法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
マベラを守りたかった。
妹のことは、もちろん大切だ。嘘じゃない。
けれど、本当に守りたかった人はマベラ。花札から外れ自分だけで女神に歯向かったのも、マベラに生きてもらう為に。
そのマベラを失い、何も残らない。
レフカースの一番大事なもの。
マベラもまた同じだった。
レフカースを守る為に命を懸けて。
マベラの全霊の一撃でも女神を倒すには至らなかった。
「マベラ……」
何のために。
どうして。
しょせん人は神の前では踏み潰されるだけの存在でしかないのか。
己の無力を知り、血のにじむ指先で地面を掻いて。
駆けつけてきたクロロテッサが女神に願う。
彼女もまた自身の存在意義を失ったもの。
それでも、そのクロロテッサに手を重ね慈しむアハラマ。
二人がスカーアの影に飲み込まれた。
アハラマとクロロテッサが女神の器になる。
最後に残されるレフカースは独りぼっち。
それもほんの少しのこと。すぐにマベラの後を追うことになる。
なら、もう、それでいい。
「……」
二人を飲み込んだ影が小さなつむじ風のように回り、その中から現れた。
美しい黒蝶の羽を一振り、影の粒を散らして降り立つ。
女神スカーア。
前回と違う。
あの時はカンナとクヌーイを楕円に繋いで、黒鏡のような形を作っていた。
姿を写し取ったと言っていた。今はもう必要ないのだろう。
「……」
もういい。そう思っているはずなのに。
目は女神の一挙手一投足を追い、頭は考えている。
なぜそうなのか。何か理由があるのか。理由があるのなら付け入る隙にならないか。
レフカースの心が考えるのを止めない。
――レフカは、死なない。
マベラの言葉。
レフカースに生きてほしいとマベラは願っていた。
マベラの願いを、こんな女神に踏みにじられたくない。
忌々しい赤い瞳で、奪った肉でこさえた自分の体を確かめるように左右、見渡している。
「……」
悔しい。
悔しい。
信じていたのに。
里を愛し、里の者を幸せに導いてくれるのだと信じていたのに。
ただ自分の都合で利用していただけ。
妹の悲劇も空っぽの肉を作るための計画。
マベラの命を奪い、アハラマもクロロテッサも食い物にされて。
このまま何もできずに死ぬのが悔しい。
「別に、いい」
大切な仲間の体を奪っておきながら面白くもなさそうに言う。
何がいいと言うのだ。
何もいいことなどない。何も。
「女神……スカーア」
「あぁ……」
クロロテッサとアハラマから遅れて集まってくる女たち。
リードゥたちや、他の里の者たちも。
女神の姿を目にして、その場に次々に膝を着いていく。
誰が器になったのかは察しただろう。里の未来はこれで定まったと認めて頭を下げた。
「なんと、お美しい……」
「お
求めていた者もいる。
鬼巫も花札も頼りにならない。里を守る女神を慶んで迎える者たち。
「どうか……」
「女神よ、どうかご慈悲を……」
願うリードゥの地面を向いたままの頭が震えていた。
恐怖か、怒りか、やるせなさか。
リードゥはクロロテッサを助けたかっただろう。庇いたかっただろう。彼女の立場と性格が許さなかったけれど。
傷つき、それでも守女の長としてすべきことをする。
「女神スカーア」
頭を下げぬ者が一人。
震えるリードゥを尻目に堂々と進み出て、一番前で小さく会釈をしてみせた。
「里の女をどうぞお許し下さい」
フローシュ。
わずか数日のうちに見違えるほど成長した。
見つけたのだろう。命を
「
「言祝ぐ?」
「皆で謡いましょう。女神スカーアの愛の成就を」
「そう」
しゃあしゃあと、スカーアの目的を祝って恭しく一礼。
女神スカーアの空虚な愛の執着を肯定するように歌ってみせた。
「どうぞ女神スカーア、里の女に許しと御慈悲を下さいませ」
「別に、いい」
フローシュの態度をどう思ったのかはわからない。
ふうっと周囲を見回して、崩れたままのレフカースも一瞥しただけで、そのまま目を閉じた。
「別に、いいわ」
