星々が輝く曇り一つない夜空の宝石。自然が豊富で、澄んだ空気によって天頂からの光がよく見えるアレンデールでも、今夜は飛び切りの夜景だと誰もが認める絶景。
それをアレンデールから最も近くで眺める事ができる王城の最上階で、フローはエルサと対峙していた。
「エルサ……」
「フロー? あなた一人なの?…………そう。でもいいわ……あなたが私の元に帰って来るなら、それで全部許してあげる」
階段を上がってきたエルサの表情は、フローの位置からでは暗くて見えない。だが間違いなく、恍惚の表情を浮かべている事だけは、その声の色でわかってしまう。
そんな彼女が自身へと近づこうと暗がりから現れるその前に、フローはこの部屋に来た意味を、エルサが来る前に仕掛けていた物の存在を告げる。
「近づかないでください、エルサ! この部屋には、今日使う予定だった打ち上げ花火が保管されています。もし、近づくようなら私はこの導火線に火をつけます」
「…………それで?」
だがその反応は、あまりに冷ややかな物だった。そして同時に、あまりに迅速だった。
フローが花火の存在を告げた瞬間、辺り一体の全てが氷の銅像へと変えられた。瞬きする間も、反応する事さえもできない早業に、目を見張る。
だがそれでも、フローの最後の手は尽きたわけではない。
「……っ、近づいたら私は自分の体に巻いたこの花火を起爆させて、自殺します!」
それがフローの自己を犠牲としたエルサを止めるための一手。自分の胸元へと隠した花火玉。導火線に火を点けるのではなく、玉の中に着火装置が内蔵されており、それを専用の起爆装置を押す事で爆発する、遠方から輸入した特別性。
これなら、火がなくても爆破させられる。
自身の体に貼り付けているから、エルサでも凍らさせられない。
その存在に、さすがのエルサも動きを止めた。彼女が動揺したのを、確かに感じた。
「話をしましょう、エルサ。そうすれば、私は何もしません」
「…………ええ、わかったわ。でも、ここからじゃフローの顔がよく見えないの。近くに行ってもいい?」
「………………部屋の、中心までなら」
フローの言葉に、エルサが了承を示すように魔法を引っ込めると、ゆっくりと暗闇から月の光に照らされた部屋の中心へと顔を見せた。
「ふふ、どうしたの?」
「…………っ、いえ! なんでも」
現れたエルサのドレスは、ズタボロであった。アナとは違い、フローによって庇われなかった彼女はあの爆発の衝撃をモロに受けたのだ。
破れた服の下からその細く美しい白肌が覗き、大きく裂けたスカートのスリットから覗く長い脚と太ももが艶かしい色気を放っている。驚きなのは、エルサのそれらの肌に傷跡はおろか汚れ一つ付いていない事だ。
それもまた、魔法の賜物なのかとエルサの艶姿をなるべく見ないようにしながらフローは彼女を止めるために言葉を口にする。
「エルサ……目を覚ましてください! こんなのは、あなたではありません……!」
「いいえ。これが私なのよ、フロー。これがありのままの私なの」
だがその必死な言葉も、エルサの耳には欠片も響かない。響くはずがないのだ。なぜなら彼女の言う通り、今のエルサの姿こそ本来の自分自身。
悩みも、自制心も、最低限残っていた理性も脱ぎ捨てた、ありのままの姿。
「ですが……! こんなの、陛下が……陛下とイドゥナ様が悲しみます……!!」
「ーーーー」
だがその言葉は、エルサに届いた。
エルサにとって決して無視はできない両親の存在。抑えが効かなくなって行く魔法に怯える自分を、必死になって救おうとしてくれて亡くなった二人。
それは確かに、エルサの心を震わせるには十分で、そこにフローは勝機を見出した。
「陛下は、常にエルサのことを案じていました。あなたの幸せだけを願い、想っていました! イドゥナ様も同じです。毎日私にエルサの様子を聞いては、心を痛めていました」
自身の中に今も鮮明に残る在りし日の二人の姿を、エルサに伝える。二人がどれだけエルサを愛し、その幸せを望んでいたかを。そして、エルサが王位を継ぐ時を心待ちにしていたのかを。
