梔子ユメの最後の冒険 〜チョロアホガールとポンコツ詐欺師の復讐劇〜   作:外柴葡萄

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襲来する影

 

「それってつまり、そのびなーっていう悪い蛇さんをやっつければ、アビドスの砂漠化は無くなるって事ですか?」

 

 

 アビドスの小さな教室の壇上、眼鏡の少女が繰り広げる歴史の座学講義のような長ったるい解説を、それまで口を半開きにしながら黙って聞いていたユメが突然、挑みかかるように挙手するや勢い込んで質問する。

 

 真面目くさった顔でつらつらと小難しい解説をしていた壇上の女が、退屈な授業に割り込んできた熱心な受講者の発言に、ノンフレームのえらく上品な眼鏡を光らせて黙りこくる。

 律儀に手を挙げて質問するぽけっとした生徒のどこか間抜けに映るその姿を見つめて、その理解力に若干の不安を抱えていた講演者は静かに認識を改める。

 何故ならその疑問は今、彼女らが取り扱おうとしている問題の、一つの核心とも言える重要事項だったのだ。

 

 いくら生徒数わずか二人きりの弱小だとは言っても、そこはやはり生徒会長、広大な自治区を預かる行政の長たる最高権力者なのだ。

 ただでさえキヴォトスの名だたる学園の生徒会長達には何故か一見、分別も弁えぬ幼子にしか見えないような者も少なくないが、だからといって彼女らの見た目のアホっぽさに騙されてはいけない。能ある鷹ほど爪を隠すのも上手いものだという事を、最近彼女は真剣に考えている。もっとも目の前に座るアビドスの現生徒会長は、こと外見上の体躯という意味では中々立派なものの持ち主ではあったが。

 なにあれ、殊この問題に関してアビドスという学校は長年に渡って取り組んできたまさに当事者である。であれば今彼女がしている解説など実のところ先方は当然全て把握していて、その上で交渉相手であるこちらがどれだけ状況を理解しているのかを腹の底で舌なめずりしながら値踏みしているだけなのかもしれなかった。いわゆる素人質問で恐縮ですが、というやつだ。善良そうな風体と違って案外、腹黒という線もないではない。

 

 だからというだけではないが、七神リンは先方の質問に対して細心の注意を払いながら回答した。

 そうでなくても連邦生徒会と学園生徒会の力関係というのは、いつだって微妙なものなのである。弱みは晒さぬに越したことはない。

 

「いいえ。ユメ会長。申し訳ありませんが本件に関して我々連邦生徒会は、明確な回答を持ちません。よってお答えできるのは「分からない」という事だけです。そうなる可能性もあれば、そうならない可能性も同じく有り得ます」

 

 一切の私情を交えない能吏の鑑のようなリンのその返答に、それでもユメは食い下がった。

 

「で、でも。だったら、ひょっとしたら、全部が上手くいって砂漠化が解決する可能性も、あるんですよね……?」

 

 その必死の問いかけに、欺瞞や駆け引きの類を疑った事を、ほんの一瞬だけリンは恥じた。

 

「神様の存在証明だとか、砂漠の巨大怪獣だとか、私にはなんにも分からない、聞いたこともないことだらけ。でも、もしもそのワルモノが全部の原因で、アビドスに起きた良くない事も全部全部、そいつのせいなんだったら、そのヘビさんをやっつけたら、ひょっとしたら……!」

 

 実際、ユメの頭では、リンの長い説明の半分も飲み込めてはいない。

 それでもこの問題が彼女と彼女のアビドスにとって、けして見過ごす事の出来ない死活問題であることだけは必死の思いで理解していた。

 ユメの縋るような言葉を受け止めて、眼鏡の少女はそっと溜息を零す。

 だからといって、今も過労で寝込んでいるはずの、孤高に過ぎる絶対者の代理としてそこにいるリンの意思は揺らがない。

 ただ、相手の真剣には真剣をもって返すのが最低限の誠意だと信じた。

 

