長らく間が空いてしまい、申し訳ありません。
どうか完結まで見ていただければ幸いです。
…イライラする。
こめかみが疼いてしかたない。
手に持っていた水を貪るように飲む。
ああ、薬が欲しい。
とびきり強い頭痛薬が。
あのムカつく根暗女のせいで、現在進行形で私の人生めちゃくちゃにされている。
教室に戻るのもしんどくて、ふらふらとした足取りで保健室に向かう。
最悪、最悪最悪。
じろじろ見てくる奴らもうざったくてしかたない。
中には声をかけてくる連中もいるけれど、手で追いやる。
特に男なんて、目の奥にある汚い下心が透けている。
そんな奴らの手なんか死んでも借りたくない。
そんなことを考えながらなんとか保健室にたどり着き、養護の教師に事情を伝えると少し休めることになった。
真っ白なシーツが敷かれたベッドにゆっくり横たわる。
この思考停止できる時間が、今の私にとっては最適解。
…せっかく買ったコーヒー、渡せてないなと思いつつ徐々に微睡んでいく。
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私は自分で言うのもなんだが、ある種特別な人間だということを周りの対応から伺い知った。
小さな頃から友だちと撮った写真を見ても、一際整った顔立ちだったからだろうか。
パパとママはそんな私を蝶よ花よと育て、周りの人からも悪意を向けられることはなく、ただ健やかに育ったと思う。
だから、この世界は美しくてキレイなものに囲まれているのだと信じて疑わなかった。
その頃だった。
一希と出会ったのは。
なんでもママが一希のお母さんと仲良くなったらしく、私の家に一希が度々ついてくるようになった。
ママたちは家で他愛もない話をしていて、暇を持て余していた私は近所の公園に一希を連れ出した。
一希は私に腕を引っ張られたまま、ずれるメガネをあげながらついてきた記憶がある。
そこからはブランコに乗って後ろから押させたり、近くの駄菓子屋で私の分も買ってとねだったり。
そんなワガママを続けていても、一希はなぜか私に引っ付いてくる。
理由を聞くと「お友達が冴加ちゃんしかいないから」とだけ返ってきた。
…それに対して私は背中がムズムズするような、なんとも言いがたい気持ちになった。
友達が少ないのはかわいそう。
他の子よりも体は小さいし、声も小さくて話すのも大変。
気がつけば私はそんな一希をかわいそうに思いつつも、なぜかこのままでいてほしいと思った。
こんなかわいそうな子を見てあげられるのは私だけ。
私が手綱を引かなければ、このまま野垂れてしまいそうなほど弱いから。
そんなことを思いつつも、いつものとおり公園で遊んでいた矢先、私たちよりも大柄ないわゆる地域のガキ大将たちが私たちに絡んできたことがあった。
私はからかいなどを受けてなぜそんなことをするのかと幼心に思いつつ、真正面から受け取ったせいで涙を流してしまった。
こんな情けない姿を一希に見せ続けられないと涙を拭うと、ガキ大将たちの前に一希が立っていて「いいなぁって思ったの?」と口にした。
それが図星だったのだろう。
ガキ大将は顔を真っ赤にして「そんなんじゃない!」と言って取り巻きたちと一緒に一希を叩いたり、蹴ったりする。
初めて見る暴力に私は全く止めることも庇うこともできず、気がつけばボコボコにされた一希を残してガキ大将たちは離れていった。
空が茜色に染まる中で呆然としつつ一希に駆け寄る。
服に踏まれたであろう靴の跡を見せながらも、一希はこちらに向かってどこか誇らしげな顔を見せ「冴加ちゃんと一緒にいることができる僕が羨ましかったんだよ」と言った。
弱いと思っていたのに、私が守らないといけないと思っていたのに。
倒れたその姿は決してカッコよくないのに、幼い私の心に痕を強く残した。
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八方美人という言葉がある。
