法失き世界、人の道は険しくとも 【旧題】チャリオットに轢かれて   作:大洲やとこ

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7-92.エピローグⅢ 再起動のタスク【完】

 

 視界を光が埋め尽くした。

 

 ――死ぬ。

 

 目の前いっぱいに迫る光。

 脳まで白く染めて、全身が凍てつくよう。

 

 ――これが、死か。

 

 前から知っていたような気さえする。

 最初から知っていた。

 生まれた時からずっと傍にあり、片時もそれが離れたことなどない。

 自分にも、他の誰にも、常に寄り添う影のように静かに、確かにそこに――

 

 死が通り抜けた。

 

 迫る車輪の回転が妙にゆっくりと。

 神経と筋肉を鷲掴みにして、無遠慮にぎゅっと。

 

「――っっ!?」

 

 ………………

 ………………

 

 アユミチの横を、小指ほどの隙間で、車体が通り抜けていった。

 

 

 ――ケントロっ!?

 

 悲鳴が貫いた。

 

 路側帯とブロック塀の間を切り裂くような悲鳴が。

 女性の悲鳴を受けて、腕の中の小さな肉の塊がびくっと震えた。

 

「おかあ、さ……」

「ああっ! ああ、もうあんたは!」

 

 路側帯をはみ出して猛スピードで抜けていった車は、もう遠くにしか見えない。

 通り過ぎた。

 すぐ傍にあった死の影が、指の隙間を通り抜けるように。

 

「ほんとうに……ああ、けんたろう……」

 

 奪い取られた。

 腕の中から温かい、柔らかなものを。

 

「あ……」

 

 掴んでいた子供を強く、けれど荒々しさは感じない。優しさ、慈しみの力で奪い取られた。

 

 猛烈な速度で走り去った車。その轍(わだち)がアスファルトを焦がすように熱を残していった。

 ぶつかる軌道に駆け出そうとしていた幼い少年を咄嗟に掴み、引き寄せた。

 車と接触する寸前、すんでのところで難を逃れた少年に駆け寄り抱きしめている女性。母親。

 

 

「けんとろ……」

「勝手にふらふらしないで! ああ……すみません、ありがとうございます。本当に……」

「あ……いや」

「この子ったら、本当に……けんたろう、あんたも謝りなさい!」

「ごめ……ごめんなさい……」

 

 変な聞き間違いをした。けんたろう君、か。

 母親から離れて車に轢かれそうになった少年に、まだ手が残っていた。

 既に保護者である母親が抱き寄せているのに、その腕にまだアユミチの手が――

 

「……」

「あの……?」

「あ……あ、いや、すみません……驚いちゃって……たぶん」

 

 アユミチも怖かったのだろう。体が硬直してそのままになってしまっていた。

 小さな少年を一度は掴んだ。助けるために伸ばした手を放して、あらためて二人を見て首を振った。

 

 

「けんたろくんが悪いんじゃないですよ。あの車が」

「すみません、本当にああ、もう……」

「ありがと、兄ちゃん」

 

 天気が良く測量業務が思ったより早く終わり、たまたま早上がりの帰り道だった。

 咄嗟に手が伸びた。自分でも驚くくらい素早く、よどみなく。

 恰好よかっただろうか。

 そうでもないか。実際今はびびっているのが丸わかりなくらい顔が引きつっている。泣きそう。

 

 

「何かお礼を……」

「いえ、いいんです」

 

 大したことをしたわけじゃない。ただ手を引っ張っただけ。

 逆に、少年に気づかなかったらアユミチが轢かれていたかもしれない。

 お互い様だ。

 

「けんたろくん」

「うん」

「危ないからお母さんと手をつないで帰れよ。離さないように」

「わかった」

「ありがとうございました」

 

 アユミチに向かって何度も頭を下げる母親と、わかっているのかいないのか、にへっと笑う少年。

 片手を繋いで、反対の手を大きく振って。

 

 

「ありがとう、アユミチ(・・・・)兄ちゃん!」

「あぁ」

 

 軽く手を振り返して、母子に背を向けてあらためて家路につく。

 ……ん、名乗ったっけか?

 胸に名札付けっぱなしだった。これのせいか。

 

 

「ねえお母さん、明日コータくんちに遊びにいっていい? ソメちゃんもくるって」

「あんたねぇ、死んじゃうとこだったのよ。わかってるの?」

 

 遠くなっていく母子の会話。どこにでもあるような、なんでもないやり取り。

 なんでだか、今さらになって涙が一粒零れた。

 自分も死にそうになってよほど怖かったらしい。かっこ悪いのがまあ自分らしい。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 帰って、自宅の敷地に足を踏み入れるのを少しためらう。

 なんの変哲もない、生まれ育った地方都市の実家。

 やっと帰ってこれた、なんて妙な感慨を抱いて。

 

 専門学校を経て地元の測量会社に入り、それなりに現場経験も積んだ。

 公務員だった亡父の勧めだった。測量コンサルは食いっぱぐれないとか。

 特別、やりたいことがあるわけでもなく、規則通りにやればいい業務にさほど苦労は感じていない。

 

