この物語はフィクションであり、特定の性的指向やジェンダーに関連するテーマやメッセージを意図したものではありません。
この作品に登場する人物は「ぼっち・ざ・ろっく!」および「真夏の夜の淫夢」、その関連作品に登場するキャラクターをモデルにしています。
後藤ひとりは歩いていた。
いつものピンクジャージに身を包み、相も変わらず床屋すら怖くて切ることのできない髪を揺らし、もはや背負っていないと不安すら感じるギターケースを背に、下北沢の片隅を歩いていた。
理由は、今は重要ではない。
陽キャを避け、光から離れ、菌糸が好みそうな暗くてジメジメとした押し入れを住処とする後藤ひとりではあるが、引きこもりではないので外を出歩くこともある。たまには、あるのだ。
例えば、久方ぶりに押し入れで何時間もギターをかき鳴らしたから体を伸ばしたかったとか、ギターの弦のストックが無くなったから買いに来たのだとか、あるいはバンドメンバーの姦しい少女に引きずり出されたはいいものの、見事にはぐれてしまってひとりぼっちになってしまったとかでもいい。
もしかしたら新曲の歌詞がまったく書けず、インスピレーションを求めて普段は触れない直射日光を浴びようと思い立ったのかもしれない。
とにもかくにも、『ぼっち』というあだ名なんだか蔑称なんだかよくわからない呼び方をされる少女は、その名のごとくひとり
「か、帰りたい……」
そして、動機はともあれひとりの体力は限界であった。
じめっとした蒸し暑い夏の日でも、からっと乾燥した冬の日でもいい。
そのどちらにあっても、お日様の下を歩くことは相応に体力を消耗する。ギターをかき鳴らして多少は体力が増えようが、根本的に後藤ひとりという生物は運動不足の儚い存在なのだから。
「なんでこんなところに来ちゃったんだろう……疲れた、帰りたい……」
ふらふらと覚束ない足元は見るからに正常ではなかったが、道行く人々はただ遠巻きに眺めているだけだ。
これはなにも都会の人々が情のない冷たい人々だということだけでもなく、まるで季節感のないピンクジャージの女が、しかもとんでもなく悪い顔色の下に死にそうな目を浮かべているものだから近付かないようにしているだけなのだ。
かくして誕生した放浪ぼっちは、いつものように俯き加減で、いつもよりも不安定な足取りで、歩く。
ひとりの頭の中では考えることがいっぱいだ。
次の曲の歌詞を書き上げないといけないし、それが終わればさらに次の曲の歌詞も書かされるかもしれない。ボーカルをやらされるかもしれないし、学校だってまだまだ続く。あっあっテスト、テストが後藤ひとりを待ち構えているぞ。ギターでどうにか出来ないものか、ほら喜多ちゃんだって最近テストの点数が下がっているらしいから二人で協力して打倒定期考査、いやでも高校中退ならともかくデモなんてやっちゃう人間を世間様が受け入れてくれるのか、もし失敗したらその先に待ち構えているのは後藤ひとり48歳配偶者なし子供なし生活能力なしギターのみの生活が……
「うぉぉぉぉ……! 忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ……!!」
そうしてとうとう独り言だけに留まらずヘドバンまで始めたピンクの不審者に対して周囲の人間が通報の準備を始める中、前を見ずに歩いていたひとりは眼前に迫る壁に気付かなかった。
ドン!
「ファッ!?」
「ふべっ!!」
ヘッドバンギングの勢いもそのままに歩いていたひとりは、轢かれたカエルみたいな情けない声を出しながら跳ね返され、そして尻もちをつく。
お尻に強かに衝撃を感じてからようやっと、ひとりは自分が誰かの背中に衝突したことを悟ったのだ。
「痛すぎィ!」
白いシャツの男が振り返る。
尻もちをついて座り込むが故に殊更大きく見える体格は、筋肉質でよく鍛えられているように見えた。よく日に焼けた浅黒い肌はその体つきと合わせて健康的で、筋肉どころか日に焼けることさえないひとりとは正反対だ。
そして、こちらを振り返る彼の、その目!
まるで喜多のような光をいっぱいに湛えた、そしてそれなのに野獣のように鋭い確固とした流し目!
