本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:bookworm

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57話 勇者ハリーは誰の手を取る?

 

 その週、ハリーだけが魔法書研究会を休んでいた。

 

 理由はたいしたものではない。

 代表選手としての打ち合わせがあったとか、マクゴナガル先生に捕まったとか、そういうよくある用事だった覚えがある。

 

 ただ、ハリーは知らなかった。

 

 自分がいない間に、魔法書研究会でダンスパートナーの話が進んでいたことを。

 そして、それがすぐに『羽ペン通信』の記事になることを。

 

 朝食の席に置かれた最新号を見た瞬間、ハリーは嫌な予感がした。

 

 「恋の脚注」コラムの見出しが、予感を確信に変えた。

 

勇者ハリーは誰の手を取る? 

 

 しかも署名は、ロメルダ・ベイン。

 

 この時点で、だいたい最悪だった。

 

「……見たくない」

 

 ハリーがつぶやくと、ロンが隣から新聞をのぞき込んだ。

 

「でも、ハリーのこと書いてあるぞ」

 

「だから見たくないんだよ」

 

 ハリーの抵抗はむなしく、ロンは記事を読み上げ始めた。

 

 

 *

 

 

勇者ハリーは誰の手を取る? 

 ドラゴンより難しいパートナー選び

 記者:ロメルダ・ベイン

 

 

 ユールボールまで、いよいよ秒読み。

 第一の課題でドラゴンと向き合った代表選手たちは、次にもっとやばい相手と向き合うことになる。

 

 そう。

 ダンスパートナーである。

 ドラゴンは火を吐く。

 女子は返事をする。

 どっちが怖いかは、人による。

 

ハーマイオニー注:女子をドラゴンと比較しないでください

 

 まずは、ボーバトン代表トム様(トム・ジェドゥソール氏)。

 こちらはフラ様(フラー・デラクール嬢)との組み合わせが、かなり有力。

 いや、本人たちは否定してる。してるんだけど、否定の仕方が派手すぎるんだって。

 廊下で言い合ってるところを見た生徒からは、

「仲悪いの? 仲良いの? どっち?」

 という声も出ている。

 分かる。

 あれは分かんない。

 でも、分かんないから見ちゃう。

 つまり要観察。

 

ハーマイオニー注:「要観察」は恋愛関係を示す根拠ではありません

 

 ちなみに、トム様の応援バッジは、いじると「魅力は校則違反」という文字に変わるらしい。

 

 次、ホグワーツ代表フェル先(フェルディナンド・ブラック氏)。

 注目のお相手は、ダフネ・グリーングラス嬢。

 これはかなり堅い。堅すぎ。

 家柄よし。

 社交的にも自然。

 見た目の釣り合いもよし。

 周囲の納得感もよし。

 恋というより政治?

 でも舞踏会って、半分くらい政治じゃない? たぶんそう。

 

 フェル先はいつも通り涼しい顔。

 ダフネ嬢も、さすがに落ち着きすぎ。

 二人が廊下で並んで歩いてるだけで、何人かの女子が静かに敗北を悟っていた。

 分かる。

 あれは勝てない。

 強すぎ。

 

 続いて、ダームストラング代表ビクトール・クラム氏。

 こちらは、ちょっと意外な人物との組み合わせが噂されている。

 詳細はサプライズなので伏せます。

 でも、図書室によくいる人なら、だいたい察してるかも。

 静かに本を読みに行ったはずなのに、世界的クィディッチ選手が誰かをじっと見てる。

 いや、集中できなくない?

