同作者が他サイト様へ投稿しているものを転載しております。

放送中のアニメ5期のネタバレを多分に含みます。ご留意ください。

仕事や身内の云々等々により他シリーズの進捗が芳しくない苛立ちを払拭する為に勢いと手癖と雰囲気でやってみました。

18巻と19巻の間にこんな感じの出来事あったらいいな。とか思っていたのです。

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順光線

「本当に身体は大丈夫? 無理はしていない?」

「問題ありません。念の為、戦場の聖女(デア・セイント)に面倒を見てもらいましたので。お心遣い、痛み入ります」

 淡く微笑む少女を見てや、本当に大丈夫そうだと女神アストレアは小さく息を吐いた。吐き出された息は白く染まっていて、朝陽を吸って淡く輝くリュー・リオンの金髪を撫で付けながら、戻らぬ旅へと繰り出していった。ほんの数日前に足を踏み入れたばかりのオラリオだけれど、早朝ということを加味しても、到着した初日よりも空気が冷えたように思う。

 もしかしたら、日夜を問わずに繰り広げられていたお祭り騒ぎが一段落したことに起因しているのかも。

 これが妄言だと即座に否定出来ぬほど、熱く激しい戦いがあった。

 ビッグディールは起きた。それこそ、都市全土がお祭り騒ぎになってしまうほどの。

 結果、大きなファミリアが解体された。小さなファミリア、そのファミリアに手を差し伸べた多くのファミリアが傷付きながらも勝鬨を上げて魅せ、多くの眷族達が次なる高みへ心身を昇華させていった。

 たくさんの子供達が一堂に会し、たくさんの子供達が傷を負った戦争遊戯(ウォーゲーム)

 当事者でなくても血を熱くさせられた、派閥大戦とまで呼ばれた激闘。

 都市が揺れに揺れた大戦から四日が過ぎた早朝。

 女神アストレアは、旅装に身を包んだリューと向き合っていた。

「ディアンケヒトの所の彼女ね。ポテンシャルは聞き及んでいたけれど、オラリオ二大治癒師(ヒーラー)と称されるまでになるとは……」

「彼女には何度も助けられています。喫緊では……」

「喫緊では?」

「……その……ベルと……深層へ落ちた時なども……」

「ああ、大きな声では言えないようなことをベル・クラネルとしていた時の話ね?」

「ち、違いますっ!? 違っ! ちちちが、違いますっ! そもそも! 深層に落ちた話はしましたけれどそんな話は一度も」

「ほらやっぱり、何かあったんじゃない」

「ぅぐ!?」

「あら。頬が真っ赤になっているけれど、どうしたの、リュー?」

「ア、アストレア様ぁ……!」

 手紙でも、五年振りの再会となった星休む宿の一室でも、たくさんの言葉で深層での出来事をアストレアへ伝えていたリューは、意地の悪い弄り方をするアストレアに踊らされ、朝陽も置いてけぼりにせんばかりの赤面を披露していた。

「アストレア様ーっ! せんぱーい! お話し中すいませーん! 準備出来ましたーっ!」

 そんな折。左の側頭部、高めの位置で結われた藍色の髪を揺らしながら、現アストレア・ファミリア団長、セシル・ブラックリーザが、快活に笑いながらリューとアストレアの気を引いた。

 見れば、ついさっきまで行われていた馬車への積み込み作業は終わったようで、あとはリューとアストレアが乗り込むだけとなっている様子だった。

「ありがとう、セシル」

「いえっ!」

「リュー、本当にいいの? 今ここを離れるのは控えた方がいいのではなくて? 身体を休める以外の理由でも貴方はいた方が……」

「アストレア様達を本拠地(ホーム)まで無事に送り届ける。それが、今の私がアストレア様に出来る孝行の一つで、先輩思いの後輩達の心意気に答える手段の一つなのです。これは私にとってどうしても譲れない、大切なことなのです。どうか私に、果たすべきを果たさせてください」

 誰が先輩思い何が心意気……だのと呪詛めいた何かを先んじて馬車に乗り込んでいるウランダがぶつぶつ唱えているのが聞こえ苦笑するリュー。そこに不快感はない。不思議感と言えるものならば介在しているけれど。

「それに、散発的にはなるでしょうが、まだまだ飲んで騒いでの日々は続きそうです。正直、私の肌には合わない空気ですので、寧ろここを離れた方が身も心も休まるのです。何せ私は、堅物で潔癖なエルフですので」

