心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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2話 零人前の遊撃士⑤

 二匹のキングスコスルプの、計四つの鋏がカイトに襲いかかる。少年はそれを後ろに跳ぶことで避け、固い甲殻にそれぞれ銃弾を浴びせることで完全に彼らの注意を引き付けた。

 場所は幸運にも、狭い山道のオアシスとも言えるような開けた空間だ。何とかカイトが動き回れる程度の広さはある。

 まず一発銃弾を送り込むが、弱点となる関節部には当たらなかった。今度は左右から迫ってくる攻撃を、体ごと回転させることでなんとか回避した。魔獣はぶつかり合い、背後で鈍い音がした。

「くそ、むずい……」

 シャアシャア! と時折聞こえるのは彼らの会話なのだろうか。いずれにしても、カイトは彼らに痛手を加えることの難しさを痛感する。

 時期に体力にも限界が訪れることを考えると、悠長にしてはいられない。

「あたれ……!」

 二丁の拳銃に装填されている六発全てを犠牲にして、魔獣の片方に向けて乱れ打つ。その内二発は幸運にも関節部に食い込み、一つの鋏を引き剥がした。

 喜びも束の間、鋏を一つなくした魔獣に突っ込む。流石に今度はあっさり体術を見舞うことができた。

「っつー!」

 繰り出された渾身の蹴りはカイト自身にも痛みを与えるが、同時に魔獣も吹き飛ばせた。

「お、おおー! やるなー!」

 崖の上から男性の声が聞こえた。形勢が変化したことで余裕が出たらしいが、少年はそうも言ってられないのだ。

 未だ掠り傷すらない一匹と、機動力を失ったもののまだ息のある一匹。そしてカイトは、二丁の拳銃に銃弾を装填しなければならない。油断は禁物だ。

 無傷の魔獣は怒りを覚えたのかのごとく、休むことなく追随してくる。そのせいで銃弾の装填に手こずる。華奢な少年の体であれば簡単に切断してしまいそうな鋏。それは少なくない恐怖を少年に与える。

 魔獣の攻撃を避けて避けて、また避ける。やがて魔獣が土の壁に激突したのを気に距離をとって、辛うじて一丁に全六発を詰め込んだ。もう一丁は大腿部のホルスターにしまい込む。次に、少年は出力を最大にした弾丸を二発打った。一発は威嚇として壁に激突した魔獣に。そして一発は、機動力を失った魔獣にだ。

「よっしゃっ!」

 度重なる鋏を避けて様々な感覚が敏感になったらしいカイトは、容易に魔獣を絶命させる事に成功した。そして笑顔でもう一匹に意識を向ける。

 先程よりも遅い速度で鋏による攻撃を繰り出す魔獣と、迎撃する少年。

 けれど、少年は失念していた。

 彼は二匹の魔獣の攻撃を避ける時、逃げる方向は全て後方か左右だった。そして男性を見つける前に遭遇したしたキングスコルプの攻撃は鋏を掻い潜り魔獣の背後をとったのだが、その時何も起こらなかったせいで見落としていたのだ。

 最初にカイト自身が見たキングスコスルプの特徴は大きな鋏、そして尻尾の大針だったということを。

「なーー」

 鋏を掻い潜り背後に向けて銃弾を浴びせようとした時、それは起きた。妖しく光る大針が、カイトめがけて伸びてくる。

 瞬間的に膝を折り殿部から転ぶことで、大針は体を貫くことなく右肩の二の腕を二リジュ抉る程度ですんだ。

「ぐっ」

 微かに血の線が走る。それでも痛みもあるが呻く程ではなかった。何より驚いたのは、その数秒後に起こり始めた感覚の問題だった。

 右肩を中心にして、体全体に痺れが走り始める。足取りが重く、銃を握る手も覚束なくなってきた。

 キングスコルプの大針に、即効性の毒のようなものがあったのは明白だった。

(どー、する……)

 まるで勝ち誇ったかのようにじわりじわりと距離を詰める魔獣。やがて何度も襲いかかってきた鋏がついにカイトに触れた。

 辛うじて体を捻り直撃は避けたものの、それでも槍のような勢いは殺しきれない。少年は呆気なく四アージュ程吹き飛ばされた。

「くそ……」

 うつ伏せになりながらも何とか顔を上げると、そこにはまた距離を詰める魔獣の姿。

 死が明確なイメージを持ってやって来た瞬間、唐突に頭は冴えていく。恐怖で動けなくなるような状況でも、何故かカイトは思考を停止させなかった。

 最大の力で銃を魔獣に向けると、すぐさま引き金を引き絞る。しかし狙ったのは魔獣ではなく魔獣近くの地面。土を抉る音がした瞬間魔獣は動きを止める。

 彼我の距離は三アージュ。また魔獣は動き出す。

 背後から騒がしい足音が聞こえたが、少年はもう意識を完全に魔獣に当てていた。

 今度は魔獣の後ろを狙い打つ。放たれた弾丸は壁から突き出た岩に当り、聞こえてくる鋭い残響に魔獣は大針を振り回した。

 残る距離は二アージュ。ここまで引き付けられれば、痺れた腕でも照準を簡単に合わせることができた。

「……終わりだ」

 立って見下ろしていた時とは違い、今は腹這いになっているため魔獣の脆そうな腹部が見え隠れする。最大出力の銃弾は、普段見えないせいで脆く退化していたその場所をあっさりと貫いた。

