29話 軌跡の先~心と空~
世界に光が戻って来る。崩壊するリベル=アーク。一生かけても見ることができないような光景を背に、白き翼と山猫が踊る。さらに幻の古代龍も合わさって、三つの獣は群青の空に軌跡を描いていく。太陽と影のコントラスト。崩壊する浮遊都市と共に忘れられない、見上げた空に浮かぶ英雄たちの軌跡を。
やがて、大量の石片がヴァレリア湖へと落ちていく。大崩壊前、過去の人間が生きた跡も、誰にも悟られることもない方石も交えて。
アルセイユと山猫号、そしてレグナート。導力の戻った世界で、彼らはルーアン地方の浜辺へと降り立った。
アルセイユからは中枢塔へと向かったメンバーたちが、山猫号からはカプア三兄妹と手下たちが、そしてレグナートからはブライト一家が降りてくる。砂浜で集まった人間たちは、過去の経緯も、罪を犯した空賊団もそれを捉えた遊撃士たちも、王族も国民も、すべての違いを脱ぎ捨てて、ただひたすらに喜び合った。
その人の子らを満足げに見る古代龍は、やがて大きな風を巻き起こして空へと戻っていく。知り合いと言った剣聖への挨拶や、太陽の少女たちへの労いの言葉を置き土産にして。
「行ったか。まったく、最後まで肝心な事を言わない奴だ」
カシウスがぼやく。確かにボース地方でも、肝心な事は言わなかったとアガットたちは言っていた。
疲れのせいか少しばかり気を落とす一同だが、少し前まではこの場の仲間たちから逃げ出していたヨシュアが、一同の雰囲気に反して口を開いた。
「でも、良いんだ。レグナートがいなくても、人間は自分たちの足で歩いて行ける。仲間と一緒なら、どんな困難でも乗り越えられる。エステルが、リベルアークの中心で証明してくれた」
それはあの白面を前に、エステルが叫んだ言葉。そして自覚はしてないだろうが、ヨシュア自身がレーヴェに証明したことでもあった。
カシウスが笑った。
「そうだな。この事件を乗り越えたお前たちなら、ここから始まる忙しい日々も軽く乗り越えられるだろうさ」
結社の脅威は去った。それでもなさなければならない事がある。
周辺諸国への説明、回復した情報機関の整備、荒れてしまった各地の治安の回復。各地の村の被害情報の確認、再稼働した導力器の整備、食料の供給、負傷者たちの保護。
王国軍の各部署、ZCFを中心とした各地の工房、五大都市の市長、王族、各国大使館、七耀教会、各地の自警団、そして遊撃士。王国全土の人々が一丸とならなければ復興は出来ないだろう。
それでも、緊張感を持っても不安を抱く人間はこの場にはいなかった。王国中の導力が停止した。寒空の下、混迷の大地を諦めずに歩いた英雄たちがこの場にいるのだから。この場にいない人々も、多くの人が自分の役割を成し遂げようと今も力を振るっているのだから。
「みんな、頑張りましょ! 王国中の力を集めて、またみんなで笑顔で暮らせるように!」
エステルが一同を見渡した。老若男女問わず、誰もが一斉に手を挙げて声を張り上げる。
一つの冒険が終わっても、また明日はやって来る。一つの軌跡を辿る空が夕焼けに包まれても、また夜が明けて朝がやって来るように。
また、一つの軌跡が始まろうとしている――。
――――
――そして、一ヶ月後。
「はい、ご苦労様」
「どうも……ジャンさん、なんか酔っぱらってません?」
「いやー? 別にぃ?」
未だ寒さが収まりきらない冬の日。窓からは青空が見え、時折室内にも関わらず白が映えるカモメが目に届く。どことなく心に暖かみを感じさせる昼下がり。
リベール王国ルーアン市の遊撃士協会支部の建物の中。酷く疲れたような青年受付のジャンに、どこか心ここに在らずといった様子の準遊撃士カイト・レグメント。二人の協会関係者が、机を挟んで対峙していた。
「……仮にも遊撃士協会の顔がなんて体たらくですか。カルナさんも言ってましたよ、『最近のジャンはだらしがない』って」
「いやぁ、だってね? リベール王国史上最大規模の事件となった《異変》の事後処理だよ? そりゃ受付も忙しくて死んじゃうやい」
「へー……キリカさんから暇潰しの通信が来るって聞きましたけど」
「なっ」
「さあ、観念したらキリキリ働くっ」
「……キリカさんだけに?」
「……」
「ってちょっと待ってカイト今のはほらユーモアってやつでふざけてるわけじゃなくて」
