浮遊都市リベル=アーク、都市の制御に関わる根幹を成す中枢塔の第四層広場。
破壊されつくし、瓦礫と化した踊り場の柱の数々。膨大な熱エネルギーにより焦げ、古代の遺物の体を失くした床。
それらの圧倒的な破壊を成した、しかし今は片膝をついて轢音の呻き声をあげるパテル=マテルがいた。
レンに促されて辿り着いた四層目の踊り場。そこにはすでに、パテル=マテル──王都のお茶会や琥珀の塔で見た紫色の人形兵器が待ち構えていた。
人間が見上げるほどの機体は、それだけで威圧感をもたらす。エステル、ヨシュア、ティータ、ケビン。いずれも、パテル=マテルに十アージュ以上近づくことはできなかった。必然、レンのみが離れパテル=マテルの膝下まで歩くことになる。そして開口一番、レンは言ったのだ。『上に行きたいなら、エステルがレンに言ったことを訂正して頂戴』と。
エステルがレンに琥珀の塔で言ったこと、それは二つ。一つは、レンに結社から抜け出してほしいということ。そしてもう一つが最もレンの感情を逆なでしたこと。レンが結社にいることは間違っているという、エステルたちの考え。
それを訂正すること。これが、レンが要求した誠意ある行動だった。
既にエステルによって光の世界に戻ってきたヨシュアも、悲し気な顔でレンの暴挙を否定するのみ。
レンという子供が犯罪組織へいること、それは悲しいことで世の常識でいうならば当然避けるべきことだ。だが悲しいことに、その行動を決めるのはレン自身。多くの人間が生きれるよう法で律するのが文字通り法律だが、犯罪に加担するかどうか、行動を起こすかどうかの判断を課すのはどこまでも己の意思になってしまう。
だからレンのことをエステルたちが言うのはある意味で傲慢だが、だからと言ってエステルの意見も切り捨てるようなものではない。だから、レンの安全とともにその言葉を引き出す取引もまた浅はかであっても人の世としてはあり得ない選択肢ではない。
だがそれを、エステルは一蹴したのだ。
『甘ったれるのもいい加減いしなさいよね』
変わらず、傲慢。しかしこの世の不条理に連れ添うためには必要なことを言う。母を亡くし、一時ヨシュアをも失っていたエステルだから言える言葉でもあった。
『世界はレンを中心に回っているわけじゃない。レンのために都合よく変わってくれるものでもないわ』
世界は箱庭のようなもので、人は自然の理から生み出された箱庭の人形に過ぎない。
『レンがすごく強いとしても、その大きなパテル=マテルが助けてくれたとしても、人の心までは自由にできない』
恐らく執行者となって数々の任務をこなしていたレンにとって、駆けられることのなかった言葉だろう。
だが、太陽の少女はそうはいかない。ヨシュアをも光の世界に引きずり出したエステルは、それがエゴだとわかっていても説得せずにはいられないのだ。
『無理強いは……させてもらうわ。レン自身に、絶対に気づいてほしい。ヨシュアみたいに、後戻りができるんだって!』
エゴとエゴのぶつかり合い。その果てにあるものは、一つしかなかった。
『せっかくチャンスをあげたのに、棒に振っちゃうんだ……救いようのない大馬鹿ねえ!』
レンが鎌を解き放つ。パテル=マテルが排気音を上げて立ち上がる
仲間たちも、同じくそれぞれの得物を構える。
結社の陰謀を阻止する、そのためだけの効率性を考えれば非効率といえるかもしれない。それでも、自分たちが自分たちであるために、仲間との絆を掲げる希望の翼であるために。戦いは、何よりも必要なものだった。
エステルが謝る。
『ごめん、みんな。もしかしたら避けられた戦いかもしれないけど……』
ヨシュアが笑う。
『謝る必要はないよ、君は僕が言いたいことをすべて伝えてくれた』
ティータが張り切る。
『私も、お姉ちゃんの言うとおりだと思う。レンちゃんがこのままなんて、そんなの嫌だから!』
ケビンが言う。
『ま、懺悔を聞くのは専売特許やねん。エステルちゃんの俺らへの謝罪はこれで仕舞いや』
そして、その四人を眺めたレンは言った。心底、四人の選択が愚行であると決めつけているから。
『気に入らないわ……ほんとのホントに気に入らない!』
