心の軌跡~白き雛鳥~   作:迷えるウリボー

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28話 空を見上げて①

 

 

 エステル、カイト、アガット。

 共に中枢塔を踏破した仲間たち。

 山猫号で共に戦った、ドルンにキール。

 漆黒の少年に連なるすべての仲間が、中枢塔の頂上で、その光景を見届けた。

 剣帝の大剣を、少年の双剣が弾くのを。

 大剣が宙を舞い、剣帝と少年から遥か十アージュ以上も離れた場所に、軽い金属音を奏でて転がるのを。

「勝った、のか?」

 カイトの小さな呟きは、他のどんな音も響かないせいで多くの者の耳に届く。

 冷えた空気に、瓦礫と化した地面。五人が流した血。魔法や絶技で顕現し、溶けた氷。重剣だった鉄塊や拳銃だった鉄屑。息も絶え絶えな、戦争難民のような姿の遊撃士たち。

 その中で、やはり静寂のためにヨシュアの荒い呼吸だけが聴こえる。

「ふぅっ……はぁっ……」

 そんな少年を見下ろすレーヴェは、今までの怒気を感じさせなかった。

「俺に生じた一転の隙に、全ての力を叩き込んだか。まったく、呆れたヤツだ」

 レーヴェは笑っていた。ヨシュアもまた、殺気や決意をにじませた覇気は、もうない。

「だめ……かな?」

「剣帝が剣を落とされたのではどんな言い訳も通用しないだろう。素直に負けを認めるしかなさそうだ」

 そう、レーヴェが言った。ヨシュアは呆然とした。エステルとカイトとアガットは、疲れ切った表情に笑顔で快哉を上げる。

 そして昇降機からここに現れたばかりの仲間たちが、一様に大声と歓声を上げてこちらに近づいてきた。

 彼らからしてみれば、開けた視界に飛び込んできたのは、途中の踊り場以上に荒れ果てた空間に、激闘が想像できた状況と、そしてヨシュアの宣言と静寂を生む一撃だったのだ。剣帝に勝った嬉しさと、仲間たちの無事を慮る心労が同時に起こったのだ。ある意味パニックになりかけているのかもしれなかった。

 仲間たちが、まずカイトたち三人に近づいた。順次回復アーツとセラスをかけられて、体の傷を癒していく。

 その様子を見て、ヨシュアもやっと目の前の兄に勝ったのだという感慨を持てた。レーヴェが自身に手を差し伸べているのを見て、少年は照れ臭そうにその手を握る。

「……どうして、俺を殺すのではなく倒そうとした?」

 レーヴェが聞いてきた。途中から感じた違和感は、ヨシュアはおろかその場の全員からの殺気がなくなるというものだった。それでいて、レーヴェを超えようという意志だけは変わらずに見て取れた。

 ヨシュアは立ち上がる。

「そうでもしない限り、万に一つに勝ち目もなさそうだったからね」

 なるべく相手を傷つけずに無力化することを優先する。それは遊撃士を目指すと決めた後、最初の戦闘訓練でヨシュアがエステルと共にカシウスから学んだことだった。それは遊撃士として絶対にその身に刻まなければならない心得でもあった。