 冗談めかして本心と虚心の混ぜこぜを言葉に起こし終えると、自らの口角が上がっていることにリューは気が付いた。

「……変わったわね、リュー」

「自分でもそう思います」

「嬉しいわ。貴方の新しい一面が見られて」

「私も、私に対してそう思います」

 リューが穏やかに微笑んで、やはり穏やかに微笑んでいるアストレアと笑顔を交換する。子は親に似ると言うが、二人の笑顔は何処か似通っていた。

「親子みたいだなあ」

 と、馬車内から二人を見つめているシャウが小さく溢した。

「そりゃ親子でしょ」

 律儀にツッコミを入れるイセリナ。嘆息混じりの割には、狼人(ウェアウルフ)の横顔には良い具合の笑みが浮かんでいた。

「……ならば。旅中、私たちの護衛をお願いね?」

「身命を賭して」

「ふふ……」

「? ではそろそろ」

「リューさーんっ!」

 しっかり堅物な一面を見せてアストレアの笑いを誘ったリューとアストレアの動きが止まり、声の発信源へと二人の目が向いた。

「ま、間に合ったぁ……!」

「べ、ベル!?」

 巨大な市壁の東門、その眼下に広がる門前広場に、ベル・クラネルが飛び込んで来た。文字通りの全速力でやって来たのか、呼吸が乱れ気味だ。

「おはようございますリューさん! アストレア様!」

「おはようございます、ベ……ル……」

「? リューさん?」

「その……どうしたのですか?」

「今日アストレア様達が帰られると聞いたので、お見送りに来ました!」

 リューの問い掛けに答えたベルはにっこり笑顔。しかし、リューが問うていたのはそういうことではない。

「まあ。わざわざありがとう、ベル・クラネル」

「い、いえっ!」

「少し声を落としましょうか。近隣の方々に迷惑が掛かってしまうから」

「あ……! す、すいません……!」

「ふふ……リューから聞いていた通りの子ね」

「へ?」

「と、所でベル! その有様は一体何事なのですか!? 昨晩は早く帰って休むと伺っていたのですがっ!?」

 話の風向きが自分にとって具合が悪い方向に傾きそうだと感じ取ったリューが無理矢理に話題を変えた。その懸命な様すらアストレアにとっては愉快の種であった。

 見ればベルは、なんというか、ボロボロであった。目に付く負傷があるとかではない。

 衣服は皺だらけでくしゃくしゃ。白髪もボサボサ。目付きもなんだかとろーんとしていて締まりがない。気の所為と言うには無理がある程度にはアルコールの香りを纏っているし。頬には赤い何かがうっすらと付着している。あれは……口紅の類ではなかろうか……!?

「えっと……昨夜は……帰る最中で……ボールスさんモルドさんアイシャさん達に捕まって……」

「むっ」

 アイシャ。その名を聞いた瞬間、堅物エルフの耳がぴくりと動き、潔癖エルフの目付きが鋭いものとなった。

「朝まで飲み明かした。そういうことですか?」

「…………は、い……」

「……ベル」

「はっ、はいっ」

「貴方は、戦場の聖女(デア・セイント)から厳命されていましたね? 暴飲暴食は厳禁と」

 あの大戦で負った多大なダメージは既に癒えている。しかし、外面ではなく内面の方はその限りではない。

 何度も殴られ蹴られ捕まれ踏まれ投げられ轢かれ斬られ突かれ殴られ殴られ殴られ倒したベルは、体内器官の一部に酷い損傷を受けたらしく、数日間ではあるが、軽度ながら食事制限を課せられる格好になってしまったのだ。ベルが酒を嗜まない人物だとアミッドは聞き及んでいたが、アルコールの摂取にも注意を払うよう言い含められていた。祭りの雰囲気に当てられてハメを外してしまわないようにという、アミッドなりの予防線である。

「はい……」

 居心地悪そうに背中を丸めるベル。その様を見て、口数少なめなエルフにスイッチが入った。

「貴方のことだ、過度にアルコールを摂取したとは考え難い。帰る機を逸してズルズルと付き合ってしまっただけなのでしょう。しかし、そんなことでどうするのですか。貴方は派閥の団長でしょう? 貴方が帰らなければ団員達がどれほど心配するかなど想像が付くでしょうに」

「そ、その……蓋を開けてみれば昨日は神様も含めてうちは全員参加で」

「吠えるな」

「ひうっ!?」

「そもそも。極力その手の誘いは断りなさいと言ったでしょう。派閥連合の旗頭を務めた貴方だ。一度応じたら引く手数多であちこちに連れ回される羽目になるからと。参加するにしてもしっかり身体を休められるよう早めに本拠地(ホーム)へ戻るようにも言い含めたと思うのですが。相違ないですね?」

「はい……」

「だと言うのに朝まで遊び倒すだなんて。自身がまだ万全ではないことなどベル自身が一番理解しているでしょう。また戦場の聖女(デア・セイント)から大目玉を食らってもいいのですか? 本当にベッドに縫い付けられてもいいのですか? しかも……な、なんですか……その頬は……!」

「へ? えと…………ん? 何か付いて……うわ! な、何これ!?」

 ぐいっと両頬を順繰りに拭った親指に、少し乾いた赤が付着した。鈍いベルでもそれが何であるかは流石に察せられた。というか、自分にこんなことをした人物に覚えがある……ような気がする。アマゾネスの皆さんにはちゃめちゃに絡まれた時、アイシャさんかアイシャさんやアイシャさんに頬を……!

「なんて不埒な……! 大方、麗傑(アンティアネイラ)辺りが酔いに任せて貴方に不埒な真似を働いたのでしょう。彼女に大いに問題があるのはわかっています。彼女とはいずれ決着基、きちんとした話し合いの場を設けるつもりです。しかしです。そもそも貴方がしっかりしていればこんなことにはならないのです。いいですか? 貴方はまだ」

「ストップよ、リュー」

「止めないでくださいアストレア様! 彼には」

「あまり大きな声で捲し立てると、彼に嫌われてしまうわよ?」

「くふっ……!」

 変な声がリューの喉から飛び出すと、耳の先端までも赤く染めて口篭ってしまった。そんな有り様のリューでは、アストレアの揶揄うような響きに気付けない。 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 ごめんなさいの化身状態のベルもリューの変調に気が付かない。

「お似合いの二人ね」

 そんな二人を見てやニコニコと笑う一柱。アストレアはアストレアでこの話題となると変なスイッチが入るのか、やたらと前のめりになっている節があった。

「お説教はまたの機会にしましょうね、リュー。それで……ごめんなさいセシル、みんな。少しだけ時間をもらえるかしら?」

「もちろんです!」

 皆を代表してセシルが答える。馬車内の団員達もコクコクと頷いていた。子供達に柔和な笑顔で返して、リューへ向けてひたすらに謝罪を重ねている少年だけをアストレアの藍色の瞳が映した。

