と思っていた一ヶ月後の日、三人で付き合わないかと誘われた。男女カップルに僕が加わる形だ。彼らが言うには、恋人がもう一人できるだけ、らしい。正気か?
「これがほんとの三角関係だ!」
そんなわけないでしょ。
18歳。男。身長157cm、体重42.7kg。それが僕だ。
生まれてこの方 恋人なし。
生涯で作った友人の合計も両手両足で数え切れる上に、この三ヶ月以内にやり取りをしている友達という条件を付け加えてみれば、片手のみで数え切れることだろう。
ルックスは悪い。精神疾患を持っている。勉強ができない。かといって就職もできず、少し前からニートをしている。
思い返せば、よく高校卒業まで漕ぎ着けたものだ。
きっと運が良かった。関わらざるを得なかった人間の中に相性の悪いものがひとりでもいれば、耐えきれなくなって家に引き篭もり、中退するほかになかっただろう。
振り返ってみれば、奇跡のような確率を潜り抜けてきた気がする。
とはいえ、周りに善い人間が多かったかと聞かれると首を傾げるところではある。友人と聞いて ぱっと思い浮かぶ面々に、クズやカスや無能の多いこと多いこと。
類は友を呼ぶ。僕の呼び込んだ人たちだ。
大抵は僕と同様に非モテで無能で内向的。
だから、そうでない珍しい例を挙げるならば あの2人になるだろうか。最近付き合った、あのふたりのこと。
僕を入れて3人で腐れ縁。中学からの友人関係。
頻繁に会うわけではないが、六年もの間 月一で集まるようにしていたので、共に遊んだ回数は相当数だ。
そんな彼らバケモノたちを、ここに簡単ながらも紹介しよう。
ひとりはクズ。性欲に頭が支配されてるバイ。高校生活内で二股騒動を年一で起こした実績持ちである。
男女関係なく食い荒らしては破綻する、顔だけの男。
ひとりはカス。他人を玩具かなにかだと思っているであろうメンヘラ。攻撃性の塊だが、初対面の人にはそれを隠して生きている。
関われば関わるほどに相手の尊厳を軽んじるようになる、外ヅラだけの女。
僕が試しに「付き合わないの?」と問うてみては、「「こいつはありえない」」と即答したようなふたり。
高校を卒業して初めて集まったとき、付き合ったと報告してきたふたり。
彼らが語るに、交際に至った理由は気楽でいられるから、とのこと。僕としては、どうにも不思議でならないわけだ。
ふたりとも大学生活を控えている中、今までの傾向で考えれば、このタイミングで恋人を持つと新生活での邪魔になると判断しそうなものなのに。どうせ大学に行けば すぐ新たな恋人を作ろうとするのだから。
しかし、現にふたりは付き合った。
交際してしまっては、定期的に集まるぐらいには大切にしてきた関係性が浮気によって崩れてしまうかもしれなくなるのに。なぜだろうか。
どうにも気がかりになって その日の帰り際に聞いてみたところ、言葉を濁されてしまった。ふたりとも苦い表情をしていた。
「合意の元に浮気でもするのか」という僕の質問は、恋愛のしたことがない人間が聞いていい内容ではなかったのかもしれない、と今にして思う。ふたりに何かを隠すかのように誤魔化されてしまって、結局その疑問は宙に浮いたままだ。
いくら腐れ縁と言えど六年間も続いた関係には愛着があるもので、ふたりの内どちらかが浮気をして3人のこの関係すらをも終わらせてしまうのかもしれないと思うと、とても不安だった。加えて、疎外感も覚えた。
当然だ、それが3人グループ内で交際が起こるということ。もうひとりは弾かれて、グループの行く先は不透明になる。
頭の中は、どうしよう、という苦悩ばかりが支配的であったが、結局は悩んだところでどうしようもない。
せいぜい願うばかりである。次に会うときも険悪な雰囲気でありませんように。少しでも長く、この関係が保たれますように。
