本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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104話 偽りには、本物の物語を

 

 校長室へ戻った時には、全員が一度ずつ階段から転げ落ちたような姿になっていた。

 

 ハリーの眼鏡にはひびが入り、ロンのローブは裾が半分ほど消えている。ハーマイオニーの髪は普段より広がり、ロメルダは焦げた毛先を反対側へ寄せて隠していた。

 

 ダンブルドア先生は机の前を通り過ぎ、ハリーの正面に立った。

 

「ハリー。まず、君に謝らねばならん」

 

 壁に掛かった歴代校長の肖像画が、そろってこちらを見た。

 誰も眠ったふりをしていない。

 ハリーは答えなかった。ひび割れた眼鏡の奥から、ダンブルドア先生を見つめている。

 

「わしは、君がダーズリー家で大切にされておらぬことを知っていた。それでも、君をあの家から移さなかった」

 

「なぜですか」

 

「君の母親が残した守りを、血縁へ結び直したからじゃ。ペチュニア・ダーズリーの家を君が自分の家と呼べる限り、ヴォルデモートは君に手を出せなかった」

 

 ハリーの口元がわずかに歪んだ。

 

「ダーズリー家の人間から守る魔法はなかった」

 

 ダンブルドア先生は目を伏せた。

 

「その通りじゃ。わしは君を生かすことを優先し、そこで受ける傷を軽く見た」

 

 言い訳を足さなかったのは、たぶん正解だった。

 どんな理由があっても、階段下の物置が寝室になるわけではない。

 

「もう一つ、理由があった」

 

 ダンブルドア先生は続けた。

 

「君を、名声から遠ざけたかった」

 

「名声から遠ざけるために、マグルの家へ?」

 

「有名になることで、人がどれほど簡単に自惚れるか、わしは自分の経験から知っておった。若い頃のわしは、自分の力と賢さを過信した。君にも同じ危険があると恐れたのじゃ」

 

 ハリーは少し考えてから言った。

 

「僕が傲慢になるかもしれないから、何も知らないまま育てた」

 

「そうじゃ。そして、その判断は極端だった」

 

 ロンが何か言いたそうに口を開いたが、ハーマイオニーに袖を引かれて閉じた。

 

 おそらく、名声を避けることと部屋を与えないことは別問題だ、と言いたかったのだろう。

 わたしもそう思う。

 

「だが、言うべきことはそれだけではないはずだ」

 

 暖炉の横から、トムが口を挟んだ。

 ダンブルドア先生の眉がわずかに動く。

 

「今、話す必要があるかね」

 

「ハリーは全て知る必要がある」

 

 トムはハリーへ向き直った。

 

「君の中には、ヴォルデモートの魂の一部がある」

 

 ハリーの指が額の傷へ触れた。

 

「呪いが跳ね返った夜、裂けた魂の一部が君に入り込んだ。君は、彼が意図せず作った分霊箱だ」

 

 ロメルダが息を呑んだ。

 

「そして、僕も彼の分霊箱だ」

 

 トムが言った。

 ハリーの手が杖へ伸びる。

 

「これこれ。彼は味方じゃよ」

 

 ダンブルドア先生が片手を上げた。

 

「味方?」

 

 ハリーは杖を抜かないまま、トムを睨んだ。

 

「トムは日記に分けられたヴォルデモートの魂の一部じゃ」

 

 ダンブルドア先生が説明した。

 

「マインの魔力で独立した肉体を得た」

 

 全員の視線がわたしへ向いた。

 

「わたしは本を読んでいただけです」

 

「大体いつも、そこから始まるよな」

 

 ロンが言った。

 否定できない。

 

「ヴォルデモートが僕を殺さなくなったのも、そのためか」

 

 ハリーがトムへ尋ねた。

 

「そうだ。あの男は途中で、君が自分の魂を宿していると気づいた。殺すより、取り込んだ方が都合がよいと判断した」

 

「取り込む?」

 

「君の身体と名声を利用する。自分は表へ出ず、英雄である君を通じて魔法界を動かすつもりだったのだろう」

 

「だから、僕をヘンリー・ポーターにした」

 

 ハリーの声が低くなる。

 

「最初は僕を使うつもりだった」

 

 トムは淡々と答えた。

 

「ダンブルドアに見捨てられた少年が真実を知り、闇の帝王を倒す。そんな英雄を作ろうとしていた。僕が従わなかったため、君に切り替えた」

 