「ありがとう。改めておはよう、ベル・クラネル。また会えて嬉しいわ」

「ごめんなさいごめんなさいごめ……はっ! お、おはようございますアストレア様!」

 なんとか通常モードに復旧したベルとアストレアが向かい合い、笑顔を交わし合う。

 ベル・クラネルと女神アストレア。

 派閥大戦が終結してから今日まで数度、顔を合わせる機会があった。しかしながら、その機会のどれに於いても他の神であったり冒険者であったりにベルが絡まれていた所為で、挨拶程度の言葉しか交せていなかった。

 それを、ベルは惜しんでいた。アストレアも同じく。

 間にリュー・リオンを挟んだ一人と一柱は、この日この時を待ち侘びていた。

「もう剣製都市(ゾーリンゲン)に戻られるのですか?」

「ええ。向こうでやらなければならないこともあるから」

「そうなんですか……」

「けれど、そう遠くないうちにまたここへ来るつもり」

「ほ、本当ですか!?」

「本当よ。デメテルやニョルズ達とまた集まろうと約束をしたから。口約束で終わらせてしまうには惜しい約束だから、子供達と共にお邪魔させて頂こうと考えているの。貴方の母であるヘスティアとも話をしたいと思っているし。その時は歓迎してくれるかしら?」

「勿論です! 是非いらしてください! 皆さんさえ良ければその際は僕達の本拠地(ホーム)に泊まっていってください!」

「是非そうさせて欲しいわ。そういえば貴方達ヘスティア・ファミリアは、嘗てのアポロン・ファミリアの本拠地(ホーム)を使用していると聞き及んでいるのだけど、本当なのかしら?」

「え、ええ……色々ありまして……」

「その色々を聞いてみたいの。今の貴方自身にも貴方の来歴にも興味が尽きない。その時が来たら、たっぷりとお話を聞かせて頂戴ね?」

「はい! 僕の方も色々とお聞きしたいことがあります! 僕の知らないリューさんのことも、アリーゼさん達のこともたくさんお聞きしたいんです!」

 少しばかり恥ずかしそうにしているリューを瞳の端に映すベルの紅い瞳は、キラキラと輝いていた。

 その曇りなき眼差しが雄弁に語ってくれた。

 この少年は、会った事もない自分の子供達の事を、とっても大切に思ってくれている。

 大切な存在であるリューが大切にしているから。だけではないのだろう。

「……優しい子ね」

「へ?」

「なんでもないわ」

 意想外な言葉を投げ掛けられて間抜け面を晒すベルを見てや、アストレアはころころと笑い。

「話は変わるけれど」

「ア、アストレア様?」

 いつまでも挙動不審なエルフの背中に立ち、彼女の両肩にぽんっと手を置いた。

「リューは、とっても可愛いのよ?」

「…………はい?」

「…………はい?」

 すーっと大きく息を吸い込んだのが合図。

 ここからずっと、アストレアのターン。

「堅物で潔癖気味な所が多々あるちょっとだけ面倒な子だけれど見方を変えれば確固たる芯があるとも言えなくないと思うの。ちょっと無理矢理だったかしら? まあそれは置いておいて。リューは少し不器用だし正直に言ってしまえば料理の腕前もそこまでではないわね。けれどそれも昔の話。酒場勤めをしている今は流石に上達しているでしょう。リューは何事に於いても一生懸命な子だもの。そういう女の子ってとっても素敵で可愛らしいでしょう? この子は寡黙で人付き合いも苦手とするところだけれど人を突き放すことはしないのがポイント高いと思うの。自分に歩み寄ろうとしてくれた者を無下になど絶対にしないし不器用なりにその人の心を汲もうと歩み寄る努力が出来る子なの。それにリューは一度心を許した相手には子猫のように甘えていくの。本人にその自覚があまりないのも可愛らしいところよね。ああそうそう。リューったら寝言がとっても可愛いの。この前なんて寝言で貴方の」

「ア、アストレア様! アストレア様ーっ!」

「わかんないわかんないいきなり過ぎて何もわかんないですーっ!」

 正義の女神が大張り切りで始めたマシンガントークはリューとベルを混乱のどツボへとひょいっと放り込んでしまった。ベルがはわわはわわと慌てふためきまくる前でリューは、普段ならば不敬だなんだと宣い絶対に出来やしない、アストレアの肩を掴んでぐわんぐわん揺するという、リュー的には蛮行と称される行為を働いていた。

「何って、貴方が知りたいと言ったのでしょう? 貴方の知らないリューのことを」

「言いましたけど! 言いましたけどぉ!」

「アストレア様お願いです! 止まってくださいっ!」

「こういう話は大きな声で言うべきではないのかもしれないけれど、リューはとってもスタイルがいいの」

「あぁああぁぁすとれあぁぁさまぁあああ!」

「ぷひゅぅ……!」

 茹蛸よろしく真っ赤っ赤なリューがアストレアに縋り付くも、テンパり過ぎてぐるぐると目を回し始めた何処ぞの兎以上に瞳をきらきらりと輝かせるアストレアは止まらない止まれない止められない。寧ろどんどこどんどんと加速していく。

「肌もとっても綺麗で柔らかい。全体的に筋肉質なのは確かなのだけれど女性らしさを象徴する部位はとっても女の子女の子しているの。って女の子なのだから当たり前の話だったわね。髪もとっても綺麗で指通りもよくてサラサラなの。どれだけ手酷い傷を負おうとも疲れ果てて帰ろうとも女の子が女の子たるを手放さず自身と向き合い続けている証拠。自己研鑽を惜しまない女の子ってとっても素敵よね。背中やお尻のラインなんて芸術と言って差し支えないくらい美しいんだから。胸元に若干のコンプレックスを抱えているみたいだけどそんな意地らしい姿さえも可愛いわよね」