「可能性だけの話ならば、はい。ですが」

「?」

「敢えて私見を述べさせて頂くならば、望みは薄いと考えて頂いた方がよろしいかと。と言いますのも、アレは本来アビドスの環境を保全するシステムの一部。破壊してしまえば、その機能もまた失われる公算が大きいかと。砂漠化自体は、自然の現象に過ぎませんので」

「……」

  

 にわかに膨らみかけていた希望を叩き潰されたユメは、傍目にそれと分かるほどあからさまに落胆した。

 

「そう、ですか……」

 

 そのとき七神リンは、あくまで法の権化たる官僚が示し得るなかで最大限の誠実さでもって応じた。けして根拠のない楽観論で誤魔化す気も、真実を隠して騙しおおす気もなかった。

 

「それでも」

 

 いっそ不器用とも言えるほどのその愚直さが、逆説的にその場にいた誰もを傷つけずにはいられなかったのは、はたしてどういう皮肉だったのだろうか。

 

「それでもなのです、ユメ会長。我々はどうしても、あの存在をそのままにはしておけません。ご理解、頂けないでしょうか」

 

 悲壮な沈黙が、二人の少女の間に降り積もる。

 

 

 

 

 そういうところなのだ。

 

 傍らで聞いていたカヨコは思っていた。そういうところが、良くないのだと。

 一見すれば融通の利かない、役人根性丸出しの頭でっかちに見えて、実はほんの薄皮一枚を隔てただけの浅いところに、煮え滾るマグマのような激情を秘めている。

 交渉事においてはけして上等とは言えないやり方。誰にとっても都合の悪い物事の負の側面すら隠さず曝け出してしまうその馬鹿正直さと、交渉相手の心情も自身の保身さえもまるで顧みない高潔さ。

 七神リンの、政治家としてならいっそ弱みでしかないそういうところが、かつてのカヨコや今のユメのようなお人好しには致命的な毒になる。大した根拠もないままに彼女を信じたいと思わせてしまうのだ。

 だがリンのその愚直さは、あくまで本人の気質によるものでしかない。

 その真摯さを、連邦生徒会そのものの意思と混同すると、痛い目を見る事になる。誰よりカヨコはそれを身を以て知っていた。

 

 

 小さな教室の中、並べられた机の一つに座るカヨコはさっきから、その盤面の下で組んだ掌の中に目を落としたまま、一言も発さない。

 その掌の内に握るスマホの液晶が発する無機質な光に照らされた瞳だけがただ、空虚に輝いている。

 

 

 そのとき鬼方カヨコの、生まれ持って備えていたその明晰な頭脳は、七神リンの語ったかつてのアビドスと連邦生徒会の遣り取りを巡るその顛末、政治劇の内に、一つの決定的な推論を導き出そうとしていた。

 これまでの半生においてもずっとそうだったように、カヨコ本人の望むと望まざるとに関わりなく、彼女の怜悧な論理の集積は自ずとその場所にたどり着いてしまったのだ。

 その冷徹な思考に反して、当のカヨコ自身はもうどう接すればいいのか、もはやよく分からないでいる。怒るべきなのか、悲しむべきなのかさえ。

 

 ただ一つ確かなのは、カヨコの中にあるその考えがもし真実本当であるのならば、鬼方カヨコと羽沼マコト、そして梔子ユメがこれまでの数日間に渡って共謀してきた復讐の、その計画は根底の前提を失い、為すすべもなく瓦解するしか無いということだった。

 それでも、理解をすべきなのだろうか。彼女らの努力を認め、失敗を受け入れてよくやったと声を掛けるべきなのだろうか。

 

 きっと、それが正しいのだろう。

 カヨコの中の、それまでと同じ冷え切った部分が冷徹に結論を下す。

 だが、同時にそんな自分を更に見下ろすもう一人の自分が頭の端に現れて、必死で平静を保とうとするカヨコを鼻で笑う気配がした。

 

 流石だわ、鬼方カヨコ。情報部員の鑑じゃない。そうやっていつもいつもお利口さんに物事を俯瞰してみせて。我が身を犠牲にしてまで信じる正義を貫いた忠義の士。おかげで晴れて放逐されて根無し草になったって、それが本望なんでしょう?