一つの巨大人形兵器と、一人の人間。それに対するこちらの戦い。数こそ違うが、王都地下のトロイメライを彷彿させる戦いが始まったのだ。
そして、戦いは熾烈を極める。
レンを足止めするケビンとティータ。パテル=マテルを沈黙させるべく動くエステルとヨシュア。戦いの最中にも少女たちの舌戦は熱を帯び、エステルは何度も自分の想いを告げる。レンは何度も、その想いを跳ね除け殺さんとする。ヨシュアはエステルを助け、同じ闇に生きた存在としてレンを諭す。ティータは友として、どこまでも純粋な想いを行動に込めて戦場をかける。ケビンは、そんな少年少女たちを支えるべく黒子と徹する。
トロイメライ戦の時より少ない人数で、トロイメライよりも大きな人形兵器を倒す。あの時のように、まともな魔法連携も行えないこの状況で。
だが、結社の一員だったヨシュアの言葉は、仲間たちに希望を与えた。
『ゴルディアス級の人形兵器は、まだ制御が不安定だと聞いている。倒し切ることはできなくても、関節に負荷をかけて動きを封じれば、あるいは……』
その一縷の望みにかけ、仲間たちは戦場を駆け巡る。多くの擦り傷、絞り出る汗、疲労で震える脚。すべてをかけて、仲間たちは戦いに身を投じる。
そして怒りに任せ殲滅を念頭に置いたレンと、それに付き合いリミットを解除し爆音と超高温を生み出すパテル=マテル。そしてレンを諭すために守りに徹し、あくまで人形兵器故の機体の弱点を突くべく冷静に戦い抜いた仲間たち。
そもそも太陽の少女が手を差し伸べた時点で、その勝負は決しているのかもしれなかった。
「そんな……パテル=マテル! ねぇ、早く立ち上がって!」
少女はどこまでも、純粋な声で残酷なことを言い放つ。
「早くエステルたちを皆殺しにしちゃってよぉ!」
片膝をつくパテル=マテルは、まるで努力をするかのように轢音を響かせる。五十リジュほど浮いた膝はしかし、再び崩れ落ちてしまう。
「あ……」
《殲滅天使》と名乗ろうとも、どれだけ強かろうとも、十一歳の子供であることを思わせる。幼気な少女は、彼女を支える父と母が倒れることで容易く崩れ落ちた。
後には殺気なども見せず、ただただ悲しみに暮れる少女がいるのみ。
仲間たちは、心苦しくなりつつ少女と父と母に近づいた。
「なによぅ……エステルたちの勝ちなんだから、もうどうでもいいじゃない……さっさと上にでも他の人たちのところにでも行っちゃえばいいじゃない……」
エステルは言った。自分の傲慢を成し遂げるために。
「それは後回し。今はアンタのほうが大事だからね」
その傲慢は、少女にとっては傲慢にしか映らない。
「なによ、レンのことを何にも知らないくせに! どうしてそんなに構ってくるのよぅ!?」
「前にも言ったじゃない。アンタのことが、好きだからよ」
好きだから。
「あたしはレンにしなくちゃいけないことがある。悪いけど、軽くいかせてもらうわよ」
そしてエステルは、さらにレンに近づいた。力なくうずくまる少女の腕をつかみ、事によってはいつになく乱暴にレンを立たせる。
そして、軽い破裂音がその踊り場に広がる。
ティータにとってはアガットに紅蓮の塔で。ヨシュアにとってはカシウスにグランセル城で。
自分も受けたこともある。しかしそのどれも、今となっては一つの思い出となる出来事。
この少女もまた、この理不尽を想い出に変えてくれるだろうか。
「……ぶった」
少女の顔を軽く、けど確かに叩いたエステルは、したり顔で言ってのける。
「悪いことをしたらぶたれるのは当り前よ。じゃないと、他の人の痛みが感じられなくなるからね」
ぶたれたレンはしかし、うつろな顔。
「痛がってるのに、全然やめてくれなかった。エステルも、レンに痛いことをしたあの人たちと同じ……」
過去、レンには彼女に『痛く』した大人たちがいた。エステルたちにとって事情は知らなくとも、この少女にトラウマを植え付ける大人たちの非情さはなんとなく想像が働く。
「同じかどうかはレンが自分で考えてみて。どう、本当にそう思う?」
「わから……ない……」
一方のレンも、王都での一幕を通してエステルの性格は感じていた。だから、戸惑いを隠せない。一度は感じたその痛みの本質が、本当に痛いだけなのかが判らない。
