我ながら単純だとは思うが、あの一件以来、つい黒瀬さんを意識してしまう自分がいた。
とんでもない美人とちょっと言葉を交わしただけ。
それだけのことで舞い上がったり、心が浮き足立つ感性が自分にもあるのかと、ちょっと驚いている。
たとえそれが学園で恐れられている変わり者の黒瀬さんであっても、関係ないらしい。
そもそも俺が黒瀬さん周りのオカルトな噂を信じていないってのもあるが。
きっと、こういう感じに勘違い野郎というものが量産されるのだろう。
女性に少し優しくされただけで「自分に気があるんじゃないか?」って期待感を膨らませるなんて、恥ずかしくて情けないことだと思っていたが……これはちょっとバカにできなくなってしまったな。
しょっちゅう「彼女が欲しい! そんでもってエッチぃことしてぇ!」と騒いでいる啓介ならともかく、そこまで異性や恋愛にがっついていない俺ですら、こうも露骨に黒瀬さんを目で追ってしまうのだから。
恐るべきは美少女。
美少女が放つ魅力を侮っていた。
と、ひとり勝手に盛り上がっている俺だが……たぶん黒瀬さんのほうは思わせぶりなことをしたわけではないのだろう。
現にあれ以来、黒瀬さんが俺のことをジ~っと見てきたり、声をかけてくる様子は一切ない。
だからこそ、あの日に限って黒瀬さんが俺の肩に触れたり、謎めいた言葉を残していったのが気になるわけだが。
……本当に何だったんだろうな、あの出来事は。
黒瀬さんは何を思って、俺を見てきたり、声をかけてきたりしたのだろう。
ミステリアスな黒瀬さんの動機を図ることは、とても難しい。
とはいえ普段から幼馴染に『シロちゃんは女心がわかってない!』とさんざん非難されているので、そこまで親しくない女子の心理を推し量ること自体そもそも困難なわけだが。
いまさら改まって黒瀬さんに「何で?」と聞くのも変だしな。
……まあ、言い方は冷たいかもしれないが、お互いもともと関わり合いのない関係だ。
同じクラスというだけで、俺たちは顔見知りの他人でしかない。
そんな奴に急に距離を詰められたら、黒瀬さんが警戒するかもしれない。
すっかり告白が絶えたとはいえ、黒瀬さんにとって自分に声をかけてくる男子なんて下心ありきか……あるいは『霊感少女』の噂を聞いて妙な好奇心を働かせた輩としか思えないだろうしな。
実際、いっとき無神経な男子生徒が冗談半分で黒瀬さんに『何かやって見せてよ』と、からかっているのを見かけたことがある。
そのときの黒瀬さんは本当に迷惑そうにしていたし、端から見ていても気分のいいものではなかった。
……ちなみに黒瀬さんをからかった生徒は後日に謎の不登校になったため、彼女の噂は余計に尾ひれが付いてしまった。
俺がいだく彼女への好奇心は決して悪意込みのものではなく、本当にただ純粋な疑問なのだが……黒瀬さんにとって大した違いはないだろう。
深入りされるのは、きっと黒瀬さんの本意ではない。
だからこれ以上、気に留めるのはやめておこう。
あの日が特別だっただけで、たぶん今後言葉を交わす機会はもう訪れないだろうから。
そう、思っていたのだが。
「……っ」
あ、あれ? 黒瀬さん、また俺のこと見てないか?
俺が教室に入るなり、黒瀬さんはピクッと体を震わせて、文庫本から目を離したかと思うと凄い勢いでこちらを見てきた。
とてもデジャブな光景だ。
少し違うのは……黒瀬さんの目つきが、もはや睨んでいるレベルということだ。
美人が睨むと異様な迫力があるな。
黒瀬さんの赤色の眼光を前に、思わず震え上がってしまう。
というか今朝から変な寒気を感じていたのだが……なんだか余計に体が震えてきた。
まずいな。風邪でも引いたか?
「白上くん」
「え?」
黒瀬さんは席から立ち上がって、俺に近づいてきた。
整いすぎて人間離れした美貌が間近に迫ってきて、胸の動悸が早まる。
というか近い。
黒瀬さん、この前といい、何でそんなに顔を近づけてくるんだ?