 そんなふうに格好ばっかり突っ張って不良のフリをしてみせたって、結局アンタなんにも変わってない。アンタみたいな半端者に比べれば、あの羽沼マコトの方が何倍もマシよ。

 アイツは気に入らないものを変える為なら、自分を変える事だって躊躇しない。それで誰にどう見られても気にしない。そういう生き方を学べると思ったから、こんな所までついてきたんじゃなかったっけ? 

 まあでも、アンタみたいな根性無しにアイツの真似なんて出来っこないか。しょうがないわよね、だって貴方、ただただ雷帝や連邦生徒会長の言う事を聞いて走り回ってただけの、単なる使いっ走りじゃない。

 

 

 

 結局のところ、こういうところが鬼方カヨコという少女が抱えてきた苦しみ、息苦しさの源泉なのかもしれない。

 感情に任せて思うままに振る舞えばいい場面であっても、頭の回る彼女はどうしても理性のブレーキをかけてしまう。

 そうしてそのよく回る頭の生み出す聞き分けの良さが、結局はその場しのぎの自己欺瞞に過ぎないことを、後になってから気がついてはいつも、後悔ばかりしてきたのだ。

 

 だけど、いい加減もう、良いのではないか。

 頭の端に居座るそいつの問いかけに、いつだって冷静なはずのカヨコはなぜか反論一つ浮かばない。

 

 少女の中の何かが、臨界を越えようとしていた。

 それが良いことなのか悪いことなのか、やはりカヨコには判断がつかない。

 

 

 

 

「随分と勝手な言い分。相変わらずみたいね、連邦生徒会は」

 

 

 ユメとリンの会話に、何かを決意するようにゆっくりとした口調でカヨコが割り込む。

 二人の少女の視線が、教室の端に陣取っていたカヨコに集中する。

 その視線を意識しながらカヨコは深く深く息を吐く。言ってしまった以上、もう戻れないぞと折れそうな心に言い聞かせる。

 

「カヨコちゃん……?」

「ごめんなさい、ユメさん。部外者としては、あんまり口出しするのも良くないかと思って黙ってたんだけど、正直もう限界みたい」

 

 鬼方カヨコは、傍目には判別がつきづらいのだが、張り付いたように動かないポーカーフェイスの仮面の下で心底、苛ついていた。

 そんなカヨコの苛立ちを助長するように、七神リンが発言する。彼女にしても、思うところはあった。

 

「私からも良いでしょうか。此方から仲介を申し入れておいて、つかぬことをお伺いするようですが、そこの鬼方カヨコさんはそちらの生徒会とはどういった間柄なのでしょう。アビドスとゲヘナに今も親交があるとは、不見識にも存じ上げませんでした」

 

 言ってリンは見透かすような目線をカヨコに向けて誰何してくる。流石はエリート官僚の抜け目なさか、素っ気ないその言葉は暗に口を出すなら立場を明言しろと言っていた。

 真っ直ぐ向けられてくるその視線を受け止めて、そう言えば今日会ってから初めてその目を見たなと他人事のように思い出す。

 かつて、共に世界の未来を語り合った、とまで言う気はないが、それでも確かに互いに通じるものを感じたはずの少女の眼差しは何故だろう、初めて見るもののように思えた。

 もしかしたらそこに、かつての仕打ちに対する罪の意識だったり、或いは落ちぶれた相手に対する憐憫の情だったり、そういったなにか分かり易い色が少しでも含まれていれば、カヨコはまだ救われたのかも知れない。怒りに任せて自儘に振る舞う事への言い訳にも出来ただろう。

 しかし、リンのその目からは何の感情も読み取れなかった。

 カヨコにすれば、それだけはあってはならない話であったが、ともすればその無感情の内に、未だに鬼方カヨコという一個人に対する固い信頼などというものの存在を誤読してしまいそうになるほどに、眼鏡の奥の瞳には迷いが無かった。

