「それで、いつ結婚して下さるんですか?」
当然のように会話に擦り込まれた超巨大組織を完璧に手中におさめた今を煌めく導師イオン様の言葉に、ルークは飲んでいた紅茶を盛大に吹き出した。
そんなルークの様子に無邪気な笑みを見せて、イオンはティーカップを口に運ぶ。
「いつまでも焦らさないで下さい。嫌いになっちゃいますよ?」
わざと言葉を省いてクスクスと笑うイオンは何だかとっても怖く、それでもルークは平静を装おって切り返す。
「何だよ、そんなに俺のこと好きだったのか?」
「ルークのことは好きですが、それと同じくらいリグレットのことも好きですので」
うっと言葉を詰まらせたルークに、イオンは相変わらずの笑顔を返して、中身がほとんど溢れてしまったティーカップに、ポットから紅茶をついでやる。
「僕達もね、そろそろ限界なんです。ルークだって知っているでしょう?」
一転して今度は困ったような表情を浮かべて、イオンはルークを切実に見つめる。導師はとっても狡猾だった。
「いや、まあ……な。イオンが頑張ってくれてるのは知ってるけどよ……」
ルークはバツが悪そうに紅茶をすすり、一口で茶菓子を食べきった。
主席総長リグレットと、色々と面倒で重たい肩書きを持つルーク。
ぶっちゃけダアト名物に数えられる二人組だったりするのである。
その地位のため、二人とも各国の貴族の方々から熱い熱いプロポーズが絶えない毎日。政略結婚の申し込みの手紙で山が築けたとか、手紙の海で泳げるだとか、そんな噂も好きほうだい流れている。
「ルーク。貴方がさっさとリグレットに結婚を申し込めば、僕とシンクがわざわざ教団として相手にお断りの書状を送る手間と、ティアのリグレットが一生独り身になったらルークはどう責任とるつもりなの! という心労、アリエッタが火口に手紙を捨てたり譜術で消し飛ばしたりする手間が省けるんです」
「いやちょっと待て。アリエッタがって……え? ……消し飛ばす?」
――ルークとリグレット取ったら……ダメ……!!
そんな声とともに憤怒の表情で少女が手紙を焼き払う。わりと有名すぎるダアトの風景だが、しかしルークは初耳だったらしく顔を引きつらせていた。
「えっとですねえ、執務室でイチャつくのは止めて欲しいっす。まったく、独り身の辛さを考えて欲しいですよね」
棒読みで何やら書類を読み上げ始めたイオンに、ルークは不思議そうに首を傾げた。しかしイオンはお構い無しに棒読みを続ける。
「いやいやいやいや、別に怒ってはないですよ。ただね、もう少し場所ってものを考えて欲しいわけですよ。ぶっちゃけ港で膝枕でイチャつくとかありえねえですよね、はい」
港、のあたりでルークは露骨に顔を歪めた。恨めしそうにイオンを見やるが、当の本人はどこ吹く風と綺麗な笑顔で返す。
「とまあ、このような報告が多数寄せられています。誰と誰のことかは、言う必要はありませんよね」
「…………で? 何が言いたいんだよ」
額に手をあて辟易するルークを、イオンは徹底的に追い詰めて行く。
「では、なぜさっさとプロポーズしないのか説明をお願いします。好きではないだの愛してないだの、そのような言い訳は日頃の行いを百八十度改めてからですよ」
予想していた通りの返答に、ルークは大きくため息をついた。何でお茶しに来たのに尋問されなきゃならないんだ。
「ご希望なら、あと数十はあるルークとリグレットに関する民からのクレームとも笑い話ともつかない報告をお聞かせしますが」
しかし舌を巻いてしまうイオンの周到さからは逃れられず、渋々ながらルークは口を開いた。
「わかったわかった。白状するっつーの」
もう一度大きくため息をつき、ルークは面倒くさそうに語り出したのであった、まる。
*
「教官! 私と結婚しましょう!」
突然発せられた最近ちょっと危ない人認定されそうだったりする彼女の明日はどっちと噂高いティアさんの言葉に、リグレットはポットから注いでいる紅茶がカップから盛大に溢れているのにも気付かず唖然とした。
そんなリグレットの様子にはっと我に返り、ティアは慌てて口を塞ぐ。
「今のは違うんです! 嫌いにならないで下さい!」