刹那、思考が駆け巡る。
いろいろあってシモキタの街を歩いていた後藤ひとり達(一名)。疲れからか、いかにも体育会系の男性に追突してしまう。
『おいゴルァ! 免許持ってんのかコラ!』
「やべぇよやべぇよ……ひっ、が、学生証ならあります!」
『ちっ、あくしろよ……』
「ひっ、ひーっ!」
ギターをかばいすべての責任を負ったひとりに対し、いかにも陽キャな男性が言い渡した示談の条件とは……
『犬の真似するんだよ。ヨツンヴァインになるんだよ!』
「ワンっ!」
たまにSTARRYで店長の犬になっているひとりは飼い犬のジミヘンに倣って四つん這いになり、許しを乞うのであった……
「おっ大丈夫ですか〜?」
「わ、わんっ!」
「ファッ!? うーん、これもうわかんねぇな……」
不思議そうな顔で首を捻る男性の姿を認識して、ここでようやくひとりの意識が現実の下北沢へと帰還する。
妄想の中ではひとりが怒涛の一転攻勢を見せていたのだが、ここでは相変わらず尻もちをつく後藤ひとり(加害者)と、こちらを見下ろす男性(被害者)の図である。
「あっ、えと、そのっ、あっ、えっと、すみませんっ!!!」
そのままシームレスに土下座に移行。
コンクリートに頭を打ちつけんばかりの謝罪に、さしもの対面の男性も面食らった様子。
「大丈夫だからもう立ちなって。ほらほらほら」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「暴れんなよ暴れんなよ……」
ひとりが立ち上がり、そして男性が特に怪我をしたわけでもないし怒っているわけでもないということを理解するまでに、およそ十分ほどの時間を要した。
「えっと、その、すみませんでした……」
「大丈夫ッスよ〜。じゃけん前見て歩きましょうね」
「はっ、はい! 気をつけます……」
朗らかに笑う男性は、ひとりが最初に抱いたウェイ系陽キャのイメージとは少し違うように感じる。
少なくとも陽の者であることは確かなのだが、しかしどちらかというと虹夏のような親しみやすさがある。まともに年上の男と会話したことが無いにも関わらず、ひとりとの会話がある程度成立していることが何よりの証左だった。
「ギターは傷付いた? 傷付いてない?」
「は、はい。お尻で着地したので……」
「傷があったら弁償するから連絡して、どうぞ」
「そ、そんな! ぶつかったのは私だし……」
ひとりと会話が続いた理由としてもうひとつ、彼もまたひとりと同様にギターケースを所持していたことがある。
恐らくはバンドマンなのだろう。朗らかな雰囲気はかつて虹夏だか誰かが言っていたクズバンドマンのイメージにはまったく当てはまらないが、ともかくひとりのギターケースに気付いてすぐさま内容物を案じた気遣いはひとりをして「優しい人なのだ」という認識を刷り込むことに成功していた。
男性はひとりのギターばかりを案じているが、もし彼がギターケースを背負っていて、そしてそこにヘドバンぼっちが着弾し、更には彼のギターが壊れていたらと考えると、思わず顔面が崩壊しそうになる。その場合はひとりのギターを担保に許しを乞うしかないだろう。
そしてまたもや妄想の世界に浸って顔面を崩壊させるひとりを見て、男性は再びファッ!? っと甲高い声で驚いてみせた。きっと癖なのだろう。
「……それで、その、お詫びを」
「ウーン……ならココアでも奢ってくださいよ」
「わっわかりました!」
それはそれとして迷惑をかけたのは事実。
乏しい対人スキルをフル活用して何かしらの詫びをしようと思いついたひとりは、某山田に頻繁にたかられることもあって食事でも奢って許してもらおうと考えていたのだが……それを見透かしたのか、彼は左手で自動販売機を指さした。
さしものひとりとて、彼の「この程度でお詫びされるほどでもないけど断ったらこの娘が気にしちゃうからね、しょうがないね」という優しさを理解することが出来たが、今はその好意に甘えることにした。不思議と、彼の人あたりの良さはこういったところから来ているのだと思った。
「買ってきました! あ、アイスティーしか無かったんですけど……大丈夫ですか?」
「ん、おかのした。ありがとナス!」
そのまま、なんとなく近くにあったベンチに腰かける。
ひとりがコーラのプルタブに苦戦しているうちに、彼はあっという間にアイスティーをジュルジュルと飲み干してしまった。
はてさて、一度落ち着いてしまうと困るのが後藤ひとりという生き物である。
なんせ筋金入りのぼっちで陰キャだから、会話が一区切りついたあとの沈黙でどうすればいいのか分からない。
何か喋るべき? でも、何を? 私なんかが会話のデッキを持ってるはずもないし、でも黙ったままは失礼だと思われるかもしれないし、かと言って変な話を持ち出したら呆れられるかもしれないし……
ぐるぐるぐる、ひとりの目が三周ほど回転して、それから意を決して口を開く。
「あっ、あの!!」
「WOW!」
しまった、声量を間違えた!
