▽カリギュラ 第四幕より引用
ーユージン・サーナンー
誰しも自分の手の届かないものや、自分を照らしてくれるものに惹かれることがあるだろう。
日常の中で例えるならばクラスに一人いるような、底なしに明るい人間から気力をもらったり。自らを燃焼させることで、我々の生息する世界に昼という概念を作り、生物が生存するために必要な日光を絶えず作り続ける。
そんな人のことを、人はよく太陽のようだと例える。
例にも挙げたような太陽に照らされる人間の人生は、どこか充実した生活を送る。
太陽のような子やそういう存在に励まされ、大きな目標を作り、そこに至るために欲望のままに希望をもって突き進む。
その日その日が充実していなくとも、最後のゴールが達成できればそれで全部がチャラに思えているように。
人生を、太陽に照らされた健康的な植物のように情熱的に楽しく進み続けている。
では、月はどうなのだろうか。
太陽が存在を消すのと同時に浮かび、夜の概念で存在を続ける。太陽よりもはるかに小さく、地球に最も近い天体。
月にも地球の7割を占める海の満ち引きや地球の自転を一定に調整するという役割が存在はするが、どこまでも自発的な太陽とは違い、太陽の後を追うような形を飽きることなく続けている天体。
『おつきさまってさ、おひさまのことをうらやましいとおもったことないのかな?』
昔、自分が母親に聞いた何のこともない純粋な疑問の言葉を思い出すが、当時俺の母は何と言っていたのか。母も疑問を投げた自分自身もとっくに忘れてしまっている。
覚えているのは、聞いた事だけ。
返答を聞いて、返答を忘れて疑問だけ覚えているという事は、きっとその言葉に納得がいかなかったからなのだと自分は思う。
成長した自分は当時の疑問に対しての問いを無理くりな形で導き出して納得させているのだから。
『太陽の光を反射しかしない月はそもそも役者が違う』
嫉妬も渇望も、鏡みたいな石ころのものじゃ相手にされないだろう。
それは、きっと人に当てはめた時でも同じ結論になるだろう。
☆
人が秋を感じる瞬間は落ち葉を踏んで乾いた音を聞いた時だとよく言う。
夏の終わり際であり、鬱陶しいとも思っていた暑さは、その熱気を少しだけ潜め、夜には鈴虫の音色が聞こえ始める時期。
9月も中盤になり、あれほどうるさいと感じていた蝉の命を削った鳴き声は自身の寿命を使い果たしピタリと聞こえなくなり始めた時期。
「あのさ、いいかな」
「なんぞや美咲さんや」
「美術館とか、行ったことある?」
「随分と突然のことを聞くなお前」
互いにファミレスで休日の昼食を一緒に食べている中、友人である奥沢美咲は頬に一粒の米をつけながら俺にそんなことを聞いてきた。
「ついてんぞ」なんて指摘してやると「ありがと」なんて言いながらスマホのカメラで確認しながら口元についている米をふき取る。
美術館に行ったことがない、というよりもそもそも価値のある絵を実物としてみたことはないに等しい。
そういう絵画を見ていたとしても、美術の教科書に載っているものか、クイズ番組でひっきりなしに紹介される何処かの誰かの書いた風景画な程度だ。
「期待しているかは知らないけど、見に行ったことも高尚な絵を生で見たこともないな」
「いや、そのねあたしがこころ達の絵を解釈して、こんなふうの曲を作ろうって書いてるじゃん」
「それだけ聞くとお前の作業負担エグいんだがな」
人様の事情に口出すつもりはないけれど、単語だけで判断するなら結構ブラック気味では?とは思う。
しかし、美咲のやっている音楽活動自体は存外楽しそうに彼女も行っているので、まぁいいかとはなる。
「でね、最近自分でもそういう風に絵を見て解釈する事が多くなってきたから、精度を上げておこうと思って」
「解釈の精度って上がるものなのか?」
「そりゃあ、上がるんじゃない?明確な答えのあるものとかなら」
何事も鍛錬は必要とは確かに言うが、感性の観点に関してもそれがそうであるのかはわからない。
しかし、自分がそれで成長したと思えるのならば確かな進歩となるのだろう。
「だからさ、これ」
美咲は俺に2枚の紙をずいっと差し出してきた。
「チケット?なんで俺に」
