“父と母”について、わたしが思い出せる一番古い記憶。
それは小雪が降る冬の夜、皆で鍋を囲んでいたときのことだ。
それが何の集まりだったのか、当時まだ言葉も覚束ないほど幼かったわたしは知る由も無かったのだけれど、それが『家を建て替えたときのお祝いの席だった』というのは大きくなってから聞かされて知った。会話の内容だって碌に覚えちゃあいないが、最初はとても楽しい宴席だったことだけはよく覚えている。
「いやぁ、金を溜めた甲斐があったなあ~」
そう言って、建て替えたばかりの我が家を褒めてくれたのは、父と一緒に鍋を突いていた
戦争が終わったばかりの当時、日本とアメリカは太平洋に無数の機雷、つまり大量の爆弾をバラまいていた。もともとは互いに船の航行を邪魔するため、もしくは敵の侵入を防ぐために仕掛けていたものだが、戦争が終わった今はもはや用済みだから誰かが片付けなければならない。
それを始末するのが父たち、特設掃海艇「新生丸」の仕事だ。
父の仕事は新生丸に乗って海に乗り出し、海にバラまかれた機雷を撤去する作業。一歩間違えれば海の藻屑、まさに命懸けの危険な仕事だった。
ただ、その代わりに給金がとても良かったらしい。戦争で焼け出されて無一文同然だった父と母が、こうしてボロのあばら屋だった我が家を白木造りに建て替えられたのだってその仕事のおかげだったと聞いている。
そして秋津さんは新生丸の艇長で、いわば父の上司に当たる。この日、父と一緒に鍋を囲んでいたのは先述した艇長の秋津さんの他、機関技師を務める
「その笑顔! そのまま、そのまま……はい!」
パシャリ!
カメラを構えた野田さんが、照れ臭そうにはにかむ母を撮影した。ちなみに、このとき野田さんが撮ってくれた写真は今もわたしの家に飾ってある。
楽しげに写真を撮り続ける野田さんに対し、秋津さんが笑いながら声を上げる。
「おい学者ァ*1、
「何を言ってるんですか、典子さんは人妻ですよォ?」
そうやってみんなで冗談を言って笑い合っている最中、
「やめてくださいよぉ、わたし、
「え……」
一同、きょとんした様子。思わず、という様子で振り返った秋津さんが父へ訊ねる。
「……おい、どういうことだ?」
そんな秋津さんたちに、父もどこか気まずそうにしながら答えた。
「勝手に居着いてしまったんです。行くところが無いっていうから置いているだけで……」
「じゃあ、アキコは?」
「典子さんの連れ子です。といっても血は繋がっていないんですが……」
父の言うとおりだった。
これもあとから聞かされて知った話だが、わたしと父母は血が繋がっていない。わたしの本当の両親は空襲で焼け死に、その最中にわたしだけが生き残り、母はそれを助け出してくれた。
とはいえ、母も同じく空襲で焼け出されて行き場の無い身の上。そんな中でひょんなことから父と出会い、この家で共に暮らすことになった……というわけである。
「へぇー……!」
「このご時世に美談じゃあないですか!」
野田さんたちは感心した様子だけれど、父は「後先考えてないだけですよ……」となおも固辞していた。
そんな中、わたしも思わず口を開いた。
「おとうちゃん……」
どうすればいいかなんて、幼すぎるわたしにはわからなかった。けれどこのときのわたしは、なんだか父の様子を見ているうちに不安になり、どうしても声を上げずにいられなくなったのだ。
そんなわたしへ、父は言い聞かせるように告げる。
「アキコ、言ったろう。おれは、おまえの父ちゃんじゃあないぞ」
「…………。」
父からそう答えられて、わたしは幼心に変な気持ち、それもひどく居心地の悪い気分になったのをよく覚えている。今にして思えばそれは『悲しい』とか、『寂しい』なんていう類いの感情だったのだろう。けれど、当時のわたしはまだ幼すぎてそんなことはわからなかった。
そんな父とわたしのやりとりを傍から見ていた父の同僚たちは、一斉に顔を顰めた。
「敷島ァ、そりゃあ、マズいんじゃあないか……?」
水島さんが口火を切り、野田さん、秋津さんも口々に父を批難した。
「実に不健全だ……」
「いいか敷島! オトコなら覚悟を決めろ、覚悟を!」
「幸せにしてぇ~w」
幸せ。