「そんなお二方が守って来たアレンデールを、民を、そしてこのお城を! 守れるのはエルサ、あなたしかいないんです!」
その全てを涙さえ流して訴えるフロー。
その姿に、初めてエルサの顔が悲しそうな、辛そうな表情に変わった。自身がしたことを悔いるような物に、変わってくれた。
「そう……そうね……」
「……! ええ、そうです! だからエルサ、今ならまだ戻れます! 陛下たちが安心して天国で過ごせるように、私たちがーー」
「でもお父様とお母様は、許してくれるわ」
「え?」
だがその表情も、次の瞬間には晴れやか笑みへと移り変わった。
先ほどまでの熱を吹き消され、呆然と佇むフローにエルサは自信満々に、彼を逆に説得する言葉を話し出す。
「だって、私の幸せを願ってくれたんでしょ? 私が、フローと一緒になる幸せを。なら、私がフローと二人だけの世界を作ることも、きっと喜んでくれるわ」
「エル……サ……?」
それは無茶苦茶な論法だ。そんなわけないと、フローはすぐに反論しなくちゃいけなかった。
なのに、そう語るエルサの顔があまりにも確信に溢れた顔をしていたから。
陛下たちが、それを望んでいて当然と言うような声をしていたから。
「だからフローも、パパたちのお願いを裏切るようなことをしちゃいけないわ」
「……っ、あ!」
エルサの姉が弟を叱るような声色の言葉。それに意識を取られた時には、フローは自身の起爆装置を握る手が指先一つ動かせなくなっている事に気づいた。
それが、自身の手が凍らされている事に気づかないほど巧みに、エルサが後ろ手で魔法を行使していたのだとわかったのは、その直後に顔を除いた全身が氷漬けにされた後だった。
「あ、ぐぅ……!!」
「もう、いつも悪戯を叱る側のあなたがこんな事するなんて。驚いちゃったわ」
自分の命を犠牲にする事も覚悟しての行動を、悪戯の一言で片付けられる。それだけ、自分と今のエルサには圧倒的な能力の差が存在していた。
「私はね、フロー。もう、アレンデールなんてどうでもいいの」
エルサが、もはや逃げる事も抵抗する事もできなくなった彼に近づく。今度こそ、両手を広げて自分の胸の中へと迎えに行く。
「アレンデールの歴史? 民? それが、私とフローの間に何の関係があるのかしら?」
ひゅっーーと、フローの喉から声にならない音が漏れた。それが、絶対にエルサの口から聞きたくなかった言葉を聞いてしまったが故の、心が引き裂かれた音だと、わかるものはいない。
「でもパパとママの事だけは心残りだったから。だからありがとう。フローのおかげで、二人への想いもちゃんと清算できたわ」
ーーああ、まただ。
ーーまた、僕は間違えてしまった。
ーーごめんなさい、陛下、イドゥナ様。
ーーごめんなさい、僕なんかがエルサたちの執事になってしまって。
「ごめ……なさ……」
「謝ることはないわ、フロー。これで本当に、私はアレンデールの女王じゃなくて、ただのエルサになれるのだもの」
エルサが自身の女王の服に手を触れる。その瞬間、彼女の服はパキパキと音を立てて氷始めて、数秒と経たぬうちに粉々に砕け散った。
「ーーーー!」
そして露わになったのは、まるで芸術のようなエルサの女体。膨らんだ胸、見事なカーブを描いた砂時計型の腰つき、そしてその下の…………
慌ててフローは目を逸らした。守るべき主人であり、また大切な幼馴染である彼女の裸体を、こんな形で見ては、いや従者である自分が見ることは許されないと。
「ふふ、何を恥ずかしがってるの? もう何度も、私の体を味わっているのに」
「な、何を……言って……?」
だがその言葉が、今度こそフローの思考を止めた。エルサの言っている言葉の意味を理解できない。だってそれはまるで、自分がエルサと体を重ねた事があるかのようで。
「あとでたっぷりと教えてあげるわ。ベッドの上で……ね」
そしてその真相を確かめられる事はなく、手を翻したエルサの足下から魔法の光が彼女を包み込む。
