「おねーちゃーん!見て!」
軽快な足音を立てておねーちゃんに走り寄って行く。
あたしの手はビニール袋が握られて、そしてそのビニール袋には、銀杏が目一杯詰め込まれていた。
露骨に顔を顰めるおねーちゃん。
「戻してきなさい」
「えぇー!なんで!絶対おいしいよ銀杏!秋の味覚の王様じゃん!?」
「美味しい、美味しくないじゃないの。王様とか聞いたことがないし。食べるにしても相当手間が掛かるし…」
「何より!そんな激臭物を持って帰れるわけがないでしょう!もう一度言うわ、戻してきなさい!」
「えぇー、せっかく集めたのに」
「えぇーじゃないの、銀杏が食べたいのならスーパーで買えば済む話じゃない。」
「そもそも、猫か犬でもないのだから、落ちているものを拾ってくるなんて。大学生にもなって…」
お説教が始まってしまった。
そうして、猛反対を受けたかわいそーなあたしは、とぼとぼと来た道を戻るのであった。
▽ ▽ ▽
気づくと、あたしは、秋の長雨の中にいた。
傘も差さずに立っていた。差そうとして、持っていないことに気づいた。
いつの間に降り始めたのだろうか。あまり覚えていない。
雨宿りできる場所を探して、塀の上を歩き始めてみる。
最悪あたしの家まで歩く羽目になるかもしれないけれど、誰かしらに拾ってもらえることを期待して歩く。
雨の音に耳を澄ます。
ざあざあ降りではない。しとしと、という形容詞が適切なような。雨なのに、どこかからっとしているような。そんな雰囲気の雨。
好奇心に導かれるまま、水溜まりに前足を踏み入れてみる。ぴちゃり、と音がした。
秋の雨は好き。梅雨のじめじめはすこし心地が悪いけれど、今の季節のそれは、ひんやりとした雫が体を伝うのが楽しい。
ただ、それで身体が冷えるのが問題かも。
風邪ひいちゃいそう。上着持ってくればよかったかな。
いや傘を持っていれば済む話なんだけど。
今朝のおねーちゃん、雨降るんなら傘いるよって言ってくれても良かったじゃん。昨日はちゃんと雨降るよって言ってくれたのになぁ。
涼しげな雨で、秋の到来をようやく体感している。
紅葉はまだシーズンではない。
金木犀の匂いはまだしない。
鼻を鳴らす。前足についた水滴の匂いを嗅ぐ。
雨の匂い。土の匂い。
ぺトリコールって言うんだっけ。雨上がりの匂いだからこれとは正確には違うのかな。
道の端々に、大自然のもたらした雨模様のかけらに、興味をそそられ、目を奪われ煩雑な思考をしながら、そうして歩いていると、庭のある家へと辿り着いた。百日紅が雨粒によって美しく乱されている。
晴れの日ならば、これ以上に綺麗だったのかな?
なんだか、今日はここに来るつもりだったような気がする。
ここへ来て、何かをするつもりだったような。
その直感に従うまま、庭へと降りて、濡れた草を踏みながら歩く。
縁側に座る人影に気づいて、近づいていく。
「あら?こんな雨の中を歩いてきたの?」
そこには、おねーちゃんが座っていた。
そのとき、そうか、そういえばここはあたしの家だったな、と思い出した。
おねーちゃんもいるし。だからこんなにも、この庭に既視感があったんだ。
「酷く濡れているわね、体を冷やしていないかしら。ほら、今タオルを持ってくるから、屋根の下にいらっしゃい」
うん、と返事をして、縁側に飛び乗る。
泥んこだったら怒られていたかも。うちが芝生のタイプの庭でよかった。
タオルを持ってきたおねーちゃんが、全身をくしゃくしゃに拭いてくれる。おねーちゃんがつぶやく。
「でも、なんだかこの猫、すこし、日菜に似ている気がするような…」
そう言われて、あたしはいま、猫になっているのだった、ということを、やっと思い出した。また、大事なことを忘れてしまっていたらしい。
▽ ▽ ▽
当たり前だけど、身体を拭いてはいさようならという訳もなく。
日菜と認識されているわけでもないけれど、おねーちゃんによって無事にわが家の中へと連れ込まれたのであった。
もしかして、たまたまおねーちゃんが庭に顔を出していなかったら、あたしはこの雨の中をさまよい歩いて力尽きていたのかもしれない。
そう考えると、なんとも危ない橋を渡ってきたのだなって。
おねーちゃんは、どこからか猫缶を持ってきて、あたしに差し出してくれた。
三缶セットのやつ。いつの間に猫缶なんか買ってきていたのだろうか。
あたし以外の猫にあげる気でもあったのだろうか。まあそこはどうでもいいか。
お皿に盛り付けてくれたのを、一口食べる。
………………
そういえば、こういった類のものは味が薄いんだった。
もういいや。
▽ ▽ ▽
家の中は床暖房で暖かい。窓に結露が起こっている。
その滴りをぼんやりと眺めながら、ソファーの上、おねーちゃんの隣で悠々とくつろぐ時間を堪能している。
あまりご飯を食べないことを心配されるかと思いきや、そこまで気にしてはいないようだった。
急にすっと持ち上げられて、おねーちゃんの膝の上へと移動させられる。
たしかに、人の膝の上を無造作に占拠するのは猫の専売特許じゃん。
それなら、自分から乗りに行ってもよかったかも。
何か言いたそうな表情をしているので、顔をじっと見つめてから、にゃあ、と促してみる。
すこし間があってから、おねーちゃんは、ぽつぽつと語り始めた。
「私には、双子の妹がいるの。」
それは知ってる。あたしだもん。今は猫の姿だけど。
「雰囲気が、あなたに似ているわね。そっくり。」
あたしだもん。
「きっと、日菜を猫のようにしたら、あなたのような銀色になるのでしょうね」
………
「あの子は、見切り発射っていうか、破天荒というか…そういうところもあるの」
なんだか、こうやって自分の評価を聞くのは、嬉しくはあるけど。少し恥ずかしい。
「今日は、またあの子がおかしなことをし出したの。キャンパスの中の銀杏を集めて…」
「綺麗なものを集めているのだろうとは、わかるわ。けれど、やっぱり、ちゃんと考えると受け入れ難くて。」
「声を荒げてしまったの。」
「強く叱りすぎて、嫌われてしまってないといいけれど…」
もしかして、いっつもそんなこと思ってるの?
普段は聞かないような、胸のうちの吐露だ。おねーちゃんは本人には絶対言わないタイプなので、そう言った意味での新鮮さを覚える。
あたしはそうは思ってないよ。と語りかけてみる。猫らしい鳴き声があたしの喉から発せられた。
伝わるわけないか。どうしようかな。悩む。
悩んでいるけれど、そんなに急ぐ必要はないのかも。
おねーちゃんがどう思っているのかはわかったのだし、あたしなりに言葉を選んで、ゆっくり伝えていこうと思う。
心配はいらないよと、あなたの妹は思っているよ。そう伝えるように、眉根を下げているおねーちゃんの手に、ぐりぐりと頭を押し付ける。
おねーちゃんが、あたしを撫で始めた。
優しい手つき。
だんだんと眠くなっていく。
あたしの意識は、そこで途切れた。