 澄ました顔しちゃって。まんざら、知らぬ仲でもあるまいに。

 この勅使様の、時宜を弁えぬ堅物ぶりを思い出したカヨコは内心の動揺を収めようと敢えて皮肉に口元を歪め、努めて感情を抑制した声色で答える。

 

「別に? 間柄も何も。今日、そこで会ったばかりよ。それにご存じないかもしれないけれど、今はもう誰の連絡役でもないの、私。ゲヘナとか、アビドスとか、知った事じゃない。ここにいるのはただ、個人的な理由からよ」

 

 身も蓋も無いカヨコの言い草にリンの片眉が上がる。彼女の態度も言葉も、友好的とは言い難い棘を孕んでいた。

 訝しむように様子を窺いながら、見た目に反して案外血の気の多い少女はそれでもあくまで事務的な口調で告げてくる。

 

「それはつまり、アビドス高校とは何の関係もないということでしょうか? 申し訳無いのですが、今回の用件は学園間の政局にも関わる非常にデリケートな問題です。できれば部外者にはご遠慮願いたいのですが」

 

 その飾り気のない言い様に思う所でもあるのか、自嘲のようにも見える笑みを更に深めたカヨコが反撃する。

 

「そうね。確かに私は、アビドスにしてみればただの部外者かも。でも、貴方の方はどうなのかしら。連邦生徒会、会長付き秘書官の七神リンさん?」

 

「……どういった意味でしょうか。確かに手続き上としてはあまり、褒められた接触の仕方ではなかったかもしれませんが、それだけ事態が逼迫している証左だとご理解頂きたいのですが」

 

「どうだか。あんまり気を許さない方が良いわよ、ユメさん。その人をここに派遣して来た上司は多分、貴方達の(・・・・)味方じゃない。敵かどうかは、知らないけど」

 

 聞いている間に勝手に険悪になり始めた二人の同席者の遣り取りを、テニスの観客のように交互に見ながら只ひたすらあわあわしていたユメは、突然水を向けられて可哀想なほどに取り乱した。

 

「え。あの、その。取り敢えず、け、喧嘩は良くないと、思うな。です……」

 

 その向かい、カヨコが意味深に強調した言葉の意味を探るように目を向けていたリンは、そんなユメの慌てぶりを見て深く一つ息を吐いてから首を振ると、場を収めるように両の手を掲げてあっさりと口にした。

 

 

「どうにも、何か誤解があるようです。カヨコさん。我々は何も、敢えて敵対せねばならぬような関係ではないはずです」

 

 

 そうだろうな、と、他人事のようにカヨコはそう思った。

 少なくとも連邦生徒会からすれば、そういう認識なのだろう。だいたい、そうでなければそもそも、ああも気安く連絡などしてくるはずがないのだ。カヨコにも、アビドスにも。

 

 結局、生きている世界が違うんだ。

 頭の端にいたはずのそいつが鬼の首を獲ったように勝ち誇ってそう告げる。その声は今やカヨコ自身のそれとぴったり重なり合って、区別もつかなくなってしまっている。

 

 その分かりきっていた答えを改めて確認したカヨコは逆に何故か、妙に納得したような晴れ晴れとした気分になっていた。

 

 七神リンとて、けして意図してその言葉を言ったわけでは無かったはずである。しかし、鬼方カヨコという少女の中で、そのとき何かが決定的な結論を下したのだ。

 

『────!』

 

 そうしてそんな瞬間に、七神リンが耳に付けていたインカムが突如として息を吹き返すと、矢継ぎ早な通信を始めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初にその襲来に気がついたのは、当然といえば当然かもしれないが、七神リンをアビドスの校舎まで運んできた後、校庭で待機していたヘリの操縦士であった。

 

 流石は連邦生徒会専属と言うべきか、わずかな違和感だけで瞬時にその接近に気付いたパイロットの判断は早かった。即座に離陸を決めた操縦士はエンジンを始動させている間に校舎の中にいる今回の積荷(警護対象)に緊急の連絡を飛ばす。