誰からも嫌われないように、全ての人に愛想良くするということだ。
「好きです!付き合ってください」
「阿澄のことを思うと胸が痛くなって眠れないんだ」
「ぶひゅっ、あ…す、好きナンデスケド」
「俺の彼女にしてやっても良いぞ」
「ごめん、付き合うとかはまだ早いかなって。お友達になろう?」
中学に上がってから何回同じセリフを口にすればいいんだろう。
本当に友達になりたいなんて微塵も思ってもいないのに、口からは都合のよい言葉ばかり吐き出してしまう。
けれど、悪い噂が広まるのは絶対に嫌だ。
澄ました子というレッテルが貼られれば、一転して今の立場は危うくなる。
歴史の授業で習った革命は、小さな私たちの集まりの中であっても発生しかねない。
いかに自分が特別な人間であろうと、その他大勢が団結した時の流れにはどうあがいたって力負けする。
それを理解しているから、私は良い子の仮面を被る。
「冴加、また告白されたんだって~?」
「もういつもの日常すぎて驚かなくなったわ」
「うん、でもまだ恋愛とかいいかなって」
そうしていつも仲良くしている友達たちに伝わって、話題に出されることも慣れたもので。
告白してきた人はどんな人だったかなど、必然的に細やかな話になる中で、別に思い出したくもないことをペラペラと話してしまう。
自らの浅ましさをさらけ出しているようで気が引けるのに、彼女たちに悪い感情を持たれたくない。
だけどただそれだけで、私の心はじりじりと濁っていくように思えた。
「ちょっと冴加どこ見てるの?」
「…なんか窓の外に猫がいたような気がして」
「マジ?」
嘘だ。
ベランダ側の陽が注ぐ席に座る一希を見ていた。
疲れているのか、ただ睡眠不足なのか。
ぷかぷか舟を漕ぐようにしていて、なんとものんびりしたものだと思う。
羨ましいと思いつつ、私は今いる立場を保つことが精一杯で。
楽しいはずなのにどこか息苦しさもあって。
ふと、一希の机の上に出ていたプリントがひらひらと木の葉のように落ちていく。
…仕方がない。
私は一希の席に近づいてプリントを拾い、声をかける。
「宍戸君。プリント落ちたよ」
私の問いかけにハッとした様子でゆっくりとこちらを見ながら、コクンと頷く。
「あ、うん。ありがと」
…
これも私が付けた仮面の一部。
昔のように表だって無邪気に下の名前を呼んで仲良くすることは私にはできなくなっていた。
一希との関係を疑われるのは、私にとっては得策ではない。
私がどれだけ好きであっても、私という存在に対する周囲の目の方が気になってしまうのだ。
一希の席から離れた後、友達の輪に戻る。
そうしたら、呆れたような顔をした友達の一人が私に問いかけてくる。
「…なんかさ、冴加が告白されまくるのもなんとなくわかるわ」
「そーね。ビジュが良いだけってわけじゃないのよね」
「人が良いのよ、ほんとに…。今だってあの…宍倉?だってさぁ、優しくしてくれたって勘違いさせちゃうわけよ」
「それ!てか宍原じゃなかったっけ?」
「いや知らんけど」
小石を軽く蹴飛ばすように、無邪気に笑う友達。
確かに、中学に入っても一希は全くというほど目立つことはなかった。
美術部に入っているものの、それ以外はたいした特徴もない。
取り立てることもないから、印象すら持たれない。
…私はそれがどうにも解せない。
確かに一希に良いところはあるけれど、私の隣に立つともなるとあまりにも見劣りしてしまうのではないか。
そしてそれをもってして私の価値が下がったと嘲笑されるのが嫌で仕方がない。
こうして心の内を改めてぶちまけると、私はみにくい人間だという自覚はある。
それでも究極的なエゴイストであることは間違いないし、それに見合う人間に近くにいてほしいとも思う。
…それが、幼い頃から好きな人であっても。
乾いた小さな笑いが、会話の中に溶けて消えた。
放課後、遊びの誘いも断り美術室の前に行く。
