心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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27話 銀の意志、金の翼③

 

 浮遊都市リベル=アーク、中枢塔。ただでさえ高い浮遊都市の景色さえ、途方もなく粒のように見える第三層。その台座のある踊り場。

 銀の髪の女性が、もう一人の妖艶な美女に向け、声を投げかけている。

「姉さん……!」

「本当に強くなったわね、シェラザード……」

 元々リベールの出身ではなく、大陸を放浪しながら生活していた旅芸人一座。そこにおいてルシオラは鈴を用いた芸事に秀でていた。

 同じく、リベールの出身ではないシェラザード。辺境都市のスラム街で幼少期を過ごし、その日を生きるために軽犯罪を繰り返した。スラム街の大人に捕まり暴行も受けた。途方に暮れていたところを、ハーヴェイ一座に拾われた。

 少女を迎えた一座は放浪を続け、シェラザード自身も芸事を覚え、ルシオラを姉と慕い、そしてある時リベール王国のロレントへやってくる。ロレントでは幼子だったエステルがシェラザードと仲良くなり、この時シェラザードとカシウスの繋がりはできた。シェラザードはブライト一家と再会を約束し、そしてまた別の地へと放浪を続けた……。

 だがある時、一座は解散する。一座の誰にとっても親のようだった、優しい座長の死によって。

 本当に唐突すぎて、そして姉貴分であったルシオラとも別れてしまった。シェラザードにとっては、一方的な別れに等しかった。

 シェラザードはリベールのカシウスを頼り、そして遊撃士として成長する。《銀閃》の二つ名で呼ばれるようになり、エステルとヨシュアを準遊撃士として導き、ついには執行者となった姉と対峙するまでに至った。そして、尊敬していた姉が尊敬していた座長を殺めたことを知った。

『貴女にとって、座長はどんな人だったかしら?』

『決まってるじゃない、孤児だったあたしを拾って育ててくれた恩人よ!』

『そう、一座のすべての人にとっての恩人ね。暖かくて優しい人だった。それでいてどこまでも潔白だった。だから、資材を使い果たして、莫大な借金を背負ってしまった』

『うそ……だって座長、そんな素振りなんて──』

『人がいいくせに、とても芯の強い人だったから。そして私たちを使って借金を払うのではなく、最後に一座を手放すことを考えた』

『どうして……せめて少しでも相談してくれたら!』

『私も説得した、でもあの人は頑ななまでに引き受けてくれなかった。私にはそれが許せなかった。安らぎと幸せを与えておいて、それを取り上げるなんて……』

 そしてさらなる事実を知るため、銀閃は幻惑の鈴に追い付くことを宣言した。このリベール王国ヴァレリア湖上の浮遊都市、その中枢塔の上層で。

『私にとって、彼の決断は許しがたい裏切りでしかなかった。そんなことをするくらいなら、最初から手を差し伸べてほしくなかった。だから、私はあの人を殺したの』

『だったら、あたしはどうなるの?』

『え?』

『あたしは……座長と姉さんから安らぎと幸せをもらったわ。でも、座長が死んでしまって、姉さんまで去ってしまって……そんなの、もっとひどい裏切りじゃない!』

『シェラザード……』

『確かに、座長のそれは裏切りだったかもしれない。でもあの姉さんがそれだけで座長を殺した……それがあたしには信じられない』

『そう……それで、どうするの?』

『あたしは、姉さんから真実を聞き出して見せる。あたしの元を去ったひどい姉さんじゃなく、本当の姉さんを捕まえて見せる』

『いいでしょう、シェラザード。幻惑の鈴、見事破ってごらんなさい』

 シェラザードとルシオラもまたジンとヴァルターと同じように。武人という色の二人ではないが、しかしルシオラを納得させるためには、真実へと至るためには相応の実力を求められたのだ。

 戦闘は困難を極めた。しかしアガットとジョゼットのサポートが功を奏した。

 執行者だけあり、ルシオラの身のこなしは並みの武人のそれを圧倒的に凌駕する。だが旅を経て覚悟と共に自身の戦い方を──鞭とアーツという元旅芸人らしい搦め手を獲得したシェラザードは、決してルシオラの戦闘力についていけないわけではなかった。