美しい白肌の上に、星々の輝きを収めてそれを氷の中に閉じ込めたと言われても信じてしまいそうになる美しいドレスが、無から形成されて行く。
エルサの纏められていた金色の髪が、その光沢を黄金のように強めながら解かれていき、宙に靡いた髪糸一本一本が意思を持ったように動きながら三つ編みへと変わって行く。
「フロー、これが私なの。あなたの温もりに抱かれた女の子。あなたの全てに恋をした、ただのエルサ。あなたを愛する、妻の姿よ」
そして光の輝きの中から現れた彼女を見て、女神が降臨したと、フローは思った。
宝石のような青いドレスを見に纏うエルサは、元から美しかった美貌をより神秘的な天上の美へと進化させていて。
そのあまりの神々しさに、フローは自身の現状も忘れて魅入ってしまう。魔女に、心奪われてしまった。
それが、フローがエルサの魔法によって眠る前に映した最後の景色だった。
「フロー、私はね……あなたさえいれば、他に何もいらないの」
忘我の境地に攫われ、意識を魔女の手に手放してしまったフローを、エルサは優しく抱きしめる。
「国も、名声も、地位も、お金も、他人も……そして家族も。あなた以外どうでもいいの」
抱きしめたフローの体は、魔法の力で凍ってしまっているのに、だけどしっかりとその内から感じる変わらぬ温かさに、エルサは自身の心を安堵に包んだ。
彼はこんな事をした自分も、変わらず愛してくれているのだと。
「私、決めたの。もう誰にも、何にも、邪魔をされない場所にあなたを連れて行くって」
だからもう、何も怖くはない。
これでいいのだと、自分を好きになれた。
これでいいのだと、自分を信じられる。
彼と共に、未来に歩き出せる。
「私と、フローだけしかいない場所。そこで、永遠に愛し合って暮らしましょう」
自身の胸の中で気絶して眠る愛しい青年を抱きしめる。傷ついた彼の体を労るように触り、その露出した肌に頬を重ねながら。
「ありのままで 空へ風に乗って」
そしてそんな二人を包むように、エルサの魔法が渦を巻く。空気中の水分を、全て白い雪へと変えて。二人の姿を、何者をも汚すことのできない純白の白の中へと隠していく。
「ありのままで 飛び出してみるの」
そしてそのまま、二人は空を飛ぶ。魔法で空中に作られた氷の道を、まるでウエディングロードを共に進むように雪で出来たソリを滑らせてアレンデールの大空へと飛翔する。
「二度と、ええもう二度と……涙なんて流さないように」
そしてそっと、口付ける。唇を通して伝わってきた熱は、やっぱりあの日と変わらずに、優しい温かさに満ちていた。
「ああ、もう私……少しも寒くないわ……フロー♡」
「フロー、フロー!!」
アナは城の最上階へと続く階段を決死の表情で走っていた。
なぜフローによって中庭に続く隠し通路へと消えた彼女が再び城の中へと戻っているのか?
その理由は単純明快。フローの最後の言葉に嫌な予感を爆発させた彼女が、彼を助けようとその胸の内の炎を再燃させたのだ。
フローの言葉を聞いて、即座に閉じられた隠し通路を戻ろうとしたが、一方通行の扉は開く事なく。
ならばとウェーゼルトン公爵の静止を無視して通路を駆け抜け、広場に出た瞬間にそのまま反転してお城の中へと戻ったアナは、フローの考えそうな事を察して最上階へと脇目も振らずに走り出したのだ。
だがアナがそこにたどり着いた時、もう全ては終わっていた。たどり着いた城の屋上は氷の世界に包まれていて、そこにいたはずのフローもエルサもどこにも見当たらない。
いや、厳密にはまだ見えるのだ。
壊れた壁の向こうに伸びた氷の道を滑り降りるエルサと、その彼女に抱きしめられたフローの姿が。
「フロー!!!」
それを認識した瞬間、アナは開いた壁の穴から飛び出した。何か策があるわけではない。ただ、やっと手に入れたフローを奪わせてなるものかと言う衝動のまま、エルサが作った氷の道へと飛び乗った。
「待ちなさい、エルサ!!」
