【挿絵表示】
安全圏からお手軽に社会批判する事で悦に入る事の不毛さを 奴らに気付かせてやりたいんだ。
真のクズはここにいる ってな……
奴らがその真実に辿り着いた時、俺たちは魂で握手するのさ。
――浅野いにお『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』より
「ねえねえ、タロくぅ~ん」
なんだよ、今おれは忙しいんだ。
そうやっておれは、隣に座っている幼馴染のハナコを追い払おうとするのだが、ハナコはますますまとわりついてくる。
「そんな“ながらスマホ”なんか止めてさあ、遊びに行こうよお。ほら好いお天気じゃない? お散歩したらきっと好いインスピレーションが得られると思うよ~?」
そうやって何事もないかのように声をかけてくるハナコに、おれはかすかに苛立った。
……なんでコイツはこんなに
そんなことを思いながら、おれは答えた。
「うるさい。だいたい『好いお天気』なんていうけれど、見上げた空はグレーの雲に覆われた曇天、晴れてもいないじゃあないか」
「それは、まあ、そうだけどお……」
「それになあ、今のおれは暇してるわけじゃあないんだぜ」
「はあ、そうなの?」
首を傾げるハナコに、おれははっきり頷く。
「ああ、そうさ。今おれは聖なる戦い、社会問題について白熱した議論を展開中なんだ。馬鹿で愚劣な冷笑主義者のネチズンども、その論理の矛盾を暴いて、完膚なきまでに論破して、奴らの迷妄を打ち砕いてやらねばならない。そして奴らに理解させてやらなきゃならない、本当に果たすべき真の正義って奴をな」
「ふうーん……」
そう答えながら、おれは今眺めていたスマホの画面をハナコに共有した。映っているのはおれがいつも見ているSNS、その政治トピックのトレンドはこの国の政治家の汚職疑惑で持ち切りだ。
「ほら、このカドナガって政治家、こいつもどうしようもない奴だ。こんな悪徳政治家をのさばらせているから、この国はどんどんダメになってゆくんだ。ハナコもそう思うだろう?」
ハナコは、おれから共有された画面にひととおり目を通したあと、いつもどおりの暢気な口調で答えた。
「カドナガって、あの首相のことお? あの人、そんなに悪いのお?」
「カドナガが悪いかって? ああ、悪いなんてもんじゃあないさ!」
……ふふん、ハナコの奴、珍しく政治に興味を示したな。日頃から
だが折角のいい機会だ、ここで教えてやることにする。
「いいか、あいつ、カドナガ=シローはな、世襲で権力があるのをいいことに汚職やら不正やら、やりたい放題。本当に酷い政治家、いいや政治
ここぞとばかりに世の中に張り巡らされた“陰謀”を、おれは語り聞かせた。
……おれには、奴らの不正を見過ごすことなどできない。カドナガ=シローを筆頭に、アコウ=マタイチロウ、ミノタ=ヨシノリ、ヒロイケ=カズオ、テラウチ=タイチ、マキノ=ショウスケ、クスノキ=タケシ、そして奴らを牛耳る米国とその裏に潜む金星人の
そんなおれの熱弁に対し、ハナコはやけに神妙な表情で聞き入っていた。
「ふんふん、ははあ、なるほど、なるほど……」
そうやって真剣に聞き入ったあと、ハナコはどこか怪訝そうな様子でおもむろに口を開く。
「でも、カドナガさん、そんな悪い人なんかには見えないけどなあ。たしかにちょっと頼りなさそうだけどお……」
「……ふん、それがカドナガの手管なのさ」
カドナガ=シローはいつもそうだ。そうやって如何にも人の好さそうな雰囲気を装って、そのくせ裏で悪いことばかりやっていやがるのだ。火のない所に煙は立たぬ、ネットでも皆そう言っている。
大事なことを何もわかってない愚かな大衆、その最たる象徴。哀れな我が朋友ハナコに、おれは熱弁をふるった。
「公金が、おれたちの税金が、こんな狡賢い奴らにチューチュー吸われているんだぜ! ハナコこそ腹が立たないのかよ!?」
自分で言ってるうちに腹が立ってきて、おれの口調までもがついつい荒くなってしまった。
ハナコはというと、そうやってムキになるおれを横目で見ながら深めの溜息をついていた。
「またタロくんの『ガー』が始まった……」
『ガー』? 『ガー』ってなんだ。
おれが聞き返すと、ハナコはふふと笑いを零しながら、如何にも大袈裟な身振り手振りで答えるのだった。
「『世間
呆れ口調なハナコのぼやき。おれの『戦い』に対する皮肉だ。いつも、いや誰もがこうだ。ハナコ、家族、同級生。いくらおれが一生懸命に『正義』や『真実』を訴えても、現実の世界では誰も耳を貸してはくれない。ネットだけだ、おれを理解してくれるのは。
そんなことを思いながら、おれはスマホのSNSへ目線を戻す。そんなおれの様子に、ハナコはまたしても溜息をつく。
「でもタロくん、あんまりネットばかり見てたら、自分を見失っちゃう気がするよ。たまにはリアルで、現実の友達と遊ぼうよお。気晴らし程度でもいいからさあ~」