 それが少しばかり様子が変わった。

 なんでも東欧の方のカルスト地形調査のための技術目的で、うちの会社が外国の資産家に買収されたらしい。

 地籍測量は指定業種で外資に制限があるはずなんだけど。

 来週からは、そっちの資産家――貴族に連なる旧家らしいそちらから、御令嬢が新しい取締役として来るらしい。ボディガード付きで。

 面倒なことにならなければいいんだけど、と。

 

 急な環境の変化への不安。

 そのせいで、見慣れたはずの実家にも変な印象を感じたのかもしれない。

 久しぶりに帰ってきたな、と。

 そんなはずはないのだが。

 さっき車に轢かれそうになったショックがまだ残っているのか。

 カッコよかったか、ヒーローっぽくないか俺、いやそうでもないか、などと頭の中を堂々巡りしていたけれど。

 

 

「ただいま」

 

 どうもテンションがおかしいのか、玄関を開けながら思ったより大きな声が出てしまった。

 やはりヒーロー気取りなのかもしれない。

 

「お帰りなさい、アユミチくん」

「うぁっ?」

 

 柔らかなものが飛びこんできた。

 アユミチの胸に、遠慮なく。

 一瞬、何かいやなものを思い出した気がしてぞわりとして、そのまま尻から地面に落ちる。

 

「なっ、ん?」

「お姉ちゃんですよ、あゆくんのお姉ちゃんです」

「は?」

 

 なんだ、なんだ?

 何が起きたのかよくわからない。

 小さな、小柄な女の子がアユミチに抱き着いて名乗る。お姉ちゃんだと。

 

 

「アユミチくんが困ってるでしょう、佳夜(かよ)」

「そんなことないです。そんなことないですよね、あゆくん?」

「は……いや、え……なに……?」

 

 可愛い……と綺麗の両面を感じる美少女に触れていていいのか。犯罪じゃないのか。

 戸惑っていたら、奥からもう一人、見知らぬ美女が出てきた。

 絶世の、と言ってもよさそうな美女。

 知らない……いや、なんだ。知らないわけじゃない、どこかで見た覚えが……あるような?

 

「アユミチ、言っておいたでしょう。親戚の明日葉(あすは)さんと佳夜ちゃんが来るって」

「え……え?」

 

 奥から顔を出した母が呆れたように言う。

 

「難病でずっとコールドスリープしていたけど、完治の目途が立ったって。明日葉さんのマンションはもうないから、うちで預かるって話したじゃない」

「ごめんなさいね、アユミチくん。驚かせちゃって」

「お姉ちゃんを忘れたんですか、あゆくん?」

「あ……あ、ええと……」

 

 なんだっけ、そんな話してたっけ。

 それこそアユミチの脳内が凍っていたようで、解凍しながら答えを探す。

 母の従姉妹の明日葉さん。ああ、そうだ。昔はなんか舞台女優だったとか。

 かなり小さい頃に会ったことがある。一人娘の佳夜お姉ちゃんも、いたような気がする。

 そうそう、二人とも難病の罹患がわかって、治療法がなかなか見つからなくて冷凍睡眠を選んだとか。それからはあまり話題にも上らず、忘れかけていた。

 

「佳夜、お姉ちゃん……? いや、ちいさくてわか――」

「コールドスリープで小さいままだけど気にしてるかもしれないから言うなって言ったでしょうが! このバカ!」

「あ……ごめん……なさい……」

 

 背丈、体格はとても小さい。

 おぼろげなアユミチの記憶では、自分より少し大きなお姉さんだった。ような気がする。

 母に容赦なく叱られて、もしかしたらコンプレックスに感じていたかもしれないと後悔した。

 

「小さい、ですけど」

 

 ぷぅっと唇を、可愛らしい唇を尖らせてから、ふっと緩(ゆる)めて、

 

「私の方がお姉ちゃんですからね、あゆくん」

「あ……うん……うん、わかった」

「なんて呼ぶんですか?」

「うん……佳夜お姉ちゃん……?」

「そうです」

 

 少女の心の傷を抉って訴えられる、ということはなさそうだ。

 

「私はお姉ちゃんですから。あゆくんのこと、なんでも許してあげますよ」

「ありがとう……?」

「はい」

 

 とりあえず満足してくれたようで、一度離れてくれた。

 玄関でどたばたするのもなんだ。

 というか、アユミチの凡庸な頭が状況についていけない。落ち着きたい。

 いきなり美少女と同棲なんて、今時漫画でも見ない展開じゃないか。甘くて苦いママレードか。

 

 

「いったん荷物とか片付けるから、また後で」

「ごめんなさいね、アユミチくん。ちゃんと埋め合わせはするから、ね」

「ママはいいから! 近づかないの!」

 

 靴を脱ごうと屈んだアユミチの耳元に囁く明日葉と、それを押しのける佳夜。

 健全な男子にはやや刺激的ないい匂い。

 明日葉の夫はその難病で亡くなっていたんだったか。美しい未亡人。よくない、よすぎてよくない。

 

「とにかく後で、また」

「換気で窓開けていたから、あんたの部屋も――」

「わかったよ」

「あゆくん」

 