決定的に間違えた言葉を用いて否定するティアはそれはもうとっても怖く、だからリグレットは本気でジリジリと後退する。
「……私のことを好いてくれているのは嬉しいが、それは少し……かなり無理があるぞ」
「ですから誤解なんです! 焦って本当に間違えたたげなんです」
む? と怪訝そうに目をしばたたかせたリグレットに、ティアはようやく安堵の息をついて、紅茶が溢れてしまったテーブルを、丁寧にハンカチで拭いていく。
「私が言いたかったのは、いい加減はっきりして下さいということです」
何のことだ、と返そうとしたリグレットだが、しかしティアの妙な迫力に呑まれて閉口してしまう。
「教官、何ですかその気の抜けた顔は! わかってるんですか!?」
正直わからないが、リグレットはコクコクと頷いてしまっていた。なんでお茶をしに来たのに怒られなければならないのだ。
「教官はわかっていません!!」
「…………正解なのだが、すごく理不尽だぞ」
ぶんぶんと首を横に降り、カップが揺れて中身が溢れるほどテーブルを強打するティアに、リグレットは額に手を当ててため息をつく。ティアは最近とんでもなく面倒くさかった。
「私はですね、最近心配で心配で夜も眠れないんです。おまけに仕事も手につかないし……これもあれも全部教官のせいですよ!」
「…………」
もうびっくりだった。
予想外にも程があるまさかの言葉に、リグレットは脳内で冷静に精神科医のリストを捲る。事態は一刻を争うかもしれない。
しかしそんなリグレットは、ティアのさらなるまさかの言葉に凍りついたのだった。
「まったく……教官もルークもいい歳していつまでバカップルやってるんですか。はやく結婚でもして少しは落ち着いて下さい」
「…………」
「知っていますか? 教官の執務室は昼休みは立ち入り禁止、二人が揃って夜勤の時なんて執務室の前の廊下も通行禁止なんて不文律までできてる程なんですよ。少しは……その……自重して下さい」
「……………………」
恥じらいでほんのりと顔を赤く染めたティアに、リグレットは完璧な停止でもって返した。
ちょっと待て。ティアは全面的に正しいではないか。医者に見せに行こうとしていた自分は一体何だ? 医者に見てもらうのは自分だ。むしろ入院しろ。
「ルーク……なるほど、ルークのことか……。なるほど……」
ようやく一番最初の結婚という単語に繋がり、リグレットは何かもう死にたかった。
「それで、教官」
こほんと咳払いをしたティアに、リグレットは虚ろな眼差しを向ける。穴を掘って埋まりたい気分だ。
「何でルークと結婚しないんですか? それで政略結婚とかの話も全部片付くと思うのですが」
「そ、それは……」
茫然自失の体で、打ちのめされたリグレットは口を開くのであった、まる。
*
晴れ晴れとした空と、ほどよく吹く心地よい風。お昼のティータイムも終わり、睡魔に瞬殺されそうな時間。
ダアトの歴史ある建築物、教団の本部で誰もが昼寝という魔性の魅力と激戦を繰り広げている中、二つの声が響き渡った。
「アカシックトーメントッッ!!」
「フォーチュン・アークッッ!!」
そして導師イオンの部屋と、主席総長リグレットの部屋が――怒声と爆音の二重奏とともに崩壊した。
導師イオンとティア・グランツの声の余韻が、教団中に反響する。壁や天井をぶち抜いて、結構距離のある音源である二部屋を繋げてしまった二人の声である。
実質半壊してしまった教団からは、何か物凄い光とか衝撃とかエフェクトの名残がにじみ出ていて――それはもう魔界のようだった。
教団に務める明らかに職場を選び間違えた可哀想な人たちの累累たる屍(暫定)。その上には破壊の衝撃で舞い上がった書類が降り積もっていく。
と、そんな塵と埃が充満する惨劇の中で、平然と動く二つの影。
導師イオンとティア・グランツだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……僕としたことが、少し取り乱してしまいました」
「…………私もつい、カッとなってしまって」
――ちょっと待ててめえら全然全くこれっぽっちも少しとかついじゃねえだろ!!