「し、しってますっ!」

「え?」

「りゅ、りゅーさんはとってもあたたかくてぇ! とってもやわらかひれすぅ!」

「ベルぅ!?」

「まあ!」

 ぐるぐる目を回すベルが経験則に則って作られた爆弾を投下。即起爆、即被弾のポンコツエルフのお目々ぐるぐる速度がわけわからんくらいに加速し、何事かをしっかりばっちり勘違いしたアストレアの藍色の瞳は更に輝きを増す。

「二人はそこまで関係が進んでいたの!? リューったらそういうことはちゃんと教えてくれないと! あらやだ私ったら、何も知らずに野暮を働いてしまっていたのね! ごめんなさいね二人共!」

「おっ! お気になさらじゅ!」

「ベルっ! 貴方はもう! 喋らないでくださいっ!」

「ごごごごごめんなさぁいいいい!」

 ベルの胸倉を掴んでガクガク揺らすリューという光景を見ても。

「照れ隠しが激しめなのは変わらないわね」

 とアストレアに笑わられてしまってなんかもうダメ。何をやっても下手か裏目になってしまっていた。

「アストレア様があんなに大きな声を出すの、初めて見るかも」

 先輩と主神となんかよくわかんない冒険者のやり取りを見る後輩達は、自分たちが蚊帳の外状態である事実など気にも留めず喧しい寸劇をニヤニヤしながら眺めていた。但しウランダを除く。

「だねー」

「なんか今のアストレア様、お母さんというか、若い子の色恋に興味があり過ぎて野暮をやらずにいられない親戚のおば」

「殺されたい?」

「ごめんなさいウランダさんマジすんません」

 鼻先が触れ合う距離に一瞬で踏み込んできたウランダに凄まれ心からの謝罪を口にするイセリナ。冷たい朝に不釣り合いなくらいたくさんの汗の玉が彼女の額には浮かんでいた。

「どうしましょう……こういうの初めてで勝手に戸惑ってしまうわ。ねえリュー? やっぱりヘスティアの所へ菓子折りでも持って行った方がいいかしら?」

「不要ですいけませんおやめください後生ですからっ!」

「そもそも何故菓子折りぃ……?」

「まあそれは後日考えるとして」

「考えないでくださいっ!」

「理想を追い、それがどれだけ遠く果てしないものだとしても決して膝を折ることはない。そんな真っ直ぐな女の子、とっても素敵でしょう?」

「うぐっ!?」

 自らに縋り付き尚もテンパり続けるリューの腰に腕を回し、豊満な胸の中へ招き入れて。

「それが、リュー・リオンという女の子なの!」

 いい具合のドヤ顔で、アストレアは声を張った。

「む!? む、むーっ……ぷは! ア、アストレア様っ!? 一体何を!?」

「そう慌てないの、リュー。貴方のアピール、ばっちりしておいたから」

「ア、アピール!?」

 アストレアが声を潜めた意味がなくなるほどの大声でリューが叫ぶ。

 揶揄い目的で自分に羞恥を味合わせようとしていたのではなかったのですか!?

 得意気に口の端を吊り上げているアストレアには申し訳ない限りなのだが、ぽよんぽよんとアストレアの胸で真っ赤な頬をバウンドさせているリューは、そんな風に思っていた。

「し、知ってます!」

「うん?」

「りゅ、りゅーさ! んんっ! その……リューさんは……素敵な女の子です……とっても……」

 少しは落ち着きを取り戻したらしいベル。慌てず騒がず、心中に収めている気持ちを取り出して言葉に起こすことが出来た。やっぱり頬は真っ赤に染まっているのだけど。

「ベ……ル…………うぅ……!」

 その素直な様が、ポンコツエルフの頬の熱量を更に引き上げてしまう。

「……売り込みみたいな真似……する必要も無かったみたい……」

「あぅ……」

 自らの腕の中で硬直してしまったリューの頭を撫でて。

「良かったわね」

 彼女の長く高い耳に唇を寄せ、他ならぬアストレア自身が誰よりも嬉しそうに、そんな言葉を自らの娘へ届けた。

「……っ……!」

 返答に窮したリューに出来たのは、コクコクと頷くことだけであった。単にテンパり過ぎてどうしていいかわかっていない、という理由もあるのだが。

「ベル・クラネル」

 ぎゅっと力を入れて抱き、もう一度頭を撫でてから一杯一杯なんてもんじゃなくなっているリューを解放し、背筋を伸ばし表情を引き締め、正義の女神アストレアは、不滅を司る女神の子供を見据えた。

「は、はいっ!」

「先の戦争遊戯(ウォーゲーム)での貴方の有り様は素晴らしかった。誠に見事な戦いでした。人ならぬこの身も熱くさせてくれてありがとう。貴方とその仲間達の勇猛を、永劫忘れることはないでしょう」

「え、えと……ありがとうございます……」

「もしかしたら貴方が…………次の時代の担い手になるのかもしれないわね」

「は、はいっ!?」

「話半分に聞いていて頂戴」

 そう言って穏やかに微笑むアストレア。

 彼女は、ある言葉を言い掛けていた。

 救界(マキア)

 しかしその言葉は、外の世界へと飛び出さず、彼女の口腔内で弾けて消え失せた。

 期待はあるが、押し付けてはならない。一人に背負わせてもいけない。

 次代の英雄候補を遠くから見守る。今はそれでいい。

「そろそろ行きましょうか、リュー? 彼と二人きりでいたいのならやっぱり私達だけで」

「い、行きます! 行きましょう! ささ! お早くっ!」

「そんなに慌てなくてもいいのに。私はいいから先に乗って、リュー」

「は、はい……!」

 リューを動揺させるのがいちいち巧みなアストレアへ促されてリューが馬車へと滑り込む。

「えい」

「へ?」

 リューが中へ入ったのを見てや、可愛らしい声と共に、馬車の扉をアストレア自ら閉めてしまった。思わずベルも間抜けな声を出してしまった。素材が良いのか、馬車内から何かをアストレアへ訴えているリューの声も全く聞こえてこない。