「なるほどな……教授に仕込まれた技術と剣聖から教わった心得。その二つを使いこなせば俺が破れるのも道理か」

 確かにレーヴェは強すぎた。剣帝としての修羅は、生半可な実力や覚悟では倒せるはずもなかった。

 だが、修羅や闇に通じ、剣聖の理の一端も吸収したヨシュアは、ついにその領域にいるレーヴェを引きずり出すことに成功した。そして魂のぶつかり合いの末、これに勝った。

 もう、誰も少年の勝利を疑う者はいなかった。レーヴェすらも。

「……俺は、人という存在を試すために身喰らう蛇に協力していた」

 剣帝の名を冠した青年は、緩慢な動作で空を見上げる。そこにはいつの間にか、雲一つない青空が広がっていた。

「その答えの一つをお前が出した以上、もはや協力する義理はなくなった」

 人は、人の間にいる限り、ただ無力なだけの存在じゃない。

 それはヨシュアがエステルと出会ってから、その五年の時をかけて見出した希望。

 エステルも、ヨシュアも、カイトも、そして仲間たちもまた。一人では無力だった。個人でどれだけの力があっても、大きな力の前にはなすすべがなかった。

 だが仲間がいたから、彼らは変わることができた。希望を掲げることができた。

 カリン・アストレイ。ヨシュアの姉であり、レーヴェの恋人で会った彼女もまた、ヨシュアとレーヴェがいたから、二人を守ることができた。

 レーヴェは、視界を戻した。そこには、弟がいた。

「そろそろ……抜ける頃合いかもしれないな」

 ヨシュアの顔が、嬉しさに染まる。

「よかった……本当に良かった。レーヴェが戻ってきてくれた……」

 ヨシュアにとって、レーヴェはただの因縁の相手、とも一言では言いにくい相手だった。教授に記憶を奏させられたおかげで結社の情報もほとんど思い出せず、必然レーヴェのことも顔と声を知っていても誰であるかが判らなかった。やっと思い出せたと思ったら、同郷たる兄は敵として立ち塞がっていた。

「ずっと、不安だったんだ……」

「……そうか」

 今、本当の意味でヨシュアとレーヴェは再会したのかもしれない。ハーメルの悲劇でヨシュアが心を壊してから、十年の時を経てやっと。

「あはは……」

 クローゼのアーツによって心身を何とか回復させたエステルが、ようやく立ち上がって緩慢な動作でヨシュアたちに近づいた。

 太陽の少女に続くように、十人以上の仲間たちがどんどん二人に近づく。

 ちなみにここには、ミュラーとユリアもいた。二人はラッセル博士の連絡係として、アルセイユの修理がほぼ完了したことを伝えるために来て、そして途中にいたオリビエやクローゼたちと合流したのだ。

「ご、ごめん皆……なんだかはしゃいじゃって……まだ、何も解決してないのに……」

「もう、そんなことで一々謝らなくてもいいわよ。久しぶりの仲直りなんでしょ? いっぱいお兄さんに甘えなくちゃ!」

「あ、甘えるって」

 照れるヨシュア。エステルとしても嬉しいのだ。義姉としても、恋人としても。

 エステルだけじゃない。兄弟として接していたティータやシェラザード、同じ年頃の少年だったカイト、仲間以上に意識していたクローゼやジョゼット。ほかの者たちも、誰もがヨシュアの身を案じていた。

 レーヴェはそんなヨシュアの仲間たちを見やる。修羅の道を選んだ青年には、それが眩しく、羨ましく見える。

「フフ……エステル・ブライト、お前には感謝しなくては」

 穏やかな風が舞う中、レーヴェは柔らかな笑みを浮かべる。

「え?」

「レンといい、こいつといい、俺にできなかったことを軽々とやってのけたのだから。そして様々な者たちを導いて、ここまで辿り着いた。本当におかしな娘だ」

「な、なんか全然、感謝されてる気がしないんですけど」

 まだ、不自然に和やかな時間は終わらない。誰もかれも、剣帝は話したいことがたくさんある。

 クローゼは、女王宮でロランス少尉が語った国家論。オリビエとミュラーには、帝国人としての誇りと覚悟。ティータとは、その身でここまで来たことについての強さ。ケビンについては、誰も知らない《ルフィナ》という女性の名前すら出た。

 そして、カイトも。

「カイト・レグメント、お前にも驚かされる」

「そりゃ、前はあんたに助けられる程度の子供だったから」

「それがヨシュアと共にここまで来て、様々な壁に当たっても根を上げずに乗り越えてきた」

 高みを行く者からの純粋な賞賛はカイトの心に広がる。

「それと……並戦駆動を使う人間がいたのは、少し嬉しくも思う」

「……え」

「ヨシュアが同じ道に立つ者として俺の欺瞞を晒したように。ヨシュアの脇を未熟だったお前が固めたのも、必然だったのかもしれないな」

 少年とレーヴェの縁も、それなりにある。助けられ、敵対した。そして少年自身が意識したように、並戦駆動を使った少年はレーヴェにとっても印象深いものとなった。

 レーヴェは言う。地獄を見て幾多の血を見た者として、並戦駆動を使いこなす先人として。

「忘れるな。それを使うということは、只人とは一線を画した領域へ踏み込むということを。俺や剣聖とは違う苦悩を強いられることになるだろう」

 先ほどレーヴェ自身が修羅に近いと言った並戦駆動を、修羅とも理とも違う領域だと評した。その真意は判らないが、それでもその感情は確かに判った。銀色の意志は、確かに伝わった。