 ロレント地方の濃霧騒ぎで彼女の幻術をエステルより早く破っていたのも大きかった。

 塵を基にする式神の猛攻を辛くもアガットが制し、その漏れをジョゼットがアーツで抑える。

 残るルシオラ自身の炎の幻術を見破り、鈴の幻術に惑わされず、風呼びの術をアーツで相殺し、扇子の一撃を鞭で殺す。

 勝てはせず、されど負けず。仲間たちがいたとしても、確かに中枢塔のこの場所で、シェラザードはルシオラに追い付いていたのだ。

 そして真に殺し合いを渇望するヴァルターと違って、シェラザードのことを憂うルシオラにとってはそれだけで十分だった。

 愛していた妹分の成長。それに対するかつての保護者としての戸惑いと喜び。その一瞬の迷いが、ルシオラの数々の術を一瞬だけ止めた。

 そして尊敬していた姉を超えると誓った妹にとって、それは決定的な隙に他ならなかった。

 アガットとジョゼットが後方で援護する中、ルシオラと正面から対峙していたシェラザードは、長年連れ添った鞭を振るう。それは一閃となって、ルシオラの膝を打ち据え、そして絡めとる。

 鞭を介して、何年の時を超えて、姉妹は繋がった。ルシオラの扇子はその鞭を切り取ることができる。だから、シェラザードはその好機を見逃さなかった。

 一気に詰め寄る。我流であっても遊撃士として培った裏拳が、ルシオラの扇子を持つ右手を弾いた。

 ルシオラはよろめき、初めて戦場に沈黙が生まれた。アガットとジョゼットは警戒しつつもその沈黙を守護し、シェラザードが悲痛な心を顕わにする。

「姉さんっ」

「シェラザード」

「やっぱり、信じられない。姉さんがそんな理由で座長を殺めてしまうなんて。あたしたちのことを思って、つらい選択をした座長のことを……」

 人の感情は、時に理性など簡単に破り捨てる。しかしだからこそ、一座の恩人である座長を殺すほどの衝動になるには、何かが足りないとシェラザードは思った。大切でないなら、裏切られたという理由で殺せるかもしれない。でも、座長への恩義を自分と同じぐらい感じるルシオラが座長を殺すなど、やはり納得はいかなかった。

 ルシオラは観念したように溜息を吐いた。戦闘においても、想いにおいても。

「……ふふ、ここまでの成長を見せられて、誤魔化し切ることはできないか」

「……姉さん」

「聴いてくれるかしら? さっきの話の続き……」

 語られたのは、幻惑の鈴の昔話。どこにでもあるようで、しかし社会からは容認されずらい少女の恋慕だ。

「姉さんが、座長のことを……そう、だったんだ」

 世代の違い、性別の壁、近親への禁忌。今の社会ではどれも容認されにくく、しかし決して偽りとはなりえない想い。それだけに、想いは強く存在し続ける。

「親子ほども離れていたから、想像もできなかったでしょう」

 そしてそれは、ルシオラの想い人にとっても同じことだった。あくまで想いに応えることはできない。それが返答だった。

 想いを告げて、そしてそれが届かないと悟る。背景は全く違うも、状況はカイトのそれと似ていた。そして、想い人が自身の元から離れて行ってしまうことが、ルシオラには怖くて仕方がなくなった。