されど後悔先に立たず、後藤ひとりはもう止まれない。
「後藤ひとり、16歳です! 学生です!」
「!」
一瞬だけ驚いた様子を見せた彼は、しかし即座に口を開く!
「16歳? じゃあ高校生?」
「秀華高校に通ってます……」
「秀華? あっ……ふ〜ん……じゃあギター、っていうのは?」
「やりますねぇ!」
「やるんだ」
多少の奇行なら動じない彼のおかげで、ひとりの自尊心は無事に守られた。
会話の最中になんだかんだ名前とか身長体重とかそういう個人情報をペラペラと話してしまったような気がするし、彼の名前が田所といい、近所の大学生であり、仲間とバンドをやっているという話を聞いたような気がする。
気がする、というのは、ひとりが会話に集中しすぎてそれ以外のことにあまり気が回らなかったためだ。
そうやってしばらく話していると、田所の懐からデデドンと音が鳴る。携帯の着信だ。
それと同時に、ひとりの懐でも携帯が鳴る。つい最近まで家族と公式アカウント以外から連絡が来ることのなかったひとりのスマホには、しかし今はたくさんの人の連絡先が追加されている。
画面を見ると、そこにはひとりを夢の世界へと連れ出してくれた大天使、虹夏の名前が。画面に踊るのは、バイトの三文字。
「あ"っ"!?」
忘れていた! 今日はバイトだ!
田所との話に夢中になって時計を見ていなかったけど、もうこんな時間!
早く行かないと店長さんに怒られる! そうしたら私の数少ない信用度も底をついて、STARRYをクビに……そのまま結束バンドもクビ……ところてんの営業に逆戻り……
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!!」
奇声をあげるひとりをよそに、田所も誰かと通話中。
「ファッ、MURはんが行方不明!? ……うーん、仕方ないね」
奇しくも、ひとりが妄想の世界から帰ってくるのと田所が電話を終えるのは同時であった。
「
「あっはい。田所さんも気をつけて……」
お互いに用事があるようだ。切りもいいし、この辺にしておこう。
お互いがそう思ったかどうかは定かではないが、なんとなくそのまま解散の空気になる。
こわーい店長の姿が浮かんで仕方のないひとりは、慌ただしくギターを背負って去ろうとした。
「あっそうだ」
──ところを、田所の唐突な一言がその場に止める。
「まずうちさぁ、ライブハウス……あんだけど」
いつの間に取り出したのやら、その手にはチケット。
対面の男のギターの腕前も知らず、ましてや彼のバンド名すら知らない──つまりは彼らが極めて下手くそなあほくさバンドかもしれない可能性はあったが、guitarhero、音楽の鬼たる後藤ひとりにとって「受け取らない」という選択肢は存在しない。
「聴いてかない?」
『野獣』と呼ばれる男は、人懐っこい笑みで嘯いた。
「こっ、これが、その時に貰ったチケットです」
よく考えたらお金払ってないな、と思った。
ひとりは田所にバンドの人数までは話した記憶がないが、なぜか都合よく4枚だけ渡された。
STARRY換算で6,000円、高校生にとってはバカに出来ない金額だ。大学生ってそんなにお金に余裕があるものなんだろうか。
チケットには、下北沢某所と、時間についての記載だけがある。シンプルなものだ。唯一描かれているのは、英語で……
「いんむ・ご・ろっく?」
「聞いたことないね〜」
STARRYにて、いつもの4人、机を囲んで。
事のあらましを説明したひとりは、彼女が見知らぬ男性と短いながらも交流を得た事実に驚く喜多と虹夏の感想もほどほどに、あれよあれよと渡されたチケットを眺めていた。
「調べてみたんですけど、ライブハウスじゃなくてバンド名みたいですね。ひとりちゃんの言う田所さんのバンドかしら?」
「どれどれ……うーん、なんだこりゃ? 伏せ字とか隠語ばっかりだし、評価もよく分からないなぁ」
今更ながら、とひとりは思う。
迂闊にチケットなんて受け取って良かったんだろうか?
受け取って、でも行きませーんというのは、きっと失礼なことだろう。
かと言って、ひとりは見知らぬライブハウスに行くということへの抵抗はまだまだ大きかった。なんせSTARRYはともかくFOLTだってまだ怖いのだ。
前回は某酔っ払いがいたからいいものの、今回は恐らく知り合いもいない未開の地。
ぐぬぬ……いや待て、このチケットはこっちの用事も聞かずに押し付けられたものだから、外せない都合があるといえば行かなくても許される……?