「……言われずとも!」

 カイトは万感の意志を込めて返す。

 教授が示したゲーム、壁として待ち受けていた五人の執行者。

 その全てを退けた今、一同に残された使命は教授──ゲオルグ・ワイスマンを止めるのみになった。

 レーヴェ曰く、教授は輝く環が存在している《根源区画》にいるとのこと。それはつまり、過去輝く環を封印したリベールの先祖の苦しみに加え、レーヴェと同列の強さを持つとしてもおかしくないワイスマンを相手にしなけてばならないことを意味する。

 すべての元凶となった輝く環もまた根源区画にある。この中枢塔は環の力をリベル=アークに伝えるための者だった。そしてかつてツァイスで導力停止現象が生じたように、ゴスペルの力を経由すれば《空間》を司る環は大陸全土に動力停止現象を起こすことも不可能ではない。

 話を聞くエステルは嘆息する。

「とんでもないわね。それじゃあ、異変を止めるには根源区画にある輝く環をどうにかする必要があるのよね?」

「そういうことだ。だが環は自律的に思考する機能を備え、異物や敵対者を容赦なく排除する。お前たちが王都の地下で戦った古代の兵器がいい例だ。しかも一匹どころでは済まされない」

 とてつもなく困難な道のり。だがそれでも、ヨシュアは悲観的にはならない。むしろ、どこか楽観的ですらある。それは、ある意味エステルよりも頼もしい存在がいるから。

「でも、レーヴェが協力してくれたら、教授にだって対抗できる気がする」

「こいつめ……俺がついてくるのを当然応用に当てにしているな?」

「へへ……」

 だがレーヴェもまた、否定はしなかった。てっきり中立でも貫くのかと思ったが、先ほどの死闘で本当にレーヴェの心残りは消えたらしい。この異変を作ってしまった原因の一人として異変を解決するのみ。恋人の忘れ形見である弟とともに。

 レーヴェが中枢塔屋上のある一点を指示した。そこは祭壇のような風体をしており、先ほどエステルたちや仲間たちが内部と頂上を行き来した昇降機と同様の金色の床もある。

 あそこに行けば、ついに最後の戦いとなる。すでに仲間たちは身体も回復させ、カイトなどはEPチャージで戦術オーブメントの導力も補給した。ジンやシェラザードなどはまだ疲労もあり全力とはいかないが、それでも援護程度なら可能だ。

 最後の壁、教授と輝く環。その存在の前に辿り着くために、ヨシュアとレーヴェが先頭となって一歩を踏み出した、その時。

『フフ……仲直りしたようで何よりだ』

 ひどく粘着質で、寒気のする声が響いた。

『だが、少々打ち解けすぎではないかね?』

 驚く暇すらなかった。全員の視界の端でかすかな転移の光がともされたと思ったら、次の瞬間目の前を歩くレーヴェが稲妻に包まれたのだから。

 一瞬、誰もが状況を理解できなくなる。目線を変えると、そこには血を吐きながら吹き飛び、倒れるレーヴェ。

 静寂、そしてヨシュアの叫び。

「レーヴェ!」

 仲間たちはヨシュアを呆然と見つめる者、そして稲妻の発生源を見る者に分かれる。

 その男はいた。曇り一つなかった青空が急に陰ったような負の気配を携えて。

 濃紺の神をオールバックにし、丸眼鏡が能面のような顔に申し訳程度の凹凸を加える。卑しい表情に、教会の司祭のような白基調の衣服。しかし、聖職者とは程遠い禍々しさを感じる、二又と横に伸びる鈎に、赤の宝玉が歪に光る異形の杖。

 リベールの異変を呼び起こした主催、《白面》ゲオルグ・ワイスマン。

「フフ……ごきげんよう。見事試練を乗り越えてここまでたどりついたようだが……こういうルール違反は感心しないな」

 変わらず、粘着質でひどく不快な声色。そして単純な強さと殺気で死を想起させた執行者たちとは違う、恐怖から死へ誘うような気圧。

 突然の奇襲、全員が臨戦態勢を取らざるをえなかった。レーヴェと彼の下へ駆けたヨシュアの間には当の白面が居座っている。動くに動けず、エステルは棍を震わせる。

「な、なにがルール違反よ! あたしたちは正々堂々と、執行者と戦ったわ!」

 そうだ、自分たちは正面から教授が課した障害を乗り越えてきた。そしてレーヴェにすら勝ってみせた。奇襲という卑劣な攻撃を受ける筋合いはない。

 だが白面は笑う。笑いそうのない顔つきで。

「フフ、まだまだ今回の計画の主旨に気づいていないようだね。結社に属する者は皆、それぞれ何らかの形で名手から力を授かっている。そのような存在が君たちに協力してしまったら正確な実験は期待できないだろう?」