「そう悟った瞬間、私の中で何かがはじけていた。永遠に私のものにするために。その囁きに従って……あの人をこの手にかけていた」

 そして、自身の中の闇に気づく。ある時蛇の誘いがちらつき、そしてルシオラは幻惑の鈴となった。

 だが、そうした罪も今、愛する妹分に向けて吐くこともできた。闇が、光に照らされた。

「潮時、かしらね」

「え?」

 シェラザードが聞いた。ルシオラがよろめいた。

 銀閃の脳裏に、嫌な悪寒が閃く。

「シェラザード……中々鞭さばきも上達したじゃない」

「姉さん」

「あの人を手にかけたことは今でも後悔していないけれど、貴女のことだけが気がかりだった」

「やめて」

「貴女がどうしているか、それだけがあたしの心残りだった」

「やめてよ」

「でも私がいなくても、貴女はしっかり成長してくれた。自分の道を、自分で見つけてくれていた」

 その言葉の数々は、まるで走馬灯のような。遺言のような。

 よろめき、さがる。この青空の下の踊り場には、手すりなんてものはどこにもない。

「貴女のことを確かめられただけでも、リベールに来た甲斐があったわ」

「お願いだから……」

 シェラザードが駆ける。ルシオラが、踊り場の末端まで来た。彼我の距離は、まだ十五アージュ。

 裁きを望んでいた。それは愛し、迷惑をかけた妹分に。でも。

「さすがにそれは……虫が良すぎる話だったわね」

「姉さんっ!」

 幻惑の鈴が、落ちる。広場の床から、彼女の体が消えていく。

「お酒もいいけど、ほどほどにしておきなさいね」

 駆け、そして鞭を振るう。殺すためでなく、生かすために。

「さようなら、私のシェラザード」

「姉さぁんっ!!」

 そして、幻惑の鈴は落ちていく。

 落ちていく──。

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 執行者にとって、怪盗紳士にとって、本来少年の攻撃というものはそこまで脅威になるものではなかった。銃は落ち着けば苦も無く躱せる、体術も奇抜な戦術を除けば痛くも痒くもない。

 楽勝、そのはずだった。

「……っ」

 だが今、ブルブランは少年への警戒を解けないでいた。

 銃撃に体術、凄烈とは言わずとも強い意志が込められた攻撃が怪盗紳士に迫る。

 怪盗紳士はそれらを避けつつも、常に視界に纏わりつく翡翠の波に警戒をせずにはいられなかった。

 銃撃と体術を避け、そして反撃の糸口としてのナイフや影縫い、ステッキによる打撃を見舞う。しかし強い一撃も回避に徹底されるとさすがに直撃とはいかない。そしてナイフの投擲は体を掠めるが、それでも少年の動きを止めるには至らない。翡翠の波を殺すには至らない。

 強い意志に、そしてあくまで牽制のみを念頭に置いた攻撃。これではさすがのブルブランも、はい反撃と一撃で少年を屠ることはできない。回避に集中されると、この少年はそうやすやすとは捉えられない。

 未だ翡翠の尾を引きながら戦場を駆け巡る少年を見て、それでも攻勢に転じるため怪盗紳士は攻撃を続け、言った。

「……()()を見たのは、二人目だ」

 言葉を耳に届けたカイトはしかし、一切動きの精度を変えずに、返答もなく怪盗紳士に立ち向かう。

 猛攻ではなく回避と牽制。先に待つ強大な一撃を、自分の力だけで顕現させるために。まだ、カイトは縦横無尽にブルブランに強襲する。

 思い出すのは帝国での日々。レグラムでの、アーツを得意とする先輩との会話だった。

『《並戦駆動》って概念がある』

『それは……どういうものなんですか? トヴァルさん』

『特殊な駆動法の一種だ。意識的にせよ無意識的にせよ、《駆動》と《戦闘》という異なる行為を同時に行うこと……あるいは、《二つの思考》を並列処理させること』

『それって、先輩たちやオレもやってる走りながらのアーツ駆動ですか?』

『それは《並走駆動》だな、初歩的だからアーツ駆動が得意な奴なら慣れれば出来得る。だが《並戦駆動》の難しさはそれらの比じゃない。なんせ《走る》、《避ける》っていう単純な行動じゃなく、それらをいつどの手足を動かして遂行するか、どの戦術を用いてどれだけの対象に攻撃するか、そういった動作を幾通りも用いて、かつアーツを()()()()()()ことが必要になる』

『……』

『組み合わせるじゃない、()()()()()()だ。攻撃、防御、駆動という選択肢じゃない。とにかく意識を集中させなきゃいけないアーツ駆動を、全力の動作と共に扱う。それが、並戦駆動になる』

『なんか、とてつもなく不可能に近そうですね』

『そりゃ並の人間にはまずできない。相当な資質があって初めて出来得ることだ。それに、そんじょそこらの飛び猫相手なら、どう激しく動いたって並走駆動で事足りちまう。

 格上と戦う必要性に迫られて、身のこなしを変えずにアーツを同時に駆動する。それができて初めて並戦駆動といえるな。

 だが、お前さんなら──』

 二つの異なる行為を同時に行う。それも強敵との戦い、死が常に隣にあるという極限状態で。

 そんな中で並戦駆動なんていう極限に達するには、ただコツをつかむとか、頑張るとか、そういった不明瞭な志ではだめだった。ある種無意識的に並戦駆動を行うために、少年は何のために戦うのかを思い浮かべていた。