「次まで言わせる気かー……じゃいいよ」
「展示会。一緒に来て」
美咲が俺の顔を真っすぐ見て一大決心のように、こちらを誘ってきた。
「そういうのは、お前の所のメンバーで行くもんじゃないのか?」
「そういうと思った……あのさ、解釈してる人たちと行ってたら特訓にならないじゃん」
「いや、あの比較的マトモそうな水色の人は?」
「予定を聞いたら先約があるって言われた」
どうやら、悉く予定が合うことがなかったようだった。ここまでダメになっていると流石に同情の念も出てくる。
「……ドンマイ」
「はっ倒すよ」
残念ながら、お気に召す回答ではなかったようだった。美咲からは暴力行使の宣言に等しい言葉を投げつけられ、俺は慰めの言葉をかけることをやめた。
当たり前ではあるがこれ以上突っつくと次には自分の頬に大きく綺麗な紅葉を落とすことになるとは確定している。
「兎に角、一人で行く事を考えてなくて、2枚買っちゃったからあんたを誘ってるの」
「そこまで聞くと行かないのが可哀想になってくるな」
「……」
「無言で足を踏まない」
俺はそのチケットを彼女から反撃を受けながらも頂き、後日また集まることを約束した。
奥沢美咲という人間は、俺に対していろんな悩みを打ち明けてくれる。
良い壁役になれているのならそれでも良いが、彼女のその苦労話の中にはよく一定の人物の名前が良く入っている。
「こころがさ」と彼女の口からその単語から始まる苦労話は幾度も聞いた。
いつ頃から言い始めただろうかなんて、記憶を辿っても、その始まりから話された個数が多すぎて遡りきれない。
一つ確かなことは、そう言って愚痴を溢す彼女の姿は、どこか満足そうにも見えた。
アレの事を、決して自分のためだけの天体だなんて口が裂けようが言わない。
そんな彼女の誘いから、俺は彼女のバンド活動のライブを見にいった事がある。
着ぐるみ姿でDJをしている姿の彼女を見て引き攣った顔になりかけたが、事前に彼女の方からそういう話をされていたのでギリギリ耐えられた。
そして、彼女達を引っ張っているリーダーの姿を見て、ただただ思い知らされた。
彼女がステージに立つ姿を見て。
彼女を照らす太陽の姿を見て。
ああ、これでは勝ち目がないな。と思ってしまった。
ハナから彼女にとって自分が大それた人であるなんて思い上がるつもりもなかった。
どこまで行っても、俺は月でしかない。
ただ、アイツにとっての太陽が自分じゃなかったという事実が、そんな気持ちの悪い劣等感と、とばっちりの身勝手な敗北感と共に俺の心に酷く突き刺さった。
☆
チケットを受け取り、日を改めた何日か後の休日のこと。
俺たちの入った会場には、当たり前ではあるが展示作がずらりと並んでいる。どれも描き方も感じ取れる感想も違うものであるが、一貫して共通していることがある。
一同共に、月が並んでいる。
人の心を惹きつけるような、黒の海に浮かぶ点在する星々とは違う大きな主役。
どれを見ても、それだけは統一されていた。
俺たちの行くことになった展示会のお題は月。
季節柄というものでもあるが、わかりやすいお題目を描いて展示する事で、何か光るものを見つける事も目的の一つなのだろう。
月の絵というもので有名なものは、やはりゴッホの星月夜だと思われる。
渦巻く夜空の中に星と三日月が大きく輝き、まるで絵が生きているかの様に錯覚させる。それほどまでに印象的な絵画。
何故、夜空が渦を巻いているのか。
何故、実際の風景では見えていない糸杉を描いているのか。
何故、自分の晩年にこの様な絵を描けたのか。
現在でも様々な見方があり、その全てが正解だと言う事はない。
解釈とは人それぞれ。性格や人となりを知っているような間柄ならともかく、作品だけがポツンと置かれているだけのモノでは限りなく正解に近い解釈が限界なのだ。
そういう面では、絵画とはある意味哲学と似た所があるのかもしれない。
その時代の価値観では正しい事。
その時代では人こうあるべきだ、正しいのだと主張すること。
そんな説がいくつも転がって、いくつも議論されていった哲学。
それは正解が分からないという点では合致するのだろう。
