「ん……」
ふっと、視界がクリアになった俺は、上半身を起こす。
何か、夢を見ていたような。ふわふわとして、足元が定まらない感覚に、思考がもたつく。
(あれ、ここは……)
まだよく回らない頭で、周囲を見回す。
そこは、何の変哲もない、見慣れた自室だった。
棚に並ぶ漫画。机の上に置いてあるノート。
窓から差し込む夕暮れの光。すべてが「日常」の匂いを放っている。
「俺の……部屋?」
まだ頭がぼうっとしている。
それでも、考えを巡らせるのには十分なほどに、徐々に回転が始まっていた。
(確か……放課後になって……空間震警報が鳴って……)
記憶を遡るように、ゆっくりと思い起こしていくと、少しずつ頭の中がすっきりと澄み渡っていく。
「ただいまっ」
その時だった。
階下……玄関の方向から、凜祢の声が飛んでくるのが聞こえたのは。
その声はどこか焦燥の色が混じっているようにも思えた。
俺は立ち上がり、寝惚けた身体で自室を後にすると、帰ってきた凜祢を出迎えようと玄関へと向かう。
「お帰り、凜祢」
「涼っ!」
玄関先に姿を見せた俺を見つけた瞬間、凜祢は大きく目を見開いた。
驚愕と安堵が入り混じった顔で、彼女は慌てて靴を脱ぎ捨てて上がってくると、俺のもとに駆け寄ってくる。
「ど、どうしたんだよ」
「 “どうしたんだ”じゃないよっ! 空間震警報が鳴ってるっていうのに、外に飛び出して行っちゃったから……心配したんだよ?」
いつもは穏やかなはずの声が鋭く尖る。
いつになく乱暴な物言いに俺は戸惑う。
(ああ……そうだった)
それで、俺は自分がとった行動を思い出せた。
あの時……シェルターへ向かう中、一人外に飛び出した士道を追う形で俺も外へ走り出たのだ。
「電話にも出ないし……もしものことがあったらと思って……」
怒った声は途中から勢いをなくし、凜祢は俯いてしまう。
肩が小さく震えていた。
その様子から、俺のことを本気で心配してくれているというのが、痛いくらい伝わってきた。
義理の姉である凜祢にとって、俺達は唯一残された家族なのだ。
心配するのも無理はない。
「ごめん。心配かけて……」
「もう……無事だからよかったけど」
呟いた俺に顔を上げた凜祢は、ほんの一瞬だけ微笑んだもののすぐに真剣な眼差しに戻った。
大切な家族をこんなにも不安にさせたという罪悪感が、広がっていく。
「で? 今まで一体どうしてたの?」
「えっと……」
流れを切り替えるように尋ねてきた凜祢に応えようと、俺は改めて自分の記憶を辿る。
「士道を追いかけて外に出て……それで……士道は見つけられなくて……」
そこまでは何とか思い出せる。
だが問題は次の部分だ。
(そのあと……何があったっけ?)
外に出た後のことが、まるで霞がかったように上手く思い出せない俺は、なんとしてでも思い出そうとする。
「見つからないまま……そのままどこに行ったの?」
俺が言葉を詰まらせたことで、凜祢は再度問いかけてくる。
”——。”
刹那、ふっとその後の俺の行動が頭の中に入ってきた。
いや、むしろ思い出したと言った方が良いだろうか。
そんなわけで、無事思い出した俺は、凜祢の問いかけに、俺はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ああ……思い出した。士道を見失って、しばらく周りを探したんだけど、やっぱり見つからなくて。そのままじゃ危ないと思って、近くのシェルターに逃げ込んだんだ」
タイミング的に嘘をついているように聞こえるかもしれないが、嘘ではない。
……俺の記憶が正しければ、だが。
「そうなんだ……涼、ちょっとじっとしてて」
「えっ?」
俺の言葉に凜祢がホッとした様子を見せたと思ったのも束の間、突然そんな事を言われて俺は困惑しつつも素直に従うと、凜祢はそっと近づいてきた。
凜祢は俺の髪に手を伸ばし、
「何か付いてるよ……えぇっと……」
そう言いながら、そっと触れる。
柔らかな指先が頭を撫でるような感覚に、思わず身体が硬直してしまう。
そして指先でくっついていたであろう何かを摘まむと、それを俺の目の前に持ってくる。
「これ……コンクリート片だよね?」
凜祢が不思議そうな声を上げながら、つまんでいる白っぽい欠片を見る。
その付着物には、俺も驚きを隠せなかった。
おそらくどこかの建物か何かの破片だろうが、それにしてもなぜこんなものが俺の髪についているのかわからないのだ。
「なんでこんなものが……?」
「もしかしたらシェルターに向かう時に頭に落ちたのがくっついたんじゃないかな? 小さいから気が付かなかったんだと思うよ」
凜祢は俺の疑問に淡々と答えながら、丁寧にその破片を取り除く。
確かにコンクリート片とはいえ、それほど大きなものでもなく小さくて、軽そうなものだったので、全く気付けなかったというのは筋が通る。
特に、急いで避難している状況下では。
(ま、いっか)
とりあえず、コンクリート片はごみ箱に捨てるとして、心の中で納得すると同時に、もう一つの大事なことに気づいた。
「あ!」
「ど、どうしたの? いきなり大きな声なんて出して」
「いや、士道のことなんだけど。俺、士道が無事なのかまだ確認してなくてさ」
突然声を上げた俺に、凜祢は少し驚いた様子を見せる。
俺は士道を探しに行ったのに、肝心の士道がどうなったのかを確認していないのだ。
「士道もシェルターに逃げ込めたかもしれないけど、大丈夫かな」