「……」
「……わーー!?」
今年より、時折ルーアン支部から男性の断末魔が聞こえるようになった。もはやルーアン市の住民でそれに気を留める者はいなくなった。
「まったく……君もあの《異変》で頼もしくなったじゃないか」
「ジャンさんは、前よりも扱いやすくなった気がします」
街を賑わせる名物コンビとなった二人は、ようやく真面目に書類業務に手を出すようになった。
あの浮遊都市崩壊から、一ヶ月が経とうとしていた。
浮遊都市の崩壊に合わせ、リベール王国全土と帝国南部を巻き込んで生じていた導力停止現象は収束した。
人々は突如として回復した導力に驚きつつ、やっとこの苦難の日々が終わりを告げたことに歓喜した。
リベール王国は元々アリシア女王陛下の堅実な統治もあって治安の良さにも定評があった。カシウスを中心とした王国軍の絶妙な采配もあって暴動は殆どなく、起こってしまったそれらも負傷者は数えるほどで済んだようだった。
浮遊都市崩壊の瞬間を眺めていた人間は多い。なんせ帝国や共和国からも見ることのできる大きさの浮遊都市だ。特にヴァレリア湖畔、超至近距離でその一生に一度の光景を眺めていた市民は絶句し恐れ戦き、崩壊によってできた波を被る被害にあったのだという。元々ヴァレリア湖畔は広く海にも繋がっているため、これも一部の高齢者が下手に転倒して骨折したくらいで、極端な悲劇はなかったそうだ。
浮遊都市に乗り込んだ仲間たちは治安の改善に奔走することになる。インフラが一気に回復したことで、諸外国と王国間のみならず、国内でも政治レベルから一般市民レベルまで様々な情報通信が王国中を飛び交った。物理的にも、知り合いの安否を確かめるためだったり物資を届けるために飛行船が昼夜を問わず飛び続けた。
だが、遊撃士や王国軍を始めとした様々な人の尽力によって、浮遊都市崩壊後の混乱は少しずつ、確実に収まっていった。
一ヶ月が経とうとしている今、市民レベルでのいざこざはほぼすべて解決したと言っていい。王国全土が巻き込まれた、誰もが等しくあの苦難に立ち向かったというのも、市民の一致団結に一役買ったのだ。
導力停止現象、浮遊都市の出現、紅蓮の兵士や人形兵器による各地の襲撃。人々はそれらを恐れや反省を込めて《リベールの異変》、略して異変と呼ぶようになっていた。
そして今。異変解決の立役者の一人であるカイト・レグメントは、生まれ育ったルーアンの地で活動の反動として訪れる書類の山と格闘していた。同じくルーアンを中心に活動しているカルナやグラッツは、今日も市内各地を転々として広域哨戒をしているはずだ。自分もそれに交じろうとは思ったのだが、先輩や受付の全員に『お前は書類業務をしていろ』と命令されたため、釈然としないものがあるもののこれに従っている状態だった。
慣れない書類業務に悪戦苦闘しつつも、カイトは同じ仕事をしているジャンに声をかける。
「この書類を整理し終えたら、ルーアンでの異変関連の仕事も終わりますね」
「そうだね、本当にお疲れ様。君のためになるだろうと思って勧めた実地研修だけど、まさかここまで二転三転するとは思わなかったよ」
そもそも準遊撃士、完全な見習いであった少年がエステルたちの旅路についていったのはジャンの采配によるものだった。先輩たちの仕事を直接見て手伝うことで成長してほしい、そんな考えに当時は反対している者もいた──主にアガットなどが──のだが、結果を見ればこれ以上ないくらい最良の選択でもあった。カイトは照れ臭いながらも、ジャンには感謝している。
そして切りがいいという理由だが、この異変解決をもってエステルたち対結社捜査チームも一先ずの解散となるだろう。各々自分の国や地方、あるいは一匹狼のスタンスに戻る頃合いでもある。
そうなれば、自然カイトが戻るべきはこのルーアン支部になる。準遊撃士となってすぐ、街道の魔獣退治や護衛をしていたように、ここを拠点とする生活になるのだ。
「これが終わればしばらくはのんびりも出来そうだね」
「そうですね。そろそろ推薦状も欲しいし、他の支部にでも行ってみようかな……」
そんなカイトの呟きに、ジャンは拍子抜けな息を漏らす。
「あ」
「え?」
「ああ、いや」