…断りの一つでさえ、後々仲間外れにされることや反感を買われることがあるのだから、一つ一つの言葉の選び方に神経をすり減らしてしまう。
けれど、そうそう二人きりになれる場所もない。
となれば美術室を訪れることが、一つの解になる。
軋む戸をスライドさせ、中を見回すと一希のシルエットよりも小さい女子が、カンヴァスの前に座っていた。
誰だろう、この子。
ただ緑色のエプロンのようなものをつけているし、美術部員であることは間違いないと思うのだけれど。
「…こんにちは。何かご用でしょうか」
どこか醒めたような、胡乱げな表情でこちらを見る彼女。
漆で固めたような重厚な黒髪と縁取られたシャープな輪郭がこちらを窺っている。
上履きに視線を向けると後輩であることがわかったけれど、確か幽霊部員だらけで一希しかいないと思っていたのに。
「ごめんなさい。隣の部屋と間違えちゃった」
白々しく虚言を吐く私。
視線がぶつかると、疑いの眼差しが突き刺さる。
「…もしかして宍戸さんにご用でしたか?」
「え、いやそんなことないよ!」
追及することをいとわないといわんばかりの丁寧な言葉は、逃げ場のない隅に追いやるように。
ただしかし、少し間を空けて彼女は言った。
「…そうですか。失礼しました。こちらが勝手に阿澄先輩のことを知っていて、かつ宍戸先輩と同じクラスだと聞いていたので、つい」
「ああ、そうなんだね~」
一希がこの子に私の話をしている。
どんなことを話しているのだろうかと、気になってしまうところではあるのだが。
ここでそれを聞こうとすらと、興味を持っていることを悟られてしまうだろう。
それはあまりよろしくない。
適当な言葉を使ってその場を流して離れる。
そうしようと思っていたのだけれど。
「あの、不躾なのは承知なんですけど一つ聞かせてもらってもいいでしょうか」
この子の目が私を離してくれなかった。
異様。
その思いが私の頭に意識づけられる。
「なにかな?」
「阿澄先輩は、自分の周りには善い人と悪い人、どっちの方が多いと思いますか?」
何の質問なのかと思いつつも、考えを巡らせる。
「悪い人の方が多いと思うかな、なんて」
見渡せば人を貶めることで自らを保つ人が多いことも。
下世話な話で人を測ったりすることも。
…昔助けてくれた人に対してまで自分のみにくいエゴを押し付けたりする人も。
そんな人間ばかり。
自分を顧みず、人のために動く善い人なんていないだろう。
そんなことを考えていたら、素直に考えていたことが口に出ていた。
「…なんだか意外です。てっきり皆善い人って返ってくると思いました」
「はは…内緒にしてね。じゃあ、もう行ってもいいかな」
「はい。答えていただきありがとうございました」
「うん。…ねぇ、貴女の名前を教えてもらってもいいかな?」
「吉良です。…また何かあればよろしくお願いします」
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「ねぇねぇ、あの宍戸が二年生に告ったって聞いた?」
「なにそれ初耳~」
「陰キャでもやることやってんじゃん。ね、冴加」
色恋沙汰の話は出回るのがとても速い。
それは一番私が身をもって体験している。
けれど、その話は私の頬をしたたかに打つように響いた。
「そ、それは…どこから聞いたの?」
一週間後の放課後にそれは起こった。
思わず食べていたドーナツを落としそうになり、それをゆっくりとトレイに置く。
手が震え、動揺を隠して取り繕うことができないほど声も震えていた。
「下に妹がいるんだけど、そっから。なんかもう一人おんなじ子に告白してた子がいたらしくて、その男子が宍戸と二人してフラれた~って言ってたみたいよ」
友達の一人がこともなげにそう話す。
フラれた。そこはまぁいい。
けれども、私以外の女に靡いたってこと?
…腹の底が煮えくり返っている。
なにそれ、おかしい。
この私があれだけ一緒にいたのに、他の女をものにしようとした?