ピクリと僅かに動いて、それっきり動かなくなった屍(断定?)の山。最後の音にならない叫びは、確かに世界に響いた。
肩で息をしながら、飢えた獣さながらの雰囲気を醸し出す導師様とティアさんはギラギラと瞳を妖しくさ迷わせる。
破壊の跡を隅から隅まで余すところなく見渡すその様は、もうただただ恐かった。
「奇遇ですね、ティア。どうやらリグレットの方も、ルークと似通った言葉を吐いたということらしいですね。ですがあの二人のことです。まだ死んではいないでしょう」
「ええ。絶対にどこかに隠れているはずです。今回ばかりは流石に私も我慢できません」
死んでたら駄目だとか、隠れるというか埋まってるとか、誰も訂正できない状況。
「そこですっ!!」
「そこっ!!」
殺戮兵器導師イオンが投げた杖が倒れた柱をを粉砕し、破壊音波兵器ティアのナイフがその残骸を貫き粉々にしていく。
「ちょっ! やべ、バレたぞ! どうするリグレット!!」
「知るか! あんな人間離れしたのを相手にできるか!!」
横になった柱が綺麗さっぱりなくなって、その向こうでは朱色と金色が必死の形相で杖とナイフをそれぞれの武器で防いでいた。
「ちっ、よかった二人とも、無傷でしたか。生きていてくれて本当に残念です」
「外してしまって申し訳ありません教官。ルークもごめんなさい、一思いに殺ってあげられなくて」
満面の笑みで、ゆっくりと獲物に近づいて行くイオンとティア。哀れな獲物であるルークとリグレットは手を強く握り合いガタガタと震えていた。
「え? いま舌打ち……え? 残念……?」
「外して申し訳ない……一思いに殺る…………?」
「ちょっとやべえよリグレット。お前ティアさんに何してしまいやがったんだよ、ティアさんじゃなくてもうあれ鬼だぞ」
「お前こそ導師様に何をしたんだ、世界が今度こそ滅びそうだぞ。お前のせいで魔王が降臨してしまったんだぞ」
「ふうん……私が鬼、ね」
「ふふふ……僕が魔王、ですか」
壮絶なドス黒い笑みを浮かべて真正面に迫るティアとイオン。一歩踏み出す度に、奇怪なことに床がひび割れていく。
そしてついにルークとリグレットは、恐怖のあまり互いに抱きしめあった。
「お二人とも随分と仲がよろしいですね。犬に食われて欲しいですよ」
「教官、私はぜひともそのふぬけた状態でさっきの言葉がもう一度聞きたいです」
「それはいいですね。ルーク、僕ももう一度聞きたいです。馬に蹴らせて地獄に落とすのはその後からでも遅くありませんし」
笑みは笑みでも目は一寸たりとも笑っていない。回収した杖で手の平を叩くイオン様に、新たに出したナイフを手の中で遊ばせるティアさん。二人とももう準備万端。
どうやらあと少しで人生が終わるらしいと悟ったルークとリグレットは、それでも運命に逆らおうと光明を血眼になって探す。
「リリリグレット、お前心優しいティア様に何言ったんだ。ティア様の逆鱗に触れるどころかゴリゴリ削ってんぞ」
「わ、私は……いやそれよりお前こそ何を言った。天使も顔負けのイオン様がお怒りになっておられるのだぞ」
情報を集めつつも必死にご機嫌取り。生き残るため死力を尽す朱色と金色だった。
「いや、俺は存在してるだけで世界を救えてしまうイオン様に……その、ちょっと尋問されて……」
「わ、私だって、今や存在してるだけで世界に安らぎをもたらすまでになったかつての教え子に……少し、問い詰められて……」
存在してるだけで世界を滅ぼせそうな暗黒魔王イオンと、存在してるだけで世界に恐怖を刻みこめそうな残虐非道魔女ティアを過剰に意識しつつ弁明した二人だが、顔を居心地悪そうに背けて語尾が消えてしまい、弁明は結局最後までは続かなかった。
「さあどうぞ、ルーク。先ほどの言葉を」
「さあどうぞ、教官。言って楽になって下さい」
杖をひたひたとルークの顔に当てるイオン。ナイフの腹でリグレットの顔をなでるティア。
なんだかもう別人にしか見えないかつての教え子のあまりの仕打に、リグレットは悲しみと恐怖、そして惨めな自分への憤りが混じった表情を冷徹な仮面の下に隠せなくなっていた。
