もしも綾小路清隆が◯◯の前で撃たれたら   作:せご曇(せごどん)

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母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。


(西條八十「ぼくの帽子」より)




もしも綾小路清隆が椎名ひよりの前で撃たれたら⑥

 

清隆と椎名さんが一緒に……………。

 

その瞬間、「やっぱり」と呟く内心を私は必死に抑えた。

 

『たまたま一緒になったっていうよりはなんか……デートしてるみたいな雰囲気なの』

 

「…………………」

 

『もしかして浮気? 綾小路くん、軽井沢さんがいるのに他の女の子と遊んでるんだよ?』

 

まずい。

 

このままだと、佐藤さんが清隆に直接怒りに行く可能性がある。

 

もしそうなれば、あたしと清隆の仲は……………。

 

………ここは、嘘で切り抜けるしか無い。

 

『清隆と椎名さん、仲の良い友達みたいだから遊びたいって前から言ってたんだ。あたし公認だから心配しないで』

 

『軽井沢さん公認?』

 

『うん』

 

本当は何も知らない。

 

最近は連絡すら取り合ってないんだから。

 

でも、こうすることがあたしと清隆にとって最善。お互いが一番傷付かない方法。

 

『あたしが許可出してるから、浮気とかじゃないよ。だから気にしなくて大丈夫』

 

『本当? 本当に何も無いんだね? 喧嘩とかしてないんだよね?』

 

……………。

 

今日の佐藤さんは食い付いてくる。

 

もしかして、最近のあたしの様子で何かあったってバレてた?

 

そうならないように努めたつもりだった。今まで何があっても、外面を装うことは続けてきたから。

 

だけど…………。

 

……いや、佐藤さんにはバレてないはず。確信が無いから、そこまで踏み込んだ話はしてこないんだから。

 

『してないよ。たまには清隆のやつも羽を伸ばさないとね。だから気にしないで』

 

そこまで言ったから、もう佐藤さんが深く聞いてくることは無かった。

 

そう、これが一番。

 

これがお互いが一番傷つかずに済む方法。

 

 

……………

 

……………………

 

お互い、か……………。

 

 

清隆と椎名さん。

 

椎名さんとの関わりはあんまり無いけど、大人しくて知的な生徒だってことは知ってる。

 

性格的には、多分あたしよりも椎名さんの方が清隆には合ってる。

 

そういう波長みたいなのがシンクロして、あの時清隆は笑ったのかな。

 

……………デート………。

 

様子を………様子を見てみたい。遠目でも何でも良いから、清隆と椎名さんがどんな雰囲気なのかを。

 

そうすれば、決心が着くかもしれないから。

 

 

 

 

 

「………………………」

 

ケヤキモール近くの木陰で、私──────椎名ひよりは人を待っていました。

 

腕時計に目をチラチラと向けながら、どうも落ち着かない気持ちでその人を待ちます。

 

「ひより」

 

「…………!」

 

今か今かとその時を待っていると、遂にその人が私の前に現れました。

 

「綾小路くん…………」

 

「待たせたか」

 

「いえ………」

 

彼の顔を見ると、心音が強まるのを感じます。連日顔を合わせるので慣れるものかと思いましたが、実際はその逆。こうして2人になるたびに彼への想いというものは膨らんでいました。

 

「良いな、その麦わら帽子」

 

「え?」

 

綾小路くんは、私が被っている白いリボンの麦わら帽子に目を向けました。

 

「ひよりによく似合ってる」

 

「…………! ありがとうございます………」

 

綾小路くんの言葉に、胸の奥底から嬉しさが込み上げてきました。

 

心無しか、昨日までのベレー帽よりも好感触な気がします。綾小路くんの好みは、麦わら帽子………夏しか被れないのが残念ですが、今日お披露目することが出来たので良しとします。

 

「今日は映画だな」

 

「はい」

 

「ひよりは普段は映画は観ないんだよな」

 

「そうですね………映像媒体には疎いもので」

 

映画に限らず、テレビやインターネット上の動画投稿サイトの動画などにもあまり触れたことがありません。

 

今どき、珍しいタイプの人間なのでしょうね。

 

「ですから……その…………」

 

「…………?」

 

「今日は、エスコート………してくださいね?」

 

………ずっと、言ってみたかった言葉です。小説の中では度々出てきますが、自分から口にすることはありませんでした。

 

綾小路くんの反応は……………。

 

「エスコート…………」

 

……私の勇気とは裏腹に、綾小路くんはきょとんとした様子でした。

 

……………空振り。

 

急に恥ずかしさが込み上げてきます。

 

「………ああ、分かった」

 

「えっ?」

 

「今日一日、オレがひよりのナイトになろう」

 

「………………!! ナ、ナイト………!?」

 

「エスコート、だからな………」

 

…………………。

 

綾小路くんにとってはちょっとした洒落のつもりでしょうが………私の心に与えた影響は大きいですよ?

