水に濡れた衣服。それがアルレッキーノの足元にある。彼女の言葉を信じるのなら、何の前触れもなく人が溶けて消えてしまった訳だが。
さて、どこかで聞いた話だ。
「私の失策だ。慎重に事を進めるべきだった」
悔し気に表情を歪ませる姿ですら様になっている。随分と罪な作りだ。
ファデュイ最高幹部の第四位の肩書を擁する召使。純粋な戦闘能力のみで、席次が決まっているのかどうかは知らないが、少なくとも彼女の力は文字通りの化け物である。その上、上限も未知数だ。
およそ人の理を超えた実力者による不意打ち。たかだか一国の裏社会に属している程度の人間では抵抗する余地もない。だからこその――
「口封じ、ですかね。或いは警告か。ロシの秘密を探られると不都合な連中が放った刺客、そう捉えるのが自然でしょう」
「ふむ、そう考えるか。私にとっては好都合だが」
「ええ勿論。
ファデュイの幹部という立場上、アルレッキーノは他者からの信頼を得難い。いや、外交官がそんなんでどうするんだって話なのだが、やはり強引なやり口を常とするファデュイが悪いという結論に落ち着くのだ。
うん、彼女の苦労が偲ばれる。マジでかわいそう。
さて、そんな悪の組織とつるむ元決闘代理人の便利屋。中々話題性に富むスキャンダルだと思う。とはいえ、そんな分かりやすい隙をアルレッキーノが晒す筈もなく。
会合の折、人、物、場所、その全てに厳重な警戒を払っている。現にこの近くでアルレッキーノの部下らしき青年が待機していた。外に出るまで気配すら感じなかったくらいだ。大変優秀である。
ただし今回ばかりはそれが裏目に出たようだ。
「実際に目にした訳ではないのだろう?」
「はい」
素直に頷く。結局のところ、俺はアルレッキーノが言うところの
故に水に浸した衣服を用意するだけで、彼女はこの状況を簡単に説明できてしまう。それこそあらかじめ部下に命じていれば容易だろう。
つまるところ謀ろうと思えば、アルレッキーノはいくらでも俺を謀る事ができるのだ。それでも俺が彼女の言い分を信じるのは――
「利害が一致している間は仲良く出来ると思っていたのですが、違いましたか?」
単に性格、嗜好を問うのなら、アルレッキーノはおよそ信用に足る人物だ。ところが彼女の立場を考慮してしまうと、途端に怪しくなる。必要であれば親しい相手にも策謀を巡らし、目的のためならば相手を殺めることも手段の一つとして視野に入れる。嘆かわしいことだが、ファデュイとはそう言うものだ。
アルレッキーノ本人は倫理を尊び、善き営みを肯定する善性を持っている。しかしその一方で組織の長として私情を捨て、実利を優先する非情さも併せ持つ。人間ならば誰もが持つ二面性だ。
そして、だからこその利害関係である。何が得になり、何が損になるのか。相手の全てを信用することはできないから、せめて互いの損益を測って協力関係を結ぶ。
人類が生み出した共存共生という概念は、何も善意だけで形成されている訳ではないという訳だ。うん、当たり前のことである。
「大体、怪しいからと安易に鞍替えを図るのは俺の信条に悖る。大丈夫、貴女は確かに俺の信用を勝ち取っていますよ」
というかそもそもな話、アルレッキーノには俺を謀る理由がない。まして彼女が怪しい雰囲気、もといミステリアスな女性なのは最初からだ。何の問題もない。
あくまでも俺の判断。この選択が原因で将来何かしら不都合を被ることになったとしても、それは俺の目が節穴だったというだけのこと。やはり何の問題もない。ダブルチェックよし。
「……中々の殺し文句だ。これではもう君の期待を裏切ることは出来ないな」
「口先だけなら何とでも言えますよ。俺も、貴女も」
「至言だな。では行動で示すとしよう」
「程々で結構です」
だからこの話はこれでお終い。不安があるとすれば、それは我々の相手取ろうとしている組織が、思っていたよりも残忍な気性の持ち主で、不可思議な現象を操るということだ。
「……しかし厄介なことだ。人が溶けて水になる。この現象を解明しないことには、我々も迂闊に手を出せない」
「なら目下のところは、その衣服を調査すべきでしょう。俺に任せていただけませんか」
「元よりそのつもりだった。しかしそうだな。君を侮る訳ではないが、護衛はいるだろう」
「助かります。一人では限界が見えてきたところです」
「では何か要望が?」
「……そうですね。出来れば潜水士が望ましい。マシナリーの知識があると尚良い。そろそろ本格的に内海の調査に乗り出すべきかなって」
必要になりそうなスキルを思いついた限り言ってみる。結構吹っ掛けたつもりだ。すると執行官様は「ふむ」と静かに頷いて、
「任されよう。適任がいる」
だなんて、何でもないことの様に告げた。人材の層厚すぎだろ。やっぱファデュイこわい。敵でない事にほっとする。
「流石ですね」
「当然だとも」
賛辞を当然としつつ、どこか誇らしげなアルレッキーノ。その表情は父性を感じさせる確かな温かさがあった。