そして懐から、用意していた短剣を抜き放った。それを突き立てる相手は決まっている。それを躊躇する理由は、傷つき捕まるフローを見た時から存在しない。
アナは滑る。ソリで氷上を滑るエルサに追いつける道理はないのに。そんな事知らないと、ただ激情のままに追いかけた。
そしてそんな諦めの悪い虫を、氷の魔女もまた捕捉した。
「まだいたのね、アナ。私とフローのお見送りに来てくれたのかしら?」
「ふざけないで! フローを返しなさい! 彼は、私の夫なのよ!!」
距離が離れているのにも関わらず、二人はお互いの声をしっかりと聞き届けていた。聞き届けているが故に、アナの発した決して許容できない言葉にエルサの眉が歪んだ。
「? 何を言っているのかしら? フローは私の夫よ。今も、昔も、これからも。アナの物だったことなんて、一度もないのよ」
「………ッッ!!」
それは、アナの逆鱗やトラウマを的確に突いた。決して、エルサにだけは言われたくなかった一言に、アナの目がこれ以上とない憎悪に染まる。
彼女が、ただ怒りのままに手に持った短刀を振り上げ、それをエルサへと投擲しようとする。
それよりも早くーー
「わかったら、消えなさい……負け犬」
「……っ!?」
アナが滑り降りていた氷の道が砕け落ちた。突然に、何の前触れもなく、構成していた冷気がなくなり、溶け落ちたのだ。
それは自然界の氷では決してあり得ない現象だが、この氷はエルサの魔法によって作り出された、いわば魔法の氷。それを消すも溶かすも、彼女の思うがままだ。
「きゃああああ!!」
アナは落ちる。アレンデール城の先端から伸びた氷の道から、転落する。ある程度滑り降りていたから、地面からの高さはだいぶ下がっていたとは言え、彼我の距離は人一人死なすには十分すぎる高さ。
しかも下には城下町が広がっていた。石畳にぶつかれば、まず間違いなく命はない。
落ち行くアナを、エルサはもう見る事もなかった。死に行く妹を、姉はもう関心さえ払わなかった。
「あああああぁぁ!!」
アナは叫ぶ。エルサに……ではなく、彼女に奪われた誰よりも愛しい幼馴染に。
だけど何度も自分を救ってくれた彼は、魔女の魔法で眠りにつかされていて。
もう、アナを救ってくれる事はなくて。
白馬の王子様は、駆けつけてくれなくて。
そのまま、アナの体は落ちて、落ちて、落ちて、アレンデールの地面へと叩きつけられてーーーー
「危ねぇッッ!!」
その結末を、白馬の王子様ならずトナカイに乗った氷売りが覆した。
クリストフは、アレンデール始まって以来の大事件が起きた時、相棒のスヴェンと共にささやかなパーティに興じていた。
友人からアナの護衛のお礼にと貰った大量の人参を手に、にんじんシチュー、にんじんケーキ、にんじんサラダ、にんじんスパゲッティのディナーを楽しんでいた。
ちなみに、それらのラインナップは全てスヴェンの注文であり、クリストフが別に人参大好きと言うわけではない。彼は普通に肉を所望したのだが、冬の間のスヴェンへのご褒美をケチっていたツケでせっかくのめでたい日を人参漬けにされてしまったのだ。
だがともかく、未来の執事長の友人という事で特別に城の近くの宿舎を丸ごと借りてパーティを許された彼は、その場でスヴェンと歌い踊って一人と一匹だけのパーティを楽しんでいた。
そんな彼らの耳、厳密にはスヴェンのトナカイとしての優れた聴覚が人の悲鳴を聞き届けた事で、クリストフは異常を感じて外に出てきたのだ。
そして目にした、城の最上階を吹き飛ばした爆発と、しばらくしてそこから伸びた氷の道。それにただならぬ予感を感じて氷の道に追随するようにスヴェンを走らせたクリストフは、突如として砕けた氷の道から見知った少女が落ちて来るのを見て、全速力で彼女の落下地点まで移動してキャッチしたのだ。
「おいアナ、大丈夫か!?」
「いったぁぁ……って、あなた……クリストフ!」
受け止められたとは言え、高所から落下した衝撃に顔を歪めるアナは、自身を抱き止めた相手を知って目を見開いた。