とはいえ、絵一つに込められた思いを当てるという事は自分の目から言ってしまえば、高校の現文の問題くらい正答かどうかの見分けをつけるくらいの精度の低さなのだから、そこまで読み取ったところでどうにも言えない。
結局、座学でああだこうだといった所で実物を見ての判断になるから何ともいえない。
「んで、来たけどよ」
「お前、これ全部解釈するのか?」
「……ちょっと無理な気がしてきた」
しかし、如何せん数が多い。展示されている作品は手足の指を全部使っても足りないほどの量がある。この量を全て見て読み取ろうとしたらとんでもないほどの時間を使う。もしすべて読み取ろうとしたら、出来たりはするのだろう。
だけど、それではなんだか違う。
そんな、テストの問題に解答するようにさっさと出すような真似はそもそも作品に対して礼儀を欠いているとも言える。
大量生産大量消費の時代であるなんて言われるとはいえ、その流れに身を任せるかのように自分たちもやってしまうのはどうなのか。
「何個か注目して、何を描こうとしたのかを感じ取るでいいんじゃない?」
「……さすがにそうするかな」
「じゃ、終わったら連絡」
「ちょいちょい……」
そう言って美咲と別れて個別に展示を見て回ろうとしたところで呼び止められる。
「あんたさ、一緒に来てるのに別々ってのはちょーっと違うでしょ」
「……こういうのは一人黙々と鑑賞するものだと思ってたんだがな」
鑑賞こと解釈の邪魔にならないように遠くに行こうとしたが、残念ながら必要のない配慮だったようだ。
「ほら、一緒に行くよ」
美咲は俺の手を引っ張って、何個かの展示のもとに自分も引きずられるように付いていった。
☆
夜空は黒。星は白。月は黄色。月、月、月。
そうやって誰もが想像するような色で塗りつぶされた無数の絵画たち。何処を見ていても、細部は違えど同じものがずらりと並ぶ。
ずらりと並んだ月の絵たちを眺めていて、ふと思い出す言葉がある。
今は昔、竹取の翁というものありけり。
月と思い浮かべる物語の始まりの文章にこれ以上の書き始めを自分は知らない。
小さなころに知らなかったこの一文は、高校に上がってから思いもよらない所で幼少期の記憶と繋がったことは今でも覚えている。
母親に子供特有の好奇心で、「お月様はどうしてあんなに光っているのに夜じゃないと見えないの?」みたいなことを聞いたことがある。
きまって解答は「お餅をつくうさぎさんがお昼にお休みしているからだよ」なんて回答だった。
子供の時は当たり前のようにそれを納得をしていた。
子供ながらに夢のある答えだとも思った。
小さなころに見た絵本にも、似たような事が書いてあった気がする。
だから、小学校に上がって理科の時間に見た月を見た時、その石みたいな見た目にがっかりしたことは今でも覚えている。
絵本で書かれていたような兎が住んでいるわけでもなく、表面の写真には初めに足をつけた人類の足跡と、無重力の世界に立てられたプロパガンダに塗れた星条旗が写っていた。
六度もその地に足跡をつけた人類は、いつしか月の大地への好奇心すら捨て、月の探求を終了させた。
空に浮かぶお月様は、決して夢のある見た目もしておらず、宇宙に置かれただけのただの大きな石でしかないと彼らはそう結論付けた。
その事実は自分の夢の根幹をひっくり返すような事象であったことは間違いない。
だから、今更人の夢の詰まった月を見ても、それが描かれているよりも綺麗なものではないと言ってしまいそうになる。
大人になって絵本を見ても、並大抵の物でない限り、感心して取らないんだろう。
それでも尚、目を惹くものがゴッホの星月夜のように並々ならぬ思いの詰まった作品と言えるのだろう。
描き手のそれぞれの夢が詰められた数々の月を淡々と見て回る。
さほど心に残るようなものはないかな、なんて思いながら次の絵へ、次の絵へなんて足を運び続ける。
そうして、一つの絵画の前にたどり着いた。
お題としては他と何も変わったところのないはずの月。
なのに、どうしてもその月から目が離すことができない。
魅力的だと思えない。特別なのだとも思えない。それがなんで目を惹くのかが自分でもわからない。
わからない。わからない。
その絵に特段の特別さを見出したと言うわけではない。