「そんなことはないさ。ネットには真実があるんだ。おれはそれを見つけるために、毎日こうして戦ってるんだぜ」
おれの堂々とした答えに、ハナコはやれやれとため息をつく。
「……まあ、いつも一生懸命なタロくんらしいけどね。でも、たまには休憩しないと、体も心も疲れちゃうよ? ちょっとはリフレッシュしないと~……」
……現実逃避の見本みたいなことを言ってやがる。
ハナコの声が遠のくように感じながら、おれはスマホの画面に再び集中した。SNSには、カドナガはじめ悪徳議員たちに関する新しい記事がアップされ続けている。おれは画面をスクロールし、次々と出てくる汚職疑惑の詳細に隈なく目を通してゆく。
無関心すぎるハナコの態度は腹立たしいが、とにかく今はどうでもいい。重要なのは、このどうしようもない社会をそれでもどうにかすることだ。
「……ふん。お前には分からないんだよ。この国がどれだけ腐りきっているか……」
おれがスマホに夢中になっていた、まさにその時だった。
つけていたテレビから、緊急のニュース速報が流れた。
〈臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます……〉
画面が急に切り替わり、テレビから流れる緊急速報におれたちは目を奪われた。画面には、いつも冷静な表情のキャスターが今は動揺を隠せない様子で原稿を読んでいる。おれもハナコもスマホを置いて、テレビ画面に見入った。
……続いてテレビが映したのはヘリコプターからの中継映像、そこには信じられないものが映っていた。
遠くのビルの影からゆらりと現れた、巨大な影。
それは怪獣だった。
……その怪獣は、まるで悪夢の中から現れたかのような異様な姿をしていた。
身長100メートルを優に越える巨体。全身は深い闇のように真っ黒で、その表面には煮えた溶岩のようなひび割れが散在していた。身の内で燃え滾る灼熱、その高温が周囲の空気を揺らめかせ、常に濃厚な水蒸気と湯気を漂わせていた。
それにひょろりと伸びた首の頂点、そこに据えられた頭部はキノコ雲のように膨れ上がっていた。その口から覗いているのは、おぞましいほど不規則に並んだ乱杭歯。まるで刃物のようなそれらの牙は一本一本が鋭く輝いており、何でも噛み砕いてしまいそうだ。
胴体は筋肉質で頑強、質量感たっぷりの筋肉がもりもりと隆起し、皮膚の下でうごめいているのが見える。それに対して、手は異様に小さくて酷くアンバランスなほどだった。
ずっしりとした下半身から伸びているのは、背丈よりも長い尻尾。その尾は鞭のようにしなるたびに、地面を割り、建物を破壊していく。尾の先端まで真っ黒な鱗に覆われており、その鱗の間からは時折、赤い光が漏れ出てくる。まるでその尾が生きているかのように、独自の意志を持って暴れまわっている。
なにより、最も恐ろしいのはその目だ。思いきり剥かれたギョロ目は常に血走っており、見るもの全てを見透かすかのような鋭い視線を放っていた。開き切った瞳孔はまるで深い闇の深淵を覗き込んでいるかのようで、一度目が合うとその視線から逃れることはできなさそうに思われた。
やがて怪獣は、雄叫びを上げた。
「――――――――――――――ッッ!!」
……この怪獣は、ただの怪物ではない。猛々しくも荒々しく霊験あらたかな
まさに“巨神”だ。
「う、嘘だろ……」
どしーん、どしーん、どしーん……。
怪獣の体がビルを押しのけ、街の中へと進んでゆく。おれたちがいつも見慣れている景色が、一瞬で変わり果てていくのが見えた。
砲撃のような怪獣の足音が地面を揺るがし、そのたびに足下の街が崩壊していく。逃げ惑う人々の悲鳴が響き渡り、蹴り飛ばされた車がひっくり返り、建物が次々と倒れていく。
そしてテレビ越しのおれたちは、その光景を呆然と見つめることしかできなかった。
「タロくん……」
その呼び声で、おれは我に返った。振り返ると、ハナコが泣きそうな顔でおれを見つめていた。
「タロくん、どうしよう……!?」
日頃からふわふわの可愛いものしか知らないハナコ。けれど今は、生まれて初めて見た怪獣に心の底から竦み上がっているようだった。かく言うおれもそうだ、恐ろしさのあまり今にも小便を漏らしそうである。
そうこうしているうちに、怪獣の行き着いた先は首相官邸だった。
贅の限りを尽くして建てられた豪華絢爛な首相官邸、だが怪獣の猛威を前にしてはただ踏み躙られるだけだった。
巨大な足が地面を踏みしめるたびに、周囲の建物が崩れ落ち、地面はひび割れ、道路は断裂していた。まるで災厄そのものが形を持ったかのようなその姿に、首相官邸にいた連中はただただ恐怖に震え、逃げ惑うしかなかっただろう。
あとで知った話だが、その中にはこの国の首相であったカドナガ=シローもいたらしい。
……どしーん!!