お調子者の水島さんが冗談めかして言った途端、父は激昂した。
「だまれ……っ!!」
普段穏やかな性格の父だったけれど、そんな優しい父にはとても似合わないほどの激怒ぶりだった。勇ましい海の男であるはずの新生丸の船員たちも思わず怯んでいたし、当の父自身でさえそんな自分にひどく驚いていたようだった。
気まずい沈黙が流れる中、やがて不服そうに秋津さんが吐き捨てた。
「なんでぇ……」
そして冷え切った空気のまま、和やかだったはずの鍋の会はあっさりお開きになってしまった。
それからしばらくした、ある夜のこと。
夜更けに声を荒げる父と母の声で、わたしはぼんやりと目を覚ました。
「いったい、何があったんですか!?」
「典子さんには関係ないことです!」
この日、父は怪我を負って帰ってきた。
会話の意味は相変わらずよくわからなかったけれど、狭い家の中でのこと。あまりの剣幕で怒鳴り合う父と母を前に、わたしもなんだか起きていてはいけないような気がして、このときばかりは寝たふりを決め込んでいた。
そんなわたしに気づかないまま、父と母は言い争いを続けた。
「なにが
いつもは穏やかで父を尊重してくれる母だが、このときばかりは何が何でも聞き出さないと気が済まないようだった。
「あなたが何かを背負っているなら、わたしにも少し分けて欲しいんですっ!……」
「…………っ」
そんな母からここまで問い詰められたところで、父もようやく観念したらしい。父は、重い口をゆっくりと開いた。
「おれは、おれは……『特攻』から逃げた人間です」
特攻。十死零生、生きる望みはまさにゼロ。
けれど、父はそんな『大人』にはなれなかった。
「出撃の日、機体が故障したフリをして、大戸島にある不時着場に降りました。この写真は、そこの整備兵の人たちが持っていたものです。皆、亡くなりました……」
そうして父が語り出したのは、その大戸島で起こった恐ろしい事件の話だった。
大戸島の飛行場の整備兵たちは、父が特攻から逃げ出したことに気づいていたけれど、それでも温かく迎え入れてくれたこと。そんな日々の中、島に巨大な恐竜のような恐ろしい怪物『
「でも、おれは、また、逃げたんですっ……!」
そしてその結果、整備兵の人たちは皆殺しにされてしまったこと。そのゴジラが再び現れ、またしても父は何もできないまま沢山の人が命を奪われてしまったこと。
「……おれは、本当は、生きてちゃあいけない人間なんです」
父はなおも悔いていた。
「その結果、彼らは皆、怪物に殺されました。皆、家族に会えたはずの人たちです。でも、また何もできなかった……っ!」
「浩さん……」
そうやってどん底の自分を責め続ける父に、母も真剣な面持ちで向き合っていた。
「生き残った人間はきちんと生きてゆくべきです!」
「典子さんに何がわかるっていうんですかっ!」
「わかりますっ!」
行き場の無い怒りに任せて声を荒げる父。けれど、母は決して引かなかった。父の苦しみへ真っ直ぐ向き合いながら、母は思いの丈をぶつけた。
「わたしの両親は火に焼かれながら生きろと言いました。だからわたしは『どんなことがあっても死んではいけない』、そう思って生きてきたんですっ!……」
「……!」
地獄の中でも気高く生き抜いてきた母。その意志の力に、父は“何か”を垣間見たようだった。
けれど、父は弱い人だった。せっかく掴みかけたその“何か”は瞬く間にかき消えて、父はすぐに自己否定の暗闇へと深く、深く嵌まり込んでいってしまう。
「無理です……あいつらは、毎晩毎晩夢に出てくるんですっ、『早くこっちに来い』って! 『なんで図々しく生きながらえているんだ』って!……」
「それは夢! 浩さんが作った幻だよ!」
母が懸命に励ますけれど、絶望の暗闇に囚われた父は聞き入れることができない。
「そ、そもそも、おれは生きているんですかね? もうとっくにあの島で死んで、朽ち果てて、典子さんやアキコは、その屍が見ている夢なんじゃあないですかね!? そうだ、そうだ、ぜったいそうだ……!」
「生きているよ! 浩さんは生きている! わかるでしょう……!?」
ただ絶望へ泣き崩れることしかできない父と、そんな父の傍へただ寄り添うことしかできない母。