違和感の正体を聞き出してみるも、ジャンはいまいち要領を得ない。何度か聞いてみても何でもないの一点張り、そしてぶつぶつ呟いても「そうだな、そうだったよな……」と口を所在なさげに動かすばかりだ。
カイトはそんな青年に嘆息しつつも、変わらず仕事をこなす。この青年がこんな態度をとるのは、いつも自分を驚かしたいという気持ちがある時だ。
厄介事の時もあるがそうでない時もある。まあこんな情勢下であるしサプライズでも期待しようと考えて、カイトは黙々と書類との睨み合いを続けた。
冬場のため、四時頃であっても世界は黄昏となってくる。ジャンが久々にカイトに声をかけたのは、少年がそろそろ帰り支度をしようかと考えた時だった。
「ねえ、カイト。明日も確か、カルナたちから書類業務をやれって言われてたよね?」
そら来た。どんな仕事をさせるつもりだ。
「はい、そうですけど」
「明日は書類業務をしなくてもいい。代わりに配達業務を頼まれてくれないかい? 五大都市の協会支部宛に」
「はい?」
以外と普通の仕事だ。協会支部間というから公的な依頼ではなくただの雑用だと思うが。
「別にいいですけど……逆にいいんですか? 他の人に任せた方が効率がいいんじゃ」
「いいのいいの。僕の采配だから」
微妙に不安だが。
「まあまあ、雑用の代わりに各支部でご褒美をあげるよう伝えておくからさ。あ、ロレントは最後にしてくれよ?」
────
「──というわけで、取りあえずボースまでやって来たんですけど、ルグラン爺ちゃん」
「おお、そうか。お疲れじゃなカイト、一先ずは座りなさい」
「はぁ」
言うまでもなくボース地方、ボース支部。朝一でジャンから配達物を受け取ったカイトはその足で飛行船に乗り、こうしてルグラン老人を訪ねていた。
ボースは王都に次ぐリベール第二位の規模の商業都市であり、導力停止現象の影響も大きかった都市だ。加えて導力停止の一週間ほど前には古代龍、つまり精神を操られたレグナートによりボースマーケットの一部も破壊されていた。レグナートの償いによって資金的な面は問題ないが、直接襲撃を受けた王都や市内ですら交通を断たれたルーアンに負けず劣らず苦難を強いられた都市だった。
協会支部に向かう前にボースマーケットにも立ち寄ったが、聞いていた通りまだ復旧途中の有り様。しかしメイベル市長が陣頭指揮を執り多くの人が汗を流して、再建に向けて働いていた。やはりこの国はいい国だと思わずにはいられなかった。
「それで……まずはジャンさんからの預かりものを渡しますよ。複数支部での広範合同調査書類、でしたっけ?」
「うむ、感謝するぞ。支部単体での依頼書類は粗方整理し終わったが、こちらはまだだったのでな」
他支部管轄の都市への護衛などを除き、基本に依頼は単一支部で完結する。しかし今回のリベールの異変は、そんな単純な依頼のほうが少なかったほどだ。必然、依頼内容などをまとめた書類の系統も複雑なものになっていく。
そうしたも書類を各支部に届けることが、ジャンがカイトに任せた雑用だった。
ルグランは紅茶を出してくる。それをすすり、カイトは微妙な面持ちになりながらも世間話に花を咲かせた。
「それで……どうじゃの? 調子の方は」
「まあまあ、ですかね。異変前後でやってることがかなり変わりましたし、なんか別の意味で疲れますよ」
「ほっほ、そうじゃろうそうじゃろう」
ボースの遊撃士の現状なども聞いていく。市内ではアネラスが中心となって動いているらしい。またラヴェンヌ村出身であるアガットが珍しくボース地方に長くいるらしく、二人は王国軍や市長と連携して順調に復興を支援しているのだとか。
そうして一通り世間話を終えた後、急にルグランは話を変えてくる。
「ところでカイト。ジャンが伝えていたと思うが……この雑用のお礼を渡そうと思うぞ」
「ああ、ジャンさんがご褒美って言ってたやつですね。嬉しいですけど、いったいどういう風の吹き回しですか?」
特に理由のない茶菓子などであれば、こんなにもったいぶる必要などない。かといって自分の誕生日や世間の記念日などではなかったし、治安改善に向かっているとはいえ異変後のこの時期にそんな張っちゃけたことをするようにも思えなかった。しかも、各支部の受付を巻き込んだご褒美だ。一体何を企んでいるのかと、むしろカイトは警戒してしまっているほどだ。
