法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて 作:大洲やとこ
「レーマルジアを迎えるの。もう誰も邪魔できない」
ファニアが伝説の宝刀を手にしていてもスカーアは意に介さない。
ふぁさりと羽を広げた。
この場には用などない。生き残っている人間を片付け、レーマルジアを迎えるのだと。
「ノクサもいるのよ」
「ノクサリージュ、お前こそ。何もできない小さなもの」
「殺していった方がいいんじゃない?」
飛び立とうとするスカーアに、挑発の半笑いを投げかける。
ファニアに顔を向けないスカーアだが、羽ばたきは止まった。
「ああ、できないかな? できないでしょ」
「……」
「せっかくノクサの姿を盗んだんだもの。レーマに見せたくておめかししたんだもんね」
ファニアにはわからないが、ノクサリージュから写し取った姿だからノクサリージュを殺してしまうと消えてしまうのかもしれない。
殺せないと見て挑発するノクサリージュも、決して善なる女神というわけでもなさそうだ。
むろん、空を飛んで逃げられないよう気を引いてくれているのだろうが。
「そんなに取り繕ってもレーマに好いてもらう自信ないのかしら?」
「私は好かないわ」
「ほんと失礼なやつ。じゃあなんだって手間かけて盗んだのよ」
「……」
人間の言葉には関心を示さないスカーアだが、ノクサリージュに対しては違う。
無視してどこかに去ってしまわれるのが一番困る。
ノクサリージュが一緒に来てくれて助かった。
「お前と張り合う必要はないわ、ノクサリージュ。お前はもう負けたの」
「はいはい、それで? 男に負けるのが怖いから逃げるの? 人間の男から」
「意味がわからない」
「男のいない世界を作らなきゃレーマに選ばれないって言うんでしょ。情けないじゃない、あんた」
きゃははっと笑い声をあげて。
注意を引いてくれるのは助かるが心配にもなる。
やり過ぎて無差別に大暴れをされては困る。ファニアと戦ってほしいだけなのだが。
「そりゃあそうよね。顔形を真似したって中身はあんたなんだから」
「レーマルジアは……」
「隠れて嫌なものを隠して回るんだったら昔と変わんないわね」
「昔とは違う。私は生まれ変わった」
彼女たちの過去の関係は知らない。
なんにしろ、昔と同じではないというのはスカーアにとって譲れない点だったらしい。
飛び立とうとしていた姿勢を解き、軽く髪を払った。
「だったら堂々としてれば」
「そうしたら連れてきたそれが私を殺せると?」
「さあ? その時はノクサが慰めてあげる」
「死んでも嫌ね」
言いながらも、スカーアはファニアのことなど一瞥もしない。
とりあえず立ち向かう場は整えてもらった。
あらためて息を整え、スカーアを見据える。
「……」
アユミチはすごい男だ。
彼が女神に立ち向かう姿を見ていなければ、心が挫け膝を屈していただろう。
姿形はノクサリージュと同じだが、伝わってくる雰囲気を表現するなら凶悪な蛇。その身の内には巨熊でも綿のように引き裂く、その何百倍の力を感じる。
触れてはいけない。
気まぐれにでもこちらを向けば、その先は確実な死。
死をまとう黒蝶。
これを前にしては誰でも身がすくみ、心は砕け散る。
「直に向き合ってみてわかるものだな」
「平気?」
「問題ない。ないこともないが、気にしないことにする」
ノクサリージュの問いかけで心を静める。独りじゃないのはありがたい。
一度、見た。
アユミチがこの女神に向かって拳を放つのを見た。
届くはずがない。けれど彼ならやれるのか。
いや、やはり届かなかった。女神の方はアユミチのことなどそよ風程も気にしていない。
ファニアの目には、アユミチの拳は女神に届く前に止まったように見えた。
神に人の手は届かない。
けれど、女神の魂を震わせた。
見向きもしていなかった女神の魂をアユミチの拳が揺らして、肉体から叩きだした。
驚いたのだろう。
不思議と思ったから、人間を殺すために作った魔獣を呼んだ。
アユミチは女神を畏れさせたのだ。
同じことは、ファニアにはできない。
しかし女神相手でも何もできないわけではない。
それを知ったから、相対しても立っていられる。
アユミチはいなくても、いないのなら、伴侶たる自分が。
そしてもうひとつ。退けない理由。