怪獣は一瞬の躊躇もなく、巨大な足を高く上げ、まるで虫けらを踏み潰すかのように首相官邸を踏みつけた。その重みで建物は瞬時に崩壊し、カドナガ首相と側近たちはあっけなくその瓦礫の中へと消えた。まるで怪獣がこの世の浄化者であるかのように、汚職にまみれたこの国の政治を一瞬にして破壊したのだ。
翌日、テレビのニュースではこんなふうに言っていた。
〈……カドナガ首相が首相官邸ごと怪獣に踏み潰されてから24時間が経過しました。この前代未聞の事態により、国中が大混乱に陥っています。各地で避難指示が出され、政府は緊急対策本部を設置して対応に当たっていますが、未だに怪獣の動向や正体については明らかになっておりません。カドナガ首相を含む多数の政府関係者が行方不明となっており、その生存が絶望視されています。現在、次の首相候補として有力視されているのは、政権の幹部であるアコウ=マタイチロウ氏ですが、政界全体が混乱しているため、今後の展開は予測が難しい状況です。また、詳細な情報が入り次第、続報をお伝えいたします……〉
そうやって災害報道を続けるテレビのニュースを、おれとハナコはぼんやりと見つめていた。
ハナコは震える手でおれの肩をつかみ、信じられないという表情でテレビを見ていた。
「タロくん、これ、本当に現実なのかな……本当に、あの怪獣が……?」
「ああ、どうやらそうみたいだな……」
おれはなんとか言葉を絞り出し、ハナコを安心させようと微笑んだつもりだった。けれど、やっぱりその表情はどこか硬い気がした。だってそうだろう。殺しても死なないだろうと思っていた政治家どもが、世の中が、こんなあっさり踏み潰されてしまうだなんて。
ハナコがおれの顔を見上げながら、口を開いた。
「これからどうなっちゃうんだろう、タロくん……」
そう呟くハナコの声は震え、涙が目に浮かんでいた。おれは深呼吸し、ハナコの手を握り返してやった。
「大丈夫、大丈夫だぞ、ハナコ」
それから結局、おれたちは無事生き延びた。
恐ろしげな見た目と巨体に反して、怪獣がもたらした被害は極めて軽かった。進行方向にあった街は大変気の毒なことになったが、出現からの避難誘導が迅速に行われたおかげで死傷者はほとんど出なかったという。
怪獣は海から現れ、まず地上へ上陸。次にカドナガたちのいる首相官邸を目指してまっすぐ進んでゆき、首相官邸だけを執拗に踏み潰したあとはそのまま元の道を辿って海へと帰っていったらしい。まるで、最初から首相官邸、いやカドナガたちだけを狙っていたかのように……。
それからも怪獣による襲撃は続いた。
カドナガ=シローの次に首相になったアコウ=マタイチロウ、さらにその次に首相になったミノタ=ヨシノリ……怪獣はまるで、この国の権力者だけをひたすら狙っているかのようだった。
続けざまの怪獣災害を受けて我が国の防衛組織であるジエイタイも出動したが、怪獣の猛威にはまるで歯が立たなかった。重機関砲はもちろんのこと、ロケット弾、対戦車ミサイル、120mm滑腔戦車砲、誘導爆弾、果ては米軍から提供された大型貫通爆弾:
奇妙だったのは、そこまでやっても怪獣の狙いが何一つ読めなかったことだ。餌を食べるわけでも、敵の怪獣と戦ってプロレスするでもなく、ましては原発を襲って核エネルギーを捕食するわけでもない。ただひたすらこの国の権力者を狙って襲撃し、標的と思しき人物を踏み潰したらそのまま素直に海へと帰る。そんなことを延々と繰り返していた。
世界に名立たる科学技術立国であるはずの我が国の学者たち。彼らは揃って首を捻った。
「怪獣は、いったい何を求めているのでしょう?」
「この怪獣が我が国だけを狙っているのは、偶然とは思えない。何かしらの意図があるはずです」
「もう一つの仮説として、怪獣が特定の周波数や信号に反応している可能性もあります。特定のデバイスや装置に引き寄せられているのかもしれませんよ?」
「そもそも我々は、あの怪獣をただの動物として見てはいけないかもしれません。もしかしたら、高度な知性を持っているのでは? 我が国を標的にするのは、意図的に国家の混乱を引き起こすためだという仮説も考えられます……」
やがて怪獣の犠牲者が防衛相のテラウチ=タイチ、財務相マキノ=ショウスケ、果てはジエイタイ随一の国粋主義者として有名だったクスノキ=タケシや、来日していたアメリカ大統領特使にまで至ったところで、ある“噂”が出回り始めた。
