推奨環境でのデスゲームで死ぬこと十数回。ホルンカにもたどり着けないため諦めました。
基本的にアクションゲーム下手くそなので……
一瞬の空白の後に桐ヶ谷和人の意識は回復した。
二年以上通じていなかった嗅覚からの情報にむせそうになりながらゆっくりと目を開ける。
こちらもまた久しぶりの情報の伝達が強烈な刺激となり、思わず目を閉じる。
瞼越しに目を光に慣れさせる。鼻を刺すような消毒液の匂いに交じる果物の甘い匂いを感じながら待ち、改めて目を開けた。
白いパネルを敷き詰めた天井に混じる、小さくモーター音を漏らす金属製のスリット。空調設備―SAOには存在しない機械の存在にログアウトの完了を確信してホッと息を吐いた。
ひとまず起き上がろうとして、まったく力の入らない身体に驚く。
二年間の戦いの果てで衰えきった身体に力を込めながら周囲へと視線を巡らせる。
部屋自体はさほど広くない個室だった。ジェル状のベッドの左右から様々なコードや管が伸びており、身体へとつながっている。時間をかけてようやく身体にかけられた布から出せた右腕はやせ細っていて、とても剣など握れそうになかった。
なんとはなしに人差し指と中指を揃えて振るが、何も起こらない。
現実世界への帰還を改めて実感して、何をしているのかと苦笑する。表情の変化で頬が引きつり痛みを訴えたため全身から力を抜いて天井を眺めていると、病室の外で様々な声が聞こえ始めた。
おそらくSAOプレイヤー達が目覚め始めたことによるざわめきだと思うが、口ごもっているように聞こえて判然としない。耳に手を当てようとして硬質の物体に阻まれた。
耳とは違う何かの表面を撫で、頭部を覆うそれの正体を探る。
ナーヴギア―自信をSAOへと縛り付け、死神の鎌を突きつけ続けたそれを被っていることを思い出し、力の入らない腕で記憶の片隅に沈んでいた除装手順を何とか実行する。
頭部を包んでいたヘルメット状の機械が取り外され、内部に押し込められていた髪がバサリと落ちた。肩を超えて背に届く程に伸びたそれが閉じ込められていた時間の長さを物語っていた。
先ほどよりも大きく聞こえるようになった喧騒をBGMにこれからのことを考える。
明日奈と再び会うことはそう難しいことではないだろう。なにせ姉の意向が最優先のシスコンが付いているのだ。
あっさりと和人のことを探し出し、こちらが後手を取ったことを嘲りながら再会の段取りと取るのが目に浮かぶようだった。
せめて再会したときに情けない姿を見せないようリハビリを必死にしようと決意をして、ひとまず和人は身体の力を抜き訪れるであろう医療関係者を待つのだった。
和人の覚醒から数日後。
家族との涙の再会を終え、経過は順調。リハビリの予定も組まれ始めたところにそれは来た。
見舞いを済ませ退出した家族を見送り再び横になった和人の病室のドアが静かに開く。巡回には早い時間なので何か忘れ物でもしたのかとぼんやりと視線をむけると部屋に入ってきたのは見知らぬ黒縁眼鏡にスーツの男だった。
「初めまして、桐ヶ谷和人くん。私は菊岡誠二郎。《総務省SAO事件対策本部》の人間だ」
「はぁ……」
見知らぬ名称の肩書を名乗る男に和人は気の抜けた返事をしながら上体を起こす。菊岡は部屋に置かれていたパイプ椅子に座ると話を始めた。
聞き慣れない大層な名前の組織は、SAO事件勃発後すぐに結成されたそうだが、結局二年間ほとんど手出しすることは出来なかったらしい。とはいえそれも仕方のないことではある。下手なちょっかいを出してうっかり一万人が死にましたなどということになれば目も当てられない事態であるからだ。
彼等に出来たのはSAOに囚われた被害者の病院での受け入れ態勢を整えたことと僅かなプレイヤーデータのモニタリングぐらいだと菊岡は自嘲気味に話すが、初期の対応がなければ大勢が死んでいたことを考えれば十分に偉業と言えた。