「……アハラマ様」
状況から察する。
マベラが倒れレフカースが崩れ落ちていて、里の女たちが集まるここでアハラマの気配をどこにも感じない。
器となったのはアハラマか。
「ええ、ファニア姉様」
ファニアに関心を示さないスカーアに代わって頷くフローシュは、微笑みを湛えて、
「刃をお納めください」
「……」
「御前です。刃をお納めください、ファニア姉様」
女神の代弁者のように促す。
大した胆力だ。リードゥでも立ち上がれない状況で。
少女ゆえの怖いもの知らず。
自分の命より尊い何かを持つ少女は、こんな風に振る舞えるのかもしれない。
「少なくとも、君に命じられる理由はない」
「里の者は女神スカーアの御心に従い、女神スカーアの御加護を授かります。里の意思は定まりました」
「私は里の者ではない」
「いいえ」
フローシュの小さな手がファニアの胸を指す。
「ご自覚があるのでは? だから戻られた。あなたはもう里の女です、ファニア姉様」
「……」
「刃を下げてください。あなたの振る舞いで、里の皆を死なせますか?」
ファニアが女神の怒りを買えば、里の者にも及ぶかもしれない。
だから逆らうな、と。
「そうでなくとも、女神の御身は鬼巫様とひとつに。鬼巫様に刃を立てるおつもりですか?」
よく考えたものだ。
しがらみを捨て、周囲のものを踏み台にして、手を伸ばす。
ファニアに。
「そうか……」
カヨウも言っていた。
アユミチに手を伸ばす為に悪いことをいっぱいしたと。
そうしなければ届かない。
それでアユミチを困らせたのだと。
「……そう、か」
好意だ。
自分に向けられる好意が、自分が大切にしたかったものを壊してしまう。
「アユミチといい、こっちも厄介な好かれ方するわね」
「……ありがとう、フローシュ」
アユミチの気持ちがわかった。
きっと彼も似たようなものを味わったはず。
カヨウには、その過ちを正してくれる人がいたけれど。
「いえ? はい、ファニア姉様」
礼を言われたフローシュは、脈絡のないファニアの言葉に戸惑いをみせる。
それはそう、今の流れならファニアはフローシュに疑念や憤りの言葉を返すべきところ。
昨夜のカヨウとの触れ合いがなければそうしていた。
肌の触れ合いは互いを理解するのにもっともいいと、それはフローシュが言っていたのだったか。確かに正しいと知るのも皮肉だ。
「私はお前の姉ではない。お前の姉にはなれない」
「なります。いえ、もう契ったでしょう」
「……」
空気が揺れる。
年若いフローシュの口から、艶やかに湿った声色が漏れて。
「忘れたなんて言わないで下さい、ファニア姉様」
「やっちゃったの?」
「いや……違う。やってない」
必死に弁明したい話でもない。
強引に、湯殿で肌を重ねてきたのはフローシュの方だが。
嘘ではない事実を色事のように皆に聞かせる。
リードゥたちもレフカースもわずかに視線をファニアに向けた。
まるで関心を示さなかった女神がちらりとフローシュを見た。
色事のために世界を作り替えた女神なのだ。女神の目線が揺れたから、他の皆の目線も迷った。
「ファニア姉様の熱も、心音も。フローシュはしっかり覚えています」
「ずるい物言いをする」
「ファニア姉様が刃を下ろして下さらないからです」
「下ろす理由にならない」
「ファニア姉様は里の女です。この身が存じております」
胸を手で押さえてみせて、頬を緩めて首を傾ける。
愛し慕う相手に見せる顔。物腰、声色。
「……やっちゃってないのよね?」
「ノクサリージュ様」
「ごめんってば」
ノクサリージュでさえ少女の色香に惑わされる。
怖い子だ。
人を惑わす妖のよう。
「……アハラマ様は、自ら器になるようなご様子ではなかったはずだ」
噛みしめる。
最後に言葉を交わしたのは前回のスカーア復活の時。
牢に囚われた元主を見るのが忍びなく、会えなかった。
「そうです……」
立ち上がったレフカースが苦し気に答える。
体も心も限界を超えている。気力だけで立ち、手を握りしめ。
「クロロテッサと共に……」
クロロテッサは心を壊していた。
彼女を救う手はファニアにはなかった。彼女を責めないことくらいしか。
アハラマに二者択一を迫らない為に許したけれど、結果としてアハラマはファニアの言葉を選んだ形になる。
