物を倒す。それが、オリビエ──オリヴァルト・ライゼ・アルノールの史上の命題。

「なんでオレに話してくれたんですか? 他の……エステルたちには、話さずに」

 オリビエは、仲間たちに自分が皇子であることとと、おおざっぱにカシウスと連携し帝国軍侵攻を抑えることが目的であるとは明かしていた。だが、その先にある本当の理由は言っていなかった。

「別に皆のことを信用してないわけではないよ? いつかゆっくり話したいと思うし、必要があれば恥ずかしがらずに力を借りたいと思っている。共に窮地の中を駆けた、仲間だからね」

「じゃあ、余計にどうして……」

「君だけに今話すのは、そう約束したからさ。互いの生き様を語り合うと」

 川蝉亭での会話だ。あの時確かに、互いの生き様を語る喧嘩を、と話した。あの時はまさか帝国軍との交渉現場などという状況で本当に喋り倒すとは思っていなかったが、それでも互いの思想の限りを尽くした言葉の数々に、オリビエの本当の姿が見えたことに高揚したのを覚えている。

 その熱を、一度嫌った相手との確かな絆を感じてカイトは言った。

「オレも……考えてるのがあります。あの交渉だけじゃ言うことができなかった、生き様ってやつを」

 あの時は、あくまでカイトはクローゼの手助けをした立場でしかなかった。クローゼが自らの王族としての生き方を証明する。そのための時間稼ぎとして言葉を尽くしたという自覚があった。

 だから、自分の生き様というものを、まだ自分は目の前の青年に伝えきれていない。

 オリビエは、少年の言葉に返した。

「そうか……それは、教えてくれるのかな?」

 少しばかり黙考した後、少年は言った。

「すみません、今は無理そうです。まだ目の前のことを解決するのに精一杯ですから」

 今、少年は国難の最前線にいて、仲間たちと共に戦っている。

 先輩たちよりも未熟な自分がここまでこれたのは、自分の可能性を信じて、《がむしゃらに》前へ進んできたからだ。悩みがあったって、迷いがあったって、前へ進むことを止めはしなかった。だから、エステルたちとともに歩いてここまで来れた。

 だから、少なくとも今だけは、浮遊都市の調査に集中していたかった。執行者たちとの戦いに備えて、心を整えておきたかった。

 だから、それが終わったら。

「でも、またいつか話しましょう。そのために、最後の戦いを勝ちましょう」

 少年の言葉に、オリビエは笑う。もう、どちらも互いを敬遠することはなかった。罪悪感を感じることもなかった。二人はともに、あの王都地下での決戦のように、心を共に預け、仲間として振舞えていた。

「そうだね。共に頑張ろう。先の未来を、語り合うために」

 そう言うと、オリビエは前に出て、おもむろに右手を差し出した。

 握手なのかと思ってカイトも手を差し出す。だがオリビエは握り拳を解かぬままだ。

「君に声をかけたのは、これを渡すためなんだ」

 そう言われてようやくオリビエの意図が分かった。カイトは自分の掌を上に向けて受け皿を作る。オリビエは、ようやく少年の掌に拳を乗せて、握りを解いた。

 少年が感じたのは冷たい感触。そして掌に載せられたそれを見る。

「これは……」

 目に見えたものは、まったくの予想外のもの。

 オリビエは笑う。

「ともに旅をしてきた仲間への……そしてこれから闘いを共にする仲間への、激励みたいなものさ。君なら、正しくそれを使ってくれるとも思ったからね」

「オリビエさん……」

 カイトは微笑んだ。

「ありがとうございます。戦いましょう、一緒に」

 

 


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