夜空は黒。星は白。月は黄色。その色使いが違うわけでもない。
荒野の夜に乾草が地を転がり、その上部に真っ黒の夜空に一際目立つ様に大きく、奇妙と言えるほどの色使いで塗られた月が描かれているだけ。
奇を衒っただけの絵なら、既にこの展示会の会場にたくさんある。
なのに、自分はその一枚から目を離せなかった。
そうしてずっと突っ立っていると、スタッフの方がこの絵についていろいろと教えてくれた。
その絵画の下には小さなキャプションが付いていた。
あの絵は何も名乗らずに寄付という形で絵を与えられたらしい。
自分とさほど年齢の変わらない少年に、話をされて絵を預かる事を了承した矢先に、その少年と一切の連絡が取れなくなったとの事だった。
作者の事情なんか知ったことではないと思っていたのに、衝動的に絵の背景まで知ってしまった。
知るつもりなんてなかったのに。付き添い程度で済ますつもりだったのに。
材料が揃ってしまった。解釈をするための材料が。
絵も、背景も、人生すらも察してしまった。
ここまで揃っていて知らんぷりを決めるのは話が違う。
「おーい、どっか行くなー。」
そこまで頭を回していると、見る事にしていた絵画を見物し終わったのか美咲は自分の方へと向かってきた。
「気になるやつは見れたか?」
「大体ね。なんとなーくだし正解って言えるのか分からないけど、何を描きたいのかはちょっぴりわかった気がするかな」
そんなことを言いながら、再び自分の隣に美咲は近づいてきた。正直なことを言うと、背景とか何にも知らないで正解かななんて導き出せている時点でこの友達は十分すごいとは思っている。
「そっちはなんかいいの見れた?」
そう聞いてくる美咲に、俺は黙って自分の視線の先の作品を指差す。
「……なにこれ」
「色んな意味でいわくつきっぽい絵」
「まぁ……そりゃそう見えるけど」
あまりにも身も蓋もないような返しをしたが、美咲もなんとなくで自分と同じくほかの展示品とは違う只ならぬイメージをこの絵から受け取ったようだった。
「なんか、読み取れたりする?」
「ずいぶんなキラーパスなこと」
「お前が言うか?」
「……それもそっか」
そういうと、またじっくりと美咲は目の前の絵を眺め始める。
結局俺はこの展示会から帰るまで、この絵についての解釈も自分の中で形にすることも解釈を聞くこともなかった。
絵に添えられるキャプションというのは、題名に画材、サイズや値段などが追記されているのが大まかなものらしい。そのキャプションには、画材も値段も書かれておらず作者の名前もなく墓標の前面に簡素に名前が刻まれるように、ただ題名だけが小さく記されていた。
『心』
嫌な事に、その名は彼女が大変世話になっている人の名前と同じ題名だった。
☆
展示会から帰宅し、自宅である少し古風な家の縁側で頭に残ったあの絵のことを思い出す。
少し前まではカンカン照りに輝いていた太陽はとっくに沈んでおり、一日の主役のタスキは昇ってきた月にわたっている。
季節としても、夜を彩る光が色鮮やかな花火であった季節から、星の輝きに変わり始める中、自分は古めかしい家の縁側で一人慎ましくそんな空を見上げている。
風が吹けば、地面に落ちた落ち葉が数センチほど浮いてはカサカサと葉っぱ同士の擦れる音が聞こえる。
曰く、夏や冬の大三角と同じように、秋にも図形星座グループのようなものが割り振られているらしい。
自分自身もこの年に聞いて初めて知ったことではあるが、秋はそれが大四角形。
アンドロメダ座のアルフェラッツ、ペガサス座のマルカブ、シェアト、それらの近くにあるアルゲニブ。これら4つの星を結んで大四角形とされるらしい。
正直、夏や冬と比べても分かりにくく、どこかこじつけのようにも感じてしまうのは口には出してはいけないことなのだろう。
しかし、今の主役は星ではない。
それよりも遥かに近く、遥かに輝き大きく浮かんでいる月。
作り置きしておいた真っ白な団子を口に頬張り、ぼんやりと月を見上げる。
頭の中では、あの絵に対する解釈との絵に対する不安が、頭の中をぐるぐると駆け回る。
何度も言うが、解釈の正解なんてものは作者に聞くこと以外に確かめようがない。