 図書室利用者からの正式な苦情は、今のところ出ていない。

 ただし、熱視線はかなり出ていた。

 これはもう、出てた。めっちゃ出てた。

 

 そして最後に、四人目の代表選手。

 生き残った男の子。

 グリフィンドールの勇者。

 本人の意思と関係なく炎のゴブレットに選ばれて、ドラゴンに立ち向かった十四歳。

 

 ハリポ(ハリー・ポッター氏)。

 

 ここで大事なお知らせです。

 魔法書研究会のメンバー、だいたいユールボールの準備が進んでます。

 ブクマちゃん(ローゼマイン・マルフォイ嬢)は、「踊る時間があるなら本を読みたい」と言っていた。

 なのに、ダンスパートナーは兄に手配されているらしい。

 過保護だけど、分かる。

 ブクマちゃんは放っておいたら本棚に向かう。

 

 パド姉(パドマ・パチル嬢)は、舞踏会そのものを取材対象として見ている気配あり。

 たぶん踊りながらでもメモを取る。

 マクミ君(アーニー・マクミラン氏)は、「これは代表選手周辺の人間関係を探るための社交的罠では」と真顔で言っていた。

 でも相手はいるらしい。

 よかったね、マクミ君。演説しすぎ注意。

 

 グリグラちゃん(アストリア・グリーングラス嬢)は、フォイ君(ドラコ・マルフォイ氏)に誘われて参加予定。

 なお、フォイ君は「妙な意味はない」と説明していた。

 説明が長かった。つまり要観察。

 

ハーマイオニー注:説明の長さと恋愛感情の有無は直結しません。

ロメルダ再注:直結はしないけど、読者は気になるはず。

 

 ハーみょん(ハーマイオニー・グレンジャー嬢)については、図書室によくいる人なら分かるかも。

 分からない人は当日のお楽しみ。

 いや、ほんとに楽しみにしてていいと思う。

 

ハーマイオニー注:意味深な記述は控えてください。

 

 ルナぴ(ルーナ・ラブグッド嬢)は、クリスマス休暇にしわしわスノーカックなるものを探しに実家へ帰る予定。

 舞踏会より魔法生物。

 自由すぎ。

 そこがルナぴ。

 ロンロン(ロナルド・ウィーズリー氏)は、誰とは言わないけど、とても可愛くて最高のパートナーをゲットしたみたい。異論は受けつけません。

 

 つまり。

 魔法書研究会の中で、いちばん出遅れてるのはハリポである。

 分からず屋の批判には耐えた。

 バッジには負けなかった。

 ドラゴンにも立ち向かった。

 じゃあ、そんな勇者ハリーが最後に誰の手を取るのか?

 恋の脚注は、まだ閉じません。

 

 次号、続報を待て。

 

 

 

 *

 

 

 

 ロンは、読み終わったあとで沈黙した。

 

 ハリーも沈黙した。『恋の脚注』コラムの横のページではウィーズリー・ウィザード・ウィーズのカナリアクリームの広告が踊っている。食べたら鳥になるというなんとも愉快な広告だ。

 

 向かいの席では、ハーマイオニーが耳まで赤くしていた。

 

「……ハーマイオニー」

 

「何も聞かないで」

 

「まだ何も言ってない」

 

「聞く顔をしていたわ」

 

 ハリーは口を閉じた。

 

 それから、もう一度新聞を見た。

 

『魔法書研究会の中で、もっとも出遅れているのはハリポである。では、そんな勇者ハリーが最後に誰の手を取るのか?』

 

 ハリーの手の中で、羽ペン通信がくしゃりと音を立てた。

 

「……僕は、魔法書研究会を一回休んだだけだ」

 

「うん」

 

 ロンがうなずいた。

 

「一回休んだだけで、なんで僕のダンスパートナー事情が予告になるんだ」

 

「ロメルダだからじゃないか?」

 

 その答えは、あまりにも正しかった。

 

 ハリーは立ち上がった。

 

 グリフィンドールの席から、何人かがこちらを見る。

 レイブンクローの席でも、ハッフルパフの席でも、羽ペン通信を読んでいる生徒たちがちらちらとハリーを見ていた。

 

 ハリーは大広間を見渡した。

 

 そして、問題の人物を見つけた。

 