 その言葉に、一同は嫌な予感を覚える。

 白面からすれば、執行者という協力者を倒されたことは間違いなく痛手のはず。なのにそれを想定内として面白がる様子は、エステルたちがここまで来ることも計画の一部のように思えてくる。

 白面はその事実を肯定した。多少自らの趣味も入っているが、計画の流れに間違いはないと。

 オリビエが苦々しく言った。

「福音計画、輝く環を手に入れるだけの計画ではなかったということか」

「クク……すべては盟主の意図によるものだ」

 そして白面は続ける。今まで人形として扱っていた少年に目を向けて。

「その意味ではヨシュア、君も実験の制度を狂わす要素だ。非常に申し訳ないが、そろそろ私の人形に戻ってもらうよ」

 白面の赤黒い瞳が妖しく光る。

 今、ヨシュアとレーヴェを除く全員は白面を警戒していた。だからその無音の変化に気づいたのは、倒れていたレーヴェただ一人。

「……ヨシュアッ」

 声に、エステルとカイトが振り返る。

 そこには、倒れているレーヴェがいるだけ。漆黒の少年はいなかった。

「お兄ちゃん!?」

「ヨシュア!」

 ティータ、シェラザードの焦った声が響く。

 そしてアガットとジンの、疲労が滲んだ苦悶の声と、金属音。

「くっ」

「おいヨシュア!?」

 カイトとエステルが視線を戻す。

 そこにいるのは白面の人形。意志のない、漆黒の牙と成り果てたヨシュア・アストレイ。

 混迷の大地の下ですら味わなかった絶望が、仲間たちを襲った。

「ヨシュア……嘘だよね? ねぇ、こっちに戻ってきてよ」

 エステルが呆然と呟く。のろのろと、無警戒に。

「いけません、エステルさん!」

「今は止めとくんや、エステルちゃん!」

 そんな少女を、クローゼとケビンが引き留める。今のヨシュアは、エステルすらも認知できていないと直観できる。

「ねぇ、ヨシュア?」

 虚ろを見つめるエステルに、ケビンとシェラザードは既視感を覚える。

 去年の女王生誕祭、グランセル城に泊まった日。ヨシュアとの別離を経験して、太陽の少女が唯一、日陰の向日葵のように萎れてしまった時。

 弱々しく、虚しい声かけ。当然、人形に届くはずがなかった。

「……」

「お願いだから、そんな目をしないでよおおっ!」

 慟哭。白面は一切の感情の揺らぎを見せず、今もなお笑っている。そしてエステルの叫びを無駄だと一蹴する。

「かつて私は、ヨシュアの心を修復するのに絶対暗示による術式を組み込んだ。その時刻んだ聖痕(スティグマ)が未だ彼の深層意識に眠っていてね。その影響力は大きい、容易に精神の制御を奪い取ってしまう」

 そして、今ヨシュアの肩にある《身喰らう蛇》の紋章にも言及してきた。

 紋章は入れ墨ではなく、白面が埋め込んだ聖痕に対するヨシュアのイメージが現出したものだという。

 つまりそれは、結社を離れ離反した今でも白面の掌の上で踊らされていたことを意味する。

 怒りが、太陽の少女の絶望を塗りつぶす。

「嘘だったんだ。ヨシュアを散々苦しめた挙句に自由にしてやるって言っておいて……それすらも嘘だったんだ」

「別に嘘は言っていないさ。君とともにヨシュアがこんなところまで気さえしなければ私もここまでしなかっただろう」

 事実とは真実ではない、主観によって変化しうる。だから白面の言い分も、ある意味では正しかった。

「クク……すべては君たちが選んだ道というわけだ」

 だがそれで納得できるほど、心が腐ってはいなかった。

「っ……ふざけんじゃないわよぉ!」

 エステルが憤怒の感情をあらわにする。しかしそれを諭すわけでもなく、気持ちは誰もが同じだった。

 この外道、絶対に許すわけにはいかない。

「あんたなんかにあたしたちの歩いてきた道をとやかく言われたくなんかない!

