オルクセンにしては珍しく、彼はオーク族の医者だった。
ヴィルトシュヴァインの旧市街で古くからの医院を営んでいるというこの牡が今週のバンドウ俘虜収容所に勤める当番医なのだという。
「フルーベルさん、貴女は運が良い。あの冬用外套を着ていたおかげでこれら破片の殆どを防げていたんですよ」
見せられたアルミ盆の片側に寄せ集められた小さな真鍮片の数々が、私の外套に食い込んで止まっていた破片らしい。
オルクセン軍が支給する冬用外套は、星欧北部の厳しい寒さに耐えられるよう羊毛を厚くたっぷりと使っており、それに加えて私のは先月に支給されたばかりで生地がまだ硬かったから、だから至近距離で三七mm弾薬が爆発したにも関わらず私は助かったらしい。
というのも、アルミ盆のもう片側には爪ほどの大きさの破片が三つと、更に一番大きなものは胡桃殻のようなそれが一つ載せられていたのだ。
「ええ、ええ、これが外套を貫通していた破片でして。……特にこの一際大きな破片は背骨に突き刺さっておりました。エリクシエル剤も使用して見た目には治ったようでしたが、具合はいかがですかな?」
「具合と言っても、特に痛みは感じませんが……」
その問いに私はてっきり背の傷が癒えたのか聞かれていると思っていたのだが、しかし危惧されていたのはもっと深い所であったらしい。
「そうですか。ええ、いや、背の痛みもですが。脚の感覚は残っていて、動かせそうですかな?背骨には脳と下半身を繋ぐ太い神経がありまして、そこまでエリクシエル剤で癒えていれば良いのですが」
なるほどそれは大事だと思い至り、改めて身体に意識を巡らせてみれば、幸いにして衣擦れは確かに脚の肌で感じ取れた。
あるいは、はしたなくも泳ぐように脚を揺らしてみれば、まあ見えなくとも胴が揺すられたから動いてはいるのだろう。
「感覚はある。それに、ちゃんと動いているかな。うつ伏せだと自分の脚は見えないのだが」
「ええ、良かった。動いていますよ。本当に貴女は運が良かった。これならあと三日ばかり、傷が完全に癒えるまで安静にしていれば問題無いでしょう。ええ、本当に良かった」
どうやら私は半身不随になりかけていたらしい。
当の私が気付いた頃には処置が終わっていているので実感が無いのだが、まあ、これでエルミアの奴を泣かせずに済むと安心した所で、それが気になった。
「三日?まさか、ずっとこのうつ伏せのまま、更に三日も?」
「ええ、戦時という事もありエリクシエル剤の使用には統制が敷かれていますから、傷の治りを早くするのには使えませんよ。あるいは療術も、残念ながら私は使えませんから」
「……そうか。ならば仕方ないか」
またもや一週間も寝たきりとなれば、私の身体は相当に鈍ってしまうと嘆くしかないのだが、しかしそうなる理由が戦時ならばと諦めかけて。
「つまり、療術を使える奴が居れば良いのだな。アルトカレ軍の衛生隊から呼び出させよう」
まだ居残っていたマルリアンがそう提言した。
「アルトカレ軍の衛生隊、ですと?」
「ああ、この俘虜収容所への第一陣に捻じ込んでもらった隊の一つだ。アルトリアに籠ってからはむしろ戦闘部隊よりも苦労させていた事に加えて、降伏前からして食糧不足で療術も効果を減らしていたから、先んじてオルクセン本国の俘虜収容所へ送って回復してもらおうとな」
なるほど、マルリアンが居るならば当然ながらアルカトレ軍のいくらかも既にアルトリアから移送されて来ているのか。
「それは、しかしオルクセンにおいて俘虜収容所の医療体制とは我々が提供するものなのですが」
「もちろん。それはオルクセン第三軍と調整した際にも聞いております。しかし、一四万の兵が五七万の市民を抱えながら一挙に降伏するなど、少なくとも私の知る限り戦史に前例は無く、オルクセンの想定にも無かったと聞いている。それに、オルクセンには我々エルフ族を診た事のある医者が少ないだろう?」
「ええ、まあ。それは確かに我々も危惧してはいました。オルクセンが今日のような医療体制を整備してからエルフ族を受け入れた経験など僅かにこの一年足らずですから」
「そして、私はこの降伏を決断した指揮官として、私はエルフィンド軍将兵に対して俘虜になった後でさえ命を差し出せと命じたつもりは無く。故に、私もその為に手配させてもらったまでだ」
「……なるほど。ええ、でしたら。そうですね、協力をお願いしてもよろしいでしょうか?私も正直なところ、専門家の知見を得たいとは願ってはいましたから」
そしてまあ、マルリアンは軍を率いる将の矜持として述べたものの、この自己完結志向はエルフィンドの軍制に由来する、エルフィンド軍将校に凡そ共通する気質だろうな。