「カカカ、そう警戒するものではない。お前さんならば、間違いなく喜ぶものじゃよ」
「うーん、全く想像がつかない」
「それは、これじゃよ」
ルグランは一つの小さな証書を差し出してきた。そこにはこう書かれていた文字を、カイトはぼんやりと読む。
「……なになに? 『ボース地方の正遊撃士への推薦状』……ってぶーっ!」
すすっていた紅茶を盛大に吐き出した。ルグランも推薦状もない、まったくの虚空に瞬時に顔を向けることができたのは、今までの旅路の賜物だといってもいいだろう。誰かに褒めてほしい。
「はっはっは、驚いたじゃろう」
虚空へ霧を吹き、しばらくむせこんだカイトはようやくルグランに詰め寄った。
「ほ……本当に貰えるんですか!? ボース地方の推薦状を!?」
まったく予想していなかった高みへの切符。カイトはまだ現実を直視できていなかった。
ルグランはしたり顔で、カイトに説明してくれた。
「うむ、その通りじゃ。さらにはな……」
────
そして、その六時間後。所変わって、リベール王国ツァイス地方。遊撃士協会支部の建物内部。
千里眼を持つと称される支部受付、キリカ・ロウランが、到着して間もないカイトに言ったのだ。
「ボースと、既にグランセルでも受け取っていると思うけれど、こちらでも用意しているわ。《ツァイス支部の正遊撃士への推薦状》を」
「ど、どうも……」
ルグランから説明を受けた後、カイトは彼に促されるまま再び飛行船で空を飛んだ。ロレントを通り越して、グランセルへ。たどり着いた王都市部でも、受付のエルナンがにこやかな顔でカイトを歓迎し、《王都支部の正遊撃士への推薦状》を渡してくれた。
混乱に混乱を重ねたカイトは、さらに促されて三度王国の空を舞う。たどり着いたのはツァイス。そして今、本日三つ目の推薦状を受け取ってさらに驚愕を重ねている。
怒涛の推薦状ラッシュだ。いったい、どういう風の吹き回しだ。
「あら、あまり釈然としていないみたいね。なんならその推薦状、辞退してもいいのよ?」
「い、いや! ありがたく受け取りますよ!」
奪われそうになった推薦状を素早く懐にしまって、 カイトは一息ついた。
「まあ、今日は貴方も雑用以外は休養日として動いていると聞いているわ。たまには一息つきなさい。……東方の饅頭があるわよ」
「あ、いただきます……」
差し出された包みを受け取り、少年は所在無さげに支部の中を見回した。
「今、ツァイスは誰が駐在して動いているんですか?」
「ジンが中心になって動いているわ。共和国の余所者ではあるけど、東方の雰囲気に慣れてるだけあって意外と楽しく過ごしているみたいね」
「キリカさんって、ジンさんには増しましで手厳しいですよね……」
「あら、乙女の愛の裏返しよ」
「はぁ……」
武術を収める女性の愛情表現は皆暴力行為だとでもいうのか。
饅頭にかぶりついて、柔らかい甘みに舌鼓を打った。何となしに窓の向こうの風景を見てみると、変わらず平和な工業都市の街並みが見えてくる。
ツァイスはZCFに代表されるように、リベール王国でもっとも工業技術が盛んな街だ。当然最も導力技術の恩恵を受けていて、言い換えれば導力停止現象の弊害を最も受けた街でもあった。
国内でこの街にしかないエスカレーターなどはまだいい。問題は導力技術に慣れきってしまった人間たちの方で、そういう意味では王国軍の治安維持部隊が最もよく働いた地方でもあった。
今は異変も解決されており、当然導力器も使える。だが人々は導力器に依存した生活に反省したらしく、復興と共に導力器に頼らない生活方法なども、市民の間で模索されているらしかった。
「ま、平和なのはいいことだ」
カイトは、再び室内に目を向けた。キリカはまだ、忙しそうに働いていた。
許可されているとはいえのんびりしている自分に、ゆっくりしていていいのかという疑問が生まれる。あまり居心地の良さを感じなかったカイトは、申し訳ないとは思いつつもキリカに聞くことにした。
「聞いてもいいですか? こんなに一気に推薦状をもらえる理由を」
「ルグラン老やエルナンに聞かされたのではなくて?」
「聞きましたけど……未だに信じられないので。もう一回お願いします」
「判ったわ」
とくに迷惑だと侮蔑することもなく、聡明な受付は説明してくれた。