フローの親友であるクリストフの存在は、アナはよく知っている。何度かフローへの自身のイメージ向上のために、氷を城に届けに来た彼と喋った事があるからだ。なのでアナにとっては数少ない、と言うか唯一のお城の人間以外で名前を覚えている存在。
そしてついでに、フローに対して決して許されないデマを吹き込んだ怨敵でもある。
「ーーーー」
それを思い出して、一瞬自身を受け止めてくれたクリストフの首元に握っていた短刀を突きつけようとしまうのを、ギリギリで抑える。
なぜなら、今はそんな事をしている場合ではないからだ。そして、最高の足を持っている彼を、ここで殺してしまうのは致命的選択だ。
「おいおいおいおい! 一体何があったんだよ!?」
「いいからあの氷の道に沿って走って! フローがあそこにいるの!」
「フローが!? どういう事なんだよ、それ!」
アナが声を張り上げる。その内容に意味がわからないと顔を困惑させたクリストフだが、彼女のただならぬ気迫を感じてすぐに目の色を変えた。
「スヴェン、行けるか!?」
「ブフゥゥッ!!」
クリストフは深く物事を考えない人間だ。それが彼の長所だと、彼の親友は太鼓判を押して言うし、それが彼の短所だと、想い人にとんでもない勘違いを植え付けたアレンデールの第二王女は言うだろう。
だが今は、彼のその性格が良い方向に働いた。
「よっし、突っ走れ!!」
アナを受け止めてからわずか一分とかからずに、スヴェンはその四本足で地を蹴って風のように走り出す。
慌ててアナがクリストフの背でスヴェンの体に捕まり、クリストフが上半身を前に倒して振り落とされない姿勢を取った。
夜のアレンデール城下町を、トナカイに乗った二人の男女が走り抜ける。
「それで、どうしてあそこにフローがいるんだ?」
「エルサがフローを連れ去ったのよ!」
「エルサって、あのエルサか!? フローが話してた、アレンデールの新女王様……!」
背から伝えられるまさかの人物の名前に、クリストフは目を見開きながら遥か上空の氷の道を睨む。確かに、僅かだがソリのような物が滑っているのと、それに小さな人影が乗っているのが見えた。
暗闇で距離はあるが、生まれてからずっと自然で育ったクリストフは、それが女性のシルエットらしき物だとわかりーーーーその影から幻想的な光がこちらに向けて放たれたのが見えた。
「おい、なんかあれこっち狙ってないか!?」
「……っ! 避けて!」
それはほぼ反射に近い。慌てて大通りの真ん中を走っていたスヴェンを左に曲がらせ、民家と民家の間ギリギリを通り抜けさせる。ぶつかれば大怪我を免れないような急な方向転換。
だがそれも、真後ろで着弾した光が巨大な氷の像を作り出した事を思えば、むしろ大怪我でもマシだったとクリストフは青褪めた顔で悲鳴をあげた。
「うおお!!? なんだ、あれ! ちょっと待て、当たったら死ぬぞあんなの!!」
「また来るわ!」
「嘘だろぉぉ!! スヴェン、右だぁぁ!!」
そしてその直撃すれば即死を免れないような魔法の光が、空襲さながらに次々と全力疾走するスヴェンと彼に乗るクリストフたちを襲う。
そこに容赦も、手加減もない。本気で殺す気の殺意の雨が、ただの氷売りでしかなかった青年とトナカイを強襲するのだ。
「ちょっと待て、あれ本当にエルサなのか!? 俺はフローからエルサは優しくて思いやりがあって、強がりだけど少し臆病な女の子って聞いてたんだけど!」
「今のエルサを見てもまだそう言える!?」
「あいつの目ぇ節穴ぁぁ!!?」
叫ぶクリストフは、絶対あの馬鹿執事に出会ったら一発ぶん殴ると心に決めた。直後に降り注いだ巨大な魔法の光を躱すためにスヴェンに屋台の一つを踏み台に並ぶ家屋の屋根へと飛び移らせる。
その際にスヴェンに踏まれた屋台や家の屋根が粉砕されるが、その請求は全てあいつに叩きつけるとも誓った。
そしてそんな往生際悪く魔法を躱して追従し続けるクリストフたちを、遥かな空でエルサがしつこい汚れを見るように睥睨する。