「だったら、これならどう?」
そして、エステルはレンを抱きしめた。
「……あ……」
その少女の小さな体を包む。少女は自然、頭を胸にうずめることになる。どこか、柔らかくて優しい匂いがした。
「あたしは何も言わない。レンが自分の心で、感じるままに判断しなさい」
殲滅天使。数多の人を不幸に貶めた少女が今、人の愛に触れている。そして、初めて人の愛に気づいた。
「こんな風に抱きしめられるのは……嫌いじゃない……かも」
レンが、持っていた鎌を手放す。エステルの背に、手を回す。
「……そっか」
どんな道も、最終的に選ぶのは自分自身。だから、エステルはどれだけ説得をしようと、無理強いをしようと、自分自身がレンに諭したようにレンの心を操ることはできない。
でも、だからこそ、エステルが少女のためにしたかったことができた。
好きだという大切な気持ちと、自身の心。それを確かに、伝えることができた。
もう少しでも、この時間が長く続くよう。
そんなことを思いながら、少女は抱きしめ合っていた。
────
中枢塔の初層。もはや氷河の世界となった踊り場。氷の檻に三肢を封じられた怪盗紳士。
今、二つの同じ軌跡を描いた弾丸が、怪盗紳士の仮面を完全に砕いた。
「ぐ、お……!」
顔面への直撃は免れたものの、その痛みに呻き唯一動かせる右手でその顔を隠した。
「はぁ、はぁ……どう、だ。変態紳士」
魔法により人工的に現れた現象は、発動者の意志にもよるが基本的に即座に消え去る。石槍は融解し、水や炎は霧散し、氷は溶ける、といった具合に。
しかし今、グランシュトロームとコキュートスが混ぜ合わせられた大氷山は、溶け始めるも多すぎる質量のせいで未だ氷河の世界から抜け出さない。
白い息を吐き、そしてこの場の誰よりも息を切らして膝に手をついて、それでも金の瞳を吊り上げてカイトが言い切った。
「……」
未だ氷の檻から抜け出せず、ブルブランは無言を貫くのみ。
「……美を巡る戦い、今回は僕の勝ちのようだね」
「……希望は、絶対に絶やせません。堂々、通らせていただきます!」
皇子と王女もまた、戦闘の余韻を残しながら告げた。
遊撃士たちは、怪盗紳士の命を奪おうとはしない。この辛くも、しかし確実に勝利といえる状況を持って、ブルブランに引導を渡す。
「まさか、君のような……」
顔を隠す右腕、その指先から覗く強い朱色の瞳の輝き。
「姫殿下も、我が美の宿敵も……確かにその実力を貸してはいた」
どこか、穏やかに感じる。氷が激情を冷やしたような、そんな印象を受けるほど今のブルブランは、静かだった。
「だが、まさか君のような一人の少年に完全に負けるとはね」
そう、ブルブランは言った。それにカイトがたまらず返す。
「そうだ、オレたちの勝ちだ」
執行者は強い。ただの国の兵士より、ずっと。
だがこの三人をはじめ、仲間たちは数々の困難を乗り越えてきた。単純な強さにしても、心にしても、一つ一つ乗り越えて、己の糧にしてきた。
そして今、確かに三人は執行者を超えたのだ。三人は、確かに上層へ上がる権利を得た。
ブルブランは言う。彼を閉じ込める氷が解けていく。
「カイト・レグメント。誇張でも、揶揄でも、悲劇の騎士でもなく」
そして、顔を隠していた腕を下げ、白日の下にその素顔を晒して言う。
「正真正銘、認めざるをえないな」
怪盗紳士もまた、自身の負けを認めたのだ。
因縁があるとはいえ、ヴァルターやルシオラと違い、過去の確執があるわけではない。知りたい真実があるわけではない。互いの生き様や目的故に、互いを危険視していただけ。
だから今。カイトが勝ちを宣言し、ブルブランが認めた。完全な決着だった。
ブルブランが、完全に氷の檻から抜け出す。未だ全ての氷は溶けず、その上に立ってブルブランは剣だったステッキを掲げる。
「忘れるな……君はこの私を退けたのだ。せいぜい、最後まで生き残りたまえ」
「言われなくても」
少年の、有無を言わせぬ返答。
嫌に満足そうな表情を浮かべて、そして掲げたステッキから花弁が吹き荒れる。
「そして覚悟せよ。姫も、宿敵も、そして君も、執行者たる私の領域に踏み込んだことを」