 

罪な人……ですね。

 

 

 

 

映画はベタなラブロマンスでした。

 

どこかで見たような内容かと思えば………私が読んだことのある小説を原作とした映画だったみたいです。

 

ですから内容は序盤の方で概ね理解は出来たのですが…………文字とは違い、実際に映像として内容が目に映ると、どうしても小説とは違った印象を受けました。

 

特に………キスシーン、なんかは。

 

「どうだった」

 

映画館から出ると、綾小路くんが私に感想を求めてきました。

 

その視線を受けると………どうしても、先ほど映画で観た光景が脳裏をよぎり、顔が熱くなってしまいます。

 

「その…………映画館に足を運ぶことはあまり無かったため、迫力を感じました」

 

「迫力、か。オレも映画館に初めて来た時は同じような感想を抱いたな。具体的にどのシーンが良かった、とかはあるか」

 

「…………………………」

 

そう深掘りされると、よりあのシーンが頭の中で……………。

 

「あ、あれ!」

 

その気持ちを紛らわすように、私はある方向を指差しました。

 

「何でしょう? 手品ですかね?」

 

ケヤキモールの中央広場で、何やら催し物が行われているようでした。

 

「確か、今日は外部から大道芸人を招いてパフォーマンスを行うらしい」

 

「へぇ〜……………せっかくですし、私たちも見に行きませんか?」

 

大道芸。私は見たことがありませんし、何よりも高育においてはまずお目にかかれないもの。

 

夏の思い出にはピッタリではないでしょうか。

 

「そうだな。オレも気になっていた」

 

綾小路くんも了承してくれたため、私たちは広場へと向かうことにしました。

 

「…………! 綾小路、くん……?」

 

「どうした」

 

「近い……ような……………」

 

普段よりも、身体と身体の距離が近いように思えます……。

 

「ナイト、だからな。ナイトは姫を守る、そうだろ?」

 

「……………………」

 

あの言葉は、ジョークではなかった、ということでしょうか。

 

なら…………今は今日限りのこの関係を、有効活用させてもらうことにします。

 

 

 

 

 

 

…………………………。

 

ケヤキモールで、清隆の姿を見た。

 

………隣にいる椎名さんの姿も。

 

清隆は相変わらずの真顔。対する椎名さんは………とても楽しそう。あんなに柔らかくて、あんなに明るい顔をするなんて。

 

まるで清隆といる時のあたしみたい。

 

それはつまり…………。

 

1日、2人の姿を見て分かった。

 

やっぱり、椎名さんは清隆のことが好きなんだ。

 

そして…………。

 

清隆の気持ちも、椎名さんに向いている。

 

あたしには分かる。清隆とはもう1年ぐらいの付き合いになるし、何よりも恋人。清隆の意図、求めるもの、したいことは多分、この学校の誰よりも理解出来ている。

 

清隆は…………。

 

嫌だよ、そんなの。

 

清隆には、ずっとあたしだけを見ていて欲しい。あたしの闇を、あたしの心の弱さを暴いて、利用して………そんな清隆のことが、あたしは好きだった。

 

誰かから必要とされているってことが、あたしに力をくれた。傍から見れば歪な馴れ初めだったかもしれないけど、あたしにはそれでも大切な時間だった。

 

これからもずっと清隆と一緒にいたい。その気持ちは、喧嘩しちゃった今でも変わらない。

 

でも………。

 

清隆が、あたしに求めているもの。最終的に、あたしにどうなって欲しいのか。

 

ずっと考えていた。そして、ようやくその答えが分かった。

 

そしてその答えと、清隆がこれからしたいことは………ビックリするぐらい噛み合っていた。

 

 

 

────清隆のことが好きよね、軽井沢恵。

 

当たり前じゃない。清隆を想う気持ちは、この世の誰にも負けない自信がある。

 

────じゃあ、清隆に幸せになって欲しいよね。

 

それも当たり前。大好きな人が幸せになってくれるなら、これ以上嬉しいことは無いよ。

 

─────なら、そのためにあんたがすべきことは、何?

 

……………………………。

 

────────あんたがすべきことは

 

その先は、言わなくても分かる。

 

清隆。

 

あたしはあんたのことが好きよ。

 

だから、あんたに幸せになって貰いたい。

 

でも、そのためには隣にあたしがいてはダメ。

 

あたしがあんたに寄生している限り、あんたは幸せになれない。

 

なら……………

 

最後に、特大のプレゼントを用意してあげるわ。

 

あたしから贈る、最後のプレゼント。

 

それを受け取って、あんたは幸せになりなさい。

 

それが…………あたしに出来る最後のことだから。

 

 

 

 

 

「今日は楽しかったです」

 

もう日も暮れて、すっかり暗くなっていました。

 

夏休みもあと数日で終わる今日、私たちはまた思い出を1つ作ることが出来ました。

 

「オレもだ」

 

「………いつまでも、こんな日が続けば良いんですけどね」

 

高育では、いつ誰が退学になるのか分かりません。

 

綾小路くんに限ってそんなことにはならないと思いますが………私の中で、彼と離れ離れになってしまうことへの恐怖というものが、少しだけ膨らんでいました。

 

「……そうだな」

 

綾小路くんの反応は、いつもと変わらない淡白なもの。

 

そう、だったのですが。

 

「…………! また笑いましたね………」

 

「………? 笑っていたか」

 

「はい……!」

 

綾小路くんは、目を閉じながら口もとを緩めていました。

 

「ひよりといると、オレは笑えるみたいだな」

 

「…………! それは………一体…………」

 

「いや………深い意味は無い。気にしないでくれ」

 

胸の内に生まれていた不安感は、綾小路くんの笑みで消し飛びました。

 

想い人の笑う姿が、ここまでの力を秘めているなんて。

 

やはり、恋というものは理屈では説明出来ませんね。

 

 

 

その後、寮まで綾小路くんと共に帰り、エレベーターで別れました。

 

最後まで「エスコート」し続けてくれたみたいです。

 

この夏休み、人生の中で一番楽しいかもしれません。高育に入学するまでの私では考えもしなかったことでしょう。男子の同級生と、夏休みを共に過ごすなんて………。

 

エレベーターの扉が開き、私は自室へと……………?