「確かに、今回の貴方の連続の推薦状は極めて例外的ではある。けれどおかしいことではないのよ」
周囲の正遊撃士を見てみる。クーデター事件の直後から比較すると、現在エステルの遊撃士階級はF級からC級へ昇格していた。ヨシュアは一時期失踪していたためにF級からE級。アネラスはE級からC級への昇格である。
また、既にC級での経験を積んでいたシェラザードとアガットは、本来ならば昇格するのにどれだけ短くとも一年以上はかかるB級へ一気に昇格した。
他の国内の遊撃士たちも、それぞれの活躍に見合った昇格を経ている。そもそも今回の一連の事件の緊急性が異常に高かったせいで、他国の遊撃士たちと比較して急激に遊撃士ランクが上昇しているのだ。
だが、古代龍事件や各地の──本来なら禁止されている──猟兵の運用に対する対処、また導力停止現象に対する一か月近くに及ぶ期間の治安維持と王国軍との連携。その困難さを鑑みれば、この昇格ラッシュはむしろ当然の措置であった。
準遊撃士であるカイトは本来であれば支部の管轄を受けて基本的な依頼に従事するはずだったが、結果的にリベールの異変の解決への直接的な貢献や国外での調査など、正遊撃士に匹敵する活躍をしていたのだ。
実際、ボースではお茶会調査と結社の研究組織調査件を中心に、グランセルでは導力停止現象中の活動を中心に、そしてツァイスでは浮遊都市崩壊後の復興作業を中心に推薦状を受け取れる程活動していた。異変の最中ではそういった細かな手続きに余裕を割けず、結果的に今一気に推薦状を受け取るというなかなか例を見ない経験をしているが。
「……正直今の貴方は、準遊撃士に似合わない旅をしてきたせいで、戦闘力・状況把握能力が達者な割には新人の内に収めるべき基本的な能力が一部欠けているという、アンバランスな状況なのよ」
「うぐ……そうだったんですか」
「自覚がないのがいい証拠よ」
発想に任せた推理ではなく、系統づけされた倫理的な思考。単純な依頼をスムースにこなす、経験に裏打ちされた無駄のない行動力。後輩遊撃士や依頼者へ、物事を簡潔に伝えるための対人コミュニケーション。そういったものが今のカイトになく、正遊撃士に求められる能力だった。
「正遊撃士になるために必要なのは、残るロレント地方の推薦状。これを受け取ることができれば、貴方は晴れて正遊撃士となれる」
実際、カイトがロレント地方で遊撃士として行ったことは少ない。鉱夫たちの救出と、仲間たちと合わせて行った簡単な依頼。その程度だった。
ロレント地方ではその欠けた能力を養うために、しばらくは基本的な雑務や依頼を中心に行ってもらう。探し物、人の護衛、書類整理、採取依頼などのことだ。
「それが、貴方の今後について五大都市の受付が決めた方針よ。異論はあるかしら?」
「……いや、ありません。むしろありがたいくらいですよ、こんなに早く正遊撃士になれるんですから」
「そうね。こんなに早く正遊撃士に昇格するのは、それだけ貴方の能力を一支部に束縛せずに有効に活躍してほしいという、五大都市の受付の総意でもある。是非研鑽してくれると、こちらとしてもありがたいわ」
加えて、これでかな手続きの必要な外国にいけるわけでもある。カイトにとっても嬉しいこと尽くしだった。
そして、キリカとの談話からさらに三時間後。カイトはロレント支部の受付でアイナと、そしてシェラザードと顔を合わせていた。
挨拶もそこそこに、アイナは今後の方針を相談する。
「――というわけで、今度復興作業の一区切りとして、グランセル城で祝賀会が行われるでしょう?」
「はい」
「貴方が反対でなければ、それを境にしばらくロレントで仕事をしてもらうわ。よろしくね」
つまり、今後はしばらくの間ロレントを拠点として活動することになる。
そして、同じくロレントを拠点として活動しているシェラザードを師事することになるのだ。
「ふふ、よろしくねカイト。エステルとヨシュアを指導してたこともあるし、カルナに師事してた貴方をがっかりさせない程度には鍛えてあげるわ」
「あ、あはは……」
その張り切り様は頼もしいが、カイトはエステルからこのシェラザードとアイナの二人組の恐ろしさを聞いていた。
曰く、彼女たちの酒には絶対に付き合うな。突き合ったら最後、女の恐ろしさと悪夢を見ることになる、と。