菊岡がここに来たのは《キリト》のプレイヤーデータをモニタリングすることで《攻略組》の中でも突出したプレイヤーであることを知っており、未だ続くはずであったSAO攻略が中断されプレイヤーが解放された事情を訊くために訪ねてきたということだった。
「はぁ……」
話を聞き和人は再び気の抜けた返事をした。
最前線で攻略に邁進した自負はあるものの、最終的な決着やそれまでの貢献も含めて恭真の方がよほど話を訊く相手としてふさわしいと考えていた。
モニタリングしていたプレイヤーから話を聞けばユーマにたどり着くのは簡単なことであり、明日奈への便宜を条件にすればSAO内部でのことを詳しく訊くことは容易である。
とはいえ、未だSAOクリアから数日しか経っておらず話を聞ける人数も時間も僅かしかないと考えればユーマにたどり着いていないのは不自然というほどでもなかった。
「意思に反した二年間を振り返れというのも酷な話ではあると思うけど、目覚めることが出来たプレイヤーの中でも最上位のプレイヤーである君には
「まあ……話すぐらいなら―解決?」
和人は応対しながら違和感に気づく。
菊岡は確かに解決と言った。調書の作成でもなく事件の概要でもなく、解決。つまりそれは事件が終わっていなということを示していた。
そのことに気づいた和人を見て、菊岡は頷いた。
「SAOは確かにクリアされた。それは他のプレイヤーもアナウンスを聞いたと証言が取れている。しかし、全国でおよそ三百人程が、未だに目を覚ましていないんだ」
「なっ―」
思わず絶句した和人だったが、思考の再開は早かった。
まず考えるのは茅場の全員のログアウトが完了したという言葉が嘘であった可能性だが、それはすぐに否定された。
茅場が嘘を吐く理由がない。
彼が恭真から今後の事を聞かされる直前まで浮かべていた透徹した視線からは嘘を吐くような理由は思い浮かばない。あの場、あの瞬間の茅場晶彦は全てに満足していた。
つまり、この事態は不慮の事故か、もしくは何者かの意志によって引き起こされたということになる。
思考を切り上げ無意識にもたげていた顔を上げると、菊岡は和人を見ていた。
「俺が話すことが、その三百人を救うことに繋がるのか?」
「確証はない。だが、何も知らないよりは前進するはずだ」
和人の確認に菊岡はきっぱりとした様子で答える。即断での回答に頷いて和人は口を開いた。
「わかった。俺の知ってることは可能な限り話す。その代わり、いくつか条件がある」
「こちらも、出来る限りの力を尽くそう」
和人の出した条件は二つ。
結城姉弟との連絡と茅場明彦との面会。
菊岡は前者を快諾したが、結城姉弟との連絡は居場所の確認と周辺の警護へと変更された。
なぜなら、二人は未だ目を覚ましていない三百人の中に含まれていたからだ。
そして後者だが、政府も茅場を確保していないため、茅場を拘束後に熟考の上で可否を決定することとなった。
リハビリと家族との会話の合間に話せることを話し切るころには一ヶ月が経過し、退院の日を明日に控えたある日。
和人は一つの病室を訪れていた。
部屋の入口に備えられたネームプレートに掲示された名前は「結城恭真 様」。
見舞客用のカードをネームプレート下部のスリットに通すと、わずかな電子音とともにドアがスライドして開いた。
病室では和人の使っていたものと同じベッドで恭真が眠っていた。
初めて見る寝顔は安らかであり、記憶の中よりも幼く見える。
頭を包むナーヴギアさえなければ揺り起こせば目覚めそうな寝姿だが、正常な起動状態を示すインジケータLEDが瞬き、彼の魂を仮想世界へと閉じ込めていることを示していた。