花弁の向こうの怪盗紳士、その姿が薄れていく。三人は、最後までその卑しくとも精悍な男の素顔を目に焼き付ける。
「この顔を忘れるな。また会おう……宿敵たちよ」
わずかな笑声が含まれた言葉を最後に、ブルブランは完全に消えていった。
沈黙。冷えた空気は未だ戻らず、三人は戦闘の熱気を忘れ体を震わせる。
「はは、彼も何とか引いてくれたか」
「ええ……少なくとも、今回は」
オリビエは、美の追求という意味ではむしろまだまだ語り足りていないのかもしれない。クローゼは、一度植え付けられた苦手意識にかなりのトラウマを持っている。
それでも、彼らは一度心をぶつけ合った。この中枢塔で。
だからこそ、その余韻はどこか心地いい。
そんななか、氷が完全に溶け切った後も少年は未だ沈黙を保っていた。
「カイト……」
離れた場所でコキュートスを放ったクローゼは、少年へと近づく。
「大丈夫かい?」
少年はまだ膝に手をついていた。彼を助けて二人も、あの戦闘の激しさを見せられてはこうなるのも無理はないと考える。
元々オリビエは、決着の時少年の近くにいた。だから詩人はカイトに手を貸す。カイトは何とか立ち上がった。
「カイト君?」
立ち上がったカイトはしかし、俯きから一息で顔を上げる。オリビエとクローゼにも背を向けたから、その表情は見えなかった。
「……カイト?」
一体どうしたのか。王国を窮地に陥れた執行者の一人を退けたのに、少年はまだ沈黙を貫いている。
そのカイトを、クローゼは既視感で捉える。
どこかで見たような気がした、目の前の少年を。最近ではない。もっと、昔。そう、まるで十年前の……。
ゆっくりと、カイトはクローゼに顔を向ける。ゆっくりと口を開いた。
「姉さん」
『お姉ちゃん』
どこか、幼気で気弱な少年が重なった。
クローゼは気づいた。
ゆっくりとクローゼに近づく、その少年の金の瞳が揺れている。
「カイ──!?」
そして、クローゼは驚愕に駆られた。
突如、カイトがクローゼを抱きしめたから。
「え、と……その」
少女はうまく言葉が出ず、そしてその光景を見つめるオリビエは「ヒュゥ」と含み笑いで口笛を吹くのみ。
「ごめん、姉さん。少しだけ……」
カイトが、さらに強く。
そうして初めて、少女はカイトの体が震えていることにも気づいた。
「カイト……」
首元に、少年の吐息がかかった。
その才能や意気込みを認められつつも、いつも仲間たちの一歩後ろを歩んできた少年は、ここへ来て急速に自らの力を開花させて執行者に引導を渡したのだ。
仲間たちを支えるのではなく、仲間を引き連れ自分が矢面に立ち、何度も自分から死地に飛び込んでその勝利を手にした。
戦い方も、覚悟も、どれをとってもその激しさは今までの戦いの比ではなかったはずだ。精神的にも肉体的にも、その疲労が一気に回ったのだろう。だからこそ今だけは、一気に幼く見えたような感覚に支配される。
「……うん」
十年前、百日戦役の時。あの時は確かに、自分の胸元に泣き虫な少年がいた。その頭に優しく手を置いて、撫でていたのを覚えている。
今、姉は弟の背中に手を回す。
「お疲れ様、カイト」
少しだけ、少女は踵を浮かせた。
────
「ご、ごめん姉さん。何か疲れがどっと出たみたいで」
一先ず戦術オーブメントや手持ちの道具で傷や疲労を癒した三人は、己の得物を回収してから仲間たちと合流すべく魔獣が屠られた中枢塔内部を歩く。
全開とはいかずともある程度の体力を回復させたカイトは、先ほどの行動も含め恥ずかしそうに頬を掻く。
そんな少年の隣を歩く詩人は、悦に入りながらどこからか持ってきたリュートを響かせた。
「ふふ、いいんだよカイト君。僕のことなんていないと思って、存分に二人だけの時間をぎゃぁ!?」
クローゼは見た。カイトの手刀が戦闘よりも鋭利な角度でオリビエの首筋を捉えたのを。
クローゼ放っておいた。
「う、ん。それよりも、もうすぐかな? 次の層は」
「うん。まあ、初層までの距離を考えると、もうすぐだと思うけど……」
未だ右手の指を顔から離さず、少年は言う。
恥ずかしい気もするが、そろそろ意識を切り替える頃合いだ。少年の心をかき乱した執行者との因縁は一先ずの決着を見せ、いけ好かない帝国人も何やかんやで隣にいる。姉には、まだ一番伝えたい言葉を伝えてないが、それでもこうして確かな絆を実感できている。