……おれが最初にこの「巨神」の噂を目にしたのは、ミノタの次に首相になったヒロイケ=カズオを怪獣が踏み潰したときのことだった。
いつもおれが眺めているSNS。そのタイムラインに流れてきたのは、匿名のアカウントが投稿した一連のスレッド。
「怪獣が現れたのは、ただの偶然ではない。これは、腐敗した政治を浄化するために神が送り込んだ使者、偉大な神なのだ」
……神。
その言葉に、おれの心は揺さぶられたかのように感じた。だって、おれがテレビであの怪獣を目にした時の第一印象、まさにそのままだったから。
そのスレッドの投稿者は古代の神話や伝説を引き合いに出し、怪獣がただの怪物ではなく、神の力を宿す存在だと理論的に主張していた。
「愚かな人間たちは目覚めるべきだ。怪獣は我々に裁きを下すために現れたのだ、と」
……そうだ、そのとおり!
おれはその言葉に心から共感し、使命感が燃え上がるのを感じた。おれが長年感じていた社会への不満や怒り。それらが、その投稿によって鮮明に形を成したように思えた。
そのときおれは気づいたのだ。
「怪獣は、いや巨神は、おれの正しさを実現してくれてるんだ……!」
そうだ、そうだとも。
カドナガ=シロー、アコウ=マタイチロウ、ミノタ=ヨシノリ、ヒロイケ=カズオ……巨神が踏み潰したのはどいつもこいつも、酷い悪徳政治屋ばっかりじゃないか。巨神はきっと堕落し切った愚劣な権力者どもと、そんな世界で虐げられているおれたち一般市民の姿を見かねて、悪を成敗しに来てくれたに違いないのだ……!
おれはこの論理的かつ理性的な自分の分析をすぐさま1万字にまとめてシェアし、全世界に見てもらおうと考えた。
「皆、これを読んでくれ! 怪獣は敵じゃない! 神の使い、救世主、巨神なんだ! おれたちが声を上げることで、巨神を動かしているのかもしれない……!」
おれの意見に、世界中の皆が飛びついた。
謎めいた怪獣、誰もがその正体や目的について知りたがり、語りたがっていた。そんな関心の坩堝の中でセンセーショナルなおれの投稿は瞬く間に拡散され、多くの反応が寄せられた。
「怪獣が救世主? そんな馬鹿な話があるか。みんな冷静になれよ」
「これはただの陰謀論だろう。怪獣がそんな意図を持って行動してるなんてありえない」
「SF、でなけりゃファンタジーアニメの見すぎだよ。怪獣はただの怪物で、神なんかじゃないって」
「冷静になろうよ。怪獣が現れたのはただの偶然で、政治とは無関係だってば」
「あんな怪獣の存在を神格化するなんて危険じゃないか。もっと冷静な議論が必要だろう」
「まだ結論を出すのは早い気がする。もっと情報が必要だよ」
「でも怪獣が救世主かどうかはわからないけど、政治の腐敗が深刻なのは確かだよね」
「禿同。個人的には怪獣が神だとは思わないけど、現状が問題だという点には同意だわ」
「そうそう。カドナガだってアコウだってミノタだって、怪獣に踏み潰されるんじゃなくて、ちゃんと生きて罪を糾弾されるべきだったよ」
「いろんな意見があるけど、まずは冷静にファクトを見極めることが大事だね……」
寄せられた意見は賛否両論。ほとんどが否定的、もしくは中立を保とうとする意見が多いようだった。けれど、その中には少数ながら、おれの意見に賛同してくれる向きもあったのだ。
「この人の言うことに一理ある。今のこの国はまさに衰退途上国。あるいは我欲にまみれたこの国を、怪獣が浄化してくれるのかもね」
「怪獣が神の使いって発想、なんか腑に落ちる。だってこの国の権力者どもは信用できないもの」
「ついに神が動き出したか。腐りきった政治屋どもを一掃してくれ。」
……ああ、そうとも。たしかに、おれたちは一般大衆から理解されにくいかもしれない。
だが、先に進んだ奴はいつだって理解されにくいものだ。真に正しいのは、そして最終的に勝利を勝ち取るのはおれたちの方。いつかはきっと理解されるはずさ。
そんなふうに、おれは信じた。
巨神の襲撃が続く中、政府は非常事態宣言を発令した。
首相になり得る政治家候補たちが次々と踏み潰され続けたことで政権与党は政権能力を喪ってしまい、やむなく政権交代を遂げることになった。