黒瀬さんはジ~っと俺の顔を見てくる。
……気のせいかな? 黒瀬さん、先日よりも焦っているような、切羽詰まっているような気が。
「……白上くん。また心霊スポットなどに行かれましたか?」
「え? い、いや、行ってないけど」
黒瀬さんの忠告もあって、あれ以来心霊スポットには一度も足を運んでいない。
あれほど行きたがっていた啓介も動画が勝手に消えたショックから立ち直れず、ついでにその怪異現象にすっかりビビってしまい「もう心霊スポットには行かん……」と懲りた様子だった。
俺の返事を聞くと、黒瀬さんは「そうですか」としばらく思案した顔を浮かべる。
「……では、何か最近変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと?」
「はい。たとえば何か新しく買ったとか、誰かに物を貰ったりなどは……」
「ああ、確かに昨日、無線イヤホンを買ったけど……」
カバンから購入したての無線イヤホンを取り出す。
これまで愛用していた有線イヤホンが断線してしまったので、この機会に前々から興味のあった無線イヤホンに移行してみたのだ。
黒瀬さんは俺が取り出した無線イヤホンに視線を注ぐ。
「……もしかして、これ中古品ではないですか?」
「え? よ、よくわかったね。値段がびっくりするくらい安かったから買ってみたんだ」
無線イヤホンはずっと欲しかったものの、どれも高校生が買うには敷居の高いお値段ばかりだった。
お小遣いも限られていたし、妹からも「無駄遣いしないように!」と釘を刺されていたので一番格安であるこの中古品を選んだのだが……何か、まずかっただろうか?
「このイヤホンはもう使われましたか?」
「い、いや、まだだけど。設定の仕方がちょっとわからなくてさ。ははは」
苦笑いする俺と違って、黒瀬さんは深刻そうな顔で無線イヤホンを見ている。
ただ俺が「まだ使っていない」と聞いて何やら安心したようで「良かったです」とだけ呟いた。
「あの……こちらを少しお借りしてもよろしいでしょうか?」
「え? べつにいいけど」
特にすぐに使う予定はないので、言われたとおり黒瀬さんに無線イヤホンを手渡した。
何だろう? こういう電子機器に興味あるのかな黒瀬さん?
「──、──、──」
黒瀬さんは無線イヤホンを両手で握りしめると、急に理解不能な言葉をボソボソと呟き始めた。
……あの、黒瀬さん? いったい、あなたは何をしているのですか?
そう尋ねたかったが、黒瀬さんはどうも集中しているようなので声がかけづらい。
しばらく様子を見守る他なかった。
「……ひとまず、これでいいでしょう。お返しします」
数秒後、黒瀬さんはひと作業を終えたとばかりに息を吐いて、無線イヤホンを俺に返した。
俺は戸惑いながら無線イヤホンを受け取る。
「えっと、黒瀬さん? いまのはいったい……」
「寒気、おさまりましたか?」
「はい?」
脈絡もなく、黒瀬さんがそんなことを言う。
……あれ? 言われてみるとさっきまで感じてた寒気がなくなっているような。
むしろポカポカと温かい。
まるで無線イヤホンを通して、体が温まっていくようだ。
まさか黒瀬さんの手の温度を宿した無線イヤホンのおかげ?
……って、そんなバカな。
「……白上くん、お願いがあります。そのイヤホン──できれば使わないでください」
「え?」
黒瀬さんがとつぜん変なことを言い出す。
「使うなって、何で? せっかく買ったのに」
「正確に言うと、今日だけ使用を控えてください。それまでに……何とかしますから」
「いや、何とかって……」
「とにかく、お願いします」
黒瀬さんが深々と頭を下げるので、俺はギョッとしながら「わ、わかった」と頷いてしまった。
「それと……今日のお昼休みですが、どなたかとご予定はございますか?」
「え? いや、特にないけど」
啓介と一緒に昼食を食べることはあるが、頻繁にそうしているわけではない。
あいつは基本学食か購買のパンで済ますし、俺は妹お手製のお弁当を食べるから、お互い気が向いたときに中庭に集まって駄弁るくらいだ。
今日は特に約束はしていない。
「では……昼休み、この階にある非常階段で待っていただけませんか?」
「え?」
「私、いつもそこで昼食を取っているので。あそこのほうが人目もつきませんし、好都合ですから」
「え? え?」
これはもしかして……「お昼を一緒に食べましょう」というお誘いだろうか?
な、なんで急にそんなお誘いを?