 ロメルダ・ベインは、少し離れた席で楽しそうにパンにジャムを塗っていた。まるで、自分は何も悪いことなどしていないという顔だった。

 

「ロメルダ!!!!!」

 

 ハリーの声が大広間に響いた。

 

 ロメルダはぱっと顔を上げた。

 

「あ、ハリポ。読んだ?」

 

「読んだよ!」

 

「どう? 引き強くない?」

 

「僕の人生を引きに使うな!」

 

 ロメルダは悪びれもせず、にこっと笑った。

 

「でもさ、実際まだ決まってないんでしょ?」

 

「そういう問題じゃない!」

 

「じゃあ決まったら教えて。続報出すから」

 

「出さなくていい!」

 

 ハリーは叫んだ。

 

 けれど、大広間にはもう笑いが広がっていた。

 

 ドラゴンよりも、炎のゴブレットよりも、いまのハリーを追い詰めているのは、校内新聞だった。

 

 魔法書研究会のメンバーが、ほとんど全員、舞踏会の相手を決めているらしい。

 

 それも、いつの間にか。

 

 そして。

 

「ロンまで?」

 

 ハリーは思わず言ってしまった。

 

 言った瞬間、しまったと思った。

 

 ロンがものすごい顔でこっちを見た。

 

「“まで”って何だよ」

 

「いや、そういう意味じゃなくて」

 

「そういう意味だろ、今の」

 

「ハリポも早く決めなよ。代表選手でしょ? 舞踏会でぼっちはさすがに目立つって」

 

 ハリーの胃が、ぎゅっと縮んだ。

 

 代表選手。

 

 舞踏会。

 

 ぼっち。

 

 どれも聞きたくない言葉だった。

 

 ロンまで決まっている。

 

 ロンまで、という言い方は悪い。分かっている。でも、せめてロンは自分と同じ側にいると思っていた。舞踏会とか、ダンスとか、誰を誘うとか、そういうことで一緒に困っている側だと思っていた。

 

 なのに、ロンはもう決まっている。

 

 ハリーだけが決まっていない。

 

 代表選手なのに。

 

 いや、代表選手だから余計にまずいのかもしれない。

 

 舞踏会で、代表選手がひとりで立っているところを想像して、ハリーは本気で逃げたくなった。

 

「ハリポ、顔死んでる」

 

 ロメルダが言った。

 

「死んでない」

 

「いや、だいぶ死んでる。てか、誘いたい子ってチョウ・チャンでしょ?」

 

「なっ……」

 

 ハリーは椅子から落ちそうになった。

 

「なんで分かるんだ」

 

「分かりやすすぎ〜、恋の脚注の担当記者なめないで」

 

「なめてないけど、そういうのやめてほしい」

 

「じゃあ早く誘いなって。チョウ・チャン、普通に人気あるし、のんびりしてたら誰かに取られるよ」

 

 それは、かなり効いた。

 

 かなり効いたが、効いたからといってすぐに動けるわけではない。

 

 チョウ・チャンを誘う。

 

 言葉にすると短い。

 

 でも、実際にやるのは、ドラゴンの前に立つより難しそうだった。

 

 そのとき、背後から穏やかな声がした。

 

「何か困っているのかい?」

 

 ハリーが振り返ると、トム・ジェドゥソールがいた。ロメルダが「きゃっ」と小さな悲鳴を上げて顔を両手で隠す。

 

 彼は黒髪で、整った顔立ちで、何を考えているのか少し分かりにくい微笑みを浮かべている。ボーバトン代表の一人で、フラー・デラクールを舞踏会に誘った人物。

 

 つまり、男の中の成功者だった。

 

 ハリーは、思わず言ってしまった。

 

「どうやったら、ダンスパートナーって誘えるんですか?」

 

 言ってから、しまったと思った。

 

 でも、トムは笑わなかった。

 

「相手を誘うだけだよ」

 

「それができたら困ってないです」

 