だけど、背景を知ってしまった。
散々時間をかけて、あの時見たあの絵「心」のことを自分の中で飲み下そうとしてみる。
あそこに込められたのは、単純な希望とか、明るい未来とか、そういうようなポジティブなものではない。
あそこには、執着が込められていた。
絶対に手の届かない場所に佇みながら、何一つのものを言うことなく、ただ静かに佇んでいる月。
当然ながら、そんな月に確かに希望や未来への思いは込められるだろう。
ただ、それも初めの間だけの話だ。
月は太陽とは違い、普遍的なものはどうあってもなれない。その形を変えて、最後には一度夜空の色に紛れてしまう。
我々の乗せていた希望も未来もひたむきに無視して。我々が憧れていることなんかつゆ知らずに。
そうして、初めて自分たちは気づくのだ。
我々は、ハナから月に相手にされてすらいなかったのだと。
そう気づいてしまえば、人間は脆い。月に捧げていた一方的な信仰心は歪み、先鋭化していくことでまた一つの形へと変化する。
それが、狂気。
誰もがそうなることを恐れ、そうならないようにと理性を保ち続ける。
しかし月とは、その目覚ましい人類の努力を全て無下にするようは力がある。
月とは美しいものととらえるものが多い一方、人間の潜在意識どこかで恐ろしいものと考える。
月の美しさに魅入られて、三日三晩狂い果てた王がいた。
何処までも相容れぬ狂った月の民が、竹から生れ出た美しい姫を連れて行った。
神話、物語だけでも月の美しさの中にある、自らを破滅させるような恐ろしさが記されている。
見ているだけで、吸い込まれていきそうな。自分の大切なものを吸い取られてしまうような不安。
そんなものを、自分は感じざるを得なかった。
「お隣失礼しますよっと」
そんな風に頭を自分の中でいろいろと考えていたら、隣に美咲が座ってきた。
「一応カギはつけてたんだが?」
「どっかの誰かさんがカギをあたしに渡してますけど」
確かに鍵を渡してはみたことはあるが、こちらはそもそも一緒に出掛けた日に、まさか帰ってきてすぐにこちらの家に向かってくるとは思ってない。
「風流感じてんね」
「これで風流と呼ぶんなら、先人に謝罪の一本程度は入れた方がいい」
「団子を作りおいてるなんて準備がいいね」
「話聞いてる?」
こちらの言っていることなどお構いなしに、彼女の興味は団子の方に向いている。
「そもそも、なんでそんなに風流を感じるような格好してんの?」
「気分」
「変わってんね」
カウンターとして手痛い言葉を言われてしまう。変わっているのは承知の上だ。しかし、変わっているという点に関しては、こちらにも反論の余地がある。
「君の周りを見てもそれ言っちゃう?」
「あー……ごめん」
思っていたよりも、変わった関係を築いていることに自覚があったようだ。流石にそんなに深めに刺すつもりはなかったので謝罪はする。いや、先に向こうが刺してきたものではあるのだが。
「団子の方に惹かれるんならさっさと食ったらどうなんだ」
「じゃあ、お言葉に甘えるかな」
俺は、隣に同じように座っている美咲に皿に盛られた団子を勧めてみる。
「……うん。美味しい」
団子を頬張る彼女を横目に、俺も一つ串に刺さっていない無地の団子をつまんでみる。
「昼の、絵の話をしていいか?」
「……何さ、あんたにしちゃ随分と浮かない顔だけど……どれ?あんたがずっと見てたあの月の絵?」
「俺は、あの絵をどうにも好意的には見れなかった」
俺は美咲の言葉に頷き、彼女はそのまま黙って聞いてくれるようだった。
「俺はあの絵に感じて初めに感じ取れたのは、怖いって感じだった」
「言っちゃ悪いけど他と比べても何か変わっているところが目立ってあるわけでもない。そのはずなのに」
「どうしてか、他と同じような絵だって切り捨てられないナニカがある気がした」
自分でも意味の分からない講釈をツラツラと口から出てきてくる。
「子供の時も、自分が活発に動いているときに目にしていたお天道様よりも、眠くなってパジャマを着ていざ寝るってなったときにふと、部屋から見えた月に好奇心の矢印は向いていた」
いつか、自分の周りを日常のように回っていた衛星が突然消失したら?
