メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』   作:いずさわ

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スペースシャトル・ララバイ⑤

「ふーっ、やっぱりトレーニング後のお風呂は気持ちいいなぁ……今日も沢山走ったし、少しはマルゼンさんに近づけて……って、気を抜いちゃダメダメ!明日も朝練だし、早めに休まなきゃ!」

 

ガチャッ……

 

「お疲れ様ですアルダンさん!そろそろおやすみに……」

 

 

「砂は強く踏むと固くなって……緩やかに踏むと柔らかくなる、と……つまり急加速したい時は強く踏み込めば良いけれど……そうすれば足の負荷が……となれば、芝の時よりもスパートのタイミングを……それなら……ふむふむふむふむ……」

 

 

「……どひゃあ!?あ、アルダンさん?こんな時間までレースのお勉強してたんですか?」

「あら、お疲れ様ですチヨノオーさん♪そうですね?お勉強というより、色々と考え込むのが楽しくなってきてしまって……♪」

「ふふふっ、もーアルダンさんったら。無理してないのならいいですけど……って、あれれ?今日はいつものタブレットじゃないんですね?」

「ええ、実は昨日たまたま知り合った方から、私専用のトレーニングノートを作って頂いたのです。これがまた、考察しがいのある内容でして……」

「昨日……ああ!もしかして背丈がこのぐらいの、少し眠たそうなお顔のサブトレーナーさんですか?」

「あら?チヨノオーさんもご存知なのですか?」

「ええ!あの人私のトレーナーさんのお友だ……あれ、違うんだっけ?どうだったっけ……まあいいや!お友達なんです!あの人ちょっっっと変わってますけど、でも凄い観察眼ですよね!」

「ふふふっ……そうですね?少しおかしな人で、むやみやたらに熱くて……けれども、とっても、優しい人……です……」

「…………あの、アルダンさん?やっぱりその、選抜レース。ダートの短距離、本当に出走するつもりなんですか?」

「……ええ、分かっていますよ。大人しくあと半年待っていた方が良いというのは。己の身体の事を考えれば、そちらの方が正解なのでしょう。けれど、私は」

「え、ええと、そうではなくって、ですね!」

「は、はい?」

「ええと、当然アルダンさんもご存知かと思うのですが……選抜レースというものは、すなわち『ウマ娘がトレーナーに見つけてもらう為のレース』ですよね?」

「え?ええ、当然存じ上げておりますが……」

 

 

「そ……それだったら、あの人に─────」

 

 

──────────────

 

 

「サブトレさーん!スポドリ出来てる?」

 

「サブトレさん?タオル乾いてる?」

 

「サブトレさん!教本でわかんないとこあるんだけど!」

 

「サブちゃん!脚疲れた!マッ」

「待った」

「えっ?」

 

相変わらずに激務の続く、憂鬱な平日の昼下がり……その渦中で僕はぐるぐると無機質に回る時計の秒針を見つめて、ほんの少しだけ、胸を高鳴らせる。

 

「ごめんだけど、僕これから用事かあって……マッサージなら、誰か他の人に頼んでくれないかな?」

「え?え、ええーーーっ!やだー!ウチつかれたー!」

「……ほんと、ごめん、これだけは。これだけは『譲れない』大事な用事なんだ、だから」

「……ふぅん?大事な用事、ねぇ?それってさ、ウチらに言える系?」

「えっ?ええ?い、言えると言えば言えるし、言えないと言えば言えな……ん?言えば言えないって、日本語あってる?」

「……ははーん、なるほど、『女』か」

「えっ!?いや違っ……いや、ん?『女性』ではあるか……?」

「みんなーーーーーー!彼女だ!サブちゃん彼女できてる!絶対彼女!」

「違う!それは違う!」

 

 

──────────────

 

 

「ふぅ……なんとか撒いたか……」

 

 

「1、2、3……1……1、2、3、4……」

 

 

「……!」

 