「なるほど」

 

 トムは、少し考えるように首を傾げた。

 

「では、君は何に困っている? 断られること? 言葉を間違えること? それとも、誘う前に逃げ出したくなること?」

 

「全部」

 

「正直だね」

 

 トムは楽しそうだった。

 

 ハリーは少し恥ずかしくなった。けれど、トムは馬鹿にしている感じではなかった。ただ、珍しいものを見るように、ハリーを観察している。

 

「チョウ・チャンを誘うんだろう?」

「なんで君がそのことを知っているんだ?」

 

 トムがハリーがチョウを誘いたいと最初から知っていたかのように言って、ハリーは驚いた。

 ロメルダとの会話を聞いていたんだろうか。

 

「勘かな。簡単だよ、舞踏会に一緒に来てほしいと言えばいい」

 

「それだけ?」

 

「それだけだよ」

 

「本当に?」

 

「余計な言葉は、失敗の入口になる」

 

 トムはとても真面目な顔で言った。

 

 妙に説得力があった。

 

「でも、何もなしで声をかけるのも変じゃないですか?」

 

「うーん、それなら、花でも持っていけばいい」

 

「花?」

 

「舞踏会の誘いなら、不自然ではないよ。大げさすぎないものがいい。相手が受け取って困らない程度の」

 

 ロメルダがすぐ反応した。

 

「花! それいいじゃん。ハリポ、花束ってめっちゃ王道でサイコー!」

 

「王道って言わないでよ。余計に恥ずかしくなるから」

 

「王道は強いんだって。恋の脚注的にも映えるし」

 

「紙面化前提もやめて」

 

 ハリーは頭を抱えたくなった。

 

 でも、花。

 

 チョウに花を渡して、舞踏会に誘う。

 

 想像しただけで、心臓が暴れ始める。

 

「僕には無理だよ」

 

「まだ何もしていない」

 

 トムが言った。

 

「分かってるけど、無理だ」

 

「ハリー」

 

 トムは静かに名前を呼んだ。

 

「ドラゴンの前に立つよりは簡単だろう」

 

「いや、ドラゴンの方がまし」

 

「へえ、興味深い」

 

 トムは笑った。

 

「ホグズミードに行く日に花を買おう。君はそれを渡して、彼女に聞く。僕は近くまでは行くけれど、声をかけるのは君だ」

 

「近くまで?」

 

「逃げないように」

 

「僕は逃げない」

 

「今、逃げる顔をしている」

 

 ハリーは反論できなかった。

 

 数日後、ホグズミードは冬の空気に包まれていた。

 

 石畳の道は冷たく、店の窓には霜がついている。生徒たちは舞踏会の話で浮き立っていて、どの店もいつもより少し騒がしかった。

 

 ハリーは、トムに連れられて小さな花屋の前に立っていた。

 

「本当に買うの?」

 

「ここまで来て買わない方が不自然だ」

 

 トムは淡々と言った。

 

 店の中には、冬でも咲く魔法の花が並んでいた。淡い青、白、薄いピンク。花びらがゆっくり光るものもある。

 

 ハリーは、どれを選べばいいのか分からなかった。

 

「赤い薔薇は?」

 

「重い」

 

 トムが即答した。

 

「じゃあ、白い花?」

 

「悪くない。だが、少し儀式めいている」

 

「薄いピンクは?」

 

「君が持つと、緊張しているのが分かりやすい」

 

「じゃあ何がいいんですか」

 

 トムは、白と淡い青が混じった小さな花束を指さした。

 

「これならいい。華やかすぎず、地味すぎない。チョウ・チャンにも合いそうな色だ」

 

「さすが、詳しいですね」

 

「君より年上だからね」

 

 ハリーは花束を買った。

 

 手に持った瞬間、妙に落ち着かなくなった。

 

 花束というものは、杖よりずっと持ちにくい。杖なら敵に向ければいい。花束は、誰かに渡さなければならない。

 