 ヨシュアを操ったからって、今更へこんだりするもんですか! あんたなんかぶっ飛ばして絶対にヨシュアを取り戻すんだから!」

 だがやはりその士気を掻き消すように、白面は嘲笑う。

「私もこれから外せない大切な用事があってね。根源区画で待っているからぜひとも訪ねてきてくれたまえ」

 殺気を放った後、白面は杖を掲げた。金色の光が迸り、一瞬にしてその姿を眩ませる。

 ヨシュア諸共。

「ああっ……!」

「ヨシュアお兄ちゃん!」

 取り残される仲間たち、希望に満ち溢れていた数分前からかけ離れ、とめどない絶望がぶり返す。

 今すぐに根源区画へ向かわなければ、白面の野望もヨシュアの安否も判ったものではない。

「みんな、早くあの昇降機に……」

 カイトが怒りに任せ、しかしわずかに冷静差を取り戻して一同を昇降機へ誘導しようとする。

 だが、正真正銘の外道が簡単にそれを許すわけではなかった。

 青空に影が三体。褪せた赤白の、二脚に両腕を兼ね備えた巨大兵器。どこか、あのトロイメライを彷彿させる。

 レーヴェが、やっとの思いで膝立ちになりながら唸った。

「《トロイメライ=ドラギオン》……ワイスマンめ、この期に及んでいたぶるか」

 昇降機の祭壇を阻むように二機。そして仲間たちの背後に逃げ道を防ぐように一機。

 瓦礫と化した地面を踏みしめ、結社が作り出したトロイメライが、仲間を蹂躙せんと徐々に近づいてくる。

 包囲された仲間たちは、冷や汗をかきながら状況を見極める。

「さすがに簡単には通してくれなさそうだね……どうする、ミュラー?」

「……見たところ、《根源区画》への昇降機はかなりの大きさだ。我々だけ逃げ切れたとしても、すぐに追いかけてくるだろう」

「つまり、この三体をこの頂上に留めつつ、ヨシュアさんたちを追わなければならない……ユリアさん」

「ええ、殿下。下層へ降りるのは、少数精鋭でなければならないようです」

 この場に留まる者、そして根源区画へ向かう数人を選ぶ。

「だが、実際問題どうするんだ? 俺の重剣も折れちまってる……戦力になる人間は限られてくるぞ」

「俺も全力を出せるとは言い難い。どうにも《氣》を練り切れない、こっち(足止め)側に多くの人間を割かなきゃならんぞ」

「私も……同じく。鞭は意味がないから、魔法で援護させてもらうわ。エステルは、絶対行くんでしょうけど」

「モチのロンよ。でも……」

 呻く遊撃士たち。それもそうだ。すでに一息で通れる道幅はなくなっている、トロイメライ=ドラギオンによって。

「なら、ボクはどう? まだそんなに疲れてないし」

「やめとけジョゼット。俺たちは連携してこいつらを止めるべきだ」

「キールの言うとおりだ。俺の導力砲もキールの手榴弾も、お前の指揮がなきゃものにならねえ」

 仲間たちは依然として動けない。回復できたとはいえ、それでも皆下層で激戦を繰り広げた満身創痍の人間が多い。

「わ、私の導力砲も、きっと人形兵器を止めるのに役に立つと思う」

「そうやね、それがええ。となると、残るは──」

 ケビンが瞑目したその時。三機の影が昂りを見せる。

「みんな、避けろぉ!」

 カイトが叫んだ。瞬時に仲間たちは散開を強要された。ドラギオンの拳は屋上中央の光学術式が描かれた文様盤を破壊し、瓦礫の仲間入りとさせる。

 仲間たちは、完全に分離させられた。各々躱しやすい場所へ、ドラギオン同士の体の脇に入り込むしかなかったのだ。

 続けてドラギオンたちは拳を振り回し、さらにプラズマが迸る腕を顕わにする。もはや、完全に戦闘を開始するしかなかった。

「くっ」

 カイトもまた、何とか攻撃を必死で躱しつつ戦況を見る。

 戦闘をしていなくて実力者であるミュラーとユリアは反射的にオリビエとクローゼを守る位置に降り、その四人は根源区画への昇降機から一番離れた場所にいてしまっていた。これは仕方ない、二人は王族を守護する使命を全うしたのだ。

 他には、疲労や武器を破壊されて元の実力を出せない者たち。彼らはドラギオンの意識を誘導するのが精一杯で、突破口を開くには至っていない。

 そんななか、オリビエたちに近くやはり到底昇降機には近づけなさそうな場所にいた少年は見た。煙の向こう、祭壇の奥の昇降機。その金色の床に転がり込むように、少女が辿り着いたのを。