それに人目がつかないほうが好都合って……ついつい変な妄想が働いてしまったのは、健全な男子として致し方ないと思う。
「……ダメでしょうか?」
「はっ!? い、いや! だ、大丈夫! 問題ないです!」
不安げに尋ねる黒瀬さんに上擦った声で返事をする。
黒瀬さんはホッとしたように胸を撫で下ろすと、自分の席に戻ってカバンを持ってきた。
「では、お昼休みに」
そう言って黒瀬さんは俺に背を向け、教室を出て行こうとする。
「あれ? 黒瀬さん!? もうすぐホームルームだよ!?」
「用事ができたので、午前中は欠席します。昼休みには戻りますので」
「え~……」
堂々とサボる宣言をした黒瀬さんは躊躇いもなく教室から姿を消した。
クラスメートたちがぞろぞろと入ってきて、教室が騒がしくなる中、俺はただただ呆然としていた。
黒瀬さんとお昼休みに会う約束をして浮かれ気味になっていたが、いまは正直困惑の気持ちでいっぱいだ。
……やっぱり、変わってるなあの人。
* * *
昼休みを告げるチャイムが校舎に響く。
俺は黒瀬さんに言われたとおり、二階の突き当たりにある非常階段までやってきた。
扉を開ける。まだ黒瀬さんは来ていないようだった。
黒瀬さん、午前中はマジでずっといなかったけど……何の用事だったんだろう?
とりあえず階段に腰掛け、持ってきた弁当を膝に置く。
一応、昼食を一緒に食べると解釈しているので、食べずに待っていようと思う。
「……それにしても、ここ落ち着くな」
黒瀬さんの言うとおり、非常階段には人気がなく、とても静かだった。
ちょうどよく日陰もできているし、落ち着いて昼食を食べるには打ってつけの場所と言えた。
俺だったら、こんな絶好のスポットを他人には教えたくない。だから尚のこと、黒瀬さんが俺をここに呼んだ理由が気になる。
「とりあえず動画でも見て待ってるか」
スマートフォンを取り出し、お気に入りのチャンネルに新しい投稿はないか確認する。
お、結構来てるな。
早速視聴したいところだが……。
「黒瀬さんに『イヤホンを使うな』って言われてるんだよな~」
べつに周りに人はいないし、音がダダ漏れでも構わないと思うが、万が一ということもある。
決して恥ずかしい動画を見るわけではないが、やはり心理的に躊躇いがある。
「……」
何気なく無線イヤホンを取り出してみる。
特におかしなところは見当たらない。中古品にしては新品と遜色ない状態だと思う。
だが黒瀬さんはこの無線イヤホンをやたらと警戒するような素振りを見せた。
いったい、なぜ?
……まあ、そもそもスマートフォンとの連携を済ませていないので、使いたくとも使いようがないのだが──そう思った瞬間だった。
「……え?」
──ズズズ……ザザザ……
無線イヤホンから、音がした。
まだスマートフォンと接続もしていないはずなのに、ノイズ音のようなものが漏れている。
何だ? 不具合で勝手にスマートフォンと接続されてしまったのだろうか?
──ウ……ウゥ……
思わず背筋がゾクリとした。
ノイズ音らしきものが、だんだんと人の呻き声のようなものに聞こえてくる。
──……シシシシシシシシ
朝に感じた悪寒が再びやってくる。
……聞くな。この音を聞くなと本能が告げている。
だが、なぜか体が石になったように動かない。
掌の上で、イヤホンはひたすら不気味な音を鳴らし続ける。
──……ネネネネネネネネ……
── シ ネ
「ひっ」
「ダメ!」
少女の叫びが聞こえた途端、体がビクッと跳ね上がる。
その拍子にイヤホンが掌から落ちる。
「あ」
足下から「パキッ」という音がする。
ふたつの無線イヤホンは、どちらも割れて砕けていた。
「白上くん! 大丈夫ですか!」
「あ? え?」
肩を揺すられる。
心配そうに俺を見る黒瀬さんがそこにいた。
「ごめんなさい。まさか、こんな短時間で効力が消えるなんて……」
黒瀬さんは心底申し訳なさそうに目を伏せる。
その視線の先には粉々になった無線イヤホンがあった。
いまだにぼんやりとしている頭で、黒瀬さんが言わんとすることを理解しようとする。
短時間で効力が消える?