「お前が起きていたら、もう解決していたりしてな」
そんな独り言に応える者はいない。
空調の音だけが響く病室で恭真を見下ろしていた和人は頬を叩いて気合を入れると踵を返した。
和人が退院してから早一か月。
情報収集を続け、一つの結論を得ていた。
おそらく、レクトという企業の内部に今回の犯人がいるということだ。
SAOを開発したアーガスだが、既に消滅している。SAO事件に対する賠償により破産したためだ。
そのためSAOサーバーを管理する後任が必要となるのだが、それを任されたのが総合電子機器メーカーのレクトなのだ。
つまり、SAOサーバーに細工が出来るのはそれを管理しているレクトの社員である可能性が高いのだが、これだけでは根拠として弱いのか、それともすでに監査を行い異常なしと判断されたのか、問題の発覚はしていない。
となれば、何かしらの方法で暴き立てるしかないのだが、そのめどは立っていない。
未だ三百人の命を囚るサーバーを門外漢である和人に触る許可など下りるはずもなく、何か手掛かりはないかと情報収集を続けていた。
その結果わかったことで重要そうなことは《
和人に調べられることは僅かであり、発表されている資料から得られる情報を繋ぎ合わせられるよう考えることしかできていない。
「あいつが起きてりゃなあ」
病室でぼやいていたことは存外的を得ていたのかもしれないと思いながら二階の自室を出て階段を下りていると、風切り音が耳に入った。
足を向けると妹の直葉が竹刀を持って素振りをしており、一度ミネラルウォーターのボトルを取りに戻ってから見守ることにした。
いつ頃から始めたのかはわからないが、額には汗がにじみ始めている。
真剣な表情で続ける彼女を邪魔しないようゆっくりと縁側へ腰かけ眺めていると、十数分経った頃に規定数を終えたのか竹刀を下した。
「あ……」
「おはよう」
屋内へ戻ろうとした直葉は和人を見て動きを止める。驚いた様子にいたずらが成功したような気分になりつつ、和人は手の中のボトルを放った。直葉はそれを受け取ると呆れと気恥ずかしさの混じった顔になっていた。
「お、おはよ。……やだなぁ、見てたなら声をかけてよ」
「いやあ、あんまり一生懸命やってるもんだから」
「そんなことないよ。もう習慣になっちゃってるから……」
「そっか、ずっと続けてるんだもんな……」
直葉は苦笑しつつボトルの中身を呷る。
和人は視界に入った竹刀を何とはなしに手に取ると、軽く右手で振る。そしてすぐに首を傾げた。
「軽いな……」
「ええ?」
SAOでの相棒と比較した和人の言葉に直葉は驚いたのか、真竹の竹刀であり重量はある方だと告げる。
ゲームでの出来事と比べているとは言い出せず、和人は気恥ずかしさから直葉の手の中からボトルを奪って飲み干すと立ち上がった。
「なあ、ちょっとやってみないか」
「やるって……試合を?」
「おう」
「ちゃんと防具もつけて……?」
「うーん、寸止めでもいいけど……スグに怪我させちゃ悪いからな。じいさんの防具があるだろう、道場でやろうぜ」
「ほーお」
突然勝負を持ちかける和人に戸惑っていた直葉だったが、挑発とも取れる言葉に不敵な笑みを浮かべる。
「ずいぶんとブランクがあるんじゃございません? 全中ベストエイトのあたし相手に勝負になるのかなー?」
直葉の言うように和人もかつては剣道をしていた。しかしさほど続かず、以降は竹刀を振ることもなかったはずなのだ。そのうえ
「それに……体のほう、大丈夫なの……? 無茶しないほうが……」
「ふふん、毎日ジムでリハビリしまくってる成果を見せてやるさ」
和人は直葉の心配を受け流してさっさと道場へと向かう。慌てて直葉も後を追っていく。