「エステル!?」

「みんな!」

 ヨシュアを追う気は満々だったが、どうやらドラギオンの攻撃を避けた末の想定外の移動だったらしい。その顔には困惑が広がっており、人一人が乗ったことで昇降機の起動音が耳を打った。

 まずい、このままではエステル一人だ。いくら何でも危険すぎる。

 どうする、と仲間たちが逡巡したその時。

「それなら、俺も行くで」

 まるで聞いたことのない、抑揚のない声。何故初めて聞いたと感じた。ケビンの声は何度も聞いているはずなのに。

 カイトの驚きも束の間、今までの飄々とした動きからは信じられない、迷いのない動きを見せる。ボウガンを握りしめた緑髪の神父は、嵐のようなドラギオンの猛攻を紙一重で躱して見せ、そして間一髪エステルの下へとたどり着いた。

「ケ、ケビンさん?」

 まだ少女座りの姿勢で呆然とするエステルは、逆光で見えない神父の顔を見た。

 神父はエステルに手を差し出す。そのころには、声色も雰囲気も何もかも、元の不良神父に戻っていた。

「ふぃー、何とか辿り着いたわ~。大丈夫? エステルちゃん」

「う、うん……」

 エステルは立ち上がる。昇降機もとうとう起動して降下し始める。

 仲間たちが焦り、しかし現状に手一杯で何もできない。ケビンがおおらかな声で言った。

「皆さん! 時間もない、一先ず俺がエステルちゃんをサポートしますわ!」

 一呼吸、ケビンは握り拳を立てる。

「何とかやり過ごします! どうか、早めにそいつら倒して助けたって下さい!」

 他に何もできず、もはや見送るしかなかった。口々に激励し、やがて二人は降下して消えていく。

「悩んでも始まらない、三手に分かれて撃破するぞ!」

 ユリアが大音声で号令をかけた。仲間たちは返答しつつ、やはり三手に分かれて本格的に戦いを始める。

 敵はトロイメライの進化系。戦うは歴戦の仲間たち。全力を出せない者もいるも、それでも経験で戦い方を知っている。三体もいる以上苦戦は免れないが、すぐに負けるわけでもなかった。

 そんな中、カイトは拳銃に火を吹かせてドラギオンを牽制する。魔法も用いて仲間たちを援護する。それでも、少年の気持ちは晴れない。

(エステルとケビンさんだけじゃ……二人、せめてあと一人は欲しいっ!)

 結社の幹部たる白面、そして操られしヨシュアに、元凶たる輝く環。これを前に二人だけではどう考えても危険だ。本当であればまだ足りないのだ。

 カイトもまた、白面の所業には怒りで沸騰しそうだった。どうにかしなければならないと、もはや昇降機に飛び降りれる高さでなくなっても少年は模索する。

「……あ!」

 その時、カイトは気づいた。一度拳銃をしまい込み、近くにいたアガットに声をかける。

「アガットさん、ちょっとこの場所任せてもいいですか!?」

「構わねえが……なんだ、策でもあるのか!?」

「はい!」

 カイトは走る。その俊敏性を駆使して跳躍と滑り込みを繰り返しながら、辛くも彼の下へ辿り着く。

 そこには、未だ膝立ちから立ち上がれないレーヴェがいた。

「レーヴェ!」

「……カイト・レグメント」

 白面の攻撃により仲間たちから大きく引き離されたことで、トロイメライ=ドラギオンの攻撃から逃れることのできたレーヴェ。しかし稲妻によって瀕死に近い状態になっているので、決して幸運とも言えないが。

「何を……する気だ」

「余計なこと喋んな! 一先ず治療するぞ」

 紺碧の波を纏う。治療アーツは他の攻撃魔法と比べ早く駆動が完了する。しかし最高位の回復魔法となれば、それでも十分に時間がかかる。カイトの場合は駆動時間も短縮されているとはいえ、敵に襲われないか警戒しながらの時間はひどく緊張を覚えた。