 ──様々なことがあって、少年は心を揺さぶられてきた。帝国への憤怒、義姉への恋情。どれも一筋縄ではいかなかった。

 それでも少年がここまでこれた意志は、少年が成長していくその根幹を成していたものは変わっていない。

 旅の始まりから。銃をその手に取ったときから。その想いだけは、ずっと変わっていない。

 全ては、大切な存在を守り抜く。ただ、それだけのために。

 並列思考に揺らいでいた二つの回路が、一つの方向へと定まる。役割の異なる己の手段が、同じ目的へと駆け出し始める。

 カイトは今、最大限の動きを伴って最上位のアーツを駆動させていた。

 荒々しい翡翠の奔流は吹き荒れ続ける。林の中を駆け抜ける清風のように、辺りへと拡散していく。

 ブルブランが再び迫った。棺はないが、それでもいつの間にかステッキが両刃の長剣へと。その刃がカイトへと迫る。

 思考はもはや反射となって、戦闘思考と駆動イメージ並列に行わせる。

(奴の剣が肩を狙ってる)

 想起されるは風と雷。

(避けて走れ)

 天変地異の翡翠の暴風。

(もう一度奴を銃撃で撹乱)

 何人(なにびと)をも吹き散らす。

(今度はナイフ投げが)

 けれどそれは優しくて。

(見極めて近づけ)

 仲間を守る決意の風刃。

(体術で牽制しろ)

 今駆動が完了した。

(もう一度離れろ)

 翡翠の波が収束する。

(姉さんたちに及ばない場所で)

 翡翠の波が再び吹き荒れる。

(アーツを発動する)

 風が吹き荒れる。

(グランストリーム)

 グランストリーム。

「──いけぇ!」

 本来なら集中を乱す声を、決意を込めて放つ。少年が睨む先で、少年の駆動を止められなかった怪盗紳士を中心に、暴虐の風が顕現した。

「ぐ……ぉお!」

 グランストリーム。第四世代戦術オーブメントによる風属性の最高位魔法。いかに執行者といえど、最高位の魔法をまともに受ければ無事では済まされない。踊り場の中心に立つブルブランは剣を突き立てることで体が浮くことを防ぐも、鋭すぎる刃となって向かう風は防ぎようがなく、膝に腕に脇腹に首筋に斬撃を与えていく。

 その長すぎる駆動時間故に、執行者はアーツ使いに最高位のアーツを駆動させる隙などまず与えない。

 だからこそ、ブルブランは初めてだった。中級以上のアーツ攻撃を受けたことが。

「ぐ……舐めるなぁ!!」

 最高峰のアーツ。決定打とはいかなくとも、執行者に通じうる。その可能性を目の当たりにして、ブルブランは明確な怒気を滲ませてカイトに迫った。

 カイトはブルブランから遠ざかりながら黒の波を纏う。

 ブルブランが防御も何も考えない、魔人が如き一閃を放った。

 それを避け、退避を──と思う間もなく。

 視界には、傷のないマントを纏う怪盗紳士が目前に迫っている。

「──!」

 分身を使ったな。そう思考が閃いたのと、クロックアップ改が発動したのは同時だった。

 時をつかさどる外套がカイトを包み込み、そしてその恩恵が脳天に五リジュまで迫っていた分身の剣を避けさせた。

「──!」

 距離をとれ。次は風を纏う。

 静と動が交錯し、怒りに任せたブルブラン本体とその分身を相手取る。

 怪盗紳士の猛攻を必死で避け、下位アーツで本体か分身一方を攻撃し、同時に銃を乱れ撃って他方を遠ざける。

 激化する少年と怪盗紳士の抗争。それを見ているのは、皇子と王女。

「あれは……」

「姫殿下、知っているのですか?」

 この二人は、どちらも四輪の塔の戦いの後は、それぞれ王城と帝国に戻っていた。それゆえに、カイトの戦いを見るのはこれが久しぶりだ。ましてや混迷の大地の中でも、少年が一人《並戦駆動》を試していたことに気付いたのは仲間内でもヨシュアだけ。二人はその駆動法を知る由もない。

 訪ねるオリビエは、今までのアーツ攻撃と物理的手段の銃や体術の二択を切り替えていたカイトとは違う激動に、ある意味驚いていた。

 今のカイトは今まで以上に、小さな嵐ともいうような、激昂した四足型魔獣のような荒々しさを持っている。

 しかしそれを共に見るクローゼは、同じく驚いてはいるがどこか既視感を感じていた。

 戦術オーブメントの駆動には、術者の強い集中が必要。それがアーツを使用する者の共通の認識だ。今では魔法駆動にも一人前といえるほど慣れた仲間たちだが、それでも簡単な回避以上の動作を同時にできる人間はいなかった。