 少年は不適に笑って見せた。そこにいるのは、動く力を失った一匹の魔獣だった。

「ま、上出来だな」

 動けないまま魔獣の鳴き声を聞いていると、後ろから声が聞こえた。眼鏡の男性ではなく、覇気に満ちた男の声。

 続いて頭上から視界に写ったのは、赤髪の青年と彼の身の丈ほどの大剣が魔獣を蹂躙(じゅうりん)する姿だった。

「アガットさん……」

 重剣のアガットは魔獣を絶命させるとカイトに向き直る。

「ただこのままシャアシャア言わせてると、魔獣がまた集まっちまう。そこだけは失敗だったな。……ほれ」

 アガットはカイトに弛緩剤を塗りつける。やや強引な手つきだが、薬はしっかり効果を果たしてくれる。

「っ……」

 大針を受けた右肩は痛むが、それは元から準備していたティアの薬を塗り込んでいく。アガットは眼鏡の男性に降りてくるよう促すと、また淡々と口を動かす。

「突然の状況に慌てることなく遊撃士への連絡を促して、戦える自分は迅速に保護に向かう。戦闘も、不利な状況を知力で打破してみせた」

「アガットさん、オレがでしゃばるの嫌じゃなかったんですか?」

 今までの二人の関係を物語る、ほんの少しだけ怯えるような少年の問いかけ。いつもなら、アガットはカイトの首根っこを摘まんで怒鳴り声を浴びせるだろう。けれど赤髪の偉丈夫はなあに、と呟くと、出会って初めてカイトに笑いかけた。

「文句はそれを許したジャンにしとくさ。何より、ケンカは気合いだ。負ける気のない戦い方は、嫌いじゃないぜ」

 

 

ーーーー

 

 

「戻り……ましたあ」

「お帰り、カイト」

「おう」

 遊撃士協会ルーアン支部。そこにいたのはなにやら精魂の尽き果てたようなジャンと、普段の何食わぬ表情に戻っているアガット。

 あの後眼鏡の男性ーーアメリアの叔父だったオーヴィットを無事保護し、家に帰すことができた。アメリアはアガット、そしてカイトに痛く感謝していた。

 その後アガットと一度別れると、当初の目的だったオニールの依頼をこなした。心身ともに疲れ果てる寸前だったが、カイトは何とか初めての依頼を乗りきった。ルーアンに戻ると、調査の結果をオニールに報告していく。オニールは報告が遅れたことなどまったく気にせず、カイトに感謝の言葉を投げ掛けた。

 そして、全ての報告をするためにルーアン支部へと入る。

「ーー以上が、オニールさんの依頼と、オーヴィットさんの保護に関する報告です」

「……はい、お疲れ様」

「あの、ジャンさん。なんか疲れてません?」

「そりゃこいつにこってり搾られたからねぇ」

 顔を伏せながら指した指の先には、もちろんアガットが立っている。

「ガキを依頼に使うなんて、そりゃ搾られて当然だろうな」

「くそ……アガットめ、いつかコキ使ってやる」

 なにやら呪詛のようなものを吐き尽くしたジャンは、唐突に顔を上げると賑やかな声で喋りかける。

「何はともあれ、初めての依頼は無事に終了したわけだ。アクシデントもあったけど、本当にお疲れ様!」

「さっきも言ってやったが、上出来なんじゃねぇか?」

「もう、疲れました。でも良かったです」

 終わってみれば、疲れ以外は達成感のみだ。遊撃士の一日を追体験したことは、とても感慨深かった。

「アガットさんも、ありがとう。たぶんあのままだと動けなかったよ」

「フン、だったらもっと精進するんだな」

 といったところで、アガットは不思議そうに顔を下に向ける。視線の先には、カイトの武器である二丁拳銃があった。

「お前、それどれくらい使ってんだ?」

「拳銃ですか? 使ってるのは二年もたってないですけど」

 アガットの言わんとすることを理解したのか、ジャンも一端笑顔を潜めた。

「一丁に戻すか二丁のままかは自由だが、その拳銃変えた方がいいんじゃねぇのか」

「え」

「少し、火力が心許ないからな」

 元々拳銃というものは、護身用として作られたものだ。小型で携帯性と秘匿性に優れている分、銃身が短く十分な力を得られない。それを補うために口径は大きいが、結果として近距離以上の距離では威力が減衰してしまう。