重厚なドアノブを、回し、開き、一歩、立ち入った第一ジム室の中。熱々としたウマ娘達がひしめき合うその渦中に……今日も、居た、間違いない。

あの日からもう一週間以上、だと言うのに未だ僕の瞳に新鮮に映り続ける彼女……『メジロアルダン』。その真っ赤な学園指定ジャージを誰よりも鮮やかに着こなす姿も、そのロングヘアも白い肌も、その瞳も、やはりあの日と同じように、僕の眼の中で燦々と瞬いていた。

 

「ふぅっ、はぁっ、はぁ……3セット完了……さて、負荷は今ので……」

 

「………………」

 

一つ違っていたのは、彼女がトレーニング中にしきりに覗き込んでいるものが、ピカピカの高性能タブレットから一冊百円のどこにでもあるノートに変わっていたことである。昨日よりもさらに年季の入ったその表紙を見て、思わず同じような皺を浮かべてしまう僕の顔。慌てて僕はひしめくマシンの影、彼女の視界の死角に隠れて、気を落ち着ける。

 

「さー筋トレ筋トレ!て……うわっ。また混んでるし……あ、アルダン先輩!」

「あら、貴方は先日の。ふふふ、今日も精が出ますね?」

 

と、なんとも情けなく右往左往している間に、どこかのウマ娘に先を越されてしまう僕。あの娘、確かこないだもアルダンと話してた娘みたいだけど……

 

「私の事覚えててくれたんですかー?いやー、光栄だなーっ!あ、ところでなんですけど先輩って、もうそろそろトレーニング上がったりします?」

「そうですね?では本日はそろそ……ろ……」

「……先輩?」

「……申し訳ございません、今日はもう少しだけこのマシンは『お譲りできません』ね?」

「あー、そうですかぁ……」

「ええ、今は基礎体力の向上に努めよと申し付けられておりますので。ですので、もう少しだけ♪」

 

「……!」

 

そろそろ姿を現そうかと思った矢先、またもや顔の皺を増やしてしまい、その場に立ち往生する僕。良かった、このジム室にはもう『具体性』無く、手当り次第に、いたずらに我が身を消耗させる、変わりたくても変われない行き詰まりのウマ娘は、いない。

たとえ一見非効率的でも、具体的な『譲れないもの』を両手に握りしめて邁進する彼女の姿は、それでも、明らかに先日より『変化』して見えた。それが良い変化なのかはまだ分からないけど、それでも僕はただそれだけの事が、本当に嬉し……

 

「申し付けられて……あーっ!先輩、専属トレーナー見つかったんですね!おめでとうございますー!」

「……!」

「いいなぁ、私も早くトレーナー欲しい!いつまでも基礎トレばっかじゃつまんないし……あ!先輩のトレーナーって、どんな人なんですか?どうやって出会ったんです?」

 

 

「んっ…………!?」

 

唐突に飛び出してきた彼女の質問に、思わず……本当に、ほんとうに思わず、一言も逃さぬように僕は聞き耳を立てる。やがて若干の間を作ってから次に話を始めたのは、もちろん質問を受けたその張本人であった。

 

「……違いますよ」

「へっ?」

「違います。確かに私のトレーニングメニューを考えて下さってる方、学園に在籍しているトレーナーさんではありますが……『私のトレーナーさん』という訳では、ありません」

「あ……ははは、そうなんですね?すいません、ちょっと早とちりしちゃって……」

 

 

「………………」

 

彼女が、メジロアルダンが言い放ったその至極当然な『予想通り』の返答に、つるりと顔を平らにしてしまう、僕。というかなんでまた、僕はこんな所に隠れてたんだっけ。

 

「……あ、あー!いたいた!今日もお疲れ様、アルダン!」

「あら、お疲れ様です♪なかなか来ないものですから、先に初めてしまいましたよ?」

「ごめんごめん。いやさ、なんかうちのチームの娘に絡まれちゃってさ?なんとか撒くのに時間かかっちゃって……」

「…………ふむ?」

「慣れないんだよなあ、ああいうノリ。ほんと勘弁してほし……アルダン?どうかした?」

「いえいえ、随分と……仲良しそうで、何よりです、ね♪」

「いやいや、舐められてるだけだって……」

 