 最高位の回復魔法、ティア・オルが放たれる。大仰な儀式のような水色の陣が描かれ、その中心にいるレーヴェに拳大の雫が舞い落ちる。レーヴェの傷がすべて消え失せる。

 一先ず失血死などのリスクは取り除いたが、それでもまだ動くには至らない。

「……感謝する。だがどうするつもりだ?」

「たぶん、レーヴェが考えていることと同じだ」

 修羅の道を行っていたこの青年の先見の明は、カシウス程とまではいかないだろうがそれに通じるものがあるだろう。その彼が、少年が気付いたことに気づかないはずがない。

「あるだろ、飛べる方法。レーヴェのあの黒い機体が」

「トロイメライ=ドラギオン……俺が使役しているものだな」

 浮遊都市に降りる直前、レーヴェが駆る漆黒のドラギオン。これによってアルセイユは不時着させられることになったのだが、今に限ればこちらにチャンスを与えてくれる。

「あれで直接昇降機まで降りる。レーヴェならいけるだろう?」

「ああ、可能だ。ついでにここの邪魔者も一匹程度なら殲滅できるだろう」

 そして、レーヴェもまたエステルとケビンに合流できる。今のレーヴェは先ほどの全力は出せないだろうが、それでも並みの使い手より何倍も心強い味方になってくれるはずだ。

 そして、レーヴェがある程度動けるようになるために。

「セラスを使う。けどそれはティア系統以上に体に負担をかけることになるけど……」

 カイトが申し訳なさそうに言った。

 帝国で、あのCとの闘いの時も使った身体活性の魔法セラス。全身の血管収縮や組織の興奮を促すそれは、緊急時のみ推奨されるものだ。

 ダメージの多いレーヴェに使うのは緊急時だからこそ発案者の想定内だが、それでも倫理的にはグレーな領域。だからこそ、少年はレーヴェにもあえて覚悟を問う。

「いや」

 だが、青年はそれ以上を求める。

「アセラスを使え」

「なっ」

 少年が驚愕した。

 セラスの上級アーツであるアセラス。それは通常、瀕死の人間を暴走させるに近しいもの。日常場面で使うことは禁忌であり、瀕死の人間を医療施設に運ぶまでの繋ぎとして用いるものだ。断じて、瀕死の人間を再び無茶をさせるためのものではない。

 だが、とカイトは呻く。

(確かにこの失血量じゃ……セラス程度じゃ足りない)

 ヨシュアを筆頭とした仲間たちとの激闘、その果てにあの無警戒からの稲妻。一歩間違えれば女神の下へ召されてもおかしくないものだった。

(オレがCと戦った時も、あくまで疲労と軽い失血だったからセラスで事足りたんだ)