「てかさ、その告白された子って誰なのさ?それ聞いたん?」
「まぁでも宍戸が狙いそうなのなんて地味で僕でもいけそうって思う女子じゃない?」
誰だよそのふざけた女は。
思わず片足を小刻みに揺すってしまう。
「あー、それなんだけどさぁ。なんか妹と同学年の美術部の子らしいよ?」
友達が発した言葉を咀嚼すると、すぐに解にたどり着いた。
…あの女だ。
…吉良。
ということは、表層しか知らなかった深い関係性が二人の間にはあって。
それをなにか勘違いした一希が告白したってことじゃないか。
「宍戸とその子学年違うよね?どこで関係性があったんだろ」
「うーん?あ、そういえば宍戸って美術部なんだっけ?なんか部長会みたいなのにいた記憶あるわ」
「あ~。納得ぅ~」
私の認識が甘かった。
一希のことなんて誰も気に留めないと思っていた。
けれど、それは大きな間違いを生んでいた。
「でも告白された子、部活行きづらそう~。絶対気まずくない?」
「それも先輩からだしね。頼むから変な気を起こすなよ~」
ケタケタと他人の告白を話の種に面白がったり嘲笑したりしている。
私たち子どもの娯楽の一つとして、他人の無様さはエンタメになり得る。それが例えよく知らない人間であっても。
ただそれでも、あまりにも露悪的すぎてうんざりすると共に、一希を誑かしたあの女にはいつかお礼をしないと。
だけどまずしなければいけないことがある。
友達たちが喋り倒している中で、私はテーブルの下で文字を打っていく。
…逃げんなよ。絶対。
「じゃーね!冴加。なんか用事あるんでしょ?」
「もしかして彼氏?」
「そんなんじゃないよ~。皆また明日ね~」
ドーナツショップから出て、友達と別れる。
一刻でも早く一希の家に向かいたかったけれど、途切れることのない話の流れを切ることは、私にはできなかった。
連絡はまだ返ってきていていないけれど、どうせ家に押し掛ければなんとでもなる。
そのくらい短絡的な思考を持ちながら、足を早めていく。
会ったら何を言おうか。
「あの女の何がそんなに良かったのか」
「身近にいる私に靡かなかったのはなぜか」
そんな問い詰めるような考えが頭に浮かび続けていた。
家のチャイムを鳴らすと、警戒するような応答があった。
一希の両親は共働きだから、まだこの時間であれば一希だけの可能性が高かった。
「ねぇ、スマホ見た?」
思わず刺々しい口調をしてしまう。
とにかく家に入れてもらわなければならないのに。
すると、家の錠が回る音がして一希が顔を覗かせた。
「ごめん、今見た…」
「ふうん。まぁいいや。ちょっと上げてよ」
「あ、あぁ…」
半ば押し入るように家の中に入り、勝手知ったる足取りで部屋のベッドに腰を下ろす。
それに反するように一希は床に座るものだから、まるで主従関係のようにも思える。
「…あのさ、聞きたいことあるんだけど」
「何…?」
「一希、後輩の子に告白したんだって?」
「そ、それは…なんで知ってるんだ」
「一希みたいに限られた人間と付き合ってるわけじゃないから色々入ってくるのよ」
バツの悪そうな顔をしている一希に、私は少なくない苛つきを覚えていた。
このイライラを思いっきり叩きつけたいが、まずは話を聞かなければならない。
「…先輩として責任を取らなければいけなかったんだ」
「最初から話して」
「後輩が、初めて告白をされたんだ。…その相談を僕が受けて、後輩の背中を押したんだ」
「それで」
「結果として後輩はもう少しで危ない目にあっていた可能性があったから、助けないといけないと思って」
「それと告白になんの関係性があるの?」
「穏便に済ませたかったんだ。殴り合いなんてしたらもしかしたら後輩を危険に晒してしまうかもしれない。…だから僕も告白したんだ」
「それで振ってもらったってわけね…」
いかにも一希がしそうな理由で、こめかみが疼く。
自分を犠牲にして危ない目に遭いそうになった後輩を助けたと…一般的には褒められるべき行動だけれど。
でも私はそれを許すほどの度量はなかった。
例え偽りであろうとも、一希の意思で発したあの後輩に告白したという事実が、私の心を揺さぶった。
「ああ、結果的にはその男子も落ち着いたし、後輩も無事だった。三方よしってやつだよ」
眉を下げ、わずかにずれた眼鏡。