……ああ、そういう意味か。
「えーと、黒瀬さんが謝る必要ないよ。やっぱ中古品はダメだね。ちょっと落としただけで、こんなに派手に壊れるんだから」
「……え?」
「まさか短時間で使い物にならなくなるとは驚いた。さっきもスイッチ入れてないのに勝手に大音量で変な音出すしさ。黒瀬さんの言うとおり使わなくて正解だったみたいだね。危うく鼓膜が割れるところだったよ」
「あ、いえ、私が言いたいのは……」
「それにしても、随分と大荷物だね黒瀬さん」
「え? ああ、これはその……」
黒瀬さんの手には何か見慣れない道具が詰め込まれた紙袋があった。
黒瀬さんはその道具の山々を恥ずかしげに隠す。
「必要になると思っていろいろ持ってきたのですが……結局その心配は無くなりました」
また黒瀬さんは壊れたイヤホンを申し訳なさそうに見つめる。
「その……イヤホン、弁償します」
「え? 何言ってるんだよ。俺が落として壊したんだから、黒瀬さんがそんなことする必要ないよ」
「いえ。私が壊したようなものですから……」
確かに黒瀬さんの声に驚いてイヤホンを落としたが、それくらいで壊れる中古イヤホンが悪いのだ。
「気にしないでってば。ところで、俺をここに呼んだ用事は何だったの?」
「……その用事もいまさっき済みました」
「はい?」
「ただ、それでは白上くんに申し訳ないので、せめてお詫びをさせてください」
そう言って黒瀬さんは弁当箱を取り出す。
蓋を開けると、小綺麗に整列されたオカズやおにぎりが目に入ってくる。
「お嫌でなければ、私のお弁当のオカズ、お分けします」
* * *
黒瀬さんが俺に対して後ろめたさを覚える理由はわからなかったが、せっかくなのでお言葉に甘えて弁当のオカズを交換することにした。
「おっ、このハンバーグうまい!」
「お口に合って良かったです。自信作なので、そう言って頂けると嬉しいです」
「え? これ、もしかして黒瀬さんの手作りなの?」
「はい。お料理が好きなので」
「へ、へぇ~、そうなんだ」
まさか同級生の女の子の手料理が食べられるとは。
しかもあの黒瀬さんのお手製だ。
意外と家庭的な一面があるんだな。
「白上くんの唐揚げも、とてもおいしいです」
「それはよかった。妹に伝えておくよ」
「こちらは、妹さんが?」
「うん。最近、料理に凝ってるみたいでさ。『ついでに』って俺にも弁当を用意してくれるんだ」
「そう、ですか……仲良しなんですね」
「そうかな? 普通だと思うけど」
「いえ、羨ましいです。家族が、お弁当を作ってくれるだなんて……」
どこか切なげに黒瀬さんは言った。
……どうも話題を変えたほうがいいような空気を感じた。
「それにしても、ここいいね。落ち着いてお昼食べられるから」
「そう、ですね。私もここが学園で一番好きな場所です」
「たまには、こういう静かな場所でお弁当食べるのもいいね」
「……でしたら、今後は白上くんがここをお使いください」
「え? いやいや、それは黒瀬さんに悪いだろ。だってお気に入りの場所なんだろ?」
「構いません。そもそも学園施設の一部を独占できるわけではありませんから」
それはそうだが、このままでは黒瀬さんのお気に入りスポットを奪ってしまうようで申し訳ない。
……少し、思いきって勇気を出してみるか。
「じゃあ……ここで一緒にお昼を食べるってのはどう?」
「え?」
「いや、毎日ってわけじゃないけどさ……気が向いたときに俺がここに足運んで一緒に昼食を食べる日があってもいいかな~って。あ、黒瀬さんがひとりで食べたいっていうなら話は別だけど……」
「そんなことはありませんが……白上くんは、怖くないのですか?」
「え?」
「私が、怖くないんですか?」
サァっと風は吹き、木の葉が揺れる音がする。
振り返ると、上側に座る黒瀬さんと目が合った。
試すような、恐れるような、そんな目を向けていた。
「……いや、別に怖いとは」
「え?」
「というか、こうしてお弁当のオカズを分けてくれているわけだし、むしろ親切で優しい人だと思っているけど」
「……」
信じがたいものを見るように、黒瀬さんは目を見開いた。
「それに俺もともと怖い噂というか、オカルトみたいなのって全然信じてないからさ。こうして話してても黒瀬さん結構普通な感じだし、やっぱ噂なんて当てにならないね」
まあ、ときどき意味不明な言動や行動することはあるけど……それは敢えて口にはしまい。
「……白上くんって」
「ん?」
「──変わった人ですね」
物珍しいものと出くわしたかのような顔で、黒瀬さんはそう言った。
……いやいや、黒瀬さんには言われたくないぞソレ。