先が思いやられると、少年は人知れず嘆息した。現実逃避の意味合いもかねて、少年は話題を逸らすことにした。
「そういえば、エステルとヨシュアはどうしてるんですか?」
アルセイユで浮遊都市へ向かった仲間たちは、もはや気の置けないかけがえのない仲間たちとなった。王国中に散らばった彼らのことをカイトは気にかけているし、仲間たちのこともまたカイトのことを気にかけているだろう。
この一か月、エステルとヨシュアとはルーアンの地で一度だけ会って再会を喜んでいた。二人は五大都市から辺境の町村まで、王国中を渡り歩いて各地の状況を確認しつつ復興に力を入れていたのだ。
ここ二週間以上、二人とは会っていない。ルーアンの地で、クローゼと共に自分のここ半年の過ごし方を変えてきた二人なだけに、気になって仕方がなかった。
シェラザードは言った。
「そうね……私も最後に連絡とったのは一週間前だけど。安心なさい、あの二人、相当活躍してるから」
「そっか……オレも負けてられないな」
旅の始まりから、多くの活躍をして成長してきた二人は、もう一人前の遊撃士になったと言える。戦闘力はもちろんのこと、カイト以上に多くの依頼を重ねて培った経験と能力、そして混迷の大地の中でも決して希望を捨てずに事件解決に導いた精神力。どれをとっても素晴らしいの一言だ。
自分は、どうだろうか。遊撃士としての能力はキリカたちから伝えられた通りで、これから精進していこうと思った。戦闘力は、一応仲間たちからのお墨付きを貰っている。
一先ず、支部転属の細かい調整は日を追ってということで今日はルーアンへ帰ることとなった。シェラザードとアイナに別れを告げ、シェラザードとはまた祝賀会での再会を願い、カイトは夕暮れ、ロレントの空港から飛行船へ乗り込んだ。
飛行船の甲板で物思いに耽る。道すがら、考えることも多かった。
(そういや、二丁拳銃も新調しないとな)
浮遊都市の中枢塔頂上。そこでのレーヴェとの闘いで二丁拳銃のうち一つを、銃身から断ち切られてしまっていた。素人目から見ても修復不可能と思えるほどで、それにトロイメライ=ドラギオンのいざこざのせいで斬られた片割れは今頃ヴァレリア湖の中だろう。親の形見の品だけに残る銃把部分を捨てることは憚られたが、威力の弱い銃ではこの先心もとない。導力停止現象中に相棒となった火薬式拳銃も、近いうちにエーファへ返さなければならないだろう。
新しい銃を新調しなければならない。色々な戦いを経て、カイトは自分の戦闘スタイルという生き様を決めた。並戦駆動という、魔法も体術も銃もすべてをさらけ出す方法だ。それに伴い、やはり今までより威力の高い銃を手に入れることが考えられた。
(お父さんとお母さんは、これでオレを守ってくれてたんだよな……)
そして、自分は誰を守りたいのだろうかと考える。
(でもオレはこの二丁拳銃で、姉さんやみんなをちゃんと守れたのかな……?)
この旅を経て、自分は様々な変革を余儀なくされた。力も、心も、立場も、行く先も、覚悟も。
今、自分は本当にここにいていいのか。そんな自問すら浮かんでくる。
「オレのやりたいことは……」
遊撃士になったのは、家族や姉を守りたいと思ったからだった。過去戦争によって両親を失くした苦悩。それを考えるうちに、自然と遊撃士という道を選択した。軍人にならなかったのは、当時のひねくれた心境を考えればご愛嬌だが。
そして今、自分は遊撃士に、正遊撃士になって何がしたいのか。
「……うん」
正直に言えば、答えはもう出ていた。それを成し遂げるためにやるべきことも、朧気ながら見えてはいた。
ただ、このことは誰にも言っていなかった。仲間たちにも、姉にも、ジャンにも、家族にも。
それを伝えるとなれば、内何人かには一悶着ありそうだ。
「伝えるならまあ、会って話さないとな」
会って話すなら、ちょうどいい機会があった。先ほどシェラザードとも話していた、数日後に開催されるグランセル城での祝賀会。
「まあ……頑張ろう。今までと同じように」
何となしに、外の景色を眺めてみる。夕暮れ、リベールの空は平和そのものだった。
浮遊都市に乗り込んだときとは違う、穏やかな決意が、少年の心を満たしていた。
次回、第30話『旅立ちの小径~羽ばたき~』