「ぼ、ぼぼぼぼぼぼっち!」
「ひゃい!?」
極めてマイナス方向に突っ走るひとりの思考は、突然大声を出したリョウによってかき消された。
山田史上最高ではないかと思わされるほどの声量に驚く。そして、リョウの様子が何やらおかしいことに気がついた。
「これは凄いものだよ、拠点もメンバーも不明瞭でどれだけ探しても見つからない『インム』のライブチケット! おまけにその田所って人、たぶん『野獣』先輩だよ!同じ下北沢を活動拠点にしていながらなかなか情報にありつけなかったけど、まさかぼっちが運んできてくれるなんて! これを売りに出せばあっという間にとんでもない額になるし、いやでも私が見たいのはヤマヤマなんだけど、4枚あるから1枚ぐらい売ってもバレへんか……」
「あの、え、えっ!?」
何やらかつてないほどにキラキラ輝く瞳とだらしない笑みを浮かべる¥な瞳が混在している。
音楽の話になるとやたらと早口になるリョウだが、今日の様子はいつにも増しておかしい。
「いや、でもせっかくだから4人で……でもきっとプレミアがつくし、1枚転売して、1枚使って、1枚は観賞用に保管して……ぼっちが持ってきてくれたからぼっちだけ連れていこうかよしそうしよう」
「様子のおかしいリョウ先輩もステキ!」
「はいそこ落ち着いてー」
虹夏のツッコミもキレッキレだ。
普段のドラム捌きを存分に生かしたスナップは、見事に山田リョウの頭を沈めてみせた。ついでに喜多も。
それから、聴取を始める。
「──えーっと」
度々暴走するリョウを都度シバキ倒して手に入れた情報が、これだ。
「これは恐らく『インム・ゴ・ロック』ってバンドのライブチケットで、そのバンドは拠点の情報をメンバーの情報も曖昧で、いつライブをするのか、何を演奏しているのかも分からない都市伝説みたいなバンドで……業界では密かな伝説ぅ?」
「業界って、どこの業界なんでしょうね?」
「そもそも田所さんって人、大学生って言ってなかったけ?」
「は、はい。24歳の大学生だって言ってました」
「あっ(察し)」
「ふーん……」
もしかして、喜多ちゃんも虹夏ちゃんも「コイツ騙されてるな……」とか思ってないだろうか。
確かにひとりは詐欺に引っかかりやすそうという自他ともに認める特徴があるが、あの時出会った田所はとても嘘をつくような人間には見えなかったというのに。24歳で大学生だというのも、留年してたり、大学院生だったり、通信大学に通っていたり、留年していたりするだけかもしれないのに。
「でも、リョウ先輩がここまで興奮するのは珍しいですね。きくりさんの時もここまではならなかったと思うんですけど」
「私もこうなるのは久しぶりに見たかな」
「わ、私は初めて見ました」
あの、実態はともかく一応はクールで動じないベーシストというイメージを保ち続ける山田リョウを狂わせるライブチケット。
ダウンしたリョウを除いた3人で、机に置かれた簡素なチケットを見つめる。
それはさながらパンドラの箱。鬼が出るのか蛇が出るのか、興味と恐怖がどっこいどっこい。
行くのか、行かないのか。
リョウがいらない話をしたせいでハードルはSICK HACKやらSIDEROSの比ではないぞ!