……この夜の会話。その真の意味について、わたしが理解できるようになったのはかなり後の話である。
母が、帰ってこなかったことがある。
「臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます……」
楽しい流行りの音楽が流れていたはずのラヂオから突如聞こえてきた、切迫したニュースの声。それは東京湾から上陸した『巨大生物』が、銀座方面に向かっていることを告げるものだった。
海から現れた、巨大生物。ただそれだけで、父はすぐに直感したらしい。
「ゴジラだ……!」
血相を変えた父はわたしを近所の澄子おばさんへと預けると、一目散に家を飛び出して行った。向かった先は銀座、最近勤めに出た母の職場があるところだ。
そしてそこにあの怪物、ゴジラが迫っていた。
結局、母は帰ってこなかった。
「とんだことになっちまって……アキコはどうすんだ」
黒い背広を着た秋津さんがぽつりと呟いたとき、同席していた澄子おばさんがお茶を淹れながら口を挟んだ。
「困ったときはお互い様さね……」
澄子おばさんこと
その澄子おばさんが、まるで励ますかのようにわたしへ笑いかけた。
「ねえアキちゃん。お父ちゃんがいないときは、おばちゃんとこに来るんだよねー?」
いつもどおり、いや、いつも以上に親切にしてくれる澄子おばさん。けれどわたしはそれより気になることがあった。
「……おかあちゃんは?」
そんなわたしの言葉聞いた途端、皆一斉に動揺していた。
そもそも皆ここに揃っているのに、母だけいないのがなんだか不思議だった。
……幼かった当時のわたしにはわからなかったが、このとき『母の葬儀』が行なわれたらしい。弔問客が帰ったあと、家には父とわたし、そして馴染みの新生丸の一同が残っていた。皆真っ黒な服を着て、普段は温かな我が家も沈鬱な空気に包まれていた。
けれど、そんなあまりにも残酷すぎる現実など、幼すぎるわたしには説明し切れたものではなかったのだろう。澄子おばさんも困ったような顔をしたあと、慌ててすぐに取り繕いながらわたしへ優しく微笑みかけた。
「お母ちゃんはねぇ、しばらく遠くにお仕事へ行ったんよ。だから、しばらくはおばちゃんと一緒に過ごそうね……」
おかあちゃんがいい、おかあちゃんじゃなきゃイヤだ!
ふとそんな気持ちが込み上げてきて、わたしは大声で泣き出してしまった……そうやって泣いたところで母が帰ってきてくれるわけでもないのに。
周りの大人たちが困り果てている一方、父はというと、いつの間にか隣の部屋で呆然としていた。
「赦しちゃくれない、ってわけですか……おれが、バカな夢を見たせいだ……は、はは、はは……」
今の父には笑うことしか残されていなかった。絶望のどん底、ゼロからのマイナス。さらにその底があるというこの現実に、父はもはや笑うしかないようだった。
絶望に暮れる父、その傍にそっと歩み寄ったのは野田さんだ。野田さんは声を潜めて、だけどはっきりと父に告げた。
「……シキさん。実は秘密裏にゴジラを駆除する作戦が進行中です。民間人主導の誠に心許ないものですが……参加しますか?」
それからしばらく、父は家を空けることが多くなった。
当時のわたしは子供心に『これはきっと母の“お仕事”と関係があるのだろう』と直感していたが、どう関係しているかまでは想像の範疇になかった。
その日も澄子おばさんの家に預けられて過ごし、家に帰ると父が待っていた。どうやら久しぶりに家へと帰って来られたらしい。父の顔は疲れていて、いつもより深いシワが刻まれているように見えた。
だけどそれでも、わたしを見つめる目は優しかった。
「おばちゃん
「うん、おえかきした。たのしかったー」
そのときわたしは“とっとき”を父へ渡してあげることにした。わたしの“とっとき”を、父は丁重に受け取ってくれた。
「くれるのか、ありがとう……」
そのとき父に渡したのは、澄子おばさんの家で描いた“おえかき”だ。しばらく家に帰ってこなかった父のため、丹精を込めて用意していたものだ。
そこに描かれていたものに、父は目を丸くした。
「……これはおかあちゃんと、おれと、アキコか?」
うん、おとうちゃんもここにいるんだよ!