「恋愛が羨ましい、僕もしてみたい」なんて気持ちは心の奥底にしまったままにして。
不安になるたびに祈ってみたりしたけれど、そのどれもが叶うことのないものに思えて仕方がなかった。
衝撃を受けた。生まれて初めて、と言えるほどに大きな。確かに、常識の崩れる音が耳に聞こえたんだ。
時は月に一度の定例会。カラオケ屋の入口に立つ。
僕は適当に買ったよく分からない黒く粘着質な、正直に言ってゲキマズな飲料片手に、ふたりを待っていた。会話の種になるかと思って購入したものだけれど、いくらなんでも不味すぎて差し引きマイナスだ、なんて考えながら。
思えば前回の定例会は交際報告、さて今回は絶縁報告でないといいなと、重苦しい気分でいたのが たった数分前のことで。
その泥沼みたいな気持ちが驚きで吹き飛び散らかしたのが、ついさっきの、ふたりの衝撃的な言葉を経ての今である。
「俺たち、三人で付き合わないか?」
これは、顔だけの男ことクズの発言。外ヅラだけの女ことカスも後に続いた。
「そうだよ、君に恋愛を教えてあげる」
それを聞いた僕の心中は困惑で染められた。
言ってる言葉の意味がわからない。
疑問がそのまま口をついて出る。
「三人で付き合うって何……? だって、ふたりは付き合ってるんだよね……?」
顔だけの
「そう、俺たちは付き合ってる。さらに、俺とお前が付き合う。その上、お前とこいつが付き合う。三人で付き合うんだ」
目と目を合わせた、真摯な回答だった。
…………なんだこれ、どういうことだ、僕をからかっているのか?
……いや、冗談にしては表情が真剣すぎるな…………。
あの
これが、もし嘘であったなら簡単に見抜ける自信がある。
それに、技量云々を抜きにしても、長年の仲による勘で確信できる。
これは嘘じゃない。僕を騙そうだなんてしていない。
――――えっ、ってことはホント……? 三人で交際するという提案を、本気で……?
そんな馬鹿げた推測について、僕の中の常識は全力で首を横に振っているが、しかし、僕の感覚は厳かに首肯していた。
信じられなかった。驚愕する余裕すらなかった。ぶっ飛んだ事実をうまく受け止められなくて脳のキャパがパンクしてしまい、明確な感情が湧くまでに十秒近くかかってしまった。
そうしてゆっくりと再起動を終えてから、僕はおどろいた。もう、めちゃくちゃに驚いた。これほどの恋愛脳はもう、わけがわからない、わからなかった。どうしよう、なにこれ、たすけて、わけわからん、だれか助けて。
自然と手が震えた。
指先にうまく力が入らず、持っていた飲み物を落としてしまった。中身が飛び散りドロドロと地面を黒く塗りたくる。
不味いのに、捨てるには忍びなくて処理に困っていたものを不可抗力で投棄できたのだから結果としてこれはプラスの驚きか、なんて、本当にどうでもいいことが頭をよぎった。僕は自分の思索の内容を取捨選択できないくらいに混乱していた。
「おお、おお、驚きすぎだろ、落とすなよ、誰が掃除すんだよ、お前がしろよ、落としたんだから」これが
「はは…………ふふふ……ふふ――ハハハハハ……!」これが
殴りたい。
怒りにまかせて そう言ってやるのが普段通りの対応というものだが、いまは困惑ばかりが頭を独占的でいて、何もできなくなっていた。
え? 飲み物を落とした……のは、どうでもよくて――三人? しかも、男2女1? 一夫多妻の関係ですらないのは生殖の観点からしてどうなん? 人間は産卵する生物でもないのだし、よほど逼迫した状況でもなけりゃそうはならなくない? ここ日本だぞ。ひとりの子どもを食わせるためには働き手が親ふたりじゃ足りない、ってこともないでしょ。何の必要性に要請されて形作られる関係なんだこれ。……もしかして、これが人間の社会性が獲得した、多様性ってやつなのか?