 

誰かが私の部屋の前に立っています。

 

誰でしょうか…………。

 

「あ、来た」

 

「あなたは……………軽井沢、さん?」

 

 

 

軽井沢さんは、私に用があって訪ねてきたみたいです。

 

「軽井沢さんとこうして直接お話をする機会は初めてですかね?」

 

「ん、多分そうなんじゃない? クラスも違うし」

 

お部屋にお招きし、私たちは向かい合っていました。

 

「それで………本日はどのようなご要件で?」

 

普段接点の無い2人なだけに、どのようなお話をされるのかが想像出来ません。

 

すると軽井沢さんは、おもむろに口を開きました。

 

「………あたし、清隆と付き合ってんだよね」

 

「………………………………………え?」

 

 

…………?

 

いま……………なんて………………?

 

 

「あたし、清隆とは恋人なの」

 

 

恋………人…………………?

 

 

「か、軽井沢……さんと、綾小路くん……が……?」

 

「そう。今年の春休みの終わりぐらいから」

 

綾小路くんと、軽井沢さんが、お付き合い……………

 

え………?

 

なら、綾小路くんがこうして私と遊んでいたのは…………

 

「…………でも」

 

「……っ!」

 

「最近、清隆の様子がいつも違っててさ。いまいち、あたしに気が向いていないっていうか」

 

「……………! それは…………」

 

「椎名さん、何か知らない……?」

 

軽井沢さんの突き刺すような視線。思わず目を逸らしてしまいます。

 

綾小路くんと軽井沢さんが恋人。

 

ならば、この数日間の私たちの動向を知って、それで…………。

 

「……………なんてね」

 

「えっ?」

 

「ごめん、少し意地悪した」

 

「意地悪………ですか………?」

 

先ほどまでの緊張をほぐすかのように、軽井沢さんはくすりと笑いました。

 

「あたしと清隆が付き合ってるのは本当…………清隆の気持ちがあたしに向いてないってのもね」

 

「…………………」

 

「あたしには、それが何でだか分かるんだ。でも、それはあたしの口からは直接言えない。だから………椎名さんに確認に来たの」

 

「確認……?」

 

軽井沢さんが、再び私の目を覗くようにじっと見つめてきました。

 

「椎名さん、清隆のことが好きだよね」

 

「…………!」

 

「怒らないから。正直に答えて」

 

有無を言わせない迫力。軽井沢さんの真剣な眼差しが、私の視線と交差します。

 

「………………好きです」

 

「………………」

 

「私は、綾小路くんに………恋をしています」

 

その眼差しに、偽りを述べることは出来ません。

 

私はこの想いを正直に告げることにしました。

 

「…………その気持ちは、本気ね」

 

「はい」

 

「そう………………分かった」

 

軽井沢さんは目を閉じ、少し間を開けてから続きを話し始めました。

 

「あんたの気持ち、しっかりと受け取った」

 

「え………」

 

「新学期………清隆と2人になれるよう、あたしがセッティングしてあげる」

 

「軽井沢……さん……?」

 

「それまでに、あたしはこの今の関係に決着を着ける」

 

「……………! それは………」

 

そして……軽井沢さんは一瞬だけ、とても寂しそうな表情を浮かべます。

 

「大丈夫……これはあたし自身の問題だから。椎名さんは何も気にすることはない。あたしも………大人になる日が来たってことよ」

 

「軽井沢さん……何を……………」

 

何も言わずに立ち上がった軽井沢さんは、そのまま玄関へと向かって行きました。

 

そして去り際に………こう言い残しました。

 

「清隆のこと、頼んだわよ。椎名さんが清隆を幸せにさせてあげて」

 

 

 

 

 

 

 

ひよりと別れたオレは自室に戻ると夕食を食べ、風呂に入り、いよいよ寝るという所まできた。

 

そんな時だった。

 

「恵………?」

 

誰かからチャットでメッセージが送られてきたかと思えば、送り主は恵。

 

あの日押しかけてきてから音沙汰が無かったが、遂に連絡があった。

 

『この前はごめん。何か、急にカッとなっちゃって』

 

最初のメッセージは謝罪。

 

『気にするな。オレの方こそ、お前の気持ちをよく考えていなかったようだ』

 

少し特殊な形とは言え、恋人同士が1週間以上も連絡をしないという異常事態。

 

それも遂に終わりを迎えるようだ。

 

『明日、会って話がしたいんだけどさ』

 

話。仲直りの意味も兼ねて、直接会いたいということか。

 

『分かった。オレの部屋で良いのか』

 

オレたちの関係は大っぴらにはしていないため、人目につく場所では会わないことにしている。そのため、通常会って何かをするのは決まってオレの部屋となっていた。

 

『ううん、明日は外が良い。場所は………学校の屋上』

 

屋上?

 

何故また、わざわざ面倒な場所を指定するのか。

 

『時間は正午で良いよね』

 

恵のメッセージからは、こちらの反論を許さないかのような、そんな気迫めいたものが感じられた。

 

『分かった』

 

オレはそう返事をするしかなかった。

 

 

 

 

翌日、オレは制服を着て学校の屋上に足を運んでいた。

 

この前図書室に行った時に思ったが、夏休み中に校舎に立ち入る人間は僅かだ。基本的に、制服で動き回る人間は少ない。

 

とは言え、これ以上恵の機嫌を損ねることは宜しくないと思ったので、素直に言う事に従った。

 

だが…………。

 

機嫌云々を言うのであれば、ひよりと2人で出掛けたことは間違いなくマイナスの要素だ。

 

もし恵本人、そうでなくとも恵に親しい人間に見られていたのであれば、確実に心象を悪くする。

 

そのはずなんだが。

 

図書室でひよりに言った言葉。高校3年間の短さというものが、オレに非合理的な選択肢をちらつかせた。

 

オレは高育を卒業すれば、ホワイトルームに戻ることになる。それはオレの希望云々ではなく、決まりきっていることだ。ホワイトルームに戻り、教師役を務める。恐らく、オレが死ぬまでそうなるのではないか。