力を失い崩れ落ちたクロロテッサに、ファニアは何も言えなかった。
「そうか」
胸が痛む。
結局、ファニアがクロロテッサを追い詰め、クロロテッサは器になることを選んだ。
アハラマが、ここでまたクロロテッサを見捨てることなどできなかっただろう。
口惜しい。
誰が器になればよかったというわけではないが、やはり胸が締め付けられる。
「……それも、君か。フローシュ」
自分のせいだとは思う。
けれど、都合よくあの二人を女神の贄にできたものかと。
「はい、ファニア姉様」
「姉などと呼ぶな」
人を惑わす妖。
まさにそう。
理解を得てうっとりと嬉しそうに微笑みを浮かべて。
「あなたの為に」
「お前は――」
「スカーアはあなたを殺しません。殺せない」
断言する。
先ほどから鋭い刃を女神に向けているが、女神からは何もない。
「鬼巫様……アハラマ様は意志のあるまま器となりました。その形が残っている限り」
「……」
「レフカース様を姉と呼んでいました。前回は」
レフカースが息を飲む。
「後にして、と。そう言われていました。いつも先を行く姉を後回しにしたいみたいに」
「……それで」
「器に残った意志が影響を与える。心のすり切れた器を選ぶ理由です」
「……」
「アハラマ様は里を守り、あなたを殺さない。フローシュは里の為に……あなたの為に導きました」
ちらりと、横に浮かぶノクサリージュに目線を送る。
「……染みついた想いはなかなか消えないわ。たぶん」
「別にいい。私にはなんでもないこと」
ノクサリージュが肯定し、スカーアは否定しない。
前回は、外の世界を滅ぼしてほしいという想いに染まった少女たちを器にした。
今回は、希望を失い心を喪失したクロロテッサと、それに寄り添ったアハラマを。
アハラマは意志を失っていなかった。
フローシュが選んだ道は、フローシュの都合だったとしても、里にとって最良の選択だったかもしれない。
「わかった」
女神に向けてかまえていた刃を下ろした。
いつスカーアの気が変わって襲ってくるかと警戒もあったが、その心配はないのだろう。
「ありがとうございます、ファニア姉様」
「あぁ、わかったよ」
伝説の武器を手にして、それでもなんと無力なことか。
己の無力を知る。
口惜しい。
こんな少女にいいようにされて、かつて忠を誓った主をみすみす生贄にさせた。
ファニアへの執着が、フローシュにこんなことを。
「君は、敵だ」
ぶすりと、肌を破る。
ぐじゃっとした
ぞぎ、と、骨を擦る抵抗を受けながら、貫いた。
「……君が、敵だ。フローシュ」
今までも少なくない人間を斬ってきた。
もっと切れ味の悪い武姫で、強く両手で握り締めて叩きつけたことだって数えきれない。
伝説に謡われるほどの鋭い刃で、柔らかく小さな肉体をすんなりと貫いたのに。
「君は、私の妹ではない。フローシュ」
これより悪い手ごたえはない。
こみ上げる苦い思いを飲みこみ、フローシュの体を抱きながらその命を絶った。
◆ ◇ ◆
そんな顔をしないで。
その顔をもっと見せて。
こうすることでしか、私は姉様を救えなかった。
他の誰がどうなったっていい。
ただ、あなたを死なせたくなかっただけ。
「ふぁに、あ……ねえさ……ま……」
愛した人。
私が見つけた美しい華。
その花弁を涙で濡らして、私を抱いて。
「……フローシュ、君は……」
「わたしの……ねえ、さま……」
わかっている。
あなたは私の華じゃない。
鬼巫様か、そうでなければ他の誰か。
それでも欲しいと思ってしまった。諦められなかった。
あなたの心の一番奥に、私の居場所を。
「あなたを、慕う女を、ころした、こと……あります、か……」
「……ない。あるはずが……」
「あぁ……ああ、ねえさま……」
嬉しい。
嬉しくて、体が熱くなる。
姉様が貫くフローシュの体の奥が、とっても熱く。
「ふろーしゅ、だけ……だけ、です……」
「……」
「フローシュは、ねえさまの……奥に、ささって……」
一番奥に、ずっと。
永遠に。
抜けない。もう分かたれることはない。
「ずっと、わすれない……ファニアねえさ、ま……」
「……君の、勝ち逃げだ。フローシュ……」
「は、い……ず、っと……」
「……」
フローシュの熱が伝わっていく。
愛しい人に移って、残らず、全部。
これが、フローシュとファニア姉様の永遠――
◆ ◇ ◆