夜、月明かりが綺麗だ。
緋色の真相編については無視しても問題ない。
いくたびもの繰り返しでそれについての裏は取れている。
ふらりと訪れた工藤邸で、俺は紅茶をまったりと嗜みながら目を伏せた。
食事なんて、味覚も嗅覚も触覚もないから正直体をコマンドで動かすだけの作業でしかない。
でも、この高級そうな調度品に囲まれた部屋で楽しむとなると雰囲気だけでも随分と俺を楽しませてくれた。
「急にお邪魔したのに上がらせてもらってすみません」
「いえ。何か話があるようでしたので」
沖矢昴は変装姿のまま鷹揚に頷いた。
そして視線だけで先を促す。
「それで、いったいどのようなご用件でしたか?こんな夜分に」
「キールと共謀して死んだふりをしているようですが、僕は把握済みだということをお伝えしにきたんです」
「………えーと、きーる?でしたか?それはどのような…」
混乱は一瞬だった。
前置きなしに切り出したというのに、素早く平常心へと立ち直り、赤井秀一はとぼけたふりをしてこちらを鋭く伺ってみせた。
流石、これで人生一回目とは到底思えないハイスペック超人の一人である。
恐ろしい才能……!
おそらく俺がこの域に達したのはループ200回代後半…などと多少ふざけつつ。
もう一度ティーカップを口に運び、味も食感もないそれを飲む動作だけ繰り返す。
「貴方は赤井秀一だ。今この場でその首の変声機をとってもいいし、顔のマスクを剥いでもいい。それについては確信していることだ」
「……だとしたら君の目的はなんだ?」
「前提条件を合わせておきたかっただけです。この後そちらに無駄な隠蔽の手間を取らせるのもなんなので」
本気で用件はそれだけだ。
この先俺が赤井秀一イコール沖矢昴だと知っていると伝えておかないと、無駄にタイムロスが生まれる場面が発生してくるからな。
伝えるタイミングはいつでも良かったが、それが今日になったというだけの話だ。
俺は用件だけ手短に言い放ち、席を立とうとティーカップを下ろす。
かちゃりと陶磁器の当たる小さな音が耳障りだ。
「なら、君に聞きたい」
帰ろうとする俺を引き止めるように赤井が口を開いた。
赤井は静かに変声機の電源を切り、元の声で俺へと問いかけてくる。
「スコッチのことを、君はどう考えている」
「───、それがお前に何か関係があるか?」
思わず銃器を懐から取り出しそうになり、慌ててコマンドをキャンセルする。
白熱する視界が煩わしい。
なんで、なんで今その話をする。
ああいや冷静になれ、数百ループ前も同じ流れでキレそうになったじゃないか。
時折信じられないタイミングで地雷を踏んでくるのが赤井という男だ。
そしてマジでその行為に悪意も敵意も一切ない。
普通に疑問だったとか話のきっかけ作りにとかで、核爆弾のボタンを気軽に押しまくってくるのだ。
つまり俺の敵。間違いない。
ああ、否応なくあの日のことが思い出されて脳内のリソースが食い尽くされていく。
あの日。
ループの誤差で雨が降っていた。
天候の違いはよくあることで、俺は何百回目かと同じように親友の死体をその目で見ていた。
どの「あの日」だったか。
最初は。
俺は結局スコッチの逃げ込んだビルが特定できず、ただライから死の報告だけを受け取った。
それが悔しくて悲しくて、五度ほどわざと死にに行ってまでスコッチの逃げ場を特定した。
それから400回ほど無意味に繰り返し、スコッチの死はあのビルである必要がないことを知った。
逃走途中に他の組織員に見つかって銃殺された。
狙撃されて死んだ。
逃げる途中で車に轢かれ、くだらない事故で死んだ。
そうやってスコッチは信じられないほど呆気なく死んでいった。
手に親友の血がべっとりと付着している。
どれもこれも俺の失敗で、きっと痛かっただろうに恨み節の一つも言わないで。
彼はいつだって俺を想って死んでいった。
『ゼロ、お前は生きろ』なんて。
何十年繰り返しただろうか。
俺は無能なので時間がかかった。
無理なんだと、はなからそういう選択肢なんてなかったんだと気づくまでに、それだけの時間を要してしまった。
まあ、諦めれば話は早い。
無駄に何百回もループするからヒロが何度も痛い思いをするのだ。
初めから諦めれば、原作通りに手っ取り早く話を進めれば、ヒロは速やかに心臓を撃ち抜いて死んでいける。
頭が回らない。俺がゆるりと首を振って酷い思考を振り払った。
本気でこの赤井とかいう空気クラッシャーを殺しちゃダメかな。ダメか。ダメだったわ。
「君はなぜあの時、スコッチを探しにきたのかと思ってな」
「お前に話す義理はない。……僕はもう帰ります。夜分失礼しました」
機械仕掛けのように一礼し、部屋を後にする。
俺がどんなに怒ろうと、声は一定の調子で読み上げ機能のように発せられる。
それがある種救いであり、呪いであった。
どっぷりと日の沈んだ暗闇に身を滑り込ませるように、閑静な住宅街を進んでいく。
RX-7を走らせていると、それだけで少しだけ気が晴れた気がした。
ちらり、とバックミラーに映り込むヒロの影。
それが俺の精神的な弱さを示していて、俺は内心小さくため息をついたのだった。