ごくり。喜多が生唾を飲み込む音が聞こえる。
ピコピコ。虹夏の
あの、えっと。沈黙に耐えかねたひとりの言葉にならない呟きが空気に漏れ、消える。
やがて、結束バンドの偉大なリーダーが重く口を開いた。
「ぼっちちゃん!」
「は、はいっ!」
突然のご指名。
「こういうのは、持ってきた人に決めてもらおう!」
「ひょえっ!?」
なぜだか最近、こうやって意識決定を委ねられることが多い気がする。
そんな、若干の反抗を込めたひとりの思考は、喜多の「賛成!」という元気な声に打ち破られた。
「…………えっと、なら」
ならば、仕方ない。
大丈夫、ダメだったら引き返して帰ってしまえばいいんだ。
後藤ひとりはギタリスト、バンドだってやってる陽キャの鑑。見知らぬライブハウスだって怖くない。
「い、行きましょう!!!」
「おー!!!」
「いえー!!!」
「い、いぇーぃ……」
「いや、サボってないで働いてよ」
姦しく騒ぐ少女たちを、店長が呆れた顔で見ていた。
「こ↑こ↓です」
「えっ、ここ?」
「普通の家に見えるけれど……」
チケットに書かれた住所は、決して遠くではなかった。
だから緊張と不安が入り交じりつつもやってきたというのに、そこにあったのは多少豪華ではあれどただの一軒家。看板もなく、ライブハウスの独特な雰囲気だってない。あるのは屋上と地下室ぐらい。
しかし、何度手元のチケットを見ても、やはりここで間違いないようだ。
「タチの悪い悪戯かなぁ」
「でも、田所さんがそんなことする人のようには見えませんでした……」
来ると言ったのは自分だから、と早くも自責の念から崩壊を始めるひとりを前に、虹夏がリョウを見やる。幼なじみからの「どうにかしろ」という視線を受けて、リョウは先んじて進み出した。
「流石は正体不明のインムメンバー。こんなところに拠点があるなんて」
「ちょっと、普通に人が住んでたりしないよね?」
虹夏の懸念も気にせず、リョウはそのまま入っていった。バタン、やたらと大きな音を立てつつ開く扉に鍵はかかっていない。一切臆することのないリョウにつられて、その後に虹夏、喜多、そしてひとりが続く。
果たして、そこには──
「どうも」
「あらいらっしゃい」
ムキムキの上半身をメッシュのタンクトップという気の触れた服で包んだ、サングラスの男性が一人。新宿FOLTの銀ちゃんで耐性を付けなければ、少なくとも虹夏とひとりは逃げ去っていただろう。
しかし、冷静になってよく見ると、彼がSTARRYやFOLTと同じく受付をしているスタッフだと理解できる。
「『インム』を見に来ました」
「かしこまり!」
そのまま、下半身が貧弱な男性は一行を奥へ進むように促す。すると、その先には──
「次は新曲! イクゾオオオオ!!」
まるで、別世界だと思った。
そしてそれは、あながち間違いではない。
それはロックでありながらロックではないのだ。そこにはたくさんの人がいる。
老若男女関係なく、音楽を聞かなそうな人も、こういうものに興味がなさそうな人も、みすぼらしい人も、インテリも、国籍だって関係ない。
ここには誰だっている。誰だってここにいることができる。皆がひとつ、『インム』の旗の下に。
「歓声は──頂いていくぜ?」
ベース、『創造』の木村。
なんで観客なんか見る必要あるんですか、そう言い放った男は、ただひたすらに自身の音楽の世界を創造する。
「あれが『超覚醒KMR』か……これが見れただけで満足」
そう嘯くリョウは、しかしその瞳に挑戦的な炎を滾らせていた。
「見たけりゃ魅せてやるよ」
ドラム、『知将』の三浦。
演奏だよ、そう言い放った彼は言葉少なに音を紡ぐ。何よりも雄弁なその音色は、溢れんばかりの叡智に染まり切る。
「すごい……すごいけど、なんでポッ〇ャマ……?」
虹夏はふと、あるはずのないスティックを探した。かつてはギターやベースを羨んだことがあったが、その時よりも強く、手元にドラムがあればと望む。
「
ギター、『世界』の遠野。
あまりに広すぎる音域は、もはや世界の壁すら乗り越える。先輩さえいれば敵はいないと、彼は全身でメッセージを表現していた。
「きれい……」
男の人に綺麗、などという表現が当てはまるのかどうか。だけど今の喜多は、そんなことすら気にならないほどの衝撃を浴びせられていた。
「24歳、楽聖です」
同じくギターにしてインムファミリーのボス、『野獣』の田所。
つい先日会ったときとはまるで違う彼の様子は、まさしく変幻自在。音も、楽器も、あるいはその場すらも、彼自身。それこそが、彼の音楽。
「…………」
ひとりはただ、名前ぐらいしか知らない男のすべてを、真正面から受け止めた。受け止めて、咀嚼して、余すことなく飲み込んでみせた。
今──下北の二つの伝説が、一同に介す。
「──夢に。」
ひとりは理解した。
木村が、三浦が、遠野が、そして田所が、大勢の観客の中から一切迷わずに結束バンドの4人を見つけ出し、視線を送ってきた時に、田所がチケットを渡してきた意図を理解した。
「夢に賭けて、夢に」
決着をつけようと言うのだ。
シモキタを盛り上げられるのはどちらか、そう問いかけているのだ。
「虹夏ちゃん、リョウさん、喜多ちゃん」
「もちろん」
「りょうかい」
「任せて、ひとりちゃん」
3人とも、大丈夫だ。私たちなら、やれる。
眦を決した。guitarheroが、結束バンドが、
「今日はスペシャルゲストォ!」
「結束バンド!」
下北沢を取り戻せ! 〜結束バンドvsインム・ゴ・ロック〜