「ああ、まだ付いてくるの? いい加減しつこいわね」
飛び回る蝿を鬱陶しく感じるような声色で、エルサは大切に抱きしめる青年の親友と自身の妹に冷たい視線を向けた。自分たちの幸せを、愚かにも邪魔をしようとする不敬者たちを裁きを下す女王のように見下し、絶対的な王の断罪を告げる。
「いいわ、もう二度と私たち愛し合う二人を引き裂けないよう、あなたたちに…………このアレンデールに思い知らせてあげる」
そして初めて、エルサはその手から手袋を脱ぎ捨てた。
「おい、なんか……やばくねぇか?」
「…………なに、あれ?」
隣接する家屋の屋根を走っていたクリストフとアナは、その夜空が昼のように輝き始めた光景に目を見張った。
氷の道を滑るソリの天頂、そこに悠然と佇むエルサの頭上に未だかつてない量の魔法の光が収束し、膨張し、そのエネルギーを高めて行く様を。空間が悲鳴をあげるほどの莫大な魔力の渦が、アレンデールの夜空を真昼のように照らしているのを。
クリストフは、見た。その光の渦の先にアレンデールの終わりを。
アナは、見た。その光に照らされた美しい微笑を携えた姉の姿を。
エルサは、見た。父と母が愛したアレンデールを。
そして、最後のお別れと、餞別の言葉を告げる。
「さようならーーーーアレンデール。私たち、幸せになるわ」
そんな、花嫁が結婚式で最後に両親に告げるような言葉を残して、エルサはその手に収束した魔法を解き放った。
「なんじゃ、あれ?」
それに最初に気づいたのは、アレンデール城下町で星占いを専門にしていた占い師だった。この国一番の視力の良さを豪語していた彼は、宙に浮かぶ巨大な雪の塊の上から放たれた光が天頂で輝き、直後に無から巨大な雲の塊が生まれるのを見た。
先ほどまで夜空の星が全て見通せるほど澄んでいた空が、黒く、暗く、塗り潰されていく。星々の輝きが、食われたように広がる雲に飲み込まれ、月の優しき光が彼方へと消え失せる。
一人、また一人と暗くなっていく視界に気づいて、空の異変に目を止めた。音楽隊が、演奏を止めて空を見上げる。酔っ払いたちがあまりに現実感のない光景に立ちすくむ。広場を走り回っていた子供達が、興奮したように騒ぎ出す。
老若男女全てのアレンデール中の人々が、その光景を見た。
それはまるで、闇が世界を覆っているかのような錯覚を人々に抱かせた。その光景に世界の終わりを幻視した。
一秒毎に膨張し、その大きさを強めていく巨大雲。それが、アレンデール城下町をすっぽりと覆うほどの大きさへと成長した時、その動きをぴたりと止めた。
刹那の無音が夜闇を包む。
永遠にも近しい静寂が、アレンデールを覆った。
それが、嵐の前の静けさだと言うことを、誰もが理解しながら。
そしてーーーー空が落ちて来る。
雲が、その質量を保ったままアレンデール城下町を飲み込もうと降ってきたのだ。
落ちてくる雲は、十数秒と経たずにアレンデール城下町で最も大きな建物である教会の先端を飲み込み、その部分を刹那の時さえ数えずに凍り付かせた。
「あ」と占い師の男は自身に落ちてくる雲を見て、短い言葉を残し雲に飲み込まれた。
誰もが、まともな反応一つ取ることが出来ずに音もなく城下町を覆っていく雲の中へと消えていく。
消えていく。飲まれていく。
老人も、大人も、若者も、子供も、動植物の境なく、城下町で息をする全てが白い雪雲の向こうに溶けた。
「……ッッ!! 逃げて、早く逃げて!!」
「やべぇやべぇやべぇ!!! 走れ、スヴェン!!」
「ブオオオオ!!」
それに、全身から危険信号が鳴り響くのを感じたアナが叫び、それに言われるまでもなく同じくらい命の危険を感じたクリストフがスヴェンを走らせた。
真後ろにまで迫り来る雲の濁流に、大急ぎで城下町の出口へと突っ走る。
地に落ちた雲は、多くの民で賑わっていた広場を飲み込み、民家立ち並ぶ通りを飲み込み、この国唯一の港を飲み込み、そしてそこから数十キロ近くの海水を海面まで凍り付かせてーーーー止まる。
