纏わりつくような気色悪い暑さが過ぎ去った秋の終、漏れ出る吐息が白く染まる。
部屋着に加えて、一枚羽織る。稍寒ここは、自宅ではない。
「紅茶、飲む?」
「飲もうかな。僕も手伝うよ」
彼女、若葉睦の家。正確には彼女の親が所有する、海沿いの小高い山の上に立った別荘。連休に流星群が流れるらしく、前から言ってい水族館に行く約束のついでに一緒に見ようと誘われた。許嫁の頼みは断れるわけもなく、高校生2人で別荘にやってきた。
海岸線が見える場所に位置するキッチン。そこで便利な電気給湯器を使うことなく、わざわざ薬缶で水を熱する。その間に彼女はポッドに茶葉を入れ、僕は戸棚から茶菓子を取り出す。親に言われていた以前までとは違い、自らの意思で、彼女の人形になることを望んだ。だから今、この行動に疑問は持つことはない。
「なにかあった?」
「いや、なんでもない。クッキーでよかった?」
「うん。カップ持ってくね」
着いてそうそうのティータイム。まだ昼近くと言える時間でもない。
朝は彼女の家の門前で合流し、そこから車で大体1時間前後。移動時間は無言、なんてことはなく、彼女が見たという小説の話をしていた。流れ星を見る恋人の小説。その恋人に自分たちを重ねたらしい。
「トウマの好きな味、勉強したんだよ」
「うん、ありがとう」
テラステーブルに座り、2人で用意した紅茶と菓子を口にする。彼女の人形として、許婚としてこのまま歳を重ねれば当たり前になって行くのだろうか。なんて、人形には必要のない思考は直ぐに切り捨てた。
「海、綺麗でしょ」
「綺麗だね」
「夕焼けもすごいんだよ。後で一緒に見よ」
早めのティータイム終わりに、夕暮れ時の予定が舞い込んだ。
昼食も外で取ろうと言うことで、先に水族館に向かうことにした。タクシーを呼んで、行き先を伝えて。心做しか、隣に座る彼女との距離が朝に比べて近い。
休みということもあって、水族館はかなりの人混み。チケットを買うのもやっとで、展示スペースに入れたのは到着して30分を過ぎた頃だった。
「さて、どこから回ろうか」
展示スペースを示した大看板の前で彼女に問いかける。入口を始点に、いくつかのルートがあるらしい。
「じゃあ、ここから」
彼女は数秒考えた後、フードコートから始まるルートを指さす。
「食べ歩き、してみたい」
「そっか、わかった」
素朴、と言っていいものか、彼女の要求が単純で驚いた。
屋外のフードコートはやはり人が多い。片手ではスマホで館内地図を眺め、空いた片手は彼女に取られ、自由は無い。
「飲み物と……何食べる?」
「フランクフルト」
「じゃあ僕も同じのを」
並んで、買って、受け取って。周りの様子を伺いながら、昼食にありつく。食べ歩きがこれで合っているのかどうかは分からないが、重要なのは彼女が満足するか否か。
「食べ終わったらあそこ」
「わかった」
口を拭きながら次の予定を話すあたり、不満という訳ではなさそうだ。
食後は要望通り、近くにある売店にいた。お菓子、ミニ図鑑、置物と定石通りの品揃え。その中から彼女はあるものを手に取った。
「似合ってる?」
足が垂れ下がったタコの被り物。似合っているかどうかと聞かれたら、答えは一択のみ。
「似合ってると思うよ」
「そう。じゃあトウマはタコで、私はペンギン」
そう言って彼女は被り物ふたつを押し付け、また店内を見て回った。結局買ったのは押し付けられた2つだけだったが、彼女はそれなりに満足したらしい。
手を引かれ、ルートに沿って進んでいく。トドやアザラシ、水中トンネルから見えるシャチやイルカ。想像以上もいい所で、全てが初体験でしかない。
「魚、沢山いるね」
目玉の大水槽の前で休みがてら立ち止まる。
「本当、だね」
見たことない種類も沢山いる、それを見る人も沢山いる。身体は休まっても、人波に晒された心は萎びれたまま。
「エイの裏側、笑って見えるよね」
「確かに、そうかも」
図鑑で読んだ知識を元に、俯いたまま答える。
「トウマもあんなふうに笑えばいいのに」
「それは、難しいかな……」
気を利かせた冗談、なわけが無い。最後に笑ったのはいつだったか覚えてないのに、笑い方なんて知らない。笑ったら表情筋が筋肉痛とか言い出すんだろうか。
「そろそろあっち。ペンギン見たい」
再度屋外に出て、ペンギンの展示スペース。水槽で泳ぐペンギン、陸地でくつろぐペンギン。その中でも彼女は水槽で身体をくねらせるペンギンに目を向けていた。
「あのペンギン、なにかあるの?」
「ううん、水の上で毛繕いしてるの、可愛いなって」
可愛いが何かわからない僕を差し置き、彼女はペンギンを見ていた。