 

つまり、この自由な環境で動けるのは3年間だけ。まさしく一瞬の閃光そのもののような短さなのだ。

 

だからなのか、共にいて居心地の良いひよりと長く時を過ごしたいと思ったのは。短いからこそ、充実したいと思っていたのか。

 

随分と不可解な心象だ。ホワイトルームにいた頃のオレには考えられないような合理性の無さ。

 

だが、オレはそんな自分を嫌悪していなかった。

 

「清隆」

 

ぼんやりと空を眺めていたら、恵の声が聞こえてきた。

 

「恵」

 

お互いの名前を呼ぶ。

 

恵もまた、空を見上げていた。

 

「………何だか懐かしいね。ここで龍園たちに水を掛けられたのが、今では遠い昔みたいに感じる」

 

「…………そうだな」

 

恵が龍園たちに拘束され、オレについての尋問を受けたのが去年の12月。あれからちょうど8ヶ月が経とうとしていた。

 

「ここには嫌な思い出しか無いけど…………でも、あたしにとってはここがターニングポイントだった」

 

「ターニングポイント?」

 

「ここでの出来事が、あたしの清隆に対する気持ちを本気にさせた」

 

オレに対する気持ち。オレへの恋心が、あの一件で本格的に強くなった、ということだな。

 

オレへの依存を強めるように仕向けたのはオレ自身だからな。そのことは、恵も気が付いていることだ。

 

「あたし、清隆には感謝してる。清隆がいなかったら、あたしはずっと闇の中で溺れてた。清隆がどんな意図を持っていたとしても、その清隆にあたしは救われた。だから、清隆には本当に感謝してるし…………大好きだよ」

 

「……………………」

 

改まってそう言われると、奇妙な感覚があるな。むず痒いというか、何というか。

 

それを伝えに、ここに呼んだのか。こうして感謝を述べて、オレとの仲を再び深めようと。そういう考えなのか。

 

ならば、それに乗ってやる必要があるな。

 

「オレもだ恵。オレも、お前のことが─────」

 

「でもね」

 

そんなオレの言葉を遮るように、恵は続きを口にする。

 

「薄々………気付いてもいたんだ」

 

恵が、寂しげに、しかし笑みを崩さずに言う。

 

「そんな清隆が………あたしのことを本気で好きになるはずが無いって」

 

…………………。

 

これは、まさか。

 

ひよりとの一件が恵の耳に届いていたのか。

 

「恵」

 

「何も言わないで。分かってるから…………」

 

目を伏せ、哀愁を漂わせる恵。

 

オレに会話のターンは巡ってこない。

 

「あたしは清隆のことが好き。きっと、この世界の誰よりも。でも………だからかな。清隆の考えてることも、同時に分かっちゃったんだ」

 

「…………………」

 

「清隆が好き。だから、あたしは清隆に幸せになって貰いたい。出来れば、その時一緒にいるのはあたしでありたかった。あたしが………清隆を幸せにしてあげたかった」

 

「…………………」

 

「でもね…………違うみたい。清隆の気持ちは、あたしには向いていなかった。清隆は…………椎名さんのことを見ていた」

 

ゆっくりと目を開く恵。

 

その瞳には未練や悲哀が映る。だが同時に………強い意志も光を覗かせていた。

 

「清隆…………別れましょう」

 

 

 

 

いつかオレの方から告げるはずだった言葉。

 

そして、それは今よりももっと先であるはずの言葉。

 

そんな言葉が、恵の口から放たれる。

 

 

「恵…………それは本気なのか」

 

「うん」

 

ゆっくりと頷く。しかし、目は逸らさない。

 

「清隆のことは………今でも大好き。本当は離れたくなんてない。ずっと、ずっと一緒にいたい。でも………それだと清隆が幸せになれない。ずっと、あたしっていう寄生虫が取り憑いてたら、清隆は自分のやりたいこと、出来なくなっちゃう」

 

「…………………………」

 

「知ってる……? 清隆は気付いてないかもしれないけどね。清隆の椎名さんに対する気持ちは………友情に留まらない。だって、いつもの清隆だったら、あたしに不審に思われるかもしれないのに椎名さんと一緒に何日も出掛けたりはしないでしょ?」

 

先ほどオレが思っていたことを、恵も指摘してきた。

 

「それが………『恋』なんだよ。論理とか合理とか打算とか………そんな言葉では言い表せない、自分ではどうしようもない感情。清隆はあたしの前でも、どこか打算っていうか頭で考えて動いてた。でも…………椎名さんの前だと、それが少しだけ狂っていた。それが、清隆があたしには持てなくて椎名さんには持てたものなんだ」

 

恵の顔が、くしゃっと歪みかける。しかし、それを抑えて必死に笑みを作って見せていた。

 

「だから………あたしは清隆から身を引く。大好きな人が、あたしのせいで楽しめなくなるなんて、そんなの嫌だから。今日ここに呼んだのは………あたし自身が気待ちに決着を着けたかったから。清隆を好きになったこの場所で、清隆に別れを告げたかったから」

 

そう言うと、恵は踵を返して歩き始める。

 

「椎名さんには昨日会いに行った。新学期になったらここで2人きりで会うように言っておいたから」

 

「お前………そこまで」

 

「最後ぐらい、あたしにもカッコつけさせてよね。でももしあんたが玉砕したら、その時は笑ってあげるから。覚悟しておきなさい」

 

教室で見せるような勝ち気な発言。それが空元気であることは想像に難くないが、だがそれでもオレは彼女の歩みを止める気にはなれなかった。

 

「またね………綾小路くん(・・・・・)