「しーっ」

 扉に設置された小窓に張り付かんばかりに顔を寄せるリューの目に飛び込んで来る、人差し指を口元に当てウインクをする主神の姿。それを見たリュー以外の団員達は半ば発狂状態。馬車の中はひじょーに姦しい空間と化してしまった。

「あ、あの……アストレア様?」

「どうしても今、貴方と話しておきたくて」

「僕とですか?」

「ええ」

 途端に緊張に支配されるベル。そんな緊張さえ見透かす超越存在(デウスデア)は、それを解きほぐそうと、努めて穏やかな笑みで語り掛けた。

「貴方のお陰でリューは、辛い過去を乗り越えることが出来た」

「あ……!」

「いつか越えなくてはならなかった巨大な壁を。貴方や貴方の仲間達のお陰で。その感謝を述べておきたくて」

「い、いえっ! 僕は何も……」

「本当に?」

「え?」

「あの子の心に何も残せていないと。あの子の歩みに少しも寄り添えていないと。そう言うの?」

「そ……れは……その……」

「ごめんなさい、少し意地が悪かったわね。リューは、貴方の中に何かを残してくれたでしょう? ならば逆もまた然り。貴方に何かを渡した時に、貴方も何かを返している。何を意識していなくとも、何も言葉を交わしていなくとも。誰かの心に居場所を取るという事はそういうものだと思っているの」

「居場所……」

「リューの中に貴方はいる。貴方の中に、リューはいる?」

「……はい。います」

 僕の、とっても大事な所に。

 リューさんの中の僕も、同じような所にいてくれると嬉しい。

「貴方の中のリューのこと、大切にしてね?」

「もちろんです」

「……あの子達……アリーゼ達が胸に宿していた正義は、昔も今もリューと共にある。ベル・クラネル。貴方にも届いているのでしょう? あの子達が、未来へ馳せた正義が」

「……はい」

 正義とは? 

 そう問われても、これだと返せるものなどベルは持ち合わせていない。

 しかし、彼方から届いた。答えを持たないベルにまで、正義は巡ってきた。

 かつてのリューと共に正義の翼と剣を背負った少女達が育み、いつかのリューへと思いを託した正義。

 リューが迷って悩んで涙して、一度は捨てたとまで思い込んで。それでもずっと彼女と共に在り続けた正義。

 その正義に何度も救われた。その正義が今へ、これから先にだって続いて行くのだとリューが示してくれた。

 それが自分の正義であるだなんて大それた事は言えない。けれど。

 自分と共に在る正義。

 これならば、アリーゼさん達も認めてくれるような気がする。

「誰かから託されたものだろうと、誰かから借り受けたものだろうと、それは今の貴方の正義。そしてその正義は貴方のもの。そこにね? 今ばかりでいいから、私の正義も預かって欲しいと思う」

「アストレア様の正義?」

 正義を司る女神の正義を預かる。なんだかとんでもないことを言われるのではないかと、一歩後退りしてしまう程度には身構えてしまったベル。

「おかえりなさい」

「え?」

 そんな緊張など不要よと言わんばかり。アストレアの唇が紡いだ言葉はとても穏やかで、何処までもありふれていた。

「今も昔も。少し形は変わるけれど、これからもずっと。あの子にそう告げるのは、私の正義の一つだから」

「アストレア様……」

 リューと共に深層に落ちた時。自分が口にした正義は、貴方と生きて帰ること。

 誰も彼も口にはしないけれど、自分たち冒険者の正義はいつだって、自分を待つ人の元へ無事に帰ること。ただいまって、一緒になって笑うことなんだ。

 それと何も変わらない。

 大切な人の無事を願う。待つことしか出来ないのならば信じて待ち、飛び切りの笑顔で出迎える準備をしておく。

 それは、いつだって子供達を見送る側であった、アストレアが抱えていた正義(いのり)

 見送る側と見送られる側。通る道は違うけれど、辿り着く所は同一。正義に付ける振り仮名が少し違うだけなんだ。

「貴方に、私の正義の片棒を担いで貰ってもいいかしら?

「……その言い方だと、まるで悪い事をしている風に聞こえちゃいますね」

「確かに、聞こえは良くなかったかもしれないわね」

 口元に手を当てくすくすとアストレアが笑う。揺れる背中に呼応するよう、更に高くなった朝陽に照らされた美しい胡桃色が、門前広場を淡く輝かせた。

「ベル・クラネル」

「はい」

「あの子を待っていてあげてくれる?」

「はい」

「あの子を迎える時、笑い掛けてくれる?」

「僕に出来る全力で」

「あの子を……守ってあげてね?」

「必ず」

 今までの自分に守れたものがある。今までの自分を守ってくれた人がいる。

 守るということは、強さだけに起因もしなければ帰結もしない。ベルはそれを知っている。

 ベルになら守れるものがあり、ベルだけに守れることがあることも、知っている。

 だとして。

 ならば、これからは?

