アリウスは、その日運命(Fate)に出会う。
この世とは地獄である。それは、少なくともアリウスの生徒にとって、そして錠前サオリにとって疑いのないものだ。
―地獄なのは生まれた地、
アリウスという内戦状態の最悪な治安は運が悪ければ生徒でも容易に死にかねない。
―地獄を作るのは背負うもの、
自分が明日を迎えるので精一杯なその地獄でサオリは
―そして、地獄を深めるのは一人の大人、
金言を歪曲し、自責を捻り、事実を変曲し、真実を隠し、本心を曲解し、嫌悪を助長し、憎悪を煽り、自分だけの楽園を築くために全てを利用する。
サオリが、アリウスの生徒が夢を、希望を、喜楽を封じられたのは間違いなく大人の力だ。
―
「|全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。《vanitas vanitatum et omnia vanitas》」
それがサオリ達の知る、たった一つの真理。朝も、夜も、夏も、冬も、24時間365日摩耗していく思考と精神。玩具のように、あるいは人形のように、たった一人の
とうに失った希望の残り火も消え、何かを思う気持ちも薄れ、機械のようにずっと大人に従う日々。
――そんな閉じた
「空腹、寝不足、視野狭窄に
月光がステンドガラスからかすかに届く聖堂の中、錠前サオリは地に伏していた。手足に力を込め、響くような激痛に呻いて脱力する。どうにか視線を巡らせば同じように横たわっているミサキとヒヨリ、そして唯一ヘイローが消えているアズサが見える。
崩れそうな心を引き締め、サオリはこの場で唯一立つ、元凶である少女の背を睨みつけた。
それは一瞬のことだった。いつもと変わらない地獄の一日は突然響いた轟音で終わりを迎えた。直後に入る襲撃の報告、ベアトリーチェの命令でスクワッド含む数百人のアリウス生徒が聖堂に集った。サオリ達はベアトリーチェの横で構え、雑兵もAR、SMG、HG、多様な銃が扉へと向けた。
近づいてくる戦闘音が止んで数秒、静まり返った聖堂に扉の開く音が響いた。
生徒は銃の引き金を引き、そして――。
コツ、コツ、コツ、コツ…
「油断、慢心、混乱、精神の乱れ……」
当の少女は後ろを気にすることなく、つらつらと言葉を紡ぎながら歩き続ける。聖堂には少女の足音と声だけが響く。その手には一切の武装は無い。
―一瞬のことだった。
年齢の高低、装備の種類、強さの優劣、その全てに関係なくその殆どが平等に――
コツ、コツ。 ―カチャリ。
「――そして何より指揮の稚拙さ。どれ程の手腕かと思えば…がっかりですよベアトリーチェ。」
「ッ…どこの馬の骨とも知らないガキが……私を誰だと思っているのです…。」
少女は足を止めると、這いつくばっている異形の女―ベアトリーチェを見下ろした。
殺意と憎悪をたぎらせ睨む無数の眼とは対照的に少女の眼は冷ややかだ。
「貴様の目的も行動も、何も知りませんし、興味も有りません。―どこの馬の骨とも知らない生徒に負けた大人だと知っているだけで十分ですから。」
倒れ伏す生徒は――錠前サオリはただ後ろで見ていることしかできない。壇場で睨み合い、繰り広げられる二人の舌戦の舞台はどこまでも遠く、硝子から差し込む月のようだ。
「どこまでも小癪な…いいでしょう。今回は負けを認めるとします。ですが…」
両者の間の空気が張り詰める中、
『ですが覚えておきなさい。私は
銃弾が届くより先に
「…逃げましたか。」
少女はそう呟くとサオリ達へと振り返った。
たったそれだけ、なのにその少女の姿は一枚の絵のように美しかった。
「宣言を、しましょう。」
少女はサオリ達を見据えながらそう語りだした。
黒く大きなリボンで束ねた月の光を受け淡く輝き、纏う服は一切の乱れもなく、黒をベースに快晴の空のような青色のラインが奔るサオリにも馴染の無い優美なもの。
「アリウスの支配者は消え去りました。これよりこの地と貴方は私のものです。」
表情は一切変わらず、水色をした冷たい目からはその感情を読み取ることはできず、それでいてなお惹きつけられるような傾国の美貌。
「―夢を語ることを許しましょう。希望を持つことを許しましょう。
楽しいと感じることを、喜びを感じることを許しましょう。
あなた達を守りましょう。生きることを許しましょう。」
その服と同じ彩色の茨の王冠をかたどった
「私はスバル、冬城スバル。冬を見守る一群の星。」
けれど、サオリにはその少女が不吉に、まるで物語の魔女のように感じられた。機械が人間の振りをしているような、あるいは他の鳥に紛れこむ呼子鳥のような、そんな違和感。
「あなた達がこれから仕える女王の名前です。」
少女―冬城スバルは、サオリ達の不安をよそに望月を背負って宣言する。
それはサオリに、アリウスの生徒にとって不気味なもので、それでもその姿は美しかった。