 だがクローゼは、一度だけ《並戦駆動》を完全にものにしている人間を見たことがあった。カイトと同じく。

「はい。かつてロランス少尉として動いていた、彼が用いた技術です」

「……彼の剣帝の技か」

 あの女王宮テラスでの一戦。それがなくとも圧倒的な実力だったロランスこと剣帝レーヴェだが、彼の常識離れした戦闘の才能を垣間見た瞬間でもあった。彼が銀色の波を纏って、カシウス並みの体裁きで動いたこと。戦闘をした誰にとっても衝撃を与えたのは疑いようもない。

 だが、カイトにとってはそれ以上に脳裏に焼き付いていたのだ。無意識に追い求める自分だけの強さ。魔法における、ただの実力者の一歩先。理と修羅の一端。

 それを今、カイトはなしている。クローゼやオリビエが、自身の領域でその生き様を示して見せたように。今カイトもまた遊撃士としての生き様を示しそうとしている。『ただ守られるわけではない、これが一人で生きるための力なのだ』と言わんばかりの姿勢だ。

「ですが、それは決して一人だけで強敵と戦わなければいけないという意味ではありません」

「はは、その通りですね」

 クローゼの落ち着いた声に、オリビエの短い笑いが重なった。

 今、カイトは分身を含めた二人の怪盗紳士に苦戦を強いられようとしている。並戦駆動、剣帝と同種のそれをしているとしても、二つの強敵を相手にできるというわけではない。クイックキャリバーによって駆動短縮された下位アーツを連発することで何とか防御できているが、それも時間の問題だ。

 何も、カイトが得た力は自身の物だけではない。多くの仲間との絆、それもまた旅を経た少年の確かな力となる。

 導力銃と、細剣を構える。

「僕らもまた、確かな仲間だ。それを証明しましょう、姫殿下」

「はい、共に」

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 アクアブリード。ブルーインパクト。ブルーアセンション。エアストライク。エアリアル。ライトニング。ソウルブラー。

 様々な規模と種類の超常現象が、戦場に吹き荒れる。

 普通、集団戦でアーツを駆動するにはある種完全に警戒を解く時間が必要になる。判り切った攻撃を避ける、それであればただの並走駆動でいいが、完全に自分に向かれた予想外・意識外の攻撃であればそれを回避するためにそちらに意識と体を割かなければならないからだ。

 先ほども、三対一とはいえ執行者が相手な以上アーツを放てる状況はかなり限定されていた。少なくとも防戦がほとんどで、完全な攻勢の中で放たれたアーツはゼロ。

 だから、この人数の戦いで防御側の人間がアーツを発動させ続けているというのは極めて異常な状況だった。ブルブランもそこには意識を傾注しなければならない。有利・不利に関わらず絶えず魔法が自分へ向かって飛んでくる。それは脅威に他ならないのだから。

 そして、分身とともに二人で攻めていたからこそ奪い取れそうだった優位性は、二人の人間が再び戦線に参加することで拮抗する。

「助太刀するよ、カイト君!」

「おのれ……!」

 オリビエが導力銃をブルブランの分身へ向ける。本体はカイトに猛攻し、そして分身がオリビエに向かう。

 本体の攻撃は強くカイトを打ち据え、容易に少年を吹き飛ばす。それでも、吹き荒れた青の波は散ることはない。

 分身がオリビエに向かう、その着地する足元にブルーインパクトの槍が突き刺さる。分身は一度跳ぶことを強要され、そしてオリビエの導力銃が火を噴いた。

 一秒もたたずに爆炎が舞う。ハウリングバレットが、確かに分身の体を傷つけ、脅かす。

「小癪な……!」

 その間、本体が更なる追撃をカイトに仕掛ける。今カイトは本体に吹き飛ばされ、魔法を分身に向け放ち、次の魔法発動までは無防備に近かった。

 だがその背を守る役割に誇りを持った少女が、ここにはいる。

「行って……!」

 クローゼがアクアブリードを放つ。カイトほどの短縮駆動ができなくとも、初級アーツならその駆動時間は短い。加えて水属性を得意とするクローゼだ、生じた巨大な水塊はむしろ大量の飛沫をあげて、カイトとブルブラン本体の間に割り込む。