気を叩き直し、僕は意を決して今日も彼女の前に姿を現す。その肩書きは……まあ、なんだろうな。

 

「……ていうか、その汗の感じ。もう三十分くらいはやってるでしょ?ウェイトトレーニング」

「あら、お分かりでした?ふふ、やはり貴方に隠し事はできませんね?」

「今日はその辺でいいんじゃない?そんでちょっと早いけど、そろそろ外でコース研究しない?」

「ええ、了解です♪あ、お待たせしてしまい申し訳ございません。こちら、よろしければどうぞ♪」

「えっ?ああ、ありがとうございます、先輩……?」

「さて、早速参りましょうか?実は昨日ノートを見返していた時に、思いついたことがありましてですね……」

「おお、奇遇だね?実は僕も昨日、『ふと、閃いた』ことがあってさ?」

「あら、それは実に楽しみです♪」

 

 

「……『違います』って、なんでそんなすぐ分かる嘘を……?あんなの、どう考えても───」

 

 

──────────────

 

 

「ええと、それ、スケッチブック?」

「ええ、ターフそのものや走っている方々などを描いてみることで、より深く構造を理解できるのではないかと思いまして、ですね?」

「おお、お絵描きまで出来るんだね?流石アルダン!」

「ふふ、トレセン学園に入学する前は実家や病院でよく描いていましたね?まあ、それも姉の影響なのですが……」

「へえ、お姉さんの。アルダンのお姉さん、どんな人なんだろう?きっとめちゃくちゃ優しい人なんだろうけど……」

「『どんな人なんだろう』……?ま、まあ、世間に思われているよりもずっと、お優しい方だとは思いますが……」

「『世間』……?で、でも、見てみたいなあ、アルダンが描いた絵……何か、画像とかあったりしない?」

「ああ、それならございますよ?ええと、三年程前の絵で恥ずかしい限りですが、こちらが私の絵で、こちらが姉様の……」

「えっ?え、やば、上手すぎじゃない?プロじゃん、もはや……」

「ふふっ♪それ程でも♪」

「……でも、どっちも凄いけど個人的にはアルダンの絵の方が好きだなあ……なんか本人に似て、優しそうでさ」

「ふふふっ?では貴方も描いてみますか?きっと貴方の描く絵も、本人に似て優しくなりそうです♪」

「えっ?い、いや僕はその……美術『2』だったし……」

「まあまあ、それはそれで味、ですよ♪」

 

 

──────────────

 

 

「お疲れ様です。本日もよろしくお願いいたします♪」

「お疲れ様!今日もよろしくアルダ……ん?あれ、その靴は?」

「実は、いつも使っているシューズがボロボロになってしまって……これでは明日からの、ダートコースでの本番トレーニングに耐えられないかもしれないです……」

「確かに……とはいえ流石に寿命だったって感じだね。こんなになるまで使って貰えて、この子も幸せだったと思うよ?」

「ふふふ、本当にそうならば嬉しいですね♪という訳で新しいシューズが欲しいのですが、せっかくですし、貴方にもご意見を頂こうかと……」

「意見かぁ……あ!それならもう、これから直接買いに行く?」

「まあ、よろしいのですか?それなら……こちらのお店など如何でしょう?」

「ん?これ……スポーツ用品店のチラシ?」

「ええ。このお店、毎回凝ったチラシを作られるので、以前から気になっていたのです♪」

「へえ、チラシかあ……あんまり意識して見た事ないかも……」

「ふふ、楽しいですよ?あまり共感された事はありませんが……私、カラフルなチラシを眺めるのが大好きなのです♪」

「へえ?でもなんか分かるよ。確かに見てると心躍るよね……ええと、この店はどこにあるのかな?」

「それももちろんリサーチ済みです♪車で行けば、二十分ほどで着きますよ?」

「…………車?」

「……ええと、免許など、お持ちではありませんでしたかね?」

「いやっ、免許はあるんだけど……その、あんまり運転得意じゃないって言うか……というかほぼペーパーっていうか、ほとんど壊滅的っていうか……」

「あらあら……まあ、バスでのんびり向かうのも素敵、ですよね♪」

 