「……ただ少々人見知りでな。配慮して頂けると助かる」
「あ、はい。分かりました」
★
「……こんにちは。僕は、フレミネ。お父様から、
翌日の朝、件の護衛が俺の工房にやってきた。
第一印象は自己評価の低そうな少年。薄幸そうな雰囲気を纏い、どこか憂を帯びた顔つきをしているのは自信のなさの表れか。或いは根本的に人と関わる事が苦手なのか。
なるほど、人見知りというのは誇張でもなんでもなかった。
「こんにちはフレミネ君。アルレッキーノから話は聞いてると思うけれど、俺は――」
挨拶は手短に。自己紹介と仕事内容の確認等事務的なやり取りをする。その方が彼もやり易いのではないかと感じたからだ。レクリエーションはその後だ。
「基本的には護衛として俺の側についていてくれると助かる。あと来週中には水中探査の計画書を渡すから、そのつもりで」
「は、はい。水中ならぼくも役に立てると思います」
「頼りにしてる」
フレミネ。潜水士でその名を知らない者はいない。道楽で資格を取った俺ですら知っているくらいだ。曰く、フォンテーヌ随一の潜水士。フォンテーヌの複雑な水の流れを熟知し、様々な水域や季節ごとの潜水技術を会得しているのだとか。
ファデュイだったことには驚いたが、正直望外な人材である。名前を聞いた時は思わず飛び上がりそうになったくらい。流石は召使、人選ばっちりである。
「さて仕事の話はこれくらいにして。朝食はもう済ませたのかな?」
「いえ、まだです」
「じゃあご馳走しよう。何か要望はある?」
「そ、そんな悪いですよ。ぼくは貴方の護衛役なのに」
「護衛だからこそ、是非とも遠慮しないでほしいな。だってこれから命を預け合うというのに、互いのことを何も知らないままでいるのは如何にも具合が悪いだろう? だからさ、食事を通して少しずつ相互理解を図るのさ」
信頼関係を構築する第一歩は対話である。そして食事はその良い切っ掛けとなる。
ただそれはそれとして――
「さっきから商品棚の方に目がいってるけど、もしかして興味あったりする?」
「ご、ごめんなさい! 会話の最中なのに……」
「良いよ別に。寧ろその子を気に入ってくれたのなら俺も嬉しい」
フレミネ君がちらちら見ていたペンギンの人形。棚に置かれていたそれを手に取り、彼に差し出す。フレミネ君は戸惑いつつも、人形を受け取ると仄かに頬を綻ばせた。
「……まるで童話の住人みたいです」
「中々メルヘンな表現だ。いいね、ならそいつ引き取ってくれよ」
「い、いいんですか?」
「勿論。棚の上で埃を被っているよりも、大事にしてくれそうな人の手にある方がずっといい」
何よりその子が喜ぶ。そう付け加えるとフレミネ君は嬉しそうに人形を抱きしめた。
元々はとある依頼で試作したおもちゃだ。結局採用されずに日の目を浴びなかった子だが、こうして誰かの手に渡るのもなんだか趣があっていい。
「ありがとうございます。大事にします」
「そうしてくれ。じゃ、俺は朝食の準備するから。適当に座って待っててくれ」
これがフレミネ君との出会い。とある事件が終息するまで、俺を支えてくれた頼もしい水潜士の少年である。
・アルレッキーノ
主人公とは利害関係が一致しているビジネスパートナー。もしくは共犯者。
重傷を負ったスネージヴナ(アルレッキーノの公式エピソード『安らかに眠れ』で登場)を介抱した縁で知り合う。自身の子供を救ってくれた主人公には恩義を感じている。
主人公と協力関係を結んだのは、彼が連続少女失踪事件を追っていたから。フォンテーヌ滅亡の予言を回避するため、多くの事案に手を出していた壁炉の家は未解決かつ怪奇事件として名高い連続少女失踪事件にも注目していた。そこで独自に調査を続けていた主人公と二度目のコンタクトを果たす。事件の黒幕が大きな組織を形成していることを薄々感じていた主人公としても、ファデュイと協力関係を構築することは決して悪い話ではなかった。誤算だったのはアルレッキーノが普通に人格者だったこと。利用するつもりが、間抜けにも絆されてしまった。アルレッキーノの方も品格能力共に主人公を評価しており、現事案が片付いたらファデュイの勧誘を画策している。
・フレミネ
主人公の相棒枠。温厚で優しい性格の持ち主だが、そもそも本人がコミュニケーションを取りたがらない。対人能力が乏しいのではなく、やりたくない。彼の誠実さは人々にとって好ましい物の筈だが、過去の経験(主に旧壁炉の家絡み)が彼を極度の人見知りにさせている。そういう意味では主人公のファーストコンタクトは適切だった。
派手な功績よりも実直かつ安定した成果を重視する主人公との相性は良好。どれだけ内向的な性格であろうと自らの仕事にプライドを持って仕事に取り掛かるフレミネを主人公はリスペクトしている。またフレミネもあるがままを受け入れてくれる主人公のスタンスとマシナリーを始めとした機械工学の造詣の深さを尊敬していたりする。互いが互いをリスペクトする関係性なので、自然と仲が良くなる。つまり、彼にとって初めての友達だった。