新しい政権与党と新しい首相による新政権。皆の期待を背負った彼らは迅速に復興計画を打ち立て、多くのボランティアや海外からの支援も集まった。新しい政権与党とそのリーダーが主導した復興計画。政府と民間企業が一丸となって取り組んだ結果、数か月のうちに街は驚くほどのスピードで復興を遂げたのだ。
それから数か月後。以前と同じ通りには、新しく建て直されたビルが並び、復興の象徴として高くそびえていた。通りを行き交う人々の顔には、安堵と希望が垣間見えるようだった。
おれの隣を歩きながら、ハナコが言った。
「見てえ、タロくん。あのビル、すっかり元通りになってるよお」
……そうだな。そうやって明るい表情で笑うハナコに、おれは安堵した。
テレビで怪獣による災害を目の当たりにしてからというもの、しばらく塞ぎ込んでいたハナコ。だが、すっかり元通りの天真爛漫な様子に戻ったようだ。
「あの時は本当に大変だったけど、今はこうして平和な日々が戻ってきて、本当に良かったよお。皆が一丸となって復興に取り組んだからこそ、こんなに早く元通りになったんだと思う。皆の力ってすごいよねえ~」
……皆の力、か。
ハナコの言葉に、おれは少し考え込んだ。確かに、怪獣の襲撃によってこの国は大きな打撃を受けたが、それを乗り越えたのは人々の団結力だった。しかし、巨神がもたらした変革はただの破壊だけではなかった。腐敗した政治家たちが一掃され、新しいリーダーが登場し、社会全体が生まれ変わろうとしている。
ちょうどそのとき、遠くから選挙カーの音が聞こえてきた。応援演説の声が近づいてきて、ハナコの顔がぱっと明るくなった。
「わあ、選挙カーだあ! タロくん、見て見てえ、今の首相が乗ってるよお!」
ハナコのいうとおり選挙カーには今の首相が立ち、集まった大衆に向かって笑顔で手を振りながら支持を呼びかけていた。そんな選挙カーに、ハナコは手を振りながら近づいてゆく。まったく、無邪気な奴だ。
「今の首相、わたし好きだなあ。言ってることもカッコよくて、なんだか頼り甲斐があって頼もしいしねえ!」
「ふんっ、また政治屋どものパフォーマンスか……」
内心、おれは不満だった。
たしかに政治は変わった。政権も交代したし議席を置いている議員たちも刷新されたろう。だが、新しい首相だって所詮は政治屋、今までの政権与党とだって結局はタヌキとキツネくらいの違いしかない。今の首相はクリーンな清廉潔白のイメージを売りにしているらしいが、きっと誰も知らないどこかで悪いことの一つや二つしているに決まっているのだ。
そんなふうに渋い顔をしていると、横でハナコが口を挟んだ。
「またまた、そんな不機嫌になっちゃってえ~。そんなふうに言うんだったら、タロくん自身が政治家にでもなればいいのに」
「おれが、政治家? よせよ、おれはそんな器じゃあないさ」
「『そんな器じゃあない』? 年がら年中、インターネットで政治の話ばっかりしてるのにねぇ~」
「そ、それはだな……」
そんなふうに、おれたちが言い合っていた時のこと。
「あ、あれ、急に暗くなったような……」
突然、おれたちの頭上に差し込んだ黒い影。
耳をつんざくような爆音が響き渡ったかと思うと辺りのビルが振動し、地面が揺れ、遠くの空に巨大な影が現れた。選挙カーのスピーカーから聞こえる応援演説の声もかき消されるほどの轟音に、周囲の人々はいっせいに空を見た。
ハナコが震える声で叫ぶ。
「あ、あれは……!?」
現われた影の正体は、巨神だった。身長100メートルの巨体に桁違いに長い尻尾、けれど今度は少し様子が違っていた。
「翼が、生えてる……!?」
そう、今の巨神には黒い翼が生えていた。広げた翼長は、端から端まで300メートル以上。巨神は両翼を思いきり広げた状態で、空中静止していた。人知を超えた荒ぶる神、巨神。黒い翼を広げながら空を飛ぶその姿は、まさに神話の中の存在そのものだ。
おれたちが茫然と見守るしかない中、巨神は動き出した。翼を羽ばたかせた巨神は姿勢を変え、ゆっくり降下してゆく。
定めた狙いは、首相の乗った選挙カーだ。
「こ、こっち来るよお!?」
「あ、危ない……っ!」
選挙カーに集まっていた野次馬は一斉に悲鳴を上げて逃げ出した。おれもとっさにハナコを庇い、選挙カーから距離をとる。