「自分の魂を持っている人間を、自分を倒す英雄にするの?」

 

 ジニーが顔をしかめた。

 

「ずいぶん回りくどいわね」

 

「本人は洗練された計画だと思っていたはずだ」

 

「面倒くさいな」

 

 ロンの感想は簡潔だった。

 

 世界征服をたくらむ闇の帝王は、もっと大きなことだけを考えているものだと思っていた。

 実際には、自分の過去を嫌い、自分の名前を捨て、他人の名前を作り、校長先生の評判を落とすことに熱心だった。

 世界より先に、自分の気持ちを整理した方がよい。

 

「それから、ロメルダ」

 

 トムが低い声で呼んだ。

 

 ロメルダは焦げた髪を指に巻きながら、顔を上げた。

 

「なに?」

 

「ヴォルデモートを相手に、二度とあのような煽り方をするな」

 

「あのようなって?」

 

「惚れ薬の話だ」

 

 ロメルダは数秒考えた。

 

「でも、めっちゃ効いてたじゃん」

 

「効いたから言っている」

 

 トムの声は冷静だったが、目がまったく笑っていなかった。

 

「命知らずな行動と、勇敢な行動は違う。的外れな侮辱なら、彼は不愉快になるだけだ。だが、的確すぎる侮辱は殺意を招く」

 

「あれ地雷だったんだ」

 

「地雷と分かって踏むな」

 

「分かってなくて踏んじゃった」

 

 ロメルダは唇を尖らせた。

 

「だって、恋したことない人が世界を征服なんてできるの?」

 

「その発想を、本人の前で口に出す必要はない」

 

「でもヴォルたん、マグルの恋愛とか愛とか、めちゃくちゃ嫌ってたじゃん」

 

「その呼び方もやめろ」

 

 トムの忠告には、珍しく切実さがあった。

 ヴォルデモートを目の前にして惚れ薬の話を始めた時、トムは戦闘中より緊張していたのかもしれない。

 

「リータ・スキーターが書いた記事には事実もあったんだよ。僕は惚れ薬のせいで生まれてきた」

 

 ロメルダはトムの顔をまじまじと見る。

 

「トム様のお母さんが、マグルの男に惚れ薬を盛って結婚したってやつ。本当だったんだ」

 

「……事実を元にしている」

 

「母は僕を孤児院に残して死んだ。父は、僕が生まれたことすら望んでいなかった」

 

 トムの声には何の揺れもなかった。

 揺れないように、長い時間をかけて固めた声だった。

 ロメルダはようやく髪から手を離した。

 

「じゃあ、ヴォルたんがマグルを嫌ってるのって、それもあるの?」

 

「それだけではない」

 

 トムは即座に答えた。

 

「純血主義は、彼が権力を得るために選んだ思想だ。自分が半純血であることを隠し、他者より上に立つために利用した。だが、父親への憎しみが何の関係もないとは言わない」

 

「自分を捨てた父親がマグルだったから、マグル全部を嫌いになったんだ」

 

「彼は、そういう理屈を好む。自分を傷つけた一人を憎むより、その一人が属するすべてを憎んだ方が、自分は被害者でいられる」

 

 ロメルダは眉を寄せた。

 

「でも、一番悪いのって惚れ薬を盛った方じゃない?」

 

 トムの目が細くなった。

 

「何が言いたい」

 

「だって、好きじゃない人を薬で好きにさせたんでしょ。逃げたマグルだけのせいにするの変じゃん」

 

 トムは答えなかった。

 ダンブルドア先生が、ひげの奥からロメルダを見ていた。

 ロメルダは腕を組み、ようやく話がつながったという顔をした。

 

「なるほどね。惚れ薬で始まって、捨てられて、愛なんか信用できないってなったんだ。だからあんなに怒ったのか」

 

「納得して終わるな」

 

「でも、ヴォルたんにも事情はあったんだね」

 

「同情する必要はない」

 

「してないよ」

 

 ロメルダはあっさり言った。

 

「事情があるのと、他人を殺していいのは別じゃん」

 

 トムが黙った。

 

「ただ、次に会ったら惚れ薬の話はしない」

 

「次に会う前提で話すな」

 

「じゃあ、恋愛経験ないのに愛を語るなっていう方だけにする」

 

「何一つ理解していないな」

 

