「昔、八一くんは機械は夢を見ることができない……そう言ったことがあるらしいじゃない」
「どこから聞いたんですか、それ」
「言われた本人から」
少なくとも名人戦の昼食休憩の合間にすれ違った対局相手に振る話題ではない、ないけど振りたいから振る。振り飛車のように。
「実はそうでもないみたいなんだよね、それ」
「……それがどうしたんですか」
「将棋ソフトは夢を見ることができる……とまでは行かないかもしれないけど、八一くんはその目でしっかり見てるはずだけど」
「創多のアレをそう呼ぶのは初めて聞きましたが……」
「探索型のソフトは詰みを見逃すことは少ない、けれどディープラーニング系は細く長い詰みを見逃すことは稀にある。そして言語生成AIは将棋が人間より遥かに下手、というよりは現時点では単体ではまともに指せない。それなのに私や八一くんより立派に弁が立つし、知識も豊富で幻覚すら見てしまう」
「将棋を指す計算機から言葉を使う人間に近づくにつれて、機械はハルシネーションという幻覚を見るようになったよね、人間と同じように」
ま、もっとも言葉というものそのものがハルシネーションの塊である、という可能性は面白くないから気にしないでおこうか。私はそういうのは夢がないと思うから
「私たちが相手をしていたのは、将棋を指すために作られて、将棋を指すために計算することしか出来ない機械。八一くんが言っているのは電卓が小説を書けないことを指して私よりすごくないって言ってるようなものじゃないかな」
だってそのために作られたものじゃないから、そもそもそれに尽きる。
こんな小難しい話を昼食休憩の間に世間話をするような感覚でするのはやめろという目線で見られた気がするが、捕まる方が悪い。
あの後、集中力を削がれた八一くんは優勢にも関わらず、しっかり緩手を指して五分に戻してしまい。1分将棋になってギリギリのところで私が勝てた。
あの話には続きがある、機械は一つの機能を果たすために作られた物だから。夢を見る、幻覚を見る。そう言ったことが必要ならするだろう、今ない力の欠如は機械という物のそのものの弱さを指し示す物では、多分きっとない。
私たちはいつだって仕事を機械に押し付けて来た、下手したら娯楽の観客であることもしなくても良くなるのかもしれない。
私はそれでもいいと思う、やりたいからやるのだ、それは義務ではなくて希望だと思う。
いつか、2100年になっても、将棋が指せますように。