 

そう………オレは誤解していた。

 

「恵………いや、軽井沢(・・・)

 

オレの呼ぶ声に、軽井沢は足を止める。

 

「オレは……お前のことを軽んじていた………侮辱していたようだ」

 

「………………」

 

「お前はオレがいなければならない。そうなるように仕向け、そしてオレの恋人となることでよりその依存は強まったと思っていた」

 

「…………………」

 

「だが……………実際は違った。お前はオレが思っていたよりも遥かに強く、誇りある人間だったようだ」

 

「………………!」

 

「オレのことを忘れろとは言わない。それはお前の意志を否定する言葉だ。だが、これだけは聞かせてくれ」

 

その時、軽井沢が僅かにだがオレの方を向いた。

 

「オレを踏み台に、進んでいくことは出来るか」

 

軽井沢は少しだけ俯く。

 

暫しの沈黙。

 

だが、それも程なくして打ち破られる。軽井沢自身の言葉によって。

 

「当たり前でしょ! あんたみたいな根暗陰キャに心配されることじゃないわ!」

 

軽井沢はビシッとオレに人差し指を向ける。

 

「あんたこそ、いい加減その仏頂面直しなさいよね。そんなんだと、椎名さんに愛想尽かされちゃうわよ」

 

「………………そうだな」

 

「………ふふっ。バイバイ、綾小路くん」

 

軽井沢は手を振りながら、屋上を去って行った。

 

 

 

オレが変わったように、軽井沢もまた変わっていた。

 

人間というのは分からないものだ。

 

どれだけホワイトルームで学問を究めようとも、オレには女の子1人の未来すら読み取れなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

屋上から出て清た…………綾小路くんと別れたあたしは、そのまま校舎から出ようとしていた。

 

「…………軽井沢さん」

 

あたしの目の前には、佐藤さんが。

 

………1人だと、万が一にでも決心が鈍ってしまうといけないから、あたしは佐藤さんに屋上に続く階段で待って貰っていた。

 

あたしたちの会話が、佐藤さんに全て聞こえるように。

 

「佐藤さん」

 

「これで…………良かったんだよね」

 

「……………っ! …………うん、良かったんだよ…………」

 

これで………これで良かった。

 

綾小路くんには綾小路くんの幸せがある。あたしだと、その幸せは叶えてあげられなかった。

 

だから、これしか無かった。

 

「軽井沢さん」

 

「…………えっ?」

 

佐藤さん………?

 

抱きついて……………。

 

「…………偉いよ」

 

「………………!!」

 

「本当に………本当に立派………この世界の誰よりも、偉かったよ………!!」

 

佐藤さん…………

 

やめてよ………………

 

せっかく………せっかく我慢できると思ったのに………

 

そんなこと言われたら………あたし……………!

 

「ううぅ……………うぁぁぁぁっ…………清隆………清隆ぁっ………!!」

 

離れたくないっ…………今も手を繋いでいたいっ…………!

 

本当はいつまでも………いつまでも清隆の側にいたいっ………!

 

「辛いよね………だから、ここで涙は全部流して…………」

 

「ううぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………………」

 

「頑張ったね……今まで…………凄いよ、恵ちゃん………」

 

 

 

 

 

新学期。新しい日々を迎えることになる今日この日。放課後になって、私は軽井沢さんに言われた通りに屋上にやって来ていました。

 

……………。

 

あれから、綾小路くんと連絡は取っていません。

 

何だか、そうしてはならないように思えて。

 

綾小路くんの方からも、私への連絡はありませんでした。

 

ですが、軽井沢さんのあの真剣な表情。

 

綾小路くんは、きっとここに来るのでしょう。

 

そして……………私はここで、綾小路くんに想いを告げる。

 

それが、軽井沢さんが私に求めていたこと。彼女の意志を無下にすることは出来ません。

 

「……………………!」

 

すると…………屋上の扉の開く音が聞こえてきました。

 

「綾小路くん………」

 

「ひより」

 

そこには、綾小路くんが立っていました。

 

「綾小路くん………軽井沢さんとは」

 

「別れた」

 

短く告げられた事実に、私は少し目を見開きました。

 

分かってはいたことです。ですが………私が2人の仲を引き裂いてしまったかのように感じて、少し………心苦しく思えたのです。

 

今更、何を言っているのでしょうかね。

 

「振られたよ。軽井沢には、オレの心は全て見透かされていたようだ。見透かしているのはオレの方だと思っていたんだが………どうやらとんだ道化だったようだな、オレは」

 

「綾小路くんの……心」

 

私の心臓の鼓動が、一層強まりました。

 

「ひより」

 

「は、はい」

 

「オレはどうやら、お前のことが好きらしい」

 

「…………………!!」

 

「オレが度々取った非合理的な行動………無人島での一件や、夏休み最後の遊びなんかは、オレが恋心というものに突き動かされた結果によるもの………らしい。いや、きっとそうなんだろう。今まで感じたことが無いような感情だったから、自分でも上手く整理が出来ていないが」

 

息を。

 

息をするのを、一瞬忘れてしまいました。

 

でも、息苦しさは今でも残っています。

 

心臓が速く鳴りすぎて、呼吸が乱れています。

 

「オレは椎名ひよりが好きだ。だが………お前の気持ちは聞けていない。もしかしたら、オレの一方的な気持ちなのかもしれない。そうなら、遠慮なくオレを振ってくれ。軽井沢のことを負い目に感じて嫌々付き合う必要は無い。そんなことをされれば、オレの方が快く思えない」

 

「あっ……………………」

 

「………………………」

 

気持ちが………溢れてきます。今まで心にしまっておいた、綾小路くんに対する気持ちが………とてつもない………勢いで…………

 

「…………うぅっ」

 

「………ひより?」

 

「す…………すみません…………」

 

「それは………"No"、という意味なのか」

 

……………!