 

『“クィーンビー”から“ナニーヘッド”へ。市街地方面より不明の一団(アンノウン)の接近を確認。作戦展開と推測。指示を乞う』

 

 昔にふざけてつけたコールサイン(あだ名)を大真面目に呼びかける。

 言い終わる頃には機体はもう空にあった。

 上昇とともに広がっていく視界の端で、ヘリの離陸を察知した未だ遠い敵影から機銃の放火が瞬くのが確かに見えた。 

 マジかよ。撃って来やがった。

 見る間に膨れ上がる嫌な予感に内心で舌打ちしながらパイロットは報告を続ける。

 大丈夫だ。この距離ならまず当たらない。

 

『“クィーンビー”より。不明の一団(アンノウン)から攻撃を受けた。対象を敵性勢力と断定。機体保存及び支援任務継続のため本機は一時離脱する。本校舎は包囲されつつある。計画変更の必要を認む』

 

 乗り慣れたはずの機体の離陸速度がいつもより遅い気がする。

 フライトジャケットのごわごわした裏地が、じっとり張り付く肌着越しに背中に当たってきて気持ちが悪い。

 手汗の酷い両手で祈るように操縦桿を握る中、ようやく水平線が校舎の屋根より上に来る。

 すんでのところで難を逃れた操縦士が口笛を吹く。

 そうして安全高度まで上がって哨戒したパイロットはようやく敵の姿を見た。

 

 それは奇妙な形の兵器だった。

 小さな履帯の上に機械腕付きの主砲を載せる玩具のような超小型戦車が前衛を貼る。

 その脇で展開するのは絶妙なバランスで器用に一輪駆動を駆る機体に外付け火器をマウントした案山子のごとき騎兵隊。

 最後尾から従いてくるのはノロノロと二足歩行する脚付き砲台の砲兵部隊。

 その奇妙な形の兵器の群れが、アビドス市街地の端から端から湧き出てきては四角い校舎を取り囲もうとする様は、まるで砂糖菓子にむらがる蟻の群れのようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調月リオの個人用研究ブースは、なにか独特の緊張感を漂わせていた。

 

 ミレニアムの自治区に林立する部室棟群の中でも比較的最近新設されたばかりの真新しい研究錬の一角にその部屋はある。

 昨今、ミレニアムの巷間では現一年生世代は近年稀に見る当たり年だと専らだが、中でも屈指の才能(タレント)と評価された一部の者たちには(その中には勿論ヒマリも含まれる)既にセミナーはじめ多くのスポンサーから潤沢な研究費が投資され、最新の設備を備えた個人研究所(ラボ)を構える者も少なくない。

 しかし、その中にあっても別格の地位にいるのが調月リオという鬼才である。

 その才能をヒマリに言わせれば遊び心一つ解さないつまらない女という事になるのだが、合理性が服を着て歩いているような女である調月リオという一年生は、入学前から既に自身の研究計画(ロードマップ)をガッチガチに固めていたらしい。入試の際、当然のように全科目満点でペーパーテストをパスして臨んだ面接試験で、相手どる試験官に一言も発させないまま自身の研究テーマを完璧な企画書と共にプレゼンしてみせたリオの暴挙は、いまや同世代では知らない者のない伝説となっている。

 その場で満場一致の首席特待生待遇を勝ち取ったリオはその足で図ったように竣工直後だった無人の研究錬の角部屋に入ると、事前に手配していた業者を段取り通り呼び込んで完璧に設備を整えてしまって以来、かれこれ半年以上の期間そこに引き籠もっているのだった。

 

 そんな校内きっての変人に対して、双璧を成すもう一人の奇人の訪問は実に暴力的(スマート)なものであった。

 偏執的なまでに秘密主義な家主の性格を反映し、厳重な改造を施された入り口の電子ロックを挨拶代わりにこじ開けたヒマリは正々堂々正面から室内に侵入する。

 あらあら。今度のファイアウォールの出来は中の下といった所ですね。確かにこの種の防壁迷路は時間稼ぎには有効かもしれませんが、少しばかり面白みに欠けます。この間の新作の方がまだ見込みがありましたよリオ、あまりこの天才病弱美少女を失望させないで下さいねうふふふふ。