桐ケ谷家は系図もそこそこ辿れる家系で、住まいは古い日本家屋である。敷地はかなり広く、四年前に亡くなった和人達の祖父の遺言で道場が残されているのだ。とはいえ放置されているわけではなく、直葉が日々の稽古で使用するため手入れはそれなりに行き届いている。
二人は軽く一礼して道場に入り、各々支度をする。幸いにも祖父の防具は今の和人の体格に合い、準備が整うと道場の中央で向き合い、礼。
蹲踞から立ち上がると直葉は愛用の竹刀を中段に構えた。対する和人は
「そ、それなあに、お兄ちゃん」
和人の構えに思わずといった様子で直葉は吹き出す。
右手一本で握った竹刀の先は床につく寸前まで下げられており、左手は柄に添えるように置かれていた。およそ剣道の構えとは言えないものであり、審判のいる試合であれば問題となりかねないものである。
「いいんだよ。俺流剣道だ」
そんな指摘を受け流した和人に肩を竦めるような心境で構え直した直葉だったが、両足を大きく開いて重心を落とした和人を見てふと気づく。
構えこそ形無しといった風だが、長年その型で稽古を積んだかのように隙を感じさせないものだった。
だが、和人が稽古をしていたのは七歳から八歳ごろの二年程度のはずである。その間に学べたのは基礎の基礎だけで、型などは学んでいないはずなのだ。
記憶と目の前の光景の乖離に対する直葉の戸惑いを感じ、和人が仕掛けた。低い姿勢から滑るように動き、一気に切り上げる。
対する直葉も反応し、和人の左小手に打ち下ろすが、それは竹刀を片手持ちにしてフリーになった左手を身体に引き付けてかわされた。勢いを落とさず飛んでくる切り上げを何とかかわし距離を取って向き直るころには、直葉の中から困惑など吹き飛び、勝負に対する熱が支配していた。
今度は直葉が仕掛ける。打突の速度については部内でも定評のある直葉だったがそのことごとくがかわされ、竹刀の動きを見切られていることにわずかに歯噛みする。
業を煮やした直葉が強引に鍔迫り合いに持ち込むと、和人は圧された様子でぐらついた。その隙を見逃さず、直葉の必殺の引き面が道場に快音を響かせた。
まともに食らった和人は数歩ぐらつき、何とか踏みとどまる。
「だ、大丈夫、お兄ちゃん⁉」
心配する直葉に和人は軽く手を挙げて答える。
「……いやぁ、参った。スグは強いな、ヒースクリフなんて目じゃないぜ」
「……ほんとにだいじょうぶ……?」
「おう。終わりにしよう」
そう言って和人はいつも通りに剣を収める動きをする。しかしその背に鞘はなく、漂う気まずさを誤魔化すように面越しで頭を掻く。おかげで直葉からは頭の具合を心配されたがそれは誤魔化し、現実の身体でのソードスキルの再現の難しさに思考を飛ばす。そして、仮想空間とはいえ自力でシステムアシストありの速度に達した男の顔が浮かんで首を振って追い出すと、手元の竹刀に視線を落とした。
「でも、やっぱり楽しいな。またやってみようかな、剣道……」
「ホント⁉ほんとに⁉」
和人の呟きに反応して直葉の顔が綻んだ。
「あいつに聞くのは癪だしな。スグ、教えてくれる?」
「も、もちろんだよ! また一緒にやろうよ!」
「もうちょっと筋肉が戻ったらな」
喜ぶ直葉の頭を撫で、和人は家屋へ進んで行く。そこに並びながら、直葉は笑顔を向けた。
「あのねーお兄ちゃん、あたしもねえ……」
そこまで言って直葉は言葉を切る。和人はは訝しんで首を傾げた。
「ん?」
「んんー、やっぱまだ内緒!」
「なんなんだよ」
はぐらかされ、かつての経験から和人は渋面を作る。妹に向けるものではないと判断して首を振って騙された思い出を振り切ると、朝食の用意のために勝手口から家に入っていった。
それから一時間半ほど後、和人は病院へとたどり着いていた。