わたしは胸を張って応える。これがおかあちゃんで、これがわたし、そしてこれがおとうちゃん。順繰りに指を差して教えたわたしを、父はわしゃわしゃと優しく、けれどしっかりと撫でて褒めてくれた。
「そうか、上手に描けたな……」
喜んでくれる父の様子に満足していたわたしだけれど、どういうわけかとてつもなく不安でたまらなくなった。
父の背後に、何か大きな影のようなものが見えたような気がした。それは、あの夜のニュースで聞いた“怪物”の影なのかもしれなかった。
「……どうしてそんな顔するんだ?」
わたし自身、どうして『そんな顔』をしていたのかは今もわからない。父はいつだって、そして今だって優しい。絵だって褒められた。
それだというのに何故だろう。そんな大好きな父が、今にもいなくなってしまうような気がしたのだ。
「……アキコ?」
いつもどおり優しいはずの父の声。けれど、今の父には何か覚悟のようなものが混じっていた。普段とは違う、決意に満ちた声色。
母に続いて、父もどこかにいなくなってしまう。そう思うとたまらなくなって、わたしの顔はくしゃくしゃになって、わたしの目からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちてきた。
やがてわたしは、大声で泣き始めた。
「うわあああん、うわあああん、うわあああん……」
「大丈夫、何処にも行かないよ……」
そうしてわたしが泣き疲れて眠り込んでしまうまで、父は懸命に宥めてくれたのだった。
翌朝、わたしが目を覚ますと、一緒に眠っていたはずの父の姿が無かった。
目覚めたわたしが家の外へ彷徨い出たところ、ちょうどそのときに向かいの澄子おばさんが洗濯物を干そうと現れたところだった。
一人でふらついている幼いわたしに、澄子おばさんは驚いた様子で心配そうに駆け寄ってきた。
「どうしたの、アキちゃん。一人かい?」
「おばちゃん、これ……」
わたしが枕元にあった分厚い封筒を澄子おばさんに渡すと、澄子おばさんは目を丸くしていた。このときのわたしは知らなかったがその中身は札束と預金通帳、つまりはこれまで父が貯め込んできた全財産が入っていたらしい。
そしてさらに同封された書置きを目にして、澄子おばさんは驚愕していた。中にはこんなことが書いてあったという。
『アキコを頼みます。この金は、アキコのために使ってください』
その書置きで、澄子おばさんは悟ったものがあったらしい。
……わたしもまた、同じように直感していた。ひょっとすると父は帰ってこないのかもしれない、と。
「おとうちゃん……」
「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ……」
そう言って、澄子おばさんはわたしをぎゅっと抱き締めてくれたのだった。遠くの空で、何かが轟音を立てて飛んでいく音が聞こえた。
最終的に、父は帰ってきた。
大怪獣ゴジラとの戦い。のちに『ワダツミ作戦』と呼ばれることになったあの大決戦で、見事勝利を収めて帰ってきた。
それと同時に素晴らしいことがもう一つあった。
……それは『大怪獣襲来による銀座壊滅』という、前代未聞の異常事態がもたらした大混乱によるものか。あるいは、戦争やゴジラという理不尽によって長く苦しめられ続けてきた父に宛てた、神様からのささやかな贈り物だったのか。
母:典子は、死んでいなかった。
本当は生きていたのだ。
銀座の瓦礫の中から救出された母は、全身に重傷を負いながらも一命を取り留めていた。
その一報を耳にするや否や、父はわたしを連れて病院へ駆けつけた。そんな父に対し、母は聖女のように穏やかに微笑みかけながらこう言った。
「……
その言葉で、父はその場で泣き崩れた。父と母と、互いに身を寄せ合いながらおんおんと、声を上げて泣いていた。
そんな父と母を、わたしはただ黙って見つめていた。小さな手で、父と母の手を握りしめながら。
それから数年後、母は亡くなった。
母はゴジラ由来の放射線障害で苦しみ抜いていたけれど、それでも母は最期まで気高く、そして穏やかな笑顔を絶やすことはなかった。
ゴジラへ戦闘機で肉薄し接近戦を挑んだ末に被爆していた父もまた、後を追うようにしてこの世を去った。最期の時、父は母と同じように穏やかな表情をしていた。もう、悪夢に怯える必要はなかったように。
まだ子供だったわたしは別の家の養子に入って、そこから猛勉強した。目指したのは、ゴジラ出現を機に創設された国連の怪獣対策組織へ入ること。父や新生丸の船員たちのように世のため人のため、そして皆の未来を守るために戦えるような、立派な大人になりたかったのだ。
「……まぁ、こんな危険な仕事に就くなんて、もし父と母が生きていたらきっとこっぴどく叱られていたでしょうけれどね」
わたしは手元の古い写真を見つめながら、そっと微笑んだ。
写真の中には、父と母と、そしてわたしが一緒に写っている。病院から退院したあと、野田さんに改めて撮ってもらった写真だ。両親の形見となった、最高の家族写真だった。
「なるほど……」
わたしの身の上話が終わると、それまで黙って耳を傾けてくれていた同僚が口を開いた。
「それで君は我らが特別チーム、科学特捜隊に加わったと。こういうわけだね。フジ隊員?」
同僚の言葉に、科学特捜隊の一員であるわたし:フジ=アキコは力強く頷いた。
「ええそうよ、ハヤタ隊員。今後ともよろしく頼むわね」
そういえば名前が一緒だよなと思ったので調べたら、年齢もかなり近かったので。山崎監督のゴジラ新作、楽しみですね。今度のゴジフェスで新情報出るかな。