そして次の瞬間、巨神の大きな足が選挙カーを踏み潰した。どかーん、という轟音とともに選挙カーは粉々に砕け散り、その衝撃で周囲のビルの窓ガラスが割れ、地面が大きく揺れた。選挙カーの残骸が飛び散り、街中に破壊の痕跡を残した。
「逃げるぞ、ハナコ!」
「う、うん、タロくん!」
おれはハナコの手を引き、必死にその場から逃げ出した。懸命に逃げ延びる中で振り返ると、背後で巨神の足音がどしんどしんと響き渡り、ビルが次々と倒壊していくのが見えた。
……あとになってわかったことだが、スポーツ万能でもあった今度の首相はぎりぎりで選挙カーを飛び降りたのでなんとか助かったらしい。まったく悪運が良いというか、なんというか、今回の襲撃では奇跡的に死人は一人も出なかったのだという。
ま、そんなのはいいんだ。今回の騒動が落ち着いたあと、おれはハナコに言った。
「ハナコ、見てくれ! すごいのが撮れたんだ!」
おれは興奮を抑えきれず、スマホの画面をハナコに見せた。そこには、選挙カーを踏み潰すあの巨神の姿がくっきりと映し出されている。
ハナコは驚愕の表情を浮かべ、スマホの画面に見入っていた。
「これ……あの怪獣の動画?」
「ああ、そうだ。まさにこの目で見た瞬間を逃さずに撮ったんだ」
「す、すごいね……でも、どうするの?」
どうするも何も。おれははっきり答えた。
「ネットにアップするに決まってるだろう? みんなにこの真実を知らせるんだ!」
そうと決まれば、おれはすぐにインターネットにアクセスし、写真をアップロードし始めた。アップロード先は大手動画サイトのニヤニヤ動画、そのタイトルとキャプションにはこう書いた。
「これが神の使者! 巨神の衝撃映像!!」「巨神が現れた!この瞬間を見逃すな、あなたも真実の目撃者に!」
……これは、チャンスだ。
今まで誰も見たことのない、謎と神秘に満ちた巨神。その姿をここまで克明に巨神の姿を捉えた動画をアップロードすれば、きっと皆おれに注目するだろう。
そして、おれの名前は知れ渡るだろう。何度も政治の不正を訴えてきたおれだけど、誰も耳を貸さなかった。でも、この巨神がおれの正しさを証明してくれる。これからはネットの中だけじゃない。現実の世界でも、おれの声が届くんだ。そうだ、これはおれの使命だ……っ!
「……ねえ、タロくん」
「あ、なんだ……?」
ぽつりと聞こえたハナコの呟き。聞き返そうとしておれはようやく気づいた。
ハナコの声が震えている。
「タロくん……なんか、おかしいよ……」
おれは、スマホの画面から顔を上げた。改めて向き直ったハナコの表情、今のおれを見つめるハナコの目線は、何だか恐ろしいものを見ているかのようだった。
真っ青に血の気の引いた顔で、ハナコはおれに告げた。
「人が、死にかけたんだよ……? どうして、そんなふうに喜んでいられるの……?」
「……っ!?」
愕然とした様子のハナコに、おれは一瞬返す言葉を失った。
……人の死で喜んでる、誰が? おれが?? いや、違う。いくらなんでもそんな悪党に成り下がったつもりはない。おれが、人の死で喜ぶような下劣極まりない人間のクズだなんて、そんなはずは。
おれは反論した。
「……いいかい、ハナコ。おまえには分からないかもしれないが、これは必要なことなんだ。腐敗した政治家たちが倒されることで、この国はより良くなるんだよ」
「違うよ、タロくん!」
すかさずハナコは言い返してきた。
「そんな、そんなの違うよ! いくら悪い政治家だからって、権力者だからって、怪獣に殺されなきゃいけない人なんていないよ! 怪獣に踏み潰してもらわなきゃ良くならない世の中なんて、わたし、欲しくない……!」
そんなハナコの言葉に、おれは苛立ちを覚えた。おまえはおれの幼馴染、味方だったじゃないか。なのに、なんで今は理解してくれないんだ。
おれは言った。
「いいかハナコ、おまえは現実を見ていないんだ。政治家たちの汚職や腐敗がどれだけこの国を蝕んできたか、分かっていないんだよ。これは変革の一部、そして変革はいつだって痛みを伴うものなんだ。だから……」
「だから怪獣に殺されても仕方ないって? そんなわけないよお!」
おれは毅然と答えたが、そんなおれを見つめながら、ハナコは声を挙げて泣き出した。
「タロくん、お願い、元の優しいタロくんに戻ってよおお……!!」
うわーん、うわーん、うわーん……!