そもそもとしてエルフィンドの軍というものは召集に応じて参じた氏族の隊をそれぞれに振り分けて編成するのだが、ここで重要な点が一つある。
軍を同じくした他所の氏族の練度や編成、あるいは装備をまるで信用していないのだ。
その中でも療術兵は技量にばらつきがあり、またエリクシエル剤など各種治療薬であれば氏族それぞれが秘伝のようにして調製している事が多くある。
いや、実状を正しく表すならば、素材の調達に難渋しているために調合を変えている程度ならまだ誠実かつ、正に秘伝と言うべき調製の妙で然程効果が損なわれていない場合もあるのだが、悪質だと他所の氏族へ供出する分だけ調製の手間や素材を省いたり薄めたりとで本来の効果をまるで期待できない粗製エリクシエル剤を用意する。そういった事が横行しているのだ。
あるいは今でこそ小銃とその弾薬はエルフィンド軍の制式としてキャメロットが開発したものを国営工廠で製造してそれぞれの軍へ配当しているが、ロザリンドの頃は本当に酷かった。
当時のエルフィンド軍が調達備蓄していた量からして足りていなかった事に加えて、同盟のドワルシュタインへの供与として更に目減りしていたのだ。
それもドワーフ族の国に工業製品である小銃を供与なんてと不審に思い戦後になって調査してみれば、実際には調達予算を横領していた事が発覚するのを防ぐ為の帳尻合わせだった。
そういう中央の事情を知ってか知らずか、独自に多少の武器を蓄えていた氏族は当時かなり多く、あるいは我らトストルプのハーマセンのように氏族で銃工を抱えて内製していた氏族もいくらか存在していた。
あるいはロザリンドへの途上で現地調達と嘯き他氏族の隊から盗みを企む氏族もいて、これは小銃や弾薬に留まらず糧食の類も狙われて大変に苦労させられたのだが。
さて故に、エルフィンド軍の将校は余所者による手配を信用せず、自らの氏族による手配を好む。
マルリアンはオルクセン軍に対してもそれを抱いたのだろう。
「もっとも、包帯だとか医薬品の補充はシュヴェーリンとの友誼に頼って、それをしばし待つ他ないが。しかし飯ならこの一週間ばかりオルクセンがしっかり食わせてくれたからな。驚いた事に私が何を言わずとも、将の私と同じだけ良い飯をたらふく食わせてもらっているよ」
それでやってきた療術兵の顔には悲壮感に加えてまだしっかりと疲労が見えた。
どのくらい酷いかといえば、軍大学で私と何度か顔を合わせた覚えのある軍医中尉にも関わらず、私の顔を見てもホルステナ・フルーベルだと気付かないくらい。
「……マルリアン大将、貴女は部下に気を配って頂ける将だと思っていたが、これではとても」
姿勢や被服は整っているし、肌の血色や肉付きは良いから確かに飯は食えているのだろうが。
しかし、それだけ。
目の前に立っているというのに気配が希薄な、叩き込まれた規律だけが辛うじて身体を動かしている、まるで失輝死寸前の抜け殻のよう。
マルリアンがこの軍医中尉を呼びに行った従卒に対して他の療術使い達もこうなのかと聞いてみれば、その回答は是であった。
「いや、そんな。……だが、これが現実として、どうしたものか」
恐らくはアルトリアの包囲戦で気を病みながら療術を使い過ぎたのが良くなかったのだろう。
ダークエルフ族がオルクセンに逃れた頃にも似たような事があったと聞いているが、しかし復仇を支えに出来た彼女らと異なり、包囲戦の末に降伏したアルカトレ軍の将兵に頼るよすがは極めて少ない。
そこまで考えて似たような経験がある事を思い出した。
「ひとまず酒でも飲ませて走らせてみては。煮立てて濃くしたワインに火酒を加えて酒精を補ったのを、それを倒れるほど飲ませて。そして翌日には二日酔いだろうと丸一日走らせて、それを気が立つまで繰り返すのです」
「酷い飲み方だな。それでトストルプ銃隊はロザリンドから立ち直ったと?」
「ええ、死んだ奴の飲み方を真似た弔い酒でしたが。しかし結局、気の病に効くのは酒と汗でしょう」
こうして私の療術治療は断念する事となり、逆にアルカトレ軍の療術兵やその他の気を病んだ将兵への療養支援にトストルプ銃隊が駆り出される事となった。
やる事は至って単純。晩に酒をたらふく飲ませて、翌日にはとにかく走らせ、生者には不要なモノを吐瀉物や汗と共に吐き出させるのだ。
もっとも、ロザリンドの後に飲まされ走らされたのは私なのだが。
まったくハーマセンめ、今から思い出しても荒療治に程があるぞ。
マルリアンの本音「我が軍の貴重な療術兵を食料不足のアルトリアに残して、あまつさえオルクセン軍の小間使いにさせて消耗などさせられん」