そんなリグレットの様子を、命の危機にさらされているはずのルークはどこか楽しそうに見る。
「なんかいいな、その顔。……うん、そそられぐほぁっ!」
ふざけたこと吐かし始めたルークの顔面に、正義の味方導師イオンは杖をめり込ませていた。
「本当にさっきの言葉を吐いたのと同一人物とは思えませんね。普段の行いは……まあ、百歩譲ってよしとしますが、怒られてる最中に堂々とセクハラじみたことを言うのは感心できませんよ?」
「ば、ばい、ばがっでばず、ずいばぜん、ずいまぜんでじた……」
本気で折れかけた鼻を目に涙を浮かべて押さえるルークは、ボタボタと手から溢れる鼻血を気にする余裕もなく平謝りする。
うわぁ……マジギレだ…………。
ぼちぼち意識を取り戻してはきたものの、正直かなり引いてる教団の職員達は火の粉が飛んでこないように相変わらず死んだふりを続ける。
――ふっ、熊なんて可愛いもんだぜ。今度会ったら頭撫でてやる。
導師と熊を比較して、みなは熊を嘲笑った。
「ル、ルーク大丈夫か……? 鼻折れてるんじゃないのか? 見せてみろ、今治してやるからな」
恐怖でクールな仮面を粉微塵に砕かれてしまっているリグレットは、あたふたと地を出し心の底からルークの容態を心配そうに診察し、治癒術をかけはじめる。いそいそとルークを介抱している彼女からは何時もの冷徹なイメージはまるで感じられなかった。
「うぅ……ありがとな、リグレット」
「あ、しゃべっては駄目だ、傷がまだ塞がってないんだから。ああ、また血が……。大丈夫か? 痛くないか?」
何時ものようにきつく吊り上がった目ではなく、心配そうに緩んだ目でルークの鼻に手をかざしているリグレット。ルークは幸せそうに心地よさそうにリグレットの治療を受けていた。
「ふふふふ。これではまるで私達が悪者みたいですね、イオン様」
「ええ。みなさんが騙されかけています。これは由々しき事態ですね、まさか逃げる先に二人の世界を選ぶとは……。ねえみなさん? 騙されてはいけませんよ?」
にっこりと笑って振り返るイオン様に、死んだフリでやり過ごそうとしていた職員達は文字通り跳ね起き最敬礼をとった。
「その通りであります我等がイオン様っ!! ハイル・イオン! ハイル・イオン! ハイル・イオン!!」
教団に属する者の団結力と忠誠心は素晴らしいと評判だ。その評判に寸分違わず、彼らは完璧な統率を見せた。
「さて、これで僕達の正義は証明されました。みなで悪を打ち滅ぼしましょう」
「…………サ、サー、イエッサーッ!!」
――ま、巻き込まれた!?
心の中で絶叫しつつも、やはり彼らは反射的に最敬礼をとる。導師イオン様の人望はすごかった。
「さあルーク、もう茶番は十分でしょう。さっさと今この瞬間この場でリグレットにプロポーズをして下さい。僕のお願い、聞いてくれますか?」
「教官もさっさと現実に戻ってきて下さい。お願いします、教官」
どこの世界に友人を、教官を、脅迫する人間がいるのか。これはまごうことなきお願いなのだ。
イオン様とティア様の笑顔は、そう脅迫していた。
「え……? イオン本気なのか? ちょ、ちょっと待ってくれ、無理無理無理無理無理。プロポーズなんて無理だ……は、恥ずかしすぎる……無理無理無理無理無理、無理なんだっでええっ!!」
見事なヘタレっぷりを発揮したルークの横っ面を、イオンは杖でぶん殴っていた。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!! 恥ずかしい? 恥ずかしいっ!? やはり先ほどの言葉は僕の聞き間違えではなかったようですね。普段から見ている方が恥ずかしくなる生活をしている貴方が――恥ずかしい!? …………ふふ……ふふふ……――――ルーク、おふざけが過ぎますよ?」
けたたましく笑うイオンに、その場に居合わせた人間はひく――どころか激しく同意していた。
――そりゃああの朱馬鹿が悪い!!