静寂が当たりを包む。音と言う概念が無くなってしまったのではと思うほどの無音が世界を覆う。猫の鳴く声も、春の虫の音も、何一つ。何一つ、聞こえない。存在しない。
城下町を包み込んだ雲が晴れた時、そこには何一つ変わらないアレンデールの光景があった。
人も、動物も、建物も、何一つ変わることなくそこに立っていた。何一つ動くことなく、そこに立っていた。
まるで、時を止められたように全てが静止していて。宙を飛んでいた虫が、羽ばたいた形を保ったままぽとりと、地に落ちる。
全ての形が、変わる事なく固まっていた。
全ての時が、歩みを止めていた。
全ての命が、氷漬けにされていた。
そこはまさしく、この世に根元した地獄の最下層だった。
アレンデール城下町で息をする者は…………誰も、何一つとして、いなかった。
「なんて事だ……」
「アレンデールが、凍っている……!」
その全てを、雲が届かなかったアレンデール城で見ていた者たちは顔を真っ青にして見ていた。
雲に飲まれなかったが故に、一つの町が凍っていく瞬間を見せつけられた彼らは、そのあまりの悍ましい光景に慄いていた。
「一体、あの女は……何だったのだ!?」
「魔女だ……」
そのうちの一人、ウェーゼルトン公爵の恐慌した叫びに答える声があった。
誰もが、その声に弾かれたように振り向いた。ゆっくりと、周りの注目を集めるように歩いてきた青年に、その場にいた全ての人々は視線を向けた。
清廉潔白さを表すような白いスーツ。世の女性が思い描く王子様を形にしたような甘いマスク。そして、絶望的な状況にも関わらず前を強く見据えた凛々しい目。
「彼女は、魔女だ。エルサ女王の体を乗っ取った悪しき魔女」
ハンス・ウェスターガードは、歓喜していた。
自分を、アレンデールを救った英雄へと押し上げてくれる存在の到来に。これ以上とない、ヴィランの登場に。
「この国を救うため。そして、その身を犠牲にしてこの城にいた私たちを救ってくれた執事の彼のために、私たちは一致団結して戦わなくてはならない」
だから、退場してもらわなくてはならない。エルサにも、そしてフローにも。そのために必要な駒は、今この城に大勢いるのだから。
「フローのために、この国を私たちが救い出そう」
そんな、あまりにも白々しい三文芝居を、剣を抜き放ち暗闇に包まれた空に掲げて、ハンスは高らかに演じるのだった。
これにて物語の幕は第二章へと向かって行く。執事は氷の女王に囚われ、憎悪に燃える少女は氷売りと共に女王を追い、権力を求めし王子は剣を掲げて戦いの狼煙をあげた。
彼ら彼女らの行き着く先は、未だ暗闇に包まれて。
次回、コメディ担当雪だるま登場
主人公
お持ち帰りされた。もう彼のメンタルはボロボロ。なのにこんなになっても未だ従者メンタルは保とうとする執事の鑑にして、ヤンデレ対応三流の男。彼が早いとこ性欲に負けて姉妹を襲っていれば、もしかしたら早期ハッピーエンドもあり得たかもしれない。
アレンデール終了の瞬間を見なかったのは、彼にとって唯一の幸運。
エルサ
実はアナより最初に主人公の事を好きだった。だけど妹の恋心を知って諦めようとした。でも溜め込んだ末に、魔法の暴走事件を期に色々と想いが爆発しちゃった女の子。
氷使いが全力で力を解放して弱いわけないだろ!
アナ
エルサが想像以上の化け物だったけど、主人公を諦める気は皆無のネバーギブアップウーマン。ただいまクリストフと共に全力疾走中。それはそれとして、あとでクリストフに詰問しなきゃならないことがあるらしい。
クリストフ
頼れる主人公の親友。前回までの出番の無さを払拭する活躍。なお結果が伴うわけではない。このあと想い人を奪われたヤンデレとの二人道中を約束された可哀想な人。
ハンス王子
┗( ・´ー・`)┛ 『答:コロンビア』
女王が自分から暴走して、最大の警戒相手であった主人公を連れてどっかに消えた。この世の春到来。後はお得意の人心掌握術で残った人を纏めてアレンデールを救った英雄になるだけ。