「…………あの」

「どうしたの?」

「もしかしたらリューさんは…………アストレア様の元へ……その……」

 自分の頭にある展開になるならば、自分とリューの距離は、とても離れてしまうのでは。

「大丈夫」

 それをどう言葉にしたものかと迷うベルに笑い掛け、アストレアは静かに頷く。

「あの子はもう、未来を選べるのだから」

 リューの時は再び動き始めた。自分らしく在れる居場所も見つけた。偽ることなど何もない。美しいブロンドを揺らしながら、何処へでも何処までも進んでいける。

「過去を抱え、今に驕らず、未来へ歩む。今のリューなら、それが出来る」

 貴方が。貴方達がいてくれるから。

「貴方はただ、待っていてあげて」

「…………はいっ!」

 晴れ晴れと笑うアストレアに張り合うよう、ベルも思いっきりに笑う。それは、先の大戦での勇姿はなんだったんだと思ってしまうくらい無邪気な少年のそれであった。

「じゃあ……はい」

「へ?」

「握手をしましょう」

「……あ、はい!」

 いきなり右手を差し出され瞬きの間だけ呆けて見せたベルは、自らのシャツでごしごしと掌を拭いて、アストレアの手を握った。

「……大きな手ね」

「そうでしょうか? 自分じゃあんまり……」

「大きな手よ」

 首を横に振って、ベルの困惑を他所にアストレアは断言する。

 大きいに決まっている。

 リューの手を握れた手なのだから。

 リューにも。アストレアにも。星の海を揺蕩っているアリーゼ達にとっても。

 大きくて、大切な手なのだ。

「……んっ」

 ぐいっと、ベルの手が引かれた。寝不足待った無しな上に不意を打たれたベルの反応は鈍かった。

「あぇ!?」

 慌てたとて時既に遅し。逃げること叶わず。ベルは、アストレアに抱き締められた。

「ふぇ!? あ! い!? ぬぅ!?」

 両腕ごと包み込まれたベルは指一本も動かせずその場でパニくるのみ。自身の胸板に押し付けられ形を変えている胸部に吸い寄せられる視線を無理矢理に引っ張り上げると、至近距離から自分を見つめているアストレアと視線が交差した。

「ベル・クラネル……いいえ。ベル?」

「は、はひ!?」

「ありがとう」

「…………ア、アストレア……様……?」

「本当にありがとう……」

 ぎゅっと、思いっきりベルの身体を抱き寄せて、アストレアは目を伏せた。

「あの子を救ってくれて……ありがとう……」

 頭を撫でられた。背中も撫でられる。抱き締め返すなんて出来やしない。そもそも少しも動けない。やっぱり目のやり場に困るし、すぽーんと口から飛び出すんじゃないかくらいに心臓はドキドキしている。しかし、間抜けを晒してばかりもいられない。

 伝えたい感謝がアストレアにあったように、ベルにだって伝えたい感謝がある。

「……ぼ……僕の……方こそ……」

「うん?」

「リューさんを導いてくれて……ありがとうございます……」

 自分がそれを言うのは違うとわかっている。出過ぎたことを言っていると理解している。けれど、言わずにいられなかった。

「リューさんと出会ってくれて、ありがとうございます」

 貴方とリューさんが出会ったから、全てが始まった。貴方とリューさんだったから、僕たちの今がある。

 筋違いだとしても、どうしてもアストレアへ伝えたかった。

「…………やっぱり……素敵な子……」

「は、はいっ!?」

 それこそ私のセリフなのだけど。

 そう告げるのを堪える。不思議と湧き上がった笑いもなんとかして堪える。早朝の冷たい空気を忘れさせてくれるような少年の温もりに耽溺してもいられないと瞼を上げる。

「どういたしまして。ほら、ベルも」

「え!? え、えっと…………ど、どう……いたしまして……?」

「そう。それでいいの。ふふ……」

「……はは……!」

 ありがとう。どういたしまして。

 それもまた、二人が抱えている正義。

 大切な言葉を交換しあった一人と一柱が至近距離で微笑み合い、自分達が経たたくさんの出会いは何も間違っていなかったのだと認め合う。

「ぐっ……くぅぅぅぅ……!」

 しかし、である。

 側から見れば。

 人目も憚らずに良い雰囲気を作り出し悦に浸りながらイチャイチャしている恋人。

 もう少し穿った見方をすれば。何なのあいつら睦言を交わしあってんじゃね朝っぱらからヨロシクやるんじゃね、くらいの関係値に見える……ような気もする。

 それくらいにぴたりと、ベルとアストレアは寄り添っていた。寄り添っているというか、アストレアがベルを捕まえていると表するのが適当なのだろうが。

「な、何を! やっているのですかああ!?」

 うるせーそんなの知らんと待ったを掛けるのは、恋愛ド潔癖を拗らせ続ける妖精さん二十一歳。頬も耳もとにかく真っ赤にした彼女のギアの壊れた大ボリュームは、特に変な意味ではなく良い雰囲気になっている二人のほんわか空間を綺麗さっぱりぶち壊した。

「ああああアストレア様!? 一体何をなさっているのですか!? ベルも! そ、そんな、何を顔を赤くして……ふ、不敬! とっても不敬ですっ!」

 馬車の扉を開け放ち、吠えるなとクレームを言いたくなるくらいの馬鹿音量で吠えるリュー。その背後では。

「う、羨ましいの極み……!」

「なんなんですかぁ!? あのベル・クラネルって冒険者……!」

「アストレア様のお胸を押し付けられて発情してる……!」

「呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる呪ってやる」

 セシル達新生アストレア・ファミリアの団員達が嫉妬に狂っていた。

「不敬!? ち、違うんですリューさん! というか僕捕まってる側なんですけどぉ!?」

 預かり知らぬ所で自らの評価が地に落ちた所か恨み辛みの対象にまでなったとは知らぬままベルが弁解しようとするも、変なスイッチが入りっ放しの正義の女神が見逃すわけはない。