カイトは、ここからでは見えない空を見上げた。
空の軌跡を辿る旅路における、自分の心を揺さぶった因縁は終わったのだ。そして恐らくヴァルターも、ルシオラも、レンも、仲間たちが退けているはず。そう確信できた。
残るのは、《剣帝》レーヴェ、《白面》ワイスマン、そして《輝く環》。ヨシュアと、旅路を率いてきたエステルたちの因縁だ。
ここからは仲間として、最後まで彼らを支える。カイトはそう、自らの心に命じた。
第二層の踊り場にたどり着くと、綺麗に対称的に大の字で倒れているヴァルターとジンを発見した。三人は、驚いて彼らに近づき、様子を見る。
ヴァルターは完全に気絶していた。ジンは辛うじて意識をつないでおり、疲労で動けないだけでこの戦いに勝利することができたらしい。しかし痩せ狼との一対一での戦いは予想をはるかに超えた激戦であったらしく、ジンはまだ満足に体を動かすことができないのだという。
カイトが先ほど用いたセラスの魔法を使えばある程度は回復するだろうが、疲労が強くとも緊張が解ければある程度動けるようになったカイトと違い、ジンが再び戦闘に参加するのは危険だ。そう判断し、話し合いの末カイトは一人だけで上へ向かった。クローゼとオリビエはジンにつき、彼の回復を待って追い付くこととなった。
第三層の踊り場では、シェラザードとアガットとジョゼットがいた。だが、ルシオラはいなかった。
執行者を退けた、その嬉しい状況をカイトは予想した。しかしアガットが沈黙を貫き、ジョゼットが膝をついてシェラザードの肩に手を当て、そして当のシェラザードが膝から崩れ落ちているのを見て、一息によかったとは言えなくなった。
合流したカイトは一先ずアガットに声をかけ、お互いの情報を交換する。ルシオラを倒すことには辛くも成功したが、その後彼女はシェラザードへ想いを伝え、踊り場から落ちていったのだという。
駆ける言葉を見つけられずどうしたものかと迷ったカイトに、しかしシェラザードは幽鬼のような表情を浮かべながらも大丈夫だと告げた。
ここでへこたれるわけにはいかない。確かに、そう言うシェラザードの目にはまだ絶望ではなく希望が宿っている。
銀閃はこのリベールを駆け巡る旅の中で、真実と答えを得たのだ。そしてその強さを胸に、またどこかで会えるという希望を掲げてルシオラを探し求める。
ここからが、一人の女性としてのシェラザードの人生の始まりだった。
とは言え、後方支援が中心の彼女としては珍しく先頭に立った戦いだ。カイトと同じく、いやひょっとしたらカイト以上に身体的疲労を負っているかもしれない。膝が震えている銀閃を見ればそれは明らかであり、やはりジンと同じように回復を待って合流することにした。ジョゼットが付き添い、そしてアガットはカイトと共にまた上を目指す。
第四層の踊り場では、いよいよ空気が薄くなったように感じた。
二人が太陽の下へ晒されるのと、小破したように見えたパテル=マテルがはるか遠くへ飛び去って行くのは同時だった。
まだ遠くに見える四人の仲間たちは、パテル=マテルを見ていてこちらに気づいてはいない。皆一様にボロボロで、その背中からも疲れのような空気を感じさせる。
殲滅天使を名乗る少女はいない。必然、パテル=マテルに乗り返ったのだろうと予測できる。
「……みんな」
十アージュまで近づいて、カイトは声をかけた。振り向いた仲間たち、エステルが言った。
「カイト、アガット」
その顔は、どこか悲壮感を漂わせている。
「あの嬢ちゃんを……退けたんだな?」
アガットが問う。ヨシュアが頷く。ティータは泣きそうな表情で首を大きく縦に振る。
エステルが言った。
「レンには……何とか、あたしの言葉を伝えられたわ」
ケビンを除き、ここにいるのは琥珀の塔でエステルのレンへの想いを聞き届けた者たちだ。その彼女が、悲しそうだとしても一つの目的を達成できた。それはとても喜ばしいことだ。
エステルは、レンに簡単なお仕置きをした後、自分の想いを偽りなく真っ直ぐに伝える行動をとった。それは確かに、闇に飲まれていた少女に届いたのだろう。