 犠牲というものを考えなければ、レーヴェの提案は決して間違ったものではなかった。

 だがそれをすれば、間違いなく何かしらの後遺症が残る。

「……無理は承知の上だ。それにワイスマンと輝く環には、常識の埒外の力がある」

「埒外の力?」

「そうだ。その力だけは、俺が殺さなければならない」

「……」

 カイトはレーヴェを見た。少年を射る紫紺の瞳は、もはや犠牲とか勇気とか、そういった思考を介する必要もないほど澄んでいた。

「……判った」

 迷いはある。だが()()として、彼を否定する事はできなかった。

 ほのかに金箔が混じる蒼の水流が少年を包み込む。発動する側の少年にさえ今までにない過剰な生命力が混じった気がして、気分がおかしくなりながらも水流を再拡散させた。

 アセラスが発動。レーヴェを中心に出現した光の輪が回転し、光の球となってレーヴェを包み込む。

「……レーヴェ?」

 アーツが収まると、レーヴェはややぎこちなく立ち上がる。少しばかり頭を押さえ、その皮膚は過剰な赤みが増す。

 だがその声は、静かな凄みを感じさせた。

「──来い、ドラギオン」

 使役する兵器を呼び起こす剣帝。天空に差し出した左腕を下げると、レーヴェは、戦場を俯瞰する。

「って、ドラギオンは?」

「近くに待機させているからな、一分もあれば来る。まずは剣を回収するぞ」

 ヨシュアに剣を弾かれて以降、レーヴェは無手の状態だった。二人して探し、やがては一体のトロイメライ=ドラギオンの背後に剣を見つける。

「行くぞ。ついてこい」

「へ?」

「ついてこいと言っている」

 レーヴェが動いた。カイトは困惑しつつ、その後を追う。

 当然ドラギオンも黙ってはいない。仲間たちから二人に的を移すと、小規模の爆撃や鉄腕を振るってくる。

 その全てをレーヴェは躱してみせた。全開ではないが、落ち着いた身のこなしはむしろ安心感を与えてくる。ついてこいとは言われたものの、正直自分がいる意味も判らないが。

 レーヴェは剣を拾い、落ち着いた様子でトロイメライ=ドラギオンを見据える。青年に追い付き、背中を合わせるカイトと共に。

「あと四十秒、死守するぞ」

「言われなくても……!」

 仲間とともに、剣帝はその大剣でドラギオンの腕を強く弾く。その様は過去、王都地下でトロイメライを半壊させたカシウスを彷彿させる。

 カイトも、会得した並戦駆動を駆使して足手まといにならずにドラギオンを足止めする。

 四十秒という時間は激化する戦闘の中ではとてつもなく長い時間だ。だが、成長したカイトと落ち着きを見せるレーヴェは、比較的容易にその時間を切り抜ける。

「……来たか」

 戦場に映る新たな巨影。見上げれば、漆黒に銀が映える細身の機体が、ちょうど仲間たちと一体のドラギオンの間に割り込んだ。ちょうどトロイメライを膝蹴りで塔の外へ吹き飛ばした形だ。

 カイトは、そして彼の意図に気づいた仲間も快哉の声を上げる。これで可能な限り迅速に、エステルの助太刀ができる。しかもこの場において最強の人間がだ。

 仲間たちの思いを託すべく、カイトはレーヴェに向き直る。

「レーヴェ!」

「カイト・レグメント」

「頼む! オレたちの代わりに、エステルたちを助けてあの外道野郎をぶっ飛ばしてくれ!」

「お前も来い」

「え?」

 どうして、といった瞬間には、かつてアガットにしてやられたように首根っこを掴まれた。

 そして、上空に投げ飛ばされる。

「うぇえ!?」

 みっともない声が出る。しかし重力が体の落下を加速させる前に背中からぶつかる。

「いてっ」

「何をしてる、早く起きろ」

 起き上がると視界が高くなっていることに気づいた。自分は今、レーヴェが操る漆黒のドラギオンに乗っている。

「って、なんで!?」

「掴まれ、振り落とされるぞ」

「だ、だからなんでだよ!?」

 レーヴェの荒っぽい人選に、少年は狼狽する。このままでは、自分も根源区画へ行くことになる。

 何故自分を乗せるのか。

「俺の状態が満身創痍であることはお前が一番判っているだろう」

「あ……」

「エステル・ブライト、ケビン・グラハム、そしてヨシュア。俺が倒れた時。代わりに立つ四人目が必要だ」

 レーヴェの言うとおりだった。レーヴェの身は危うい状況にある。他でもない、カイトが発動させたアセラスによって。

 なら、その代わりを務めるのは自分の役目だ。それに、仲間は多いに越したことはない。

 少年は一瞬だけ迷い、しかし金色の瞳を輝かせて、眼下の仲間たちを見た。

「みんな……行ってくる!」

 仲間たちの返す言葉は一つだった。

『行ってこい!』

 カイトはもう、未熟者ではない。自分たちと肩を並べる仲間だから。

 漆黒のドラギオンは飛んだ。レーヴェと、その後ろで風に耐えるカイトを乗せて、昇降機があった根源区画へ続く大穴の中へ入っていく。

 風を切る。みるみる内に降下していく。

「根源区画って、相当深いの!?」

「中枢塔はおろか浮遊都市の中核に存在しているという話だ! それなりに潜るぞ!」

 反響する自分たちの声、ますます強くなる風の音。自然、両者の声は大きくなる。

 空の青はどんどん小さくなるが、それでも導力の金の光もあってそれほど暗くはならなかった。

 だから、背後──上から襲ってくる人形兵器の存在にも気づくのが遅れた。

「──伏せろ!」

 レーヴェが叫び、カイトは従った。急に影がカイトたちを覆い、そして視界の端に自分たちのでない漆黒の腕が閃く。

「ワイスマン……俺以外の機体も用意していたのか!」

 カイトは恐る恐る後ろを見た。そこには自分たちが乗るドラギオンと同種の機体が、先のトロイメライ=ドラギオンと同じようにプラズマを発生させながら下降していた。つまり、自分たちを追いかけているのだ。

「レーヴェ、どうする!?」

「選択肢などない、殲滅する!」

 倒すほかない、倒さなくては敵ドラギオンを根源区画まで誘ってしまうのだ。

 レーヴェのドラギオンが体をひねり、敵ドラギオンに殴打を喰らわせて降下体勢から制止した。敵ドラギオンは壁に激突するも反転、同じく静止して睨み合う。

 直径三十アージュ程度の狭い空中で、二体のドラギオンが対峙した。

 

 


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