「あらあらリューったら。もしかして、妬いてしまったの?」

「ちちちっちがちっちちちち違いますっ! そのようなことは決して!」

「貴方も混ざる?」

「なっ!?」

「ちょっとぉ!?」

「リュー、顔が真っ赤よ?」

「〜〜〜〜っ!」

「ほら! リューったら、とっても可愛いでしょう? そうよね、ベル?」

「はっ!? は! はい! リューさんはとっても可愛いですっ!」

「だそうよ?」

「い、言わせています! 恫喝と言って差し支えないレベルで言わせていますっ!」

「正義を司る女神がそんな真似をするわけないでしょう。というか貴方、とっても嬉しそうよ?」

「そっそそっそっそれはわわわ……!」

「あ、そうそうベル。二人が恋仲になったら直ぐに一報飛ばしてね?」

「あぇ!?」

「みんなでお祝いに来るから」

「お祝いというかお呪いでは……!?」

「何を言っているのかしら。とってもユニークな子なのね、ベルは」

 いやだって! 自分を睨む視線の数々は祝福じゃなくて呪縛とか付与して来そうな勢いなんだもの! アストレア様にはお見えになっていらっしゃらないのですかね!?

 のほほんとした面持ちでベルとリューの内側を引っ掻き回しまくるアストレアにも子供達の様子は見えていたけれど、敢えて見ないフリをしていた。実に神らしい、その方が面白いという理由で。

「名残惜しいけれどここまで。これ以上貴方を独り占めしたらいよいよリューの手で送還されてしまうかもしれないもの」

「は、はうぅ……」

「エスコート、お願いしても?」

「ふぇ? あ! は、はいっ!」

 女神の神ボディに抱かれたり揶揄われたりの所為でふわっふわになっている思考をなんとか引き戻し、差し出されたアストレアの手に自らの手を添えて馬車まで先導をする。動揺は隠せないながらも自然に振る舞えたのは、ベルが師匠(マスター)と呼び慕ったり恐れ慄いていたりするエルフが施してくれた教育の賜物であろう。

「足元お気を付けを」

「ありがとう」

 少し車高が高めの馬車だ、万が一にも転んだりしてしまわぬようアストレアの背中を支えて馬車内へと誘導。団員達は片側の席、その真ん中へとアストレアを案内した。真向かいにはさっきまで荒ぶっていたリューが収まり、身を小さくしていた。

「えっと……アストレア様。アストレア・ファミリアのみなさん」

 自身も身を乗り出し、馬車内に収まる総勢六名の団員一人一人に目を向けるベル。アストレアと別の意味でそれ所ではないリューを除いた全員が、なんなんお前? と言わんばかりの目を自分に向ける中、それでも言葉にしなくてはと、ベルは腹に力を込めた。

「その……ありがとうございました。本当に、何から何まで……貴方達のお陰で、今日の朝を迎えられました。本当にありがとう……!」

「別に私らは何も……」

 気恥ずかしさを隠さず、団員達の胸中を代弁するようセシルが呟く。そうは言いつつも満更でも無さそうな様子を見せる少女たちの姿に、胸の中の痞えが取れるような感覚を確かに感じた。

「いつかまた、オラリオへいらしてください。その時はもっとゆっくり、皆さんと話をしてみたいです」

「約束するわ。またみんなで、貴方や貴方の家族達に会いに来る。その時を今から楽しみにしているわね、ベル」

「はいっ!」

 優しい微笑みと喜色を纏った幼い笑顔をアストレアとベルは交換し合い、ベルは一歩身を引いた。いつまでもこうしていては御者さんにもご近所様にも迷惑だろう。もう色々手遅れなのだろうけれど。

「……リューさん」

「はっ! は、い……」

 ベルが最後に言葉を掛けたのは、ベルの方を見ないよう努めている所為であらぬ方向を向いているリュー。視線の先にいるセシルは、何してんのこのポンコツ先輩はと言いたいのを結構頑張って堪えていた。