もはや顔見知りと言っていい受付で通行パスを受け取り、エレベーターへと乗り込む。そうしてたどり着いた最上階の突き当り、端の部屋が目的地だった。
扉に添えられたネームプレートの表示は《結城明日奈 様》。そう、ここはアスナの病室だった。
ネームプレート下のスリットにパスを通すと、かすかな電子音とともにドアが開く。
部屋の中心に置かれた見舞いの花を素通りしカーテンを開けると、以前と変わらず明日奈が横たわっていた。
その頭部を覆うナーヴギアは正常に稼働しているらしく、インジケータLEDが瞬いている。
その生存を確かめるように明日奈の右手を握り、わずかに目を伏せた。
しばらくそうしていると、ベッドサイドの時計が控えめにアラームを鳴らす。
視線を向けると正午を示しており、そろそろ恭真の病室を覗いて帰ろうとしていると、ドアが開いた。
振り向くと同時に二人の男が入ってくる。
「おお、来ていたのか桐ケ谷君。たびたび済まんね」
前に立っていた恰幅のいい初老の男が和人を見て顔をほころばせる。仕立てのいいブラウンのスリーピースを着込んでおり、体格のわりに引き締まった顔をしている。精力に満ちた顔だが、唯一、オールバックにまとめた髪はシルバーグレーにくすんでおり、二年間の心労を伺わせた。
この男が結城彰三。レクトのCEOであり、明日奈たちの父だった。未だログアウトされない三百人を閉じ込めている犯人候補だが、自身の子供を巻き込まれている人間を和人としては疑いたくなかった。
「こんにちは、お邪魔してます、結城さん」
「いやいや、いつでも来てもらって構わんよ。この子も喜ぶ」
そう言って明日奈の枕元へ寄り、その髪を撫でる。しばらく沈黙していたが、顔を上げると和人に後ろの男を紹介する。
「彼とは初めてだな。うちの研究所で主任をしている須郷君だ」
紹介を受け、人の好さそうな男が進み出る。長身をダークグレーのスーツで包み、やや面長な顔にフレームレスの眼鏡をかけている。レンズの奥の目は糸のように細く、常に笑顔かのように見えた。歳は三十には達していないようだ。
「よろしく、須郷伸之です。そうか、君があの英雄キリト君か」
「……桐ケ谷和人です。よろしく」
差し出された須郷の手を取りながら、和人は彰三へと視線を向けた。
「いや、すまん。SAOサーバー内部でのことは口外禁止だったな。あまりにもドラマティックな話なのでつい喋ってしまった。彼は、私の腹心の息子でね。昔から家族同然の付き合いなんだ」
「ああ、社長、そのことなんですが」
須郷は握手していた手を離しながら彰三へと向き直る。
「来月にでも、正式にお話を決めさせていただきたいと思います」
「そうか、しかし、君はいいのかね? まだ若いんだ、新しい人生だって……」
「僕の心は昔から決まっています。明日奈さんが、今の美しい姿でいる間に……ドレスを着せてあげたいのです」
「……そうだな。そろそろ覚悟を決める時期かもしれないな……」
話の見えない和人は沈黙する。その後すぐに彰三は辞意を告げると病室を後にした。
残された須郷はベッドを回り込み、和人と自身で挟むような立ち位置になると、視線を落とし明日奈の髪を一房つまみ上げた。その髪を弄びながら、須郷が口を開く。
「……君はあのゲームの中で、明日奈と暮らしてたんだって?」
「……ええ」
「それなら、僕と君はやや複雑な関係ということになるかな」
そこまで言って須郷は顔を上げる。改めて合わされた眼は妙な眼光を持ち、口の端は酷薄な笑みを形作っていた。
先ほどまでに印象を木っ端みじんにする表情を愉快でたまらないというように歪め、須郷は話を続ける。
「さっきの話はねぇ……僕と明日奈が結婚するという話だよ」
言葉の意味を理解できず和人は絶句する。数秒かけて言葉の意味を理解し、全身が凍り付くような気分になりつつもどうにか言葉を絞り出す。