「プ、プロポーズ……無理だ、恥ずかしい……待ってくれ、まだ心の準備ができて……無理だ無理だ無理だ……ああ、でもまた前みたいに逃げ出したらルークを傷つけてしまう……」
一人顔を赤らめ苦悩にくれるリグレットに、ティアはくらりと倒れそうになった。そしてティアの顔が上がる。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!! 恥ずかしい? 恥ずかしいっ!? やはりさっきの言葉は私の聞き間違えではなかったんですね。普段から見ている方が恥ずかしくなる生活をしている教官が――恥ずかしい!? …………ふふ……ふふふ……――――教官、おふざけが過ぎますよ?」
けたたましく笑うティアに、その場に居合わせた人間は深く深く同意した。
――プロポーズ中に逃げ出すって……。
「だ、だって仕方ねえじゃん……俺はプロポーズって言葉自体にトラウマがあるんだよっ! なに雪山の時の俺!? もう恥ずかしすぎるじゃん!! あの台詞やべえよ忘れたくても忘れられねえ!!」
「汚点なんだ、私の汚点なんだプロポーズは、雪山は……。私は、私は七歳だったこの男に泣かされたんだぞ!! なんだあの時の私は!? ラルゴがいなかったら多分とんでもないこと口走っていたぞ!!」
――……意味わかんねえよ。
必死の形相で訴える二人に、みなは本気でため息を吐いた。家族トークされても困る。
「ではプロポーズなんてどうでもいいです。ついでに式とかも必要ないですね、恥ずかしがり屋の貴方達には。ですからさっさと婚姻届だけ提出して下さい」
「だ、ダメに決まってんだろうが、そういうことはちゃんとしねえと!」
イオンが普通に懐から取り出した婚姻届を、ルークはひったくって引き裂いた。
「では教官、こちらの書類にサインをお願いします。これで教官はマルクトの貴族の仲間入りです」
「ふざけんなティア!! てめぇ喧嘩売ってんのかコラァッ!? リグレットは俺のだぞ!!」
…………。
一瞬の沈黙、そして導師がリグレットににっこりと笑った。
「彼はああ言っていますが、どう思いますか?」
「あ、はい……嬉しいです」
導師の迫力に押されてついつい言ってしまったリグレットは、慌ててルークの顔を見る。
ルークは笑っていた。芯から凍りつくような笑い方だった。
「わかったよ、ああ……よーくわかったよ……そうかそうか……つまり、あれだな? 今までのは、そういうことだったんだろ? この世界の貴族連中は――俺からリグレットを取り上げようとしてんだろ? そんでお前らも――その仲間なわけだ。はは……ははははっ……ふはははははははっ!! わかったわかったわかった――――俺からリグレットを奪うんなら、お前等全員ぶっ潰してやるっ!! リグレットは俺の嫁だああああああああああああああああああっ!!」
あれ? なんでだろう? 全員が思った。今の流れは――勢いに任せて吐かれたプロポーズととっても問題ない言葉に、嬉しいと返答があった今の流れは、もうこの面倒な事件の終りを意味しているはずだ。
なのに、なのに何故この男はマジギレして恥ずかし危ないこと言っちゃってんだ――!!
「くっ……まずいですね、本気でキレたルークが相手では分が悪い……」
導師イオンの最大の武器は、その冷静にして冷徹な頭脳だ。みなが言うような、圧倒的な暴力では断じてない。その頭脳が告げている、今こそ彼女の出番ではないか。
「――ティアッ!!」
「わかりました!」
一瞬の視線の交差で全てを理解したティアは、目の前にいたリグレットをそのままルークに向かって突き飛ばした。
「教官、今世界の命運は教官に託されました。そこの恥ずかし男の口でも塞いでやって下さい、今すぐに」
「は……? ちょ、ちょっと待て、ティア……」
もう余りの急展開についていけないリグレットは、ルークにもたれかかりながらとりあえずティアに抗議する。
「な……!?」
しかし振り返ったリグレットは、黒い黒い笑みを浮かべるイオンとティアを見てしまった。マジで恐いのだ、笑顔が。
「ルーク」
黒い笑顔のまま、イオンは落ち着き払ってルークに言う。
「なんだよ、今さら許して下さいってか?」
「そうではありませんよ。ただ、今ここで貴方が彼女にプロポーズをしてこれにサインをして下されば、誰も貴方を邪魔することはできなくなると、そう言いたいだけです」
導師イオンは知っていた。今のルークはもう壊れ気味だ。この欲望に忠実すぎる男が彼にとっては極上の餌を目の前につらされ、今の状態で恥ずかしいなんて言うはずがない。
――これで、書類地獄から解放される。ついでに友人がやっと結婚する。
「よし、ほんとだな。わかった」
案の定、ルークは簡単に首を縦にふった。同時にリグレットは恐怖した。
逃走不可能な今の状況、もしや導師イオンとティアは最初からこうする予定だったのか――!!