 何重にも施されたゴツい鍵を鮮やかな手腕で見る間に解除していく車椅子の異端児。せめてもの抵抗と喚き出した警報をきっかりワンコールでぶつ切りにして呼び鈴の代わりにすると、そのまま開きっぱなしになった扉を嫌味にノックしたヒマリはそこで今更な確認をした。

 

「もしもしご機嫌よう。調月のリオさんはいらっしゃいますか? 返事がないようでしたら勝手に入っていいものと見做しますがありませんねお邪魔します」

 

 言うやいなや反応も待たずに車椅子を突入させる。勝手知ったる他人の家とはこのことか、その進路取りは電子制御とは思えぬ程にいかにも慣れたものであった。

 なんとも乱暴な来訪だが、二人の間ではこの程度のじゃれ合いはいつものことなのかもしれない。入り口の洒落っ気一つない鋼鉄製の扉の脇に雑に貼られた「アポ無し訪問お断り」のシールや車椅子マークにばってんの付いた「NOT BARRIER−FREE」の表記に二人の同級生の歴史が忍ばれる。

 

 さておき、いまだ日も高い時間だというのに、上がり込んだ部屋の中はやたらに薄暗い。

 ただでさえ日陰者気質の多いミレニアムではさして珍しい話でもないのだが、ゆうに一週間は換気されていないに違いない籠もった空気は瘴気のように毒々しく淀み、製作途中のまま放り出されている雑多な機器が油臭い異臭を漂わせて山のように積み上げられている床面にはまさしく足の踏み場もない。

 常人なら三度は尻込みしてから逃げ出しそうな部屋の荒れようを見て取って、ヒマリは大袈裟に溜息を吐いた。やれやれ全く、またですか。

 

 本来、部屋の主である調月リオという女は、いっそ病的なまでの几帳面さを有する人物のはずである。

 己に所属するありとあらゆるものを完全な状態に管理する事を至上とする彼女の研究所(ラボ)は、平時であれば蟻の子一匹漏らす隙もないほどに徹底的に整理され尽くしている筈だった。

 しかし一方でリオには時折、異様な程の執着心をもって一心に何かの研究にのめり込むという実にミレニアム生らしい生態があって、そういった周期に入った時の彼女は普段の完璧主義者ぶりが嘘のように、まるっきり日常的な文化的生活のあれこれに気を払わなくなるのだ。

 いま、まるで戦場のように乱雑に物資が散乱する部屋の惨状を見てとって、ヒマリはその季節の到来を直観したのだった。

 

 ところで、勢い込んで入って来たは良いものの、どうやら家主は現在、留守にしているらしい。

 何台ものモニターが点きっぱなしにされた横にエナドリの空き缶とコンビニ袋が溢れかえっているデスクの下、リオが巣にしているらしい万年床のシュラフが空なのを確認したヒマリは不審に眉を顰める。

 おかしいですね。

 天才美少女ハッカーを自認しているとはいえ、ヒマリに空き巣の趣味は無い。欲しい物は正面から掠め取るのが信条である。故にヒマリは事前にリオの所在を確認してからここを訪れていた。昨日の昼に軽食を買いに近くのコンビニと往復して以来、この部屋からリオが出た形跡は見つけられなかったのだ。

 

 不審に思ったヒマリは乱雑に積まれた精密機器や工作用具で死角の多い部屋の中を透かし見てみる。ヒマリの場合、この表現はけして比喩ではない。

 車椅子に搭載された汎用 補助システムに組み込んである遠赤外線センサーを駆使して、周囲に熱源がないかスキャンしているのだ。

 システムが感知した情報は再構成されて網膜に直接投影される。つまり空間座標をAR化して感性認識上赤く透けて見えるようになったその存在を文字通り見てとって、流石のヒマリもぎょっとした。