全く呑気なものだと思わずにはいられなかった。
こっちは腸が煮えくり返っているのに。
「ねぇ、一希。私さ、一度その後輩に美術室で会ったことあるの」
「え…なんで美術室に?」
「アンタが一人でいたら私が遊んであげようと思って。…だけど居たのはその後輩だった」
…まさかとは思うが、告白されたことで一希のことを後から好きになってしまったという可能性が私の中で浮上した。
勘というものは侮れない。
大概悪いことは的中するのだから。
「いつ来たんだ。吉良はそんな話してなかったぞ…」
「まぁそんなことはどうでもいいの」
私はベッドから立ち上がり、床に座っている一希に視線を合わせた後、シャツの首元を掴んで顔を引き寄せる。
短く呻く一希を余所に、私は怒りに震えながらもどこか悦びも感じていた。
男なのに女の私に良いようにされて、たっぷり嗜虐心をくすぐられる。
「な…んだよ、冴加、苦しいって…離してくれ」
弱々しく私の背を叩く一希。
私はゆっくり口を開く。
「嫌、離してあげない」
アンタのその目は、私だけを捉えていればいいのに。
ただ、私も一希のことを侮りすぎていたのかもしれない。
「ねぇ、アンタが本当に好きな人間は誰なの?」
互いの呼気がかかりそうなぐらい縮まった距離に、一希の体が強ばっているのがわかる。
ふらふら視線を移すな。
私だけを捉えろ。
「ぼ、僕が好きなのは…」
舌が上手く回っていなくて、眼鏡はさっきよりも大きくずれているところも愛おしく思える。
「僕が好きなのは誰?」
「…冴加、だ」
苦しげに紡がれる私の名前。
思わず口角が吊り上がる。
「私と付き合いたいの?」
「…ああ。うん、付き合いたい、と思う」
誰も彼もがトロフィーのように欲しがる私。
それを鬱陶しいとも思うし、けれど敵にも回さず称賛は欲しい。
だけど、私が好きになったのはこの男の子だった。
人嫌いなのに、承認欲求はある。
外面は気にするのに、それでも好きな相手を私という存在に縛り付けたい。
いたく傲慢で、傍若無人なことは自覚している。
わかっていたとしても、この考えを止めることはできない。
屈折し続けて、何が正しいのかもわからない。
「ふふ。でもね…今は私とアンタは付き合えない」
「…なんで」
密室で、絶望が噴き出した。
この事態を飲み込めないということを一希の顔が物語っている。
確かにこれだけ遠慮無く家に押し掛けて、キスする寸前まで顔と体を近づけているのにも関わらず。
そんな回答が返ってくるとは思わないだろう。
「私とアンタが釣り合っていないのにも関わらず、他の女子に嘘であっても告白なんてしたことが私の気分を損ねたから♪」
「そ、それは…あの時は吉良が危険な目に遭う可能性があったからで」
「口を閉じて。誰も弁解していいって言ってないけど」
私は、好きな人が軽く見られている現状が嫌いだ。
けれど、それは本人が変わる意識がなければ変わりようもない。
だから縛りつけて、私が認めた時に付き合ってあげよう。
それなら問題ない。
今回は罰を受けてもらわなきゃ。
「ダサいやつは嫌いなはずなのに、アンタは好き。けれどもっといい男の子にならないと、他の男の子に取られちゃうかも。…私の気が変わらないうちに、格好良くなってね」
そう呟いて、ゆっくりと身体を離す。
窓から差す日差しは徐々に弱くなってきている。
呆けているように言葉を発さない一希の額に口づけし、その場を発つことにした。
「ちゃんと私の家まで送りなさいよ?…一希」
ーーーーーーーーーーーーーーー
一希に言葉で釘を刺した翌日。
私の眼前には、ある画像が突きつけられていた。
周囲から伝わってくる好奇の視線、侮るような視線。
それは全てこの画像が示していた。
「冴加、これなんなん?」
「私もたまたま見かけて思わず撮っちゃったんだけど、まさか私たちと別れた後宍戸と会ってたなんてね~。大スクープだよマジで」
けらけらと笑う友達たち。
だけどその目はあまりにも私を嘲っていた。
「い、いやこれはね…」
「こんなニコニコしてる冴加なんて中々ないよね!」
「それな~。冴加ってああいうのがタイプだったん?…おもろっ」
「つーか宍戸も美術部の子に告白しといて冴加にも手ぇ出してたん?ヤバっ」
息が詰まる。呼吸が上手くできない。