 

──────────────

 

 

「っ……ふぅ……っ!」

「……よーし、今日はこれくらいにしとこうかアルダン。明日に備えて、クールダウンはいつもより念入りにね?」

「ふふ、承知しました♪」

 

遮蔽物のない学園内ターフに、季節通りの冷たい風が吹き抜けていく。すっかり落ちるのも早くなった夕陽を見送って、今の僕の瞳に映るのは、紫色に拡がる宇宙と、その中に孤独に光る、一番星だった。

 

「はいこれ、スポドリにスプレー。ゆっくりでいいから、ちゃんと身体整えてね?」

「あら、補充して下さったのですね?ふふふ、毎度毎度ありがとうございます♪」

 

感傷に浸る間もなく、僕は自らの足が吸い付く地上へと視線を戻し、ひたむきにクールダウンを続ける彼女……メジロアルダンに、いつものセットを手渡した。彼女の好きなフレーバーのスポーツドリンクに、彼女の身体に適したコールドスプレーのセット、ここ一ヶ月でたっぷり覚えた、彼女の好きな物の、詰め合わせ。

 

「……とうとう明日、なんですね」

「……うん、明日、だね」

 

そうして二人目線を合わせて、どちらからともなく始まったのはもちろん、明日に迫った『選抜レース』の話。

 

「……本当は、三週間もの時間を基礎練習とコース理解だけに費やそうなんて、初めて聞いた時には耳を疑いました。あまりに『非効率的』過ぎる、と」

「ああうん、それはめちゃくちゃ顔に出てたよ?」

「けれども、今ははっきりと解ります。自分で調べたはずなのに、ただの文字の羅列にしか見えていなかった情報達が……今では理論的に『理解』できて、ある程度は使いこなせている、なんて。ふふ、貴方は本当に凄い人、ですね」

「いいや、凄いのは間違いなく君の方だ。僕だって正直最初は『完走できれば御の字』ってくらいの想定だったけど……間違いない、今の君は充分に『勝てる』。元からダートの適性がある娘にだってね。ここまで踏破できたのは、間違いなく君の頑張りのおかげだよ、本当に君は、凄いウマ娘だ」

「いえいえ、貴方こそ……」

「いやいや、君こそ……」

「いえいえ……」

「いやいや……と、そういえば、だけどさ」

「はい?」

 

お互いにお互いを褒め合う、この感じはまた、いたちごっこになるな?経験則から察しを付けた僕は、咄嗟に話題を切り替える。

 

「そんなに深い意味は無いんだけど、君はどうして、競走ウマ娘になろうって思い始めたの?」

「どうして、ですか。それは……」

「自分自身の生きた証を遺したい、っていうのは前に聞いたけどさ。そう思うようになったきっかけとか、何かあるのかな、って」

「……そう、ですねぇ」

 

僕が何気なく尋ねた質問に、思いがけず真剣な表情で、顎に手を置き頭を捻るアルダン。やがて彼女が捻り出したその答えに、僕は思わず、耳と意識を奪われてしまう。

 

「……夢、だったんです。初めての夢」

「初めての、夢」

「ええ、初めは世界中のどこにでもありそうな、ありふれた憧れでした。堂々たる佇まいのウマ娘達が『自由』にターフを駆け回る姿に、病室のテレビから見たその姿に、強烈に、憧れてしまったのです」

「…………!」

「まあ当然ながら、両親には真っ先に反対されました。というより、今もまだ認められてはいないのですが……」

「……そっか」

「ふふ、自分でも分かっていますよ。初めは純粋な憧れで目指していたものも、時が経ち過ぎて、周りにも反対され過ぎて、いつの間にか『妄執』に変わってしまっていることは。本当はどこか程よいところで潮時にして、新しい夢を探し始めるほうが賢い選択なのでしょうが……」

「いや、やっぱり凄いよ、君は」

「……?」

 