 それが、とんでもなく難しい。

 

「チョウはどこにいるんだろう」

 

「向こう」

 

 トムが囁いた。

 

 ハリーが顔を上げると、チョウ・チャンが友達と一緒に通りの向こうを歩いていた。黒い髪が揺れて、彼女が笑う。友達もクスクス笑っていた。

 

 ハリーの足が止まった。

 

「無理だよ」

 

「またそれか」

 

「友達がいるんだ。クスクス笑う女の子には近づきづらいよ」

 

「何か問題なのか?」

 

「大問題だよ」

 

 ハリーは小声で言った。

 

「女子のグループに、花束持って入っていけるわけないだろ。絶対笑われる」

 

 実際、チョウの友達の一人がこちらを見た気がした。

 

 ハリーはあわてて花束を背中側に隠した。

 

 絶対に気づかれた。

 

 絶対に何か言われる。

 

「見られてる」

「見られるのが嫌なら、見ている者を別のものに向ければいいよ」

「どういう意味だよ」

「彼女を誘うのに必要なのは、勇気だけじゃない。二人で話せる環境だ」

「だから、そんな場所ないよ」

「それなら、僕が作る」

 

 トムはそう言って、何でもないことのように歩き出した。

 ハリーが止める間もなかった。

 トムはチョウたちの少し手前で足を止め、丁寧に微笑んだ。

 

「失礼。聡明なレイブンクローの方に伺いたいのですが、英国の舞踏会に関する古い慣習について、どなたか詳しい方はいらっしゃいますか」

 

 女子生徒たちの視線が、一斉にトムへ向いた。

 さっきまでハリーを見ていた目が、きれいに逸れる。

 チョウの友達の一人が、少し頬を赤くした。

 

「え、えっと、舞踏会の慣習ですか?」

「ええ。ボーバトンとは少し違うようなので。ホグワーツの慣習を間違えるのは失礼でしょう?」

 

 トムは、完璧に困ったような顔をした。

 困っているはずなのに、全然困っていない顔だった。

 友達たちはすぐに話し始めた。

 冬至祭がどうとか、ローブの色がどうとか。

 その隙に、チョウだけが少し横に残った。

 トムが、ほんの一瞬だけハリーを見た。

 今だ。

 ハリーは心臓が喉から出そうになりながら、チョウの前に立った。

 

「あの、チョウ」

 

 チョウが振り向いた。

 

「あら、ハリー」

 

 友達のくすくす笑いは、今はトムの方へ向いている。

 それでもハリーの声は少し裏返った。

 

 今なら言える。

 

 ハリーは紙に包まれた花束を差し出した。

 

「これ、よかったら」

 

 チョウは目を丸くした。

 

「きれい。ありがとう」

 

「あの」

 

 ハリーは、喉がからからになった。

 

「舞踏会に、一緒に来てくれないかな」

 

 言えた。

 

 言ってしまった。

 

 心臓が喉のあたりにあるような気がした。

 

 チョウは花束を見て、それからハリーを見た。

 

 少しだけ笑った。

 

「いいわよ」

 

「え」

 

「一緒に行きましょう」

 

 ハリーは、言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。

 

 いいわよ。

 

 一緒に行きましょう。

 

 断られていない。

 

 成功した。

 

「本当に?」

 

 思わず聞いてしまった。

 

 チョウはくすっと笑った。

 

「本当よ。誘ってくれて嬉しい」

 

「あ、ありがとう」

 

「こちらこそ。詳しいことはまた決めましょう」

 

「うん」

 

 チョウは花束を大事そうに持って、友達のところへ戻っていった。

 

 遠くで、チョウの友達たちが小さく声を上げた。

 

 やっぱり笑っている。

 

 でも、今度はそれほど気にならなかった。

 

 チョウが花を持って笑っていたからだ。

 

 チョウに「いいわ」と言われたあと、ハリーはしばらくその場に立っていた。

 