視界が回り続けて、手がわなわなと震えている。
「宍戸に聞いてみようよ!付き合ってるかどうか!」
「あー、そうね。冴加に聞くより面白そうだし~。…って、まだ来てないねぇ」
「キスぐらいはさせてやったの?どーなん?」
なんで、なんで。
昨日まで友達だったはずなのに、急にその世界から私だけ取り残されたような。
周囲を見ると、他のクラスメイトもこちらを見てニヤついたり、ひそひそと様子を伺いながら囁いている。
その様子を見て悟った。
私はコイツらの餌になったのだと。
『えーまじ?あの阿澄さんが…』『なんだよ、宍戸でいけんなら俺でもいいだろマジで』『趣味悪くない?』『ダサいわぁ』『なにか弱みでも握られてるのかな』『俺たちの女神…』
耳に聞きたくもない声が忠実に届いて、脳が無理やり意味を理解させてくる。
人は低いところよりも高いところから落ちたら痛い。
…それは肉体的ではなく精神的なものであってもそうだ。
高いところにいる人間の地位が崩れるものほど、面白おかしく騒げるものはない。
こめかみにじくじくと針を刺すような痛みが走る。
周囲の喧騒が煩わしく感じる中で、教室の後ろ戸からこそりと入ってくる人影が目の端に映った。
「あー、きたきた話題の人!!」
友人の一人がまるで注目させるように出した声で、入ってきた一希に視線が集中する。
「ねーねー、宍戸って冴加と付き合ってるの?」
「…え、な、なんで…」
「その反応、なんかマジっぽいな」
気がつけば友人たちは一希の元に寄って、質問という体の追求を行っていた。
どう反応したところで、面白おかしくされるのがオチだ。
私は遠い目をしながら、これまで積み重ねたものが全てが崩れ去ることを覚悟していた。
「ねー、どうなの?」
一希の顔がぼんやりと目に映る。
やがて友達の問いかけに対して戸惑いから決心したような表情を浮かべ、言った。
「いや、違うよ。…たまたまばったり会ったから、僕が舞い上がって阿澄さんに話しかけたんだよ」
「えーでも、冴加はまんざらでもない顔しているように見えるけどなぁ…」
「阿澄さんは皆に優しいだろうから。それは君たちがよくわかってるんじゃないかな。それに…僕なんかじゃあ、とても釣り合わないよ」
強く実感のこもった声。
言葉を区切った一希の悲しそうな顔が、こちらを捉えていた。
「なんだ、つまらないなぁ。冴加の面白いところがわかったと思ったのになぁ」
「ねー。冴加もようやくかって感じだったのにね」
その場にはなぜかしらけた空気が漂っていて、周囲のクラスメイトも含めてその元凶と言わんばかりに居心地の悪い視線が向けられる。
この嫌な空気感に、私は歯を食いしばって耐えるしかなかった。
「…あの、皆に言いたいんだけど…なんでそんなに人の恋愛について知りたがって、
面白がろうとするの?僕はそれが気持ち悪く感じて仕方ないんだ。誰か教えてくれないかな」
ゆっくりと口を開いた一希は語調は優しくとも、トゲのある言葉を吐いた。
私はなんとなく…一希が何をしようとしているのかが分かってしまった。
「は?なに、うちらのことバカにしてんの?」
「ま、まあまあ。身近にいる友達のことに興味を持つことは別に悪いことじゃないじゃん。友達の良い報告を知りたいって思うでしょ?」
「僕には友達がほとんどいないから良くわからないんだけど、友達であっても深掘りされるのは嫌な人だっていると思うんだけどなぁ。…まぁでも、皆が楽しければそれで良いってことなんだよね」
友達が宥めるように言った言葉も、一希はおそらくわざと悪意のある言い方に変換した。
周囲を見るとさっきまでの面白がる雰囲気は消え去って、代わりにイラつきが溜まっているような空気に変わる。
「なんだよ…こいつ。気持ち悪っ」
「僕からしたら君たちのしていることの方が、気持ちの良いものではないと思うけどな」
次々出てくる否定的な言葉に、クラスメイトたちはより強い拒否反応を示していく。
これが人気者が言う言葉ならまた別の受け取り方もあったんだろうけど、周囲から見下されていた一希であればどうなるか、はっきりとわかる。
人は下に見ている人間の言うことを肯定的に受け取ることは難しくなる。
そんなことは一希だってわかっているはずなのに。
「もういいわ、お前ウゼーし。マジ萎えた」