「……そんなこと……できるわけが……」
「確かに、この状態では意思確認が取れないゆえに法的な入籍は出来ないがね。書類上は僕が結城家の養子に入ることになる。実のところ、この娘は、昔から僕のことを嫌っていてね。後入りの小僧に至っては僕を排除しようとする始末だ。無論、親たちはそれを知らないが」
須郷は話しながら左手の人差し指を明日奈の頬に這わせ始める。
「いざ結婚となれば拒絶される可能性が高い。そのうえ、あの狂犬もなりふり構わず僕を排除しにかかるだろう。だからね、この状況は僕にとって非常に都合がいい。当分眠っていてほしいね」
須郷の指が、明日奈の唇に近づく。和人は思わずその手をつかんで声を荒げた。
「やめろ!」
須郷の腕を掴んだ手を持ち上げながら、和人は強張った声で問い詰める。
「あんた……アスナの昏睡状態を利用するつもりなのか」
その問いに須郷は笑みを深め、現在のアーガスの状況を問う。
和人が解散の事実だけを返すと、須郷はアーガスの消滅後、サーバーの維持の委託をされたのが自身の部署であると明かした。須郷は和人の正面まで歩み寄ると、顔を突き合わせるようにする。
「つまり、明日奈の命は今やこの僕が維持していると言っていい。なら、僅かばかりの対価を要求したっていいじゃないか?」
囁くように告げられた言葉に和人は一連の犯人を察する。
目の前に立つこの男が、明日奈や恭真を含む三百人を捕らえた元凶である、と。
結婚については前々からあった話のようなのでスムーズに話を進め、レクトを手に入れることが目的なのか。
だとすれば三百人も余計に確保する必要もない。何か他にも目的があるのか。
詳しいことはわからないが、SAOサーバーに細工したのはこの男の手の者で間違いはないはずだ。
しかしながら、この男の悪行を突き止める方法は今の和人にはない。
思案にふける和人を見てなにを思ったのかはわからないが、須郷は結城家と接触を断つように告げ、式の日取りと招待をすることを告げると哄笑でも上げそうな顔で去っていった。
剣さえあればそのまま須郷に切りかかりそうな激情を何とか収め、家族にも悟られぬように誤魔化し、翌朝。
朝食の用意をしようと部屋を出ようとした和人にメッセージの受信を示す電子音が届いた。
何とはなしにデスクに向かい、メーラーを開くと、エギルからのメッセージが表示される。
本文はなく、タイトルも【Look at this】とだけ書かれたメールには、写真が一枚添付されているだけだった。
再会時にアドレスを交換して初めてのメールの簡素さに首をひねりながらも写真を開き、思わず腰を浮かせる。
そのまま食い入るようにモニタを凝視した。
映っていたのは引き伸ばされた風景。粗いドットの画像の中心には金色の格子が並び、その奥に一人の人間が映り込んでいる。
長い栗色の髪を持った白いドレスに身を包んだ女性に見える。
何の関係もない人間にはそれが何なのかわからないだろう。しかし、和人にはこの解像度でも十分だった。
「アスナ……⁉」
探して止まない少女の存在に血が沸騰する思いだった。
アスナの姿を確認するや否や、和人はエギルへと電話をかける。
応答までの数秒に気が遠くなるような気分で待ち、接続音の直後に声を上げた。
「もしも」
「おい、この写真は何だ⁉」
「……あのなあキリト、せめて名前ぐらい言え」
「表示されるだろ! 早く教えろ!」
「……ちょっと長い話なんだ。店に来られるか?」
「すぐ行く。今行く」
即断して返事も聞かずに通話を終え、準備のために部屋を飛び出した。
感想・評価・お気に入り等ありがとう御座います。
アスナの無事がわかっているので病室の脱出はキャンセル。その後もただ見舞いを繰り返すのではなく自発的に情報収集ができています。