なんだ この嵐みたいな暴風、もしや多様性の風か、ちっぽけな僕の価値観が吹き飛んじゃいそう、何もかも全部が、土台を失っていく。こわい。なにこれ。恐ろしい。
僕は恐怖を感じた。底知れない恐怖だ。
本能的に取る選択肢は拒絶しかない。
「帰る……」
荷物を抱えて逃げる僕を、しかし
「待て、ここはカラオケボックス。出入り口はひとつしかない。帰りたいんだろ? だけど俺が部屋から出させない。観念して床の飲み物 掃除しろ」
「……ひどい」
しかし、僕の嘆きは何にもならない。
「……イヒヒヒヒヒヒ…………ククク………………」
そして
逃げたいけど逃げられなかった。僕はどうしたらいいんだ。
理解が及ばないとはまさにこのことか。
何なんだ、三人で交際って、何……?
早急に頭の整理が必要だった。
もし、僕がこの関係を了承してしまった際、どのような問題が起きるのであろうか。あるいは、断れば我々の友好はどうなる? 僕は彼らに何を尋ねればいいんだ?
……そうだ、この危機から脱するためには、そういう疑問を解消すればいい、それしかない。どうにか、どうにかして、先ほどまでの会話の流れを思い返して、疑問点を明確にしなければ、そうしなければいけない。
そのようにして、恐怖と混乱に怯えた理性が情報整理の必要性を叫ぶなか、実のところ僕の関心はまったく別のところに顔を向けていた。
なにせ、人生で初めての 恋人を作るチャンスであったのだから。
焼けるような心臓の鼓動が、体全体を打ち震わせているような気がした。焦がれていたものが目と鼻の先にあるかのように感じられる。
――ここで受け入れたりしたら、僕にも恋愛というものが手に届くようになるのだろうか。ずっと羨ましくて仕方がなかった青春に、ついに触れられるのか……?
考えて、僕は首を横に振った。
今は目の前のことを片付けよう。
その先がどうなるかなんて、この緊急事態が終わってから考えればいい。
そう決意した途端、数瞬もの間 少しも感じていなかった恐怖と混乱を思い出した。
思考のまとまりが薄まりかけてしまい、それを立て直ねばとふたたび奮闘するようになる。
そうだ、そうだ、恋愛だとか、青春だとか、そういう大きなものをいきなり議題にあげたって、まともな成果は得られやしない。
僕が今したいことはなんだ? 現状の把握だ。いま持ち掛けられている、この特殊な交際関係への理解を深めることだ。
小さなところから始めてみよう。ひとつひとつを確実にすることで、全体像を掴むのだ。
まず、そうだな、うん、ひとつ目の疑問点は、仮に付き合うとなると僕と
この
でも、僕の恋愛対象は女性だけだ。こちらからすれば、僕と
なのに何故、そのような提案をしてきたのか。問いただせば解決するだろうか。そうであってほしい。
「えっと……僕は
「でも、女とも付き合ったことがないんだろ? そういう人間の語る“タイプの女”ってほぼほぼ妄想だろ。実際に付き合えば見方も変わる。魅力的な恋人像が変わるんだ。
だから、俺と付き合えばその見方が変わる。いける」
「????????????」
「それよりも、お前 はやく床 掃除しろって」
だめだ、こいつ先進的すぎる。どことなく恐ろしい。ここは一旦 諦めて次に行こう。
問題解決のプロセスをなぞることだけが今の僕の心の支柱だ。疑問を探して答えを見つけなければ。
第二の疑問はふたりの関係の中にある。独占欲についてだ。相手を大切に思う感情だね。
要は以下のようなこと。
いいのか?
お前の恋人がもうひとりの恋人に奪われちゃうかもしれないんだぞ?
怖くないのか? ……と、いったふうな…………?
なんか、なんだか、うまく要約できていない、みたいな感覚がある。なにか重大なトリックを見落としているような。
僕は正しく設問できているのだろうか?
まあ、まあいいや、一度 思案を切り上げて問うてみよう。もしかしたら、納得のいく回答が得られるかもしれない。
「独占欲とかはどうなるの? 自分の恋人に新たに相手ができるのって、つらくないの? それじゃ――」
と、言いかけたところで、急にすごく不安になった。
「……まって、そもそも、ちゃんと互いのこと大切に思ってる?」
下から覗き見るようにして相手の表情を伺った。
「もちろん」と
「当然だろ」と
ふたりとも澄ました顔つきだ。
長年の付き合いから言えることだが、ふたりは嘘つきだ。特に、恋愛が関わる場面において。
だから、疑わしく思う。
ホントか……? おまえらの歴代恋人たちにしてきたような仕打ちとか、もうしないか……?