少なくとも、そこに住まうものは誰も正気ではいられないのだろう。
自分の私生活において、自分の周りを回り続けていたと思っていた衛星は、もっと大きな太陽にその公転を変え始めていたのだから。
そんな裏切られたような絶望が詰まったものが、あの絵から訴えかけられたものだった。
「きっと、あの絵には描き手が生きてきて、感じてきた絶望とか理不尽とか、そういうものの末に書き手の見たどうしようもない現実を描いたんだと、俺は思ったんだ」
それが、ボロ切れみたいになるまで天体に狂わされた描き手の生涯を叩きつけた絵についての俺の感想だった。
「絶望とか、理不尽ねぇ……」
最後まで話を聞いてくれた彼女は、僕の言葉を反復するように呟くと少し黙った後にまた口を開いてくれた。
「きっとさ、それも正解なんだと思うよ。私はさ」
「でもね、あたしの見方はちょっと違った」
俺とは違って美咲は、違う角度であの絵を見ていた。
「確かにさ、そんな感じの見方もあたしもそうなのかなって思った」
「でも、それだったら絵にあった月の光みたいなものに納得がどうしても行かなかった」
絵を頭の中で思い出す。確かに絵には月の光が降り注いでいる見方は確かに出来はした。でも俺は砂漠に月があることは、現実の中に手の届きようのない残酷な月という見方としか出来なかったから、彼女のその見方は悲観的にしか見てなかった俺にはできない見方だった。
「あれはさ、いつか手の届かない月にも頑張っていくことでいつか自分が明るく生きていけるんじゃないかなって」
「そんな希望のある見方を、あたしはしていたいかな」
「……明るいやつだな。お前は本当に」
正反対の見方をした彼女は、どこまでも光を目指すようなものだった。
「一年中太陽みたいな子と一緒にいたからね、そっちに引っ張られてるかも」
美咲は、そのことをどこか満足そうに言い切った。
「きっとどっちも正解だし、どっちも不正解なんだろうよ」
「結局、この論争も作者に解答に〇×をつけてもらわないときりがない」
「その言い方だと、点数はもらえてないみたいだね」
「俺たち、落第者かもな」
俺は当然のことながら、少し願望のように巻き込んだ言い方になってしまった。
「別に、アンタとならそれでもいいかもね」
美咲の方を見ると、その顔はどこか呆れていながらも満足そうな、美咲がいつも苦労を話しているときと同じ顔をしていた。
「ほら、あんたが持ってきた団子じゃん。あんたも食べたら?」
この話をもうおしまいと言わんばかりに、美咲は置かれている串刺し団子を指をさしながら、また一つ団子の串を持ち上げた。横から見える顔は、少し紅くなっているようにも見えた。
さっき言った言葉も気になりはするが、指をさされてしまってはさすがに食わざるを得ない。
自分は残っていた団子に手を伸ばし、一房を口に頬張る。
みたらしの串刺し団子の一球を口の中に入れ、よく味わうように噛む。
「……なんかさ、あんたってほんとに美味しそうに食べるよね」
「食べ物は、等しくおいしく食べるものだろ」
「何より、誰かと食べるものならば特段にな」
「……はい?」
美咲が素っ頓狂な声を上げる。
「ねぇちょっとどういう意味で?ちょっと聞いてる?」
とても久しぶりに美咲の慌てふためいた声を聴いた気がする。
だがもう知ったことではない。彼女は俺の疑問を肯定した。
ならば、これは黒いものと呼ぶには杜撰すぎる。
初めから、公転も太陽も気にしなくても良かったのだ。
月も太陽も、星も天体すらも。
そこにある意味を考えるものではなく、眺めてそれを綺麗と思うことだけでも尊いものなのだから。
月を見上げるくらいなら、ロケットと共に打ちあがって、空に上がって月に着陸してしまおう。
俺の演目に狂った王子はいなかった。
だから、自分が最も焦がれたもので、彼女に対する言葉を紡ぐのだ。
「月がきれいですね」
一欠片の欠損も見当たらない一五夜の月を目にしながら、遠回しな言葉。
文豪の誰も言っていない造語まみれの格好つけ。
「……あーあ。言っちゃうんだ。そういうこと」
「お月さまは、ずっと前から綺麗でしたよ」
月の兎たちが、また一つ杵をつく音がした。
目に留めていただきありがとうございました