子供みたいに泣きじゃくっているハナコを前にして、おれはもはや何も言うことが出来なかった。
ハナコと喧嘩別れしたあと、おれは家に帰ってコンピュータを起動した。
今日撮影した動画を、ニヤニヤ動画へアップロードしなければいけない。動画再生その他によるインターネット広告収入、そしてSNSでのインプレッションが、今のおれの生活の基盤だ。
作業開始から、数時間後。
「……よし、出来たぞ!」
今度の動画は一段と近くで撮ることが出来た。まさに最高傑作だ。きっと今度も大ヒット、再生回数1億回だってきっと夢じゃない! ……そんなふうに確信した。
けれど、いざ完成した動画をアップロードしようとした、まさにそのときのことだった。
「……あれ」
なぜだろう。どういうわけか、おれは一瞬、躊躇してしまった。
……いや、ちょっと待て。別におれ自身が悪いことをしているわけじゃない。世の中の悪い奴を踏み潰しているのは巨神であって、おれじゃない。むしろおれはその真実を皆に広めているだけ、むしろおれは善いことをしているはずじゃないか。
だけどどうして、こんなにも引っ掛かるんだろう。なぜだろう、このときおれは先程ハナコから言われた言葉を思い出していた。
「怪獣に殺されなきゃいけない人なんていないよ! 怪獣に踏み潰してもらわなきゃ良くならない世の中なんて、わたし、欲しくない……!」
「だから怪獣に殺されても仕方ないって? そんなわけないよお!」
「タロくん、お願い、元の優しいタロくんに戻ってよおお……!!」
子供みたいに泣き喚いていたハナコの姿が、おれにはどうしても忘れられなかった。けど、けれど、おれは……。
どうしたらいいかもわからずコンピュータの画面をぼんやり眺めていると、前回ニヤニヤ動画へアップロードした動画にコメントが投稿されてきた。再生回数はとっくのとうにミリオン突破、画面を埋め尽くすほどのコメントが弾幕のように流れてゆく。
「次はまさゆきッスね!」
「KATSUOをお願いします!」
「いいや、ここはリョウアズマっすよ!」
「タロさん、今度はライブ配信してください~!」
しかし、画面に流れる称賛の言葉は、ちっぽけな躊躇を吹き飛ばすほど魅力的に思えたんだ。おれは気を取り直し、気合いを込めるように声を挙げた。
「……よーし! みんな、次の標的はまさゆきだ!」
おれは叫びながら、投稿ボタンを押した。
配信活動を始めてから、一か月後。
轟音が鳴り響き、
「やった!ついに偉大なる巨神がANOSAPを倒した! これで世界は……」
しかし、おれの言葉は途中で途切れた。
かつて血走ったギョロ目を剥きながら、足元の世界を憎々しげに睨みつけていた巨神。今だって相も変わらず瞼もないグロテスクな形相だったけれど、今回はなんだか雰囲気が違っていた。
「どうしたんだ……?」
巨神はその小さな手を器用に使い、やけに人間臭い仕草でもって額の汗を拭った。
……なんだか、これまでの神秘的な雰囲気とは全く違う。それはまるで遠大なプロジェクトを成し遂げたかのような、「ふー、やりきった」と言わんばかりに満足げな、そして心から安らいだかのような表情のようで。
そんな巨神を見ながら、おれは本能的に直感した。巨神の“聖戦”はこれで一区切り。このまま帰したら、巨神はきっと二度と帰ってこないのだろう、と。
「お、おい、待ってくれ……」
もしも傍で誰かが聞いていたなら、あるいはおれが咄嗟にマイクをミュートにしていなかったら、呟くおれの声が震えていたことに気付いたろう。
おれは声を張り上げた。
「待て、待って、ねえ、待ってくれよ! まだまだこれからだろう!? ジエイタイも、アメリカも、テンノーも、すべてを操る金星人の
けれど巨神は、そんなおれの悲痛な懇願なんて気にも留めない。撮影しているスマホの画面の中で巨神の姿が徐々に小さくなっていく。