そうして僕は、再び宙へと眼を向ける。いつの間にやら二番星、三番星と浮かび始めた、子供の頃から大好きで、大切で、強く強く夢見ていた無限の宇宙へと目を向けて、そうして、自然と口を動かし始める。

 

「初めての夢は、宇宙飛行士だったんだ。僕」

「まあ、宇宙飛行士ですか?」

「きっかけは、大好きな特撮番組。何万光年先の星からやってきたヒーロー達が、『自由』に宇宙を駆け回る姿に、憧れたんだ」

「ふふ、それはそれは、素敵な夢ですね?」

「……ま、見ての通り今も僕は空なんて飛べずに、こうして今日も地面を這いつくばってるんだけどね。身体能力に致命的な問題があった訳じゃないし、両親にも直接的に強く反対された訳じゃない。単純に怖気付いて、自分の限界を自分で決めちゃって、僕はそうやって、諦めてしまったんだ。だから、そうじゃない君は、凄いよ」

「いえ、そんなこと……」

「それで、二番目の夢がウマ娘のトレーナー。けれどもそれもまた……正直諦めかけてた」

「えっ?」

 

……本当に、僕は学生相手に、一体何の話をしてるんだろうな。頭では分かっていながら、それでも僕は止められなかった。拡がり続ける星空が、ちっぽけな僕の影を浮き彫りにする。

 

「アルダンはさ、『ウマソウル』って知ってる?」

「……ええ、存じ上げておりますよ。ウマ娘は別世界の偉大な存在の名前を受け継いで産まれてきて、その意思に従って走る存在なのだ……という説、でしたよね?」

「その通りだね、流石アルダン。丁度君と出会う直前くらいのことかな。うちのチームのメンバー……だった娘と話してる時に、その話になってさ」

「………………」

「もしかしたらこの世界は、その『ウマソウル』ってやつが作り出したアニメかゲームか小説か何かで。自分達はその中で『役』を演じてるんじゃないか。だから『三冠ウマ娘・シンボリルドルフ役』のウマ娘は三冠を取れて、『その他トレセン学園生徒・A役』の自分は、何も得ることが出来ないんじゃないか……なんて言ってたんだ、その娘が」

「『役』……ですか……」

 

目線を真っ直ぐに、けれどもここでは無いどこかへ向けて、僕は言葉を並べ立てる。そして同時に、心の中で二度、三度とその名を口にした。この切なさを、もう二度と忘れることのないように。

 

「なんとも荒唐無稽な話……だけどその頃の僕、色々上手くいかなくて、思い詰めててさ。その言葉が妙に突き刺さったっていうか、自分のやってることが、全くの無意味なことのように思えてしまって……それで」

「……解りますよ」

「アルダン?」

「実に烏滸がましい限りですが。そのお気持ち、私にも覚えがあります」

 

チラリと横目を向けると。いつの間にか立ち上がり、僕の目線に這わせて同じように銀河を見つめる彼女の横顔が、そこにはあった。

 

「ずっと一人だと思っていました、私は」

「………………」

「初めてトレセン学園に行きたいと両親に打ち明けて、そうして、涙ながらに猛反対されたあの日から……私の夢は、他人に望まれるものではないと理解したあの日から。独りで生きていこうと、決めていたんです」

「……やっぱり凄いよ、君は。そうやって独りになる勇気もあるなんて」

「それでもやっぱり、こんな努力は無意味なのだと思う瞬間はあって。丁度貴方と出会う直前、前回の選抜レースの出走直前に倒れてしまった時などは……正直、何もかもを投げ出してしまいたかった」

「……うん」

 

この一ヶ月で沢山垣間見た、彼女の表情。楽しげな顔も苦しげな顔も、呆れ顔や、ほんの少しの怒り顔もこの眼で視てきたけれども……今、僕の隣でそのどれでもない表情を覗かせる彼女の姿に、性懲りも無く僕は、胸をはためかせてしまう。

 