――天晴れではないか。
最初から自分はこの二人の掌の上だったというわけか。素晴らしい、素晴らしい計画だ。こちらの感情と性格を完璧に把握した上での、豪快な作戦。
――完敗だ。
ルークにくるりと身体の向きを変えられて、向かい合う形で両肩を捕まれているリグレットは半分現実逃避をしていた。
なんだこの状況。羞恥プレイなのかこれは。もしや笑うところなのか。
半分残った理性も、ちょっと現実逃避気味だった。
「――リグレット」
「ッ!!」
ひどく真剣なルークの声に、リグレットの身体はビクリと跳ねる。先ほどまでのふざけきった尋常じゃない場の空気も一気におさまり、皆が穏やかな瞳で二人を見守る。
「一緒に幸せになろう。今からも色々と苦労はあるだろうけど、俺は絶対にお前を幸せにする。勢いで言ってるんじゃないから、これは俺の本心だから。みんなが見てる今だからこそ、ふさわしいと思ったんだ」
ルークに先ほどまでの怒りは感じられず、どこまでも彼は真剣だった。
静まりかえる教団に、魔物の鳴き声が響き渡る。遥か上空を飛ぶフレスベルグから何かが飛び降りる。
それは桃色の少女を腕に抱えた緑色の少年だった。
「ふぅ、間に合ったみたいだね。知らせてくれた魔物に感謝だよ」
「ギリギリ、です……」
大きく一つ息をついて、シンクとアリエッタは同居人を見守る。
ルークは二人の姿を確認して、再びリグレットに向き直った。
「これで役者は揃ったわけだ」
目を細めて微笑んだ後、ルークは懐から小さな箱を取り出して蓋を開く。そしてそれを、リグレットに差し出した。
「実はさ、前にお前に逃げられた時からずっと持ってたんだ」
照れ臭そうに言って、ルークは息を飲んだリグレットに静かに、しかしはっきりと告げた。
「今俺は、ここにいるみんなの前で誓います。俺は――ルークは、絶対にあなたを幸せにします。だから俺と結婚してくれ――ジゼル」
卑怯ではないか。何で急にこんなことになるんだ。導師もティアも怒っていたのではないのか。なぜシンクもアリエッタも汗だくになってまで駆けつけ、その上優しく微笑んでいるんだ。
――それより何より、世界を壊そうとしていた自分が、目の前の男に罪を負わせた自分が、幸せになっていいのか。こんなに沢山の人間に祝福されていいのか。
言い訳に言い訳を重ね、溢れ出る喜びの感情を殺そうとするのに、どうしても殺しきれない。
根本の部分に刻まれた大切な人を失う恐怖心を、もう捨てたはずの名前を呼ぶ目の前の男が消し去ってしまう。
それが堪らなく恐ろしいのに、まだ曖昧な関係を結婚という確かな形にしてしまうのが、引き返せないところまで行ってしまうのが恐くて仕方ないのに、だから前にも彼から逃げ出したのに、それなのに本心には逆らえなかった。
気付いた時にはリグレットは――ジゼル・オスローは、瞳から涙を溢しながら頷いていた。
「――――はい」
ルークは涙を流しながら微笑む彼女の指に、小さな箱の中身を――綺麗な白金の指輪を通して、優しく微笑む。
「愛してるぞ、リグレット」
「私もだ……私も、愛しているわ」
強く優しく抱き締め合う二人に、その場にいた全員が拍手を送る。
アリエッタが横に控えていたライガから大きな籠を受け取り、シンクが小さく詠唱を唱える。
アリエッタが天井が抜けた先に――晴れ晴れとした大空に籠を投げる。そしてシンクが同時に風の譜術を発動させた。
吹き上がる風に、籠の中身が巻き込まれ空高く舞い上がる。
空から抱き合う二人を祝福する――色とりどり花の雪が舞い堕ちてきた。
その幻想的な光景を、その中の二人の男女を、盛大な拍手と祝福の言葉が飾る。
「ふぅ……いい所を持っていかれちゃいましたね、イオン様」
「まあ、仕方ありませんよ。それにまだ結婚式があります、本番はそれですし」
――ある晴れた日。平和な昼下がり。ちょっとした騒ぎに駆け付けたダアトの民の中でのお話。
花降る日溜まりの中で、人々に祝福されて幸せ一杯に微笑む二人。
まるで絵画のような光景を、導師イオンとティア・グランツは、それはそれは綺麗な笑みを浮かべて見ていた。
Fin.
これでラストです
TOA〜突き進め、我が道を!〜永遠に