 

「ち………違います…………嬉しいんです………!」

 

「………………」

 

「嬉しすぎて………どうこの気持ちを抑えればいいのか………分からなくてっ…………」

 

涙を拭っても、拭っても………流れ落ちる雫が止まってくれない。なのに、心は全然痛くない。

 

こんなこと………生まれて初めてです………。

 

「私も………私も、綾小路くんのことが好きです………どうしようもないぐらい…………」

 

「ひより」

 

「この気持ちは嘘じゃありません………………」

 

滲んだ視界に………綾小路くんだけが、はっきりと見えました。

 

「ひより、前に言ったな。オレが、お前のナイトになると」

 

「はい………」

 

「あれはあの日限りの約束だったが………今度は違う。オレがお前の側にいる限り、お前のナイトでいさせてくれ」

 

そう言って………綾小路くんは手を差し出してきました。

 

「…………お願い………します……………」

 

その手を取った瞬間、私たちの青い春は始まったのです。

 

 

 

 

 

 

「……………清隆くん(・・・・)

 

「ん………どうした」

 

私の前で本を読んでいた清隆くんが、私の呼びかけに応じました。

 

「いえ………呼んでみただけです」

 

ただ、その顔を見たかった。それだけの理由でした。

 

「そうか……」

 

こんな何てことはないやり取りも、もう当たり前のことになっていました。

 

ただ………。

 

その当たり前が、こんなにも幸せなものなのですね。

 

私たちは似た者同士。どちらも物静かな気性です。

 

そんな私たちが求めているものは………ささやかな喜び。ただそれだけなのかもしれません。

 

そして…………。

 

私は、清隆くんとお付き合いし始めてから、あることを始めました。

 

「清隆くん、実は次のお話が完成したんです」

 

「もうか」

 

「はい! 清隆くんが面白いと言ってくれたので………」

 

私はクリップで挟んである何枚もの原稿用紙を清隆くんに渡しました。

 

そう、私が始めたこと。

 

それは…………小説執筆です。

 

私の父は小説家です。あまり有名ではありませんが………その血が遺伝したのですかね。

 

私も物を書くことが好きだったみたいです。

 

清隆くんの側にいると、不思議と様々なアイディアが込み上げてきました。

 

それを形にして、清隆くんに読んでもらっているんです。

 

「ひよりは将来、小説家になりたいのか」

 

「はい………書いている内に、そう思えるようになりました」

 

「成る程な。だが、その場合はAクラスの特権は使えそうにないな」

 

確かに、小説家はなりたくてなれる職業ではないです。何らかのコンテストに応募して入賞しなければ、実績のある物書きとしては見なしてもらえません。

 

入賞を特権でどうこうするのは、少し無理があります。

 

何よりも、そんな方法で入賞しても私は嬉しくありません。

 

「夢の実現という点ではそうかもしれませんね。ですが、ここでの体験はどれも素晴らしいものです。ここで頑張ることが、後の執筆活動を豊かにしてくれる。そう思っています」

 

「………そうか」

 

清隆くんはそう言って、原稿に目を通し始めました。

 

一通り読み終えると、清隆くんは原稿を返してくれました。

 

「いかがでしたか……?」

 

「今回も面白かった…………だが、登場した『仏頂面で可愛げのない少年』というのはオレのことか?」

 

そう、今回のお話には清隆くんをモデルとした少年を登場させていたのです。

 

勿論、本人であればすぐに気が付きますね。

 

「…………ふふっ、バレましたか」

 

「随分な言い様だな」

 

清隆くんは少し不満があるようでしたが、私も彼に言いたいことがあったのです。

 

「だって………清隆くん、最近全然笑ってくれないじゃないですか」

 

「あ………」

 

「『あ』………じゃないです。今日だって、いつもと変わらないむすっとした顔で……」

 

「むすっとはしてないぞ」

 

「してます」

 

「してない………」

 

「いいえ、してますよ」

 

気が付くと、私はふくれっ面になっていました。

 

そんな私の様子に、清隆くんはどこかたじろいでいるようにも見えました。

 

「……………ふふふっ……! やっぱり清隆くんは面白いですね……」

 

「そうか………?」

 

「今日はこれぐらいにしてあげます………」

 

ああ………。

 

側にいるだけで、こんなにも胸が温かくなるなんて。

 

これが「恋」なんですね………。

 

 

 

 

「そろそろ………閉室時間ですね」

 

「そうだな」

 

「帰りましょうか」

 

「ああ」

 

私たちは席を立ち、帰寮の準備を進めます。

 

実は………今日はクリスマスイブだったんです。

 

世の恋人たちがデートに出掛けるのと同じように、私たちも図書室でデートをしていたんです。

 

えっ、いつものことじゃないかって?