 殺傷性の高いアーツでないため、確実に本体の動きを止めはできなかった。しかし素早い身のこなしを持つカイトはその間体を転がせて反転、何とか上体を起こし、今度は拳を構える。

 少年の未熟だが勢いのついた体術と、ブルブラン本体の勢いが削がれた体術が交差し、衝突。両者、同じだけ後退する。

 同じだけの後退、次なる動作に移る瞬間も同時。ただ違うのはブルブラン本体が追撃であり、カイトが回避であること。

 結果、ブルブラン本体はカイト一人に迫る。さらなるアーツが、細やかな雷撃がブルブランを襲う。

 カイトによる必死の攻防と、そして彼から放たれる才能故に高威力となるアーツ。両者が合わさり、ブルブラン一人を相手取る。

 対して、ハウリングバレットを受けた分身はその動きがわずかに怯む。その好きを見逃さないオリビエは、的確に通常弾で動きを牽制、さらに肩や膝という要所に叩き込む。

 そして、詩人は紅蓮の波を纏う。

「アーツ、駆動」

 それはファイアボルトのような薄い波ではない。上位とはいかなくとも、確かに濃く回りを巡る波には違いない。

 想起するのは炎の弾丸。それは導力銃を獲物とするオリビエにとっては想起しやすいものではある。

 駆動時間はそれなりにある。執行者の前で、一人で駆動をするのは自殺行為に近い。それでも、オリビエは駆動を続けた。なぜなら。

(彼がそこまで根性を見せていて、僕がリスクを負わないわけにはいかない!)

 ブルブランがステッキでオリビエの鳩尾を突く。完全な攻撃、わずかな防御姿勢しか取れなかったオリビエは、しかし少年と同じく決死の覚悟を持って駆動解除だけはしなかった。

 アーツが放たれる。スパイラルフレアの幾多の弾丸は、オリビエを巻き込んでブルブラン分身を打ち抜く。そこには先ほどブルーアセンションを使って窮地を脱したカイトと同じ。炎の残滓を燻ぶらせた金髪の詩人がいて、そして突然の自爆攻撃に驚く分身は距離をとる。

 少年が自らの体を犠牲にしてそれをなしたように、オリビエもまた自分の体を的にして敵を誘導した。

 そして一言。

「今です、姫殿下」

「──はい」

 クローゼのアーツが発動した。今度はブルーインパクト。いつかのロランス戦のように、開かれた腹部に長い長い水槍が炸裂。分身の体が完全に宙に舞う。

「とどめだよ、分身君」

 二度目のハウリングバレットが、今度は完全に分身に命中した。

 分身はあくまで分身に過ぎない。爆炎は翡翠の塔の時のように、分身を完全にかき消す。

 オリビエとクローゼがわずかに笑みをたたえ、しかし顔を引き締め即座に最後の障害へ目を向けた。

 カイトとブルブランは依然として攻防を続けていた。アーツによる攻撃と、多少の痛手を受けても変わらない俊敏性。執行者としての圧倒的な戦闘力と、しかし数秒おきに飛んでくるアーツの直撃を避けなければならない痛手。まだ、奇跡的に拮抗している。

 この均衡をこちらに傾けるなら、今しかない。

 オリビエが叫んだ。

「カイト君、残るは本体だけだ!」

 今のカイトの動きは神がかっているが、それでも一瞬の隙を狙われて再び分身でも作り出されたらまた長期戦となってしまう。その時、少年やオリビエの体力が残っているかは判らない。

 少年は並戦駆動を始める前に言っていた。これからしばらく、言葉を交わせなくなると。それは口を動かす暇もないほど途方もない集中力を要することの表れであり、当然そんな並外れた集中力は長くもたない。