ヨシュアが言う。
「彼女にとってはあまりに突然のことだった。だから今すぐには無理かもしれない、けどきっと、時間をかけて答えを見つけてくれるはずだ」
「そっか……よかったな」
カイトにとっても、喜ばしいことに他ならない。清々しくて歪な笑みを浮かべていた少女は今、きっととても悩んでいる。それはきっと、大きな糧になるはずだ。自分と同じように。
「うん。えっと、他のみんなは?」
一先ず、意識を切り替えたエステルが問うた。それに合わせ、カイトとアガットは情報交換を行う。
これで、四人の執行者を退けて見せたのだ。そしてワイスマンが指定した執行者で残るのは、ただ一人だけ。
「《剣帝》レーヴェ」
エステルが呟き、ヨシュアが続けた。
「結社の執行者の中でも、一、二を争う実力の持ち主だ」
誰にとっても、因縁あるものだった。エステルやヨシュアはもちろん、他の仲間たちも。
クローゼやシェラザードは、女王宮での戦いで。カイトは孤児院放火事件で。アガットやティータは古代龍事件で。ジンは武道大会、ジョゼットはロランス少尉時代。オリビエは直接縁がなくとも、彼が住んでいたハーメルは何より彼の父が治める国の村だったのだ。
今更、不安などなかった。エステルは音頭を取り、小休止の後レーヴェの場所へ向かうことを、仲間たちへ告げる。
「なら、俺はティータちゃんと一緒に他のみんなを待つとしましょ」
そんな中、ケビンは言った。その言葉を聞いて最年少の少女を見てみれば、彼女はブルブラン戦の後のカイトと同じように膝に手を付けている。
「ごめ、なさい、お姉ちゃん」
「うん、大丈夫よティータ」
レンとパテル=マテルの戦い。それは誰よりも過酷を極めたはず。それでも、少女はここまで付いてきた。無理もない、疲労も限界まで来ているのだろう。
「ティータの分も、レーヴェに一発殴り飛ばしてくるから」
エステルは、ティータの想いを受け取った。彼女の分も、他の仲間の分も、代わりにレーヴェに想いをぶつけるのだと。
ティータの介抱をケビンに任せ、四人は決意を胸にさらなる上層へと歩みを進める。
エステル、ヨシュア、アガット、そしてカイト。
各々、自らの調子と装備や、駆動できる魔法について相談する。またカイトは、先ほど会得することのできた並戦駆動について明かす。
「そっか……やっと、できるようになったんだね」
と、何も言わず見守ってくれたヨシュア。
「むむ……なんか一気に追い付かれた感があるわね。でも、すごく頼りにしてるわ」
エステルは嬉しいながらもどこか悔しそうな顔で、仲間としての信頼を託す。
実際、守るべき後衛を気にしないだけで前衛の気苦労は減るのだ。このアドバンテージは大きい。残る三人は、何も気にせずレーヴェに立ち向かうことができるのだから。
「だが、かなりの集中力がいるんだろう? 実際のところ、大丈夫なのか?」
そう念を押したのはアガット。カイトは苦笑した。
「さすがですね、アガットさん。確かに、結構疲れてはいます」
ブルブランとの戦いは奇跡的な要素もあった。あそこまで高位アーツが霧散せず駆動できたのは、まさに女神が微笑んでくれたといってもいい。同じ手はむしろ仲間を危険にさらしてしまうかもしれない。
だからと言って諦める理由にはならない。
「初級アーツだったらなんとか。それに、変態紳士と同じく相手はあの執行者だ。絶対に、集中を切らしたりはしません」
少年の目は、信頼に足る風格があった。
仲間たちは思う。もう、この少年は大丈夫だと。
第四層から先は今まで以上に長かった。時にお互いを鼓舞し、時に沈黙が支配し、それでも四人は突き進む。
そして一同は金色の円盤がある部屋へとたどり着く。上を向けば青い空が見える。昇降機だと、誰かが気付いた。
その昇降機に、四人全員で乗る。無音を貫きながら、昇降機はただただひたすらに上っていった。
そして、止まった。正真正銘中枢塔の屋上。今までの踊り場以上に広く、直径は百アージュを超えるか。中心に複雑な文様が描かれた無機質な地面。そこから風でも埃でもなく、しかし可視化された金色の霧が外へと流れていく。
「来たか。意外と早かったな」
そこには。
修羅の道を行く、剣の帝王が立っていた。