 ヒマリの足下、車椅子から数メートルも離れていない場所で倒れているラックと共に崩れた荷物の山の下に、だいたい人間一人分くらいの大きさの熱を放つ何かが埋まっていた。

 慌てて部屋に据え付けてあった物質搬入用クレーンをセミナーの管理権限を偽装して無理やり起動する。

 どうやらリオが独自で開発したと思しきそのロボットアームは、別に褒めている訳ではないがそれなりに優秀なAIを積んでいるらしい。ハラハラ見守るヒマリの眼前で、見る間に崩れた荷物が積み上げられて、底に埋もれた熱源が露わになる。光に反応する芋虫のようにモゾモゾと蠢くそいつは顔を出すなり実に情けない声でこう言った。

 

「うぅ、白い、白いワニが来る……頼むあと五分。納期は必ず守るから……」

 

 誰に向けたのかも分からぬ言い訳と共に迷惑そうに寝返りをうつ白石ウタハの顔を見たヒマリはそっとロボットアームに作業中止の命令を出した。

 持ち上げられかけていた資材が音を立てて落下し棺の蓋が閉じると、盗掘の危機を免れたミイラもどきも安心したのか、荷物の山の下から盛大なイビキが響き始める。

 

 見なかった事にしましょう。

 

 ハイライトオフの半眼になったヒマリは近くに落ちていた埃よけのシートを拾い上げると、いそいそと荷物の上に被せて隠してしまう。

 念入りに施した封印をそれでも貫通してくる間抜けなBGMを聴いているとすっかり気分が壊れてしまいそうだったので、音源から離れて奥のデスクの方を調べてみることにした。

 

 

 机上のモニターには風変わりなものが映し出されていた。

 角度によっては人間の顔のようにも見える、3Dモデルの骨組みだろうか。

 何でしょうコレ。

 興味を惹かれたヒマリは気を取り直して机上のキーボードを叩き、その内容を確認してみる。

 どうやら入力系のUIを視覚的に補助するアクセサリらしいが、明らかに未完成のそれは見た目には直線で構成された不気味な骸骨もどきにしか見えない。それ以上調べようにも本体のプログラムが見当たらないので、本当にただの作りかけらしい。

 リオの性格を考えれば本命の発明とも思えない慎ましやかな作品なので、気晴らしに遊びで作った手習いかなにかだろうか。

 

 そうしてしばらくデスクの端末の中を漁っていたヒマリはやがて小さな違和感を覚える。

 別に大した根拠があった訳でもないのだが、この少女がこの手の直観を無視するはずもない。試しに部屋の回線に接続させっぱなしにしていた手元のデバイスから室内機器の使用状況をモニターしてみる。

 途端に網膜投影された視界いっぱいに流れる諸々のパラメータを高速で流し見たヒマリは程なく違和感の根源を洗い出した。

 ざっと計算してみたこの部屋の電力消費量が、計器上の実数と合わない。それも一つ二つの機器の見逃しという域でなく、莫大な数値の齟齬が発生していた。

 

 この部屋の、どこか目に見えない場所で、巨大なエネルギーが今まさに消費され続けている。

 

 その不可解な現象の因素を次々と考案しては即座に否定するのを頭の中で繰り返すヒマリの口元が薄っすらと笑みの形に変わっていく。

 

「あらあら、これはアレですね? 所謂一つのミステリーというやつです。消えた家主、動き続ける見えない機械。実に興味深いではありませんか? ふふふ」

 

 いかにも上質な暇つぶしをついに見つけあてて、すこぶる機嫌を良くしたヒマリが呟く。誰に向けて発したでもないその声にふと、反応する者があった。

 

 

『あら? あらあらあら……誰かと思えばその声は、貴方でしたか明星ヒマリ。私からすれば感動の初対面といったところですが、まさかこんなに直ぐにお会いできるとは。やはり運命というものは存在するのですね?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




なんというか、複雑な事をやろうとし過ぎて渋滞していると言えば良いのか。
いやまあ、やりたい事はあるはずなのだけど、技量が足りんよね。
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