「はは……!」

 その、懐かしささえ感じるトンチキな姿から生まれた笑いを口元から拭わないまま、ベルはそれを口にした。

「いってらっしゃい!」

 それは、アストレアが言語化してくれたばかりの正義の行使だった。

「…………いってきます」

 赤面したりあっちを向いたりこっちを向いたりと忙しなかったリュー。それでもしっかりとベルと視線を重ね、澄んだ笑顔をベルにだけ向けて、リューなりの正義で返した。

 いってらっしゃいで今を穿つ。

 いってきますを楔とする。

 おかえりなさいとただいまがそう遠くない未来に打ち込まれ、全てが繋がり一本の道となる。

 その道を進んだ先にあるものは、アストレアがベルに預けた正義。ベルとリューが共に望む、確かで暖かな正義(ねがい)だ。

「はい! 待っています! ではみなさん、お気を付けて! またお会いしましょう! お願いします!」

 扉を閉め御者へと声を掛けると、緩やかに馬車が速度を上げ始める。

「ありがとうございましたー! お元気でーっ!」

 手を振るベルに見送られ、アストレア・ファミリアの面々は、オラリオの市壁を潜り抜けていった。

「リュー?」

「はい……」

 もうベルの声も届かなくなった車内。ずっと微笑んでいたアストレアが、赤らめた頬に柔和な笑みを浮かべている娘へ声を掛けた。

「いい子ね、彼」

「……彼は……何よりも真っ直ぐで……何処までも澄んでいて……とても眩しくて……」

 膝に置いていた両手を自身の胸元へ運び、旅装の内側で猛り狂う何かを抑えるみたいに両手を胸に当てて。

「素敵な男性……なのです……」

 自らの母へ、笑顔を向けた。

「……素敵よ、リュー。今の貴方、とっても素敵」

 それには答えられず、恥ずかしそうに背を丸めることしかリューには出来なかった。

「ふむふむ……さっきまでのやりとりと、今の先輩のセリフ。そしてニコニコ笑うアストレア様。これってつまり……」

「どうかしましたか、セシル?」

 縮こまってしまったリューの隣で、何やらセシルが呟いていた。

「先輩って、ベル・クラネルのことが好きなの!?」

「な!?」

 いや見ればわかるじゃないですかあ。とツッコミよろしくシャウがぶつくさ言っているのさえリューの長い耳には届いていないのか、狭い車内で盛大に取り乱し始めた。

「どうなの!?」

「そ、それは……!」

「そうよ」

「ななっ!?」

「リューは、ベルのことが大好きなの」

「アストレア様ーっ!?」

 リューの代わりにアストレアが断言すると、車内の少女達の表情がぱあっと華やいだ。

「嘘ーっ!? 派閥大戦の顔役を務めたLv.5のベル・クラネルとLv.6の先輩がくっ付くとかビッグカップルもいいとこじゃん!」

「っていうかベル・クラネルって確か十四歳でしょ!? 先輩との歳の差は……うわマジ!? 程良く背徳的な年齢差じゃない!?」

「背徳的なのに程良くって何?」

「ショタ趣味の淫乱エルフ……穢らわしい……アストレア様に触れないで……」

「そんなこと言わないの、ウランダ。恋にも愛にも歳の差なんて関係ない。種族だってそう。人か神かすらでさえ些事なのだから」

「アストレア様……!」

「というか、十四歳はショタとは言えないのでは?」

「細かい話はいいから! で、どうなの!? 本当にあの子のことが好きなの先輩!? ちゃんと自分の口で教えてよーっ!」

「そ、それっ、は……! あの……その……くっううう……っ……ん……!」

 コクコクコクコクコクコクと、六度頷くリュー。途端、おおー! と沸き立つ車内。

「し、静まりなさいっ。こ、これ以上のことは何も話しません。黙秘を貫かせて頂きます」

「あら、残念」

「先輩空気読みましょうよー」

「知りませんっ」

「そういうお話聞くの好きなんだけどなー」

「私ではなく他の誰かの話でいいでしょう」

「鮮度の高い惚気話をツマミに一杯やりたいんですよぉ」

「やらないでくださいっ。まったく、輝夜みたいなことを言って……!」

「うーんそっかあ。先輩って、あのベル・クラネルが好きなのかあ。ふーん」

「……何が言いたいのですか、セシル?」

「言葉選ばないで言うけど、なーんか締まりのない面構えに見えたんだよなあ。覇気がないっつーの? 確かに強いんだろうけど、ぱっと見異性としての魅力は」

「吠えるな」

「ひっ」

「聞き捨てなりません……ええなりませんともセシル……!」

「いや先輩マジギレじゃん! どんだけベル・クラネルのこと好きなの!?」

「う、うるさいのです! い! いいからそこに直りなさい! そして聞きなさい! 彼に生じた誤解、その全てをこの場で払拭させて頂く! 少々お時間頂きます、アストレア様。よろしいでしょうか?」

「ええ。幾らでも、いつまでもどうぞ」

「ありがとうございます。では……!」

 そして始まるマシンガントークは、数十分前に見た誰かのそれと瓜二つな語り口。

「へ、へー! ベル・クラネルってそんな感じの人なんだー! にひひ……!」

 リューの熱量がヤバ過ぎて若干というかドン引きしているまであるセシルは、リューには見えないように、アストレアへ向けて親指を立ててみせた。してやったりと、悪戯っぽい笑顔にはそう記してある。

「ふふ……」

 やんちゃな娘の姿を見てや少女のように笑い、アストレアは頷いた。

 その後。

 後輩達の緩急の効いた巧みなネタ振りにより、ベルとの出会いから何から何までを語る羽目となり。

「消えたい。助けてアリーゼ」

 と、盛大に気落ちし後悔するまでの間、リューはとことん喋り倒すこととなった。

 後輩達はその姿にドン引きし、しかし羨ましさを覚え、応援したいという気持ちになった。

 少女達の前で熱弁を振るいまくるのは、確かで密やかな恋と共に生きる、只一人の少女。

 恋に憧れる少女はいつだって、恋をする少女の味方なのだ。

 寡黙で堅物で見目麗しいエルフというイメージは崩れ去り、色ボケポンコツ破廉恥エルフのイメージが新たに定着してしまったかもしれないが、後輩達はそんな先輩の姿に好感を抱いたのか、この日を境に少女達の親睦は一気に深まることとなる。

 それこそ、再度オラリオを訪れた際、後輩総出でリューとベルを二人きりにしようだの既成事実を作らせようだのとあれやこれやと行動を起こしてしまうくらいには。

 しかし、それはいつかの話。

 全員で乗るには少し窮屈に感じられる馬車の中。最年長のエルフが、自らの想い人が如何に素敵であるかを後輩達に説くという、ベルでなくても頭が痛くなる光景の中。

「ベル・クラネル……」

 今、同じ空間で同じ時を進む娘達と、ここではなく、星の海で揺蕩っている少女達の只一人の母親、アストレアは。

「ベル……」

 馬車が見えなくなるまで見守り、手を振り続けていたのであろう少年へ届くように。

「ありがとう」

 彼女の正義を、静かに掲げた。

 その、万感の思いを込めたありふれた一言は、誰あろう正義の女神自身の笑みを、一層輝かせた。

「アストレア様?」

 独り言を拾ってくれたウランダの頭を撫で、尚もベル・クラネルの魅力を力説する愛娘へ、笑顔を向けた。

「楽しい道中になりそうだと言ったの。ふふふ……」

 アストレア達が向かう東の空は白く澄んだ輝きを放ち、姦しく轍を刻む馬車の道行を、優しく照らしていた。

 


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