「ダート短距離のレースに出走登録したのだって。もちろん他の枠が余っていなかったのも本当ですが、けれども正直『破滅願望』のようなものも、間違いなくあった……というのは、どうせ貴方には初めから見破られていたのでしょうね?」

「……まあ、ね」

「初めにあったありふれた憧れは黒く汚れて、あの想いは最早『怨念』のようなものと化してしまっていたのかもしれません。先程の話と照らし合わせてみれば、順風満帆に、『主人公』の役を与えられているウマ娘達に対する、恨み、妬み、怒り……そういうものだけが、私の中にこびり付いていた」

「それも、分かってるよ」

「今まで自分を否定してきた全てを、見返したい。何もかもを、ひっくり返してやりたい。その一心で手当り次第に具体性もなく走り回って……けれども、こんな自分が情けなくも思えて。こんな無意味で無駄な執念のせいで、例えば選抜レースの出走枠が奪われる方がいたり、せっかくの放課後にトレーニングマシンが使えない方がいたり。そんなことが、申し訳なくも思えてきてしまって」

「………………」

「全ての事が許せなくなったり、全ての事が申し訳なくなってきたり。心も、身体も、まるで操り人形のように全部がバラバラに動き回るようになってきて……そしてある瞬間に、まさに糸が切れたかのように、全身の力がふわりと抜けていったのです。『ああ、これでもう、終わりなのだな』と」

「………………っ」

 

 

「そうしたら、何故だかそこに、『貴方が居た』のです」

 

 

くるりと首を回して、こちらに向けられた彼女の視線。その瞳は今まで見てきたどんな場面よりも小さく、弱々しくて。まるで拡がる宇宙の中、今にも掻き消えそうな六等星のようで。

それでも、やはりその瞳は、この世のどんなものよりも美しく思えた。

 

「これが貴方と出逢う前の、今までひた隠しにしてきた私の全てです。どうでしょう、こんな私を、貴方はそれでも『肯定』できますか?」

「ああ、できるよ」

「…………!」

「たとえ最初に描いた夢の形から大きく歪んでいたとしても、怨念と化してしまったとしても。それを『信じ続ける』ことこそが、今の君の脚を押し進める原動力なんだろう。昔の君じゃない、『今』の君の。それに……」

「それに……?」

「最っ高!じゃない?『皇帝』だの『トップトレーナー』だの肩書きにふんぞり返ってる連中が、今まで取るに足らないと思われてた『その他トレセン学園生徒・A』にまるで歯が立たない!?だなんて……なんだか僕は、そっちの方がよっぽど面白く感じるよ?」

「っ……ふ、ふふふっ!ええ、確かに私も、そんな展開の方が好みかもしれません♪」

 

圧力をかけられ続けた恒星が、やがてブラックホールになり全てを飲み込み始めるみたいに。緊張から一転、僕らは二人きりで顔を見合わせ、品性も格式もなく、ただ、笑い合う。

 

「であれば、貴方のことだって。私は絶対に、何もかも『肯定』いたしますよ?」

「僕のことも?」

「ええ、貴方がひたすら臆病に、注意深く。世間や常識、時には自分の行動や思考すらも『疑い続ける』のは。きっと、それこそが貴方のその頭を回転させ続ける為の、原動力だからなのでしょう」

「……そんなもんかな?」

「ええ、そういうものです♪そして、『信じ続ける』私と『疑い続ける』貴方。どちらか片方が欠けていれば、きっと今、私達はこの場所まで踏破できていなかったことでしょうね?」

「それは、ふふっ?そうかもしれないね?」

 

なんだかそれだけの事で、たったそれだけの事で僕は。この先の人生もまた『生きてみたい』と、そう思えたのだった。

 

「……それで、その。もしも、もしもですよ?」

「ん?どしたのアルダン?」

「強制など決していたしませんが……もしも貴方がこれから先も、ウマ娘のトレーナーを続けられるご意思があるのであれば……」

「あるので、あれば?」

「その時は、もし、よろしければ、その、わ、私、の……」

「……………………」

「……私のトレ、れ……レースを。レースを見に、来て、くれませんか?」

「えっ?え、あ、えっと……」

 