「うん……ちょっと今から連絡してみるよ」
俺の言葉を聞いた凜祢の言葉に相槌を打と、俺はズボンのポケットから携帯を取り出して、士道の番号へ電話をかけた。
”プルル……プルル……プルル……”
数回のコールの後、無機質な留守電のアナウンスが流れた。
「……出ない」
「空間震の影響で電波の状況が悪いのかも」
「そうだといいんだけど……」
俺は眉を寄せながら通話を着る。
(士道のことだ、きっと無事に避難しているはずだ)
まさか、巻き込まれているというわけではないだろう。
そう自分に言い聞かせても、やはり不安は拭いきれない。
「もしどうしても心配なら、また後でかけてみればどうかな?」
「ああ……そうする。ありがとな、凜祢」
凜祢の言葉に少し気持ちが楽になり、俺は小さく笑みを浮かべた。
「それじゃ、夕食の用意をするね」
「あ、俺も何か手伝うよ」
「本当? ありがとう、助かるな」
そう言ってリビングキッチンへと向かう凜祢の背中を見送りながら、士道の携帯に”気づいたら返信してくれ”という文面のメールを送ると、彼女の後を追うように俺もリビングへと入る。
そのあと、凜祢に指示されるまま食器を並べたり、食材を用意したりとしているうちに、先程までの不安は消え去っていた。
(まあ、今は無事を祈るしかないか……)
そう、冷静に思える余裕ができたのも大きいのかもしれない。
「「いただきます」」
向かい合うように席に着いた俺たちは、手を合わせてから夕食に箸を伸ばす。
今日の夕食はハンバーグだ。箸で切り分けただけで肉汁が溢れ出すハンバーグに、付け合わせにニンジンやブロッコリーといった野菜が添えられている。
どれも凜祢の手料理で、温かい家庭的な味が口いっぱいに広がる。
……ただ一つ、気になることがあるとすれば。
「……なあ、凜祢」
「ん? なぁに?」
「気のせいかもしれないが、心なしか俺のハンバーグ、なんか小さくないか?」
俺の皿に乗っているハンバーグは、凜祢の皿にあるものと見比べても明らかにワンサイズ小さかった。
しかも、あからさまにではなく、誤差レベルで。
付け合わせのニンジンの量も心なしか少なめである。
「ふふっ、気のせいじゃないかな?」
凜祢は悪戯っぽい笑顔を浮かべてとぼける。
しかし、その目は絶対に嘘をついている目だ。
これは間違いなく、今日の放課後の部活動関連の俺の言動への仕返しだろう。
「……今日の放課後の罰か?」
「罰だなんて、私はそんなことしないよ♪」
しらばっくれるように笑みを浮かべる凜祢。
「いや、何でもないです……」
「ふふ、素直でよろしいです」
勝ち誇ったような笑顔でハンバーグを頬張る凜祢を見て、俺も苦笑いしながら箸を進める。
まあ、量は少ないが味は美味いし、何より凜祢が作ってくれた料理だ。
文句はない。
というより、下手にこれ以上つつくと、仕返しが長引くだけだ。
「うん。おいしい」
「ふふ。よかった」
俺の感想に、凜祢は嬉しそうにほほ笑む。
こうして他愛ない会話を交わしながら夕食を共にする時間こそが幸せだと感じる。
凜祢の作った料理は心まで満たしてくれるようだった。
夕食後、俺はお皿などの洗い物を一人でしていた、
ちなみに凜祢は今、お風呂に入っている。
お風呂の順番は、レディーファーストで、先に凜祢が入り、その間に洗い物を済ませてしまうのが我が家の暗黙の了解だ。
スポンジに洗剤を含ませ、食器を洗っていく。
サササッと水が流れる音と、食器が触れ合う軽い音が響く。
(さて、これで終わったかな)
最後のお皿を棚にしまい、手を拭いていると、出入り口が開く音とともに、パタパタというスリッパの足音が近づいてきた。
「あ、涼。お風呂空いたよー」
振り返ると、ピンク色に水玉模様の寝間着を着ている凜祢が立っていた。
バスタオルで髪を拭きながら、上気した顔で微笑む。
凜祢が動くたびに、シャンプーの香りがふわりと漂ってくる。
「こっちもちょうど終わったところだから、俺もお風呂入るよ」
「うん、ゆっくり入ってね」
匂いとかそういったものは気にしないようにしながら凜祢の言葉を聞いた俺は、そのままリビングを後にして自室に戻ると、着替えを一通り用意してまたバスルームへと向かうのであった。
「ふぅ」
お風呂から上がり、各々が自室にこもって好きな時間を過ごすこととなった。
俺はベッドの上で仰向けになりながら天井を眺める。
暖まった身体にはそれは格好の入眠剤だ。
「そういえば、士道は結局大丈夫だったんだろうか?」
静かな夜の空気の中で思うのはそんなことだった。
携帯を開いてみると、新着メッセージが届いていた。
内容は『悪い。俺は大丈夫だ。心配かけてごめん』という文面だった。
「とりあえず、無事みたいだからよかった」
心配かけた割には短すぎないかと思うかもしれないが、この文量だけでも十分なほどに俺には安心材料になっているのだから、問題はない。
どちらかといえば、連絡をくれることのほうが大きい。
士道の安否もはっきりしたことだし、さっさと眠ってしまったほうがいいと考えた俺は、照明を落として布団に潜り込んだ。
こうして、4月10日は幕を閉じるのであった。
大変ご無沙汰してます。
本作の基本的なスタイルとしまして、原作とうり二つ(一切変更がない)場面はすべてカットしています。
よって、章によってはすさまじい速さで話が進んでいくことがありますので、ご容赦いただけますと幸いです。
ということで、次回も楽しみにしていただければ幸いです。