「…少し、空気を読むとか周りを見たほうがいいと思うよ」
結果、友達たちは口々に一希を詰って離れていく。
周囲から見れば、悪いのは空気が読めない一希だろうから。
その後しらけた空気とクラスメイトの悪感情は一希に向けられたまま、一日が終わった。
後のことはお決まりのパターンと言ってもいいと思う。
一希は薄っすら見下されるだけでなく、純然たる悪意をぶつけられるようになった。
まずは一希が私にフラれ、それを教室の中で悪態をついたという話が学校中を駆け巡った。
あながち間違いではない部分もあるけれど、それを差し引いても言い過ぎでしかない。
あとは…何となく想像しやすいことをクラス中の人間が行っていた。
私たちは正義で、輪を乱すコイツが悪いという歪んだ感覚がよりみにくく浮き彫りになって、もはや暴走と言っても過言ではないと感じた。
そんな状況に陥ってもなお、私は動けなかった。
一連の出来事は一希が私に迫ったという風に尾ひれがついていき、それに対しても否定することができずにいた。
この後に及んでも結局のところ我が身がかわいいだけでしかなかった。
一希はいつも私を助けてくれているにもかかわらず。
そうして時が過ぎていく中のある日、下校しようとした時に見覚えのある顔に出会った。
「阿澄先輩…少しお話しよろしいでしょうか」
以前顔を合わせた時よりも痩けたような面持ちをしている吉良がそこにいた。
私は拒むことなく背を向けて歩く吉良の後についていき、本来ならそこにいるはずの人物がいない美術室に入った。
「何の用かな」
「…宍戸さんのことです」
これ以上ない話の切り口だった。
「宍戸先輩が美術室に最近来なくなりました。数日は待ったんです。でもこっそり教室の中を窺っても姿は見えませんでした。……しばらくしてこんな噂話が耳に入って来たんです。阿澄先輩に宍戸さんが強く迫ったという内容でした」
「…うん」
「私は思い返しました。以前宍戸さんが好きな人がいると言っていたこと。…あれは阿澄先輩のことだったのかと。
しかし、納得がいかない点がありました。…噂のとおりに宍戸さんが強く迫ることがあるのだろうかと。
ずっと一緒にいたからわかるんです。宍戸さんがそんなことをする人ではないって」
窪んだ瞳がこちらに焦点を合わせている。
長い黒髪も相まって、まるで死神のように思える。
「数日前に電話が宍戸さんから返ってきました。体調が少し悪くなっただけで、もう少ししたら学校に戻ると。
けれどその声は明らかに憔悴しているように思いました」
「長いね…言いたいことはなに?」
「阿澄先輩…あなたは宍戸さんになにをしたんですか?」
完全なる敵意がついに向けられた。
ああ、やっぱりこの女は一希に恋をしている。
一希の優しさが、形を変えて私に刃を向けてきたのだ。
ただ…それがとても受け入れられるものではなかった。
吉良が気に入らないというのもあるけれど、なにより理解者面をしているのが私の感情を逆撫でする。
一希を理解しているのも、好きでいていいのも私だけでいいのに。
それを周囲が阻んで邪魔をする。
結局のところ、ほとんどの人間は自らのことしか頭にない。
その中でこれまで身を削ってでも人を助けてしまう一希だから…私は好きになったんだ。
「別に…好きって言われたからフったの。貴女…いやアンタが思うようなことはなにもない。
ただ前に私が言ったとおり、周りに悪い人が多かっただけ」
ここに自らの顔を映すものがなくてよかった。
きっと厚い仮面が剥がれ、中にひた隠しにしていたみにくい私が現されているだろうから。
あぁ、私は何に怯えていたんだろう。
本当に小さかった。全てが。
周りの友達たちも、私を羨望の目で見たりする人たちも。
そんな奴ら相手に私が気を使う必要も、縮こまる必要もない。
私は存在するだけで価値があるのだから。
目の前にいる吉良を見下ろし、私は言った。
「…でも、アンタに一希は渡さない。私がフったとしても一希が離れるわけがないんだから。ははっ」
「なんですか、それ…おかしい…」
理解できないものを見るような目をした吉良の前で、私は薄笑いを浮かべた。
みにくい存在は惹かれあって、引き合って、離れることはできない。
けれど、不必要なものもまでくっついてくるのなら。
私が降りかかる火の粉を払ってあげようかな。