 

     ◆

 

『あのなあ……選抜レースってやつは、すなわち『ウマ娘がトレーナーに見つけてもらう為のレース』だろ?』

『いや知ってるよ、そんなの当たり前……』

 

『はぁ……だったらよ、お前が先にスカウトしちまえばいいだろ?メジロアルダンの事』

 

『………………そ、れは、それは、ダメだ』

『は、はぁ〜〜〜?何言ってんだお前?』

『ダメなんだよ、僕にとって彼女は……『都合が良すぎる』から』

 

     ◆

 

 

「………………」

「…………?」

 

彼女の言葉を聞いて不思議と思い出したのは、丁度一ヶ月前に奴と交わした、何気ない会話。そうだな、もしも今、このタイミングで僕が彼女のトレーナーになれたなら、それはどれだけ幸せなことなのだろう。

これからもずっと、この一ヶ月間と同じように彼女と共にトレーニングに励み、レースに出走する。それで、重賞で勝てたら……うれしいな。G1勝てたら……万々歳。というのを、彼女が引退するまで数年間。なんて、まるで百点を取りきったあとのテスト、完璧に釣り合った天秤。実に煌びやかで、完璧で華やかな未来が、確かに今僕の目の前、手を伸ばせば届く場所まで、やってきている。

 

 

僕は僕自身に、性懲りも無く疑いを向ける。

それはあまりにも『都合が良すぎる』のではないか、と。

 

 

「……あ、ああ、もちろんだよ。選抜レースだけじゃない、君がデビューしてからのレースは、絶対、全部、この目で見にいくから」

「…………ええ、ふふ、楽しみにしていますよ」

 

だから、これでいいんだ。これで『終わり』でいい。

彼女は、やさしい。彼女は僕の願いを、きっといつ何時でも聴いてくれるだろう。こうして腹を割って話せば、きっと彼女は僕の『新しい夢』にだって、なってくれる。不安定な棒切れを支える、力強い支柱になってくれるはず……

けれども、それではいけないのだ。彼女は、彼女自身に、『メジロアルダン』になりたいと語ってくれた。彼女は『メジロアルダン』という、まだ誰も見た事のない一等星となるウマ娘なのだ。『僕の三番目の夢』なんて矮小なものに、収まっていてはいけない。

 

……そして、分かるのだ。もしも『そう』なってしまえば、きっと僕は、彼女に甘えてしまうのだろう、と。

心地良い今に甘えて、そのうち僕は、『変化』を恐れるようになってしまう。つまらなくて、納得出来なかった、あの大人達の言動と同じように。

校舎の上に架かる大時計、寮の門限が差し迫るその針を見て、まさに今、妙な胸騒ぎを覚えてしまっているのがその証拠だ。

 

だから僕は、見ているだけでいい。この地上に足を付けて、その様子を望遠鏡で覗いているだけで、それだけで僕は、いいんだ。

 

「……よし、そろそろクールダウンも充分かな?とにかく今日はすぐに寮に帰って、お風呂にゆっくり浸かって、ご飯を沢山食べて、た」

「っぷりと、眠りますとも♪ちゃんと夜更かしせずに、あと、朝ごはんも昼ごはんもいただきます♪」

「う、うんうん。分かってるならいいよ?」

「……分かってます、弁えてますよ、…………ーさん」

「ん?今何か言った?」

「……いいえ?何も?貴方こそ今日は早く眠って下さいね?明日はきっと、祝勝会、でしょうから♪」

「……ふふっ?そうだね?楽しみにしておくよ?」

「では……失礼、いたします」

 

なんとも落ち着かない様子で、足早に去っていく彼女の背を、もう一度まじまじと仰ぎ見る。果たしてその華奢な背に、どれだけの栄光を、これから背負っていくのだろう。

 

「……さて、どうするかな」

 

もう一度見上げた目線の先には、満天の星空。大小様々な星々が鮮烈に……まるでそんなテクスチャを貼り付けたかのように、完璧に広がっていたのであった。

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