 

そう………いつものことです。

 

私たちには、それが一番なんです。そういう清隆くんに、私は惹かれたのですから。

 

「行きましょう、清隆くん………」

 

私は清隆くんの手を、そっと握りました。

 

 

 

 

オレはひよりといる時間を心地良いと感じている。

 

それは恋人になってからも変わらない。

 

この時間はとても良い。

 

オレは何かに執着することは無いと思っていた。だが………この時間は、ずっと続いて欲しいと思っていた。

 

それが叶わない願いだとは知りながらも。

 

「清隆くん………?」

 

不思議と、ひよりの手を握る力が強まっていたようだ。不思議に思ったひよりが、オレに視線を向ける。

 

「いや………何でも無い。きっと、冷えたからだろう」

 

「今日は一段と冷え込みますからね…………そうだ」

 

するとひよりは、オレの腕に腕を絡めてきた。

 

「ひより……?」

 

「こうすれば、少しは温まるのではないでしょうか?」

 

ニコニコと輝かしい笑みを浮かべながら、ひよりはオレに密着する。

 

………思えば、恋人になってからこんな風にくっつくことは無かったな。良くも悪くも、オレたちは普段のスタンスを崩さない性格だった。

 

たまには、こういうのも悪くないな。

 

オレから漏れる白い息。

 

白い。

 

ホワイトルームにいた頃のオレが、一瞬頭をよぎる。

 

あの時のオレは、良くも悪くも完全な機械だった。

 

そのオレが重宝されていたということは、あれこそがあの男の理想だったということなのだろう。

 

ならば、今のオレはどうか。

 

ホワイトルームでは学べないことを学んだ。「恋」のいう不合理極まりない感情だ。

 

これは、あの男にとって望ましいものか。

 

それとも、排除すべき感情か。

 

少なくとも、好ましくは思われないのだろう。

 

明らかに余計。最低限の感情、というものを大幅に超えている。

 

となれば、オレは不用品になるのだろうか。そうなった時、あの男がオレをどう処分するのか。

 

それは誰にも分からない。

 

………今考えた所で無意味か。

 

「……………?」

 

ひよりが不思議そうな顔を浮かべる。

 

今度はオレに対してではなく………正面。

 

オレたちの目の前には、1人の男が立っていた。

 

男の様子は奇妙。何もせず、ただ棒立ちでいる。特にオレたちの顔見知りという訳ではなく、見知らぬ存在と言える。

 

「清隆くん、ご存知ですか………?」

 

「いや………」

 

だが…………僅かに感じ取れたものがあった。

 

それは、「殺気」。

 

オレたち…………いや、オレへの明確な害意。

 

そして、それが放たれたと同時に、男は懐から何かを取り出した。

 

黒く無機質なその何かは─────拳銃。

 

そして、その銃口が向けられていたのは。

 

「え………?」

 

ひよりだった。

 

これは。

 

まずいな。

 

「!!?」

 

オレは即座にひよりの腕を引き、銃撃から彼女を遠ざけようとした。

 

だが。

 

それは男の狙いだったのか。

 

即座に銃口の向きを変えた。

 

元々の狙いである、オレに。

 

 

 

 

 

「え…………?」

 

オレの身体の上に覆いかぶさるように倒れたひより。

 

何が起きたのか分からず、困惑している。

 

出来ればそのままでいてくれた方が良いのだろうが、そうは問屋が卸さない。

 

すぐに、この惨状に気が付くことになる。

 

「清隆……くん………」

 

身体を起こし、オレから身体を離すひより。

 

そのきょとんとした顔は、次の瞬間には一気に血の気を失っていく。

 

「…………………!!? 清……隆………くん…………?」

 

「ひよ………り……………」

 

「これ………血……………!!?」

 

ああ。

 

そうだ。

 

オレの腹部に、銃弾は命中していた。

 

位置は………肝臓か。

 

これは………厳しいな。

 

「清隆くんっ!!?」

 

普段は聞けないような大きな声で、ひよりはオレの名を叫んだ。

 

「清隆くん!!? 大丈夫っ!!?」

 

「ひよ………りは…………」

 

見た所、傷は無さそうだな。

 

あの銃撃は、運良くオレだけを貫通してくれたみたいだ。

 

男も気付けば、自分を撃って自決している。

 

ひよりが傷付く心配はもう、無い。

 

「どうしてっ!! どうして私を庇ったんですかっ!!?」

 

…………と、事はそう単純ではないようだ。

 

「ナイト………だからな…………お前を守ると……約束した………」

 

「そんな………そんなっ…………!? こんな……こんな所でまで………そんなことをっ………!!」

 

ポロポロと涙が滴り落ちる。

 

オレの頬を、ひよりの涙が濡らす。

 

「清隆くん………!! 全然………全然読めてないですよ……!! あの図書室の本……まだまだ残ってるじゃないですかっ………!!」

 

「あぁ………………」

 

「それだけじゃないです……! 私のお話………まだまだ続くんですよ………!続き………続きっ……気になりますよね………!?清隆くんに読んでもらいたいんですっ……!!清隆くんじゃないと嫌なんです………!!清隆くんだから見せられたんですよ………!!?こんな所で倒れないで下さい………ナイトなら…………最後まで私の側にいて……!!!」

 

ひより…………。

 

徐々に………意識が薄れていく。

 

「い……いや……っ………いやっ!! どうして………どうして………こんな……っ………」

 

高育。

 

色々なことがあった。色々な奴と会った。

 

堀北、一之瀬、龍園、坂柳。それだけじゃない。洋介や須藤、石崎や伊吹。

 

軽井沢……………いや、恵…………

 

オレを囲む奴らは、皆面白かった。

 

だが…………。

 

今際の際で頭に浮かぶのは、ひよりとの記憶ばかりだ。

 

 

 

ああ、そうか。

 

 

オレは、死にたくないんだな。

 

 

目の前にいる少女を残して、逝きたくないんだな。

 

 

「清隆くん……っ………!」

 

震える瞳で、オレを見つめるひより。

 

彼女はオレのことを、本気で愛しているのだろう。

 

そして………オレもまた……………。

 

 

「ひよ……り…………」

 

オレは最後に残された力を振り絞り、ひよりの頬に手を添える。

 

「愛して………いる………」

 

「あ……………私も………私も愛しています………!!」

 

そう………。

 

オレは愛されていた。

 

あの白い教室では、決して向けられなかった感情。そして抱くことの無かった感情。

 

オレは最期に、それを知ることが出来た。

 

ならば。

 

それに、応えなければな。

 

オレの頬は、自然と緩んでいた。

 

 

「あり………がと……う…………」

 

「………っ!!!!?」

 

愛をくれて。

 

 

 

 

「…………………………」

 

あれから何日が経ったのでしょうか。

 

私は部屋から出ることもなく、ずっと項垂れています。

 

「…………………」

 

…………………

 

清隆くん…………

 

どうして………どうして………私を置いていってしまったの………

 

愛していた………本当に……心の底から愛していました………

 

もう……清隆くんがいない人生なんて………考えられない………程に……っ……!!!