 言えた。

 

 言えてしまった。

 

 しかも、断られなかった。

 

 心臓はまだうるさかった。ドラゴンの前に立った時より、ずっと変な音を立てている気がする。

 

 ハリーは、はっとして周囲を見回した。とっくにチョウは友達とどこかに消えていた。それどころか、トムもいない。

 

 トムに礼を言わなければ。

 

 レイブンクローの女子たちの気を引いてくれたおかげで、チョウと話せたのだ。あれがなかったら、ハリーはたぶん、今も廊下の柱の陰で固まっていた。

 

 けれど、そこにトム・ジェドゥソールの姿はなかった。

 

 ついさっきまでいたはずなのに。

 

「……あれ?」

 

 ハリーは首をかしげた。

 

 探してみても、トムはいない。

 

 ボーバトンの生徒たちの輪にも、大広間へ向かう廊下にも、階段の下にもいなかった。

 

 結局、ハリーがトムを見つけたのは、それからしばらく後だった。

 

 トムはフラー・デラクールと一緒にいた。

 

 フラーは何かを言って、少し不満そうに腕を組んでいる。トムはそれを、いかにも涼しい顔で聞いていた。

 

「あ、トム」

 

 ハリーが声をかけると、トムは穏やかに振り向いた。

 

「やあ、ハリー。どうしたんだい?」

 

「さっきはありがとう」

 

 トムは、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「……ありがとう?」

 

「チョウを誘うの、手伝ってくれただろ。レイブンクローの子たちに話しかけて、僕がチョウと話せるようにしてくれた」

 

 トムは黙った。

 

 長い沈黙ではなかった。

 

 けれど、ハリーには少し長く感じられた。

 

「……何のことだい?」

 

「え?」

 

「僕は、君がチョウ・チャンを誘うところにはいなかったよ」

 

 ハリーは瞬きをした。

 

「いや、いたよ。舞踏会の慣習がどうとか言って、チョウの友達を引きつけてくれたじゃないか」

 

 トムの表情は変わらない。

 

 でも、その目だけが、何かを素早く読んだように動いた。

 

「そうか」

 

「そうか?」

 

「なるほど。そういうことか」

 

 ハリーには、まったく分からなかった。

 

「どういうことだよ」

 

「こちらの話だ」

 

 トムはすぐにいつもの笑みを戻した。

 

「チョウ・チャンは?」

 

「え?」

 

「誘えたのかい?」

 

「あ、うん。誘えた」

 

「それはよかった」

 

 トムはそう言うと、ふっと視線を外した。

 

「フラー、悪いけれど、少し行くところがある」

 

「今? 今日は一日私といると思ったのに」

 

 フラーは少し機嫌が悪そうに返した。

 

「ああ。今だ」

 

 そう言って、トムはその場を離れた。

 

 あまりに自然で、あまりに急だった。

 

 ハリーはぽかんと見送るしかなかった。

 

 フラーが、不審そうに眉を寄せる。

 

「あなた、何を言っているの?」

 

「え?」

 

「トムは今日、ずっと私といたわ。少なくとも、あなたがチョウ・チャンを誘うのを手伝う時間なんてなかった」

 

「でも、僕は見たんだ」

 

「見間違いじゃないの?」

 

「いや……」

 

 ハリーは廊下の先を見た。

 

 トムの背中は、もう人混みに消えかけている。

 

 見間違い。

 

 そう言われれば、それで終わる話かもしれない。

 

 でも、ハリーははっきり覚えていた。

 

 レイブンクローの女子たちを前にした、落ち着いた声。

 

 困ったように見えて、少しも困っていない笑み。

 

 そして、あの言葉。

 

 彼女を誘うのに必要なのは、勇気だけじゃない。静かな場所だ。

 

 あれは、トムだった。

 

 でも、今のトムは知らないと言った。

 

 ハリーは、わけが分からないまま首をかしげた。

 

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