もう、どうでもいい。
マベラを失い、仲間も失った。
妹の心も取り戻せないだろう。敗北し折れたレフカースには、もう何も。
願わくばこの女神が愛など得ぬように。
真実の愛になど決して届かず、ただ
そうして、レフカースは死のう。
敵に捕らわれた時以外には断固として禁じられている自死をもって。
女神の寝所に、命で呪いの染みを残そう。せめてもの……
「外の人間が思ったほど死んでいないよう。片付けておき――」
「そうはさせない」
反対側から。
ひれ伏す女たちとは逆から、声が刺さった。
「よくやってくれた、レフカース。あれは……マベラか」
「……ファニア」
ほんの少しは期待していた。
レフカースが限界まで削れば、ファニアが女神に一矢報いることも可能かもしれないと。
しかし、実際に顕現してみればわかる。力の差が。
前回の途方もつかない存在感とは違うから、近づいてみてより実感できる。
イドラ・ディドラーでもとても及びもつかない。一矢報いるなどとてもできないのだと。
「ファニア姉様」
フローシュが呼びかけ、微笑みかける。
待っていたというように。
「……」
すうっと見つめ返して唇を結んだ。
ファニアの手には、なぜだか枯れ枝のように朽ちかけた刀が一本。
「ファニア・イア・イオルテ」
静かに。
胸の奥が苦しくなるような声音。
レフカースの口からだったのか、違ったのか。
「誓いに殉じ」
ファニアが握っていた枯れ枝を構える。
強い意志と力を籠めて。
「戦わせてもらう」
ぎんっ!
鈴を鳴らすような音と共に枯れ枝は砕け、その内側から星のない夜空のごとき漆黒の刃が現れた。
◆ ◇ ◆
空から降ってきた宝物の中にあった。
どこか見覚えのある宝刀。抜いてみたら錆びていたけれど。
どこで見たのだったろう。
何か武器をくれと言った時に見せてくれた。
達人が持てば海でも斬れるけれど、素人だと枯れ枝同然のナマクラ。
そんな説明を聞いた。
初めての日に。
星斬り。
かつてもっとも輝いていた神の指を切り落とした宝刀。
見る人によっては忌まわしい呪具だったろう。
世界の穴に放り捨てられた。
拾って、使い物にならないゴミだと思ったはず。
なぜだか腰に差して持っていたものを、山小屋にそのまま置いていった。
愛する人が置いていった宝刀らしきもの。
捨て森でも、ただの棒きれのような道具を振り回していたのを知っている女が見れば、つい手にしたとしても不思議はない。
星斬り。
実際に星を斬った誰かは、そんなものをすっかり忘れていたけれど。
◆ ◇ ◆
ただ一人の孫娘。
里の女は子を産むことを好まれる。
けれど、花札として務め、その後は守女としての役を仰せつかった。
合間に一人だけ子をもうけ、その子の娘は樹木の魔法に優れた才能を見せた。
次代の鬼巫の生まれが遅く、危ぶまれていた頃に生まれた子。
その後生まれた鬼巫のお守り役として指導した。
孫娘だからと言って特別扱いはしない。
その気持ちが強すぎたか、逆に必要以上に厳しく接したのかもしれない。
負い目、後悔。
孫娘は決して他人を頼らず、心を打ち明けることはなくなった。
いつか詫びたい。
偏り頑なになってしまった孫を、いつかどこかでやわらげてやらなければ。
思えば我が子にもそうだった。
自分に残る時が少なくなってから気づき、それはいつも遅い。
大人になるほど、過去の言動を編み直すのは難しくなる。ほつれ、からみ、がんじがらめ。
孫娘が正しいと信じて行ったことは間違いだった。
今しかないのだと。正してやれるのはこの時しかない。
この子が他の命を尊べないのは、自分の教え方が悪かったから。
何事もただ真っ直ぐな正解の道があるのではない。
許しは必要だ。
少しくらいずれても、許す心のゆとりが大事だった。
自分と異なるものでも受け入れ、認められる心の幅を持たせてやらなければ。
ただ一人の孫娘。
遠くなく死ぬ自分にとって、未来に続く一本の糸のように思える。
今さらどうやって伝えればいいのだろう。
わからない。
わからないまま。
◆ ◇ ◆