 

「うっ………!! うぅぅっ………………」

 

清隆くん………

 

「うぐっ…………っ………あぁぁっ……………」

 

清隆くん…………!

 

「あぁぁぁぁぁぁっ………………!!!」

 

どうして………!!

 

「うぁぁぁぁぁっ…………………」

 

あんなに………あんなに幸せだったのに…………!!

 

「いやっ………いやぁっ……………いやああぁぁっ………………」

 

寂しい……………寂しいっ……………!!

 

また1人になるのは………寂しいっ…………………!!!

 

「いかないで…………いかないでぇ……………」

 

私を………1人にしないで……………っ…………

 

 

 

 

もう………会えないんですね。

 

清隆くんと会うことは………もう………。

 

………………………。

 

清隆くんは…………私を愛してくれていました。

 

その私が………こうしてただ悲しむことを、清隆くんは望んでいるのでしょうか。

 

…………違います。

 

どんな事があっても……立ち止まることを清隆くんは望んでいません。

 

清隆くんが愛してくれた椎名ひよりは、そんな人ではありません。

 

「書かないと………」

 

まだ私は、物語を書き終えていません。

 

清隆くんにしか見せていないこの物語。

 

これを最後まで書き切って………私は証明するんです。

 

清隆くんが面白いと言ってくれた私のストーリーは、本当に面白かったのだと………。

 

清隆くん…………。

 

見ていて、下さいね。

 

ひよりは負けません。絶対に、負けません。

 

 

 

 

 

 

 

「……………………………………」

 

書店。

 

特に変わり映えのしない、自宅の近くの書店。

 

そこには、私が書いた小説がずらりと並びに出されていました。

 

『椎名ひより "ようこそ実力至上主義の教室へ" 4クラスの策謀渦巻く学園黙示録の最新刊』

 

「…………ふふっ」

 

自分で見ると、不思議なものですね。

 

最初は清隆くんだけが読んでいたあの物語が、今では多くの方に読まれています。

 

もう………7年ほどが経ったのでしょうか。

 

私は今、作家として執筆活動を行っています。

 

高育での3年間の経験。Aクラスでの卒業は叶いませんでしたが、あの3年間は私の人生にとってかけがえのないものでした。

 

そして、その時思ったこと、感じたことを言葉にして、私だけの世界を作ることになりました。

 

勿論、清隆くんとの時間も…………。

 

 

 

「………風が、心地良いですね」

 

今は夏。

 

私は都心からは離れた、自然豊かな土地で筆を執っています。

 

私のような大人しい性格には、こういった場所が合っている。不思議と様々なアイディアが浮かんでくるのです。

 

こうして息抜きに、風に当たることも出来ますしね。

 

「……………」

 

この麦わら帽子、清隆くんが褒めてくれたものです。

 

私と清隆くんを繋いでくれている唯一のものな気がして、夏になるといつも被っています。

 

私の宝物…………ですね。

 

いつまでも、大切にします………。

 

…………っ、風が………。

 

「あっ……」

 

麦わら帽子が………

 

だめっ。

 

それは清隆くんの…………

 

行かないで…………

 

「…………………」

 

あっ………。

 

誰かが帽子を取ってくれました。

 

こんな所に、誰でしょうか……………でも、あと少しで大切な思い出が飛ばされる所でした。

 

感謝しなければなりませんね。

 

「ありがとうございます………」

 

「…………相変わらず、麦わら帽子が似合うな」

 

「えっ………?」

 

麦わら帽子が…………

 

………………!

 

えっ………!?

 

そんな…………

 

どうして………………

 

「清隆…………くん……………?」

 

「ああ…………久しぶりだな、ひより」

 

私の目の前に…………清隆くんが…………?

 

一体………どういうこと………?

 

「驚くのも無理は無いか…………」

 

「だって、清隆くん………は…………」

 

「ああ。死んだ。……………正確には、死んだことにしていた」

 

「…………?」

 

「オレを狙っていた奴らから身を潜めるためにな………だが、もう問題は片付いた」

 

分からない…………

 

訳が………分かりま…………

 

「……………っ!!」

 

この手の感触…………温もり…………

 

間違いなく………清隆……くんの…………

 

「オレはナイトだ。ひよりを守り続けると誓った」

 

「あ……………」

 

「しばらく側にいられなかったが…………もう大丈夫だ。これからは、ずっと側にいる………」

 

混乱した頭の中に、清隆くんの言葉がすぅっと入り込んでくる。

 

間違いない。

 

彼は清隆くんです。

 

亡くなったと思っていた、清隆くんです……………。

 

「う………うぅっ……………清隆くん…………清隆くん………」

 

「ああ………」

 

「会いたかった…………ずっと…………会いたかった………!」

 

「オレもだ……」

 

もう………離しません………。

 

私は………清隆くんと共に在ります。

 

 

 

─もしも綾小路清隆が椎名ひよりの前で撃たれたら・完

 

次は誰の前で撃たれて欲しい?

  • 天沢一夏
  • 軽井沢恵
  • 龍園翔
  • 長谷部波瑠加
  • その他
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