そして、ちゃぷん。大きな水しぶきと共に、巨神は海中へと姿を消した。平穏を取り戻した、静かな海。それを呆然と眺めながら、おれはぽつりと呟いた。
「戻ってきてくれ……」
一カ月後、おれのSNSアカウントへの反応は激減していた。
かつて一週間おきに出現していた巨神は、一向に姿を現さなくなった。おれの「予言」を待ち望む声も、おれの投稿に熱狂する声も、もはやどこにも見当たらなかった。
代わりに、街には活気が戻っていた。汚職政治家たちや悪徳議員たち、悪い権力者たちが全員いなくなり、新しいリーダーに変わったことで、より人々のためになる政策が次々と実行に移されるようになった。
ANOSAPもそうだ。非正規雇用制度を悪用して不当に利益をせしめていた大企業ANOSAPを筆頭に、労働者を搾取するような悪徳企業は巨神の破壊行為の影響で次々と倒産。彼らに代わってより良い労働環境を提供する新興企業が台頭し、世間の雇用状況も急速に改善されていった。
何から何まで、かねてからおれが主張していたとおりだった。あの怪獣、偉大なる巨神は、世の中から“悪”を一掃し世の中を綺麗にしてくれたのだ。
……しかし、おれの心には喜びはなかった。むしろ、世の中が良くなればなるほど、俺の焦りは増していくように思えた。
「みんな……おれのことを忘れちまったのか?」
そうなのだ。巨神が世の中を綺麗に掃除した結果、残ったのは『世の中どうなろうが、おれは何も変わらない』という現実だった。
「そんなはずは、しかし、いや、けど……」
おれはひとり呟きながら、部屋の中をぐるぐると歩き回った。かつておれを熱狂させたコンピューターの画面は、今や冷たく見下ろしているようだった。
おれはひとり自問自答を繰り返したが、しかし答えは見つからない。ハナコがいてくれたらと思ったが、ハナコとは最後に喧嘩別れして以来連絡を取っていなかった。今のおれには誰もいてくれない。巨神が現れる前と同じように、ただネットの中で不平不満を言うことしか出来ないのだ。
そんなある日、流れてきたニュースにおれは驚愕した。
「……“巨神”と呼ばれる怪獣の、長期的な影響に関する研究結果が発表されました」
マスコミを集めた学者たちによる、突然の発表。おれが食い入るように見つめる中、学者たちは驚くべき真実を発表したのだ。
「研究チームによると巨神は現在深い海の底で休眠状態に入ったとのことですが、その休眠期間はなんと数万年に及ぶ可能性があるとのことで……」
その瞬間、おれの目が見開かれた。数万年。その数字が、おれの頭の中でこだまする。
……巨神の裁きのおかげで世の中たしかに良くなった。悪人は裁かれ、不遇な人たちや努力が報われるようになった。まさにおれが夢見た世界のあるべき姿、清く正しい理想郷だ。
けれど、そこにおれの居場所はなかった。
おれはただネットに無責任な書き込みをし、動画を無断で撮影アップロードして、SNSへ投稿し続けていただけだ。たかがネットの呟きなんて世の中を大して悪くはしなかったかもしれないが、かといって良くもしなかったのだろう。だって、もしもおれの『聖戦』が世の中に少しでも影響を与えていたのなら、おれは今頃きっと報われているはずだから。
「そんな……おれの人生は……このまま……!?」
思わずおれは立ち上がり、窓へと駆け寄った。自宅から眺めた外の世界では、人々が明るい表情で行き交っている。彼らの幸せそうな様子が、俺の目には痛々しいほどに映った。
けれど、そんな幸せな世界を目の当たりにすればするほど、言葉にならない想いがおれの胸の中で渦巻いた。それらはふつふつと膨れ上がり、やがて絶望の叫びとなっておれの口から零れ落ちた。
「あの素晴しい聖戦をもう一度……っ!!」
けれど、おれの言葉は誰にも届かないまま、街の喧騒に吸い込まれて消えていった。窓の外では相変わらず人々が行き交っている。
かくして偉大なる巨神の聖戦によって創り上げられた