 二階に上がろうと廊下を進むアユミチの背中へ、静かな呼びかけ。

 

「おかえりなさい」

「……ただいま」

 

 なぜだか涙がこみ上げそうになり、鼻の奥をぎゅっと力ませて急ぎ足で階段を上った。

 ああ、自分はこの子に会いたかったのだと思い出して、抱きしめてしまいたいほど愛おしくて。

 湧き上がる気持ちの正体がわからず、慌てて自分の部屋に駆け込んだ。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 危ない。

 男の子を掴んで離さなかったり、小さな女の子を抱きしめそうになったり。

 どうも自分がおかしい。情緒が不安定だ。

 

「……なんなんだか」

 

 なんとなくいつものルーチンを取り戻そうとパソコンの電源を入れる。

 いつものルーチン……のはずだが、なんだかずいぶん久しぶりの気がする。

 

「窓開けっぱなしじゃん……」

 

 明日葉と佳夜が来るから空気を入れ替えたのはわかる。

 窓を閉めてバッグを置いて、見慣れたはずのPCの画面を――見覚えのない画面が出てきた。

 

『回帰テスト実行。タスクの再構成を実行中…………』

「なんだこれ」

 

 明らかに通常の起動画面とは違う。

 パソコン内部で深刻な問題が発生した場合の緊急措置のような何か。

 

『完了したタスク:1/1Kentro』

『確認中のタスク0/35』『0/38』『0/47』

 

 一瞬だけ完了した何かが表示され、その後は未完了の何かの分母が増えていく一方。

 何が起きているのかわからない。

 留守にしている間に何か……といっても、一日程度で何があったわけもないはずだが。

 

「故障……停電でもあったのか?」

 

 再起動チェック中の画面が流れていくのを見つつ、戸を開けて下に呼びかけた。

 

「母さん、俺のPCなんかした?」

「さあ、知らない。何かってなに?」

 

 換気の時に何かしたのかと考えるが、それも違う気がする。

 

「ええと、雷とか……?」

「今日はいい天気だったけど……そうそう、大きなちょうちょがあんたの部屋に逃げ込んだのよ。まだいた?」

「いや? そんなの……」

 

 室内を観察したわけではない。けれど言うほど大きな蝶々ならわかりそうなもの。

 

「黒アゲハなんていないと思うけど」

「そう? あれ、母さん黒アゲハなんて言った?」

「自分で言ったじゃん……まあいいや」

 

 一階と二階で言い合っていても解決しそうにない。

 母のあずかり知るところではなく、どうやらアユミチが解決しなければならない問題のように思う。

 あれこれ片付けたと思ったのに……いや、今日の業務は大した量ではなかった。

 なんだろう、何を色々片付けたんだったか。

 

 

「何がなんだか……画面、なんか進んだ?」

 

 画面の表示が変わっている。

 なぜかアユミチの目を引く、しっかりと見なければいけない気持ちにさせる。

 

『深刻な危機を回避する為、あなたがすべきタスクが再構築されました。実行中1/67』

 

 脅し文句のような文字が浮かぶ画面。

 その画面の前を、美しい黒い蝶がぱたぱたと通り過ぎた。

 

 

 ~ 完 ~

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

「よく成し遂げましたね」

 

 その笑顔を見て理解する。

 予定通り。

 計画通りだったのだろうと。

 

「誰も管理していない世界がそこにある。余っている。けれど、半端な管理者権限が残っていてアクセスできない状態でした」

 

 記憶容量はそこにあるけれど、パーテーションで区切られていて自由に使えない。

 そんな状態だったのだと思う。

 

「幽(かす)かに残るレーマ・ルジアを介して鍵を解除できないかと思っていました。うまく運んで何よりです」

 

 どれほど昔から試みていたのかはわからない。

 魂の交換を通じて、あちらの世界の管理権限を得られないかと画策していたのだろう。

 レーマ・ルジアからの申し出は渡りに船。

 

「別に、あちらをどうこうしようとは思っていません。ただ、こちらが何かの手違いで潰れてしまった時のために。適度な箱庭があるのは悪くありません」

 

 避難場所とか予備として押さえておけるのなら、と。

 神には神の都合があるのだろう。

 手放しに善意だとかそんなものでなくて安心した。

 

「あなたの働きへの報酬として。あなたがあちらで願ったのと同じように」

 

 何を、願ったんだったか。

 色々ありすぎてわからない。

 

「あなたは、死んではいなかった。それだけのことです」

 

 あいつは、死んでいなかった。

 生きて、あの世界で、自分の子を抱くことができたんだろう。

 よかった。

 それだけで、無駄じゃなかったと思える。

 

「では、また生の道を進みなさい」

 

 背を向ける。

 もうここに来ることはないだろう。生きている限り。

 

「ところで」

 

 背中に遠ざかる声が、最後に何かを問う。

 

「心残りは果たせましたか、ランプシー」

 

 ……

 女神に轢かれて死んでいなかった俺には、答えようのない問いかけを。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 





/////////////////

最後までお付き合いいただいた方々へ。
ありがとうございました。
終わりまで書くことができたのは皆様のおかげです。
心より感謝を。

/////////////////
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