 トムが額を押さえた。

 ロメルダは理解したつもりだった。

 その差が、次にヴォルデモートと会うまでに埋まるとは思えなかった。

 

「それにしても、ヴォルデモートはなぜダンブルドア先生の過去まで調べたんでしょう」

 

 ハーマイオニーが尋ねた。

 

「ハリーを操るだけなら、そこまでする必要はありません」

 

「ロックハートの影響じゃろう」

 

 ダンブルドア先生が答えた。

 

「ロックハートは事実よりも、人々に何を信じさせるかを重んじる男じゃった」

 

 ロンが納得した顔になる。

 

「それで闇の帝王が急に出版へ力を入れたのか」

 

「闇の陣営の広報担当がロックハート先生ってこと?」

 

 ロメルダが言った。

 トムが冷たい目を向ける。

 

「担当部署のように言うな」

 

「でも、広報は強そうね」

 

 ジニーがつぶやいた。

 それは間違いない。

 

 ヴォルデモートは自分の名前を考えるのが好きで、ロックハートは自分の名前を表紙へ載せるのが好きだ。

 二人を混ぜれば、評判を気にする闇の帝王が完成する。

 混ぜてはいけないものを混ぜた結果として、妙に納得できた。

 

「あの、先生。ハリーに取らせようとした予言には、何が記録されていたんですか」

 

 ハーマイオニーが話を戻した。

 ダンブルドア先生はしばらく黙った後、杖を振った。

 机の上に憂いの篩が現れる。銀色の液面から霧が立ち上り、聞き覚えのあるトレローニー先生の声が校長室へ響いた。

 

『闇の帝王を打ち破る力を持つ者が近づいている』

 

『七月の終わりに、彼に三度抗った者たちから生まれる』

 

『闇の帝王はその者を敵と定め、印を刻むだろう』

 

『されど彼は帝王の知らぬ力を宿す』

 

 ハリーの指が額の傷に触れた。

 

『印された者は名を奪われ、偽りの英雄となる』

 

『されど、真の名は失われない』

 

『真の名が取り戻される時、闇の帝王は打ち倒される』

 

『それまでは、印された者も、闇の帝王も、真に己として生きることはできない』

 

 霧が憂いの篩へ沈んだ。

 

「偽りの英雄は、もう終わった。ハリーは自分の名前を取り戻した。ヴォルデモートを倒せてないのはなんでだ?」

 

 トムがハリーを見る。

 

「まだヘンリー・ポーターの小説が受け入れられているからだ」

 

「だったら、その物語を訂正しないと」

 

「ヴォルデモートは本を使ってハリーを英雄にし、ダンブルドア先生を悪人にした。嘘の本が広まったなら、正しい本を出せばいいんだよ」

 

 ロンが不安そうにこちらを見る。

 

「僕の本、本当に自分たちで出版できるのか?」

 

「著作権を奪われない形で出すよ」

 

「そこは絶対に頼む」

 

 先ほどまで予言について話していたのに、急に契約条件の話になった。

 けれど、物語を奪われた原因が本なら、本を取り戻すのは重要である。

 

「編集作業は私がやるわ」

 

 ハーマイオニーが、当然のように手を差し出した。

 ロンは原稿を渡さなかった。

 

「どうしてお前が決めるんだよ」

 

「あなたの原稿、時系列が三か所入れ替わっているもの。同じ日の月が満月と三日月になっているわ」

 

「雰囲気を優先したんだよ」

 

「月に雰囲気で形を変えさせないで」

 

 ロンは渋々、原稿の半分だけを渡した。

 残り半分を抱えているあたり、信用はされていない。

 

「じゃ、あたしは恋の脚注つける」

 

 ロメルダが対抗するように言った。

 ハーマイオニーの手が止まった。

 

「何を付けるの?」

 

「恋の脚注。本文の下に、小さく解説を入れるの」

 

 ロメルダは原稿を一枚抜き取った。

 

「たとえば、ハリーがいつからチョウを意識し始めたとか」

 

「待て。どうしてロンの本に、僕の恋愛の解説が付くんだ?」

 

「読者が気になるから」

 

「気にしなくていい!」

 

「じゃあ、ハーマイオニーはロンの本の編集担当にするね」

 

 わたしは白紙の羊皮紙に、編集担当としてハーマイオニーの名前を書いた。

 その下に、ロメルダが勝手に「恋愛監修」と書き加えた。

 ハーマイオニーが消した。

 ロメルダがもう一度書いた。

 出版社はまだ名前すら決まっていなかったが、編集部の争いだけはすでに始まっていた。

 