 さらなる分身を生み出す前に、ブルブランを倒すしかない。

 オリビエの声を聴いたカイトは、しかし変わらず声を出さない。ひたすら戦闘を続けている。

 だが、一瞬だけオリビエとクローゼにそれぞれ目線を流した。

 それは友人と義姉にとって、完全に意図を理解できるものではない。だが不思議と、次の行動の後押しにはなった。

「さあ一先ずは、決着の時だ。怪盗紳士君!」

「姉としての覚悟、リベールの誇り。今こそ示します!」

 クローゼとオリビエが駆ける。

 カイトとブルブランの攻防に、クローゼが加わった。細剣を駆使し、幼子の頃より何千と繰り返した突きを放つ。

 その突きはあっさりブルブランに避けられ、しかし次にカイトが体術を叩き込む布石にはなった。義姉弟の連携は伊達ではない。

 そのカイトの正拳突きも、やはり執行者には足止め程度の意味しか持たない。しかしそのたかが足止めは、カイトの並戦駆動によるアースランスを放つための最高の布石となる。

「──舐めるな!」

 二つの石槍が怪盗紳士のマントを掠める。もはや余裕の欠片もないブルブランは渾身の力を込めたステッキの一閃で槍を砕き、距離をとった義姉弟へ計六つのナイフを投擲する。

 もはや、クローゼを最後に仕留めるなどという考えは吹き飛んでいた。いかに敵に勝つか、それをシミュレートした脳は少女への一撃をと、体を突き動かす。

 ナイフの一本目はカイトが銃弾で弾いた。二本目はクローゼが決死の表情で細剣に当てた。三本目はカイトが避けて脇を通り抜け、四本目はあらぬ方向へ外れる。そして五本目、六本目が少女へと迫り──少女をかばうために前に出たカイトの左の肩と肘に突き刺さった。咄嗟に左手に持っていた双銃の片割れが弾かれ、さらにブルブランの近くへと飛んだことで銃は遥か遠くへ跳ばされた。

 それで戦況が変わるというわけではないが、一つの攻撃源を消したのはブルブランにとって大きかった。

 クローゼがカイトとブルブランの間に割って入る。絶えず襲い掛かるカイトのエアストライクやブルーアセンションを避けながら、クローゼの細剣をもステッキで弾き飛ばした。

 そしてブルブランは再びカイトに迫る。やはり今、この場で怪盗紳士にとって最も脅威なのは少年だった。細剣を弾いたクローゼは牽制する程度で、すぐさまカイトへ迫る。

 その時。再び少年と怪盗紳士が近づく直前。少年の口が開かれる。

「姉さん!」

 少年の声が聞こえたのは、この場の誰にとっても意外なことに違いなかった。今まで喋れなくなるといった少年が、多少の集中を解いてでも姉の注意を自分に向けた意味。

 怪盗紳士は少年を、次に少女を見る。

 少女は呼ばれた少年を見る。

 そして、細剣を取らずに青の煌めきを纏うという行動に出た。

 その深みのある紺碧の煌めきを見て、怪盗紳士は直観する。

 これは、大規模アーツだ。

 カイトではなく、隙を生みやすい少女が大規模アーツを放つ意味。

 それは、この戦いの決着を見るための蛮勇。少年は、少女は、ついに覚悟を決めたのだ。

 戦いの最中、油断できない敵を相手に、怪盗紳士は笑う。

 ならば受けて立つ。その博打を破り、今度こそ希望を絶望に染め上げ自らの美を手に入れる。

 ブルブランはしかし、少女には向かわずカイトへ迫り続けた。

 大規模アーツにはそれなりの弱点がある。駆動時間もそうだが、その規模が纏う波の質である程度推測できるということ。それに、わずかな集中の乱れが駆動失敗に至らしめる可能性があること。

 今までの魔法の属性を見て、クローゼが水属性魔法を得意としているのはブルブランにも判っていた。

 だが水属性魔法が得意ということは、必ずしも魔法駆動それ自体を得意とすることに直結しない。カイトほどの才能を持つものならともかく、クローゼの魔法駆動の才能からして少しの集中の乱れが波を霧散させることは十分に考えられた。

 だからこそ、ブルブランの行動は変わらずカイトへの攻めとなる。クローゼの魔法を駆動解除するのは、駆動直前でいい。むしろそのほうが、少年少女の覚悟を打ち砕くことができる。

 そして少女に遅れること幾秒か。少年もまた、今までになく滑らかで海のように光を乱反射する蒼の波動をその身に纏わせる。それもまた、大規模アーツの布石。

 だがそれをしたということは、カイトもまた十数秒以上の時間を体術と柔術のみでしのがなければいけないことを意味する。相当の博打だ。ブルブランにとっても、今が最大の好機。