 しかもカイトの拳銃は、拳銃という種類の中でもさらに小柄なものだった。魔獣の種類によっては先程のように苦戦してしまうのだ。本来後衛での補助や遠距離からの狙い撃ちを行うべきなのに体術を駆使しているのも、そういった理由が起因している。

「カルナを見れば分かるとは思うが、同じ銃でもあいつの方がでかいぶん威力は高いだろう。詳しいことは分からねえが、この先遊撃士としてやってくなら一人でも立ち回れるものを使った方がいい」

「たしか、昔から持ってたものだって言ってたね。思い入れでもあるのかい?」

 アガットの説明を浮かない顔で聞いていたカイトにジャンは問いかけた。

「思い入れはありますよ。お父さんの形見ですから」

 カイトの父はルーアンで漁業を行っていたと、かつての同業者から聞いたことがある。レグメント家族の変える場所だった小さな一軒家の奥で見付かったのが、カイトの相棒である二丁拳銃だった。

 銃身には文字が彫られていた。文字はそれぞれA.R、L.R。それがアラン・レグメントとライラ・レグメントという両親の名だったということを知ったのは、一年と半年程前のことだ。

 まるで婚約の証のように彫られたその拳銃はカイトと両親の数少ない繋がりでもある。

「今オレのお母さんはテレサ先生で、弟や妹もいる。けど、二人も大好きで大切な家族なんだ。こうして一緒に戦ってると、今もそばにいてくれてる気がする」

 十年も過去のこと。幼すぎて鮮明には思い出せない。けれど、温もりだけは確かに感じていた。

「だから、武器を変えるのは少し寂しいかな」

「そうか……」

「気持ちは分かった。けど、考えてはおけよ。それを捨てろって訳じゃねえんだから」

「はいっ」

 少しだけ曇った空気はそれで一度終了となる。

「それでアガットさん。放火事件の調査のほうは進んでますか」

 アガットと会ってから即座に訪ねようともしたが、関係のない人もいたためカイトは少し我慢していた。今少年が一番気になっていることなのだ。

 アガットは穏やかだった目付きを鋭いものに変えると、しかし声色は変えずに伝え始めた。

「ああ。進んでるぜ。マーシア孤児院を襲おうなんて考える人間、この数日間で調査したが全くいないってことがな」

「なっ……それは順調っていうんですか」

 少し感情を起伏させてしまう少年に対しても、青年は表情を崩さない。

「ああ。これははっきり進んでる。これでどんどん、ルーアン外部の人間が怪しくなっていくんだからな」

 それは、とカイトは言葉を引き継ごうとする。

「観光客? なんで観光客が……」

「さて、外部の人間が全て観光やら行商やら目的で来るかねぇ」

「え?」

 肝心な部分をはぐらかすアガットに対し、ジャンは助け船を出してくれる。

「アガットはエステル君とヨシュア君のお父さんからとある人物の調査を頼まれているんだ」

「お、おい、ジャン!」

「それと今回の放火事件が少なからず関係しているみたいでね。君に言うのも申し訳ないんだが、ここは聞かないでおいてくれ」

 ある人物。放火事件との関係。聞くなと言われたら聞きたくなるが、今の心身疲労ではそんな気力もわかなかった。

「そうそうカイト、君に渡すものがあるんだ!」

 聞かないことの代わりなのか、ジャンは再び声を明るくする。受け付けの書類の中から封筒を取り出すと、それをカイトに差し出した。

「はい、これ」

 その封筒を、少年はわずかに緊張した様子で開ける。中に入っていたのは、数枚の札束と同じく数枚の硬貨だった。

 驚く少年を見て、ジャンは笑みを浮かべた。

「オニールさんの依頼とオーヴィットさんの保護活動。合わせて四千五百ミラだ」

「特に保護の方は色がついてる。お前にとても感謝してたんだ。その金はしっかりと使えよ」

「本当に……ありがとうございます」

 ほんの少しだけ封筒を握りしめた。目標としてきた遊撃士の依頼をこなして手に入れた、少年にとっての大金。

「大切に使いますっ」

 カイト・レグメントにとって長く短く、辛く素晴らしかった一日は、こうして終わりを告げる。

 次の日から数日は、また変わらない日常に戻っていった。調子に乗ったカイトがまた依頼を受けようとして、もう次はないといつものように怒鳴り付けるジャンがいるという光景には、たまたまそれを見ていたアガットとカルナは苦笑するしかなかった。

 そしてさらに日付は変わり。

 ジェニス王立学園主催。多くの人が待ちに待った、学園祭が始まる。

 

 


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