「満足。トウマは他に見たいとこある?」
「大丈夫。帰ろっか」
片手に持った飲み物を飲み干し、水族館を後にすることにした。
帰宅後、何をするでもなくソファーに座って情報番組を見ていた。明日の天気、シーズンに向けてクリスマスケーキや御節の宣伝、今日の流れ星。眺めているといつの間にか日が傾いていた。
「夜ご飯、どうしようか」
隣に座る彼女と一緒にキッチンを漁りに向かう。
「何か作る……って言っても食材買ってこないとだね」
冷蔵庫には調味料ばかりで、棚にはお菓子と保存食のみ。道具があるとはいえ、材料は何一つない。
「デリバリー、やってみたい。ハンバーガーとか、ピザとか」
「電話、してみよっか」
スマホで近くのチェーン店に連絡して、2人分には少し多い位の量を注文した。早くて30分、遅くても1時間程度で届くらしい。
「もしかして楽しみだったりする?」
「うん、すごい楽しみ。デリバリーなんて初めてだし、トウマと一緒に夜ご飯食べるのも久しぶりだし」
ほんの少し声がうわずる彼女と無駄話をしていると呼び鈴がなる。体感の数倍の時間話し込んでいたらしく、スマホに来ていた到着予定時間を知らせるメールにも気づいていなかった。
「じゃあ、食べよっか」
「そうだね」
早めの夕食を皿に並べる。包装紙を剥ぎ取ったハンバーガーは切り分けることなくそのまま食べるらしい。
「……食べづらい」
「偶然、僕も同じこと思ってた」
はしたない事と教わっていたから、大きく口を開いて食べることも、切り分けずに食べることもしたことが無い。けれど、今は親の目を離れて2人きり。たまには行儀悪く食べるのも悪くない。
食べ終わるごろにはちょうど夕焼け時。雲ひとつない空が紅に染まり、揺れる海面に反射する。少し眩しいぐらいの夕焼けを、テラスで、2人で眺める。
「綺麗だね」
「うん、すごい綺麗」
水平線に吸い込まれそうなほど見惚れてしまう。
「そういえば、私いっぱい歩いて疲れたの」
「え、あぁ、うん。かなり歩いたからね」
だから、彼女の言葉で現実に戻ってきて、直後に変な反応をしてしまう。
「今もくたくたで、立っているのもやっと」
「う、うん」
「だからこのままひとりでお風呂入ったらフラフラして倒れたり、のぼせて湯船で溺れちゃうかもしれない」
悪い冗談かなにかか、視線を海からずらさず耳を傾ける。
「……少し休んでから入る?」
「そこは突っ込むところだよ」
彼女のジョークに翻弄された挙句、笑われた気がする。羞恥心を自覚するのはジョークの意味を理解した後だった。
「大丈夫。少し休んでから入る。トウマも少し休んで」
「そうするよ。時間まで少し部屋で寝るね」
枕元のタイマーで目を覚ます。日付が変わる真夜中、意識をはっきりさせてから約束通り、テラスに向かう。時期も時期でさすがに寒く、寝間着の上にコートを羽織ってひざ掛けも持った。
階段をあがり、扉を開けるとそこには月明かりに照らされた彼女がいた。テーブルの上には湯気立つカップが2つと、個包装のお菓子。
「こっち。ココアもあるよ」
「ありがとう」
隣に座り、時間を確認する。流星群の予報まで数分と言ったところだった。
「今日は嘘、あんまりついてなかったね」
「いつもついてるつもりは無いんだけどね」
「嘘ついてないトウマの方が、私は好き」
いきなり言われるものだから言葉を失う。
「毛布、持ってきてるから一緒に入ろ」
言われて、大きめの毛布に2人でくるまる。多分、今日1番近い。
「私、トウマに言わなきゃならないことがある」
「なにかあった?」
「今日、私は嘘ついてたよ」
突拍子のない彼女の言葉と同時に風が吹く。思考はまだ追いついていない。
「嘘、って言っていいのか分からないけど。トウマとここに来た理由、ほかにもある」
「そっか」
道具になったとはいえ、ほんの少し心が軋む。
「聞かないの?」
「聞いていいの?」
「聞いて」
じゃあ、と一息置いて理由を聞いた。
「水族館も、星を見るのも、私の大切な人が憧れてる人の好きな事だから。同じことをしたらその人のことわかるかと思って」
尚の事、心がひび割れていく。
「そう、なんだ。わかった?」
「ううん、全然分からない」
彼女は首を振って否定する。
「でも、トウマと見れてよかったとは思う」
「それなら、よかったね」
その言葉で、ひび割れた心臓が縫い合わさっていく。
「ところで、流れ星に何お願いした?」
「……できることならこのまま」
君の道具として、全てを共有して、都合よく使い潰されて逝きたい。
山羊座の誕生色とか色言葉とか若葉さんにあってますよね