 この戦闘になって何度目になるか。ブルブランはカイトに迫り──しかし、今度は少年の友が許さない。

「っ!」

 ブルブランが舌打ち、カイトへ向けた体を跳躍させて回避に転じる。何度目かの高火力銃弾が爆炎を生み、カイトへの道を防ぎにかかる。

 ブルブランは逡巡する。詩人もそれなりの腕前。やはり先に潰すべきか、それとも先に少年を潰すか。

 一秒が引き延ばされる。視界の右端にいる少年と、左奥にいる詩人。それぞれの動きに傾注する。

 刹那、ブルブランは見た。カイトが左手を腰に回し、そこにあった双銃用でないホルスターから大柄な拳銃を取り出したのを。

 翡翠の塔では見なかった、火薬式拳銃か。しかし、火薬式とはいえ所詮は拳銃。当たらなければ意味はない。

 右手の拳銃をホルスターにしまい、両手で構える少年を見た。未だ、少年の周りには深い蒼の波がちらついている。

 オリビエがカイトへ向かって駆け、そして再びのハウリングバレットが放たれた。ブルブランはそれを、初めて割合落ち着いて回避することに成功した。

 そしてオリビエが再び導力銃を構えるまでの間、今度はカイトを見る。少年はたった今、拳銃の引き金を引いた。

 爆炎を生み出す銃撃を避けたのだ。今更ただの弾丸など。

 ブルブランはそう考え、紙一重で弾丸を避ける。

 そして爆炎が吐き出された。

「何──おお!?」

 有り得ない。それはオリビエのものでは。

 駆動を保っていたクローゼも、視界の端で驚かされる、カイトによるハウリングバレット(狩猟の弾丸)

 仲間さえも予想外な一撃。それは味方をも騙すために、オリビエがカイトに仕込んだもの。浮遊都市調査前、二人だけの会話の時に。

 そしてそれは、ブルブランの最大の隙を作ることに成功した。

 今怪盗紳士は、爆炎を諸に受け、体を吹き飛ばされ、地を転がっている。

 カイトが叫んだ。すべての集中力を絞り注いで。

「姉さん、今だぁ!!」

 カイトの波が収束し、吹き荒れた。

 広場の四点から水が吹き荒れ、水刃を生み出してブルブランの体を切り裂いていく。水刃は収束して巨大な水塊となり、圧縮されたそれが地面に螺旋を描いて拡がる。

 流されたブルブランはしかしやっと体勢を立て直して立ち上がった。まだ、グランシュトロームは発動途中。

 だが逃げることは許されなかった。

「──コキュートス」

 クローゼの波が収束し、吹き荒れた。

 水属性最高位魔法。巨大な氷山を作るその魔法は、すでに出現していたグランシュトロームの水膜を飲み込んだ。水膜すべてを瞬く間に凍らせ、水刃を氷刃に、水塊を氷塊へと変える。

 巨大なうねりを上げるはずだった水は氷を作る助けとなり。コキュートスの魔法は元々の三倍以上の大氷山を顕現させた。広場は氷に飲み込まれ、生物を死へと誘う氷の世界となる。

「くっ……ぬぁあ!!」

 発動時、水膜に足をつけていたブルブランは、もう何もできなかった。体幹は無事だが、右足首と左膝までもが氷漬けとなり、さらには左腕さえも後ろから襲い掛かった水刃が凍ったことで手首だけが封じられている。もはやマントも水滴諸とも固まり、自由に動かせるのは右腕だけで他は完全に身動きを封じられていた。

 広場の大半が氷の世界となったことで、一気に気温が下がる。発動者故に効果範囲を逃れたカイトとクローゼ、そしてカイトの近くまで寄ったために難を逃れたオリビエも、身を震わせそれでもこの時を見逃しはしなかった。

 執行者は規格外。これだけ行動を封じたとしても自力で脱し得る。しかしこの数秒だけは、確実に自分たちが生み出した決定的な瞬間。

 今こそ。

 勝利を。

『とどめだ!』

 カイトとオリビエが叫んだ。カイトは右手の導力銃を、オリビエは左手の導力銃を、ブルブランへ向け構える。

 背中合わせとなった二人は、同時に引き金を引いた。

 二つの弾丸が、同じ軌跡を描く。ブルブランはあがき、反射的に顔を後ろへそらせた。

 弾丸は仮面に衝突した。

 三人の見る先で、怪盗紳士の仮面が砕け散った。

 

 

 









対ブルブラン戦、決着。
個人的に感慨深い話だけに、あえて2話連日投稿とさせていただきました。
それと、地の分と会話文の空白をなくす理由となった文章のある話でもあります。

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