「ダンブルドア先生にも、お願いがあります」

 

 わたしは机の上にあった白紙の羊皮紙を取り、ダンブルドア先生の前へ置いた。

 

「自伝を書きませんか」

 

「……わしが?」

 

「はい。ヴォルデモートが過去を勝手に掘り返したので、本人が書いた方が正確です」

 

「今、この場で勧めることかね」

 

「今が一番売れます」

 

 校長室の肖像画たちが、そろって身を乗り出した。

 フィニアス・ナイジェラスが、小さな声で言った。

 

「ヴォルデモートは、ダンブルドア先生を陥れようとしています」

 

 わたしは話を戻した。 

 

「過去を掘り返し、都合よく並べ替え、先生をハリーを苦しめた悪人として広めようとした。だったら、本人の声を出せばよいのです」

 

「わしの言葉だからといって、人々が信じるとは限らんよ」

 

「信じてもらうために、立派に書く必要はありません。それはロンの『つまり、ハリー・ポッターは本当に英雄なのか?』で証明されました」

 

 ダンブルドア先生の青い目が、少しだけ細くなった。

 

「わしは、皆が想像するほど素晴らしい人間ではない」

 

「だからいいんです」

 

 先生のひげを触る手が止まった。

 

「……そこは普通、否定するところではないかね」

 

「素晴らしい人間だと書いたら、また偽りの英雄が一人増えます」

 

 ハリーが、わずかに顔を上げた。

 わたしは続けた。

 

「正しかったことも、間違えたことも書けばいいんです。グリンデルバルドのことも、ハリーをダーズリー家に置いたことも、なぜそうしたのかも。その時は正しいと思っていたのなら、そう書けばいい」

 

「結果として、多くの者を傷つけたとしても?」

 

「その結果も書きます」

 

「容赦がないのう」 

 

「本人が書く自伝なのに、本人に都合がよすぎたら信用されません」

 

 ダンブルドア先生は羊皮紙を見下ろした。

 

「しかし、人は物語に英雄を求めるものじゃ。迷い、失敗し、言い訳をする老人など、読みたいと思うかね」

 

「わたしは読みたいです」

 

 わたしは即答した。

 

「ヘンリー・ポーターみたいに、ずっと格好よくある必要はありません」

 

 ハリーが眉を寄せた。

 

「比較に僕を使わないでくれる?」 

 

「ヘンリーはハリーじゃないよ」

「そうなんだけど、僕は思い出したくもないんだよ」

 

 みんながハリーから目を逸らしている。たしかにあの時のハリーは酷かったと思い出すような顔だった。

 ダンブルドア先生の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。

 

「わしにも、格好の悪いところを書けと?」

 

「はい。迷ったところも、逃げたところも、間違いを認めたくなかったところも」

 

「そこまで正直な物語は人に受け入れられるのかね」

 

「読者は完璧な人より、間違えた人がその後どうしたかを読みます」

 

 ダンブルドア先生はしばらく黙っていた。

 壁の肖像画たちは、聞いていないふりをする気もないらしい。何人かは額縁の端から身を乗り出している。

 

「自伝を書くとして」

 

 先生がゆっくりと言った。

 

「誰が編集するのかね」

 

「わたしです」

 

 わたしが声を上げる。

 

「事実確認は私がします」

 

 ハーマイオニーがすぐに続いた。

 

「恋の脚注はあたしが──」

「付けません」

 

 ロメルダの提案は、ハーマイオニーに即座に却下されて最後まで言わせてもらえなかった。

 

「グリンデルんとのところだけでも」

 

「付けません」

 

「読者が一番気になるところじゃん」

 

「だからこそ、あなたには触らせないわ」

 

 ダンブルドア先生は二人を見比べ、それから羊皮紙へ視線を戻した。

 

「わしの自伝なのに、すでにわしの発言権が最も弱いようじゃが」

 

「本人に任せると、美化しますから」

 

「マイン、まだ書くとは言っておらんよ」

 

 わたしは羊皮紙の一番上に、仮題を書いた。

 

『アルバス・ダンブルドア──偉大ではなかった男』

 

 ダンブルドア先生の笑みが深まった。

 

「題名からやり直そうかの」

 

 ダンブルドア先生は断るとは言わなかった。

 

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