ふたりを睨む。忘れていた心の蟠りを思い出す。
こちとら、頭の中でカスだのクズだの蔑まなければならなくなった事件群のことを今でも鮮明に思い出せるんだぞ……。
やめてくれよ、ああいうのは……そういうことがあったって、聞くだけでも嫌なんだよ……。
あ、あ、いや、まて、話が脱線しているな。第二の疑問、独占欲についてだ、いま僕が聞かなければならないのは、それ。まだ回答を返してもらってない。
冷静にならなければ。疑問の解消を目指すべきだ。落ち着いて。
目を閉じて、一度深呼吸をした。
……しかし、さきほどの話題を本筋からそらしたのが僕自身だった手前、今の話題を雑に流して元に戻そうとするのも憚られるな。
僕の 外面を気にする部分が声高に叫んでいる。それはすこし、厚かましくやないだろうか、と。
僕は、そうして友情を失うことを恐れていた。
そう思う反面、彼らの悪行に触れることにも抵抗があった。不愉快さがどうにも抑えきれなくなって、空気を悪くしてしまうのが目に見えていたから。
結果として、僕は言葉に詰まってしまっていた。
それに目聡く気づいた
「大丈夫だよ! 独占欲については、もう話し合ってるんだ」
その微笑みを見て、すこしいやな予感がした。でも同時に、純粋にその気遣いを嬉しむ心持ちでもあった。
そう! この
「君が一月前に言った形に近いから問題ないよ。合意の上での浮気関係ってやつ。私たちみたいなやつがそんなので心を痛めるわけないじゃん、ふふっ」
こうしてあえて無視して土足で踏み入ってくるやつなんだ……。だからカスなんだ……!
沸々と怒りが湧いてくる。
僕がなぜ黙っていたのか、
声が聞こえたような気がした。
『自分ルールの押し付けはやめなよ、無能のくせに』
嘲笑されている!
『頭の中でさえ人に伝わりづらい言い回ししててさ、協調性ないの?』
見下されている!
『何もできないくせして、頭がおかしいくせしてさぁ。人前にでてくるんじゃないよ、恥ずかしい』
僕は脅されてる! 制裁が必要だ、言いつけないと! 誰に?
親に、いや、警察に!
咄嗟にスマホを開いた。そうして目に入ってきた壁紙には、白背景に黒文字で“schizophrenia”と書いてあった。
和訳すると、統合失調症。僕の持病だった。
さっきのは幻聴で、被害妄想であったのだと気がついた。
僕は多少の正気を取り戻した。こうなってもいいように、あらかじめ壁紙を設定していたことを思い出した。
気持ちが萎えていく。
……ああダメだ。
乗っちゃダメだ。無視しないと。
この女は煽りカスなんだ。
乗せられてはいけない。それは相手を喜ばせる行為だ。
僕は病人なんだ。バケモノとしての自覚をもって、いつだって冷静じゃないと、人付き合いさえできない。
さらなる言葉で惑わされないように、――あるいは、心を落ち着かせる時間をとるために――僕はしばらく情報をシャットアウトすることにした。
耳を塞いだりはしないし、目も見えてはいるけれど、全くの無関心を貫く姿勢である。
いまや僕は、何かを言っていることは分かるが、何を言っているかは頭に入ってこない状態にある。
「おい、俺は違うぞ。“私たち”って言うなよ、失礼な」
「嘘じゃねぇんだけど?」
「客観性に欠けてるねぇ」
「じゃあ この床だれが掃除すんだよ」
「私はこのまま出たって恥ずかしくないけど?」
「…………」
「ドリンクバーのところに紙がいっぱいあったと思うよ」
「………………はぁ」ため息の後、なぜか
なんでだ?
興味が沸いて、関心がないとは とても言えない心境になってしまった。
仕方ないから
「なんであいつ いなくなったの?」
「ん? 床掃除のために」
「床って……」
示された場所には、黒くてドロドロとした液体が。
忘れてた!! 飲み物を落としたんだった!!